水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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最終章 水精リウラと睡魔のリリィ 後編

 ――再び時間は現在に戻る

 

 ザルツ城の地下にある塩の大神殿。

 旧:古神(いにしえがみ)ティアマト……現:塩の(かんなぎ)の住まう神殿だ。

 

 現神(うつつかみ)に姿を(さら)すことのないこの場所にて、彼女はシュナイルの民を守護してくれている。

 自分の命の恩人であるリウラ達への恩返しとして、そして自らの子である神々が愛したという人々を知り、見守るため、セシル達の願いを聞いてくれたのだった。

 

 数多の神々の親であった彼女の加護は凄まじく、家内安全、学業成就、商売繁盛、勝利、成功、安産・子宝となんでもござれ。

 1つ1つの効果はささやかなものに留めているが、種類はまさしく加護のバーゲンセールであり、シュナイルの発展に凄まじく貢献していた。

 

 

 ――そして今、彼女は1人の恩人の願いを叶え終わったところだった。

 

 

「よく来たな、リリィ、リウラ」

 

「お久しぶりです、塩の巫様」

 

「こんにちは~!」

 

 朗らかに挨拶する2人に優雅に微笑むと、塩の巫は背後に振り返り、子をあやすように柔らかな声で促した。

 

「……さあ、どうした? 私の陰に隠れずに、立派になったそなたの姿を見せると良い」

 

「……」

 

 おずおずと塩の巫の背後から現れる、人形のように小さな影……それは、リリィの(つるぎ)にして鎧たる魔導機神ツェシュテルであった。

 

 しかし、その様相は以前と少し異なり、以前はどこか作り物めいていた肌が、生気溢れるみずみずしい少女のものに変わっている。

 髪と瞳の色も変わっており、紫銀の長髪と黄金の瞳は、共に眼の覚めるような美しい翡翠色へと変わっていた。

 

 そして何より、彼女から感じる気配。

 魔神の肉体の一部を材料として(つく)られていた彼女は、以前は明確に“魔”の気配を放っていたが……今は神々しいまでの神気を放っていた。

 

「わぁ~っ! 可愛い~っ!」

 

「……」

 

 無邪気に喜ぶリウラの言葉に、ツェシュテルは(わず)かに頬を赤く染める。

 

 

 ――ツェシュテルはソヨギとの戦いの際、明確に自身の力不足を感じていた

 

 

 決して彼女がリリィの役に立たなかったわけではない。追い詰められたときだって、黎明機関(れいめいきかん)という切り札を残していた。

 だが、“あの時、凄まじい勢いで成長するリリィに相応(ふさわ)しい武器であれたか?”と自問した彼女は、どうしても首を縦に振ることはできなかった。

 

 “もし自分にもっと力があったら、自分の主(リリィ)はソヨギに押し勝っていたのではないか?”……あの次元違いの戦闘を見て、彼女はそう思わずにはいられなかった。

 それは、自らを兵器と自覚するツェシュテルにとって、とても重い悩みとなった。

 

 創造物たる彼女が強くなるには、セシルによる改造が必須だ。いくら材料に生物が使われ、精霊としての精神を持つ彼女であろうと、例外ではない。

 妙な鍛え方をして魔力のバランスが崩れでもしたら、自身の限界を超えた魔力を保有するための制御板が誤作動を起こして自爆してしまうかもしれない。

 

 そんな彼女は、自らの創造主たるセシルと、血の一滴からでも魔神級の生物を創造できるティアマトに嘆願した。

 

 

『私……もっと、強くなりたい。強くなれる自分になりたい! リリィに相応しい(つるぎ)であるために……!』

 

 

 ツェシュテルが求めたのは、自分で自分を鍛える力と成長できる肉体。

 

 主の常軌を逸した学習能力についていける自信は無い。だが、それでも常に主に相応しい自分でいたい。リリィにとって最高の剣でありたい。

 そんな彼女の健気な願いに、セシルもティアマトも快く応えた。セシルによるツェシュテルの改造案を基に、ティアマトが自らの血を分け与え、“そのような機能を持った神”へと生まれ変わらせたのだ。

 

「な、なんとか言いなさいよ……」

 

 ジッと自分を見つめるリリィの視線に、期待と、それ以上の不安を感じながらツェシュテルは言う。

 リリィは笑顔で利き手である右手を差し出して、ツェシュテルが一番欲しい言葉を告げた。

 

「おいで、私の(つるぎ)

 

「っ!」

 

 ツェシュテルは一瞬瞳を揺らすと、微笑んでその身からまばゆい光を放ちながら瞬時にその姿を変え、リリィの手へと納まった。

 

 

 ――透き通るような翡翠色の刀身の剣

 

 

 継ぎ目は見えないが、握っているリリィには分かる……これはリリィが最も得意とする連接剣だ。

 (つば)に刻印された紅いサソリの紋章と、(つか)から伝わってくる魔力から、例え生まれ変わろうともルクスリアの魅了能力やツェシュテルの黎明機関の力は失われていないことがわかる。

 

 ごく自然に極限集中状態に入ったリリィは、明確に“断つ”という意識を持ってツェシュテルをその場で振り下ろす。

 

 

 イィンッ――!

