――地下760階
「あははっ! アンタ、ほんっと面白~い! ねえねえ、他になんか芸できないの!?」
「おう、ならこれはどうだ? んんっ! …………『貴様のような豚が、姫様に
「き、貴様っ! 私の声を……!」
「あははははははははは! なにそれ!? なん、で、太った、豚から、シャンデル、そっくりな、声が……あははははははははは!!」
「姫様!? 豚が私の声でしゃべるのが、そんなにおかしいですか!?」
「あはははははははははははははははははははははははは……はっ……はっ……はっ……!!」
でっぷり太ったオークが
オーク族の探検家 リュフトは今、なんと精霊王の娘……すなわち、精霊の王女様と面会中であった。
彼の磨きに磨いた“良い女センサー”は留まるところを知らず、とうとう生身の王女様と出会うところまで行ってしまった。
すると、
だが、リュフトはその“良い女限定の第六感”で
『シャイなお方だ……だが、その奥ゆかしさもまた良し! 俺はリュフト! オーク族1の良い男! どうか、わたくしめにそのご
――ぶふぅっ!!
でっぷり太って
本来はリュフトのような侵入者は幻術で
己の魅力を“強さ”に求めていたベリークは無骨な男であったが、リュフトは違う。
彼が良い女と出会った時に落とせるよう磨いていた己の魅力は、“
“良い女は隠されている=箱入り娘である”という間違った思い込みを抱いていた彼は、“ならば、良い女は外の刺激に飢えているに違いない”と考え、“女を笑わせ、楽しませる男こそがモテるのだ”という信念を抱いていた。
だから、彼は良い女を探す
鍵開けをさらりとこなすような器用な種族である為か、はたまた嫁探しの情熱の為かは分からないが、頭が悪いはずのオーク族であるにも関わらずリュフトはそれらを軽々とこなし、こうして今その真価を発揮している。
精霊王より、とある役割を授かってこの迷宮に
そんな彼女にとってリュフトの存在は非常に刺激的で、彼が次々に繰り出す芸や話に、きゃらきゃらと楽しそうに笑い転げている。
(……ああ、やはり良い女には笑顔が一番似合う)
美しい女が心の底から楽しそうに笑っている姿が、リュフトはたまらなく好きだった。
相手がリュフトの嫁になるならないに関わらず、嬉しそうに、楽しそうに笑う姿を見ていると、リュフトは自然と笑みが浮かぶ。
だから、彼は一生懸命、全身全霊をかけて彼女を笑わせる。
いや、彼女だけではない。今はむっつりと怒っている氷精の従者たち……彼女達もまた素晴らしい美女たちだ。そんな不機嫌そうな顔は似合わない。
だから、王女を巻き込みつつ、彼女達へも話題を振る。彼女達が気に入るであろう、あるいは驚くであろう芸を披露する。
必ず笑わせる。
こんな美女の笑顔を見ずに帰るなど、もったいないにも程がある。
そして、彼女達の笑顔を充分に堪能した後で、改めて申し出るのだ。
――『どうか、俺の嫁になってください』、と
従者の声マネで笑い過ぎて呼吸困難になったフィファを見て、一息入れるために芸からリュフトの体験談へと話題を移す。
良い女を探すために迷宮の様々な場所を訪れたリュフトの体験談は非常に興味深く、多彩な経験に彩られており、フィファどころかその従者達までもが興味津々といった
そして、その話題が、リュフトがとある場所で
「そこは変な貼り紙が貼ってある部屋でよ。貼り紙には、こう書いてあった……“へたれには呪いが待ち受けている。この部屋の宝物と魔物に手を出すべからず。主を
「――待て」
そこで従者――氷精シャンデルがリュフトの話を止める。
その表情はかつてないほどに真剣で……なぜか凄まじい焦りに満ちていた。
いや、彼女だけではない。気づけば、ベリークを除くその場の全員が表情を青ざめさせており、フィファに至っては、額から冷や汗をダラダラと垂らして、パクパクと酸欠になった魚のように口を開閉させている
