水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第九章 水瀬 流河 中編1

 キッと美來(みらい)は空に居る男を(にら)みつける。

 直後、周囲を舞っていた光と闇の鎖たちが凄まじい勢いで“敵”を串刺しにせんと、男めがけて(おど)りかかる。

 

「おおっとぉ!?」

 

 あくまでもお調子者のようなノリを崩さないまま、男は慌てて回避行動にうつる。

 だが、宙を走る鎖たちは男を包囲するように逃げ場をなくし、先端の鎌で男が移動するであろう空間を予測し、()ぎ払う。

 

 男は時に(かわ)し、時に腕で弾き、バリアーのようなものを張って()き止め、黒い光弾を放って鎖をまとめて吹き飛ばす。

 だが、次から次へと繰り出される鎖は、美來の背の翼から際限なく増えてゆき、徐々に対処が追いつかなくなってきている。

 

「うおー、凄ぇ凄ぇ! だ~が~、これならどうかな!?」

 

 男が言うや否や、美來めがけて闇の弾丸を連射する。

 

 直後、美來の足元を光が流れ、一瞬にして彼女を移動させ、闇弾を回避する。

 更には杏里咲(ありさ)たちに向かってきた流れ弾を、鎖のいくつかを連結させることで強固な壁を形成し、彼の放った闇弾を軽々と弾き飛ばす。

 

「うっそ~ん……」

 

 これには、流石の男も唖然(あぜん)とした。

 天使の少女も宙に浮いたまま、大きく目を見開いて固まっている。

 

 そして、美來の力を目覚めさせた張本人であるはずの流河(るか)もまた、美來の異能の力強さに腰を抜かし、呆然として戦う彼女の背を見ているしかできなかった。

 

 

 確かに、美來の異能の力強さは“卵”のイメージからも感じ取れていた。

 確かに、『最強の異能をイメージしろ』とも言った。

 

 

 だが、それらが組み合わさった時、ここまで強力な異能になるとは、思いもよらなかった。

 

 

 ――チェーンソーを軽々と振り回せる()()の腕力

 ――一流には成れるものの()()()()()()()()()()()()()身体能力

 ――怪物()()居場所を探れない探知能力

 

 

 ()()()()の異能とは一線を(かく)す、次元違いの異能。

 どんな敵も打ち倒せるであろうと確信できる、強力かつ派手(はで)で応用力の()いた能力。

 もしここが漫画やゲームの世界であるならば、間違いなく美來こそが主人公だろう。

 

 このまま押し切れる……そう思っていたその時だった。

 

「あっひゃひゃひゃ! 人間のくせにすんごい能力じゃないの、()(はい)もう絶頂寸前だぜ!!」

 

 突如として男が(まと)う凶悪なオーラが霧散する。

 急な態度の豹変(ひょうへん)に警戒した美來が、鎖を宙に待機させたまま、男の様子を伺う。

 

()め止めーっと。我が輩は充分に楽しんだ。ここまで上物の異能者がいるとは、我が輩も完全に予想外♪ おい嬢ちゃん、その異能はどこで手に入れたのかな?」

 

「……」

 

 美來は答えない。

 『流河が目覚めさせてくれた』なんて言ってしまえば、確実に流河がこの悪魔に目を付けられてしまうからだ。

 

「そう警戒しなさんなって。もうマジで戦う気はない。ナッシングも(はなは)だしい。サービスして、そこの天使の嬢ちゃんも通しちゃう……つっても、もう通さざるを得ないんだけどな」

 

「? どういうこと?」

 

 地面にぺたんと尻を付けたまま流河が首をかしげた直後、ゴウと突風が吹きすさび、思わず目を(つむ)った瞬間、「うひょおう!」という男の声が響く。

 

「ヴァフマー、無事か!?」

 

 男らしい重い声質が響く。

 流河が再び目を見開いたとき、

 

「へ?」

 

 思わず眼が点になってしまった。

 

 

 

 ――そこに居たのは、()()()()()()()()()

 

 

 

 背に白い翼が生えて、頭に光輪を(いただ)いた白熊だった。

 しかも、なんかしゃべっていた。

 

兄様(あにさま)!」

 

「あに……さま……?」

 

 

 兄。

 ……あれが、兄。

 

 

(……天使って不思議だなぁ……同じご両親から“熊の男の子”と“人間の女の子”が生まれてくるなんて……)

 

 流河は知らないことだが、実際には彼らは神に直接生み出されたのであって、両親が愛し合った末に生まれた訳ではない。

 ついでに言えば、ヴァフマーが白熊を“兄のように慕っている”だけであって血縁ですらない。

 だが、天使という存在や、彼らの関係を良く知らない彼女達からすれば、その会話は奇想天外なものであった。

 

「流石は懲罰部隊の隊長殿! 歪魔(わいま)の転移すら許さないという加速襲撃、素晴らしい! 我が輩なんか、あっさり殺されちゃう! というわけで、さらばだお嬢ちゃん達! また会おうぜぃ!!」

 

「逃がすか!」

 

「……!」

 

 白熊がその巨体に見合わぬ超スピードでギラリと爪を、美來が鎖を繰り出すが、鮮やか()つ鋭い動きでそれらをあっさりと(かわ)し、あっという間に南の空の彼方へと消え去ってしまった。

 

「……」

 

 やっかいな敵を取り逃がしてしまったことに、美來は舌打ちしたい気分になる。

 だが、当初の目的であった天使の少女と流河達を護ることには成功した。まずは、ひと安心……

 

「ルカっち、どうしたのじゃ!?」

 

「ルカちゃん、大丈夫!?」

 

 ハッと美來が振り返ると、ガクガクと(おび)える親友の姿が目に入った。

 

 慌てて美來も彼女に駆け寄る。

 異常に気づいたのか、天使の少女や白熊も宙を滑って近づいてくる。

 

「どうしたの、流河! アイツに何かされた!?」

 

「むぅ……私が見た限り、この()には特に何もしていなかったはずだけど……」

 

 天使の少女――ヴァフマーが回復魔術で自らを回復させながら言うも、事実、こうして流河は怯えている。

 まずは状況を確認する必要があった。

 

 震える喉から絞り出される流河の声に、美來達は真剣に耳を澄ませる。

 

「あの人……私達を殺す気なんてなかった……」

 

 それは分かる。本当に殺す気ならば、最初の蹴りで杏里咲は死んでいる。

 だが、それならば、なぜ怯える必要がある?

