(いい加減にしなさいっ! マジでアンタ死ぬわよ! マスターにはどうしても叶えたい願いがあったんじゃなかったの!?)
セシルが歪竜と融合したのは、自らの戦闘力を上げるためではない。人間族の寿命では到底叶えられない彼女の夢を叶えるため……寿命による死をなくすためだ。
ツェシュテルの
歪竜の肉体には高い再生能力も備わってはいるが、神域の力を外付けされても長時間耐えうるようなバカげた代物ではない。
このままでは良くてプテテットの
(うるさいっ!! 確かに私は“私の理想が間違っていないこと”を証明するって決めた! “私の夢を絶対に叶えてみせる”って誓った! でも、ここでまたリューンを……大切な親友を失ったら、
(……っ!!)
ツェシュテルは言葉に詰まった。
(私は、大切な人を失わない世界が欲しかったの! お父様もお母様も、リューンもヴァイスも……みんなが幸せに暮らせる、
セシルとツェシュテルが力を合わせれば、彼女達だけは逃げることができるかもしれない。
……しかし、セシルにそんなことはできなかった。
それしか手が無かったとはいえ、彼女は大切な親友の身体に未完成の兵器を埋め込み、そのせいで親友は帰らぬ人となった。
死の間際にリューンが『リセルを責めないでほしい』と言ったことにより、誰も彼女を責めることはなかったが、誰よりも彼女自身が自分を許すことはできなかった。
そんな彼女が、リューナを……そして、リューナが大切に想う人達を見捨てて逃げられる訳がない。
しかし、ツェシュテルの言うこともまた事実。
刻一刻とセシルの限界は近づいてゆき、さらには成人男性ほどもありそうな紅いサソリの幻影が、1匹2匹とどこからともなく現れて彼女の身体を這いまわる。
サソリがセシルを魅了し、狂わせようとするのを防いで、ツェシュテルに搭載された対魅了用の魔法具が、彼女の体内で次々と破壊されていく。
セシル達に与えられた選択肢は3つ。
――セシルの肉体が耐えきれずに自壊するか
――セシルがサソリに狂わされて暴走するか
――あるいは、追い詰められたセシルが最後の手段に出て、なんらかの無謀な行動を行うか
(ああああああぁぁぁあああああああっ、もうっ!? 誰か、どうにかしてぇぇぇえええええっ!!)
そのあまりに理不尽な状況に、ツェシュテルが広域
「りょーかいっ、ですの♪ 可愛い妹よ~、今、お姉ちゃんが救けに参りましたの!」
(…………………………………………はい?)
底抜けに能天気な声が響く。
追い詰められすぎて、ついに自分の頭がおかしくなったのか……そうツェシュテルが考えた瞬間、
≪
驚愕に大きく目を見開いた
――そこには、優しく微笑む銀髪碧眼の美しい人形の少女が宙に浮き、その小さな手をセシルへと差し伸べていた
≪生きとし生けるもの全ての為に、我は祈る。青き月女神の祝福あれ≫
――
直後、セシルの再生速度が爆発的に強化され、一気に体勢を整え直した。
それだけではない。肉体強度、反応速度、魔力、さらには戦意までもが格段に強化されている。
複数の
青の月女神リューシオンの力を
さらには、黎明機関による
――魔導巧殻を起動し、
――黎明機関を駆動させ、
――かつての親友そのものの魔術を操る
そんなことができるのは……できる可能性があるのは、セシルの知る限り1人しかいない。
(まさか……まさか……!!?)
……そして、それは、彼女の絶望をも意味する。
――その魔導巧殻を起動させるための鍵……それは、
セシルの視線が恐怖に震えながら更に左に動き、魔力砲の向きが変わらない程度に首を曲げ、背後を視界に収める。
――
セシルは、
彼女は知らなかった。
――かつて魔導巧殻リューンが黎明機関を起動してジルタニア皇帝に立ち向かい、その身体が出力に耐えきれずに半壊した時、その魂が
――しかしながら、彼女は即興で
魔導巧殻に使われている術式を熟知していた彼女だからこそ――
そして、何百年もの時を魔導巧殻として過ごし、その感覚を深く理解していたからこそ成せた、離れ技である。
状況を理解できず呆然とするセシルに、再び横から懐かしい声がかけられる。
「……あきらめないで」
(……え?)