 

 

 耳鳴りのような音とともに、ツェシュテルの刀身が通過した空間が裂ける。

 

「……」

 

 リリィは音もなく閉じる空間をじっと眺めた後、その視線を翡翠色の刀身へと移して言った。

 

「……本当に、私が貴女(あなた)の主でいいの? この力……私の勝手な思い込みかもしれないけど、例え()の神殺しが握っていようとも全くおかしくない絶大なものよ? あなたは『自分の心が私を選んだ』と言ってくれたけど、私以上に強い人も、私以上に貴女をうまく使える人も探せばきっと見つかると思うわ」

 

 リリィはツェシュテルを握った時から感じていた……“()()()()()()()()()()()()()()()”、と。

 

 その威力はまさに壮絶。例え神々が握っていようとも全くおかしくない絶大な切れ味と、手に吸い付くような扱いやすさ。そして(みなぎ)る魔神級の魔力。

 これならば、多少格上の相手が敵であろうとも、彼女を握っただけでその持ち主は勝利を収めることができるだろう。

 

 そして、世の中にはリリィなど軽く蹴散らせる化け物だって存在する。リリィが挙げた神殺しなどはその筆頭だ。

 仮に彼がツェシュテルを扱えば、リリィのように様々な形態で彼女を扱うことはできないものの、リリィなど足元にも及ばぬ変幻自在の剣技で並み居る魔神をなぎ倒すことだろう。

 

 翡翠の連接剣が再び輝き、宙に浮かぶ小人の姿に戻ると、彼女はキッとまなじりを吊り上げて言った。

 

「良いに決まってるでしょ? この私が私自身の意思でアンタを選んだのよ? 『ふさわしくないんじゃないか?』なんて情けないこと言ってんじゃないわよ。私のご主人様なら堂々と胸を張ってなさい」

 

「でも……」

 

「……確かに、アンタを選んだ理由の1つは“私の心が選んだから”……極端に言って“勘”ってのは嘘じゃないわ。でも、それだけじゃない」

 

「?」

 

 ツェシュテルはその視線を背後……ティアマトの隣でこちらを見て微笑ましそうにしているセシルへと移して言った。

 

「私は、昔……ただの土精(つちせい)でしかなかった時、セシルの……母さんの願いに応じて魔導機神になることを了承したわ。……『この力を使って、大切な誰かを護って欲しい』ってね」

 

「大切な……()()?」

 

 リリィは首をかしげると、ツェシュテルは肩をすくめた。

 

「それは私にもわからなかった。当時の私は、母さんの周りの人か、あるいは母さんが創る魔導機神たちが現神を倒した後の世界中の人々かと思っていたけど……今なら、なんとなくわかる」

 

 ツェシュテルはリリィの瞳を強く見据えて言う。

 

「きっと、母さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思う」

 

「母さんは別に“現神を強制的に排除しよう”とは考えていないわ。現神の支配を跳ね除けて、人々が完全な自由を得るために神の力を必要としたの」

 

「そして、その力はあくまで“大切なものの自由と平和を守るため”でなければならない……だからこそ、その力を振るう者として、大地に生きるものを慈しみ、育み、護る傾向を持つ土精(わたしたち)が選ばれた……今思えば、母さんが仮マスターに選んでくれた人は、みんな“大切な誰かを護るため”に私を使ってくれていたと思う」

 

 魔導機神は、神々を含めたあらゆる脅威に対抗して平和を築くために創られた兵器だ。

 だから、魔導機神は決して唯の意思なき人形であってはならない。もし何らかの理由で彼ら彼女らが心ない者に支配されてしまったら、これまで以上に悲惨な光景が生まれるからだ。

 

 そして同時に、魔導機神は“誰かを大切に想う気持ち”を知っていなければならない。

 そうでなければ、かつてのセシルのように“誰かの犠牲の上に成り立つ理想”を肯定してしまうからだ。

 

 だからこそ、セシルは“守護”の傾向を持つ土精であるツェシュテルをその力の持ち主に選び、彼女自身に“護りたいもの”を探させた。

 リューナ達の願いを聞いてわざわざ戦闘の真っただ中に首を突っ込み、仮のマスターを選ばせて“大切なものを護る戦い”を経験させた。

 

 

 ――それこそが、ツェシュテルの“大切なものを護りたい”という想いを育むと信じて

 

 

 セシルが選んだ仮のマスターは皆、大切なものを護るために戦っていた。

 アイは魔神ラテンニールに襲われるリウラやリリィ達を護るため、リウラは迷宮に取り残された人々を救出するため、そしてリリィもまた……

 