 

「……でも、あの人、最後に逃げる時、私を見た……()()()()()()()()()()()!!」

 

「「「「「!?」」」」」

 

「……殺気は感じなかったぞ?」

 

「……違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もし、さっきの悪魔が本当に流河を殺す気になっていたら、いくら上手に隠そうとそれを感じ取ってもおかしくない」

 

 自分達を“食べるため”に襲ってくる怪物は確かに恐ろしい。

 だが、食欲ではない明確な“殺意”を……それも、絶対に自分では敵わない強者から向けられ、それを異能によって敏感に感じ取ってしまった流河は、心底から震えあがってしまったのだった。

 

「ふむ、そこの娘も異能者か……。ならば、我らの拠点に来ると良い。お前たちは我が副官の命の恩人だ。奴らから護るぐらいはさせて欲しい」

 

 

***

 

 

「はぁ~~~~~もふもふ……ぷにぷに……」

 

「これは、癖になるのう……素晴らしい毛並みじゃ……」

 

「気持ちいいですぅ~……」

 

「これは、至福。ウチにも1頭欲しい」

 

「……我はベッドではないのだがな……」

 

 流河は意外とあっさり立ち直った。

 

 決め手は、()()()()()()()()

 

 ラグタスと名乗った白熊天使が、天使の拠点に来た後も怯え続ける流河を慰めるために、熊そのものの手で流河の頭を撫でた時……それは起こった。

 

 

 

『……()()()()……!!』

 

 

 

 頭部から感じられる触感に酔いしれた流河は、それまでの怯えようは何だったのか、嬉々としてラグタスに『肉球を触らせてくれ』と言い出したのだ。

 ラグタスは困惑しながらも、『それで少女が立ち直れるなら』と快く流河に肉球を触らせてくれた。

 残像が見える勢いで、ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに……と肉球を連打する流河に、好奇心を刺激された少女達が『我も我も』と殺到するのは時間の問題だった。

 

 以降、ここ数日にわたり、ラグタスは度々(たびたび)少女達にわらわらと纏わりつかれては、こうして肉球だけでなく、フカフカモフモフの毛並みをも堪能される結果となっている。

 寝そべるラグタスの上に少女達がぺとぺとと張り付いた光景は、となりのト○ロに抱きつく某姉妹のように微笑ましい。

 

「あなた達! 兄様は、懲罰部隊の隊長で、今の天使たちのトップ3に入るとても偉い方。気軽にべたべたしないで! それに、兄様はとても忙しい人だから、立ち直ったのなら早く離れて!」

 

「……そうは言うが、お主もしっかり堪能しとるではないか」

 

「わ、私は兄様の副官だから良いの! それに仕事の邪魔になる程くっついてはいない!」

 

 そう、くっつく少女達の中には、ヴァフマーも混ざりこんでいたのだった。

 クールに見えて、実は結構おもしろい少女である。

 

「ラグタス様、ご報告が………………いったい何をしているんですか、ヴァフマー様」

 

 頭痛を(こら)えるような表情で現れたのは、青い鎧を纏った女性の天使であった。

 腰をも超える薄水色の長髪に、深い蒼の瞳。付け根から先端に向かって徐々に桃色が強くなっていく白翼を(たずさ)えた、長身でスタイルの良い、非常に美しい女性だった。

 

 だが、美來達はこの女性――メヒーシャが少々苦手だった。

 

 なんというか……美來達を見る目が非常に冷たいのだ。侮蔑(ぶべつ)というか、嫌悪というか……そういった負の感情を感じる。

 美來達は、彼女に対して特に何かをした覚えは全くないのだが。

 

「こ、これは休憩! ちゃんと仕事はしているから、問題はない!」

 

「……上官に寄りかかっての休憩は如何(いかが)かと思いますが?」

 

「うぐっ!?」

 

「……良いのだメヒーシャ、我が許可している。……すまんが、全員、降りてくれないか?」

 

 流石に報告に来た部下の前で寝そべっているわけにはいかない。

 渋々ながらも「「「「はーい」」」」と少女達は、素直に魅惑のもふもふゾーンから退避するのだった。

 

「それで、報告とは?」

 

「はっ。先程ルファディエル様より新たな任務を授かり、一時的にここを離れる旨、ご報告に参りました。遅くとも3日後には帰る予定です」

 

「新たな任務だと?」

 

「はい。昨日、約100人ほどの人間が我々に保護を求めてやってきたことはご存知でしょうが、その責任者が『ここより南に学園があり、そこに人間が取り残されている』と伝えてきたのです。私はこれよりその人間達の保護に参ります」

 

 美來達は思わずお互いの顔を見合わせる。

 

 天使の支配領域では多くの人間達が保護されていた。

 怯える流河を(なだ)める(かたわ)ら、そして流河が立ち直ってからも彼女達は“秀哉達もここで保護されているのではないか?”と秀哉と学生会長……そして、副会長としての仕事をする為に、学園へ向かったはずの(るい)の姿を探したのだが、一向(いっこう)に見つかることはなかった。

 

 見つけられたのは、じっと美來を見つめる怪しい白装束(しろしょうぞく)の美女の姿だけである。

 ちなみに、その女性に流河は声をかけてみたのだが、美來が近づいてきた途端に何故か慌てて去って行った。いったい何だったのだろうか?

 

「あ、あの!」

 

「……なんだ」

 

 心底嫌そうな声を出されて一瞬ひるむも、流河はグッと堪えて言う。

 

「わ、私も連れて行ってください! お姉ちゃんがそこにいるかもしれないんです!」

 

「……貴様はバカなのか? あれだけ怯えたざまを見せておきながら、クリエイターや悪魔どもがうろつく場を移動できると思っているのか? 足手まといだ」

 

「ッ……!」

 

 言い訳の余地のない正論に、流河は言葉に詰まる。

 

 怪物――由来は分からないが、天使達が『クリエイター』と呼ぶそれらと違い、悪魔達は明確な殺意を持って攻撃を仕掛けてくるだろう。

 そうなったとき、同じように……いや、それ以上に流河が怯えてしまわない保証など無いのだ。

 

 そこに、彼女を(かば)うように美來が前に立つ。

 

「……美來?」

 

 美來は、(ひる)むことなく真っすぐにメヒーシャの瞳を見つめて言う。

 

「……大丈夫、流河は私が護る。あなた達に迷惑はかけない。ただ、私達の前を歩いてくれればいい」

 

「おおっと、拙者(せっしゃ)も忘れてもらっては困るぞ? 流石にあのレベルの悪魔は難しいが、そこらの化け物など拙者の愛チェーンソー2号の(さび)にしてくれるわ~!」

 

「わ、私も! 私なら、ク、クリエイター? の居場所が分かりますから、きっと学園にスムーズにたどり着けるはずです! だから、ルカちゃんたちと一緒に連れて行ってください!」

 

「みんな……」

 

 美來の、杏里咲の、シャネルの訴えを聞いてメヒーシャが眉をひそめるのを見たヴァフマーは、(かたわ)らに立つ上司を見上げて言う。

 

