水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第二章 怪盗リウラ 前編

 「うわぁ~~~~~!!!!!」

 

 迷宮の上層にある大きな都市の入り口で、興奮に目を輝かせる少女がいた。

 

 (とし)は15~16歳程度。

 髪をシュシュでツインテールにまとめ、ところどころフリルがついたシンプルな作りのキャミソールドレスに身を包んでいる。左手と両足首にはリボンを巻きつけて蝶結(ちょうむす)びにしていた。

 

 特徴はその色合い。その衣服や装飾品はおろか、身に(まと)う人物の頭のてっぺんからつま先に至るまで全てが半透明の水色で統一されていた。

 

 全身水色の少女はつないだ手を引きながら、興奮を抑えきれないといった様子で(かたわ)らの人物に話しかける。

 

「リリィ!! ねぇ、早く行こう!!」

 

「お姉ちゃん、まずは宿をとってからだよ? それが終わったらいっぱい見て回ろうね?」

 

 微笑ましいものを見る笑顔で答えたのは、10歳前後の少女だ。

 

 (すそ)にフリルのついた紺と白のシンプルなキャミソールドレス、右手と両足首に巻かれた紫色のリボン、黄金(こがね)色の髪を両脇でくくったその(よそお)いは、細部に違いはあるものの、水色の少女とそっくりだ。

 

 リリィと呼ばれた少女は、自分が姉として慕う人物と共に居られることが嬉しいらしく、頭頂から突き出た猫耳やスカートから覗く尻尾、背から生えているコウモリの翼がそれぞれピクピク、ユラユラ、パタパタと動き、わかりやすく喜びを表していた。

 

 ふと、水色の少女が何かに気づいたかのように、猫耳少女の顔を覗き込む。

 

「……リリィ、どうしたの?」

 

「? 何が?」

 

 水色の少女――水の精霊リウラが問いかけると、猫耳少女――魔王の使い魔にして精を奪う淫魔(いんま)、リリィは『何を問うているのか』と疑問の声を上げた。

 

「いや、なんかさっきから緊張しているみたいだったから……」

 

 リリィは、それを聞いて黙り込む。

 リウラは、リリィが話しやすいように腰をかがめて視線の高さを合わせ、リリィが話し出すのをじっと待っている。その様子は心なしか心配そうだ。

 

(う~ん……1日だけでいいから、お姉ちゃんにはリラックスして外の世界を楽しんでもらいたかったんだけど……)

 

 リリィは悩む。

 

 リウラはリリィの命を救うため、彼女の生まれ故郷である水精(みずせい)の隠れ里を離れ、こうしてリリィについて来てくれている。

 

 リリィを救うためには、魔王の封印を解き、さらにはリリィを狙うディアドラを撃退する必要がある。そのため、隠れ里を出た後、リリィは簡単にではあるが計画を立て、それをリウラに話していた。

 その計画をまとめると――

 

 1.リリィを(できればリウラも)強くする

 2.魔王の封印を強化しにやってきた人間達を()けるか、もしくは捕獲して記憶を覗き、魔王が封印されている場所を見つけ出す

 3.魔王の封印を解いて、魔王の肉体の魔力を奪う

 4.魔王の膨大な魔力を使って、魔王の魂との繋がりを断ち切り、魔王の魂や肉体に何かあってもリリィに影響が出ないようにする

 5.魔王の魔力で超パワーアップしたリリィが、ディアドラを撃退

 

 ――といった内容になる。

 

 この計画を実行するためには、まず何をおいても、魔王の封印を解除できるレベルにまで、早々にリリィの魔力を強化する必要がある。

 

 そのため、可能な限り早く動いたほうが良いのは確かなのだが……リウラは生まれてからずっと隠れ里で過ごし、ようやく長い間あこがれていた外の世界へやってくることができたのだ。1日くらい、姉が気兼(きが)ねなく外の世界を満喫(まんきつ)できる時間を作っても、バチは当たるまい。

 実際、リウラにも『今日1日は、お姉ちゃんの好きなように過ごしていいからね!』と事前に話しておいてある。

 

 これは、今のリリィができる精いっぱいのお()びとお礼……“こんな大変なことに巻き込んでしまって申し訳ない”というお詫びと、“私を救うためについて来てくれてありがとう”というお礼でもあった。

 もちろん、全てを無事に終わらせることができたのなら、その時は改めてもっとちゃんとした恩返しをするつもりである。

 

 リリィが緊張している理由を話せば、おそらくリウラはリラックスして町を回ることができなくなる。

 だからこそ黙っていたのだが……『リリィ大好き』と公言する姉の眼を(あざむ)くことはできなかったようだ。

 

 『何でもない』と答えても、他人(ひと)の表情や雰囲気に敏感なリウラを納得させることは難しい。“もはや誤魔化(ごまか)すことは不可能”と観念(かんねん)してリリィは話し出す。

 

「……お姉ちゃん……私たち、たくさんの人から見られてるの……わかる……?」

 

「え? そりゃあ、結構じろじろ見られてるとは思ってたけど……嫌だった?」

 

 リウラも気づいていなかったわけではない。

 町の入り口に姿を現した時から、結構な人数がリリィとリウラにチラチラと視線を向けている。

 

 “水精と睡魔(すいま)”という組み合わせが珍しいのか、おそろいの服装が気になるのか、それとも2人の可愛らしさに目を奪われているのか……リウラには理由はわからないが、なにか目を引くものがあるのだろう。

 リウラはあまり気にしていないが、リリィには不快だったのだろうか?