 魔導機神が主を……いや、パートナーを必要とするよう設計されているのは、“魔導機神にとって本当に大切な人を見つけて絆を結んで欲しい”、“その中で、『大切なものを護りたい』という気持ちを育んでほしい”という、セシルから我が子へのメッセージだったのである。

 

「リリィ。あなたは私にハッキリと『大切なものを護るために力を貸してほしい』と言ってくれた。私を頼ってくれた。だからこそ、私は魔導機神として生まれ変わったときの想いを、志を思い出せた……“あなたと一緒に戦いたい”と、“あなたを護る盾となり、あなたの敵を切り裂く剣となりたい”と、思わせてくれた」

 

「だから、どんなに私が優れた剣であろうと、あなたが私の主であることに変わりはないわ。もし“私に相応しいか不安だ”っていうなら、精進するのね。……私も、負けないよう努力するから」

 

 最後の言葉がほんのわずかに震えたことにリリィは気づく。

 

 気丈に見せかけているが、ツェシュテルもまた不安なのだ。

 “リリィが成長した時、自分がリリィに相応しい剣であり続けることができるのか”と心配しているのだと、今更ながらに気づく。

 

(ティアマト様たちに自己改造を依頼した理由は()いてなかったけど……そういうことだったのね)

 

 “自分を成長できるようにした”理由はそういうことか……リリィは表情に出さないよう内心で苦笑しつつ、ツェシュテルの言葉に頷く。

 ……どうやら自分達は似たもの主従になりそうだ。

 

「わかった。よろしくね、ツェシュテル」

 

 リリィがそう言うと、何故かツェシュテルはジッとこちらを見つめたまま黙り込む。

 リリィが不思議に思いながらもしばらく返事を待つと、ややあってツェシュテルは言った。

 

「……私は、あなたのために生まれ変わった。()()()()()()()()()()()()()。だから……生まれ変わった私に、名前を付けて欲しい」

 

「え?」

 

「私が、あなたの剣であることを示すものが欲しい。………………嫌?」

 

「い、嫌じゃないけど……でも、いいの? “ツェシュテル”って、セシルからもらった大切な名前じゃないの?」

 

「いい。母さんにも許可はもらってる」

 

 チラリ、とセシルに視線をやると彼女は笑顔で頷く。『それでツェシュテルが納得するのなら』という声が聞こえてくるかのようだ。

 本人達が納得しているのなら、とリリィは真剣に彼女の名前を考え始める。まさか自分が子をもうける前に、誰かの名を考えることになるとは……と思った瞬間、ふと先程の、ヴィアが我が子を抱いていた光景を思い出す。

 

(ブラン)(フィリア)曇りなき愛(フィリアブラン)、か……ツェシュテルも『大切な名前』という部分は否定しなかったわけだし……うん、決めた)

 

 リリィはツェシュテルと視線を合わせると、こう提案した。

 

「それじゃあ、セシルからもらった名前もちゃんと入れましょうか。……“ルクスリア”と“ツェシュテル”から取って――」

 

 

 

 

 

 

「――“()()()()()()”、なんてどう?」

 

 

 

 

 

 

「ルク……ティール……」

 

 それを聞いたツェシュテルは呆然と、その言葉を口から零す。

 

 “ルクティール”――それは、単純にセシルが生み出した、ツェシュテルを構成する二振りの剣の名を合わせただけの言葉ではない。

 しっかりとこの世界(ディル=リフィーナ)の言葉として意味のある単語だ。

 

 その意味は――

 

 

 

「“世界の、狭間(はざま)”……?」

 

 

 

「そう。あなたは “成長する剣”として生まれ変わった。なら、夢は大きい方が良いでしょう? “この二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)をも断ち切る刃となって、大切なものを護れるように”、って願いを込めてみたの。……どうかしら?」

 

「……」

 

 リリィの言葉を噛みしめるように、リリィの剣たる少女は瞑目する。

 やがて、少女は不敵な笑顔とともにギラリと目を輝かせた。

 

「ハッ、上等じゃない! なってやろうじゃないの! 世界をも切り裂き、両断する剣に! 私は“世界の狭間(ルクティール)”! 睡魔神(すいまじん)リリィの(つるぎ)にして世界を断つ刃よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 やる気満々に笑いあう主とその剣のやり取りを見て、すぐ傍に居たリウラはのほほんとこう考えていた。

 

(う~ん……『中二病っぽくて可愛い』って言ったら怒るかなぁ?)

