水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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最終章 水精リウラと睡魔のリリィ 中編

 ――2年前

 

「……任務終了?」

 

「ええ。シルフィーヌ様は英雄として確固とした立場を築きましたし、他の王族を(かつ)ぎ出して傀儡にするような不穏な(やから)は、先の戦争に乗じて私が粛清しておきました。もう、ヴィアラガルデ様が王族であると知られても、王位争いに関わるようなことにはならないでしょう。よって、この任務は終了です。……お疲れさまでした。以上を持ちまして、あなた達をユークリッド特務部隊より除隊いたします」

 

 ユークリッド王国……その一部の王族しか知らないはずの緊急用脱出通路の一区画で、ブランは自分の主であるメイド服姿の少女――アーシャの前でひざまずいて、これまで行ってきた任務の終了を告げられていた。

 

 

 その任務の内容は――ユークリッド()()()()ヴィアラガルデの秘匿と保護。

 

 

 ユークリッド王は、既に正妃との間にサラディーネという世継ぎが居るにもかかわらず、貴族の娘に手を出してセリハウアという第二王女を作り、正妃にこっぴどく叱られて不和に陥った前科がある。

 ……にもかかわらず、今度はよりにもよって猫獣人のメイド……それも平民の少女に手を出してしまった。

 

 貴族との間にできた娘でアレなら、平民との間ではどうなるのか考えたくもない。

 跡継ぎ争いが更に熾烈になるのも避けたい。

 

 悩んだ王は、当時の第1特務部隊隊長であったブライトに、こう命令を下した。

 

 

 ――『ヴィアラガルデに()()()()()幸福な人生を全うさせよ』

 

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかも、よほど妻に露見することが恐ろしかったのか、絶対に人目に触れないよう、よりにもよって『地下迷宮で育てよ』という、とんでもない命令を下したのだった。

 

 たしかに、人間が滅多によらない迷宮ならば、王妃や貴族が独自に雇った間者が非常に入りにくく露見しにくい。

 また、獣人族ならば、迷宮で生活していても不自然ではない。魔術で少女の腹の中を確認した結果、尻尾のようなものが確認できていたため、猫獣人であるメイドの少女や、その子供が住んでいても、違和感は持たれにくいだろう。

 だが、魔物が溢れている迷宮で暮らさせるなど、『死ね』と言っているのと同じだ。

 

 そこで、王は、更なる愚行を犯した。

 

 なんと、王しか存在を知らない直属の特務部隊を丸々1部隊、彼女を護衛するために割いたのである。

 要は、自身の子をただの平民として一生を終えさせるためだけに、特務部隊を1部隊使い捨てたのだ。サラディーネが事実を知れば、怒髪天を突くに違いない所業である。

 こんな王だから、ゼイドラムに良いようにされて、ユークリッド王国は属国扱いされるようになったのかもしれない。

 

 ブライトは、既に腹が膨れ始めていたメイドを引き取り、それまで迷宮を支配していた暴力組織……いわゆるマフィアを駆逐し、自らが成り替わることで治安を維持。王女の安全を保つために尽力した。それが、のちのアルカーファミリーである。

 そして、第四王女はその名を“ヴィア”と改め、ブライトとメイド少女を父母とし、マフィアのボスの娘としてすくすくと育ったのだ。

 

 “強大なマフィアのボスの娘”という肩書を与えられた彼女は、ブライトの狙い通り、迷宮に住む者達にとって下手に手を出せない存在になった。

 

 それは、ヴィアの友人を少なくしてしまうデメリットもあったものの、彼女に自由を与えた。

 ある程度の自衛力が身につけば、1人で行動することも許されたし、リシアンという恋人ができたことも許した。

 その複雑な生い立ちを考えれば、信じられないほど、彼女は自由に生きることができていたのだ。それは全て、ブライト達のおかげだった。

 

 ところが、流石に“迷宮に魔王が出現して地上に侵攻する”、なんて事態までは想定できず、第四王女の保護に割かれた人員の少なさから、ブライトはヴィアの母を護りきれずに死なせてしまう失態を犯してしまう。

 “何らかの理由でヴィアに眼をつけられては困る”と、可能な限り魔王軍の影響を排除しようとしたことが原因で、逆に衝突してしまったのだ。今思えば、ある程度は受け入れておくべきだったと、彼は今も悔やんでいる。

 

 彼がユークリッドに援助を求めようとしたその時には、既に魔王との(いくさ)で王は亡くなり、この任務については、目の前のアーシャが引き継いでいた。

 

 

 ――そして、彼女はこの件について一切の情けを持たず、淡々と『現状維持』の命を下した

 

 

 そもそも、今は亡き王はともかく、ユークリッドという国にとって、ヴィアラガルデの価値はそこまで高くない。

 

 ユークリッドに残った直系の王族であるシルフィーヌが、仮に魔王との戦で亡くなったとしても、人間族の国であるユークリッドの頂点に、平民の血を引く猫獣人を据えれば、貴族たちの激しい抵抗があるだろう。場合によっては、平民すら反発するかもしれない。

 サラディーネやシルフィーヌのように優れた魔力を持っていれば話は別だろうが、母方の血が強く出たためか、彼女にはそれすら無い。

 

 彼女を王にするくらいなら、王家の血を引く貴族から新たに王を選出した方がまだマシなのだ。

 もしヴィアラガルデを王にしようとする者がいるならば、十中八九その者の目的は、彼女を傀儡として権力を握らんとする不埒者である。

 

 だから、アーシャはヴィアラガルデを見捨てた。

 

 ――へたにブラン達に援助を行うと、第四王女の存在が露見する可能性が高くなるため、ユークリッド側からは何もしない

 ――第四王女の存在を露見させないことが最優先のため、彼女を地上へ逃がすことも許さない

 ――仮にその事が原因で第四王女が亡くなろうとも、その責は問わない

 

 ……『現状維持』とは、そういうことである。

 

 だが、だからこそ、ブランは失態を犯しながらも、こうして引き続きヴィアを護る役目……父親で居ることができた。

 “死んでも構わない”と思われているからこそ、彼女が危険な物事に首を突っ込もうとも、彼女の意思を尊重して自由に生きさせることができた。

 

 複雑ではあるが、ありがたいことに違いはなかった。

 

「……承知しました。……その、ヴィア、いえヴィアラガルデ様についてですが……」

 

 そして、父である彼は懸念する。

 

 

 ――この情け容赦ない御仁が、建国中のシュナイルの要職につくであろう、ヴィアに何かするのではないか、と

 

 

 まず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 確かにシルフィーヌが英雄となった以上、次のユークリッドの王はシルフィーヌになるだろう。今さらマフィアの娘の猫獣人がポッと出てきたところで、王位を争えるわけがない。

 

 だが、そもそもヴィアラガルデを秘匿した目的は、“跡継ぎ争いを避ける”よりも“スキャンダル隠し”という意味の方が大きいのだ。

 “ユークリッド王が猫獣人の平民に手を出した”という事実が明るみに出ることは、ユークリッドという国にとって、明確なデメリットであるはず。

 

 ならば、可能な限り……それこそ、ブライト達が死ぬまで任務を引き延ばす方が自然だ。

 

 にもかかわらず、彼女は任務終了を告げた。

 『ヴィアラガルデの存在を秘匿せず、保護しなくともよい』と言ったのだ。

 

 しかも、『彼女を利用するであろう存在は全て粛清した』と彼女は発言している。

 それは、逆に言えば『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――つまり、彼女はこう言っているのだ……『これからヴィアラガルデに干渉するから、邪魔をするな』、と。

 

 

 きちんと裏の意図が伝わっていることが分かったのだろう。アーシャは冷ややかな目でブライトに告げる。

 

「あら、情でも湧きましたか? ブライト、言わなくても分かってるとは思いますけど――」

 

「――はい、そこまでです。わたくしの前で無体(むたい)真似(まね)は許しませんよ?」

 

「……ハイドラ様」

 

 ブランの背後で浮遊する霊体の女性が笑顔で、しかし有無を言わせぬ迫力を持ってアーシャに言い放った。

 

「ブラン様、安心してください。ヴィア様とそのご家族はこのわたくしが護って差し上げます。……()()()()()()()()()()()()()()()()()、とっても素直で可愛らしい方ですね。思わず応援したくなってしまいます」

 

 クスクスと扇で口元を隠しながら上品に女性は笑う。

 

 ハイドラ・ディオクシド公爵令嬢――かつて暴政を敷く王に苦しむ民衆のために蜂起し、少数精鋭の部下たちと共に王城へ突貫。

 並み居る兵士達を強力な魔術で押しのけ、まさかのクーデターを成し遂げて民衆を悪政から解放した女傑(じょけつ)である。

 

