――湖面が爆発する
地底湖から勢いよく飛び出してきたのは、リウラをお姫様だっこで抱えたリリィだ。彼女は空中でコウモリの翼を広げると、一気に急降下し、ダァンッ! と大きな音を立てて地面に着地する。
「リ、リリィ!? いったい、どうしたの!? もう、やっつけちゃったんだから、そんなに急いで陸に上がらなくても……!?」
リリィとリウラによって急所を傷つけられた
その直後、無抵抗になった水蛇からごっそりと精気を奪ったリリィは、大急ぎでリウラを抱え、陸へと逃げ出したのだった。
その精気の奪い方も実に慌ただしく、大量に奪ってはいたものの、水蛇にはまだまだ精気が有り余っている。事実、腹を上に向けてプカプカと湖に浮いている水蛇のヒレは、呼吸をしているかのように動いていて、その生命力が尽きていないことを表していた。
とはいえ、それ以外に全く身体を動かせていないところを見るに、身体の動きを
つまり、完全に無力化はできているはずなのだ。
それなのに、なぜこれほどまでにリリィが急いで陸に上がろうとしているのか、とっさにリウラは察することができなかった。
「リウラさん、アイツが出てきた魔法陣は召喚用です!
「……え?」
彼女達から
魔法陣を見た水精や、魔術に詳しい水精から、水蛇が『何者かの使い魔である』と知らされていたティアは、当然いまだ脅威は去っていないことを理解しており、水精全員が水面に現れるや否や、素早く撤退の指揮を
「シズク! お願い!」
こくり、と巫女服姿の水精が頷くと、隠れ里を濃密な魔力を
シズクと呼ばれた水精の魔力によってリリィ達の魔力や気配が隠され、一瞬にして上手く感知できなくなると同時、リリィの手首をシーが、リウラの手をティアが取り、素早く走り出した。
この視界ゼロの状況で迷いなく、つまづくことなく走ることができるのは、あらかじめ水びたしにしておいた地面のおかげだ。
彼女達水精は、自身が支配する水の位置を手に取るように把握することができる。こうしておけば、水蛇を召喚した者はこちらの居場所も行動も認識できず、水精達は的確に逃走することができる。
おまけに、水を司る彼女達ならば、地面の水を制御することで水しぶきを上げることもないので、足音すら消せるのだ。
しかし――
ゴッ――!
猛烈な突風が濃霧を吹き飛ばし、彼女達の策を一蹴する。
魔力を帯びた突風により、動きを止められた彼女達は見た。
いつの間にか、彼女達が進もうとしていた先に、既に何者かが立ちはだかっているのを――
***
「こんにちは」
そこにいたのは、30に届くかどうかといった年齢の人間族の女性だった。
まるで水着のような露出度の高い衣装に身を包み、毛皮のマントを
腰まで届く長い黒髪をなびかせた彼女は、うさんくさい笑みを浮かべながら、水精達に馴れ馴れしく話しかけた。
おそらく、この場のリーダーだと見抜いたのだろう。女性はティアに視線を合わせる。すると、なぜか彼女は驚いたように目を見開き、軽く口を開いて唖然とした様子を見せた。
ティアは片腕を真横に伸ばして、水精達に下がるように
「……あなたは?」
「!! ……おっと、これは失礼」
女性は我に返るとわざとらしくおどけ、ティアの質問に答える。
「私の名はディアドラ……人間族の魔術師。そこの
「……お誘い?」
「はい」
ディアドラと名乗った女性は愛想よく返事するが、やはり
そして、警戒を緩めない水精達の目の前でリリィに向かって歩き出し、彼女の前まで来ると、しゃがんで自分の目線をリリィと同じ高さに合わせて言った。
「お嬢ちゃん。このままだとアンタ……死んじゃうよ?」
「……」
「ど、どういうこと?」
リウラは見知らぬ人物から
そして、リリィは予想外の人物の登場に思考が止まり、呆然とディアドラを見続けることしかできなかった。
(……どうして……なんで彼女がここに……)
その理由は、リリィの原作知識にある。
魔術師ディアドラ――彼女は原作にて魔王の魔力を奪い、自らが新たな魔王となることを
原作でも詳細は明かされなかったが、彼女が新たな魔王となるためには、ただ単純に魔王の魔力を得るだけではダメで、それとは別に莫大な精気を必要とするらしい。
その精気を得るために、急成長しつつある魔王の使い魔リリィに目をつけ、彼女の成長をうながし、充分に成長したところでその精気を奪うためにリリィを
だがリリィは魔王が封印された後、すぐにこの隠れ里に住んでいる。リリィが魔王の使い魔であることも、凄まじい勢いで成長することも知ることはできないはずだ。なのに、どうして彼女はここに現れたのか?