 

 ネーミングセンスは人それぞれである。

 

 

***

 

 

 ――ピクリ

 

 娘の門出を微笑ましく見守っていたセシルの肩が、突如(とつじょ)わずかに震える。

 急に(きびす)を返したセシルを怪訝(けげん)に思い、ティアマトは声をかける。

 

「どうした? 娘との会話に混ざらんで良いのか?」

 

「申し訳ございません、そろそろミーフェ様がお見えになるので、リューナさん達のフォローに参ります。あの子には、後で個人的にお祝いをいたしますので」

 

「ああ、あのエルフの娘の件か……」

 

 ティアマトは納得したように頷く。

 

 魔王を倒した一件によって、ユークリッドやゼイドラムといった人間族の主要国家とシュナイルの間では異種族……特に魔族に対する確執が大分減っていた。

 

 それはミーフェメイルのエルフ達も例外ではない。

 彼女達もまた先の(いくさ)に参加しており、ともに共通の敵である迷宮の魔王と戦った経験から、彼女たちはシュナイルに対して非常に友好的だった。

 

 そこまでならば問題なかったのだが、黎明機関を搭載した魔導巧殻(まどうこうかく)リューンを駆使して、魔神級の力で戦闘を行うリューナを見た彼らのうち、かつて『リューナを“森を護る者”として族長に』と主張した者達が、『それみたことか』とばかりに“彼女を自分たちの森の族長に据えよう”と動き出したのである。

 

 リューナの今までの扱いを考えれば、あまりに厚かましいこの考えを認められるはずもなく、現族長であるミーフェは反対派とともに必死になって彼らの動きを止めようとしたが、それすら『ミーフェは、族長の座に固執しているのだ』と逆に彼らの意欲を燃え上がらせてしまう始末。

 

 以来、恥を忍んでミーフェはこの件についてリューナに相談しに訪れる。

 リューナ自身、ミーフェに思うところが無いわけではないのだが、自分自身あの森の族長に収まるなど到底許容できないため、仕方なく相談に乗っていた。

 その際、関係者であるリシアンや、政治担当のティア、そして国防を(にな)うセシルも会議に参加しているため、こうしてミーフェの来訪とともにセシルは足を運ばなければならないのである。

 

「……わかった。ツェシュテル……いや、ルクティール達にはそのように伝えておこう」

 

「ありがとうございます」

 

 足早にその場から去るセシル。

 彼女は充分にティアマト達から距離を取ると、冷え切った声を出した。

 

 

 

「……それで、何の用よ。私は、もう貴方(あなた)と関わり合いになりたくないのだけど?」

 

 

 

 神殿の廊下。

 誰もいないはずのその場でセシルがそう言うと、彼女の背後からひょうきんな男の声で返事が返ってきた。

 

「ひどいなーリセルちゃん。我が輩、なんか嫌われることしたっけか? 俺様は全面的にお嬢ちゃんの味方だぜい? ちっちゃなリセルちゃんがニアに殺されないよう、睨みだって利かせてあげたってーのに、ひでー言い草だなぁ?」

 

 冷めきった表情のセシルが鋭い視線で背後を振り返ると、3つの紅い眼を持つ魔族の男が後頭部で両手を組んでニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。

 背から骨だけになった翼を生やし、肌は不気味なまでに青白く、真っ白で逆立った髪をしている。

 

「味方? 私を操ろうとした貴方が?」

 

「おんやぁ? 我が輩がいつリセルちゃんを操ろうとしたんだ? 我が輩は一切リセルちゃんに干渉したことはないし、本当のことしか言ってないぜ?」

 

「……そうね、確かに貴方は嘘をついていないでしょう。幼い私に語った“原作知識”とやらにも嘘は無かった」

 

 

 ――でも、

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、と……あなたは誓えるかしら? ()()()()

 

 

 イアス=ステリナの大悪魔――ギレゼルから笑みが消える。

 

 

「あの時の私は理想ばかりを見て、今を生きる人達の事を何も考えていなかった。そして、それは父も同じだった。だから、私達は理解し合えていると思っていた……そう、私が一方的に思い込んでいた。だから、私は父から縁を切られた」

 

「私の贔屓目(ひいきめ)を抜きにしても、主人公(ヴァイス)から見て父は間違いなく重要人物中の重要人物。そんな人の思想がまったく“原作”とやらに書かれていないのは、あまりにも不自然。……答えなさいギレゼル。あなたは私を利用して、何をしようとしているの?」

 

 セシルが未だ幼い頃、この魔族は彼女の前に現れて言った。

 

 

 ――『お前は“原作”を知っている者か?』と

 

 

 その言葉を聞いたセシルは、その時はじめて“この世界が何らかの物語の世界である”ということ、そして“自分が何らかの形でその物語から外れる行動をとり、目立ってしまったのだ”ということに気づいた。

 

 幸い、当時のギレゼルは興味本位で訪れただけらしく、“違う”と気づくや否や、早々に去ろうとしたが、そんな彼を幼いセシルは呼び止めた。

 

 

 ――『もし貴方がこの世界の未来を知っているのなら、どうか私に教えてほしい』

 

 

 ここが物語の世界であるならば、未来にどんな災厄が待っているかわからない……そう恐れた彼女は、“機嫌を損ねて殺されるかもしれない”、“不利な契約を持ちかけられるかもしれない”と震えつつも、自分を、そして大切な家族を護るため、強い意志を持ってギレゼルに願った。