 ハイドラもその部下達も最終的には力尽きて命を落としたものの、不可能を可能としたその偉業からついた異名が“玉座斬り”。

 前世、20世紀フランス人であった記憶を持つが故に、貴族として生まれながらも、虐げられる民衆の心を理解できる……そんな彼女が理不尽な目に()おうとしている少女を見過ごせるはずがなかった。

 

 リューナがヴォルクを感知できなかった理由、それは彼女がヴォルクに()りつき、彼を隠蔽(いんぺい)する魔術を使っていたからだった。

 彼女がヴォルクに憑りついていたのは、彼が、コレットと名乗る人間族の女性とともにリリィを探すことになったためだ。彼に憑依してリリィと物理的に接触すれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ハイドラ……水精(みずせい)としての名をロジェン。

 水精の隠れ里の(おさ)であり、共に不死者となってしまった部下を成仏させるため、数百年を魔術の研究に費やした亡霊だ。

 

 紆余曲折あり、迷宮の奥深くで研究を進めていた彼女は、ある時から研究に行きづまり、そこに理想の嫁を求めて迷宮を探索するオーク――リュフトが現れた。

 

 自分を信じてついて来てくれた部下達をなんとかして救おうと必死になっていた彼女は、リュフトから見て、明らかに追いつめられていた。

 女性の笑顔が大好きなリュフトはそれを見ていられず、不死者特有のおどろおどろしい雰囲気をものともせずに堂々と彼女をデートに誘ったのだった。

 

 

 ――『美しいお嬢さん。深く掘り下げることはとても大切ですが、広い視野を持つこともとても大切です。一度、外の世界を見て回られてはどうでしょうか? この迷宮の中で良ければ、俺がご案内いたしましょう』

 

 

 ちなみにこれは、『良い女は丁寧に隠されているだろうから、深く探索するのも大事だけど、だからといってそればっかりにこだわっていると、他の場所の良い女を見逃すよね?』というリュフトの嫁探しの経験則から出たものである。彼に研究関係の経験は無い。

 

 しかし、(わら)にも(すが)る思いであったハイドラは、『なにかきっかけを得られるのなら』とリュフトの言葉に頷き、

 

 

 

 ――そして、とてもとても美しい湖を見つけた

 

 

 

 そこは“聖なる地底湖”と呼ばれる場所。

 

 『不死者ですら浄化する』と言われる清らかな湖は、事実、極めて水質浄化能力の高いパワースポットであり、不死者の浄化に関して研究しているハイドラの研究の何らかの助けになるであろうというリュフトの配慮によって案内されたものであった。

 

 そこで彼女は水の精霊には高い浄化能力があることを知り、これまでの研究成果と合わせて、見事“水精に生まれ変わることによる怨念の浄化”という一つの結果を生み出した。

 

 元人間族である彼女の魂は、水の精霊と結びつくことの出来る想念を生み出すことができる。

 彼女は、“水精として生まれ変わった者達の幸福”という、自分の中にある最も強い想いを込めて水精の素を生み出し、その水精の素と、死して迷宮をさまよっていた魂を融合させて、水精として生まれ変わらせたのだ。

 生前の記憶を封じることで、新たな怨念を生み出さないようにしながら、かつての無念を自身の水精としての力で自浄し、元の健全な魂を取り戻させることに成功した。

 

 部下達の成仏に目途(めど)が立ったハイドラは(いた)くリュフトに感謝し、礼として、嫁を探す彼に、たびたび良さそうな女性を紹介するようになった。

 

 その後、魔王が現れてからは、戦争によって死者が生み出されるたびに同様の方法を用いて水精へと生まれ変わらせ、戦争から隔離された場所を用意し、怨念が浄化されて成仏するまで、死者たちを水精として静かに暮らさせることに尽力(じんりょく)した。

 

 

 ――これが“水精の隠れ里”の正体である

 

 

 ハイドラの発言を聞き、眉をひそめたアーシャは苦言(くげん)(てい)する。

 

「……っ! ハイドラ様、お話が違います。あなた達は、我が特務部隊に協力して――」

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それ以外に仕事は請け負っていないし、あなたの部下になったわけでもありません。……それに、あなた、わたくしの“玉座斬り”の逸話(いつわ)を知らないわけではないでしょう?」

 

 ゴッ! と凄まじい殺気が放たれる。

 不死者特有のそのおぞましい威圧に、アーシャの背筋を冷や汗が流れる。

 

 アルカーファミリーが迷宮に根付(ねづ)いて間もないころ、ブライトは水精ロジェンとして生まれ変わったばかりの彼女と接触する機会があった。

 先史文明期の言葉で“白”を意味する“ブラン”という言葉を彼女から教わり、それを自分の新たな名としたのもこの時である。

 

 彼女やその部下達が元は霊体型の不死者であり、今も水精としての姿を脱ぎ捨てて元の霊体に戻ることができると聞いた彼は、彼女達に協力を(あお)いだ。

 

 霊体である彼女達ならば、姿を隠し、空間を跳躍し、壁を突き抜けてヴィアラガルデを見守ることができる。

 また、その特性を活かして情報収集を行い、ヴィアラガルデに迫るであろう脅威を事前に排除することもできる。

 

 特務部隊であるブライト達も相応の実力はあるものの、迷宮内で秘密裏に活動しているため、おおっぴらに王家からの支援を受けられない。

 政治的に力ある者が本格的にヴィアラガルデを探し出したとき、『確実に彼女を護りきれる』とは言いがたかった。

 

 事実、おとりを使ってブラン達をおびき寄せた上で、ユークリッド貴族が糸を引く何者かによってヴィアがさらわれたことがあった。

 

 独自にさらわれたヴィアを探していたリューナとともに、彼女を救ってくれたのは霊体化したロジェン達だ。

 幼いヴィアを救った“声”の正体は、彼女達がヴィアのみに聞こえるよう魔力を絞った広域心話だったのである。

 

 ハイドラ自身が高い位の貴族であり、そういった王族の事情についても良く理解していたため、ヴィアラガルデを不憫(ふびん)に思った彼女は、快く彼の依頼を引き受けたのである。

 

 以来、彼女達は時に霊体として迷宮に潜み、時にアルカーファミリーの誰かに憑依して、ひそかにヴィアを見守っていた。

 

 水精の隠れ里から定期的に“情報を仕入れるため”という名目で幹部……かつてのハイドラの部下の何名かがいなくなるのは、裏で彼女達がヴィアを護るために動いていたからだった。

 リリィ達が何とか切り抜けてしまったため現れることはなかったが、いざヴィアの身に命の危機が迫れば、彼女達は姿を現してヴィアを保護していただろう。

 

 ブラン達にとって、ヴィアが自分から魔王をめぐる戦いに首を突っ込んだのは完全に予想外であり、気づいた時にはブラン達の戦闘力では手に負えないレベルにまで事態が急展開していた。

 準魔神級の魔力を持つハイドラの協力が得られていなければ、彼らは途方に暮れていただろう。彼女の協力を取りつけられたのは、ブランの人生で最大のファインプレイだったのだ。

 

 

 ――『あ~……アルカーファミリー自体が、隠れ里が情報を得るための組織だったってことですのね……』

 

 

 ヴィアやリューナ達はそのように信じていたが、そんなことはない。()()()()()

 

 繰り返すが、霊体である彼女達は、姿を隠しつつ、距離や地形などに縛られずに、大抵の場所に(もぐ)り込むことができる。

 ヴォルク達アルカーファミリーよりも()()()()()()()()()()()()()()。自分達より能力が劣る諜報機関など必要であるはずがない。

 

 そもそも、本当にアルカーファミリーが、隠れ里のための情報収集組織であるならば、“水の貴婦人亭”なんてあからさまな名前も、“ドレスを着た水精の絵柄”なんて分かりやすい看板も使う訳がない。

 それらは、“アルカーファミリーと隠れ里が深い関係にある”とバレた時、ヴィアを護るため、彼らから目を逸らさせるためのミスリード。

 

 まさか、引きこもりである隠れ里の方が情報収集に長け、情報屋を営むヴォルクを擁するアルカーファミリーの方が彼女達から情報を買っていようとは、誰も思うまい。

 

「……魔王が暴れていても何もできなかったくせに……っ!」

 

 悔しまぎれにアーシャがそう言うと、ハイドラは能面のように無表情になった。

 

「……そうですね。わたくしたちも勇者達とは別行動で魔王の暗殺に動いておりましたが、力およばなかったことは認めましょう。所詮、わたくしたちにできたことは、理不尽に魔王に殺された者達の魂を、水精の力を()って鎮めることだけだった、ということも」

 

 そして、その不死者特有の死んだ魚のように精気の無い瞳で、アーシャの瞳を覗き込む。

 

 人でなくなってしまった彼女が(つの)らせる恨み、(つら)みは生者のそれとは比べ物にならない。

 既に終わってしまった生前の恨みは水精の力で浄化されようとも、現在進行形で発生し続ける怨念は、そう簡単には浄化できない。

 ……だからこそ彼女は、“生まれ変わらせた水精の記憶を封印する”という強硬手段を取らざるを得なかったのだ。

 