「兄様、お願いがある」

 

「……何だ?」

 

 答えるラグタスの声は穏やかだ。

 まるで、己が副官が何を言おうとしているか分かっているかのように。

 

「この人間達を護衛させてほしい」

 

「「「「!」」」」

 

 驚く人間の少女達。

 だが、天使達は全く驚く様子を見せず、ヴァフマーは話を続ける。

 

「わずかな時間だけど、この人達は一度決めたら梃子(てこ)でも動かないことは、兄様からち~っとも退()こうとしないことから、良く分かってる。なら、説得は時間のムダ。さっさと行って、さっさと帰ってきた方が良い。その間、メヒーシャに迷惑をかけないよう、私が見張る」

 

「……わかった。許可しよう」

 

 ラグタスが頷くと、眉間に縦皺(たてじわ)を刻んだメヒーシャが固い声で告げる。

 

「……1時間後に出発します。それでは」

 

「わかった……ありがとう」

 

 メヒーシャは『ついてこい』とも『準備しろ』とも言わなかった。

 

 “自分達とは別部隊である貴女(あなた)達が勝手についてくるならば、関知しない”という姿勢を無言で示したのだ。実質的な許可と同義である。

 それを察したヴァフマーは、感謝を込めてメヒーシャを見送った。

 

「ヴァフマーちゃん!」

 

「わぷっ!?」

 

 そして、流河は思いっきりヴァフマーに抱きつくことで感謝を示す。

 

「ありがとーっ!! 本当に助かったよ!」

 

「……あなた達には借りがある。それを返しただけ。これで貸し借りはチャラ」

 

「うんっ!」

 

「うむうむ、お主は話が分かるのう」

 

「……クールに見えて、実は温かくてお茶目。ギャップ萌え」

 

「これからよろしくね、ヴァフマーちゃん!」

 

「うん……って、ちょっと待って。ギャップ萌えって何。あと、ちゃん付けは止めて」

 

「なら、ヴァフりんで」

 

「うむ、よろしくな! ヴァフりん!」

 

「やめて」

 

 わいわいと(かしま)しく騒ぐ5人を見て、ラグタスは目を細める。

 

 ヴァフマーはラグタスを慕うあまり、“ラグタスの役に立つ”以外の事が目に入らない傾向にあった。

 ところが、実際の年齢はどうあれ、見た目が同年代の同性……それも、悪魔との戦争とは無関係の者達に囲まれることで、本来のヴァフマーが顔を出しつつある。

 

 以前の彼女であれば、この戦争のただなかでラグタスに寄りかかることなど有り得なかっただろう。あれはラグタスに遠慮なく甘える少女達を羨ましく思えばこそだ。

 少女達より遥かに年長とはいえ、ヴァフマーは未だ幼い。間違いなく少女達との交流は彼女にとって良い影響を与えるだろう。

 

 メヒーシャとは異なり、ラグタスは何の心配もなく少女達を送り出したのだった。

 

 

***

 

 

「ふっ!」

 

 流星のようにトンネルの宙を()ける美來の背から大きく広がる光と闇の翼、そこから伸びる二重螺旋(らせん)の鎖が次々と宙を舞い、空中の悪魔やクリエイター達を射抜いてゆく。

 

 しかし、その鮮やかな手並みに反し、美來の表情は冴えない。

 

「……数が、多い!」

 

 学園へ向かうまでの道が荒れ地しかなかったことから薄々予感はしていたものの、美來達が目にした学園を取り巻く状況はあまりにも変わり果てていた。

 周囲を海で囲われていたはずの天慶(てんぎょう)第二学園……今やその海は全て干上がり、その代わりと言わんばかりに悪魔やクリエイター達が(うごめ)き、殺し合い、喰らいあっていた。

 

 おぞましいことに、クリエイターが、悪魔や別のクリエイターを喰らうと、その肉体を取り込んで融合し、食べた者の特徴が如実(にょじつ)にその肉体に現れ、明らかにパワーアップしていた。

 知恵が増し、先程まで悪魔が使っていた光弾や術、クリエイターが使っていた器官を身体から生やして使用し、更に敵を倒し喰らって、どんどん強くなっていく。

 

 おまけに、融合した質量は一体どこへ行ったのか、その体積も重量もまるで変っていないようで、その踏みしめる足元の土は柔らかそうなのに大して(へこ)みすらしていない。

 増えすぎた重量や体積で身動きが取れなくなる、といったことは期待できなかった。

 

 このまま放っておけば、蟲毒(こどく)のように凶悪な力を持ったクリエイターが誕生してしまうのだろうが、悪魔もその事に気づいているのか、融合回数を重ねているクリエイターを優先して攻撃している。

 

 そんなことを繰り返した結果、学園前は殺戮(さつりく)に殺戮を重ねた、血なまぐさい殺し合いの坩堝(るつぼ)と化していた。

 

 キューブ状の不可思議な粒子が学園を覆い、まるでバリアのように干渉を防いでいるため、なんとか無事か……そう思いきや、シャネルが異常に気づく。

 

 

 ――クリエイターの反応が、()()()()()()()

 

 

 シャネルが感知したクリエイターの反応を辿(たど)れば、なんと、そこには学園直通の海底道路があった。

 ここから悪魔やクリエイター達に侵入されたのだろう、そう判断した天使達、美來達は大急ぎで海底道路の強行突破を開始したのだった。

 

「みぃちゃん! 私達の事は良いから、先に行って!」

 

「うむ、みぃの方が機動力があるからのう! さっさといって我がクラスメイト達を(たす)けてやってくれぃ!」

 

「……わかった。みんなも、無理はしないで」

 

 翼を持つ美來や天使達の機動力は非常に高い。

 杏里咲、シャネル、流河、そして彼女達を護衛するヴァフマーはあっという間に置いて行かれてしまった。

 

「安心して。この程度の奴らから貴女達を護るくらい、朝ご飯前」

 

 ふん、と可愛らしく鼻息を鳴らして、ヴァフマーが言う。

 

「ふむ、しかし拙者らも“ただ護られているだけ”、というのは避けたいところじゃが……そうじゃ! ルカっち! 確か、お主はみぃをぱぅわーあっぷさせたのじゃったのう?」

 

「え? う、うん。そうだけど……」

 

「なら、拙者もぱぅわーあっぷさせてくれ! そうすれば、拙者も役に立てるやも知れぬ!」

 

「わ、私も! お願い、ルカちゃん!」

 

 確かに、流河の異能によって、美來は劇的なパワーアップを遂げた。

 チェーンソーを振り回すことしかできない杏里咲や、クリエイターを感知することしかできないシャネルも、流河の異能を使えば、同様のパワーアップを果たす可能性は充分にある。