 

 ところが、そんな彼女の覚悟を嘲笑うかのように、彼はあっさりと未来の情報を話してくれた。

 

 

 

 ――そして、彼女が大人になった時、それらの予言は現実となった

 

 

 

 セシルはあらかじめ準備していた策や魔導具などによって次々に困難を打破し、メルキアで知将として称えられ、周辺諸国からは恐れられた。

 全てが全て、とは言わないが、その(ほとん)どの出来事が彼女の手のひらの上であった。

 

 そんな彼女が犯した致命的なミス――それが、父オルファンの思想を理解せず、自らの夢である魔導機神計画を語ってしまった事だった。

 父の普段の行動から、“その思想が自分と同じである”と思い込んだ。まさか、“自分と同じになって欲しくない”と思っているなどとは考えもしなかった。

 

 もし、ギレゼルがオルファンの思想について語っていたら……彼女が勘当されることなどなかっただろう。

 そして、ギレゼルが語った“原作”――メルキアの戦乱の歴史において、彼ほどメルキアの根幹にかかわる人物の思想が語られていなかったとは考えにくい。

 

 では、なぜ彼はオルファンについて語らなかったのか?

 破滅するセシルを見て楽しんでいたのか? それともセシルを利用して何かを企んでいるのか?

 

 彼女の真剣な問いに、悪魔はニヤリと笑って返した。

 

「なんで、教えなかったかって? そりゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……なんですって?」

 

 眉をひそめるセシルに、ギレゼルはひょうひょうと答える。

 

「“死ぬ”っていっても、文字通りの意味じゃない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺様は別に“お前さんを利用しよう”なんて考えちゃあいない。お前さんが俺に“未来を教えてくれ”って言った時の、あの“未来にどんな苦難が待っていたとしても、絶対に最高の未来を手に入れて見せる”って覚悟に満ちた眼……俺が惚れ込んだ男と全く同じその眼に、俺は魅せられた。だからこそ、お前さんに未来の情報だけでなく、過去の……先史文明期の情報までくれてやったんだ」

 

 ――ギレゼルの脳裏に、血液を操って戦う異能者の青年の姿が浮かぶ

 

 ギレゼルがセシルに伝えた情報は、メルキアの未来の情報だけではない。先史文明期の情報の中で、セシルに役立つであろう知識もいくつか与えていた。

 プテテットがかつて“クリエイター”と呼ばれていた生物であり、自身の質量を操作する能力を持っていることを教えてくれたのもギレゼルである。

 

「もし俺がオルファンの本心を話したら、お前さん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ッ!? そ、れは……」

 

 言葉に詰まるセシルに、ギレゼルは表情を真剣なものに変えて続ける。

 

「“人間の輝き”ってのは、“誰かのために”って思いやりと、そのためには誰にも縛られない自由さだ。“天使の思いやり”と“悪魔の自由”、矛盾するそれらを融合したところにある。俺はそれを人間の戦友から教わった」

 

「人間ってのは脆弱な種族だが、頭の固い天使よりも、自分勝手な悪魔よりも優れた存在になれるようにできてる。(しゅ)……とある古神が天使を創造し、堕天した悪魔の存在を許し、最後に人間を創ったのは、ひょっとしたら『お互いのいいところを見て手本にしろ』って意味だったのかもな」

 

「母親のために、メルキアのために、そして全ての人間族のために“神を創る”って夢を俺に語ったお前さんは“コイツなら運命を切り拓ける”と俺に確信させる“輝き”を持っていた。……だってのに、父親の価値観に縛られて夢をあきらめたら、お前さんの“輝き”が失われちまう。俺には、それが我慢ならなかった。だから、俺はお前さんに父親の想いを話さなかった」

 

 動揺に揺れるセシルの瞳をジッと見据えた後、ギレゼルはクルリと背を向け、再び声音をひょうきんな調子に戻して言う。

 

「お前さんは父親に理解されなかっただろうし、つらい想いもたくさんしただろうな。それを『我が輩のせいだ』って言われたら、否定はできねぇ。だが――」

 

 ギレゼルは肩をすくめると、こう言いながら姿を薄れさせ、その場から消えていった。

 

 

 

 ――絶対に夢をあきらめずに貫いたからこそ、あの小さなお嬢ちゃんは生まれることができたし、こんな素敵な国を創ることもできたんだろう?