「……だからこそ、その無念を晴らす機会があるのなら、躊躇(ためら)いは致しません。もし、あなたがブラン様やヴィア様達に非道を成すというのなら……“玉座斬り”の異名の意味、とくと味わわせてさしあげましょう」

 

 

 ――そして、その“無念”の中には“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ロジェンも、その部下である騎士たちも、本当はリリィとリウラを助けたかった。だが、ニアが他の水精達を人質に取ったがためにできなかったのだ。

 いくら霊体から水精として復活できるといっても、霊体や魂そのものを魔力で消し飛ばされてしまえばどうしようもない。

 

 その後も、霊体として、あるいはアルカーファミリーの誰かに憑依して、ニアに発覚しないよう、“陰からそれとなく”の範囲でしか手助けすることができなかった。

 特にヴィアに関してはニアの脅しとブランの依頼の中間に位置するため、非常に慎重な判断が求められたし、妙に勘が良く、不可視化した霊体であるはずの彼女達に気づきそうになるリウラがいたため、あまり近くに寄ることすら中々できなかった。

 

 ――ブリジットの城で、近距離から魔力を絞った広域心話でヴィアに危険を知らせたり、

 ――リウラの元へ向かおうとするティアを通して、リリィを救うための計画を知らせようとしたり、

 ――ヴォルクが迷宮の奥深くへ潜るのを知って青ざめるリューナが、ヴィアへ会いに行く道中の敵を彼女が通る前に殲滅しておいたり……

 

 他にも様々なところで、ニアにバレないよう細心の注意を払って、彼女達はリリィとリウラを助けてきた。

 

 ティアにメッセージを託した後は、自らヴォルクに憑依し、ブライトとハイドラの関係を知る特務部隊隊員……すなわち、アルカーファミリー設立時のメンバー全員に、彼女の部下達が憑依し、リリィとロジェンを接触させるように動いたりもした。

 

 ……残念ながら、ヴォルクがリリィを見つけた時――正確には、リリィがヴォルクに対して首を横に振った時に魔術で確認したところ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女達の努力は無意味なものと化していたが。

 おそらく、あの首を横に振る動作は、“接触は不要だ”という意味だったのだろう。

 

 しかし、本当であれば、前面に立って未だ幼い彼女達を保護してあげたかった。

 それが叶わずとも、せめて身を張って共に戦いたかった。

 悲しみ、苦しむ彼女達を抱き締めてあげたかった。

 

 

 ――その無念……決して軽くはない

 

 

 それが、ただの代償行為であろうとも、その動機(怨念)は非常に重い。たとえアーシャであろうとも、彼女の恨みを買えばタダでは済まないだろう。

 それを力でねじ伏せるのなら、それこそ魔王やニアといったような魔神級の力が必要だ。

 

 アーシャはその不気味な眼を(にら)み返しながら、吐き捨てるように言う。

 

「……契約の話、なかったことにするわよ」

 

「ご自由に? ヴィア様を保護する代わりにわたくしたちが要求した対価は、“急ごしらえの隠れ里の代わりに、迷える魂が()()()()水精として暮らせる場所”……今の貴女(あなた)を見る限り、そんな場所を用意できるとはとても思えませんね。シュナイルに造ってもらえるよう、わたくしがロジェンとしてリウラやティアにお願いした方がよほど現実的でしょう」

 

「……」

 

 アーシャの持つ裏の権力を使えば、水精達の住む場所を提供することは可能だろう。

 

 だが、“情”ではなく“益”によって動く彼女の態度を見て、“アーシャが水精達に何もしない”とはとても思えない。

 『契約の話をなかったことにする』との発言から、少なくともハイドラの動きを牽制するために利用されることは確実だった。

 

 アーシャは無言で(きびす)を返し、足元に複雑な紋様の魔法陣を輝かせると、フッといずこかへと姿を消す。おそらくは彼女の主が居るゼイドラムへと帰還したのだろう。

 慎重に気配と音を探り、“この場にアーシャが隠れていない”と判断できたところで、ブランは大きく溜息をついた。

 

「ハイドラ様、助かりました」

 

「いいえ。わたくしはわたくしのやりたいようにしたまでです。……では、帰りましょうか」

 

 言うと、ハイドラの周りに水しぶきが上がり、気がついた時にはそこには亡霊の女性はおらず、代わりに美しい水精の女性が現れていた。

 

「ハイ……いや、ロジェン様。何故その姿で? 幽霊の姿ならすぐに転移して帰れたのでは?」

 

 霊体系の魔物には転移能力がある。ロジェン1人ならば、瞬時にシュナイルに帰還できるのだ。

 にもかかわらず、水精の姿をとった彼女を疑問に思ってブランが問うと、ロジェンはきょとんとした表情で返した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()あの娘(アーシャ)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。きちんと、ヴィア様の元に送り届けるまでは安心できません」

 

 アーシャはブランよりも遥かに格上の戦士であり、さらには強力な魔術師でもある。

 もしロジェンが去った後に戻ってきて、ブランの意識を奪い、魔術で彼を洗脳するなんてことになれば、彼女はあまりに迂闊な自分自身を許すことができないだろう。

 

 ごく自然にそう言う彼女に「……ありがとうございます」と礼を言うと、ブランは思った。

 

(……シー殿たちが成仏できんのは、このお人柄が原因だろうなぁ……)

 

 ロジェンがかつての部下達を成仏させることができないのは、部下達がこの世にとどまる未練が()()()()()()()()()ということを理解できていないためだった。

 

 ロジェンは基本的に水精として生まれ変わった霊の生前の記憶を封じているが、彼女自身と、かつての部下である騎士たちは封じていない。

 ロジェン自身は、“自分には部下達全員が成仏するまで見守る義務がある”と考えているためだが、騎士たちは、彼らが封じられることを拒否したためであり……その理由は、ロジェンには告げていないが、“ロジェンのことが心配だったから”である。

 

 部下達のため、そして全くの赤の他人のために死してなお身を粉にして働くロジェン……そんな彼女を見て心配しない者が、彼女と友に命を懸けて討ち入りなどできるはずがない。

 

 騎士たちは水精として生まれ変わった後も、変わらず彼女を支え続け、ロジェン自身が成仏しない限り、彼女に寄り添うことだろう。

 そして、ロジェンもまた成仏できない部下達が心配で、いつまでたっても成仏できないことだろう。

 

(……ままならねぇなぁ)

 

 いざという時に迷宮を脱出し、ヴィアラガルデの危機をユークリッド王に連絡するため、特務部隊全員に渡されていた飛翔の耳飾り。

 それをヴォルクは自身の犬耳につけると、ロジェンの手を取り、地上へと転移する。

 

 脱出通路を抜けたブランは、透き通るように青い空を仰いで再び溜息をつき、そんな彼を不思議そうにロジェンは見ていた。

 

 

***

 

 

 コンコンコン

 

「……失礼します」

 

 主の入室許可が聞こえると同時、アーシャは丁寧に、だが素早くドアの内側へ身を滑らせた。

 彼女らしからぬ苛立ちが(にじ)む動きは、先程までのハイドラ達のやり取りが原因であり……それを見透かしたようにニヤニヤと笑う道化天使の姿を見て、その苛立ちは倍増した。

 

「いや~、怒ってるッスねぇ~。何か思い通りにいかないことでもあったんスか?」

 

「……あなたには関係ないことよ」

 

 軽く殺気が飛び交うその場を収めたのは、アーシャの主の声だった。

 

「2人とも、その物騒な殺気をしまって。あの子が起きちゃうでしょ? それとニア、アーシャをからかわないでちょうだい」

 

 道化姿の天使――ニアは、チラリと部屋の奥に設置されたベビーベッドへと視線をやると、肩をすくめて言った。

 

「はいはい。……それで、どうッスかね? 充分以上の成果だと思うんスけど?」

 

「……確かにね。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……まさか“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そういって、アーシャの主たる女性は腰まである長い金髪を揺らして首を振り、“頭が痛い”と言わんばかりにこめかみを指で押さえた。

 

 

 ――セリハウア・ヴァルヘルミア

 

 

 ユークリッド王国第二王女にしてゼイドラム第一王子の妻であり……そして、ユークリッド王から唯一特務部隊の管理を任せられた生粋の謀略家だ。

 

 ユークリッド第一王女 サラディーネは、前世において、最後にして唯一の家族である“水瀬(みなせ) 流河(るか)”を失って以来、復讐にその人生の全てを捧げてこの世を去った。

 その際に(つちか)われた政治的能力や非情な心構えは、今世のユークリッド王家でもいかんなく発揮され、それを見て育った妹たちは少なからず影響を受け……あの心優しいシルフィーヌですら、その腹に黒いものを抱えることになったほどである。