 

「“嫌”とか、そういう話じゃないの。……“この中の何人かは悪いことをしようと思っている”って考えなきゃいけないってこと」

 

 リウラが表情を引きつらせる。

 リウラは考える前に、あるいは考えがまとまる前に行動することが多いため誤解されやすいが、決してバカではない。リリィが言っていることはすぐに理解できた。

 

 ロジェンを初めとする水精達から、隠れ里を出る前にいくつかの注意点――すなわち、危機管理の方法については聞かされている。

 

 水精の隠れ里が引きこもり集団であるとはいえ、完全に外界(がいかい)との関わりを遮断してしまっては、なにか予想外の事が起こった時に全滅してしまう恐れがある。

 

 そのため、処世術と戦闘力を兼ね(そな)えている水精……主に里長(さとおさ)であるロジェンに極めて近しい水精達が外界の情報を仕入れたり、緊急時の貯蓄のために水産物を売りさばいたりしているのだ。

 

 そうした外の世界に詳しい水精達が、スリ、強盗、誘拐、強姦……果ては殺人まで、幅広い犯罪とその対策をリウラとリリィに教えてくれたのだ。そればかりか、里の緊急時の(たくわ)えからそれなりの金額をリウラとリリィに渡してくれた。

 水精達が如何(いか)にリウラの事を大切に想っているかが良く分かる。

 

 その時の『いかに外の世界は恐ろしいか』を懇々(こんこん)と説明されたことを、リリィの発言から思いだし、“この町はそんなに恐ろしい所なのか?”と、リウラは戦々恐々とすることになった。

 

 リウラの引きつった顔を見て、“あ、言い過ぎた”と感じたリリィは慌てて自分の発言をフォローする。

 

「でも、ある程度注意してたら大丈夫だと思う! ほら、私たち強いし!」

 

 リウラとリリィはかなり強い。それは客観的に見ても事実だ。

 

 回収を忘れたのか、それとも“後で()び出せば良い”と思っているのか、ディアドラは水蛇(サーペント)という巨大な使い魔を置いたまま去って行った。

 そのため、リリィは置き去りにされた水蛇の精気を改めて吸収することができ、あの巨体に秘められた莫大なエネルギーをほぼ丸ごと手に入れることができた。今や、彼女の魔力はそんじょそこらの睡魔とは比較にならないほどに強化されている。

 

 対してリウラはその水蛇(すいだ)の牙を単独で防いで見せるほどの、素早く正確な水流操作技術を持っており、さらにはリリィの追尾弾を軽々と(かわ)し、()らすほどの体術・護身術を操ることができる。

 

 そこらのごろつき程度なら、この2人に誘拐や強盗を(こころ)みたところで大抵が返り討ちだろう。

 もちろん、この迷宮には2人以上に強い者も存在するだろうから油断はできないが。

 

「さ、ほら! さっさと宿をとって町を楽しもう!」

 

 いまだに緊張がとれないリウラの様子を見て焦ったリリィは、リウラの手を引きながら、急いでロジェンが教えてくれた宿を目指す。

 

 とりあえず、露店や屋台を見て回り、リウラをリラックスさせよう――そうリリィは心に決めて、周りの人々の視線を振り切りながら歩き続けた。

 

 

***

 

 

「お、美味しい~~~!!」

 

 そう言って涙を流して喜んでいるのはリウラ……ではなく、リリィであった。

 

 宿を予約した後、リウラと町を見て回っていたリリィが、ふらふらと屋台で売っている串焼きの匂いに引き寄せられ、ひとくち食べた感想がこれである。

 

「な、涙を流すほどに美味しいの?」

 

 リリィのそのあまりにも感激した様子に、少なくない驚きと興味を感じ、リウラが聞き返す。

 

「ううん、普段ならここまで感激するほどじゃないんだけど……なにしろ、この1週間ずっと調味料も香辛料もない生魚ばっかりだったから……!」

 

 水精は飲食しなくとも生きていけるうえ、好んで口にするのは固形物ではなく飲み物なので、基本的に彼女達は料理をしない。なので当然、水精の隠れ里には調味料も香辛料も存在しなかった。

 

 おまけにリリィの魔力が低いうちは発火魔術さえ使えなかったため、生魚のまるかじりオンリーという、なんとも生臭くて味気(あじけ)のない食生活だった。

 それに比べれば、この串焼きは極上と言える。

 

 リリィのそのあまりにも美味しそうに食べる様子に、リウラの(のど)がゴクリと鳴った。

 

「ね……、ねぇ……私もひとくち食べていい?」

 

「え……、別に良いけど……」

 

 リリィはためらう。

 

 リリィが食べているのは、とある魔物の肉を串焼きにしたものだ。

 だが、基本的に精霊は肉食を好まない。口に含んだ瞬間に吐き出したくなるほど不味く感じるのだ。

 正直に言って、そんな思いをわざわざリウラにさせたくはない。

 

 しかし、リウラはとても好奇心旺盛(おうせい)な水精だ。

 リリィが『美味しい』と言って食べているものを『不味いよ』と言ったところで納得するはずもなく、『いっぺん食べてみたい』と言われるのは明白だった。

 

 別に身体に害があるわけでもなく、リウラと同系統の精霊で実際に肉を食べたことのある者も原作の世界には存在するので、リリィは少々ためらいつつもリウラに串焼きを渡す。

 

(……まあ、これも経験だよね)

 

 そんなリリィの思いもつゆ知らず、リウラはワクワクとした表情で串焼きにかぶりついた。

 これからリウラに訪れる悲劇を思い、リリィは心の中で十字を切る。

 

「……お」

 

(……『おえぇ~』、かな?)

 

 屋台に来る途中で買ったハンカチをいそいそとリリィは開き、リウラが吐き出したものを受けるために備える。

 

「美味しい~~~~~!!!!??」

 

「へ?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

「うわ! ホントに美味しい!! お肉の汁がじゅわっと口の中に広がって……! えーっと……これが“ジューシー”って言うのかな!?」

 

 リウラの眼がキラキラしている。

 リリィや屋台の店主への気づかいでも何でもなく、本当に美味しいと感じているのがはっきりとわかる。

 

(あ、あれ……?)