 

 だが、流河の異能によって潜在能力を解放するためには、いったん流河を自分の潜在意識に招き入れる必要がある。

 そうすることによって初めて、流河は本人の望み通りに異能を改ざんし、本来、訓練などで徐々に引き出されていくはずの力……潜在能力を全開放して、異能の力を100%発揮させることができるのだ。

 

 美來が異能を初めて使ったにもかかわらず、あのように自由自在に戦闘できたのは、流河の異能によって美來の潜在能力が解放され、実力を100%発揮できたことが原因だったのである。

 

 しかし、流河を潜在意識……つまり自分の心の中に招くということは、“やろう”と思えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ。

 

 それはある意味で裸を見せるよりも恥ずかしく、恐ろしいことだ。

 そして、ほんのわずかでもそうした恐れを抱くと、流河の異能は拒絶され、相手の潜在意識に入ることができない。

 

 美來があっさりと流河を受け入れられたのは、幼い頃から地道に築き上げてきた信頼関係があってこそのものだったのである。

 

 それを流河が伝えると、

 

「ぬわぁ~にを今更! 事故の後遺症で、たびたび記憶を失っている拙者を受け入れ、導いてくれているのはルカっち達ではないか! ……ルカっちを受け入れる準備など、当の昔にできておる」

 

 杏里咲は、流河がデザインしたタチアオイのアップリケの眼帯に触れながら、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、いつも通りの自然体で言ってのける。

 

「外国人で、しかもおどおどして友達がなかなかできなかった私を、ルカちゃんと杏里咲はあっという間に友達にしてくれたよね。ひょっとしたら、ルカちゃんは“たいしたことしてない”って思ってるかもしれないけど、私はすごく嬉しかったんだよ? ルカちゃんにだったら、心の中だって見られても全然平気」

 

 シャネルは、両手を胸に当てながら、すべてを包み込むような優しい眼で想いを告げる。

 

「……ありがとう。2人とも。……手を、出して」

 

 ヴァフマーが次々とクリエイター達を蹴散らす背後で、流河は涙が溢れそうになるのを堪えて、両手を差し出す。

 

「む? こうか?」

 

「こ、こう?」

 

 杏里咲の右手が流河の右手に、シャネルの左手が流河の左手に触れる。

 

 

 

 

 

 ――変化は、劇的だった

 

 

 

 

 

「ふははははっ! ()ね去ね去ねええええぃっ!! 学園に近づく(やから)は全員ぶっとばーす!!」

 

 言うや否や、杏里咲が腕を振るう、すると局所的に重力がねじ曲がり、倍加し、悪魔達を勢い良く海底トンネルの外へと()()()()()()

 

「ほりゃっ!」

 

 その重力場を(かろ)うじて回避した悪魔達も、続けて指揮棒のように振り回された杏里咲の腕の動きに合わせて地面に落とされ、そのまま何倍にも膨れ上がった自身の体重に押しつぶされた。

 

 発現した杏里咲の異能、それは腕力を強化するものではなかった。

 

 

 

 ――重力操作(グラビティゾーン)。それが杏里咲の本当の異能(ちから)である

 

 

 

 杏里咲は自身が触れたもの、および指定した空間(エリア)にかかる重力を自在に操作できるのだ。

 彼女が軽々とチェーンソーを振り回せたのは、“腕力を強化していたから”ではない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その威力は“凶悪”の一言。

 

 やろうと思えば、重量を10倍にでも100倍にでもできるため、人間以上に強力な身体能力を持つ悪魔であろうとも自分の体重がトン単位にされてしまえばひとたまりもない。

 

 自分自身に対しての重力操作はできないようだが、持ち物に対しては簡単に付与できるため、やろうと思えばチェーンソーに重力の刃を纏わせることもできるし、敵からの攻撃に対しても、周囲に高重力の障壁(バリア)を張ることで対応できる。

 その有様(ありさま)は、さながら高耐久、高威力の固定砲台のようだ。

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

≪み、みなさん! あの人達を追い払ってください!≫

 

 そうシャネルが一言声をかけると、周囲のクリエイター達の威圧が急激に増す。

 直後、クリエイター達は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――怪物暗示能力。それがシャネルの異能の正体

 

 

 

 クリエイター限定の感知能力、それはあくまでもシャネルの能力の一端(いったん)でしかなかった。

 

 本来の彼女の異能は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やろうと思えばテレパシーのように意思を交わし合うこともできるし、強制的に洗脳することも、支配することもできる。

 

 それだけならば、たいしたことはない。固体として強力なクリエイターがその場にいなければ、ただの弱者連合……たいした戦力にはならない。

 本当に恐ろしいのは、彼女が()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 彼女は、自分が支配したクリエイター達の本来の力量()()の力を引き出すことができる。

 精神的な要因によって発揮できていなかった潜在能力を解放するだけではない。まるで魔法をかけられたかのようにパワーもスピードも劇的に増大するのだ。

 

 疑問に思った流河が自身の異能を発動させると、見えないものを見通す流河の目には、シャネルの生命エネルギーが見えない糸のようなものを通ってクリエイター達に(そそ)がれている様子が見えた。

 おそらくこれが、クリエイター達を支配し、強化している“何か”なのだろう。

 

 シャネルが支配するクリエイターの数は底が見えない。

 現に、彼女の視界に居た全てのクリエイター達は彼女に支配され、悪魔達に襲いかかっている。

 

 しかも、様々な能力を有したクリエイター達が彼女を司令塔として1つの生き物のように動くため、その戦闘力は足し算ではなく掛け算……いや乗算のように爆発的に増加している。

 

 攻撃・防御・補助に索敵なんでもござれ。

 本人の優しい気質が災いして“殺害”ではなく“撃退”を命令している上、負傷したクリエイターが出たら率先して彼らを退避・回復させているため、殲滅力という点では杏里咲に劣っているものの、その物量と対応力は杏里咲や美來を大きく引き離す凄まじいものがある。

 

 先ほど学園前で見た光景を考えれば、悪魔を殺し喰らわせれば、クリエイター達はその融合能力を()って加速度的に強大になり、美來や杏里咲など相手にもならない力をシャネルは得られると思うのだが……それをすると、シャネル本人の心が傷ついて戦闘どころではなくなってしまう可能性が高い。

 少々残念にも思えるが――

 

「……私の出番がない」

 

「……そうだね」

 

 唖然としたヴァフマーが、流河の隣でつぶやく。

 

 そう、わざわざシャネルの心を傷つけてまで、そんなことをする必要はない。

 なぜなら、潜在能力を完全に解放された2人の戦闘力が凄まじすぎて、既に過剰戦力であったからだ。

 

 ヴァフマーも、彼女達が討ち漏らしたクリエイターが流河を襲った時のため、流河の(そば)に控えることくらいしかやることがないほどである。

 

(……あれ?)