 

 

 しかし、実は最も彼女の影響を受けていた人物こそが、このセリハウアであった。

 

 

 サラディーネは、どこか非情に徹しきれない甘さがあるのだが、セリハウアにそれはない。

 非情に徹する才だけなら、ユークリッド王族の中で誰よりも抜きんでており……そんな彼女がサラディーネの背中を見て育った結果、サラディーネを超える謀略家が誕生してしまったのだった。

 

 ゼイドラムに輿入(こしい)れしたのも、間者から『ゼイドラムがユークリッドを制圧しようとしている』という情報を入手し、それを防ぐためである。

 あの姫騎士エステルですら、ゼイドラム王から命を受けた間者であり、アーシャは彼女のスパイ行為を妨害するために送り込まれた、ユークリッド側の間者であった。

 もっとも、エステルは、シルフィーヌにほだされてスパイ行為が大分中途半端になっていたようで、大したことはできていないようだったが。

 

 もちろん、夫であるリュファス・ヴァルヘルミアに対する愛情など、彼女には欠片も存在しない。

 にもかかわらず、“妾腹(しょうふく)の子である”というハンデを抱えながらも、見事リュファスの心を射止めて見せたのだから、恐ろしい。

 

 そんな彼女に、ある時、目の前の天使は突如として現れて、こう言った。

 

 

 ――『新しい宗教を布教したいんッスよ。“セリハウア様が良からぬことを考えてる”ってこと、黙っててあげますから考えてくれません?』

 

 

 (いわ)く、『自分が仕える地方神による宗教を立ち上げたい』、『そのために、宗教を広めても弾圧されないよう便宜(べんぎ)(はか)ってほしい』……ずいぶんとリスキーで図々しい願いだ。

 

 “地方神”とは言っているが、それが闇の勢力の神の別名であったり、魔物や古神(いにしえがみ)であったりする可能性は充分にある。

 そんな危険な宗教をはやらせれば、神罰が下る恐れだってある。政治に携わる者であれば、絶対に呑んではならない要求だ。

 

 だが、城の強固な魔術防御も潜り抜けて、あっさりセリハウアの寝室に転移できる力を持つ彼女の言葉を無視することはできない。

 ゼイドラムのユークリッド制圧計画を、セリハウアが内部から妨害しようとしていることをバラされるのもまずい。もしバレれば、それを理由にこれ幸いとゼイドラムはユークリッドを制圧するだろう。

 つまり、実質的にセリハウアに拒否権は存在しない。

 

 セリハウアは要求を聞くと、片手で口を覆って考え込む。

 この要求を拒否することは不可能だ。であるならば……

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『……私は確かにリュファス王子の妻だけど、外様(とざま)である私にそこまでの権力は無いわ。もし叶えたいなら、条件をクリアしてもらわないと』

 

 そうして、セリハウアが要求した条件は2つ。

 

 ――セリハウアにとって都合の悪いゼイドラム貴族の排除

 ――絶対にセリハウアが怪しまれないようにことを成せ

 

 これは実質、不可能な要求である。

 

 彼女にとって不都合な貴族を次々と暗殺したら、たとえその証拠がなくとも彼女が疑われることは確実だ。

 そして、嫌疑がかかってしまえば、証拠なんてものはいくらでもでっち上げられてしまう。

 

 そうなれば、セリハウアに待っているのは死であり、セリハウアが死ねば、ニアの要求も実現されない。

 可能であればニアの要求を跳ね除け、もし交渉が結ばれてしまったなら、ニアがセリハウアの要求を適当にこなそうとすることを防ぐという2重の策であった。

 

 しかも彼女が挙げた“都合の悪い貴族”の中には、彼女の夫である勇者リュファスの名すらある。

 

 ニアぐらいの実力があれば別だが、まず普通の暗殺者はその実力からして彼を暗殺することなどできない。

 ニアが無理やり殺せば、真っ先に疑われるのは夫婦として同衾(どうきん)し、リュファスの油断を突くことができるセリハウアだ。

 仮に毒殺などのからめ手を使っても、毒見役をすり抜けられる立場であるセリハウアが疑われることは避けられない。

 

 だが、この条件をクリアしなければニアの要求が叶えられないのは純然たる事実。

 クリアせずに無理に叶えようとすれば、必ずこの“都合の悪い貴族”の中の誰かから妨害されてしまう。

 

 ニアもその事が分かったのだろう。

 彼女はその要求を聞いて(しば)し『う~ん』と(うな)りに唸って悩んだ後、『うあ~っ!』と頭を()きむしり……そして、ハッキリと言った。

 

『あ~……()()()()()()()()()。とりあえず、私が失敗しても絶対にセリハウア様に嫌疑がいかないようにはするんで、安心して待っててください』

 

 そうして、彼女達は呪術契約を交わした。

 契約の内容は、大まかにまとめると以下の通り。

 

 1.ニアは、セリハウアが挙げた人物すべてを殺害する。この際、セリハウアが疑われてはならない。

 2.条件1がクリアされた場合、セリハウアはニアの教徒を水面下で保護しなければならない。

 3.条件2はセリハウアだけでなく、セリハウアとリュファスの間にできた子や、その子孫すべてにおいても適用される。

 

 セリハウアだけでなくその子孫まで契約に含めたのは、ニアの希望だ。

 セリハウアが死んだ瞬間に“はい、おしまい”では困る。宗教を広めるため、可能な限り長く教徒を保護してもらわなければならない。

 

 子孫を“セリハウアとリュファスの間にできた者”と指定したのは、セリハウアの希望だ。

 曰く、『政敵(リュファス)との間にできた子供はどうなっても良いが、もし好きな人との間に子供が出来たら、その子にこんな呪いは背負わせたくない』とのことだった。

 

 血を分けた我が子に対するそのあまりな言い分に、ニアは思わず眉をひそめてしまったが、その呪いをかける本人である自分がどうこう言えることではない。

 リュファスの……ゼイドラム王家の血を引く子孫さえ契約を護ってくれれば、充分に教徒を保護してもらえるだろうから、契約内容としても言うことはない。

 ニアはモヤモヤとした思いを抱えながらも、契約を結んだ。

 

 それからしばらく経ったある日、突如としてセリハウアの目の前の空間に小さな穴が空き、彼女のみを覆う遮音結界が張られ、慌てたニアの声が穴の中から響いた。

 

『セリハウア様! リュファス以外の例の人達、今すぐ1ヶ所に集められるッスか!?』

 

『……いや、無茶を言わないでちょうだい。復活したっていう魔王との戦の真っ最中だから、戦える人はみんなリュファスと共に出て行っちゃってるし、それ以外の人は城のあちこちでてんてこまいよ』

 

 どこかからこっそり監視されていても全くおかしくない立場にいるセリハウアは、口元を手で覆いながら呆れたように答える。

 すると、慌てている様子は変わらないものの、ニアの声にハッキリと希望の色が混じった。

 

『城!? そっちに居る人は()()()()()()()()()!?』

 

『そうだけど『今すぐ、その城から脱出してください!』……なんでよ?』

 

 要領を得ないニアの言葉に眉をひそめながらセリハウアが問うと、ニアはとんでもないことを言い出した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

 

 

 ……不自然に軌道を曲げた迷宮の魔王の魔力砲が城を吹き飛ばしたのは、セリハウアが供を(ともな)ってリュファスの戦勝を祈りに神殿に向かった直後の事であった。

 

 

 

 確かに、不都合な相手どころかセリハウアの味方になるであろう貴族までまとめてふっ飛ばしたことによって、彼女は一切疑われなかった。

 国を率いる者がまとめて消し飛んだことでパニックになった国民を見事にまとめ、落ち着かせ、鼓舞したことで、セリハウアがゼイドラムで広く認められるきっかけにもなった。

 

 だが……もう少しやり方は無かったのだろうか?