かけられたリューンの言葉の意味を理解できず、セシルは心の中で疑問の声を上げる。
「あきらめないで。まだ、わたくし達はできることを全てやり終えた訳ではありませんの。今もヴィーはリリィを立ち直らせようと必死に呼びかけているし、わたくしもこうして再び黎明機関を操れるようになった。……先ほどシルフィーヌ様と話して打開策も考えましたし、あの子竜達ですら、わたくし達の話を聞いて、必要な触媒として自分から鱗をはぎ取って差し出してくれましたの」
「たしかに、わたくし達の中で一番強いのは歪竜と黎明機関、両方の力を融合して使うことができるリセルだと思いますの。だけど、だからといって、“わたくし達に何もできない”と考えるのは間違いですの」
「……思い出して。かつて、わたくし達は決して誰か1人の力で
リューンは真摯なまなざしで、親友に願った。
「信じて」
「わたくしを、みんなを」
「決して
――カッ!
正四角形を重ねるように描かれた八芒星は、プテテットを中心に据えるように展開され、その八つの頂点には、小さく薄い何かが配置されていた。
良く見れば、片方の正四角形の頂点に配置された“何か”は黒く、もう片方の正四角形のものは白い。おそらく配置されているものは、伝説の四大守護竜の血族たるあの子竜達の鱗なのだろう。
その鱗の付近では、メイド2人が必死の
どうやら、あの子竜たちの鱗を配置してくれたのは、彼女達のようだ。
その魔法陣を起動しているのは、シルフィーヌとリューナだ。
魔王を封印した姫に、晦冥の雫の封印術式を知り尽くしたルーンエルフの生まれ変わり。
封印術のエキスパート達が、今、仲間を救わんと力を合わせる。
――魔導巧殻リューンの黎明機関を利用することを前提にした、魔王の封印術と晦冥の雫の封印術の重ね掛け
シルフィーヌとリューナが打ち合わせたのは、“
いかに彼女達と言えども、こんな化け物を、しかるべき魔法具も魔導具も無しに完全封印することなどできない。
だが、リウラを救う時間を、そしてこの化け物から逃げるための時間を稼ぐ……その程度の封印ならば、どうにかして見せる!
黎明機関を用いた二重の封印術は、プテテットの動きを縛ろうと魔法陣より魔術式を宙に投影し、絶えずその式を移り変わらせて少しずつその力を抑え、封じてゆく。
しかし、明確に動きが鈍り、
――その時だった
「よくやったわ、
「はっ! 全員、配置につけ! 豚ぁっ! 貴様も早く魔法具を配置しろぉっ!!」
「おうさ!」
突如としてなだれ込む精霊の少女と、
何者かは知らないが、彼女達はシルフィーヌ達が築いた魔法陣をさらに囲うように立ち、それぞれが必死の表情で呪文を唱えてゆく。
……なぜか、オークがその背後でせっせと奇妙な魔法具を積み上げ、組み上げているのは気にしないほうが良いのだろうか?
≪精霊王の娘、フィファの名において命ず。大地の精霊たちよ、我が呼び声に
凄まじく身勝手かつ間の抜けた呪文が響き渡ったその瞬間、
――ぴたり、と
「リセル!」
その瞬間、限界を迎えたセシルは、竜の姿を失って人の姿に戻ると、膝を折り、崩れ落ちた。
(……そういえば、そうだったっけ。“
かつて、メルキア帝国皇帝 ジルタニア・フィズ・メルキアーナは言った。
『アヴァタール五大国の1つ、レウィニア神権国は、地方神“水の巫女”の力によって豊穣の大地を手にし、現在の権勢を得ている。世界に覇を唱えるためには、同じように神に匹敵する力を得なくてはならない』……と。
行きづまった魔導兵器の発展。
その壁を打破し、神域の力を手にするため、彼は魔導巧殻を求め、手にし、それらに用いられている技術を基に更なる魔導兵器の発展を成し遂げた。
そのやり方は、リセルの父――オルファン・ザイルードの眼には、あまりに急ぎ過ぎているように見えた。
神の如き力を求めるが故に、メルキアが滅びの道をひた走るように感じられたのだ。
オルファンは己が罪をリセルとその主――東の元帥たるヴァイスハイト・ツェリンダーに告白する。
――ジルタニアの忠実な臣下である前の東の元帥ノイアス・エンシュミオスを排除するため、敵国を手引きしたこと
――新型魔導兵器を暴走させ、ジルタニアごと帝都を破壊し、魔導兵器への忌避感を国民に植え付けようとしたこと
“すべてはメルキアのため”と思い、やったことだと。