ディアドラはすっとリリィの猫耳に口を寄せ、耳打ちする。
「お嬢ちゃん。アンタ………………魔王の使い魔だろう?」
「!?」
リリィの猫耳と尻尾がピンとこわばる。
(なんで……!? どうしてそれを……!?)
リリィの疑問に答えるように、ディアドラは耳元でささやき続ける。
「私はこう見えても凄腕の魔術師なんだよ……だから、お嬢ちゃんがときどき魔王とそっくりの魔力を放っていることに気づくことができたのさ。ちょっと探し物をしているときに、偶然その魔力を感知してね」
「少し魔術でお嬢ちゃんの
リリィは、“なぜ自分がディアドラに見つかったか”を理解した。
おそらく、彼女は封印されている魔王を探していたのだろう……自らが魔王となるために。
その時点では、魔王の魂が既にその肉体に無いことを知らなかったはずだから、封印を解いて魔王に取り入り、隙をついてその魔力を奪うつもりだったのかもしれない。
“ときどき魔王とそっくりの魔力を放つ”というのは、たぶん魔王の魂から記憶を引き出しているときだろう。
魔王の魂から記憶や経験をもらうと、少しの間、自然にリリィの
原理はさっぱり分からないが、ひょっとしたら、リリィの魂が魔王の魂に波長を合わせていたのかもしれない。その魔王そっくりの魔力が、魔王を探す彼女の探査魔術に引っかかってしまったのだ。
「アンタのご主人様が、人間達に封印されたことは知っているね? お嬢ちゃんが今も生きていられるのは、その封印が不完全だからさ。だけど、その封印もいずれ完成する。そうなったら、お嬢ちゃんも生きてはいられない……お嬢ちゃんのご主人様も二度と復活できない。そうなる前に強くならなきゃならないねぇ、人間なんて簡単に蹴散らして封印を解けるぐらい」
ディアドラは立ち上がって一歩リリィから離れると、にっこり微笑んでリリィに手を差し出す。
そして、今度はハッキリと皆に聞こえる声量で言った。
「お嬢ちゃんは、早く強くなってここから出たいんだろう? 私についてくれば、あっという間に何倍も強くしてあげるよ? アンタには、それだけの才能がある」
そして、“どうして自分が狙われたのか”をリリィは知る。
おそらく、バギルの精気を吸ってパワーアップしたところを見られたのだ。
ディアドラの狙いは明白だ。原作通りリリィの成長速度に目をつけて、充分に育ったリリィの精気を奪うつもりだろう。
魔王が
「……」
うつむいて黙り込むリリィに代わり、ディアドラの言葉に反応したのはティアだ。
耳打ちしていたせいで良く聞こえなかったが、前後の発言から考えて、おおかた『私が鍛えないと、リリィは死ぬ』とでも脅したのだろう。
ティアは怒りの感情を隠すことなく、言葉に乗せる。
「ふざけた言い分ね。
「これは申し訳ない。ですが、あれはこのお嬢ちゃんの素質を見るために、しかたなく
「よくもまあ、ぬけぬけと……!」
「信用していただけないとは、悲しいですねぇ……では、お嬢ちゃんはどうだい? 私についてきたいと思わないかい?」
ティアがディアドラの言葉を切って捨てれば、ディアドラはいけしゃあしゃあと『あれはリリィのためだった』と言い張った。そしてそれを信じさせるつもりもない。
リリィが頷けばそれでよし、という態度である。
おそらく、『素質を見るため』という発言は真実だろう。
“リリィがどこまで戦えるのか”を
だが、後半は真っ赤な嘘だ。
彼女は間違いなく、“別に死んでも構わない”と思って水蛇をけしかけている。でなければ、口を閉じたままウォーターブレスを放つなんて
もしかしたら、彼女にとって“死んだら、その程度の才能だった”くらいの認識なのかもしれない。
立ち上がって上から問いかけるディアドラからは、うつむくリリィの表情はうかがえない。
しかし、もしリリィの表情が見えたなら、“警戒”なんてレベルでは到底収まらないほどの、凄まじい恐怖に彩られた表情に違和感を覚えただろう。
(どうしよう……どうしよう……どうしよう……!!)