 

 

 

 セシルは、(しば)しギレゼルが消えたその空間を見つめた後、大きくため息をつく。

 再び歩き出した彼女の表情は……

 

 

 

 ――心なしか、ほんの少しだけ晴れ晴れとしているように見えた

 

 

 

***

 

 

 

「え、まだベリークとヤッてなかったの? ……ご主人様ってホントに睡魔?」

 

「るっさいっ! 私だって、ベリークさんに誘われるのを待ってるのよ! ……でも、毎日シズクさんにボコボコにされてご飯食べるのも億劫(おっくう)なくらい疲れてるから、全然誘ってくれなくて……たまのデートの時も、疲労がたまってるのか、終わったら私を送ってさっさと帰っちゃうし……」

 

 オープンテラスの喫茶店で、リリィとリウラはスイーツをつまみつつ、生まれ変わるために神殿にこもり続けていたルクティールに近況を報告していた。

 全員が全員肥満とは無縁の体質であるが故に、注文されるスイーツの量は凄いことになっている。

 

「自分から夜這(よば)いに行けばいいじゃない。絶対拒否されないわよ。保証するわ」

 

「そんなはしたない真似ができるかっ!?」

 

「……リリィって変なところで意地っ張りだよね。素直に『誘ってくれなくて寂しい』って言ったら、ベリークさんも喜んで抱いてくれるだろうに」

 

「姉さんまでそんなこと言う!?」

 

 色々あった戦いが終わった後、リリィは遅くやってきた思春期のためか、妙に意地っ張りになった。その影響はリウラの呼び方にも表れており、昔は『お姉ちゃん』と呼んでくれていたのに、今では“恥ずかしいから”と『姉さん』呼びだ。

 時折『前みたいに“お姉ちゃん”って呼んで?』とお願いしてはいるのだが、未だリウラの願いは叶えられていない。

 

「そういえばご主人様、ちゃんと鍛えてる? あなたに世界を斬れるだけの力を身につけてもらわないと、私が名前負けしちゃうんだから、頑張ってよね?」

 

「あ~……、いちおう鍛錬はしてるけど……」

 

「あんまり伸びてないよね、私たち」

 

「はぁ? なんでよ。ご主人様の才能と、アンタの異能なら凡人の何倍も成長出来るはずでしょ?」

 

 眉をひそめるルクティールに、背後から声がかかった。

 

「……それは、良い先生が居ないせい」

 

「シズクさん」

 

「珍しいね、どうしたの? こんなところで」

 

 声をかけてきたのは、武闘派水精(みずせい)シズクであった。

 

 今の彼女は大神官補佐という職に就いており、これは塩の巫の神託を受け取って政治を行う立場である大神官――ティアの補佐をする職業だ。

 

 シンプルに言えば、ティアの護衛。ぶっちゃけ今までと変わらないのだが、給料だけは非常に良い。

 なんと、あの書類の山に埋もれていたリリィよりも良い。納得できなくてシズクの頬を(もてあそ)んだのは良い思い出だ。

 

 余談だが、“塩の巫の神託を受けて政治を行う”というのは建前で、未だ世間に疎い彼女は政治にかかわっていない。

 実際に政治を行っているのは、ティアを頂点としたシュナイルの要人たちである。

 

「“先生が居ない”ってどういうことよ? そんなもんなくても、ご主人様たちなら平気でしょ?」

 

「それは違う。リリィ達は次から次へと強敵と戦ってきたから、爆発的に成長した。常にリリィ達の前には困難が立ちふさがっていて、それを乗り越えざるを得なかったから超人的に進化した。今、この国でこの2人を超える実力を持つ人はいないし、“戦闘”と言う意味で乗り越えるべき壁も無ければ、命を懸けた緊張感も無い。あの時と同じような成長率は期待できない」

 

 シズクも後から聞いた話だが、あの時は奇跡的に“リリィ達が超えられる限界ギリギリの困難”が次々に襲いかかって来ていた。

 だからこそ、彼女達は信じられない速度でレベルアップすることができたのだ。

 

 今や、魔力的な意味でも、技術的な意味でも、彼女達を越える実力者はシュナイルに存在しない。リリィとリウラで戦闘訓練を行うことは有るが、やはり命を懸けた緊張感からは程遠い。

 彼女達の成長速度を上げるためには、彼女達を大きく超える実力者の存在が必要だった。

 

「リリィもリウラも敵わないくらいの実力者……できるならリリィよりも剣術がうまくて、リウラよりも格闘術がうまい人。2人とも私の経験をベースにしているから、東方の流れをくむ剣術や武術が使えて……ツェシュテルのように意思持つ武器としての経験を積んでいるような――」

 

「いる訳ないでしょ、そんな都合のいい奴。バカじゃないの?」

 

「……」

 

 ルクティールに容赦なくぶった切られて、口をつぐむシズク。

 良く見れば、無表情ながらちょっぴり目の(はし)に涙が浮かんでいる。

 

 このお人、殴り合いは強いのだが、口で攻められると非常に(もろ)い。

 そんな彼女の様子に気づいていながらも平然と「あと、私、改名したから。次から“ルクティール”って呼んで」とのたまうルクティールの後頭部をリリィはペシッとはたき、リウラは慌てて話題を変更して場の空気を変えにかかる。

 

「そ、それで? どうしてシズクはここに来たの?」

 