オルファンは思った。いや、願った。
リセルが自分に怒り、拒絶してくれると。
完全記憶能力を持つリセルが、母の死の悲しみを未だに抱えて苦しむ彼女が、病に蝕まれてもう長くない自分の死に悲しまないように。
そして、自分と同じ愚かしい行動を取らないように。
オルファンはヴァイスハイトに、そして何よりもリセルに知っておいてほしかった。
ただ力を追い求める行為の愚かしさ……そして、ただ理想を追い求める思考の愚かしさを。
結局のところ、自分もジルタニアと変わらない、自分の信念に
娘には自分のようになってほしくない……その一心で取られた彼の行為は、
『
――最悪の方向に裏切られた
リセルは父に同情し、賛同した。
――未来のために今を生きる人々を犠牲にし、それらを背負って生き続ける覚悟
――誰よりも未来を憂い、見据えているその先見性
それらを心の底から尊敬し、目を輝かせて称えたのだ。
――しかも、
『ただ、1つだけ言わせていただくと……
あろうことか、ジルタニアの思想を肯定したのだ。
彼女は語った。
今、オルファンが治めるディナスティ領の魔法生物創造技術――その最終形として計画されている“歪竜”は
リセルは夢見る少女のように、恐ろしい計画を父に語った。
――
ディナスティ領の魔法技術と、西のバーニエ領の魔導技術、それらを掛け合わせ、さらに進化させて創りだそうとしているのは
レウィニア神権国のように、“
“
それが実現した時、メルキア帝国は
もはや神を畏れる必要もなければ、魔神に怯える必要もない。
もちろん他国から攻め込まれることもない。
その加護により、病は根絶し、怪我は癒され、作物は豊かに実り、寿命以外による死が訪れることもない。
人々の幸せのために、全ての神々が一致団結しなければ実現できないはずの理想郷……それを、人工的に創造した神々に代替させることにより、この世界に完全な自由と平和を実現する。
それこそが、完全記憶能力を持って生まれてしまったが故に、幼くして母を失った悲しみをいつまでも記憶し……そして、
これを聞いた直後、オルファンはリセルを
ヴァイスハイトは、リセルを排除することはなかったが、リセルの思想に賛同を示すことはなく、逆にその思想の危険性を説いた。
誰もリセルの考えを理解できず、次第にリセルは孤立していった。
彼女の思想を理解してくれた者は、今は亡き魔導巧殻――リューンただ1人だけだった。
『おお~! 夢が大きくて良いと思いますの! ……まあ、魔導巧殻なんてものの生贄になったわたくしからすれば、誰かの犠牲を
『またどこかの神がポロッと力を落っことして大勢の人が不幸になるのなんて、もううんざりですの。自分の国に専属の神が居れば、そんなものもパパッと破壊してそれでおしまいになりますの! ……そうなればきっと、母様も安心してくださいますの』
リセルは悔やむ。
自分のたった1人の理解者だった親友を失ったことを悔やみ続ける。
――どうしてこの事態を想定できなかったのか
――どうして原作知識を与えられていたにもかかわらず、『“黎明の焔”が無いと、どうしようもないから』と早々に
親友の犠牲の上に築き上げられた平和の中で、決して消えることも薄れることもない親友の記憶が、彼女を
誰かの犠牲の上に成り立つ理想など何の価値も無い……リセルは、親友を失って初めて父の過ちを理解した。父が、ヴァイスハイトがリセルに伝えたかったことを理解した。
――そして、ある日突然、彼女はメルキアから姿を消した
自身が開発した培養槽の中で、メルキアから持ち出した歪竜の細胞が復元される
ああ、自分は何て愚かなのだろう……“犠牲の上の理想”を否定しておきながら、それでもこうして“犠牲の上の理想”の結晶たる魔法生物の創造技術を捨てられない。
“父が開発したこの技術でもって、魔導機神を創造し、幸福な世界を創り出す”という彼女の理想を諦められない。
リューンと笑い合った思い出が、理想を語り合った記憶が、リセルに語りかけてくるのだ。
――もし、あの時、魔導機神が完成していたら、あの悲劇は起こらなかったのではないか?
――もし、リセルが魔導機神を完成させて、真に平和な世界を創造したら、リューンもあの世で喜んでくれるのではないか? 他界してしまった父も、自分を認めてくれるのではないか?