 

 流河は、ふと自分の胸を押さえる。

 

(……なんだろう、この気持ち……)

 

 強大な異能を振るい、活躍する親友たち。

 その姿を見ていて湧き上がった気持ち、それは……

 

 

 

 

 

 ――彼女に似つかわしくない、どろりとした(くら)(ねば)ついたものだった

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 結論から言うと、学園の人的被害はほぼゼロだった。

 

 悪魔やクリエイター達からあれだけの猛攻を受けて、流河達がたどり着くまで、いったいどうやってしのいでいたのか?

 その答えは簡単で、学園にも流河達のように異能に目覚めた者達がいて、彼らがその力を()って悪魔達を退(しりぞ)けていたためだった。

 

 流河による潜在能力解放もなしに悪魔を退けるなんてできるのだろうか? と新たな疑問も湧いたものの、実際にその能力を見せてもらって流河達は愕然(がくぜん)とした。

 

 解放するまでは“触れたものが軽くなる”、“クリエイターの居場所を感知する”、といった程度の能力であった流河達に対して、彼らの能力は……

 

 ――血を大量に操って武器化し、敵を攻撃する

 ――瞬間移動レベルの人外の速度で移動する

 ――指定した空間を氷漬(こおりづ)けにする

 

 ……といった、充分に敵を圧倒できるだけの能力が発現していたのである。

 

 となれば、流河の能力を知る者が考えることは皆同じ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 しかし、事はそう簡単ではなかった

 

 

「アカリ先輩、怖がらないでください。大丈夫です。絶対に先輩の記憶を見たり、心の中を覗いたりしませんから、安心して私を受け入れてください」

 

「へ? あたし、流河ちゃんのこと受け入れてるわよ?」

 

「……先輩、無意識に私に心を見られることを拒絶してます。表面意識が怖がってなくても、潜在意識が怖がってるんです。私の事を家族だと思って、身も心も(ゆだ)ねてください」

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 『赤の他人を心の底から受け入れろ』、『心の中も記憶もまるごと覗かれても良いくらい』と言われて、『はい、そうですか』とできるのだったら、この世に争いなど有りはしない。

 

 学園を防衛していた能力者は合計……たったの4人。

 

 ――美來の兄である秀哉(しゅうや)

 ――彼のクラスメイトである樋口(ひぐち) 海斗(かいと)と、北河(きたがわ) アカリ

 ――そして学生会長である鳴海(なるみ)である

 

 例外として、もう1人……50代後半くらいの執事さんが凄まじい格闘技を駆使し、一騎当千・獅子奮迅の活躍で彼らを超える戦果を叩き出してくれたらしい。

 

 普通の高校に執事など居る訳がないが、天慶第二学園だけは別だ。

 MHIの最高経営責任者(CEO)の娘である椎名(しいな) 沙夜音(さやね)の付き人として、学園にまでついて来て彼女の世話をしているのである。

 

 彼女専用の私室が用意されているなど、学園の母体であるMHIの威光を存分に利用してやりたい放題な彼女も、流石に学園の危機には協力してくれたらしい。

 なぜか、悪魔達を追い払った後、いつの間にか沙夜音とともに煙のように姿を消したらしいが……そろそろ初老に差しかかろうかという年齢で、能力者以上の戦果を、素手でもって叩き出すというあまりに人間離れした執事さん……実に謎の多いお方である。

 

 それはさておき、アカリ達の潜在能力を解放しようと、流河が異能を駆使するも、結果は惨憺(さんたん)たるものだった。

 

 海斗はそもそもが女性……それも付き合いが薄い人物を非常に苦手としており、流河と手を繋ぐことすら恥ずかしがって拒否する有様。

 流河達をたびたび新体操部に勧誘するアカリでさえも、ご覧のように潜在意識では流河を拒否してしまっている。

 

 だが、この結果は容易に予想できていたことでもある。

 

 他人を自分の心に招き入れることは相当に難しく、幼い頃から孤児院で姉妹のように育ってきたからこそ、美來は流河を受け入れることができたのだ。

 あっさりと流河を受け入れるほどの恩を感じていた、杏里咲やシャネルの方が例外なのである。

 

 この様子では、今メヒーシャと話し合っている最中の学生会長もあまり効果は望めないだろう。

 唯一可能性があるとすれば、美來と同様に幼い頃から共に育ってきた秀哉くらいか。

 

「やっほー、流河ちゃん! 元気してるかな?」

 

「まどかお姉ちゃん!」

 

 流河は幼い頃から良くしてくれた、もう1人の姉のような存在の登場に、パッと顔を明るくして振り向く。

 その様子を見て、まどかの目がわずかに細められる。

 

(……ふむ。こりゃあ、結構精神的にキてるね。しかも、たぶん本人も自分の精神的な状態に気づいてないって感じかな?)

 

 流河は幼い頃からナチュラルに明るい性格をしている。細かいことを気にせず、おおらかに人を愛し、許し、包み込む、10代とは思えない包容力を持った少女なのだ。

 そんな少女がまどかを見た瞬間に、無意識に希望を見出したような表情をする……それは、まどかを精神的な()(どころ)とせざるを得ないほど、流河が追い詰められている証拠と言えた。

 

 まどかは、わざと流河の様子に気づいていないふりをして、流河の様子を探る。

 

「2人は何をしてたのかな? 姉妹の誓い的な何かとか? おねーさん、ひょっとしてスクープ見つけちゃった?」

 

「は、はいっ!? せ、先輩、いったい何を……!?」

 

「違いますよ。アカリ先輩の氷結(ひょうけつ)能力を強化できないか、(ため)していたんです」

 

「アカリちゃんの……?」

 

 まどかが“そんなことができるのか”と言わんばかりに目を大きく見開く。

 

「そうだ! 流河ちゃん、まどか先輩に異能が無いか確かめてくれない? 美來ちゃんの能力を目覚めさせたのって、流河ちゃんのおかげなんでしょ?」

 

「そうですね! まどかお姉ちゃんが戦力になってくれれば、百人力です!」

 

 アカリが“良いことを思いついた”と流河に提案し、流河もそれに頷く。

 

 幼い頃からの知り合いであるまどかであれば、流河を受け入れられる可能性は高い。おそらく、異能に目覚めさせることは可能だろう。

 

 誰彼かまわず強力な異能に目覚めさせるわけにはいかないが、流河が充分に信用できる人物であれば話は別だ。

 いくら天使達の力があろうとも、自衛力があるに越したことはない。

 