そして、なぜだか彼女達はベリークではなく、ふと思い出したかのように彼の頭上に一斉に視線を向けていた。
「ひとつ
「……? おうよ」
そう答えた直後、悲鳴と聞き違うほどに悲痛な叫びが従者の口から放たれた。
「
「お、おう?」
頭上に“へたれ”の文字を浮かばせながら戸惑うリュフトに、シャンデルは半泣きになりながら
彼が探索した部屋……それは、かつて下手な神をも
強力な大地の精霊を数十体用意して地脈から大地の力を大量に汲み上げ、その力を部屋に設置した魔法具によって増幅し、強力な結界を張って化け物を封じていたのだ。
化け物がいたであろう部屋の床や壁だけが一切溶解した様子がなかったのは、その結界が張られていたためだったのである。
そして、その結界はその化け物だけは決して通さないが、それ以外は素通りする特殊な結界であった。
これは、もしこの化け物を打倒しうる力を持った者が現れた場合、その者に化け物を倒してもらうためであった。
この部屋に用意された金銀財宝はその者への報酬であり、化け物を倒さずに財宝を持って部屋を出ようとした場合、強力な呪いが降りかかって部屋から出られなくなる。
財宝を元の場所に戻せば部屋から出られるし、呪いの効果もしばらく嫌がらせに“へたれ認定”という文字を頭上に見せる程度にまで減少するが、逆に無理に財宝を持って出ようとすれば余程の強者であろうと命を落とすほどの強力な呪いであった。
だが、リュフトは財宝を持ち出しつつ化け物を倒していないのに、こうして生きている。
――それは、いったい何を意味しているのか?
「シャ、シャンデル……特に異常なんて感じなかったわよね? あの部屋の封印が弄られたりとか、破られたりとか……」
「……はい。ですが、こうしてこの豚が生きている以上、絶対に何かが起こっています。そして、その事に我々が全く気づかなかったことは否定のしようの無い事実……もし、このことが精霊王様に知られたら……」
ガクガクガクガク――とまるで彼女達の真下だけに地震が起こっているかのような、強烈な震えが彼女達を襲う。
彼女達が異常に気づかないのも無理はない。
なにしろ、結界は
今から数百年前、とある人間族の大魔術師が巨大な迷宮を建設し、この迷宮と繋げてしまった事で地脈の流れがおかしくなり、この部屋への精霊力の供給が
それにより大地の精霊達の力は数百年をかけて徐々に徐々に……フィファ達が違和感を覚えないほど少しずつ弱まり、結界も呪いも弱体化。
いつの間にか大地の精霊達は意識を失って休眠状態に入ってしまい、その時には呪いもほとんど効果を失っていた。仮にリュフトが宝を持ち出していなかったとしても、数年以内に封印は自然に解けていただろう。
そして、その化け物はリュフトが宝とともに封印用の魔法具までも持ち去ったことで完全に解き放たれ、その場にいた大地の精霊を喰らいながら部屋の外へ出てしまい……もはやこの時点で封印が解除された信号も、化け物が解放された警報も地下700階まで届かせるような力はその場には残っていなかった。
そして、それは“わずらわしい俗世と関わりたくないから”、“少しでも精霊以外の種族を近づけたくないから”というフィファの
そして、それを知った精霊王が、いったい彼女達をどうするか――
――それは、恐怖に染まった彼女達の表情が物語っていた
「シャンデル! 急いで状況を確認するわよ! 豚! ウチの氷精を1人つけるから、アンタはその魔法具、取り戻して戻ってきなさい!!」
「はっ!」
「お、おう……?」
なにやら、自分はヤバいことをやらかしてしまったらしい……それだけはなんとなくわかったリュフトは、おとなしく精霊王女達に付き従うのだった。
***
『ただいまー! シズク!』
『おかえりなさい、母様』
晴れやかで、それでいてとても嬉しそうな表情の白髪の少女が、腰から生える同色の10本の尾を嬉しそうに右に左にと振りながらシズクの元へと駆け寄ってくる。