 

 ――おかげで城は地下にあった緊急用の脱出通路や倉庫以外はほぼ全壊

 ――仕事のノウハウを知る者が城にあった資料とともにまとめて消えたせいで、国の運営は生き残ったゼイドラム貴族とセリハウアの知識を基にした手探り

 ――住居もままならず、王子妃であるはずのセリハウアが、城ではなくヴァルヘルミア家の所有する屋敷に寝泊まりするざまだ

 

 ユークリッドやシュナイルと同盟を結び、両国が他国を牽制してくれているおかげで、他国から攻め込まれてこそいないものの、ぶっちゃけゼイドラムはボロボロだ。

 セリハウアはこれまでの苦労を思い出して、大きく溜息をついた。

 

 ちなみに、正直、戦場とはいえ魔王の仕業(しわざ)に見せかけてリュファス達を殺すのは至難とセリハウアは考えていたのだが、()けば「そんなに難しくなかったッスよ? 魔王と戦ってる最中に、こう……ぷすっと」とナイフで突く動作をして見せたニアに、“そういえば、コイツ空間に穴を開けて攻撃できるんだった”と納得したのは余談である。

 

「わかったわ。なるべく長く保護できるようにするから、そちらも可能な限りバレないようにしなさい」

 

「了解ッス! ありがとうございました~!」

 

 フッとその姿が消え去ると、セリハウアは思いっきり溜息をついた。

 

 ……疲れた。

 

 自分以上に常識外れな思考をする相手とのやり取りは、いかにおちゃらけていようとも決して気を抜けない。

 セリハウアにとっては、リュファスの心を(つか)む時以上に大変な相手であった。

 

「……セリハウア様」

 

 アーシャが声をかけると、セリハウアはリュファスにも見せたことのない自然で、愛情にあふれた微笑みを見せる。

 

「お疲れさま……ごめんなさい、嫌な役目を押しつけてしまって」

 

「いえ……セリィのためですから」

 

 主のはずの女性を愛称で呼んだアーシャから響いた声は、先程までの高い女性の声ではなく、低い男性の声だった。

 ばさり、と一息にメイド服が脱ぎ払われると、そこに居たのは、男性用の貴族服に(よそお)いが変わった、金髪で背の高い美男子であった。

 

「ヴィアラガルデの様子はどうだった? アルス」

 

「こちらと違って呑気(のんき)なものですよ。僕と違ってユークリッド王家の魔力も持っていないみたいですし……正直、僕も猫耳に生まれたかったですね」

 

「私と出会えなくても?」

 

「……やっぱり、こっちで」

 

 そう言って、アルスと呼ばれた男とセリハウアはクスクスと笑う。

 

 ユークリッド王が(はら)ませた猫獣人のメイドが迷宮でヴィアラガルデを出産した時、問題が発生した。

 

 

 ――彼女が生んだのは()()。しかも、片方が()()()()()()()()

 

 

 かつてヴィアがリウラに語ったように、異種族が結ばれた場合、基本的にはどちらかの種族になる確率が高い。

 今回の場合は猫獣人と人間が結ばれたため、双子がそれぞれの種族で生まれてしまったのだ。

 

 迷宮に住む人間族なんてこの近辺ではまずいない。この事実が知られれば、“何らかの事情によって迷宮に捨てられた”という推測からユークリッド王に辿(たど)り着く可能性も否定できない。

 ならば、人を隠すには人の中……彼だけは人間族の中で過ごさせなければならない。

 

 こうして、物心つく前にユークリッド第一王子アルスガルドと第四王女ヴィアラガルデは引き離され、その高い魔力のこともあり、アルスガルドは執事見習いとして、とある下級貴族の養子となった。

 

 その後、メキメキと実力を身につけた彼は、その有能な働きぶりが屋敷にやってきたセリハウアの目に留まり、スカウトされ、彼女の手足として特務部隊で働くようになり……やがて、セリハウアとの恋に落ちた。

 腹違いとはいえ、姉弟。ユークリッド貴族は一応、近親相姦が可能ではあるものの、避けるべきであるという風潮はあり、なによりアルスガルドは王族としての身分を隠している以上、下級貴族の身分的にセリハウアと結ばれることは、まずない。

 

 

 ――そこで、2人は一計を案じた

 

 

「……やっと、家族水入らずになれたわね」

 

 ()()()()()()()()()部屋で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、セリハウアはアルスガルドへ感無量の想いで話しかける。

 

「うん……ようやく、夢が叶うんだね」

 

「ええ……“()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 2人は、ゼイドラムの王子リュファスを隠れみのに、子を成すことを思いついたのだ。

 

 ――まず、アルスガルドは女性化の魔法を使い、王宮メイド“アーシャ”として名を上げる……アナが男性化の魔法を使ったのだ。女性化の魔法だってきちんと存在する

 

 ――次に、セリハウアがアーシャを自分の傍付(そばつ)きに任命。これで、常に傍に居ても不自然でない状況を作る

 

 ――そして、セリハウアがリュファスを落として婚姻。性魔術でそうとは悟られないよう避妊を行う

 

 ――最後にリュファスが不在の深夜を狙ってアーシャが女性化を解き、セリハウアを孕ませる

 

 どちらもユークリッド直系の王族。生まれてくるのは完全にユークリッドの血を引いた子供だ。

 

 ――その子をセリハウアが『リュファスの子だ』と言い張ればどうなるか?

 

 ――その子をセリハウアにとって都合のいいように教育できればどうなるか?

 

 

 

 ……ゼイドラムは人知れずして、ユークリッド王族に支配されることになる。

 

 

 

 ――(……まぁ、ほとんど属国に近い立場からすれば、頼まれれば断れないよねぇ……)

 

 

 魔王を封印した時、とある勇者の1人が感じた認識は正しい。

 

 ユークリッドとゼイドラムは表向きこそ友好的であるものの、実質的にユークリッドはゼイドラムの属国に近い状態にある。

 この状態を改善するため、そしてアルスガルドと結ばれるため、セリハウアはこの計画を実行したのだった。

 

 懸念があるとすれば、唯一生き残った王族であるゼイドラム第二王女エステルだが……彼女は女性化を解いたアルスガルドが馬車の中で眠らせた彼女に性魔術を行い、“セリハウアの子をゼイドラムの王にするよう動け”と命じてある。

 少なくともエステルが存命の間は問題ないだろう。

 

 そして、ニアにとっては残念なことだろうが、彼女が結んだ契約はセリハウアの代で終わる。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 悪魔と結ぶようなこの手の契約は、意味があるように見せかけて、本当は何の効力も無い契約を結び、悪魔にタダ働きしてもらうのが鉄則だ。

 残念ながらセリハウア自身は契約に縛られてしまったが、もともと“ユークリッドの間者である”という弱みを握られてしまっていたのだ。契約を結ぼうが結ぶまいが、大差はない。

 つまり、この契約のみに限って言えば、自らの手を汚さず不都合なゼイドラム貴族を排除できたセリハウアの1人勝ちであった。

 

 2人が互いの唇をむさぼり、身体を重ね合う。

 

 これからもアルスガルドが本来の姿で居られる時間は、ほんの(わず)かだろう。2人が普通の家庭を築くことなど無いだろうし、これ以上子をもうけることもできないだろう。

 

 

 ――それでも、愛する人とともに自分達の子を育てられる“今”を(つく)り上げた2人は、お互いへの愛と幸福感に満たされていた

 

 

***

 

 

「……とまあ、そんな訳でこっちはなんとか信仰を集める土台ができそうッス。なんかオマケで魔族含めた他種族国家ができて、そっちは現神を信仰していないんで、ティアマト様の迷惑にならない程度にそこにもウチの信仰を広めていこうとタタタタタタ痛い痛い痛い痛いッス~!! やめてやめてマジ痛いッスからやめて姉貴!?」

 

「ニア……どういうこと? 私、言ったよね? 『人に迷惑かけるな』って……それが、何? 王子妃様を脅して? ディアドラって人や王子妃様の(たくら)みを盗み聞きして、魔王を復活させる後押しをして? 復活した魔王を利用してお城の人を皆殺しにして? ……あなたはいつから悪魔になったのかな?」

 

「と、とりあえず、頭から手を離して姉貴! 頭が割れちゃうッス!」

 

「割れれば良いじゃない」

 

「!?」

 

 とある国のとある宿で、こめかみにでっかい青筋を浮かべた少女が、とても良い笑顔で愚妹(ぐまい)たる道化天使の少女の顔面にアイアンクローをかましていた。

 

 白い熊耳を生やした熊獣人(ヴェアベーア)のような容姿をしているが、背から立派な白い翼が生えているところを見るに、彼女もまたニアと同様に天使なのだろう。

 その細い指のどこにそんな力があるのか、魔神級の実力を持つはずのニアの頭蓋骨(ずがいこつ)がミシミシと不協和音を奏で、必死に逃れようとジタバタ暴れる彼女を完全に抑え込んでビクともしない。

 

 熊天使の少女が怒るのも無理はない。

 この道化天使は、生来備わった空間操作の技能を悪用し、あちこちの空間に穴をあけて盗み聞きをしては、自分の悪だくみに巻き込んで周囲に大迷惑をかけたというのだ。

 

 天使を父に、歪魔族を母に持つ彼女の空間操作は、熟練の魔術師でもそう簡単には気づけない。

 そこに、神殺しから教わったという気配遮断魔術を加えれば、例え魔神であろうとも彼女の盗み聞きに気づくことは困難。

 自らが魔王になろうとするディアドラの企みも、セリハウアがユークリッドの間者として動いていることも、全て筒抜けだった。

 

 余談だが、水蛇(サーペント)の一件があった直後に、ニアが真っ先にヴィア達に接触したのは、空間に穴をあけてセリハウアとアーシャの会話を盗み聞きし、ヴィアが廃棄された王女であることや、彼女の実母が魔王軍によって殺害されたことを知っていたからである。