 特に、ヴァフマー経由で聞いたメヒーシャの話では、学園の人間全員を天使の領域にまで連れてくるつもりでいたようだし、何百人もいる生徒たちを護りきるには戦力はいくらあっても“ありすぎる”ということはないだろう。

 この際、まどかだけでなく、涙にも目覚めておいてもらった方が良いかもしれない。

 

 しかし、その話を聞いたまどかの様子は(かんば)しいものではなかった。

 

「う~ん、秀やん達の話では、能力に目覚めた人たちは変わった夢を見るらしいんだけど、おねーさんはそんな夢、見てないんだよね。だから、おねーさんに異能は無いと思うんだけど……」

 

「夢……?」

 

 心当たりのない流河が首をかしげると、アカリが説明をしてくれる。

 

 どうやら、アカリ達は異能に目覚める直前に、それぞれ不思議な夢を見ているらしい。

 

 ――アカリは、氷のベッドで眠る夢

 ――海斗は、大平原を裸足で駆ける夢

 ――そして秀哉は、血の海を(ただよ)う夢

 

 その結果、アカリは氷結能力、海斗は超加速能力、秀哉は操血(そうけつ)能力に目覚めたという。

 

 そこまで聞いて、流河は“なるほど”と頷く。

 

 潜在意識の領域から異能を知覚し、美來の異能の発現にも関わった流河からすれば、異能の発現前に“異能にかかわる夢”を見るのは、きわめて自然なことと言えた。

 

 夢は心が見るものであり、その心の90%は潜在意識が占めている。

 そして、それぞれが発現する異能は、その“心”に強く影響を受けるのである。

 ならば、夢を見た潜在意識の干渉によって、異能の方向性が決まっても全くおかしくはない。

 

 美來の時は意図的に流河が彼女の異能を改変したが、あれは美來が心から強く望んだからこそ、あのように改変できたのだ。

 聞けば、海斗は走るのが好きだし、アカリも寒いのが好きらしい。

 おそらく“好きなもの”の夢を見たことで、それに関する異能を獲得したのだろうと、流河は推測する。

 

 とはいえ、流河はそのような夢など見ていないが、しっかりと異能に覚醒している。

 “まどかに異能は無い”と判断するのは早計と言えた。

 

 物は試し、とばかりにまどかの両手をとる流河。

 

 

 

 

 

 ――絶叫がその場に響いた

 

 

 

 

 

「流河ちゃん!? 流河ちゃん、どうしたの!!?」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 はたき落とすようにまどかの両手を振り払い、両目を大きく見開いて涙を流しながら、荒い息で怯え、まどかを“信じられない”と言わんばかりの面持(おもも)ちで見つめる流河の様子は、尋常(じんじょう)ではない。

 アカリや海斗はそのあまりの取り乱しように、必死になって流河に声をかけるも、流河にその声は届かない。

 

 なぜなら、彼女はその“見えざるものを見る”異能を持って()()のだ。

 

 

 結論から言おう。まどかに異能は無い。

 そして、その代わりと言わんばかりにあったのは、

 

 

 ――まどかの元気で優しい心を表したかのような、力強く輝く白い力と、

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その闇は、まさに悪意の塊。

 “呪い”とか“怨霊(おんりょう)”というものが存在するのならば、まさにこれこそがそうだろう。

 

 対象を問わず振りまく悪意と欲望の奔流(ほんりゅう)は、10代の少女にとっては猛毒のようなものであった。

 先の悪魔の男から受けた殺意のトラウマまでもが(よみがえ)り、流河は一時的な恐慌状態に(おちい)っていた。

 

 

 

 ――その時だった

 

 

 

 ふわり、と流河は何者かに抱きしめられる。

 

「大丈夫、大丈夫よ」

 

 それは、この世でたった1人の血の繋がった家族。

 

「流河はお姉ちゃんが護るわ。何があっても護ってあげる」

 

 燃え上がる飛行機の中から、命を懸けて流河を救ってくれた、心の底から信じられる存在。

 

「だから、安心して」

 

 荒々しく刻まれていた流河の鼓動が、徐々に落ち着いてゆく。

 やがて、身体の震えと、乱れていた呼吸が治まると、流河は涙を()いてゆっくりと顔を上げた。

 

 涙は、妹の落ち着いた様子を見て、ほっと安堵(あんど)の溜息をついたのだった。

 

 

***

 

 

 落ち着いた流河はまどかに平謝りすると、包み隠さず事情を説明した。

 言葉を(にご)そうとする流河に対し、まどかが『どうしても知りたい』と強く希望したからである。

 

 流河は語る。

 

 ――まどかに異能は無いこと

 ――その代わり、変わった生命力を持っていること

 ――それに惹き寄せられる“良くないもの”もまた、まどかの中に存在すること

 

 しかし、それを(おそ)れる必要はなかった。

 なぜなら、その“良くないもの”を封じている力が、まどかの中に存在していたからである。

 

 『とてもまどかによく似た印象を受ける力だ』ということを流河が説明すると、まどかは自分の頭に乗るキャスケット帽に軽く触れながら、悲しい顔で小さく『おばあちゃん……』と(つぶや)くも、パッといつもの元気な様子に戻り、『怖がらせてごめんね』と謝ると、早々に悪魔達に荒らされた学園で必要な作業をする者達の手伝いに戻っていった。

 涙が居る以上、まどかがフォローする必要もないのだから、怖がる原因となった自分はしばらく離れていた方が良い、と流河に対して気を使ってくれたのだろう。

 

 一度“ある”と認識できたためだろうか、まどかの手を離しても、彼女から“良くないもの”を感じ取ってしまっていたため、その心遣いは流河にとってとてもありがたかった。

 まどかが流河やアカリに近づくと、どういう訳か“良くないもの”が活性化している様子も感じられたため、まどかにとっても流河と距離を置くことは良いことであったのかもしれない。

 

 余談だが、涙には異能どころか、まどかのような特殊な生命力すら存在しなかった。流河とは血の繋がった姉妹であるにもかかわらず、である。

 どうやらこの異能は必ずしも遺伝するものではないらしい。

 

(……でも、秀哉さんと美來はどっちも異能に目覚めてるんだよね……目覚める人とそうでない人の違いって何だろう? 私とお姉ちゃんの違い……)

 

 ……正直、思いつかない。

 

 同じ両親から生まれてきた以上、遺伝的なものはほぼ完全に同じはず。

 性格は相当違うし、勉強や運動といった能力もかなり涙とは異なるが、それを言えば、異能に目覚めている杏里咲達なんて見事に性格も能力もバランバランである。とても共通点があるとは思えない。

 

「ねえ、お姉ちゃん。“もし心当たりがあったら”、でいいんだけど……」

 

「? 何?」

 

「今から言う人で共通してることって何かあるかな?」

 