 

 リリィは戸惑(とまど)う。

 

 先も述べたように、精霊は肉の(たぐい)を好まない。

 精霊達が美味しいと感じるのは、基本的にその精霊の本質に沿ったもの……水精であれば、美味しい水で作られたお酒、木精(ユイチリ)であれば、栄養豊かな肥料といったものでなければならないはずである。

 

 もちろん、例外はある。

 “その精霊が発生する土地が大量の死体や血で(けが)されており、精霊を構成する肉体の中にそれらが混ざってしまう”、あるいは、“飢えて死んだ動物などの霊が乗り移る”といった条件を満たせば精霊は血に飢え、肉食を(この)むようになる。

 

 だが、リウラが生まれた場所は非常に清らかな地底湖。

 魚を狩ったことがあるとはいえ、別に魚の死体で埋まっているわけでもない。

 リウラが血に飢えて、“他の生物を襲いたい”と思っているような様子もまるで見えない。……リウラが肉を“美味しい”と感じるはずがないのだ。

 

(私と魔王様の知識が間違っている……? ゲームの設定なんて後づけでいくらでも変わるし、魔王様だって精霊にそこまで深い興味があったわけでもないし……)

 

 リリィが考え込んでいる間に、リウラは咀嚼(そしゃく)を終えてゴクンと飲み込む。

 リウラは眼を輝かせながら、残った串焼きをリリィに返す。

 

「私も自分の分、買ってくる!」

 

 リウラはそう言うや否や、すぐに先の屋台へ向かう。

 その様子はリリィから見て、非常に楽しそうだった。

 

(……まあ、理由なんてどうでもいいか。お姉ちゃん楽しそうだし)

 

 元々の身体に対して直接肉を混ぜ込むのならばともかく、食事として吸収する分には肉を摂取しても血に飢える危険性はない。

 食べられる食事のバリエーションが大幅に増えるということは、リウラと食事をする楽しみが増えるということだ。それはリリィにとってもリウラにとっても幸せなことだった。

 

 はやる様子で水の(ころも)から財布代わりの小袋をいそいそと取り出すリウラを見て、リリィは微笑みつつ残りの串焼きを食べ始める。

 

 

 ――その時、リウラの後ろを1人の狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が通り過ぎた

 

 

 ドンッ

 

「わっ!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 狼そのものの頭部を持つ、体格の良い獣人にぶつかられ、リウラは尻もちをつく。

 リリィは慌ててリウラに駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、大丈夫!? 怪我はない!?」

 

「う……うん……。ちょっとぶつかっただけ」

 

 リウラに怪我がないことに、ほっとするリリィ。

 だがその直後、リリィの顔からサーッと血の()が引いていく。

 

「リリィ?」

 

 リウラがリリィの異常に気づく。

 リリィの視線が自分ではなく別のところ……リウラから少し離れた地面を見ているのを見て自分もそちらを向く。

 直後、リウラの顔もリリィと同じように青ざめていく。

 

 地面に落ちていたのはリウラの財布代わりの小袋……その一部。

 スリに取られないよう、水の鎖によって小袋の口とリウラの水の衣のポケットを繋いだリウラの財布は、その対策を嘲笑(あざわら)うかのように、鋭利な断面を残した袋の口だけを残して地面に転がっていた。

 

 

***

 

 

「ぐぁっはっは! そうか、やっぱりスられたか! わっはっはっは!!」

 

「笑いごとじゃないよ! 『やっぱり』って、何!? わかってたんなら、どうして教えてくれなかったの!」

 

 リウラ達は、あの後すぐに宿に戻った。

 自分達の予想を上回る治安の悪さに『いったん宿に帰ったほうが良い』という意見が一致したためだ。

 

 リウラ達がとった宿の名は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”。

 ロジェンが『この町で一番安全な宿』と紹介してくれたところだ。

 

 少々値段は高めだが、部屋は広めだし雰囲気も良い。

 1階には食堂と酒場を兼ねたスペースもある。一度心を落ち着けるには最適だった。

 

 リウラとリリィがいるのは、その食堂兼酒場のカウンター席。

 昼時(ひるどき)を過ぎているため、リウラたち以外に人はほとんどいない。

 

 目を吊り上げるリウラの前で豪快に笑っているのは、この宿の主人だ。

 

 きれいに整えられた口髭と髪は、高齢によるものか真っ白に染まっているにもかかわらず、背はピシリと伸びており、鍛えられた筋肉がシャツを押し上げている。

 顔もしわが刻まれているにもかかわらず、瞳はいたずら小僧のように輝き、その笑顔も笑い声も若々しさに満ち溢れていた。

 ロジェンによると、老いてなお若い戦士を簡単にボコれる腕っぷしを持っているらしい。

 

 主人は、人間族と同じ位置にある犬耳を震わせながら、リウラ達の失敗談に大笑いしていた。

 

「あん? ロジェンの嬢ちゃんは教えてくれなかったのか? 『そんな(ひも)で繋いだくらいじゃスリは防げねぇ』ってよ」

 

「うっ……ほ、他にもスリから身を守る方法は教えてくれたけど……、それでも『それじゃ、スリは防げないから気をつけてね』の一言(ひとこと)があっても良いでしょ!?」

 

 正確には、人込(ひとご)みでスリを含めた他人から身を守るための方法を、リウラはロジェン達から教わっていた。

 

 水精は接近戦を不得手(ふえて)とし、高い魔力を()かした水の魔術による遠距離攻撃を得意とする種族である。

 つまり、他の種族に比べて体格やパワー、素早さがやや劣る種族なのだ。

 リウラや、その友人の双子の水精――レインとレイクなどはシズクに鍛えられているため、例外的に近接戦を得意とするが、それでも彼女達以上に動ける者はごまんといる。

 