普通に考えれば、断るべきだ。
だが、ディアドラはとても非情な人物である上に、リリィの有用性を知ってしまっている。たとえここでリリィが断ったとしても、無理やり
しかし、だからといって素直について行っても、洗脳されないとは限らないから、結果は同じだろう。断ろうと断るまいと精気を絞り尽くされて死ぬ未来しか見えない。
そして、ディアドラを倒す実力も、ディアドラから逃げ切る実力も、今の自分には無い。水精達にも無い。つまるところ、
――そんな時だった
「ダメだよ、リリィ。ついて行っちゃダメ」
「リウラさん……!?」
リウラはリリィの手をギュッと握りしめ、ディアドラを
まるで、その手を離したらリリィが居なくなってしまう、と恐れているかのように。
「うまく説明できないけど、なんとなくわかる。このおばさん、リリィのことなんて全然考えてない……ううん、“リリィのこと利用してやろう”って思ってる。ついて行ったら、絶対にリリィは不幸になっちゃう」
そうリウラが言った瞬間、ディアドラの眼つきがガラリと変わる。
ゾクリ――!
リウラの背筋が震える。
まるでモノを見るかのような冷たい眼。“やはり自分の勘は間違っていなかった”とリウラは、自分とリリィを護るために、水弾を周囲に
――その瞬間、繋いでいたリウラの手が、リリィによって思い切り振り払われた
「え……?」
何が起こったのか分からずリリィへと振り返ると、リリィと視線が合った。
――その眼つきはディアドラと
「リ……リリィ?」
あまりに予想外の出来事に、リウラが戸惑う。
それをまるで
「今までありがとうございました。もう
「何を、言って……?」
「あなたに気に入られるように振る舞っていたのは、まともに戦える力が身につくまでの間、私を
「だから……! その人は信用できないって……!」
「ああ、ひとつ言い忘れていました」
リウラの叫びをそよ風のように聞き流し、リリィは言う。
「
「……は? ……え?」
リウラは唖然とする。
いや、リウラだけではない。この場のほぼ全員が目を
異なる態度をとっているのは、最初からその事実を知っていたディアドラ……そして、鋭い目つきでリリィを見る
「
「何を企んでるのかは知りませんが、この人間が私を鍛え、魔王様を復活させようとしているのは間違いない……なら、私はそれを利用させてもらうまで」
ヒュッと翼を広げて飛び立ったリリィは、力なく水面に腹を上にして横たわる水蛇の上空へと移動し、わずかに
≪
魔法陣が強烈な光を放ち、リウラ達はとっさに腕で自分の眼を
光が収まりリウラ達が腕を
そして、リリィはその水蛇の頭の上で片膝をついて
(へぇ……仮契約を結んだか……瀕死の状態だったとはいえ、私の使い魔に対して契約を結ぶとは、なかなかやるじゃないか)
ディアドラは
使い魔の契約は基本的に早い者勝ちであり、多重で契約を結ぶことはできない。しかし、抜け道はいくつかあり、その一つが今リリィが結んで見せた“仮契約”というものだ。
文字通り仮の契約であり、本契約とくらべればその質はやや落ちるものの、“主の命令に従う”などの効果は変わらない。
本契約者であるディアドラの命令が優先されるため、ディアドラに対してけしかけることはできないが、こうして水精達を脅し、攻撃するには充分すぎるほど有用だ。
「感謝していますよ、リウラさん? 私をここまで強くしてくださったのですから。そのお礼に、邪魔をしないのであれば、あなた達の命は見逃すことを約束しましょう」
