水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

24 / 40
第七章 少女が告げる想い 後編

 突然、予想外の答えが予想外の勢いで返され、魔王は目を白黒させる。

 

 ――わからない。ブリジットが何を言っているのか、わからない

 

 幼い頃から、彼女はことあるごとに魔王に突っかかってきた。それのどこに好意がある?

 彼女に突っかかられるたびに蹴散らし、あしらい、敗北を味わわせ続けてきた。そんな相手にどうして好意を抱ける?

 

「……私は貴様に好意を向けられるようなことをした覚えがないが?」

 

 魔王がそう言うと、状況を思い出したのか、ブリジットの中で怒りがしゅるしゅると(しぼ)んでゆく。

 

 そして、あまりにいつも通りに怒ったせいか、それとも勢いとはいえ想いを告げてしまったせいか……怒りが収まったブリジットの中に、もう不安はなかった。肩肘を張る気も起きなかった。

 素直に、自然に、ブリジットは思ったまま、感じたままの想いを言葉に乗せる。

 

「したんだよ。……オマエ、ボクみたいにこうして毎日喧嘩して、毎日いがみ合っていた奴……他に居たか?」

 

「……いないな」

 

 ブリジット以外の者と争いになることはあった。いがみ合うこともあった。

 だが、それを毎日のようにこなした者となれば、1人もいなかった。

 

 なぜなら、大抵の相手は魔王を恐れてひれ伏し、それでも屈しない相手は大体が殺し合いにまで発展し、亡き者となっていた。

 殺し合いになる前に争いが終わり、憎しみ合うことなく争いが再開される……そんな相手はブリジットを除いて他に存在しなかった。

 

「ボクもそうだよ。大抵の奴はボクを怖がるか、形だけ従うか、見下すか……オクタヴィアはボクの事をきちんと見てくれたけど、それはあくまで従者として……ボクを対等に見てくれる人はいなかった」

 

「……」

 

「だけど、オマエだけは違った。力をつけて魔王になってからも、ボクを無視したりしなかった。面倒くさそうにしながらも、いつも相手してくれた。『やかましい』って言いながらも、ボクと話してくれた……『オマエに勝つ』って無謀な挑戦を、何度だって受けてくれた」

 

「……」

 

「だから、ボクはオマエを好きになった……ボクは、そう思う」

 

 魔王は、ようやく気づくことができた。

 

 ――ブリジットの想いに

 ――そして、自分にとって、彼女こそが“リリィにとってのエミリオ”であることに

 

 ブリジットの好意は本物だ。

 

 彼女と毎日のように喧嘩してきた魔王には、彼女が自身に対する恐れも、“利用してやろう”といった下心も無いことを良く理解しているし、そもそも腹芸ができるような性格ではないことも知っている。

 仮に、魔王が魔神の肉体ではなく、ちっぽけな人間族の肉体に宿っていたとしても、この好意は変わらなかっただろう。

 

 エミリオの想いはリリィに対して向けられたものであったため、気づくことができなかったが……ブリジットからの下心の無い、心からの真摯な想いを受けた魔王は衝撃を受けていた。

 

 

 ――心からの好意とは、これほどまでに自分の心を満たすものか、と

 

 

 今までは魔王にとって絶対の価値観であった“力”……強力な肉体、莫大な魔力、財、城、配下、それらを全て失ったとしても、関係なく自分を慕ってくれるということが、どれほど貴重で、どれほど心強く……そして、どれほど嬉しいか、ということを。

 

 

 ――魔王は知らない

 

 

 かつて、同じように全てを失ったリリィが、同じように何も持っていない……いや、それどころか受け入れればマイナスであろう自らを家族として受け入れ、愛してくれた水精の少女と出会ったことを。

 それこそが、リリィが誕生してから最も心を震わせた出来事であり、彼女の価値観に最も大きく影響を与えていたことを。

 

 

 ――それほどまでに大きくリリィの精神が、価値観が変わったのであれば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 かつての魔王であれば、理解できなかっただろう。

 だが、今の彼女はそうではない。

 

 彼女は、今まさに“人に愛される”という喜びを、生まれて初めて理解したのだ。

 

 そして同時に、これこそが“エミリオがリリィを慕う理由”であると理解した。

 彼女の心に、今ふつふつと湧いてくる“ブリジットの為に何かしてやりたい”という気持ち……この気持ちこそが、魔王軍を新生させるための鍵なのだと、彼女は理解したのだ。

 

(……そうか、私は間違っていたのだな)

 

 いや、正確には間違っていたわけではないだろう。

 力による支配もまた1つの方法だ。無法者の集まりである魔族を束ねるには最も効率的で分かりやすい。

 

 だが、それだけではダメなのだ。

 自分の周り全てをそうした者で囲った場合、なんらかの理由で“力”を失った瞬間、今の魔王のように全てを失ってしまう。

 

 ――“心”だ

 

 ブリジットにとってのオクタヴィア、リリィにとってのエミリオ……そして、魔王にとってのブリジットのように、“心”を、その“魂”を支配することが肝心なのだ。

 

 それも、魔術などによって洗脳するのではなく、本人自身が心から魔王に心酔しなければならない。

 そうすることが……いや、()()()()()()()()()()()()、真に精強な魔王軍を(つく)りだすことはできない。魔王は、そのことにようやく気づいたのだ。

 

(1からやり直しだな)

 

 そう思った瞬間、魔王はブリジットの腰に手を回し、グイと強引に抱き寄せた。

 

 「うわっ!?」という驚きの声とともに、赤く染まったブリジットの頬に軽く手を添え、顔を近づける。

 想い人、それも(肉体は)女性であるとはいえ、絶世ともいえる魔王の美しい顔が迫り、ブリジットの胸が激しく高鳴ってゆく。

 

「……貴様には礼をしなければならんな」

 

「は、はぁっ!? れ、礼って何の礼だよ!?」

 

「貴様のおかげで、私に真に必要なのは、貴様のように“私の事を心から考えられる者だ”ということを知ることができた。……その礼だ」

 

 とはいえ、魔王がブリジットの好意を手にしたのは、全くの無自覚で行われたこと。“力”ではない方法で他者の心を支配するためのノウハウが、魔王には決定的に欠けている。

 魔王はその練習相手として、“比較的”ではあるが、幼馴染としてその人柄について良く知っており、更には既に好意を抱いてくれているブリジットを選んだ。

 

 だが、魔王にはブリジットの顔色をうかがう気もなければ、ご機嫌取りをするつもりもない。

 魔王である自分が他者の顔色をうかがうなど到底自分の誇りが許さないし、なによりそんなことをすれば、ありのままの魔王を慕ってくれたブリジットを侮辱することになる。

 あくまでも自分自身の()り方は変えずに、その心をつかみ取らなければならない。

 