金色の瞳をキラキラと輝かせ、頭頂部の狐耳を細かく震わせる彼女は、“サエラブ”という炎を操る狐の幻獣が、長い年月をかけて
人としての姿を得たためか、はたまた彼女の生まれが特殊であっためか、本来、人か魔の想念でしか生まれないはずの
名をソヨギというが、シズクはそう呼んだことはない。“自身の親である”という尊敬の念を持って『母様』と呼んでいるからだ。
『どうしたの、母様? なんか、とても嬉しそう……?』
『あ、やっぱりわかる?』
うふふ、とソヨギは笑う。
彼女の生まれたサエラブの群れが、“
1匹だけ不自然な特徴を持って生まれたうえに、悪狐らしからぬ……いや、善狐そのものの精神をもって生まれた幼い彼女は、群れ全体から迫害され、ついには殺されかけたことで群れから逃げ出し、人も魔も、知恵ある者が誰もいない……彼女を迫害する存在がいない、この湖にたどり着いたのだった。
その当時のトラウマからか、彼女は世界を“悪意のかたまり”と見る傾向があり、心優しさこそ失っていないものの、どこか世界に絶望し、
わさわさと、10本のもふもふの尾が嬉しそうに揺れる。
過去の体験から、彼女は周囲の悪意に非常に敏感であり、悪意から自身の身を護るための“強さ”を追い求める傾向があった。
今も、自らを鍛えるための武者修行の旅から帰ってきたところである。
そうした彼女独自の厳しい修行によるものか、はたまた突然変異で誕生したという生来の特性のためか……彼女は通常のサエラブではありえない凄まじい速度かつ異質な成長を遂げ、本来であれば9本までしか増えない尾が、今では10本にまで増えていた。
通常であれば、9本の尾を得たサエラブがさらに
『あのね、シズク以外で、私を初めて受け入れてくれた人ができたの』
『それは……おめでとうございます』
うつむき頬を染める少女は、女性であるシズクの眼から見ても非常に愛らしく、それでいて微笑ましいものであった。
照れるようにはにかみながら、ソヨギは熱に浮かされたような表情で、その
『異種族で、亜人ですらない真っ白な毛並みのサエラブなのに、あの人達は何のためらいもなく受け入れてくれたの。セリカさんもサティアさんも本当に優しくて……特にセリカさんなんて、魔物を殺すことにも
延々と途切れることなく続く
――親へと向ける愛情そのものであった
かつて、彼女は群れ全体から迫害されていた。誰も、彼女を護ってくれる者はいなかった……彼女の生みの親ですら、彼女を護ってはくれなかった。
異質な毛並みと精神を持って生まれた彼女は、早々に親から捨てられていたのである。
彼女は、今、生まれて初めて自分の“親”を見つけることができたのだ。
『2人とも今はとても忙しいけれど、今度機会があったらシズクにも紹介するね!』
『……はい、その時は是非』
シズクはソヨギに“親”ができたことを心の底から祝福した。
これで、彼女もずっと笑顔でいられると安心することができた。
“親”達の力となるために再びソヨギがこの地を離れることになっても、少し寂しくはあったものの、ソヨギの幸せを信じきることができた。
――数年後、彼女が絶望の表情とともに戻ってくるまでは
なぜか1本となっていた尾を揺らしながら現れたソヨギの眼に宿っていた光は、希望ではなく深い深い憎悪。
まるでこの世の全てを憎むかのようなその
ソヨギはシズクと向かい合うや否や、シズクの反応を意に介さず、一方的に話し出した。
――
どうやら、サティアの正体はアストライアという名の
バリハルトの最大級の
『シズク……この世界は……ううん、この世界の“神”は間違ってる』
『サティアが邪神? あんなに優しくて愛情に溢れた人が? バリハルトが善神? あんなおぞましい儀式をして、あれだけの信徒を犠牲にして、
『ぁ……ぅ……』
セリカ達の元へと戻るためにこの地を
『……シズク、この世界は正さねばならないわ。放っておけば神々によってこうした悲劇が繰り返される……ううん、今も起きているかもしれない。誰も正すことができないのなら、私が正す』