 

 

 そのままたっぷり5分強はダメージを与えた少女がニアを解放すると、ニアは「おおおおおおおおお……」と頭を押さえてうずくまる。

 やがて、痛みが治まったのかニアが顔を上げると、熊天使の少女はピクリと眉を上げる。一見おちゃらけている妹の目に、明らかな不満の色が見られたからだ。

 

「何よ、言いたいことがあるなら言ってみなさい」

 

「……じゃあ、言わせてもらうけど、姉貴のやり方はまどろっこしいんだよ。いったい、姉貴のやり方でやってたら何千年かかるってんだ。リセルは魔神級の力を持つ魔導巧殻(まどうこうかく)を創ってたし、ソヨギは一級神とも余裕で戦える力を手に入れてた……なのに、私達の計画はどれだけ進んだんだ?」

 

「……」

 

 天使である父に注意されてから無理やり直した丁寧語が消えうせる。

 それは、そのまま彼女の深い怒りを表していた。

 

「『犠牲を出したくない』、『間違ったことをしたくない』……結構なことだな。まさに天使の(かがみ)だぜ。……で、姉貴と信者の地道な布教で、どれだけ成果が出たんだ? せっかく姉貴が規模を増やして作った組織が、現神の使い達に何度潰されたか覚えてないのか? 今の信者たちが石を投げられている姿を見て、姉貴は何とも思わないのかよ?」

 

 ニアの手が少女の胸倉(むなぐら)をつかんで引き寄せる。

 ニアは冷たい怒りを宿した紅い眼で、少女の青い眼を覗き込んで言った。

 

「……姉貴のやり方は生ぬるいんだよ。今、重要なのはスピードだ。多少の犠牲は出しても、多少の手段は選ばなくても、とにかく前に進む。それが、未来の多くの人達を救うんだ……私の言ってること、間違ってるか? ……答えろ、ベア」

 

 ニアとて“魔王をわざと復活させる”なんて、リスキーかつ悪質な行為はしたくはなかった。

 

 しかし、それも全ては“信者が迫害されない国”を創るため……自分を、姉を慕い、信じ、ついて来てくれる信者たちが、最低でも不幸にはならない場所を用意したいが為であった。

 だからこそ、わざとリリィを苦難に()わせ、ディアドラが魔王を復活させるための魔力タンクとして成長させたのだ。

 

 彼女は必死だった。

 

 リリィがシルフィーヌと交渉することになり、彼女の魔力を奪わなかったどころか、逆に不利になっていることがその表情からありありと分かったとき……“シルフィーヌとの交渉をうやむやにして、和解させないようにしよう”、“リリィを成長させよう”と焦るあまり、彼女は、迷宮の深層にいた魔神ラテンニールを強引に空間転移で無理やり転送してまでリリィにぶつけた。

 

 そうでもしなければ、魔神級の力を持っていると分かるセシルがリリィを補佐する以上、勝負にならないと分かっていたからだ。

 “もしリリィが殺されそうになったら、空間転移で逃がせばいい”と考え、分不相応な相手をぶつけた。それほどまでに、彼女の精神は追い詰められていたのである。

 

 ところが、セシルは空間迷彩を施したニアを見つけるほどに、いつの間にか成長しており、警戒されたニアはセシルと戦うことになってしまった。

 いざとなったらリリィを逃がさなければならないため、その場を離れられず、しかしセシルは自分と戦っているため、リリィを援護できず、さらには空間操作能力を封じられてリリィが死にかける……と、あの時は本当にどうしようもないほどニアは追い詰められていた。

 

 余談だが、本当に何もかもニアの思い通りに行った場合、成長したリリィの魔力を使ってディアドラが魔王の封印を解いたところをシルフィーヌ達に目撃させたうえで、シルフィーヌ達を空間転移で逃がし、すぐにディアドラを殺害。

 魂の無い魔王の肉体を操ってゼイドラムへ侵攻させ、セリハウアが指定した人物たちを消すつもりであった。

 

 こうすれば、ディアドラに全ての罪をなすりつけた上で、セリハウアの条件をクリアできる。

 うまくいけば、でくのぼうの魔王の肉体をニアがゼイドラム国民の前で片づけることにより、ニアの宗教を広める土台までできるはずだった。

 

 熊天使の少女ベア――本名ベアトリクスは無言で、自分の胸倉をつかむニアの手を右手で掴む。

 ニアは全魔力を解放して、引きはがそうとするその手に抗った。

 

 姉のことは尊敬しているが、綺麗ごとばかりでは世の中は回らない。そのことを理解してもらうまではこの手を離さない、そう決意を込めて。

 

 ……しかし、

 

「ッ!?」

 

 ベアがまったく魔力強化を行っていないにも関わらず、1本1本、ゆっくりとニアの指が強制的に開かされてゆく。

 

 素の膂力(りょりょく)は確かにベアの方が上だ。父譲りの怪力を持つベアは、母似であるニアの何倍もの力を持つ。

 だが、流石に魔力で全力強化すれば、ベア自身も強化しない限り余裕で勝てる。有り得ない事象を見て唖然(あぜん)とするニアに、ベアは静かに言った。

 

「なぜ私にこんなことができるか分かる? ニア。……みんなが、私の事を信じてくれているからよ」

 

「信じ……?」

 

「私は決してみんなを見捨てない。私は決して人を騙さない。私は誰も裏切らない。人と向き合う時は誠実に。決して改宗を強要せず、その人の自由意思を尊重し、その上で地道に私達の……古神を祭る宗教を信じてもらってきた」

 

「それが、とても遅く、遠回りな道であることは認めるわ。異端である以上、ちょっとデマを流されるだけで壊れるような(もろ)いものであることも認める。私が未熟なせいで、信者のみんなに苦労をかけていることも、他の宗教に攻撃されて助けられなかった人たちがいることも認める」

 

「でも……だからこそ、一度信じてもらったら、強い……他の御利益(ごりやく)信仰なんか比べ物にならないくらい。ただ神の教えを広めている“使い”でしかない私が、ここまでの信仰を得られるほどに」

 

 確かに、ニアのやり方は早い。多くの人の犠牲を許容できるからこそ、計画を早く進められることは(まぎ)れもない事実であり、早急に計画を進めなければ間に合わないことは多々ある。

 だが、同時にそれはとても脆いものでもあるのだ。簡単に人を犠牲する者を、人は信用しない。なぜなら、そこには必ず“自分も切り捨てられるのではないか”という疑念がついて回るからだ。

 

 ニアとベアは最終的には古神を旗印に、現神と戦わなければならない。

 その時にそんな脆い信仰心では、ディル=リフィーナ創世期……古神と現神が戦った時のように、“目に見える御利益”という餌をちらつかされるだけで人間の信仰が容易く古神から現神へと流れ、敗北を(きっ)することが目に見えていた。

 

 だからこそ、ベアは誠実に主の愛と教えを伝え、古神と現神の真実を訴えてきた。

 どんな罵倒にも耐えて何百年、何千年と教えを広め続けてきた。

 

 御利益なんてものは(ほとん)ど無い。信仰によって得られるものは、“如何(いか)に主が自分達を愛しているか”、“どのように生き、何のために生きるのか”という教えのみ。

 何の見返りもないからこそ、本当に強い心、強い信仰を持つ者が信じてくれる。嘘を全く言わないからこそ、一度信じてさえもらえれば“この天使は、この教えは信頼できる”という確信を持ってくれる。

 

 その信仰の質、それこそが今のベアの力となっている。

 神の教えを告げる天使でしかない彼女すら信仰の影響を受け、ベアを一段上の存在へと押し上げるほどに、信者たちの信じる力が強力である証であり……いつか現神と戦う時に、旗頭となる古神達の底力となるものであった。

 

 

 ――効率ばかり追い求めていたニアでは、決して得られない信仰……それを彼女は証明していた

 

 

 呆然とするニアに、ベアは言う。

 

「ニア、思い出して。私達が立ち上がったのは、現神に食い物にされる人間達を見ていられなかったからではなかったの? ……その私達が護るべき人間達を、共にあるべき魔族達を、私達が食い物にしてどうするの」

 

 今、現神が人間族を重視しているのは、その信仰心の高さが理由だ。

 他の種族と比べても突出して高い信仰心を持つ彼らは、他者の信仰心を自身の力とする神族にとって非常に重要な存在……だからこそ、現神達は異世界(イアス=ステリナ)の種族であるはずの彼らを繁栄させ、信仰を要求し、その対価として彼らに加護という名の魔力を与えている。

 

 

 

 ――しかし、その状況は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 信仰とは、何らかの対価によって、得られるものだっただろうか?

 加護とは、何らかの対価によって、与えられるものだっただろうか?