もちろん、黎明の焔を開発できたことすら奇跡的であったあの状況で、そんなものを創造できるわけがない。
よほど特殊な状況に
これは、完全なリセルの妄想でしかなかった。
しかし、彼女はその妄想へ逃げた。
“もし自分が魔導機神を完成させていたら”、“もし自分が魔導機神を完成させたら”というifの物語を想像し、決して消えることのない自身の心の傷を舐め続けることを選んだのだ。
かつて父が、己が成したように、生者の犠牲を“良し”とするような開発はもうしない。これからは、細胞の一部を採取し、この培養槽で培養しての研究開発になるだろう。
だが、その開発の土台となるメルキアの生物工学に、多くの生物の、種族の犠牲があったことに変わりはなく、自分もまたその研究に携わっていたことも変わらない。
だからリセルは、その罪の証たる歪竜と融合し、その十字架を背負うことを選んだ。
“魔導機神を創造するための時間を確保するため、寿命を延ばす”という意味もあるが、それだけならば、“歪竜との融合”以外にも方法はある。
様々な生物・種族の因子が混ざった歪竜の気配……その気配を感じている限り、リセルは自身の愚かさを忘れることはなく、魔導機神を創造する理由を忘れることもない。例え魔導機神を完成させたとしても、かつての理想を見失って、私利私欲の為に彼ら彼女らを使うことはないだろう。
……今思えば、ヴァイスハイトが魔法技術を捨て、魔導技術を選んだのは、他国の人々と、他の種族と絆を結んだ彼にとって、多くの生物を、種族を犠牲にする技術を“良し”とすることができなかったからなのかもしれない。
リセルは、培養槽のガラスに映った自身の顔を見て、ふと思う。
――父の最後の教えを護ることができず、それどころか“父の技術で幸せな世界を築ければ、きっと自分を認めてくれる”と己に言い聞かせ、
――誰にも理解できない夢を叶えるために故国を捨て、
――さらには目の前で培養している歪竜と融合して、人間ですらなくなる親不孝者……
そんな自分が、父と母がくれた“リセル”なんて素敵な名前を名乗って良いのだろうか?
……何を今さら。
その思考に至った自分をリセルは嘲笑う。
“ザイルード”の姓を剥奪された自分が、何を未練がましく
数年後には、親からもらった大切な
(……なら、歪竜の識別名“ペルソアティス(Pelsoatis)”から取って……“セシル・トープ(Sesil Toap)”でいっか……)
少女は祈った。
――“誰も死なない優しい世界をください”
しかし、少女の祈りに応える神はいなかった。
少女は呼びかけた。
――“幸せな世界を創れる神様を創りましょう”
しかし、少女の願いを理解する人はいなかった。
……たった一人の、小さな友人を除いて。
「……リューン」
「はい?」
セシルが力尽きると同時に分離されたツェシュテルを姫抱きに抱えたリューンは、セシルを
セシルは、かつて何度もメルキアで口にした言葉を、もう一度口にする。
「……神を、創りたいの」
何度も拒絶され、理解されることを諦め、もう何百年も口にしていなかった言葉を、もう一度だけ口にする。
「……どんな災いも消し去り、どんな争いを治められる、幸せな世界が創りたいの」
拒絶される不安を、理解されない不安を、軽蔑されるかもしれない不安を抱え、瞳を揺らしながら、自らの夢を口にする。
――そして、
「……一緒に、ついて来てくれる?」
「まかせとけ! ですの!」
天井を見続けるセシルに、リューンの表情は映らない。
それでも、そのワクワクした声の抑揚から、まるで見ているかのようにありありと想像できた。
静かに一筋の涙がこぼれる。
――その口角は
***
「ふざけてんじゃないわよアンタ! 今この状況で、私達を、リウラを救ける力を持ってるのはアンタしかいないのよ!?」
「わか、って……わかってるわよ、そんなことぉっ!! でも、か、身体がうごっ、かないんだから仕方ないじゃないっ! 私だってお姉ちゃんを救けたいのよぉッ!!?」
リウラと出会った直後、
――だが、それはあくまで
リウラと出会う前、リリィは
真っ先に経験した命の危機である“プテテット”に対する恐怖を
これがごく一般的なプテテットであれば、リリィはここまで取り乱さなかったであろう。
明確に“自分より弱い”と認識できていれば、苦手意識は持とうとも恐怖までは持たない。
あるいは、リウラやツェシュテルのように、プテテットに近い液状形態になれる能力があっても、本物のプテテットでないのなら、ここまでの拒否感は持たなかっただろう。
だが、今ここに居るのはリリィであろうと容易に捕食できる化け物であり、正真正銘の巨大プテテット。
あの時の手も足も出ずに喰われかけた記憶が鮮明に
ヴィアは歯噛みする。
この局面を切り拓くためには、どうしてもリリィの力が必要だ。
だが、リリィの心を奮い立たせるためには、ただの一使い魔でしかない自分では完全に力不足であった。
「ぴぎぃっ!? ぴぴぴぴぴっ!!」
小鳥の悲鳴をボリュームだけ最大化したような面妖な絶叫が聞こえた瞬間、ズズンと地響きが鳴る。
チラリと見てみれば鳩頭の魔神が化け物プテテットに足を捕らわれ、体勢を崩して尻餅をついている姿が目に入った。
――ピクリ
ヴィアの猫耳が、奇妙な風切り音を
瞬時に音の
(まっず……!)