「……そうだった。リリィに手紙を預かって来ている」

 

「手紙?」

 

 郵便受けに届かず、シズクが直接手渡しに来るということは、一般的なルートではなく、使い魔か何かを使って直接城に届けられたものである可能性が高い。

 警戒感をにじませながらリリィが手紙を受け取ると、その差出人の名を見て目を輝かせた。

 

 

 

「魔王様からだ!」

 

 

 

***

 

 

 シュナイルの建国神話――それは、魔族すらも含めた他種族国家である新生シュナイルが、“いかに正当に築かれ、安心できる国家であるか”、“魔神級の力を持つ将を幾人(いくにん)も抱え、いかに下手に手を出すと危ない国であるか”をわかりやすく表現・宣伝するために創られたプロパガンダの一種である。

 

 水精であるリウラが、この神話において“魔神”……つまり、“神の如き力を持つ、()()()()()()()()()”なんて表現されているのも、“いざとなったら、シュナイルを護るために人間族とだって戦えるぞ”という、政治的な含みを持たせているためである。

 

 なので、正直かつての魔王であり、行動を読むことも制御することもできないアナの存在は本当は神話には()せたくなかった。

 しかし、先の戦争にて多くの者に目撃されているが故に、下手に隠すと“何か後ろ暗いところがあるのでは?”と疑われてしまうため、仕方なく彼の名もシュナイル建国の歴史にその名が刻まれている。

 

 ――が、歴史に刻まれていようが宣伝されていようが、そんな他者の都合など魔王アナには関係ない。

 彼はシュナイルの建国に一切かかわらず、ブリジットとオクタヴィアを連れて、早々にリリィ達の元を去り、新たな魔王軍の(かなめ)となる人物をスカウトするための旅に出ていた。

 

 

 

 

 とある獣人族が経営する宿屋の一室で彼らがくつろいでいるとき、ブリジットがふと思い出したように言った。

 

「そういえば、オマエあんだけ色々やらかしてたのに、全然人間族から追手がこないな。手配書も配られていないし」

 

「当然だな。()()()()()()()()()()()()()()

 

「? どういうことだよ」

 

「……そうだな、私の妃となるのだから、これぐらいは分かるようになってもらわねばならんな」

 

「いちいちもったいぶるなよ! さっさとボクにも分かるように話せ!」

 

 癇癪(かんしゃく)を起こしつつも、“妃”と呼ばれて微妙に頬を緩ませる可愛らしい姿に苦笑しつつ、アナはブリジットに問う。

 

「まず、私がリリィの使い魔契約を破棄した時のことは覚えているか?」

 

「ああ、どっちが先に『命令するな』って言えるか、って状態の時だろ? どうして契約破棄したんだよ。あいつら全然()()()()()束縛(ギアス)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、実は迷宮でリリィと出会った時、既にリリィから魔王に対しての従属の呪いは解けていたのだった。

 

 正確には契約を解いたのは、アナが花畑でブリジットを押し倒した時。

 彼はブリジットに対して性魔術を行使したが、それは単に自分の精気を回復するためだけではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 性魔術は他者から経験を奪うことができる。ならば、逆に他者に与えることももちろん可能だ。

 ブリジットは受け渡された“他者の使い魔契約を強制的に破棄する性魔術経験”から、魔王が自分に経験を渡した意図を察し、初めての性魔術で魔王にかけられた束縛(ギアス)を破棄することに成功したのだ。

 

 こうした魔術的な契約において、性魔術は非常に強力な破棄・改ざん手段であり、原作においては使い魔であるリリィが、逆に主である魔王を性魔術で支配しかえすシーンすら存在するほどである。

 

 充分な魔力さえあれば……それこそ、精気を回復したアナの魔神級の魔力を譲渡してもらえば、契約を断ち切ることも問題なく可能だった。

 “ブリジットが性魔術を扱えること”という条件さえクリアすれば、“先に『命令するな』と命令した方が勝ち”という勝負の大前提が崩れる。

 

 だからこそ、彼はヴォルクを警戒した。

 

 情報屋である彼は、もしかしたら性魔術に関する知識も有るかもしれず、あの花畑で行った性行為からその事に勘付(かんづ)かれる可能性があった。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。オクタヴィアもその事については気づいていたため、2人して“ヴォルクがシルフィーヌ達にその情報を流さないよう”監視していたのである。

 

 さて、そのように魔王が全く魔術的に縛られていない状態で、わざわざリリィとの使い魔契約を破棄するメリットは無い。

 こちらが一方的にリリィに対して命令を下せるのだから、契約は維持するべきである。であるのに、なぜアナは契約を破棄したのか?