そう言って、
焦りのまま、彼女は頭に思い浮かんだ言葉をそのまま口から出してしまう。
『待って、母様! いったい何をするつもり!?』
首だけ振り返ったソヨギは淡々と言葉を返した。
『私が、“神”になるわ』
シズクは固まる。
『“神”なんて大層な名前で呼ばれていようと、それは所詮“次元の違う力を持った存在”でしかない。そして、それはより大きな力を
サティアが古神であることが確かならば、それは確実に目で見え、手で触れられることが証明されている。
現神も同じであるとは限らないが、かつて現神と古神が戦った……“戦闘になった”ということは、現神も同じである可能性はある。
そして、人間族のセリカが嵐神バリハルトによって操られ、強化されたことによって彼女を殺すことができたのならば……同じように現神を殺すことができるかもしれない。
『私はこれから更に力を蓄える。
“クウテンコ”とやらが何なのかはシズクには分からないが、“ソヨギが何を言いたいのか”は分かる。
現神達が悪逆を成すのならば、それを排除する、あるいは抑え込めるだけの力を持てば良い。シンプルな理屈だ。
だが、
『でも……! 母様の言うことを信じてないわけじゃないけど、それでも……! “
人の数だけ価値観があり、人の数だけ正義がある。
“絶対的に正しい正義”、“絶対的に正しい判断”など、全知全能の存在でもない限り不可能だ。
そして、この世界では神ですら全知全能ではない。
現神ら全てを超越する力を持った独裁者が生まれれば、それを止めることすら不可能になる。
そうなれば、本人が意図していなくとも、間違った判断が生まれ、悲劇が生まれてしまう。
その前提条件である“他者の力を奪う”といった内容でさえ、ソヨギ個人の価値観によって“悪である”と判断して行われる。
例え何らかの事情があって行われたことだとしても、ソヨギが知る情報、持つ価値観で
たった1人の持つ価値観で行われる善……まさに、独善の極みである。
『……否定はしないわ。私個人の価値観だけでは、この世界は測れない。あなたの考えはとても正しい。それは確かだけど……』
ゾッとするような恐ろしい目つきで、ソヨギはこう締めくくった。
――今の神々よりはマシよ
***
――
フッ、とまるで絵を差し替えたかのように、瞬時に視界が“白”に染まる。
シズクが展開した“狭霧”は、普段リウラが使うような“ある程度、視界を確保できる”レベルのものではない。
一寸先が白き闇と化した、濃霧。空気中の水分を凝固させた程度では確保できない水分量。
だが、彼女は別の場所から水を
ゴオウッ!!
一瞬にして狐耳の女性の周囲の霧が晴れ、彼女の姿が露わになる。
彼女の全身を覆うように、そして、彼女の周囲にまるで人魂のように
「流石、水精とはいえ私の娘ね。上位の竜族でもないのに“
――魔闘術 奥義
強力な
基本的に“莫大な魔力”を材料に、“明確なイメージ”という設計図を
だが、“
世界に対し“かくあるべし”と自身の認識を押しつける……それは神々の成す天地創造の
神格位を得ていないのに、そんなことができる者など、竜族――それも、魔神に迫る一握りの
いや、そもそも多大な精神力を必要とするので、思いつきはしても“やろう”と思う者は少ない。
原作である“姫狩り”においても、同様の技は水竜フリーシスの操る“圧縮水弾”以外には存在しない程である。
シズクは、それを
今、彼女が操っている霧や水は全て彼女の念が
なぜなら、その水は彼女の“想い”であり、“イメージ”そのもの。思考の速度で生まれ、動くそれらは時に音速すら
彼女の想いが強固であれば、例え魔導熱量子砲を途切れることなく照射され続けようとも、蒸発することなく悠然と術者を防ぎきるだろう。
だが、魔神の領域に至った者に、その程度では通じない。