 魔王はこれまでのブリジットとの思い出や経験を総動員し、その上で今のブリジットの発言を照らし合わせ、ブリジットをより満足させ、完全に取り込むための策を編み……そして、結論を出す。

 

「うむぅっ!?」

 

 くぐもった驚きの声を上げるとともに、ブリジットが身体を硬直させる。

 

 それは、不意に行われた深い口づけ。

 “お前を決して離さない”と言わんばかりの力強い抱擁(ほうよう)

 

 

 ――あの時ブリジットが夢見た光景……魔王と自分のキスが、今ここに現実となった

 

 

 ブリジットからすれば永遠にも等しい時間――それが終わり、ゆっくりと魔王が唇を離すと、顔をリンゴのように真っ赤に染めたブリジットが、呆然と口を開いたまま愛しい人の瞳を見つめ続けていた。

 

「貴様を私の妃としよう。私についてこい……ブリジット」

 

 魔王の結論は、ブリジットを伴侶(はんりょ)とすること。

 

 人間族がよく口にする“愛”とやらが自分にあるのかは分からない。

 今、この胸を温めている“ブリジットに何かしてやりたい”という気持ちが“愛”なのかもわからない。

 

 しかし、純粋にありのままの魔王を愛する彼女を……そして、自分を鍛え、高め続けて、上級悪魔級の力を身に着けた彼女を、“そばに置いても問題ない”と……いや、“そばにいて欲しい”と思う気持ちに嘘はない。

 

 呆然としたままのブリジットの瞳から涙がこぼれ、溢れ出す。

 やがて、ゆっくりと彼女の表情は崩れ……泣きそうで、それでいて誰もが見とれるような魅力的な笑顔で……

 

 

 

 ――はっきりと彼女は頷いたのだった

 

 

 

***

 

 

「う、うわぁ~……うわぁ~……ホントに男の子だったんだ……」

 

 コレットは顔をリンゴのように真っ赤にして、顔を両手で覆いつつもしっかりと指の間から魔王とブリジットが(むつ)み合う様子を見ていた。

 

 ブリジットが押し倒され、そのまま男女の行為が始まってもしっかりと見ていた。

 それはもうガン見していた。

 なんか鼻から熱いものが溢れて口に入り、口中に鉄臭い匂いが広がっているが、全く気づかない程に目の前の光景に集中していた。

 

 魔王は男性化の魔術を使ったことで、幼いながらも立派なブツを生やしていた。

 そんなものが友人(とコレットは思っている)を(あで)やかに(あえ)がせているのだ。そりゃあ、目が離せないし、興奮もしようってもんである。

 

 そんな残念極まる彼女の様子を苦笑いしながらヴォルクが眺めていると、隣に立つ赤髪の美女が話しかけてきた。

 

「……ありがとうございました」

 

「? 何がだ?」

 

彼女(コレット)の想いを受けてくれたことです。……あなたは、ご主人様が隠れていることに気づいたから、彼女の告白を了承したのでしょう?」

 

 あの時、ブリジットはあまりに予想外の展開に動揺し、コレットは自らの告白に頭がいっぱいであったため、ブリジットの隠れる位置が風上であることに全く気づいていなかった。

 いくらブリジットがうまく隠れようと、また気配を隠しきろうと、匂いが流れてしまっては狼の鼻を持つヴォルクにはバレバレである。

 隠れてその様子を見ていたオクタヴィアは、“ブリジットに悪影響を与えないために、あえてコレットの告白にOKしたのだ”と認識した。

 

 しかし、ヴォルクはオクタヴィアの問いに、首を横に振って肩をすくめる。

 

「いいや、そいつは嬢ちゃんに失礼ってもんだぜ。俺は間違いなく“あの嬢ちゃんならつきあってもいい”って思ったからこそ受けたんだ。……アンタのご主人様には悪いが、もし俺につきあうつもりがなかったら、ハッキリと断ってたよ」

 

「……そうですか」

 

「ああ」

 

 オクタヴィアは主人が幸せそうに魔王に抱かれている姿を見て、幸福感と……そして、わずかな罪悪感を抱く。

 

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その根底にはブリジットの幸せだけでなく、これからの()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 魔王はリリィからの束縛により、よほどのことがない限り他者に不利益をもたらすことはできない。さらには、“リリィから命令されること”を回避するため、うかつに店などを襲うこともできない。

 これらの前提条件を満たした上で、魔力を回復するなど自然回復ぐらいしかないだろう。

 

 しかし、それ以外に唯ひとつだけ……さらには、素早く、かつリリィやディアドラに対抗できるまでに回復できる手段が存在する。

 

 

 ――そう、性魔術だ

 

 

 性魔術は、何も敵対者を縛り、その精気を奪うだけの魔術ではない。

 被術者の精気の質を高め、量を増やす精気増幅術でもあるのだ。

 

 もともと性行為は“女性の体内に全く別の魂を降ろし、憑依させ、新たな命を育む”という、神降ろしにも似た非常に高度な儀式であり、それを用いた精気増幅術は爆発的な効果を発揮する。

 さらには、敵対的な性魔術戦と異なり、被術者が協力的な性魔術は、被術者の快感を極限まで高めることで、その精気の質を高純度に高めることができるのだ。

 

 原作においても、力を使い果たしたシルフィーヌと、魔力の全てをディアドラに奪われた魔王が、協力的な性魔術を行うことによって、ディアドラに対抗できるまでに魔力を回復させている。

 かつてとは比べ物にならないほど強くなったブリジットの魔力でそれを行えば、その効果は凄まじい。

 極限まで高めたブリジットの精気を受け取ることができれば、リリィもディアドラも、そう簡単には手を出せないレベルにまで回復できるだろう。

 

 ブリジットは魔王に対して異性として好意を抱いている。

 お互いの心が通じ合うならば、魔王に抱かれることに抵抗はない。いや、むしろあの照れ屋をうまくムードにのせさえすれば、自ら望んで抱かれることだろう。

 そうなれば魔王が罪悪感にとらわれることなどない。リリィの“良心”の束縛をすり抜け、完全に合意の上で性魔術を行うことができる。

 

 だが、いくら主人のため、魔王のためとはいえ、主人の想いを利用することに罪悪感を抱かないはずがない。

 さらに言えば、コレットを通じてブリジットに告白するよう(うなが)すことで、ブリジットが失恋するリスクまで(おか)させてしまっているのだ。

 

 “従者”という立場のオクタヴィアでは、馬鹿正直に『性魔術で魔王様を回復させましょう』などとブリジットに提案しても、顔を真っ赤にして跳ね除けられてしまうことが容易に想像できるが故の仕方ない行動であったものの、主を謀略にかけたことには何の違いもない。

 