ヴィアはリリィを背に庇って腰から2本の
だが、彼女が対処するよりも早く、リリィの危機に動いた者がいた。
「ぬぅんっ!!」
剛腕一閃。
刀身が
ズン、と重々しい音を立てて着地したのは、2メートル近い長身を持つ巨漢。
身に纏うものは布系の装備であるものの、それらがあくまで動きやすさを重視しただけで、その防御力は鋼にも勝る魔術的な高級品であることが分かる。
豚鼻であることからオークのように思えるものの、その肉体に無駄な脂肪は一切なく、当然のように腹など出てはいない。
ヴィアが受けた印象を一言でいうならば、“鬼”というのが最も近いイメージだ。
その身から溢れる闘気は荒々しくも力強い。
単純に比較すればヴィアの方が上ではあるものの、それはあくまで竜をも倒すリリィの使い魔であることが理由であり、リリィとの契約を切ってしまえば逆立ちしても勝てないであろう実力者だ。
さらに言えば、この化け物どもが暴れる空間で生存できるだけの知恵や知識、経験もあるだろう。
そんな人物がどうして自分達を助けるのか? ヴィアは迎撃体勢を崩さないまま、“鬼”を
しかし、その疑念は即座に解消する。
「
――リリィを知っていて、成長したこの姿のリリィを知らない
――オークに近い容姿
――粗削りながらも力強い闘気
――そして何より、この気配と匂い……
ヴィアの頭でそれらの情報が繋がった瞬間、この“鬼”の正体に思い当たり、大きく目を見開く。
「アンタ……まさか!」
ヴィアが己が推測を口にする前に、リリィが呆然とした表情でその人物の名を呼ぶ。
「
「どうした!? いったい何があった!?」
己が心から惚れた女だ。例えその姿が大きく変化していようと、魔力が桁違いに膨れ上がっていようと、見間違えるはずがない。
リリィの気配を感じてから、己が命を確保しつつもすぐさま駆けつけて見れば、彼女は涙を流して弱々しく座り込んでいる。
以前会った時とは見違えるほどにたくましくなり、
「
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがあそこにいるんです。食べられちゃいそうなんです。お願い、お願いします……! お姉ちゃんを救けて……!!」
「アンタ……っ!」
ヴィアの頭が瞬時に
リリィの願いは、『自分よりも遥かに弱い相手に対して、自分よりも遥かに強い相手に立ち向かえ』と言っているも同然だ。
――そして、それは同時に『
リリィの性格からして、悪意など無く、ただパニックに陥ってその事に気づいていないだけであろう。しかし、惚れた弱みを持つ相手に対してして良い行為では決してない。
そして、かつてリューナを救わんがために同様のことをリリィ達に
バシィッ!
リリィを殴り飛ばさんと振り上げられたヴィアの拳、それが緑色の手に手首を掴まれて留まる。
ヴィアは自分を止めたベリークをキッと睨みつけて叫ぶ。
「止めないで! アンタだって分かってるでしょう!? 今はコイツを甘やかしていい状況じゃないって!」
「無理だ。リリィは完全に心が折れている」
ベリークはリリィの眼を見る。
彼女の眼からは主体的な意思が欠片も残っていなかった。これではまるで親に頼りきりの
自分では何ひとつできず、ただ親にねだり、縋ることでしか生きられない弱者。
己の手で道を切り拓くのではなく、他者の手や環境の変化によって自分が救われることを望むだけの……親から口にエサを突っ込んでもらうのを待つだけの雛鳥。
ベリークの経験上、一度こうなってしまったら立ち直るのは容易ではない。
ベリーク自身はこうなったことはないが、村のオークでこのような状態になった場合、長期間丁寧に扱い、心を癒してやる必要があった。少なくとも、この戦闘中にリリィが立ち直ることはあるまい。
「じゃあ、いったいどうしろってのよ! まさかアンタ、リリィの言うこと聞いてあの化け物に突っ込むつもりじゃないでしょうね!?」
「そのまさかだ」
「…………え?」
何を言われたか分からず、ぽかんと呆けるヴィアを置いて、ベリークは
そして、今しがた吹き飛ばして地に横たわっていた炎の大剣の柄を両手で握り絞める。
「むんっ!」
ベリークの両腕の筋肉がグッと張り詰める。
すると、刀身が自身の身の丈の倍以上あろうかという巨剣が軽々と持ち上がった。
鋭いその視線は巨大プテテットの全身を探り、やがて頂点で1人の水精が必死になって魔術を繰り出している箇所に止まる。
その様子を見るに、“このプテテットを倒そう”という感じではない。“誰かを助けよう”としている感じだ。
(……あそこか)
「待ちなさいよ! アンタ正気!? できるわけないじゃない!!」
「だろうな。俺程度の実力では無謀も良いところだろう」
「だったらっ!」
「すまんが、俺は頭がすこぶる悪い」
ベリークは振り返り、未だうずくまるリリィを見て言った。
「惚れた女が泣いているんだ。俺は、その願いを叶えてやりたい」