どうやら水蛇を支配して見せたのは、“リリィがこれだけ強くなった”ということを示すパフォーマンスでもあったようだ。
リリィを頭に乗せた水蛇はリウラ達に背を向けると、
「待って、リリィ!!」
――直後、轟音とともに岩壁が砕け散った
リウラの呼びかけを無視し、開いた大穴を
「……何のマネですか?」
リウラが、リリィの前に立ちふさがる。その目線の高さは、鎌首をもたげた水蛇に座るリリィと同じ……すなわち、空中に立っているように見える。
が、よく注意して見ればリウラの足元に透明な板状の何かがあり、それが魔力を放っていることが分かる。おそらく、水で足場を
「もちろん、リリィを連れ戻しに」
「……ああ、ティアさん達のことですか? 安心してください。魔王様が復活した後も、彼女達の生活に支障が無いように取りはからってあげますから」
リリィは少し考えて思い当たる。
魔王の脅威から逃れるために造られた水精の隠れ里……そこに住まう者達からすれば、封印された魔王を復活させるなど言語道断だろう。
『殺す』ではなく『連れ戻す』なのは、リウラの情けか。
しかし、リウラは首を横に振る。
「違うよ。リリィを不幸にしないため……ううん、リリィを幸せにするために、私はリリィを連れ戻す」
「……私の話、ちゃんと聞いてましたか?」
リリィが呆れ声で言うと、リウラはあっさりと頷く。
「うん。……
「……え?」
ポカンとリリィが口を開ける。
「あ、『魔王の使い魔』っていうのは本当かな? だけど『誰も信用してない』ってのは嘘だよね? 少なくともリリィは私のこと信用してくれてるもん」
「ッ……何を根拠に……!」
「なんとなく! 私、すごく勘が良いんだよ? 特にこういうのはバッチリ! ……それにね?」
リウラは、ふわりと微笑む。
「たった1週間だけど、私はずっとリリィのこと見てきたから。だから、“リリィが私を信じてくれてる”ってことも、“今リリィが心にもないことを言ってる”ってこともわかるんだ」
表情が抜け落ち、まるで人形のような無表情となったリリィは、黙ってリウラに向かって人差し指を向ける。
――淡い紫の魔力弾が、リウラの頬を
「「リウラちゃん!?」」
双子の水精が動揺してリウラを助けんと飛び出そうとするが、ティアがそれを両腕で
「「ティアちゃん!? なんで!?」」
「……ここはリウラに任せなさい」
「「でも!!」」
「いいから! ……あの子達を信じなさい……!!」
ティア達のやり取りをよそに、リリィ達の会話は続く。
「消えなさい。次は当てますよ」
「うぉう……問答無用で押し通るか。それは困るね~」
リウラは冷や汗を流しながらおどけたようにそう言うと、真剣な表情になって水の床の上で
リウラは巫女服姿の水精――シズクの元で護身術を習っている。
なぜかシズクから異様に警戒されていたリリィは、その鍛錬の様子を見せてもらうことはできず、リウラの強さを知ることはできなかったが、リウラ自身の申告では『
だが、そのシズクを含めた水精全員でも
リリィは、リウラの
――スッとほんの一歩分リウラの身体が横にずれ、魔弾はリウラの隣をすり抜けていった
「!?」
リリィの驚愕に合わせるように、リウラが水の床を蹴る。
慌てたリリィは、今度は外さないよう、水蛇にも使った誘導弾を同時に複数放つ……が、
「ふっ」
鋭く息を吐いたリウラは、一度立ち止まり、自分に向かって飛んでくる魔術の矢の側面に手のひらを添え、次々と軌道を
てんでデタラメな方向に飛ばされた魔矢は、リウラを撃ち抜かんと、リウラに照準を合わせて舞い戻る。
そして魔矢が当たる瞬間、リウラは再びリリィに向かって水の床を蹴る。