 ちなみに、“オクタヴィアが抱かれる”という選択はあり得ない。

 恋する主の目の前で、想い人に別の女を抱かせる? それも主よりも遥かにスタイルの良い女を? どんな冗談だ。

 

 さらに言い訳をさせてもらうなら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”という理由もある。

 

 リリィが意図せず魔王に付与した束縛(ギアス)には、実は“()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――『種族を問わず、周囲の者達と理解し合えるよう努めてください』

 

 

 今の魔王は、無意識に他者を理解しようとする。魔王がエミリオの行動や、その精神性を理解しようと考え込んでいたのも、この束縛が原因だ。

 

 根本の性格がアレな以上、即座に主を心から愛してくれる確率は低い……が、今が最も主を理解してくれるタイミングであることに違いはないのだ。

 その証拠に、ブリジットを抱く魔王の眼は獣欲に満ちているものの、その所作の一つ一つにブリジットへの配慮が感じられる。

 

 かつて魔王が堂々と外で女を抱いていた光景を見たことがあるオクタヴィアは知っている。

 今、主の肌を滑る魔王の指や口を塞ぐ唇……それらは、以前、他の女を抱いていた時はもっと荒々しいものであったことを。

 

 そして今の彼はそれだけではなく、時折ブリジットと目を合わせたり、耳元で優しく何事かを囁いたりと、以前の快楽に任せた乱暴かつ自分勝手な行為とは比較にならないほどの丁寧さでブリジットを扱っていた。

 おそらくは“ブリジットがそのように扱われることを望んでいる”と理解し、彼女の望むままにしているのだろう。その証拠に、快楽に喘ぐブリジットの眼はとろんとしており、幸福感に満ち溢れていた。

 

 “相手を理解すること”……それは愛情の第1歩である。

 リリィの束縛が解かれる前に、束縛に関係なく、魔王が心から主を愛してくれるようになっていることを、オクタヴィアは願ってやまなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……もう一つだけ、言い訳させてもらおう。

 オクタヴィアが主の濡れ場をじっっっっっっくり眺めているのは、魔王と睦み合って無防備になる間、ディアドラやリリィに襲われないよう見張るためである。

 

 

 ――決して、主の思い出の1シーンを拝みたいが為ではないのだ

 

 

***

 

 

 ――翌朝

 

 エミリオが早々に庭園に出て花々の手入れをしているとき、その幼馴染であるコレットはとある人物を見てぽかんとした間抜け面を(さら)していた。

 

「……え~と、あの青い子のお姉さんですか? あの子はどこに?」

 

「貴様が否定したくなる気持ちも分からなくはないが、私はその“青い子”本人だ」

 

「え……えええええええぇぇえぇぇええええええっ!!?」

 

 コレットが驚くのも無理はない。新たな女友達の恋の成就を見守った次の日になった途端、そのお相手が“成人”していたのだから。

 

 充分に魔力を回復した今の魔王は、その肉体を大きく成長させ、オクタヴィアにも勝る長身を持つスラリとした女顔の美丈夫となっていた。

 男性化の魔術は継続中なのだが、元が美女であるラテンニールの肉体であるせいか、コレットが初見で女性と見間違えるほどに中性的な美男子である。

 

 優雅にたなびく銀の長髪や、細く美しい指、切れ長で鋭く、強い意志の光を放つ紅の瞳、そして元魔王ならではの迫力と(みなぎ)る自信に彩られた不敵な笑顔……コレットの眼から見ても文句なしの超ワイルドなイケメンだ。

 もっとも、いくら美しかろうと、こんな恐ろしい雰囲気を持つ男性を伴侶に迎えたいとはコレットは欠片も思わなかったが。

 

「いったいどうしたの、その身体!?」

 

「……いちいち貴様などに説明するつもりはない。体調が回復した、とでも思っておけ。そう間違ってはいない」

 

「体格って体調で変わるもんなの!?」

 

 愕然(がくぜん)とするコレットの前で面倒くさそうに目を細める魔王の(かたわ)らでは、昨日とそう変わらない格好のブリジットがちょこんと座っていた。

 彼女は、真っ赤な顔をして「あー」だの「うー」だの(うめ)いては、魔王の顔を覗き込んだり、視線が合いそうになったら慌てて顔を逸らしたりと、非常に落ち着きがない。

 

 魔王も、まさかここまでブリジットが(うぶ)だとは思ってもみなかった。

 

 魔王である自分が初めて女を抱いたときはこんなことにはならなかったし、魔王が抱いた生娘(きむすめ)は大抵自分を恐れるか、憎むか、()びるか……あるいは錯乱(さくらん)するか、壊れるか……とにかく、このような反応は示さなかったので、魔王としてもどう対応して良いのか分からない。

 とりあえず手探りで何とかしているが、ブリジットが機嫌を損ねていない以上、そう間違った対応ではないのだろう。……リリィ達と相対(あいたい)する前にはいつもの調子に戻ってもらいたいものだ。

 

 結論から言うと、ブリジットとの性魔術による精気回復は無事に成功した。

 

 

 ――()()()()()()()()

 

 

 ひとくちに“魔神”と言ってもその力はピンキリだ。

 “魔神”とは、あくまでも“神の如き力を持つ魔族”の総称。仮に魔神同士が戦ったとしても、片方がボロ負けするということは充分に有り得る。

 

 そして、魔神ラテンニールは間違いなく超一級の魔神だ。万全(ばんぜん)の状態ならば、そこらの魔神など軽く(ひね)れる力がある。

 それだけの力を持つ器の魔力が(から)になったのならば、いかに優れているとはいえ魔神の域に届いていないブリジットとの性魔術1回では、完全回復はしない……はずだった。

 

 ところが、魔王の予想を裏切り、()()()()()()()()()()()

 それどころか、ほんのわずかだが()()()()()()()()()()()()()()、さらには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、リリィとブリジットとの間で起こった現象と全く同じことが起こっていたのだ

 

 

 前回発生した時点では、魔王はリリィの中で魂の状態で昏睡(こんすい)状態にあったため、魔王はその事を知らない。

 しかし、魔王はこの特殊な現象を経験したことから、“あること”を思い出した。

 

(……そういえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リウラの“精神強化”能力である。

 特に魔術を使った様子もなく、ただ触れるだけでリリィの精神力を強化し、魔神ラテンニールの莫大な魔力を吸収しても耐えられるようにした、今まで魔王が見たことも聞いたこともない能力(ちから)

 

 おそらく、これらの能力は、効果は全く異なるものの、根本は同種のものだ。

 どちらの能力も経験した感覚・受けた印象から、魔王はそう考える。

 

 同様に、ブリジットの能力を受けた感覚から、彼女の能力の鍵は“性魔術を行うこと”だけでは不十分であることも、なんとなくわかった。

 