 そんな彼女達は、常に自分の周囲に水球を待機させ、いつでも自分の身を守れるようにしている。

 ロジェン達が教えたのは、その応用で、“財布を取り出すときには、自分の周囲に水壁を張る”というものだ。

 

 水精の魔力は他の種族と比べても高めだ。

 そんな水精が作り上げた水壁を押し破ってまで財布を奪おうとする者など、そうそういない。

 わざわざ騒ぎを起こしたり、そこまでの労力を使ってまで水精の財布を奪うよりは、もっと狙いやすい獲物を探したほうがよほどリスクもかからないし、体力も浪費せずに済むからだ。

 そして、リウラはこれを(おこた)った。だから、盗まれてしまったのだ。

 

 宿の主人――ブランはリウラの答えを聞いて、呆れたように深くため息をつく。

 

「ほれ見ろ、やっぱり教わってんじゃねえか……。つか、そんな中途半端な状態で嬢ちゃんを外へ出したのか……」

 

 「あの面倒見のいい嬢ちゃんらしくねえな」とブランは首をひねる。

 

 ブランの知る彼女――水精ロジェンならば、何日も……へたすれば何ヶ月もかけて、みっちりと対策を仕込んでから送り出しそうなものだ。

 イメージのズレにブランがわずかに困惑していると、その疑問にホットミルクのカップを傾けていたリリィが答えた。

 

「……事情があって、すぐに別れなければならなかったんですよ。外に出る準備をする時間は、ほとんどありませんでした」

 

 元々ロジェン達はリウラを地底湖の外に出すつもりなどなかった。外での防犯対策など教えるつもりもなく、リウラの防犯知識はほぼ完全にゼロだった。

 

 ところがディアドラとの一件でリウラは隠れ里を離れることになり、水精達はすぐに別の拠点へ移らざるを()なくなった。

 必要最低限の防犯対策を口頭でリウラに伝える以外に、ロジェン達はどうしようもなかったのだ。リウラの防犯意識が薄いのは仕方がないことであった。

 

 ブランは「そうか」と言うと、それ以上は()いてこなかった。

 代わりに、先程のリウラの質問に答える。

 

「仮に“嬢ちゃんたちがそれを理解できてねぇ”って知っててもよ、俺はわざわざ『気をつけろよ』なんて言わないぜ?」

 

「なんで!?」

 

()りねえからだ」

 

「へ?」

 

 リウラは予想外の答えに、きょとんとする。

 リリィは意味が理解できたらしく、表情が若干苦々(にがにが)しいものになっている。

 

「嬢ちゃんたちはロジェンの嬢ちゃんに『気をつけろ』と言われてんのに、それでもスられただろ? 他人がいくら言ったって、本人がちゃんと“どんだけ危ないのか”ってのを理解できてなきゃ意味がねえ」

 

「俺が一言(ひとこと)言やあ、今回は防げたかもしんねえが、しばらく()ったら忘れておんなじようにスられちまう……こういうのは、いっぺん痛い目を見させるのが一番本人のためになるんだよ……深刻な被害が出ない程度にな」

 

 ロジェンから言われていたにもかかわらず、実際にスられてしまったリウラはぐぅの()も出ない。

 町に入った時にリリィからも注意を受けていたことを思い出し、よけいにブランの(げん)に説得力を感じてしまう。

 

 その時、ブランの表情を見たリウラは気づいた。

 

(あれ……? なんか、遠い目してる……)

 

 ブランは何かを思い出すように遠い目をしていた。

 リウラから見て、その目はなんとなく後悔しているように見えた。

 

(う~ん……ひょっとして、ブランさんもおんなじ間違いをしたのかも)

 

 リウラ達を、若い頃の自分に重ねて見ている……そう考えれば、つじつまは合う。

 

 そこまで考えが至ると、リウラの気持ちがストンと落ち着いた。

 『自分たちの(ため)にしてくれたのだ』と感謝の気持ちが生まれ、同じミスをしたと思われるブランへの親近感すら()いてくる。

 

 ブランが遠い目から戻ってくると、ニヤリと笑いながら、今度はリリィに視線を向ける。

 

「そこの睡魔の嬢ちゃんみたいに(はな)(ぱしら)の高い奴は特にな」

 

 リリィはその言葉を聞くと、(ふくれ)れっ(つら)になりながら飲み終えたカップの飲み口を口にくわえ、行儀悪くブラブラと()らす。

 

 リウラもリリィも、外の世界の危険性を理解している()()()になっていたが為に失敗したが、その根っこにある大本の原因は、それぞれ全く異なる。

 

 リウラの場合は経験不足によってアドバイスを失念していたことが原因だが、リリィの場合は自身の能力への過信が原因だ。

 

 リリィの前世の記憶の中には、町で生活した記憶もある。それに対して、リウラはそうした経験は全くない。

 そんなリウラを(そば)で見ていて、リリィは無意識のうちにリウラを下に見ていたのだ――町での生活については自分のほうが経験者だ、と。

 

 この時点でリリィは自分の経験を過信し、その経験がこの世界でも通用すると考えてしまったのだ。

 銃社会ですらない、人権が保障された平和な国での生活経験など、日常的に殺人や人身売買が行われているこの世界では通用しないというのに――

 

 さらに、水蛇を撃破した経験がこの過信を後押しした。

 

 “自分達はあんなに強大な魔物を撃破したのだ”、“水蛇の精気を吸収した自分に(かな)う魔力の持ち主など、そうはいない”……こうした自分に対する過剰な自信が、“何かあっても自分達なら腕力で解決できる”とリリィに勘違いさせた。

 