無謀だろうとなんだろうと、知ったことではない。
――心の底から好きになった少女が、涙を流しているのだ
――真実の愛を自分に教えてくれた女性が、泣きながら自分を頼ってくれたのだ
これに
今、動かずして、いったい何のためにこの肉体を鍛えてきたのか。
「オオオオオオオォォォォォオオオオオオオオッ!!」
“鬼”が吠える。
リューナや精霊達が張った封印を踏み越え、大きく跳躍する。
ベリークの眼がプテテットの頂点の様子を捉える。
1人の水精が半狂乱になって、頂点からプテテットに穴を開けようとがむしゃらに魔術を繰り出している。
その地点から5、6メートルほど奥深く……非常に見えにくいが、プテテットの中に、かすかに半透明の頭部と胴のようなものが見えた。おそらく、彼女こそがリリィの姉であろう。
「そこをどけええええぇぇえええっ!!」
「ッ!?」
ベリークの雄叫びを聞き、ティアの身体が一瞬硬直する。
パニックに陥っていたためか、彼女はその場から即座に退避できなかったようだが、動きを止めてもらえば、それで充分。
静止したティアに当たらないよう注意して、ベリークは轟焔を吹き上げる巨剣をプテテットの頭頂部に刺しこんだ。
「……」
だが、プテテットは何の
だが、それでもかまわない。
深々と突き刺された炎の魔剣は余程の
「ぬぅぅぅんっ!!」
ベリークは己が手が焼けるのも気にせず、炎の魔剣の刀身に手を添えるようにして傷口を大きく押し広げ、一歩ずつ前へと進んでゆく。
(……これは、キツいな……っ!)
闘気の鎧を纏っているにもかかわらず自身の肉体を焼く魔剣の炎もそうだが、何よりも押し広げるプテテットに接触した部分がまずい。
触れているだけなのに、まるで栓が抜けた水槽の如く自身の闘気が奪われてゆくのを感じる。
鳩頭の捕食に夢中になっているにもかかわらずこれだ。
おそらく意識してこちらの捕食を始めれば、瞬く間に闘気の鎧を剥がされ、精気もろとも肉体をドロドロに溶かされて喰われることだろう。
その時、ベリークは違和感に気づいた。
(……
闘気を全開にすることで、精気吸収に辛うじてベリークは抵抗している。
見れば、後ろからついて来ている水精も、結界に魔力を込め続けることで、なんとか結界を維持している状態だ。
――では、取り込まれた
見る限り、完全に気を失っている。つまり、抵抗力はゼロのはず。
おまけにベリークやティアと異なり、その全身をプテテットと接触させている。一瞬で溶かされていても全くおかしくない。
だが、彼女は手足や髪、服を溶かされ、徐々に身体を蝕まれつつも、未だに人としての形を保っている。
(無意識に何らかの方法で抵抗しているのか?)
ベリークは一瞬そう考えるも、己の頭の悪さを思い出し、“自分では戦闘中にその解答に
***
「わ……私……そんな、つもりじゃ……」
自分が恩人を死地に追いやったと気づいたとき、リリィは更なるパニック状態に陥った。
瞳孔が大きく開き、治まりかけていた過呼吸が再発する。その様子を見てヴィアは一瞬あきらめそうになるも、そんな気弱な自分を気合でねじ伏せる。
ヴィアは、リリィの
「……じゃあ、どうするのよ?」
「……え?」
「ここで嘆いてたって、どうにもなりゃしないわよ。それは、ここまで道を切り拓いてきたアンタなら良く分かってるでしょ? 今度は私をアイツにぶつける? 良いわよ? どうせアンタの命令には逆らえないし、それでアンタが立ち上がれるんなら私の命くらい安いもんよ」
「わ、私は……」
ヴィアは
ベリークはああ言ったが、ヴィアはリリィを信じていた。……いや、
決してこの少女は、こんなことで足を止めるような存在ではない。ましてや自分の大切な者が危機に陥っているのだ。必ず立ち上がる。立ち上がれる。
なぜなら、
「……っ!」
リリィは、グッと歯を食いしばる。
ぶるぶると身体が震える。
しかし、その震えは先程と異なり、怯えからのものだけではない。立ち上がろうと身体に必死に力を込めているが故に起きているものだとヴィアは気づいた。
「~~~~~っ!!」
……だが、立てない。
腰が浮こうとしているのだが、そこからどうしても先に進まない。
“殺されたくない”、“喰われたくない”という恐怖が、リリィの足をその場に縫い止めている。
プテテット以外であれば、どんな強敵であろうと立ち向かえるリリィの足は、今は生まれたばかりの赤子と変わらぬ力しか発揮できなかった。
「くぅっ……!」
リリィの手から放たれる魔力が、必死に宙に魔法陣を描こうと走る。
その軌跡から、先程シルフィーヌがリリィに使ったものと同じ戦意高揚の魔術とヴィアは推測するが、精神的な動揺が邪魔しているのか、その形は見るも無残で、何の効果も発揮することなく魔法陣は霧散する。
「動けっ……! 動け動け動け動け、動けええええええぇえぇえええええっ!!」
――リリィが無我夢中で叫んだ、その時だった
「リリィ!」
(この……声は……!)