 おそらくだが、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ブリジットとより親密になればなるほど、性魔術の効果が何倍にも(ふく)れ上がり、お互いの……特に術者であるブリジット自身を大幅に強化するのだろう。

 

 ――魔王の推察は当たっていた

 

 お互いの友情を確立しただけのリリィの時は、リリィは洗脳を解いてもらう程度で、リリィ自身は(ほとん)ど強化されていない。

 ブリジットも大幅にパワーアップしたものの、その力は魔神どころか貴族悪魔にすら届いてはいなかった。

 

 ところが、お互いに恋仲(こいなか)となった魔王との時は、超一級の魔神の器を魔力で満たしたうえで(わず)かにまで強化している。

 ブリジット自身など、魔神にこそ届かないものの、その一歩手前……貴族悪魔の上位クラスにまで一気にパワーアップするという、異次元(いじげん)の成長を果たしていた。

 

 故に、これ以上ブリジットと性魔術を行っても、さほどパワーアップは見込めない。

 今以上にパワーアップするためには、さらにブリジットと絆を深める必要があり、その為には相応の絆を育む時間が必要だからだ。

 

 しかし、ブリジットのこの能力は非常に有用だ。

 もし訓練などでブリジットが使いこなせるようになれば、“絆”の有無にかかわらず発動できるようになるかもしれない。状況が落ち着いたら、一度ブリジットと協力してじっくり調査すべきだろう。

 

 コレットに対して“魔力が欠乏(けつぼう)すると体格が幼くなる者もいる”という説明をしているヴォルクを見て、ふと思いついたように魔王が言う。

 

「そこの狼獣人(ヴェアヴォルフ)……貴様、たしか『情報屋で、そこの娘の案内人をしている』と言ったな」

 

「? ああ、そうだが?」

 

「ならば、私に情報を売れ。“人間族に見つからずに迷宮に戻る方法”についてだ」

 

 魔族である魔王達を気づかってか、エミリオは『サスーヌが軍を率いて迷宮に入った』という情報を入手し、魔王達に伝えてくれていた。

 迷宮で出会った魔王達は“迷宮に住んでいる”と思われているだろうし、人間達に見つかったら間違いなく争いになるであろうことから、魔王がヴォルクにこのような取引を持ちかけても決して不自然ではない。

 

 本当ならば、『リリィ達に見つからずに迷宮に戻る方法』と()きたかったが、コレットと共にリリィを探していたヴォルクがリリィの味方である可能性がある以上、このような訊き方しかできなかった。

 

 ヴォルクは魔王の言葉を聞くと、ニヤリと笑って言う。

 

「良いぜ、売ってやる。ユークリッド軍が、今どのように迷宮に展開されているかは、俺でも分からんが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、そんだけ貴重な情報だ。まける気は、これっぽっちもねぇぞ?」

 

 そう言ってヴォルクは右の指を3本立てる。

 

 その身ひとつで迷宮を脱出した魔王とブリジット達が即支払える物品など、その身に(まと)う服や防具・装飾品くらいだ。

 もちろん、魔神ラテンニールの振るう大剣――魔剣インフィニーや、ブリジット達の装備する一級品の服や防具・装飾品は、一般人からすれば目の玉が飛び出るであろう価値がある。

 

 だが、そのほとんどは実用的な価値があるものばかり。

 装飾品ですらブリジットやオクタヴィアを魔術的にサポートする、極めて効果の高い魔法具(まほうぐ)である。リリィ達と交戦状態にある魔王達が差し出すのは厳しい。

 

「これでは不服か?」

 

 そう言って、魔王は自らの美しい銀髪を一筋抜いてヴォルクに差し出した。

 

 ヴォルクは大きく目を見開いて驚く。

 情報屋である彼は魔王の容姿から、その正体を……正確には、その肉体のかつての持ち主を知っている。

 

 輪廻の魔神ラテンニールの肉体の一部……魔法具や魔術の触媒として、どれほどの価値があるか分からない。

 しかるべきところで売れば、一生遊んで暮らせるほどの金が手に入るだろう。ヴォルクが提示した情報代など、支払っても有り余る金が手に入るに違いない。

 

 そして、それは魔王も良く知っている。

 

 これはヴォルクに対する“揺さぶり”であった。金に目がくらむようであれば、それはそれで良し。

 髪一筋で一攫千金(いっかくせんきん)の肉体を持つ魔王はまさに“金の生る木”だ。

 魔王から搾り取れるだけ搾り取ろうと動くなら、上手く金を払ってやるだけでヴォルクの握る情報を支配できる。おそらく逆に誤情報を流すことだってできるだろう。

 

 逆に一番厄介なのは――

 

 魔王はヴォルクの眼をじっと見つめて様子を伺う。その本質を見極めんと集中する。

 その視線を受けながら、ヴォルクは苦笑し、肩をすくめた。

 

「いや、それ1本で充分……つーか、そんな凄ぇもん貰っても、俺には釣りなんて返せねーぞ?」

 

「構わん。その代わり貴様にはその道を案内してもらうぞ。余った分は口止め料と……コイツの服代としてその小娘に支払ってやるがいい」

 

「OK、商談成立だ」

 

 “ブリジットちゃん可愛いな~”とぼんやりちびっこ魔族を眺めていたコレットは、魔王の発言を受けて、ハッと思い出す。

 

「あ、ブ、ブリジットちゃん「だから、ちゃん付けすんな!」、その耳飾りなんだけど、それ元はヴォルクさんのもので……」

 

「ああ、いいよ嬢ちゃん。確かにそこそこ大切なもんではあったが、女が意中(いちゅう)の男を仕留(しと)めるために使ってもらったってんなら、俺が使うよりもよっぽど、その耳飾りも本望(ほんもう)だろうさ。そのまま持ってってもらって構わない」

 

「す、すみません。勝手に貸しちゃって……」

 

「気にすんな。……さて、俺はこの兄ちゃんたちを送ってくるから、それまで嬢ちゃんは留守番しててくれ」

 

「え、ま、待って待って! 私も行くよ!?」

 

「いや、今回ばかりは危険度が段違いだ……それこそ、この兄ちゃんくらいでないと、いざという時、対応できねぇくらいのな。流石に嬢ちゃんは連れていけねぇよ。終わったらまた迎えに来て迷宮を案内してやるから、おとなしく待っててくれ」

 

「……()()()()()()()()()()()だと?」

 

 魔王は(いぶか)しむ。

 

 先程のやり取りから、ヴォルクは魔神ラテンニールのことを知っているはずだ。

 その魔神でないと対応できないほど危険な場所……いや、裏道とは一体どのような道なのか?