 だが結果はご覧の通り。

 スリに、あっさりと目の前で大切な姉の財布が盗まれ、取り押さえることもできないうちに群衆に(まぎ)れこまれた。

 わかりやすく走って逃げてくれてでもいれば、リリィの気配探知に引っかかるのだが、相手はそんな間抜けではなかった。

 

 “ブランの言うことは正しい”……リリィはそう感じていた。

 今、痛い目を見ておかなければ、リリィはどんどん(おご)り高ぶり、いつか取り返しのつかない失敗をしてしまっただろう。

 精気の吸収で加速度的に強くなるリリィは、たいていの物事を腕力で解決できるようになってしまうので、他人(ひと)と比べて失敗するチャンスが少ないからだ。

 

 だが、だからと言って自分の失敗を他人に笑われて良い気持ちがするはずがない。リリィの機嫌は急降下したままだ。

 リリィは、こういう時にパッと気持ちを切り替えられるリウラを尊敬する。

 水の精霊は(うつ)ろいやすい性格を持つ傾向があるので、それが関係しているのかもしれない。

 

 また、“全財産を奪われたわけではない”という事実も、リウラの気持ちを切り替える一助(いちじょ)となっているのだろう。

 

 ロジェンは奪われた場合のことも想定してリウラ達に対策を授けていた。

 具体的には、財布をリウラとリリィで2分割し、さらに、通常使うものと緊急時のために取っておくもので2分割――計4分割することで、もしどれか1つが盗られたとしても被害を最小限に抑えるようにしていたのだ。

 

 こうやって落ち着いて話していられるのもロジェンのおかげだった。

 とはいえ、このまま“のほほん”としていられるほど、お金に余裕があるわけでもない。

 

 なので、さっそくリウラは自分の失敗を取り返す算段を始める。

 

「ねえ、ブランさん。私が魚を()ってきたら買ってくれる?」

 

「そういうのは業者で間に合ってんだ。てっとり(ばや)く金が欲しいんなら、そこの依頼でもこなしたらどうだ?」

 

「依頼?」

 

 洗った皿を()きながらブランが(あご)で示した方向には、大量の張り紙がされた告知板(こくちばん)があった。

 

 宿屋や酒場といった場所は、近隣(きんりん)からの情報が集まりやすく、また様々な技能を持った人物がやってくる。

 それらの情報や人材を有効活用するため、このように依頼書を貼りつけるスペースが(もう)けられていることが多いのだ。

 形式や内容は、その土地特有の依頼であったり、特定の組合からの依頼であったりと様々である。

 

 ピョンと椅子から降りたリウラは、その壁の前まで来ると、その紙を1枚1枚読み上げていく。

 

「“日向(ひなた)の薬草求む”……“樹霊(じゅれい)の迷宮までの護衛”……“虹色の福寿魚(ふくじゅうお)求む”――あ、これすごい! 81,000だって! ね、リリィ! これやってみない!?」

 

 リウラが目を輝かせる。

 ラウルバーシュ大陸で使用される通貨には、ルドラ・ディル・サントエリル・シリン・エリンなど様々なものがあるが、このあたりで使われている通貨は、ひどく大雑把(おおざっぱ)にまとめて1通貨単位あたり、おおよそ2,000円程度の価値がある。

 つまり、81,000は日本円に換算して約1億6,200万円に相当する。リウラが大声を上げるのも無理はない。

 

「いや、無理だよ、お姉ちゃん……この魚、すんごい見つけにくいんだから……」

 

「そうなの? 私とリリィなら、()りなんてしなくても水中から一目(ひとめ)で探せるし……」

 

「その程度で見つかるなら、こんな報酬額になってないって……」

 

 「う~ん」と(うな)りながら、自分たちに合った依頼を探し直すリウラとリリィ。

 

「あ、これどう? “蜥蜴人族(リザードモール)一族の討伐”だって! これもすっごい報酬高「お願いだからそれはやめて。いやホント真剣にお願いします」……ど、どうしたの、リリィ?」

 

 しゃべっている途中で割り込み、リウラの両肩をつかみつつ必死に頭を下げて『その依頼だけは受けないでくれ』と頼みこむリリィに、リウラは目を白黒させる。

 

「あ~、嬢ちゃん。そいつは小さな国の軍隊を丸々ひとつ相手にするようなもんだ。やめといたほうが良い」

 

 見かねたのか、ブランが口を(はさ)んでくる。

 

「あれ? アドバイスしてくれるの?」

 

「自分から死にに行くようなことをしてたら、さすがにな。なんも言わずにそのまま行かせて死んじまったら寝覚(ねざ)めが悪りぃ」

 

「でも、私達、まがりなりにもサッちゃんに勝ったし……」

 

「お姉ちゃん。この人達、たぶん軽々とサッちゃんを狩れると思うよ」

 

 その言葉に、リウラは冷や汗を垂らしながら「ホント?」と問いかけると、リリィはこっくりと頷く。

 

 サッちゃんとは、リリィ達が倒した水蛇(サーペント)の名前だ。

 “仮”とはいえリリィの使い魔になったことで、『仲間になったんだから“サーペント”と呼ぶのは味気ない』と、リウラが嬉々(きき)として命名した。

 

 彼は、今や住む者のいない水精の隠れ里(あと)で、リウラ達の思い出の場所が荒らされないよう、リリィによって(ばん)を命じられている。

 本契約者であるディアドラが()び出すまでは、あの場所を守ってくれるだろう。

 “……仲間というよりはペットにつける名前だよね”とリリィが思ったのは内緒である。

 

 依頼に書かれている討伐対象の蜥蜴人族(リザードモール)は、この迷宮の一大勢力として有名だ。

 彼らはその大半が武力至上主義の戦闘狂(バトルマニア)であり、個人個人が高い力量を持っている。

 

 魔王の意識が人間族との戦争に向いていたとはいえ、かつての魔王軍の侵攻を大した損害もなく退(しりぞ)けていることからも、その実力の高さが(うかが)える。

 水蛇(すいだ)の1匹程度、彼らは苦もなく倒してしまえるだろう。

 

「あぁそういや、その依頼を出した奴ァ死んだって、昨日の晩に連絡があったぜ。()がし忘れて悪かったな」

 

 そう言うとブランが壁に歩み寄り、依頼が書かれた張り紙を告知板から剥がす。

 その様子を見ながら、リリィは疑問を覚えていた。

 

(……でも、こんな危険な依頼、いったい誰が……?)