 

 

 ニアもベアも、さらには彼女達の父や母も、直接の(あるじ)である“(しゅ)”と会ったことはない。だから、主がどのように考えているかも良く分からない。

 それでも、彼女達は“違う”と感じた。

 

 神も、その使いである天使も、人間を見守る存在であるべきだ。

 人間は神に縛られるべきではない。自由であるべきであり、その自由な行動によって起きた出来事に対する責任も負うべきである。決して“信仰”欲しさに彼らの行動を縛ってはならない。

 

 もし、人間の中に“より多くの人をより幸福にしよう”と動く者が現れた時、その人にこそ大きな加護を与えるべきである。

 その人物の心根(こころね)も動機も問わず、ただ“信仰をくれるから”、“自分に都合がいいように動いてくれるから”という理由で与えるものではない。

 

 神と人とは()()ではない。だが、()()であるべきだ。

 

 立場も価値観も能力も……存在の何もかもが異なれど、1個の存在として互いに敬意を持って接しあうべき存在だ。

 そして、過去の地球(イアス=ステリナ)の神々は、そのように世界を治めてきた。

 

 だからこそ、現神が人を家畜のように扱う現状も、人がそれを当然のように感じている状況も、彼女達は許せない。

 

「私達は、シュウヤさん達が、人間達が居たからこそ生まれることができた。シュウヤさんがメヒーシャさんに認められて加護を受けて、悪魔達と戦って和解して、共にクリエイター達を操るミヤハラを倒して……人間と、天使と、悪魔が共に暮らせるようになったからこそ、父様とヴァフマー母様、エルンスト義母様は結ばれて、私達は姉妹としてここに居る」

 

「その恩を返して、再び人間に、シュウヤさん達がいた頃のように自立してもらうために……人間と天使と悪魔が対等に尊敬しあっていた時代を再びよみがえらせるために、私達は頑張っている」

 

「だから、尊敬すべき人間を、悪魔を、どんな理由があろうとも私達の都合で食い物してはダメなの。それを……分かって欲しい」

 

「……」

 

 呆然としたままのニアからの返答はない。

 しかし、反論が無いということは、おそらく何か心に響くものがあったのだろう。願わくば、自分の想いのほんの少しでも伝わっていてほしい、とベアは祈った。

 

「……他に、報告すべきことはある?」

 

 その声で我を取り戻したニアは、きまり悪そうに視線を()らしながら、妙な丁寧語を復活させて言った。

 

「……え、え~っと……ああ、そうそう! シュウヤさんとメヒーシャさんの子孫っぽい方を見つけたッスよ! ブリジットさんって方なんすけど――」

 

「それ、本当!?」

 

 ベアトリクスは喰い気味に、そして嬉しそうにニアに問う。

 

 1万年以上経っている上に、ディル=リフィーナ創世期の戦争で亡くなったり、行方不明になったりしてしまったため、今や、当時の友人や知り合いのほとんどが死に絶え、子孫の行方もわからなくなっていた。

 なので、“友人の子孫が見つかった”という事実は、彼女達の目的云々をよそにしても、単純に喜ばしかった。

 

 特に天使メヒーシャと契約して英雄となった人間の青年 シュウヤは、ニアやベアトリクスが幼い頃からの付き合いで、とりわけ思い入れが強い。

 

 その思い入れの強さは、古神アストライアと人間族の青年であったセリカの仲睦まじさに、かつてのメヒーシャとシュウヤを重ね、セリカが現神の神官戦士であったにもかかわらず、ついつい彼らに力を貸してしまったほどである。

 ソヨギと出会ったのはこの頃で、時に炎狐(サエラブ)の姿で、時に少女の姿でセリカとアストライアに挟まれていた彼女は、とても幸せそうで可愛らしいものだった。

 

 しかし、そのセリカは現神に操られ、アストライアと殺し合わされ、セリカの肉体はアストライアの“聖なる裁きの炎”によって滅び、アストライアは彼に生きてもらうために、自身の肉体を彼に譲り渡した。

 ニアは、その悲劇を止めることができなかった自らの至らなさを悔い、極限まで精気を消耗したアストライアの肉体に宿るセリカを救うため自身の精気を分け与え、以来、彼がレウィニア神権国に居を構えて落ち着けるようになるまで、彼を支え続けてきた。

 

 セリカが“古神の肉体を奪った神殺し”と呼ばれているにもかかわらず、古神を守護するニアと彼の仲が良いのは、このことが原因だ。

 セリカと旅する中で彼から教わった気配遮断魔術も、実は最初はそこまで高度なものではなかった。

 

 ――現神からは“古神の肉体を持っているために”

 ――古神からは“同朋殺しとして”

 ――そして魔神からは“身体を奪い、力を手に入れるために”

 

 世界中からその命を、身体を狙われ続けている彼の力となるよう、セリカの術式を基にニアが長い年月をかけて工夫と開発を重ねた贖罪の結晶だったのである。

 

 強力な女神の肉体に無理やり脆弱な人間の魂が押し込まれた弊害か、狂気に陥ることはなかったものの、セリカは重度の記憶障害を患っており、いつしか改良された術式をニアから教わった事実を忘れてしまい……ある時、自身と全く同じ気配遮断魔術をニアが使った際、『どこで教わったのか?』と何気なくニアに訊いてしまった。

 

 そして、訊かれたニアはこう答えた。

 

 

 

 ――『何を言ってるんス? これ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 もし『自分が改良してセリカに教えた』と伝えてしまえば、例え“ニアの至らなさが招いた悲劇を尻拭いするため”という理由があったとしても、セリカは自分に感謝してしまう……彼は、そういう人物だ。

 

 

 だから、ニアは彼のために行った全てを、彼の記憶が失われるがままに無かったことにした。

 

 

 おそらくソヨギはセリカからこの魔術の事を聞いたのだろう。だから、彼女は“セリカがニアに教えた”と認識していたのだ。

 

 シュウヤの話をしたことで、ついセリカとのことまで思い出してしまい、暗く悲しい気持ちになってしまったニアは、自分の気持ちを誤魔化すように無理やり口を動かして話を続ける。

 

「ええ、まあ……。“絆を結んだ相手を強化する”なんて特殊すぎる(レアな)異能が、そこらに有るとは思えないッスからね。……どっかの世代で堕天しちゃったのか、完全に魔族になってたから、こっちの味方にはなってくれそうにないし、おまけに異能そのものも見る影もなく劣化してたから、シュウヤさんみたいなチート戦力にもなってはくれないと思うッスけど」

 

 シュウヤの異能は凄まじかった。

 性別年齢種族、あらゆる条件を問わず、とにかく()()()()()()()()()()、味方を大幅に強化することができた。

 

 しかし、ブリジットが味方を強化するためには、“ただ仲良くなる”だけではダメで、対象と性魔術を行う必要がある。

 

 ぶっちゃけ、“特殊な条件が必要な性魔術”と言われれば、否定のしようがないし、おそらく彼女の代々の先祖たちも、“何故か、ウチの家系は性魔術の強化幅が大きいな?”程度の認識だっただろう。

 だからこそ、“彼女の家系が異能持ちである”という事実が発覚しなかったのだ。ひょっとしたら、ブリジットの代で発現した隔世遺伝の可能性すらある。

 

 これだけでも相当な劣化だが、さらに血液を操る能力も、それを用いて軍勢をコピーする能力も完全に失われていた。

 シュウヤのような、化け物じみた活躍は望めないだろう。

 

 ……まあ、そもそも、あのブリジットが魔王以外の言うことを聞くとは思えないので、ニア達の味方になってくれるはずもないのだが。

 

「いいよ、そんなの。“あの2人の子孫がまだ生きてる”って知れただけでも嬉しい! 今度、紹介してよ!」

 

「わ、わかったッス」

 

 先程とうってかわって嬉しそうな姉の様子に、ややたじろぎながら、ニアは報告を続ける。

 

「あ! あと、あの迷宮に巣くって好き勝手してた魔神をソヨギさんに紹介して、魔神の神核だけソヨギさんに喰われる前に回収したッス。いや~、これだけは計画通りにいって本当によかっ……………………?」

 

 

 ――アレ?