 

「……アンタ、南の大陸から鳩頭(はとあたま)の魔神が定期的に飛んできているのを知っているか?」

 

「何だと!?」

 

 ずっと迷宮に(こも)っていて、地上に出たのはシュナイル王国を滅ぼしたときくらいである魔王だが、そのような魔神の話など聞いたことがない。

 もし本当にそのような魔神が出れば、魔王の耳に届かないはずがないのだ。

 

「まあ、普通は知らねぇよな。とある場所に、地上から地下700階くらいまで直通の大穴がある。表層から地下500階くらいまで迷宮とは繋がってねぇ大穴だ。巨人族並にデカい(やっこ)さんは、定期的にこの穴を通って迷宮に入ってから、これまた見上げるほど巨大な地虫やらカタツムリやらを狩って、南の大陸へとそいつを抱えて飛んで行ってる。その縦穴の存在があまり知られていないことと、その魔神の滞在時間が極端に短いことが知られてない原因だろうな。つまり……」

 

「その鳩頭の魔神に見つかったら、対応できるのが私しかいない、ということか」

 

 ひとくちに“魔神”と言ってもピンキリだ。

 上は上級神と真正面から殴り合える者もいれば、下は竜族に毛が生えたような者もいる。厄介な特殊能力持ちもいれば、単純に身体能力が異常に強いだけ、という者もいる。

 (くだん)の鳩頭がどのような魔神かは分からないが、肉体と魂を奪ったばかりで試運転すらしていない魔神ラテンニールの力を振るうには少々リスキーか……?

 

(……いや、ここは少々の無理を押してでもそのルートを使うしかないか。そうでなければ、リリィ達に先んずることは難しい)

 

 魔王はブリジットを押し倒してから頭の中で計画していたシナリオを、再度見直し、結論を出した。

 

「良いだろう。では、案内してくれ」

 

 

***

 

 

「おいっ! 普通、逆じゃないかコレ!?」

 

「仕方なかろう。以前の肉体であれば翼があったが、今の私は飛べんのだ」

 

「こちらでよろしいですか?」

 

「ああ、そのまま……そこであっちへ行ってくれ。そっちの方が、ヤバい匂いが少ない」

 

 危険な場所を通るということで、耳飾り以外の装備を元に戻したブリジットは、なぜか愛しい男をお姫様抱っこしながら深い深い縦穴を降下していた。

 へたにロープなどを使って降下すれば、魔物に狙い撃ちされてしまう上、件の魔神が通りかかった時にすぐに逃げられないため、こうして飛行して移動せざるを得なかったのだ。

 この中で翼を持つのはブリジットとオクタヴィアだけなので、彼女達に魔王とヴォルクが彼女達に捕まらざるを得なくなるのは必然だった。

 

 だが、文句を言いつつもブリジットの頬は赤く染まり、魔王を放り出す様子もまるでない。

 なんだかんだ言って、想い人と触れ合えるのが嬉しいのだ。要は照れ隠しである。

 

「……ここら辺が400階くらいだ。アンタ、どこら辺まで降りられればいいんだ?」

 

「……私の城の付近は、手が回っていると考えてまず間違いあるまい。魔神が相手でもない限り、大抵の脅威は私が排除できるから、可能な限り下まで行く」

 

「了か……っ!? 避けろ、オクタヴィア!!」

 

「ッ……!?」

 

 ヴォルクが吠えた直後、オクタヴィアの胸に穴が開いた。

 何が起きたのかもわからず、呆然とした様子でオクタヴィアは手足の先から光となって消えていく。

 

「オクタヴィア!?」

 

「ちぃっ!!」

 

 凄まじい速度で放たれた影響で発生した衝撃波に吹き飛ばされそうになりつつも、ブリジットはその小さな翼で体勢を立て直しつつオクタヴィアがやられたことに取り乱し、魔王はオクタヴィアを倒したその攻撃の脅威に戦慄(せんりつ)する。

 

 先の一撃、その威力・速度もさることながら、最も恐ろしいのは殺気も魔力も闘気も……その攻撃の予兆を一切魔王達に感じさせず、放ったことである。

 オクタヴィアはブリジットの使い魔である為にブリジットの体内で傷を癒せば復活できるが、魔王とヴォルクはそうではないし、ブリジットがやられれば使い魔であるオクタヴィアも道連れに死んでしまう。

 

 魔王はすぐさま背から触手を生やして落下中のヴォルクを絡めとり、ブリジットや自分の前面に触手で壁を作って防御態勢をとる。

 直後、凄まじい衝撃とともに、何かが砕ける音が響き、魔王の触手に激痛が走った。

 

「ぐぅっ!!」

 

(私の魔術障壁を容易(たやす)く貫通するだと!? まさか、コイツが例の“鳩頭”か!?)

 

 未だ完全回復とは言い(がた)いとはいえ、魔神である魔王の魔術障壁を貫通するなど、そう簡単にはできない。

 同格の存在……すなわち、魔神が放ったと考える方が現実的であった。

 

「ええいっ! 障壁で防げんのならば、受け流せば良いのだろう!?」

 

 そう言うと、魔王は昆虫の足のように節くれだった触手の1本を真下に向かって大きく横一線に()いだ。

 

 魔王が触手で薙いだ軌跡がパクリと(まぶた)のように開き、中から凄まじい圧力とともに闇の魔力が漏れ出す。

 直後、再び衝撃波をまき散らしつつ、何かが凄まじい勢いで迫りくるも、闇の(まなこ)の中へとすっぽり入り、魔王達へとその身を届かせることはなかった。

 

 

 ――暗黒魔術 ティルワンの闇界(あんかい)

 

 

 闇世界(ティルワン)へと相手を引きずり込み、闇の魔力によるダメージを与える高位魔術である。

 今回は“術者が敵と認識したものを異空間へと引きずり込む”という特性を応用し、正体不明の攻撃を無理やり闇世界へと引きずり込んで、攻撃を無効化する障壁として利用したのだ。

 

 その効果から分かるように、空間干渉系の魔術であり、あの人形のような小娘や、歪魔(わいま)もどきの天使に居場所がバレてしまっただろうが……()()()()()

 

 今のリリィが持つアドバンテージは“人脈”だ。

 迷宮で知り合った仲間を頼ることはもちろんのこと、もしリリィがシルフィーヌを味方につけていれば、彼女を通じてユークリッド軍を動かせるだろう。

 さらに、エステルを味方につけることに成功していれば、ゼイドラム軍まで出張ってくる可能性もある。

 ブリジットも軍は持っているが、リリィ、シルフィーヌとの戦闘で大幅に消耗したうえに、ディアドラに大量に生贄にされてしまったため、あまり頼りにすることはできない。

 

 であれば、まずはこのアドバンテージを消し去ってしまわなければ、魔王達の方が、先にリリィ達に捕捉されてしまう。

 