……当たる直前で目標を見失った魔矢は、その全てが同士討ちし、打ち消し合った。
「な……な……!」
リリィは、開いた口が
リウラは軽々とやって見せたが、
しかも、リリィが使ったのが誘導弾であり、それを
ふと気づけば、もう目の前にまで
ならば、そうした対人技術が通用しない巨大生物――水蛇に攻撃させるまで。
リリィは水蛇の頭を蹴って空へ逃げながら、
「えっ……!?」
しかし、それすらもリウラは
水床が動くことで走る必要がなくなったリウラは、右拳を腰だめに構え――
「ッ……!」
思わず目を
しかしその拳は当たらず、リリィの頬を
――ギュッとリリィの頭を抱きしめた
「……」
何が起こったのか分からず思考が停止するリリィに、リウラが優しく話しかける。
「……わかった。どうしてもあの人について行きたいんだったら、もう止めない。その代わり、私も一緒についてく」
「な、なんで」
「心配だからだよ。当たり前じゃない」
「だって、私は魔王の使い魔で、みんなを騙してて」
「私はね、リリィのこと“家族”だと思ってる」
「!!」
リウラの胸の中で、リリィは大きく目を見開く。
「“お父さんを復活させたい”って思うのは当たり前だよね? みんなからいじめられないように黙っているのも当たり前。……リリィは全然悪くない」
「そんなことより、私はリリィが……私の大切な家族が、危険な目に合うことの方が耐えられない。……だから、あの人がリリィに酷いことしないか見張ってる。もし酷いことしそうなら、身体を張ってでもリリィを逃がす。そのために、私はリリィについて行く。……ね、リリィ……」
リリィを抱きしめる力を強めて、リウラは言った。
「
それは、バギルと戦う前にリウラが掛けてくれた言葉。
あの時は表面上の意味しか
――ずっと
リリィの眼から涙が溢れる。
肩が震える。
もう耐えられなかった……これ以上リリィの大切な
「ダメです……ついてきちゃダメです!」
「……リリィ?」
リリィはリウラの水の
「あの人が危ない人だなんて、最初から分かってたんです! でも、断ったら無理やり
「私がついて行ったら、少なくともリウラさん達は見逃してくれるかもしれない……だけど、リウラさんがついてきちゃったら、リウラさんがどんな目に合うか分からない! だからお願いです! ついてこないでください! 私の事は忘れてください!」
あの時……ディアドラの雰囲気が変わった瞬間、リリィは思った。
――このままでは、リウラが殺されてしまう
だから、リリィはディアドラの誘いにのったふりをしたのだ。
だから、リリィは“自分が魔王の使い魔であること”を明かして、リウラ達に嫌われようとしたのだ。
そうしなければ、リウラの命は救えないと思ったから。
あの瞬間、リリィの中の
どうすれば、リウラを諦めさせることができるのか……焦りを
「あ~、盛り上がってるところ悪いけど、
「………………え?」
思わず絶句してギギギ……と壊れたブリキのおもちゃのようにリリィが首を動かすと、そこには気まずそうにしているディアドラが宙に浮かんでいた。
「最初に言ったはずなんだけどねぇ……『誘いに来ただけだ』って」
「で、でも、リウラさんが『ついて行っちゃダメだ』って言ったら急に怒って……」
「そりゃあ、こんなうら若い乙女をつかまえて『おばさん』呼ばわりされたら怒るに決まってるさ」
額に青筋を立てて言うディアドラに、リリィは「あ……」と思い至る。
――『この
(言った! そういえばリウラさん『おばさん』って言ってた!!)