 そう言って、流河は自分の知る異能者全員の名前を上げる。

 涙は(わず)かに考え込んだ後、流河に問い返した。

 

「……シャネオルカさんは、MHIの最先端医療を受けたことはある?」

 

「え? え~っと……あ、確か前に虚弱体質の治療の話をしてたから、あると思う」

 

「なら決まりね。今、流河が()げた人は()()M()H()I()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

 流河は驚きに目を見開く。

 涙は話を続けた。

 

「秀哉と美來は学習園(孤児院)に来る前に受けているのは知っているわね? 杏里咲さんは右眼を失った事故の件。あなたは知らなくて当然だけど、鳴海先輩や樋口君も受けているし、北河さんは貴女と同じように飛行機事故に()った際に手術を受けているわ」

 

「そして、私もまどかもMHIの最先端医療は受けていない……どうも、きな臭いわね」

 

 涙は眉をひそめる。

 当然だ。大切な妹の身体に得体のしれない技術が使われているかもしれない、ということが分かったのだから。

 

「涙さん」

 

「……鳴海先輩」

 

 ちょうどそこへ学生会長がやってきて涙に声をかける。

 どうやらメヒーシャとの協議が終わったらしく、その内容を副会長である涙に伝えに来たらしい。

 

 その場に涙が居なかったのは、鳴海の代わりに生徒たちの不安を取り除き、生徒を纏める役割を(にな)っていたからである。

 流河を見つけたのは、その見回りの最中に流河の悲鳴を聞いたためだったのだ。

 どうやら、すぐにでも天使の領域へ生徒全員を連れて移動するらしい。

 

 涙は再び眉をひそめる。

 先程の悪魔の侵攻を考えれば、どう考えても生徒たちに死傷者を出さずに移動を完了させることは困難だったからである。

 

 だが、悪魔の領域に近いこの場所では、先のように悪魔達に襲われる可能性がある。今回は何とか死傷者を出さずに済んだものの、次もそうである保証などどこにもない。

 その事を考えれば、早々に移動したほうが良いのは確かであった。

 

「流河!」

「ルカちゃん!」

「大丈夫か、ルカっち!?」

 

「みんな!?」

 

 一方、流河の元には美來達が慌てた様子で駆け寄ってきていた。

 

 先程までは秀哉の安全を確かめるために秀哉の元に居たはずだが、まどかから流河がショックを受けた話を聞いて慌てて戻って来てくれたらしい。

 変わらず思いやりのある友人達に、流河の胸が温かくなる。

 

 

 ――その時、

 

 

(あ、れ……?)

 

 

 ――ふと、流河は違和感を覚えた

 

 

「? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

 

「ほう、シャネルはルカっちすらも魅了するほど可愛くなったようじゃな! 罪な女よのう」

 

「きゃー、シャネルのえっちー」

 

「な、なんでそこで私がえっちになるの!? ……え、る、ルカちゃん?」

 

 流河は杏里咲達のボケにつきあう余裕もなく、パッとシャネルの手を取り、異能を発動させる。

 

(なんで……?)

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 流河によって潜在能力が解放されようとも、それは“解放された人の成長限界”を意味するものではない。

 それはあくまで“現時点で発揮できる全力”を強制的に発揮できるようにしているだけであるため、その後の経験や修練によって顕在能力も潜在能力も増大させることができるのだ。

 よって、シャネルの異能が成長していたところで、それは決しておかしなことではない。

 

 だが、流河の異能は告げる。

 

 

 ――“この短時間における上り幅としては、明らかに異常だ”と

 

 

 シャネルの異能はつい先ほど解放したばかりだ。確かに多数の悪魔との戦闘は経験したものの、それだけでは大した成長は見込めない。

 1時間程度ピアノの練習をしたところで、すぐに満足に1曲弾けるようにはならないようなものだ。

 

 だが、今のシャネルは先程まで1曲しか弾けなかったにもかかわらず、ギリギリ2曲分を弾けるようになっているような、おかしな成長の仕方をしている。

 

(私が、シャネルの異能を成長させるように干渉したから……? でも、あの時はほとんど効果はなかったはずだし……)

 

 シャネル達の潜在能力を解放してしまえば、流河は完全な戦力外である。なにしろ、流河の潜在能力は、既に自身の異能によって全開放された状態だ。

 つまり、彼女の戦闘力は、身体能力を最大まで発揮してゴルフクラブを振り回していたあの時のままなのである。

 

 超重力や超常の鎖、怪物達を使役する能力に比べれば、ただ身体能力を十全に使いこなす能力など、あってなきが(ごと)し。

 場合によっては、彼女達の足を引っ張る可能性すらあった。

 

 そこで、流河は自分の異能で彼女達に対して更に何かできないか考えた。

 

 流河の異能は“潜在能力の解放”ではなく、“潜在事象の操作”。

 流河の主観において“隠れているもの”や“潜在的であるもの”を感知し、操作する異能である。

 

 この“主観”というのがくせ者で、()()()()()()()()()()()()、流河の認識によって、感知・操作の“できる・できない”が決まってしまう。

 

 例えば、美來が操る鎖を流河は操ることができない。だが、美來本人が心から流河を受け入れれば、美來の異能そのものの改ざんはできてしまう。

 これは、美來の異能が起こす“現象”に対しては“どこにも隠れていないもの”、“美來の異能そのもの”に対しては“美來の中に隠れている、目に見えないもの”と流河が認識していることが原因だ。

 

 このことが理由で、潜在能力を全開放して()()()()()()()()()シャネル達の異能を解析し、その詳細を本人に説明する、という矛盾したことを流河はやってのけている。

 先ほど“ギリギリ2曲弾ける程度、シャネルの異能が成長している”と流河が感知できたのも、これが理由だ。

 流河にとっては、“その力がどれほど顕在化されているか”を問わず、“異能”と分類されてしまうだけで、それは“能力者の体内に()()()()()()()”と認識しているのである。

 

 この特性を理解した時、流河はふと気づいた。

 

 

 ――ならば、自分の認識を異能で(いじ)ることができれば、自分も役に立てるのではないか?