 ヴォルク(いわ)く『700階まで直通』のこの縦穴であれば、一気に700階付近まで降りることができる。

 そこは、魔王の本拠地がある階層すら通り過ぎた危険区域だ。生息する魔物もそれに応じて強力になり、捜索できる実力を持つ人員は大幅に減少する。今の魔王の魔術障壁を貫通して攻撃できる何者かが居ることを考えれば、準魔神級の敵がごろごろ潜んでいてもおかしくはない。

 

 ましてや、この縦穴付近は鳩頭の魔神の通り道……そんな超危険ルートなど、シルフィーヌどころか、リリィですら迂闊(うかつ)に足を踏み入れられない。

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

 魔神ラテンニールの肉体を持ち、魔力をほぼ全快させた今の彼ならば、例え“鳩頭”に見つかろうとも対抗できる。

 逃げることを前提に考えれば、ブリジット達を庇いつつ消耗を抑えることだって可能だろう。

 

 ならば、あえて空間干渉系の魔術で一時的に居場所を知らせた上で、魔王ぐらいしか潜むことの(かな)わないであろう最も危険な場所……すなわち、この縦穴の最下層に潜み、リリィ達を待ち伏せればいい。

 ユークリッドの一般兵はもちろんのこと、うまくいけばシルフィーヌ達すら入ってこれず、リリィ1人でやってくるだろう。運が良ければ、リリィ達が“鳩頭”や準魔神級の何者かに襲われている隙を突けるかもしれない。

 

 

 ――そこを、狙う

 

 

 とはいえ、これは危険な賭けだ。

 今まさにこうして襲われているように、魔王が準魔神級の相手にてこずっている間にリリィが来て、あっさり魔王に“命令”してしまう可能性もあるし、複数の準魔神級の相手が集中して魔王を攻撃してきて全滅する可能性もある。

 

 魔王は自身の頭にある“()()”を念頭に、リリィ達に先に捕捉されてしまうリスクと、準魔神級の敵を相手にするリスクを天秤(てんびん)にかけ……最終的に、後者をとった。

 

「……いい機会だ。“鳩頭”と戦うことになる前に、この肉体の性能を確かめさせてもらうとしよう。ブリジット! まずはコイツを倒し、縄張りを奪うぞ! ついてこい!!」

 

 魔王のその言葉を聞いた瞬間、ブリジットの胸の内から感情の荒波が押し寄せ、じわりと涙がにじむ。

 なぜなら、彼女はこのために……“彼の隣に立つ”、ただそれだけのために、今この時までずっと努力を続けてきたのだから。

 

 女としての魅力でも、共に進む相棒(パートナー)としても認められた。

 

 

 ――今この瞬間、ブリジットの夢は全て叶えられたのだ

 

 

「ああ、ボク達の強さを思い知らせてやろう!」

 

 ブリジットのやる気に満ちた言葉を聞きながら、魔王は思った。

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、な……)

 

 先程の攻撃は、オクタヴィアどころか、ブリジットも、魔王すらも感知できなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 罠か? それとも実力を隠しているのか? ……どちらにせよ、油断できる相手ではあるまい。

魔王はヴォルクに対する警戒も崩さないまま、最下層へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「センサーに反応。敵味方識別信号に該当なし……推定魔族2、獣人1……接近中の目標を敵対勢力と認定。攻撃します」

 

 

***

 

 

「う~~~~…………暇~~~~……暇れふの~~~……暇れ暇れ()んれひまいまふの~~~……」

 

 迷宮のとある一角。

 岩肌の床に敷物を敷き、組み立て式のテーブルと椅子を備えただけのスペースで、リューナはテーブルに(あご)を乗せ、カップのふちを(くわ)えてブラブラとカップを揺らしながらぼやいた。

 美しい銀の髪は腰まで流れるように垂れ、青玉の瞳はあまりの暇さに眠そうに細められている。

 

 リューナはカップを口から離す。

 達磨(だるま)のようにバランスを取り戻してテーブルに戻るカップ……そのふちに触れていた唾液が糸を引き、ぷつんと切れる様子をぼんやりと眺めながら、彼女はひとりごちる。

 

「そりゃー、わたくしにだって理解はできますの? ヴィーもリリィもリウラも信じられないくらい強くなったし、アイだって“巨大化”なんてふざけた技能を持ってるし……今のわたくしが下手に参戦したら足手まといになるってことくらいは分かりますの……でも……」

 

 

 ――だからって、この扱いはあんまりではないか?

 

 

 大切な弟とともに“暗黒剣ザウルーラ”とやらを求めて大陸南方に渡って調査してみれば、何をどう情報がねじ曲がったのか、ザウルーラは剣ではなく鎧。

 それも創った工匠が自分自身のために創った非売品ということで、いきなり交渉は暗礁に乗り上げた。

 

 『要望に合った剣を作りましょうか?』と言ってくれたからこちらの要望を伝えてみれば、今度はあからさまに警戒される始末。

 

 まあ、それはそうだろう。

 “直剣もしくは連接剣”はまだしも、“闇属性”、“斬った対象の精気を吸収”、“魔神が振るっても耐える頑丈さ”……どう聞いても、ヤバい魔族が使うとしか思えないキーワードばかり。

 まっとうな工匠なら“悪事に使われるのではないか”と警戒し、お断りするのが当たり前だろう。

 

 そんなときに出会ったのが、その工匠の師であるというセシルであった。

 

 彼女はリューナ達……というよりも、リューナを見て何やら息を呑んで驚いていたようだったが、すぐに落ち着いた笑顔で詳しく事情を聞いてくれた。

 

 別に悪いことをするわけでもなし。リューナ達は下手に事情を隠さず、正直に全てを話した。

 大切な魔族の友人がいて、彼女達の命を救うため、彼女が振るうにふさわしい剣がいる……そのように、背景まで含めて正直に話した。

 

 すると、なんとセシルは二つ返事で了承した。

 彼女の弟子が“正気か!?”と慌てて止めるのも意に介さず、さっさとリューナ達を自身の工房へと案内し、1ヶ月ほど滞在するように言われた。

 

 驚くことに既に似たようなコンセプトの武器は彼女の頭の中でほぼ完成しており、材料の調達含めて1ヶ月ほどあれば完成させられるという。

 出発前に少しだけ聞いたリリィ達の計画を考えれば、もっと早く欲しかったが、流石にそれは難しいらしい。

 

 その代わり、お代は負けてくれるそうだ。(にな)い手が剣に相応(ふさわ)しければ、タダも有りうるらしい。……なんとも太っ腹であった。

 やはり立派な剣は、立派な戦士に振るってもらいたいものなのだろうか? 鍛冶師の感覚はリューナにはよくわからなかった。

 

 打ちあがった見とれるほどに美しい魔性の魅力を持つ連接剣……豪商リシアンも(うな)らせる超一級の魔剣を持って迷宮に戻ってみれば……リシアンは店に戻るように、リューナは自身の知る最も安全な避難場所で待機するように言われた。