 

 リリィが不審(ふしん)に思って、ブランの手にある張り紙の依頼主の欄を見るが、その名前に見覚えはない。

 リリィは思い切って聞いてみた。

 

「ブランさん、この依頼って誰が出したんですか?」

 

「魔王軍だ」

 

 ブフォッ!

 

 リリィは思わず噴き出した。

 リウラも驚きに目を丸くしている。

 

「どうも、この蜥蜴人族(リザードモール)の侵略を任されてた奴らしいんだが、(かた)(ぱし)から返り討ちにあっていたようでよ……形振(なりふ)り構っていられなくなったらしい。『徴集した兵士が片っ端から死んじまう』って泣きながら、ここでよく酒をあおってた」

 

「そ、そうですか……」

 

(そりゃ、自分の首がかかってるもんね……魔王軍も色々大変だったんだなぁ……)

 

 魔王軍の中間管理職は、失敗すれば文字通りに()()飛ぶ。

 その事実を知るリリィから(かわ)いた笑いが漏れた。

 

 気を取り直して再び自分たちに合った依頼をリウラ達は探し始める。

 「あ……」という声とともに、リウラの視線が止まった。

 

「リリィ、これにしない?」

 

 リウラが指差したのは、“オークの盗賊団の討伐”。

 

 オークとは、鬼族(きぞく)という種族の一種だ。

 豚に似た鼻と、ぷっくり太ったお腹、緑色の肌が特徴で、頭はさほどよろしくないが、体力と器用さに優れた種族である。

 

 依頼の内容は、この近辺(きんぺん)で悪さを働くオークの盗賊団を討伐し、依頼者に引き渡すことと、以前、彼らに奪われた高価な指輪を取り戻すこと。

 報酬は討伐遂行(すいこう)で1000、指輪の奪還(だっかん)で500、合わせて1500だ。

 

 戦闘能力以外にあまり特筆すべきもののないリウラとリリィには向いている依頼だといえる。依頼難度と報酬のバランスも妥当なところだ。

 だが、リウラとリリィの戦闘力ならもっと難度の高い依頼もこなせるだろう。

 

「いいけど……他にももっと(わり)の良いのがあるよ?」

 

「うん。でも、これにしたい。……“盗られたものを取り返したい”って気持ち、他人事(ひとごと)とは思えないから……」

 

 どうやら財布を盗られた(つら)さを知っているが故に、見過(みす)ごせないらしい。

 「ダメかな?」と申し訳なさそうに()いてくるリウラに、リリィは苦笑した。

 

(……損な性格してるなぁ……そこが良いところなんだけど)

 

 その“損な性格”に救われたリリィが『(いな)』と言えるわけがない。

 リウラ達の初仕事が決まった。

 

 

***

 

 

 ゴォン!!

 

 ガッガン!!

 

 前方から振り下ろされた棍棒を余裕を持って(かわ)し、左から切りつけられた無骨(ぶこつ)な剣を水壁で受ける。

 リウラが作り出した球面状の水壁に接触した剣は、壁面の水が素早く下に流れたことで力を受け流され、地面へと叩きつけられる。

 

 その時には棍棒を振り下ろしたオークの胸元(むなもと)に、(つち)の形をした人の頭ほどの大きさの水球が生み出され、次の瞬間、オークの(あご)を下から上へと打ち上げる。

 

 ゴッ!!

 

 脳震盪(のうしんとう)を起こしたオークが倒れるのを待たず、リウラは左のオークへ視線を向けながら前方へ飛び出し、頭の中で周囲の水球たちへ指示を飛ばす。

 

 剣を再度振りかざしたオークがリウラを追いかけようとする直前、後ろからヒョイと水の手がオークの(かぶと)を奪い去り……その直後、オークの頭上で待機していた水球のひとつが急降下してオークの脳天を打ち抜いた。

 

 ズンッ!!

 

 脳天に衝突した水球は、オークの頭の形に歪みながらその衝撃を(あま)すことなく伝え、オークの意識を奪う。

 

 オークたちが倒れる音を聞きながら、リウラは周囲に敵がいないか気を配り、最後に倒したオークたちが起き上がってこないかしばらく観察すると、「ふーっ」と大きく息を吐いて警戒を解いた。

 

「やっぱりお姉ちゃん、すごいね……本当にオークと戦うのって初めてなの?」

 

 リウラの後方からリリィがやってくる。

 彼女の左手には小型の水盾が、右手には水の長剣が装備されていた。

 

 リリィが左の人差指を上に向けると、倒れていたオーク達の全身から淡く輝く精気が強引に引き出され、リリィの立てた指へと吸い込まれていく。

 

「初めてだよ~。私が実際に戦ったことあるのって、シズクとレイン、レイクの3人だけだもん」

 

「その割には、なんか(さま)になってたような……体捌(たいさば)きとか周囲の状況確認とか。それもシズクさんから教わったの?」

 

 水精シズクは、肩甲骨まである真っすぐな髪と、水の巫女服がとてもよく似合う、もの静かな雰囲気の水精だ。

 ティアの親友であると同時にリウラの護身術の師でもあり、リウラ(いわ)く『いまだに自分との実力差が見当もつかないほど強い』らしい。

 