闘気や魔力による肉体強化は、科学的な常識では測れない程デタラメな効果を発揮する。
金剛石より硬く、鋼線よりもしなやかで、音よりも速い水球だろうとも、“神殺し”を目指すソヨギを
さらには、今、ソヨギが操っている炎は、一般的なサエラブが操る術とは異なる、シズクと同じ“思念の具現化”だ。
シズク以上の念とイメージ力によって世界に描かれたそれは、相打ちにならず、一方的にシズクの
(わかってる。そんなことは、ずっと前からわかってる……私が母様に
――ゆらり、と霧が揺らぐ
シズクも決して才能がないわけではない。いや、むしろ一般的な水精に比べれば、
だが、ソヨギの才能は異常――まさに異才であった。
一目見れば技の本質を見抜いて己のものとし、一を聞けば百を知る。
肉体も魔力も闘気も己の意のままにならないことはなく、一度見聞きした物事は本人が意図して記憶から消さない限り、決して忘れない。
彼女と戦うことは、己の技術の全てを奪われることと同義であり、時間が
(だから、母様を倒すには“奇襲”しかない)
――魔闘術 奥義 明鏡止水
流れるように極限集中状態に入るが、その様子を見たソヨギはシズクが次の行動を移す前に、シズク以上の早さ、滑らかさで息をするようにごく自然に極限集中状態に入る。
その凄まじい練度を見るに、シズクの技を盗んだのではない。おそらく最初から使えており……その上で、シズクの行動に合わせて使う技を決めているのだろう。それができるだけの実力の開きがシズクとソヨギの間にはある。
しかし、それはシズクにとって好都合なことでもある。
その油断、その傲慢、その隙をつかなければ、シズクに勝ち目など有りはしない。
――魔闘術 奥義 波紋
周囲の念水で牽制しつつ、最短距離を突っ切って右の人差し指を突き出す。
敵の
かつてリューナを操った魔族の腕を奪ったのも、遠距離から撃ちこんだこの技である。
これだけ殺意に満ちた技を使っていても、シズクはソヨギを殺すつもりは全くない。
“変幻転移”と呼ばれる、仙狐と化したサエラブが扱う空間操作術だ。
フッとわずかに動いた空気の流れから、彼女が自分の背後に転移したことを知り、シズクは思い切り前へ前転しながら跳ぶ。
前転する最中、逆さまになった視界に背後の状況が映る。
突き出された手刀が、ちょうどシズクの首があった場所を貫いていた。
――ゆらり、と霧が揺らぐ
シズクは、首をソヨギの方向に強引に向けるように身体を
――魔闘術 奥義
ヴィアやリウラに放ったような、
だが、放つ直前にソヨギはいかにも“面白い”といった表情になり、
――
蒼炎を凝縮した刃が
そのため、技の開発者であるシズク本人ですら、その斬撃の軌道を完全には捉えきれなかった。
――ゆらり、と霧が揺らぐ
あっさりとオリジナル以上の完成度で放たれる自分の技に、シズクの放つ水刃は全て砕け、蒸発し、シズクに焔刃が襲い掛かるも、シズクに動揺はない。
この程度、ソヨギならば当たり前のようにこなすことを知っていたからだ。
――魔闘術 奥義
飛燕乱翔を放つと同時に、シズクを中心に広がり、空間を埋め尽くしていた、具現化一歩手前まで
その念を裂いて向かってくるソヨギの焔刃の腹を押すように念の圧力を強め、あるいは、
念で空間を埋め尽くすことによる索敵と攻撃、防御の3つを兼ね備えるシズクの奥義。
弱点は具現化一歩手前まで念を強めているため、シズクが何をしているかが一発でばれてしまう点であった。
だが、問題ない。
――ゆらり、ゆらりと霧が
シズクとソヨギを囲うように展開されているシズクの“狭霧”……それは、決してソヨギを逃さないための障壁でもなければ、水刃などの武器を隠すための隠れ
“
シズクは、ソヨギから学んだ武術を基礎に、他のあらゆる武術を学び、自らに最適化したものを修めた後、自分が扱うその戦う術の名前を“魔闘術”と名づけた。
リウラに由来を問われた際、『魔力や魔術を使って戦う
――“魔”とは何か?