リリィは頭を抱える。
あらためて思い返してみれば、原作でもディアドラはリリィに『おばさん』呼ばわりされてブチ切れていたシーンがあったように思える。
だが、そんな
しかし、よく考えてみれば、無理やりにでもリリィを攫うつもりなら、最初から攫っているだろう。こんな茶番を演じる必要など、どこにもない。
彼女の“誘い”は、ただ単に“ディアドラ自身が鍛えた方が効率が良いだろう”と考えていただけなのだ。
「“さっさと強くなって、魔王の封印を解かないと死んじまう”ってことは理解できてるんだろう? 私はそれを手伝ってやろうと思っただけさ。『要らない』ってんなら、自分の力でどうにかするんだね」
そう言うと、ディアドラはゆっくりと自身の姿を薄れさせ、やがてこの場から消え去った。
***
「……終わったわね」
ティアは、ほっと
本当に、たいしたものだと思う。
たしかに、状況的にリリィが演技をしていた可能性は低くはなかったが、その演技は
つい先程まで脅威を見せつけられていた水蛇の迫力もあって、ほとんどの水精達は完全に“リリィが自分達を利用していた”と信じ込まされ、ショックが引いた後は、湧き上がる自身の怒りの感情に飲み込まれそうになっていた。
だが、リウラは違った。水精達の中でただ1人リリィに“家族”として接していた彼女は、他の水精達とは比較にならないほどリリィの事を理解し、リリィの事を想っていた。
そんなリウラだからこそ、たやすくリリィの演技を見破り、リリィの本音を引き出すことができたのだろう。
「……ティアちゃんは、わかってたの?」
「ええ」
ティアの足元で頭を押さえてうずくまり、プルプルと震えるレイクが
ティアは水精として誕生した時から、他者に対する洞察力には並はずれたものを持っていた。
たしかにリリィの演技力は大したものであったが、ティアから見ればまだまだ甘い。
リウラに放った魔弾・魔矢は全て怪我しない程度に手加減されていたし、水蛇に襲わせる時も傷つけないよう、噛みつかせるのではなく鼻先で叩かせようとしていた。
そうしたひとつひとつの行動を丁寧に見れば、リリィがリウラを大切に思っていることはバレバレだったのだ。
ティアがそのことを話すと、なぜか痛そうに頭を押さえる双子の水精達は恨めし
「そ~いうことは」
「もうちょっと早く言ってほしいよね~……」
リリィがリウラに向かって2発目の魔弾を放った瞬間、彼女達はティアの制止を振り切ってリウラを助けるために飛び出そうとしたのだが、直後、ティアが彼女達の頭に特大の水のゲンコツを落とし、力づくで止められていたのだった。
双子は「殴られた理由はわかったけど……」「もうちょっと止め方ってもんがあるよね~」と痛みに頭をさすりながらブツブツ言っているが、ティアは『何も聞こえない』と言わんばかりに完全にスルーしている。
「……で、どうするの? あの人『魔王の封印を解かないと、リリィが死ぬ』って言ってたよ? リウラちゃん、このままだと魔王の封印を解くために、リリィと一緒に里を出て行っちゃうんじゃない? ティアちゃん、あれだけリウラちゃんの事を大切にしてたのに、このままだと危ない目に
「魔王が復活しちゃったら、大変なことになっちゃうんじゃない? 放っといていいの? あ、でもひょっとして、本当はリリィみたいに良い子なのかな? もしそうだったら、いいんだけど……」
双子の言葉にティアは………………答えられなかった。
――『い・や・だあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!』
リリィと出会うまでは、なんだかんだ言ってティアの言うことを聞いていたリウラが、あんなに目を吊り上げて拒絶の意志を叩きつけるとは思わなかった。
今ここでリウラを無理やり捕らえ、ここではない新たな水精の拠点に縛りつけたところで、彼女はリリィを助けるために、必ずいつかそこを抜け出すだろう。
どうせそうなるのなら、むしろ気持ちよく送り出してやった方が良い。
魔王の復活については、ディアドラが背後にいる以上、ティアにはどうしようもない。
自分には、あんな化け物を軽々と