 ちなみに、その避難場所……すなわち、今リューナが居るこの部屋は、アルカーファミリーのボスであるブランや、その家族達のために用意された隠し部屋である。

 

 リシアンは、まあ分かる。

 リシアンは元々商売人だし、彼が最もリリィ達の力になれるとすれば、商人としてその力を振るうしかない。

 

 だが、リューナはそうではない。

 戦力としては心許(こころもと)ないかもしれないが、それでも陰で彼女達を手伝うくらいはできるだろう。

 

 しかし、なぜかセシルは彼女が危険な目に遭うことを異常に忌避しており、リリィ達とユークリッド軍の衝突後、“リリィの仲間だから”とユークリッド軍の恨みの矛先がリューナに向くことを恐れ、彼女は(なか)ば無理やり人目につきにくいこの部屋に押し込まれたのだった。

 

 本当ならセシルは、絶対にリューナに被害が行かないよう、ユイドラで待っていてほしかったようだが、流石にそれは拒否した。

 今の自分に何ができるかはわからない。でも、いざという時に大切な友人の危機に駆けつけられる位置にいたい……それだけは譲れなかったのだ。

 

 しかし――

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?)

 

 そんな中途半端なことをするくらいならば、いっそヴィア達の元にまで戻ってしまえば良い。

 だが、セシルが心から自分の事を心配していると分かると、なぜかリューナは強く出ることができないでいた。

 彼女がツェシュテルと共にリューナに語り掛けるたび、込み上げてくる“懐かしさ”のようなもどかしい感覚……まるで、彼女達が何十年来の友人のような、そんな有り得ない関係に思えてしまう。

 

 「はぁ……」とリューナは溜息をついて、そんな思考を追い出す。

 リューナがどんな感情を抱いていようと、この状況に変わりはない。リューナがここから出て動くためには、セシルを安心させるだけの“力”が必要だった。

 

「“力”……か……」

 

 リューナは椅子を後ろに傾け、天井に備え付けたランプの灯りに自分の手をかざし、じっとその手を見つめる。

 

 ――かつては有ったのだ

 

 それこそ、ミーフェの森(ミーフェメイル)のエルフの誰もが恐れるほどの巨大な力が。

 自分や家族を追いやり、魔族に目をつけられた忌むべき力――

 

(……今更“それが欲しい”と思うなんて……ホント、どうかしていますの………………っ!?)

 

 ガタンッ! ゴンッ!!

 

 リューナはバランスを崩し、思いっきり後ろに倒れ、後頭部を床に強打する。

 やや厚めの敷物が引いてあるとはいえ、その下にある床の素材は硬い岩盤。リューナは後頭部を抑えてゴロゴロとひとしきり(もだ)えると、ガバリと起き上がる。

 

「今の感覚……!」

 

 ここから動くことができないため、“少しでも状況を把握したい”という想いから起動した位置把握の魔術――それが、今、異常な情報を彼女に伝えていた。

 

「……()()()()()()()()()()……!? なんで、こんな離れた場所に……ううん、それは良いとして、どうしてこんな凄い勢いで迷宮を降りて……え、え……? いったい、どこまで降りるつもりですの!?」

 

 かつて幼い頃にヴィアが攫われたことから掛けられた位置把握の魔術、それはヴィアだけに掛けられたものではない。リューナを除くアルカーファミリー全員にかけられたものだ。

 

 リューナはヴィアだけを大切に思っているのではない。孤児となったリューナを受け入れてくれたファミリー全員を大切に思っている。

 だからこそ、ファミリー全員にこの魔術をかけ、“この中の誰が攫われたとしても、必ず助ける”と誓ったのだ。

 

 不可解なことに、ヴォルクの動きは転移門を利用したランダムに近い移動ではなく、真っすぐ真下へと動いていた。

 それは断じてロープなどではない、まるで翼でも生えているかのような高速移動……とうに魔王の本拠地である400階付近すら通過した、明らかに異常な動きである。

 迷宮は深層になればなるほど魔物が凶悪化する。そんな場所に降りてしまえば、いくら迷宮のベテランであるヴォルクといえども無事で帰ってくる保証はないだろう。

 

「お義父(とう)様に……って、わたくしは馬鹿ですの!? 逆にファミリーを危険に晒してどうしますの!?」

 

 このことをブランに言えば、間違いなくヴォルクを助けるために動いてくれるだろう。

 だが、それは同時に“ファミリーを深層送りにすること”をも意味している。それも、リューナが見たことも聞いたこともない場所からの調査になるだろう。

 仮に彼らがロープなどで降下すれば、へたすれば強力な飛行系の魔物の餌食になる可能性もある。ファミリーが壊滅的な被害を受ける可能性は決して低くはなかった。

 

 ファミリーの中で400階を超える深層に行っても対応できそうな人物など、それこそたった1人しかいない。

 

(わたくしに力が……力さえあれば……!!)

 

 ギリィッ! と歯を食いしばり、リューナは立ち上がって矢筒と弓を背負い、駆け出した。

 

 彼女にヴォルクを救えるだけの力が有れば良かった。彼女が1人で直接ヴォルクの元に向かって状況を確かめてくれば良いのだから。

 それができない彼女は、選ぶしかなかった。……“親友に助けを求める”という選択肢しか選べなかったのだ。

 

 

 

 ――力を求めるその心が、リューナの心にほんの小さな信仰心の種火を生んだことに、彼女はまだ気づいていなかった

 

 

***

 

 

「……ここは……」

 

 触手を大量に背から生やした魔神と戦っていたかと思えば、唐突にまるで城の中のような豪奢(ごうしゃ)な廊下へと景色が変貌(へんぼう)する。

 その異常な状況にシズクは一瞬妖精などが使う幻術を疑うも、軽く舌打ちしたその反響音と視覚情報の一致から、“今見ている景色が現実である”ということを把握する。

 

 おそらくは強制的な転移魔術。

 シズクにここまで悟らせずに発動できるなど、歪魔族でも余程の実力者でなければできない鮮やかな早業(はやわざ)である。

 まず、あの力まかせ・魔力まかせの戦い方をしていた触手魔神の仕業(しわざ)ではあるまい。シズクの戦いを監視していた何者かが、シズクを邪魔に思って発動した、といったところだろう。

 

(まずい……早く戻らないと)

 

 またサラディーネを失うなど、絶対にごめんだ。

 その決意とともに、焦らずシズクは周囲の気配を慎重に探って――

 

 

 

 ――凍りついた

 

 

 

「な……んで……?」

 

 動揺に思わず声が震える。

 あれほど大切に思っていたサラディーネのことを瞬間的に失念するほどの強烈な驚愕(きょうがく)

 

 シズクは水でできた巫女服をひるがえし、その気配の元へと走り出す。

 