それは“魔族”という種族を見れば明らかだ。
彼らの特徴・本質は“悪を成すこと”ではなく“
本人がやりたければ
“ルールが無い”、すなわち“
――霧の一部が動き、複雑な図形を描き出す
――霧の一部が動き、長い魔術式を描き出す
ルールが無い……つまりは、“
ソヨギを止める為の闘術――そのためには、手段なんて選んでいられない。なんだって使ってやる。
魔力だろうが、闘気だろうが、魔術だろうが、身体だろうが、武器だろうが、話術だろうが、罠だろうが、地形だろうが、天候だろうが、助っ人だろうが……
――“
霧が描く図形が、魔術式が、シズクの“念”を受けて、今、発動する。
――魔闘術
ソヨギはまさに化け物と呼ぶにふさわしい異常な才の持ち主だ。
その洞察力にて敵の行動のことごとくを予測し、その観察力にて敵の
どんなに
――ならば、
“呪術”という魔術がある。
通常、魔術は魔力量に比例して威力・効果を発揮するが、呪術はその法則に当てはまらず、魔力量よりも術者が込める“念”によって威力・効果が左右される。
また、呪術の特殊性はそれだけではなく、通常の魔術では考えられないような効果を及ぼすことができる点も大きい。
通常の魔術であれば、“魔弾を作成して撃つ”、“炎を生み出して放つ”といったように“何らかの魔術的現象を発現してからそれを対象にぶつける”ことで敵を攻撃するが、呪術は“敵を病にかける”、“敵を衰弱させる”、“敵を
数あるシズクの奥義の中でも、こうした“敵を呪う”技だけは誰にも……それこそ己の技の後継者であるリウラにも伝えていない。こうした外道の技を扱うのは自分だけで充分だからだ。
だからこそ、この技は“絶技”……“シズクの代で絶やす技術”、“シズクしか使えない技”と定められているのである。
かつて、シズクはソヨギを探すため、のちに生存が確認されたセリカ……すなわち、“神殺し”の足跡を辿っていたことがある。
その途中、アビルース・カッサレという魔術師が神殺しを追っていたことを知った彼女は、その祖先に大魔術師ブレアード・カッサレという者がいることを知った。
ブレアード・カッサレ。
野望の解放戦争……のちにフェミリンス戦争と呼ばれる戦争に勝利し、大陸にクモの巣のように広がる大迷宮――ブレアード迷宮を築いた人間族の大魔術師である。
彼はフェミリンス戦争で敵対していた
さらには、フェミリンスの子孫に対して“長女は必ず
この事実を知った時、シズクは衝撃を受けた。
――自分よりも何倍も大きな魔力を持つ相手を封じる?
――その子孫だってその神と同等かそれに準ずる魔力を持っているはずなのに、彼女達を確実に狂わせ、あるいは死なせる?
ブレアードとて人間離れした大魔力を持っていようが、それでも通常の魔術では天文学的な魔力量が必要になるであろう。
しかし、彼はそれを“呪い”という形でクリアした。
シズクは、これこそがソヨギに対しての勝利の鍵であると確信した。
シズクはブレアード迷宮を探索し、ついにその本拠地であろう場所を探し出し、石化した姫神フェミリンスを発見した。
伝説級に
これ幸いと彼女は石化したフェミリンスを調べ上げ、不完全ながらもその封印術の再現、更にはアレンジに成功したのである。
――シズクが行ったアレンジは唯ひとつ……
霧の中に浮かぶ魔法陣や魔術式が現れるのはほんの一瞬。
しかも、出現場所が次々と変わっていく。
よほど注意力に優れた者でも、まず見つけることは叶わない。
例え見つけることができたとしても、出現場所の法則を初見で見抜くことは不可能だろう。
霧が揺らぐたびに複雑な魔法陣や魔術式が現れ、シズクの霧に込められた念を消費して効果を発揮してゆく。
しかし、周囲の霧に込められた念圧は全く変化がない。呪術に消費される念を計算して、シズクが再び念の霧を具現化し、
(……これで……最後!)
最終段階――ソヨギの肉体を硬化させ、魔力を封じ、動きを止める。
シズクの持つ知識や経験では、
動きを止めた後は、“神を目指す”という目的を諦めてもらうまで説得するだけ……シズクがソヨギを封じる理由は、“説得の時間を稼ぐ”、ただそれだけなのだ。
――ゆらり、と霧が揺らぎ……最後の魔術式・魔法陣が霧に浮かぶ……!!
「え……?」
呆然とした声が霧の中で響く。
――それは、
“信じられない”と言わんばかりに大きく見開かれた眼は、悠然と微笑むソヨギを映し、その身体は力を失って崩れ落ちる。
(まさか……まさか、まさか、まさかまさかまさかまさか……!!?)