目を大きく見開き、猫耳を振るわせて声の方向に振り返る。
崩れた大岩の上に立つその姿を目にして、リリィは己が失策を悟った。
「
(は、早くやらなきゃ……! あ、あれ……?
いっぱいいっぱいになっていたリリィは、『命令するな』と魔王に命令しなければならないことを
そんなリリィを置き去りに、無情にも魔王の口が開かれる。
リリィは思わず目を
「
「…………………………………………………………………………え?」
リリィは、何を言われたか分からなかった。
次の瞬間、リリィの胸がドクンと温かく力強い鼓動を刻むと、自分の意思を無視して、今までのやり取りがまるで嘘のように、リリィの足がすくっと立ち上がる。
いつの間にか、頬を濡らしていたはずの涙は止まっていた。
「魔王様……」
呆然と自身の主の名を漏らすリリィに、魔王は尊大に腕を組みながら、ふんと鼻を鳴らして言う。
「仮にも私が手ずから生み出した使い魔が情けないざまを晒すな、見苦しい」
再びリリィの胸が大きく高鳴る。
(今、私のこと、『使い魔』って……!)
――『貴様、私の使い魔ではないな?』
実を言うと、その言葉はリリィに少なからぬショックを与えていた。自らを生み出した創造主から見限られるというのは、想像以上に
だが、今、彼はハッキリとリリィのことを『私が手ずから生み出した使い魔』と言ってくれた。
まるで日の光が差してきたかのような温かな想いが胸に満ち溢れ、思わず笑みがこぼれる。
――ああ、自分はなんて単純な女なのだろう。主として、父として慕う相手から認められただけで、こんなにも舞い上がってしまうなんて
だが、舞い上がってばかりはいられない。大切な姉が、恩人が命の危機に晒されているのだ。
主の期待に応え、見事に救け出して見せねば、“魔王の使い魔”の名が
「……はいっ!」
無駄な言葉はいらない。ただ一言、肯定の意さえ示せばいい。
後は結果を出すだけだ。
リリィは、自らの内に封じた魔神ラテンニールの力を全開放する。
「っ……!」
全身の神経をむき出しにして、おろし
だが、耐えられる。
耐えて見せる。
リリィは魔王の意図を汲み取り、与えられた
“姉を救い出すためにはこの魔力を取り込む必要がある”と無理やり思い込むことで、この膨大な魔力を強引に支配しようとしたその時、リリィの肉体は魔神の魔力を一息に飲み干した。
ゴオゥッ!!
リリィの身体から、先のセシル達にも劣らぬ凄まじい魔力が噴き出す。
――直後、まるで麻薬を直接頭にぶち込んだかのような凄まじい快楽と高揚感、そして全能感がリリィの全身を襲った
「あ……っ!?」
魔力や精気というものは、多量に摂取し過ぎると“酔う”性質がある。
性魔術で精気を多量に摂取した睡魔が、軽く
では、本人の許容量をはるかに上回る魔力を摂取した場合、いったいどうなるのか?
――
圧倒的な己の力に酔い、正気を失う。
それは、魔王によって生み出された、才能とセンスの塊であるリリィであろうと変わらない。
なにしろ、原作では魔王ですら仲間との絆がなければ耐えられず、全ての思考を放棄して、目の前の物を破壊し続けるだけの存在と化してしまった程なのだ。
(……っ!!)
しかし、彼女は耐える。
耐えて見せる。
魔王の
リウラの、ヴィアの、リューナの、アイの、ベリークの、ブリジットの、皆の……そして、今、取り戻した魔王との絆があると、そう信じられるから――!!
――頭にかかろうとしていた
「来なさい、ルクスリア!」
セシルのブレスと、プテテットの
シャッ!