 気配の主が居るであろう巨大な広間を、入り口の陰から覗き込めば……おそらくそこで凄まじい戦闘があったのであろう、中は死屍累々(ししるいるい)(しかばね)の山。

 壁や天井にまで血が飛び散り、そこかしこの壁や像が完膚(かんぷ)なきまでに破壊されている。

 

 だが、この中で唯一両の足で立っている者……肩を出した東方風の白い着物に身を包んだ白い毛皮の狐の耳と尾を持つ若い女性だけが、完全な無傷でそこに(たたず)んでいた。

 返り血すらついてないその姿は、周囲の状況と相まって明らかに“異常なもの”として浮いていた。

 

 彼女は横たわる巨漢の死体――全身が青緑色の肌で、下半身が巨大な蟲の姿をした魔族の左胸にその真っ白な右腕を突き入れる。

 ズッ……と引き抜かれたその手の中には、暗い紫色に輝く玉が握られていた。

 

 女性は玉を見つめたまま、息をする者が誰もいないはずの広場で、口を開く。

 

「……あなたは(かたき)を取ろうと思わないの? ずいぶんと憎しみの色が薄いみたいだけど」

 

 

 ――気づかれている

 

 

 今の発言から、おそらくこの虐殺の関係者だと思われているのだろう。それは別にいい。

 だが、居場所どころか殺気の有無まで完全に把握されている……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

 しかし、シズクにその事実に対する動揺はない。

 この程度の事、()()()()()()()()()()()()()()

 

 覚悟を決めたシズクは、スッと入り口の陰から姿を現す。

 肩甲骨まである(つや)やかな白髪をさらりと流して振り返った狐耳の女性は、その姿を見た瞬間、軽く目を見開く。

 

「……シズク?」

 

「久しぶり……とてもとても長い間、探しました……()()。」

 

 シズクがそう言った瞬間、狐耳の女性の手から紫玉がフッと消え去る。

 ピクリと狐耳を振るわせてその事に気づいた女性は、血に濡れた右手をじっと見つめる。

 

「……そういうこと……やけに都合がいいとは思ってはいたけど、まさかこいつを片づけさせた後で神核(しんかく)だけ横取りする為とはね……。まあ、私達は協力者であれど、仲間ではないから、当然っちゃ当然か……」

 

 シズクには理解できない(ひと)(ごと)をつぶやくと、彼女は玉のことなどなかったかのようにシズクに話しかけた。

 

「で? シズクはどうしてここに? もしかして、この魔神の(めかけ)にでもなっていたのかしら?」

 

「いいえ……私がここに居る目的は前と全く同じ……」

 

 そう言ってスッとシズクは腰を落として半身になり、ゴッ! と全身から魔力を噴出させて告げる。

 

「……あなたを、止めに来た」

 

 その様子を見た狐耳の女性は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、ぼやいた。

 

「……これも、ニアやベアトリクスの(たくら)みかしら? ……まあ、いいわ。かかってらっしゃい。久しぶりに稽古つけてあげる」

 

 そう言って穏やかに微笑む彼女は右手を降ろし、全身の力が完全に抜けてリラックスした自然体で静かに立つ。

 

 

 

 ――いつの間にか、その右腕からは一切の血が(ぬぐ)い去られ、一点のシミも無い真っ白な肌と着物がそこにあった

 

 

 

***

 

 

「ア゛ア゛アアアアアアア゛アアァァアァア゛アアアア゛アアアアアアッ!!!? やめて、ヤめてぇえええっ!! 私の中に入ってこないでええええぇぇえええっ!!!」

 

 煌々(こうこう)と毒々しい赤に輝く魔法陣の上で、魔術で縛り上げられた1人の水精が悲痛な悲鳴を上げる。上げ続ける。

 

 その魔法陣は対象の精神を侵し、犯し、術者のものとする外法の術式。

 まるで心の中を(うじ)やムカデが這いずり回るようなおぞましい感触と、それらに心を喰らわれているような精神的な激痛が絶え間なくリウラを襲い、リウラを屈服させんといきり立つ。

 

 ……そう、屈服()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 ――かれこれ、20時間以上も

 

 

 

「ああ、もう! なんなんだいコイツは!? こんだけ手を尽くしても魔力を尽くしても洗脳できないなんて、いったいどんな精神をしてんだい!?」

 

 術者であるディアドラは疲弊(ひへい)していた。

 それも当然と言えば当然。この水精(みずせい)は元気にピーピー泣いてはいるものの、ディアドラができているのは結局のところ()()()()。肝心の洗脳については、全くこれっぽっちも進んではいなかった。

 

 隠蔽(いんぺい)魔術を駆使してリリィ達の行動を観察した結果、ディアドラが下した“水精リウラ”に対する評価は、“訳のわからない存在”であった。

 平気で肉を食う、水の(ころも)を気軽に変化させる、地精(ちせい)の声を聞き、アースマンの存在を変質させ、しまいにはリリィの精神力を回復させる。

 

 ただでさえ自身を液状化できる水精に物理的な拘束は無意味だというのに、そんな意味不明な存在に通常の拘束魔術をかけたところで安心できるはずもなく、彼女はリウラを洗脳して思考そのものを封じることによって、リウラの行動を縛ろうとしていた。

 

 ――ところが、リウラは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 別に、リウラの精神力が特別優れているというわけではない。

 魔力とは似て非なる独特の力が彼女の精神――正確には深層意識をガチガチに防御し、ディアドラの術式の一切を完全に遮断してしまっているのだ。

 

 そのせいで、表層意識は何とか攻撃することができるのだが、深層意識への侵入ができず、大量の魔力も時間も使いながら、洗脳の“せ”の字もできないという(てい)たらくである。

 己の魔術に多大な自信を抱いていたディアドラは、(いた)くプライドを傷つけられ、ムキになって洗脳しようとした結果、大量の魔力と時間を浪費してしまっていたのだった。

 

 リウラとリリィ達を結ぶ使い魔の仮契約は何とか解除できたものの、それだってリウラに直接干渉する方法ではどうにもならず、リウラから伸びる魔術的なラインを切断する方法でなければ解除できなかった。本当に訳のわからない水精である。

 

 ディアドラは魔法陣への魔力供給を中断し、大きく溜息をつく。

 

「……あ~、やめだやめ! まったく、“骨折り損のくたびれ儲け”ってのはこのことだよ……しかたない、別の方法を考えるとするか。……ほんと、無駄な時間と魔力を使っちまった。こんなことなら、さっさと弱ってる魔王の方を襲っとくんだったよ」

 

 ディアドラが立ち去ったその部屋、光を失った魔法陣の上で、リウラは涙と唾液を垂らしながら倒れ伏し、焦点の合わない瞳で、ただひたすらにうわごとを繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

「た……す、け………………()()()……()()………………()……()………………」

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。