まるで石になったかのように動かない身体。
――いや、“
ピシピシと響く硬質な音に、恐る恐るうつぶせに倒れたシズクが目を向けると、そこにはシズクが当たっていて欲しくなかった嫌な予感、嫌なイメージ通りの光景があった。
水精であるシズクの半透明の身体――それが、
「発想としては良かったわ。たしかに呪術なら私のスピードも技術も関係なく命中する。でも、呪術はその便利さの分、とてもリスキー……相手が“返し方”を知ってるだけで、簡単に“倍返し”にされてしまう。これ、フェミリンスを封じたブレアードの術でしょ? あなたの勉強のために、完全版にして返してあげたわ」
たしかに、その通りだ。
呪術に有って魔術に無い致命的な弱点……それが、この“倍返し”であった。だが、それを成すには2つの条件が必要だ。
1つは“呪いの返し方”を知っていること。
これはまだ良い。彼女もまた神殺しの安否を確認するため、その足跡を追っていた。その道中でシズクのようにブレアードの術について知る機会があってもおかしくはない。
だが、もう1つは……!
「どうして……!? どうして“
そう、まず
これが“シズクの呪術を受けた後”ならば、分かる。
シズクが攻撃のそぶりも見せていないのに、いきなり身体が硬直し、魔力が封じられれば、ソヨギならばまず間違いなく“呪術攻撃を受けた”と気づけるだろう。
だが、彼女はシズクの呪術が発動した直後、自分に効果が及ぶまでの数瞬の間に呪いを返して見せた。
これは、“シズクが呪術攻撃の準備をしていること”にあらかじめ気づいていなければ、到底成せないことだ。
だが、シズクは呪術の魔法陣も魔術式も念霧に巧妙に偽装し、発動直前まで隠し通した。
それは、魔王やサラディーネですら絶対に気づけないとシズクが明言、断言できるほどの完成度である。
気づけるはずがない、気づける理由など存在しないはずなのだ。
「……そうね、シズクの偽装は素晴らしかったわ。ここまで巧妙に偽装された儀式魔術の使い手は、私の人生の中で
「なら、どうして!?」
シズクが泣きそうな声でそう叫ぶと、ソヨギは
「……シズク……あなたは“
「……え?」
ソヨギの言っている意味が分からず、シズクはぽかんと呆ける。
(音に……色?)
「いったい、何を……?」
「……音だけじゃない。文字にも味にも匂いにも色があるし、逆に色には温度や匂いや味がある……時間は私の周りを取り巻く帯のように見えるわ。そして……」
ソヨギやゆっくり
「
――ソヨギの視界では、淀んだ黒に近い紫色……
「……!」
シズクは絶句する。そして、ソヨギと戦闘を開始する前の会話を思い出した。
『……あなたは
あれは、“第六感で、シズクの気配に憎悪の感情が感じられなかった”という意味ではない。
あれは、本当にその言葉通り……“シズクの感情に憎しみの色が
「それだけじゃないわ。私の視界は色々なところに数式が描かれているの。ある程度成長してから分かったけど、その数式は今そこで起こっている事象を示している……だから、その数式を解いてしまえば、シズクが何をしようとしているのかも大体わかるの。私、大抵の数式は一瞬見れば解けるから、あなたの呪術のカラクリやアレンジは水の刀を飛ばしてきたときには大体わかったし、返し方も、そのすぐ後くらいに組み終えたわ」
「……」
シズクは呆然として声も出せなかった。
――天才だとは知っていた
――異才だとは知っていた
だが、これほどか。
これほどまでに違うのか。
もはや努力がどうこうという次元の話ではない。ソヨギとシズクでは完全に
『時間が見える』? 『事象が数式として見える』? ……いったい何の冗談だ。
いや、百歩譲ってその意味不明な感覚が理解できたとしても、あの巧妙に偽装された儀式の全容を一目で解析し、数秒……下手したら一瞬でその対抗術式を組み上げて、ぶっつけ本番で成功させる?