 

 

 例えば、“空気”は目に見えないものの、流河の主観においては“隠れて()()()もの”に分類されている。よって、流河は空気や風を操作して戦うことはできない。

 もし仮に流河が“空気とは隠れて()()ものである。だって目に見えないのだから”と心から認識できれば、流河は“風使い”として美來達とともに戦闘に参加することができるだろう。

 

 そう考えた流河は、すぐさま自身の認識を弄ろうと自らの精神に干渉し……そして、失敗した。

 

 流河の異能は、“潜在的なものに干渉する”という性質ゆえか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “自分の精神を弄る”というのは流河の表面意識が思う以上に恐ろしいことらしく、流河の潜在意識が断固として異能の使用を拒否したのだ。これには流河も頭を抱えた。

 

 “ならば”と、次に流河が試したのは、“自身の異能の強化・改ざん”であったが、こちらは何とか成功した。

 美來の時のように“未だ形になっていないものに方向性を与える”というものではなく、“既に存在しているものを無理やり書き換える”という無茶なことをしているためか、長時間かけて本当に微々たるものであったが、確実に流河自身の異能を強化することができたのである。

 

 杏里咲やシャネルをパワーアップさせる際、潜在能力を解放するだけで、異能の改ざんまでは行えなかったのは、流河が改ざんしようと干渉してもあまりに手応えがなかったからだ。

 だが、時間をかけさえすれば何とかなるのであれば、話は別。

 

 そこで、試しに杏里咲にも10分くらい手を繋いでもらって、同様の処置を行ったところ、『う~む、ほんのちょっぴり重力の操作が滑らかになった? かも? ……う~ん、よくわからん!』程度の効果はあった。

 本人には分からないが、流河の異能でなら何とか検知できる程度には成長していたのである。

 『別の人だったら、個人差でもっと大きく影響したりするかなぁ?』と、シャネルにもダメもとで30秒だけ干渉させてもらったが、結果は大差なく、ほぼ成長なしだった……そのはずである。

 

 そう、流河が頭を悩ませていた時だった。

 

「流河ちゃん! 大丈夫か!? まどか先輩から『ショックを受けた』って聞いたけど……!」

 

 

 

 ――流河の異能による成長を嘲笑(あざわら)うかのように、グンッとシャネルの異能の力が目に見えて増加した

 

 

 

「秀哉さん!」

 

 シャネルが嬉しそうに振り返る。

 その瞳は見る者が見ればわかる、恋する乙女のもの。

 

 流河は愕然とした表情で、今しがたやって来て心配そうにこちらを見つめる秀哉へと目を移しながら、今、目の前で起こった事象を信じられない思いで、己の中で反芻(はんすう)していた。

 

(な、んで……!? 秀哉さんの異能って、血を操って武器化するだけのはずじゃ……!)

 

 

 ――違う

 ――全然違う

 

 

 流河の異能は、ハッキリと断言する。

 “理解したくない”という流河の想い(表面意識)を無視して現実を突きつける――()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 流河は、それを信じたくなくて、否定したくて、その様子のおかしさに心配する皆を無視して秀哉の手を取り……己が異能が暴き出した、秀哉の異能のあまりの凄まじさに言葉を失う。

 

(なに……これ……)

 

 

 ――それは、1つの世界であり、生命であった

 

 

 秀哉の中に流れる血液、それはあらゆる生命の素となる“命の水”。それは秀哉の意のままに姿を変え、質量を変え、性質を変える。

 それは“武器化して操作する”だけではなく、相手に秀哉の血液を打ち込むことでその存在を秀哉が()()してしまえば、その物質や生物すら複製し、使役できるという規格外の異能。

 

 だからこそ、シャネルのような怪物操作の異能もなく、あれほどの数の悪魔にも対応できたのだ。

 秀哉が居れば、敵を攻撃するたびに、武器防具や能力まで含めて敵をコピーできるのだから、敵の軍勢を丸々複製しているようなものである。

 

 さらに言えば、どれだけコピーした血液生物を破壊されようとも、秀哉の意思ひとつで復活できる上、不要になれば秀哉の血液として秀哉の中にしまうことができる。

 シャネルのように劇的な強化こそできないものの、シャネルと違って怪物の維持も損耗も考える必要がない。血液を鎖状にして戦えば、美來のような戦い方もできるだろう。

 美來達の異能も凄まじかったが、秀哉は次元が違う。まさに天賦(てんぷ)の才と言えた。

 

 それだけで済めばよかった。

 それだけならば、流河も“凄い能力だなぁ”と思うだけで済んだ。

 

 だが、彼の異能はそれだけには(とど)まらなかった。

 

 

 ――流河の異能はハッキリと感知していた。シャネルの心が秀哉に対して好意を抱いた瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 秀哉自身も気づいていないようだが、彼の異能は、“親しくなればなるほど”、“絆を育めば育むほど”、絆を結んだ相手の能力を強化する性質を持っている。

 流河のように、長時間相手に触れる必要も、異能を発動させるために集中する必要も、潜在意識に潜り込めるほど受け入れてもらう必要もない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 更には、流河の異能による強化と比べ、その上昇幅は()()()()()()()()()()()()

 

 これらの事実が意味するところ、それは――

 

 

(……私の……完全な上位互換……)

 

 

 無論、厳密に言えば違う。

 

 確かに、流河の異能は“敵に対する直接的な攻撃力”に乏しいし、“味方の強化”という点でも秀哉に遥かに劣る。

 だが、潜在的なもの・隠蔽(いんぺい)されたものに対する感知・認識能力は秀哉に無いものである上、対象が流河を受け入れられる人物限定ではあるものの、それらの改変すらできる。

 

 特に、本人の訓練なしに潜在能力を即座に全開放し、現時点での最高のパフォーマンスを味方に発揮させられるのは非常に大きい。

 現に、彼女が居なければあの悪魔と出会った時点で美來は能力に覚醒できず、ヴァフマーを救うことはできなかったかもしれない。

 

 だが、度重(たびかさ)なるショックを短期間で受け続けてきて、心が動揺しきった流河には、そうは思えない。

 敵にも味方にも大きな影響力のある秀哉の異能を知ることによって、“自分の異能(ちから)は完全に不要なのだ”と思い込んでしまった。

 

「……秀哉、さん」

 

 流河は気づいていない。

 自分がどれほど心細そうな声を出しているのかを。

 

「……抱き締めてもらっても、良いですか……?」

 

 秀哉の異能は、絆を育んだ相手を成長させる異能だ。

 ならば、秀哉とより仲良くなることができれば、自分の異能も成長するはず……その、かすかな希望は――

 

 

 ――例え抱き締めてもらっても、秀哉の異能の発動条件を満たすことができ(に好意を抱け)ない流河の心と、

 ――そして自らの異能によって、秀哉の異能による干渉を……いや、“秀哉の異能そのもの”を拒絶した流河の潜在意識によって裏切られた

 

 

 

 ――自分の異能を……存在意義を否定する異能を認めることも、その異能を持っている相手に対して“仲良くなりたい”と思うことも、できる訳なんてないのだから

 

 

 

 とまどう秀哉の腕の中で、流河は(おび)え、震える。

 

 いつの間にか“自分の価値”が“自分の異能”にすり替わっていることに、彼女は最後まで気づけなかった。

 

 

 

 


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