 リウラの動き、そして水術の扱いは素人目(しろうとめ)に見てもかなり綺麗で的確だった。

 まるでオーク達がどのように動くのかを(あらかじ)め知っていたかのように丁寧に素早くさばき、あっという間に片づけている。

 ただ身体の動かし方を知っているだけでは、こうはいかないだろう。おそらく迷宮での立ち回り方や、オークの一般的な戦い方も教えられているはずだ。

 

「そうだよ。どんな地形があって、どんな種族がいて、どんな戦い方をしてきて、それに対してどう対応するか……嫌になるほど勉強させられたよ」

 

 リウラがやや遠い目になる。

 

 頭を使うことも武術を学ぶことも決して嫌いではないのだが、様々な種族・生物の“殺し方”を延々(えんえん)と頭に叩き込むのだけは、リウラにとって少々苦痛だった。

 “隠れ里の外に出るため”、“自分の身を守るため”という目的がなければ、“殺し方”だけは教わっていなかったかもしれない。

 

 リウラの回答を聞いて、リリィはふと疑問が()く。

 

「シズクさんって、いったい何してた人なんだろ……?」

 

 水精ティエネー種は基本的に温厚な種族であり、あまり戦闘を好まない。

 どう考えても戦闘の専門家としての知識を持っている水精シズクは、かなり風変(ふうがわ)りな人物だ。

 

 リウラは「えーと……」と視線を左上にやって、シズクから聞いた話を思い出す。

 

「たしかシズクは大陸の東の生まれで、生まれてすぐに武術を習い始めたんだって。理由は詳しくは教えてくれなかったけど、その武術を教えてくれた人を探して、シズクは色々と大陸のあちこちを旅しつつ腕を(みが)いてきたらしいよ?」

 

 そう言われてみれば、彼女の(よそお)い――リリィの前世の世界で言う“東洋風の意匠(いしょう)”は大陸東方、もしくは南東のディスナフロディ周辺独特のものだ。

 

 水精の(まと)う水の衣の意匠(デザイン)は、生まれた地域の文化に大きく依存する。

 周囲の人間や亜人の装いを見て、『それが人型生物の着るものなのだ』と認識して自分の身体とともに無意識に作成する――いわばアイデンティティのひとつであり、もうひとつの自分の身体そのものなのだ。

 

 彼女達は無意識下で“自分の身体はこういうもの”と認識しているため、それを容易に変化させることはできない。

 だから、水精は全身が水でできているにもかかわらず、現在の人型の姿と、自らの根源である“水そのもの”以外の姿に、自分の身体を変化させることができないのだ。

 

 それはもうひとつの身体とも言える水の衣も同様。

 “身体”ではなく“衣服”という認識であるため、変化させようと思えばできないことはないが、それを維持するには相応の集中力と精神力が必要となる。

 

 つまり、シズクが普段から東洋風の衣装を纏っていたということは、彼女が東方諸国やディスナフロディといった東洋系文化がある地域の出身であるという、これ以上ない証拠だった。

 

 そこまで考えて、リリィはふと自分の思考に違和感を覚える。

 ――そんな変化させるのが難しいはずの水の衣を、ヒョイヒョイとお着替え感覚で気軽に変化させる水精を、つい最近見たことがあるような……?

 

「リリィ! 見て見て!!」

 

 リウラの声に意識が現実へと戻される。

 

 リウラが指差している方向を見ると、オークたちの居住区らしき場所が見える。

 その中に、宝箱がいくつか置いてあるのが見えた。

 

「依頼にあった“指輪”ってあの中じゃない!? 開けてみようよ!!」

 

 リリィはピクピクと耳を動かし、もうオークらしき気配がないことを確認すると、頷いた。

 

「……うん。盗賊も全員倒したみたいだし、指輪を探そっか」

 

 いつ敵が来るかわからない場所での考え事は危険だ。そのことはリリィが身を(もっ)て知っている。

 

 リリィは先程までの思考を後回しにし、宝箱へと向かうリウラの後を追った。

 

 

***

 

 

 宝箱――というと、ゲームや物語では金銀財宝ザックザクのボーナスアイテムのイメージだが、この世界ではそんなことはない。ただの金庫である。

 

 その手の店に行けば、ズラリと同じように量産されているものがたくさん見つかるだろう。

 それが、どういうことを意味するか………………答えは目の前の姉の行動にある。

 

「お姉ちゃん……何してんの……?」

 

「ふっふっふ……まあ、見ていたまえ……♪」

 

 宝箱の目の前についたとたん、いきなり姉は鍵穴をいじりだした。

 よく見れば、リウラの手元で少量の水が鍵穴に向かって伸びているのが見える。

 

 数秒後、カチンと音が鳴る。

 リウラはそれを聞くと(ふた)を持ち上げる――鍵は完全に解錠されていた。

 

(お……お姉ちゃん……犯罪とかしてないよね?)

 

 姉の持つ意外な特技に、リリィは冷や汗を流しながら若干引いている。

 そんなリリィをよそに、リウラはのんきな声を出してほっとする。

 

「良かった~。ウチにあったのとおんなじ金庫で」

 

「? どういうこと?」

 

「前に、里にある唯一の金庫の鍵がなくなって大騒ぎしたことがあってね? ……ほら、隠れ里(ウチ)って基本的に外部との接触を()って身を守ってるじゃない? だから、鍵職人を呼ぶこともできないし、金庫を壊して新しい金庫を買って帰るのも『目立って隠れ里の位置がバレると嫌だから、できれば避けたい』ってなって……それで、里で2番目に器用な私に声がかかったってわけ」

 

 ちなみに1番器用なのはリウラの師であるシズクだが、ちょうどその時彼女は外界(がいかい)の情報収集のために外出していたらしい。

 

「ちょっと時間はかかったけど、無事に金庫は開いて、必要な鍵の形を金庫番の人に教えて、めでたしめでたし。その時のと同じタイプの金庫だったから、おんなじ方法で開けられたよ」