リリィの姿が
次の瞬間、ベリーク達の背後にリリィの姿が現れた。
「リリィ!?」
「どいてくださいっ!」
リリィの莫大な魔力とルクスリアの頑健さによるゴリ押しで、一気に道を押し開く。
だが、それもあと3メートルといったところで止まってしまう。炎の巨剣が突き刺さった先端までたどり着いてしまったのだ。
「はああああああぁああぁあああっ!!」
リリィがルクスリアを突き刺し、そこから強引に傷口を押し広げようとするも、なぜか先程のベリークのようにはいかない。
深くまで進んでプテテットが抵抗を始めたこと、そして何より魔神級の強者へと進化したリリィが自分の内部まで入り込んだことで、積極的に捕食しようと動き始めたことが原因だった。
(あとちょっと……あとちょっとなのに……っ!!)
焦る彼女を嘲笑うかのように、リリィの魔力が奪われてゆく。
見れば、本格化した精気吸収に耐えられず、ベリークとティアが倒れ込んでいた。
(何か……何か、一瞬でもコイツの力を上回る技があれば……!)
そう、例えば雫流魔闘術の“
水竜フリーシスが扱う巨大な水弾でさえ、念を凝縮すればツェシュテルの魔術障壁を突破できるのだ。
念を指先の1点に凝縮して放つあれならば、魔力を吸収されることなく、このゼリーのような肉壁を抜けられるはず……!
リリィは、リウラからもらった経験を思い出す。
基本である“型の創造”すらできなかった自分に、雫流魔闘術の奥義を放てるとは思えない。
でも、今ここで使えなければ、リウラを救うことはできないのだ。
“できるかできないか”ではない。
“やらなければならない”のだ。
リリィは突き刺したままのルクスリアを左手に持ち替え、右の人差し指に可能な限りの念を集中させる。
――その時だった
「魔闘術……」
背後から聞こえた声に、思わず振り返る。
驚愕に固まるリリィの眼が捉えたのは、
「“波紋”!」
1点に凝縮された念を込めた半透明の人差し指が、プテテットの肉壁を
一瞬にして指から伸びた“シズクの思念が凝固した水の針”が差し込まれ、波紋が広がるかのようにその傷口を押し広げた。
プテテットの中から、未だ形を失っていないリウラの肘が現れる。
その時、ティアが最後の力を振り絞り、リリィを、シズクを追い抜いて、リウラを引っ張り出そうとその肘に触れた。
「――リウラ!」
――溶ける、融ける。身体が、全身が解けてゆく
痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。
力は得た。大切な人達との楽しい思い出もできた。生前の思い残しは大分解消できた。
でも、足りない。まだまだ足りない。
もっともっと力が欲しい。もっともっと素敵な思い出が欲しい。何より、大切な人たちを護りきれていない。まだ、死ぬわけにはいかない。
まぶたが僅かに開く。
“何か”を必死に叫びながら私に向かって必死に手を伸ばし、それを周りの人たちが必死になって手伝っている。
――ああ、私はこの光景を知っている。私はこの
そう、あれは確か――
***
「エステル様、お茶が入りました」
「ああ、すまない」
騎士とはいえど、その身分は王族。エステルは広々とした豪奢な馬車で、アーシャが入れてくれた紅茶を口にしつつ、ゆったりとくつろいでいた。
本人としては、騎士であるが故に“他の騎士達と同じ扱いでも構わない”と考えてはいるのだが、それでは他の国への示しがつかないがために、渋々このような扱いを受け入れている。
「……あの睡魔の娘は信用できるのでしょうか?」
「個人的には“信用したい”、と考えているが……そこは兄上達の判断を仰がねばならんだろう。我々の個人的な感情ではなく、国益を考えなければ……」
アーシャからの質問に答える
それを見て取ったのか、アーシャが席の下にある物入れから毛布を取り出して言った。
「おそらく緊張が解けて戦闘の疲れが一気に出てきたのでしょう。王都に着きましたら起こして差し上げますので、ごゆっくりお休みください」
「すまないが、貴公の言葉に甘えさせてもらう……兄上達の前で無様な姿は見せられん……」
そう言うや否や、スゥ……とエステルは深い眠りについた。
――直後、
「エステル様……エステル様」
先程『ゆっくり休め』と自分から言ったばかりにもかかわらず、アーシャはエステルの名を呼び、肩を揺すって起こそうとする。
しかし、エステルは起きない。それ程に深い眠りについているのだ。
そうして“少々のことをされても起きない”ことを確信したアーシャは、それまで浮かべていた優しい笑顔を、冷ややかな無表情へと変えた。
(やれやれ……姉上と結ばれるためとはいえ、姉上以外の女を抱かねばならないとは……まあいい、眠り薬が効いているうちにさっさと済ませてしまおう)
縦列走行中の馬車の窓から覗き見られることはそうそうないだろうが、万が一ということもある。
アーシャは淡々とカーテンを閉める。
――そこから少しの間、馬車の中から僅かな水音が聞こえたが、馬車の走る音に紛れ、誰の耳にも届くことはなかった