 

 

 ニアが宙に開けた空間の穴に手を突っ込むも……手応えが無い。

 労せずして手に入れたはずの、シズク(ソヨギの娘)を放り込んでまで隙を作って奪ったはずの……弱った古神の力を取り戻させる食料(パワーアップアイテム)が。

 

「あ、あれ? た、確かここに入れたはずなのに……ど、どこに行ったッス!?」

 

 ニアは必死になって空間ポケットの中を探し、ポイポイと中に入っていた物品を外に放り出すが、出てくるのは神核とは関係のないものばかり。

 何があったか薄々察したベアは、眉をハの字にして妹を憐れむことしかできなかった。

 

「と、盗られたッス~~~~~っ!!!?」

 

 

***

 

 

 ガリッ……

 

 ニアが奪われた魔神の神核……迷宮で一度ニアに横からかっさらわれたそれを、いつの間にかあっさりと奪い返していたソヨギは、とある緑豊かな草原に座り、ぼうっと空を眺めながらかじっていた。

 

 悲鳴は聞こえない。

 神核に収められていた魂は、いつの間にか彼女の肩を()っていた青虫の中に放り込んだからである。

 

 魔神に対する容赦はないつもりだが、先の古神ティアマトの一件から、“あえて苦しませる必要もないだろう”と気配りを見せたのだ……ソヨギがシズクの元を離れてから、こんなことをしたのは初めてであった。

 

 青虫は彼女の肩でその身を起こし、うねうねと動いて彼女に何事かを訴えている。

 常人では分からぬだろうが、ソヨギには青虫が発する魔力の色や音から、何を訴えているのがハッキリとわかった。

 今も己が神核を喰らうソヨギに対する文句と(いきどお)り……ではない。

 

 

 ――なんと、この青虫……ことも有ろうに青虫の分際(ぶんざい)でソヨギを口説(くど)いていた

 

 

『美しい狐の少女よ、私の伴侶(はんりょ)になって欲しい』

 

 ニュアンスとしてはこんな感じだろうか。

 ソヨギは神核をかじる口を止めると、横目で青虫となってしまった元魔神へと視線を向ける。

 

「……あなたは、どうしてそんなことが言えるの? 私は貴方と貴方の女たちを皆殺しにしたのよ? 普通なら“私を殺してやりたい”と思うはずでしょ?」

 

 ソヨギは不思議だった。

 

 彼から感じられる怒りや憎しみの感情は非常に薄い。決して無いわけではないのだが、割り切っていることがハッキリと分かる。

 ソヨギであれば決して耐えられない。かつて義母(サティア)を失った時のように、復讐せずにはいられないほど憎しみに身を焦がすはずだ。

 

 しかし、青虫はハッキリと首を横に振った。

 

『たしかに、そなたに対する憎しみが無いとは言わん。我が妻たちを失った悲しみも未だ癒えぬ……だが、これはいつか来る終わりが今来ただけのこと。それだけだ』

 

「理不尽だ、とは思わないの?」

 

 ソヨギが問うと、青虫は不思議そうに首を(ひね)る。

 

『そなたの言う“理不尽”というものが余には理解できん。逆に問うが、そなたは自分の大切な者が、飢えを満たすために喰われた時、それを“理不尽”だと感じるのか?』

 

「それは……」

 

 ソヨギは口ごもる。

 ややあって、言葉を探すように話し始めた。

 

「それは理不尽とは言えないかもしれないけど……別の……例えば、必要も無いのに傷つけられたり、悪意を持って殺されたりしたら理不尽だとは思う」

 

『“その者にとって必要であるか否か”が“理不尽である”ということか? 目的が変われば、あるいは善意で傷つけられれば理不尽ではないのか?』

 

「……」

 

 再び黙り込むソヨギ。

 その眼が苦悩に染まっているのを見て、青虫は“少しでも参考になれば”と自分の経験と価値観を語る。

 

『余は元々は小さな虫であった。何十匹もいる虫の中の1匹で、その日の餌を得ることだけに専心して生きていた』

 

 それを聞いて、ソヨギは青虫の本来の魔神の姿を思い出す。

 上半身は人間の男性の姿をしていたが、下半身は確かに昆虫のような姿をしていた。

 

『それがたまたま精気に満ちた餌にありつけ、他の兄弟よりも長生きし、更に強く精気に満ちた餌を食べられるようになり……やがてそれを繰り返すうちに魔神と呼ばれるに相応(ふさわ)しい力を得た。だが、その間、余は常に自分よりも強く恐ろしい者達、自分を喰らうであろう者達を恐れ続けていた。余は弱者であったからこそ、この世界が弱肉強食の(ことわり)で成り立っていることを良く知っている』

 

「……」

 

『だから、余にとっては、余がより強い者に喰われることは覚悟して生きていた。大切な者が喰われることも覚悟していた。だから、そなたを恨むことはできん。そなたもまた余と同じ弱肉強食の理の中で生きる者なのだから』

 

 ソヨギは長い沈黙ののち、振り絞るようにかすれた声で訊いた。

 

「私……間違ってたのかな……? 私は、みんなが幸せに、平和に暮らせる世界が正しいって思って……でも、私がしていたことは、貴方が言うように強さにものを言わせて、弱い人達を自分の思うようにすることで……結局、私も、私が嫌いな人たちと同じことをしていて……」

 

 子供が泣きすがるようなその響きに、青虫は首を横に振った。

 

『それは、余には分からん』

 

「……え?」

 

 その返答に、ソヨギは目を見開く。

 てっきり、『間違っている』と否定されると思っていたのだ。

 

『これは、()()()()()()()()()()。我が妻たちが様々な考え方を持っていたように、そなたにもそなたの考えがあるのだろう。そして、これは経験則だが、そなたが納得できる答えは、そなたの中にしかない』

 

「私の、中……? でも、私は、自分が間違っていたかもしれなくて……」

 

『そなたがそう感じるのなら、そうなのだろう。そして、余には分からんが“平和な世界こそ正しい”と感じていたのも事実なのだろう。ならば、そのどこか……考え方か、方法がそなたの納得できないものであるか、あるいは知識や経験と言った何かが不足して、納得できないものしか思い浮かべることができないでいるのだろう。そなたは、それを今探っているだけだ』

 

「私に、足りないもの……」

 

 ソヨギは青い青い空を見上げて、ぼんやりと考える。

 今の自分に足りないものは何だろうか、と。

 

「……」

 

 ややあって、彼女は再び肩に乗る青虫に視線を戻す。

 

「?」

 

 彼女の視線に、青虫は体幹をひねって、器用に首をかしげる。

 その意外にも可愛らしい姿に、ソヨギはほんの少し笑顔をこぼした。

 

『む? 迷いは晴れたのか?』

 

「ええ。……私は、たぶん心のどこかで“きっと他の人も私と同じように考えているに違いない”、“こうされたら、こう感じるに違いない”って考えていたんだと思う。そんな訳、あるはずないのにね」

 

 もし、ソヨギがティアマトの立場であったなら、自らを殺そうとした相手を愛するなど思いつきすらしないだろう。

 今、ソヨギの肩に乗っているこの青虫のように、“自分も伴侶も皆殺しにされたが、それはいつか来る終わりが今来ただけだ”なんて割り切ることだって、彼女には不可能だ。

 

 世界にはそのように、彼女の知らない価値観で溢れている。

 しかし、彼女はそれを理解しているつもりで、まるで理解できていなかった。“自分を、大切な人を傷つけられたら、あるいは殺されたら、怒り、恨むはずだ”、と思い込んでいた。

 

 そう、彼女は本当の意味で他人を認識していなかった。心のどこかで、他人をまるで自分のコピーであるかのように考えていたのである。

 だからこそ、自分と全く異なる感じ方、考え方をするティアマトや青虫の価値観を知り、ショックを受けたのだ。

 

 そんな自分が神になったところで、世界中の人々を幸せにできる訳がない。

 人の気持ちを理解できない者に神たる資格はないのだ。

 

 

 ――なら、

 

 

「少し、世界を旅してみようと思う。今度は武者修行じゃなく、人々の営みを見て、話を聞いて、一緒に暮らして……いろんな価値観を勉強してみる。結論を出すのは、その後でも遅くはないと、今ならそう思える。たぶんシズクも……私の娘もそれを喜んでくれると思う」

 

 ソヨギは立ち上がると、青虫に微笑みかける。

 

「貴方も一緒に来る? 行く先々で、私とは全然違う貴方の価値観を聞かせてもらえるとありがたいわ」

 

『もちろんだ。未だ余はそなたの心を手に入れていないからな』

 

「そう……これからよろしく」

 

『モーヌだ』

 

「え?」

 

 きょとんとするソヨギに、小さな小さな青虫は、その矮躯(わいく)に見合わぬ堂々とした態度で名乗った。

 

『魔王モーヌ、それが余の名である。そなたの名は?』

 

「……ソヨギよ」

 

『よろしく頼む、ソヨギ。……ああ、そうだ。一言言っておこう』

 

「?」

 

 青虫はグッと胸を張るように頭を上げて、ハッキリと宣言した。

 

『余は人妻でも全く構わん。遠慮なく余の寵愛(ちょうあい)を受けるが良い………………なぜ笑う?』

 

「……ふふっ……! あははっあははははっ、ご、ごめん……っ! だ、だって、ま、間が抜けてるのに可愛くて……っ!」

 

 歩み始めた狐耳の少女の姿と楽しそうな笑い声……柔らかな風が流れると、その風に流されるかのようにそれらは消え去った。

 

 

 

 ――2人の旅は、まだ始まったばかり

 

 

 

 

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