 

 余談だが、この件で金庫番とリウラ以外に鍵が開けられなくなったため、金庫番の水精は『セキュリティが向上した』とプラス思考で喜んでいたそうだ。

 

 宝箱を思い通りに解錠できて嬉しかったのか、「怪盗リウラ参上!」とノリノリで自分の衣装を変化させるリウラ。

 タキシードにシルクハット、マントに単眼鏡(モノクル)というその姿は、怪盗というよりも手品師(マジシャン)のようだ。

 

 隠れ里の(おさ)であるロジェンが寝物語(ねものがたり)にリウラに良く話してくれたという、彼女自作の物語に登場する義賊 “怪盗ミスト”の()()ちである。

 

 リリィも一度だけ聞かせてもらったことがあるが、魔術とトリックを併用してピンチを切り抜ける(さま)が良く練りこまれており、前世で色々なメディアに触れていたリリィをして、かなり面白いと思わせる話だった。

 

 リリィは、そんなリウラを見て口を半開(はんびら)きにした状態で唖然(あぜん)とする。

 

(そうだ、お姉ちゃんだ……簡単に水の衣を変えられる水精……!)

 

 先の思考で感じた違和感の原因は、自分の姉だった。

 今リリィの目の前でやって見せたように、リウラは自分の服をたやすく変化させることができるのだ。

 

 肉の串焼きを平気で食べたことといい、リリィは本気で自分の知識に疑問を覚え、もう一度魔王の魂にアクセスしてその記憶を総ざらいする。

 

 一方、ビシッとポーズをとってカッコつけていたリウラは、突然「あれ?」と首をひねる。

 

「どうしたの?」

 

「いや、私が鍵開けできるの知らないんだったら、リリィは金庫をどうするつもりだったのかな? ……って」

 

 リウラがいつもの服――サイドポニーと(そで)が分かれたワンピース――に服装を戻しながら問いかけると、リリィは「ああ」と納得したような声を上げる。

 

 “高価な指輪を取り戻してこい”という依頼なら、“指輪は金庫に入っている可能性が高い”と考えて当然だ。リリィもそこのところはちゃんと理解している。

 

 リリィは隣の宝箱に向かうと、宝箱の蓋と箱本体の間の(わず)かな隙間にガシッと両手をかける。

 

 バキャンッ!!

 

「こうやって」

 

「……お姉ちゃんドン引きだよ」

 

「なんで!?」

 

 バカ魔力(ぢから)にものを言わせて頑丈な金庫の鍵を破壊した妹に、複雑な視線を向けるリウラだった。

 

 

 ――ピクッ!

 

 

 リリィの猫耳が跳ねる。

 

 遠くから近づいてくる足音と気配……それも駆け足だ。

 数は2つ。特に追われているような様子はないが……

 

(まっすぐこっちに近づいてきてる)

 

 彼ら、あるいは彼女らもオークの盗賊団を狩りに来た? ……可能性はゼロではないが、まず無いだろう。

 

 リリィ達がこの依頼を引き受けた時に、告知板に貼ってあった張り紙は外してあるし、ブランは『ウチの告知板に貼られた依頼が(かぶ)ることはまず()ぇから、安心して行ってこい』と言っていた。

 となると、この足音の(ぬし)はリリィ達に用があるのか、それともオークの盗賊団の跡地に用があるのか……はたまた……

 

(ダメだ、情報が少ない。考えても無駄か)

 

 リリィは思考を放棄する。

 自分達が世間知らずであることを身に染みて味わった直後なのだ。近づいてくる者達がどんな人物であるにせよ、かかわらない方が無難(ぶなん)だろう。

 触らぬ神に(たた)りなし、だ。

 

「お姉ちゃん、隠れるよ」

 

「ほぇ?」

 

「理由は後で話すから」

 

「わ、わかった」

 

 リリィは依頼の指輪を回収することを諦め、リウラの手を引いて急いで盗賊団のアジトを離れるが……

 

 ――ピクリ

 

 驚きに目を見開いたリリィの猫耳が再び跳ねる。

 

(追いかけてきた!?)

 

 どうやら足音の(ぬし)たちはリリィ達に用があるらしい。

 しかも、既にこちらの気配をしっかり補足されてしまっている。

 

 リリィは舌打ちを鳴らすと、気配を隠す魔術を発動させる。

 

「あ、あれ? リリィの気配を感じなくなった?」

 

「お姉ちゃん、そこに隠れて!」

 

 突然(となり)にいるにもかかわらず妹の気配を感じられなくなって戸惑(とまど)うリウラを、無理やり迷宮の(くだ)り階段の陰に押し込み、息を(ひそ)める。

 

 唇の前に人差指を立ててリウラに“しゃべるな”と示すと、リウラは口を両手で(ふさ)いでコクコクと頷く。

 

 足音がどんどん大きくなる。

 

(このまま通り過ぎて……!)

 

 しかし、無情にも足音はリリィ達が(ひそ)む階段の近くで止まった。

 ここにきてようやくリウラは“何者かが自分達を探している”ことを知り、緊張した雰囲気を(ただよ)わせる。

 

 ――“すん”と鼻を鳴らす音をリリィの猫耳が(とら)えた

 

(獣人族だった!?)

 

 獣人族の鼻の良さは、文字通り獣並(けものな)みだ。

 特に犬系の獣人であれば、匂いから相手の居場所を探ることなど朝飯前である。

 

 弾かれたようにリリィがリウラの手を(つか)んで階段を下ろうとするが――

 

「待って、お願い!」

 

 ――その懇願(こんがん)するような響きに、涙声(なみだごえ)に、思わず足を止めた。

 

 

 

「お願い、私達を助けてください!!」

 

 

 

 


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