彼女のリリィに対するぞんざいな扱いから、リリィが魔王の復活に必要だとも思えない。
仮に今ここでリリィを殺したところで、ディアドラに対する何の妨害にもならないだろう。
――ティアは拳をきつく握りしめる
いまだ空中で抱きしめ合うリリィとリウラを見つめながら、ティアは自らの無力さに歯噛みし、そんな様子の彼女をシズクは心配そうに見ていた。
***
彼女達から遠く離れた隠れ里の一角――
びしょ濡れになった岩場に、1人の女がいつの間にか立っていた。
その姿は頭のてっぺんからつま先まで真っ黒で、帽子、手袋、ズボン、靴に外套、果ては鼻から下を覆うマスクまで、黒で統一された黒ずくめ。
その身体の線の細さと、曲線を描くラインから
黒ずくめは目元だけでニヤニヤと笑いながら、口を開く。
「こんなところで何してるんスか? ロジェンさん」
誰もいないはずの岩場に黒ずくめが声をかける。
しばし間をおくと、突如、岩場を濡らしていた水という水がゴッ! という音を立てて巻き上がり、1人の女性の姿を形作った。
ティアにも負けぬ立派な水のドレスを身に
手には水でできた扇を持ち、それを広げて口元を隠している。
水精の隠れ里の
「……どうして、わたくしの居場所が分かりましたの? 気配は隠していたつもりでしたけど」
「あいにく、気配を
「……それで? わたくしに何の用ですか? あなたの望み通り、わたくしも、わたくしの騎士たちも手出しはしませんでしたわ。いまさら、わたくしに用があるとは思えませんが」
「ええ、まあ、その件についてはありがとうございます。感謝するッスよ。……まあ、え~っと、“シーさん”でしたっけ? あと、“シズクさん”? なんか、いざという時の保険っぽい方がいらっしゃったみたいですし、こうしてロジェンさんも私に見つからないように隠れてたっぽいッスけど……、今回はうまくいったんで、見逃してあげるッス」
「……」
ロジェンの視線に濃密な殺気が乗り始める。
しかし、それを柳に風と受け流し、黒ずくめは用件を切り出した。
「私の用件は、さっきと一緒ッスよ。あの女……
ボンッ!
「さっきも言った通り、あなたの大切な水精達が、こうなっちゃうッスからね! ……どこに隠れても無駄ッスよ? どこにいようと私には分かるッスからね。……それじゃあ、今後ともよろしくッス~!」
黒ずくめは、最後まで陽気な態度を崩さず、一瞬にしてフッと音もなく姿を消した。
しばらく黒ずくめが居た空間をにらみつけていたロジェンは、やがて視線を落とすと、悔しそうに吐き捨てた。
「……本当に、情けない……このわたくしともあろうものが、一度ならず二度までも暴力でねじ伏せられようとは……!」
まるで黒ずくめ以外にも力でねじ伏せられたことがあるかのような言葉を吐き出すと、ロジェンは心の内で決意を固める。
(いいでしょう。あなたの望み通り、わたくし達は手出ししません……
あの神出鬼没の黒ずくめであろうとも、決してわからないよう、できる限りの手を尽くして、リウラを……そして、リウラが認めた大切な家族を護る。そう、ロジェンは心に誓う。
(それに、あの娘達なら……
そして、その決意と……家族愛に溢れた、力強くも優しい眼を背後の空へと向ける。
その視線の先には、これから先の彼女達の未来を示すかのように……、
――とても、とても幸せそうにじゃれ合う
――ねぇ、リウラさん
――なあに? リリィ
――私たち、家族なんですよね?
――うん! もうとっくに!
――だったら……『お姉ちゃん』って呼んでいいですか?
――……………………
――リウラさん?
――もちろんだとも! 妹よぉぉおおおおおお~~~~~!!!!
――きゃぁぁぁあああああ!!? リウラさん!! 落ち着いてください!!
――『リウラさん』じゃなくて、『お姉ちゃん』!! それと、家族で敬語禁止!!
――わかりま……わかった! わかったから!
――良い!! 『お姉ちゃん』良い!! もう1回! もう1回、『お姉ちゃん』って言ってええ!!
――言うから! 後で言ってあげるから!! お願いだから、いったん離れて!!
――恥ずかしがるリリィも可愛いぃぃいいいい!!!!!
――お姉ちゃぁぁあああああん!!??