――無理だ……少なくともシズクには
シズクの心が折れ、瞳から希望の光が消えるのを見て、ソヨギは悲しそうに眉をひそめつつも、しっかりと返した呪いを媒介に今の戦闘から解説までのシズクの記憶を消去する。
これで、シズクは“どのようにかは分からないが、ソヨギとの戦闘に負けて心が折れた”状態となった。
(……我ながら、甘いわね)
普段のソヨギならば、問答無用で相手を喰らうか、消し飛ばしている。それが最も確実に自分の情報を漏らさない手段であるからだ。
多大なリスクを
「……シズク。何度も言ってるけど、私の事は諦めて。たしかに私は間違うこともあるかもしれないけれど、それでも必ず今よりもずっとずっと悲しみの少ない世界を創るから」
それを聞いたシズクの眼から一滴の涙がこぼれ、小さな……本当に小さな声が静まった空間に響く。
「……違う……違うの……」
「……シズク?」
ぽろり、ぽろりとシズクの両目から涙がこぼれてゆく。
下半身と肩から下の腕を石化されて身動きが取れないまま、彼女は絶望に濡れた瞳から涙を流して
「本当は、
――母様と一緒に居たかった……!
「……!!」
ソヨギが驚愕に目を見開く。
「私……寂しかった……! 母様が私を置いてどこかに行ってしまうのが辛かった……! 母様を
呆然とするソヨギの視界に現れるシズクの感情の“色”、声から感じる“匂い”や“味”……ソヨギの五感に感じられる全てのそれらが、“シズクの発言が全て本心である”ことを示していた。
シズクの声は高ぶる感情とともに、崩れに崩れてゆく。
もはやそこに高潔な武人の姿はない。赤子のように親を求める
「だから、母様に神様になんてなって欲しくなかった! どこかへ行ってしまうのが嫌だった! 神様と戦って死んじゃうかもしれないのが嫌だった! ……お願い……お願いだよ……私を置いてかないで……!!」
シズクはソヨギの放った想念によって生まれた。
湖の
――“
親から捨てられたが故に、特に親に対する愛情に飢えていたソヨギの念は、それを基礎想念として生まれたシズクにも同様に反映されていた。
その想いは、例え魔王に親友を殺されようとも、ただ“親が帰ってこない”というだけで、魔王の魔力を放つリリィの気持ちを理解し、受け入れることができるほどに、強い強い想いであった。
ソヨギは気づいていなかった。
――自分を護るための強さばかりを求めて、旅に出ること
――セリカ達から愛を貰うことばかり考えて、セリカ達の元で過ごすこと
――セリカ達を失った復讐心と、この理不尽な世界を変えることに
こうした“自分の事ばかり考えて、シズクを1人で放り出す”という選択が、シズクから見たら何を意味するのか……彼女は理解していなかった。
――自分が親にされたことを、そのまま
シズクはその事に気づいていた。
だが、言えなかった。
初めてシズクを置いて行ったときは、世界を恨むような眼をしていたソヨギが恐ろしかったから。
次にシズクを置いて行ったときは、セリカ達に会うことを心の底から楽しそうにしていたソヨギを自分の
最後にシズクを置いて行ったときは……自分の我儘では止まらないだろう、高潔な目的を持っていたから。
だから、シズクは“自分の望み”という個人の感情ではなく、“ソヨギが間違うかもしれない”という、
「…………………………………………………………ごめん」
長い沈黙の後、ソヨギは一言だけ謝罪する。
それは、シズクの願いに対する明確な拒否であった。
そして、何事かを言おうと再び口を開きかけ……何も言わずに口を閉じて踵を返した。
どんな言葉を、どれほど口にしようとも、ソヨギがシズクに
「待って……! お願い、待って!!」
ソヨギは唇をかみしめ、その声を振り切って前に進む。
自分が酷いことをしているのは分かっている。ソヨギだって本当はしばらくシズクの
だが、今、歩みを止める訳にはいかないのだ。協力者でありながら敵でもある、あの天使達や魔導技師が、着々と己が目的に向けて
だが、もし、自分が目的を達成し、平和な世界を創世できたその時には……
「……必ず、戻ってくるわ」
シズクが聞き取れない程に小さい声で己が決意を述べると、シズクの念霧による妨害がまるで存在しないかのように、ソヨギは霧の中へと消えていったのだった。
直後、シズクに返された呪いが解除され、彼女は元通りの半透明の手足を取り戻す。
――しかし、彼女は立ち上がることなく、声を押し殺して涙を流し続けることしかできなかった