 

「まず断っておくが、私はリリィとの契約を破棄していない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

「原因はあの水精だな。あの巨大プテテットを倒した後、水精がリリィを抱きしめた時に契約が解除された感覚があった。ラテンニールを倒した時もそうだったが、おそらく奴は性儀式無しで性魔術と同等の効果をもたらすことができるのだろう。あの巨大プテテットを取り込んだのなら、それが可能なだけの魔力も持っているだろうしな。そう考えれば辻褄(つじつま)が合う」

 

「おい、ちょっと待てよ。じゃあ、何か? ()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 アナは頷く。

 

 ブリジットは混乱する。

 いったいなぜ? 何のために?

 

「おそらく水精が契約を解除した時にリリィも気づいたのだろう――“性魔術を使えば契約を解除できる”、と。奴は私の魂から魔術的な知識を引き出していたし、何より奴は性魔術を得意とする睡魔族だ。気づかない方がおかしい。そうなれば、“先に『命令するな』と言った方が勝つ”という大前提が既に崩れていることにも気づく」

 

「しかし、それはあくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ふだんあまり性魔術を行使することがない、お綺麗な人間族であれば尚更(なおさら)だ。つまり、シルフィーヌ達からみれば、この前提は崩れていない。この状態で、私がリリィとの使い魔契約を破棄するふりをして見せればどうなる?」

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その通りだ」

 

 オクタヴィアの回答にブリジットは唖然(あぜん)とし、納得する。

 だからシルフィーヌ達からの敵意が妙に少なかったのか、と。

 

 また同時に、魔王の肉体が迷宮と融合した時に、アナやその使い魔であるリリィに全く影響がなかった理由も理解した。

 

 アナは既に以前よりも質の高い肉体を得ているため、本来の肉体に執着はない。

 本来の肉体に何かあるたびに影響が出る状態は望ましくないから、ブリジットと結ばれた際、彼女に頼んで、リリィとの使い魔契約とともに、本来の肉体とのつながりをも断ち切っていた。

 

 “本来の魔王の肉体に何かあれば、自身にも影響がある”と言う状態が望ましくないのは、リリィも同じだろう。

 リウラがリリィを抱き締めたあの時に、魔王の肉体とのつながりもリウラによって断ち切られていたのだ。

 

「リリィから契約破棄を申し出たことからも分かるように、この状態は私にとってだけでなくリリィにとっても都合がいい。奴は私と静かに平和に暮らすことを願っていたのだからな。そして、私は今までとは全く異なる新たな魔王軍、その基礎となる人材を探すため、可能な限り自由に動ける必要があった。“人間に害をなさない”というお墨付きを得るために、“良心に従って生きている”、“いざとなればリリィが命令できる”という“()()()()”は私にとって非常に都合がよかった」

 

「だから、魔王様は『命令するな』とは絶対に口にしなかったし、可能な限り“良心に従って生きている”ようなふりをした……それは、シルフィーヌ達に“束縛(ギアス)がかかっている”と思わせるだけでなく、リリィに対して“人間族をあまり刺激しないように生きる”というメッセージになるからですね?」

 

「うむ。リリィは、私が封印されたことがトラウマになっているようだからな。“人間族を刺激しないで生きる”というメッセージが無ければ奴の協力は得られん」

 

 あの無言のやり取りの中で、いかに多くのメッセージが飛び交っていたかを知って、ブリジットは頭が痛くなる思いを味わった。

 

 余談だが、仮にリウラがリリィの使い魔契約を解除していなくとも、アナはこの方針で行くつもりだった。

 彼がリリィに見つからないように迷宮に戻ろうとしたのは、リリィよりも先に“()()()()()()()()()()”命令を出すことで、“自分がいつのまにか良心に従って生きていることに、アナが気づいていない”と偽装し、自身の無害さをアピールするためだったのである。

 

 先にリリィから『命令するな』と言われてしまったら、どんなにリリィや人間族に友好的に振る舞おうと“リリィに取り入って、命令を解除してもらおうとしているのではないか”、“油断させておいて、アナ以外の誰かにリリィを排除させようとしているのではないか”といった疑念が常につきまとう。

 条件が有利、もしくはイーブンの状態で友好的に振る舞うからこそ、無害さのアピールに説得力が生まれるのである。

 

「偶然ではあるが、魔王を倒すための加護を与える神……ティアマトの味方、という立場を得られたことがダメ押しになったな。今の私はシュナイルの要人だ。下手に手を出せば国際問題。こちらから何か問題を起こさない間は、絶対に私に手は出せん」

 

「……オマエ、こんなに細かいことゴチャゴチャ考える奴だったか? ってうわっ!?」

 

 かつての幼馴染、その全てを腕力にものを言わせていた時期とのあまりの違いにブリジットが思わずつぶやくと、魔王はグッとブリジットに顔を近づけ、その頬に手を添えて言った。

 

「こんな私は嫌いか?」

 

「べ、別に嫌いじゃないけど……って何で笑うんだよっ!? オマエ、ボクをからかったなっ!!?」

 

 ブリジットが顔を真っ赤にしてアナに蹴りを放ち、アナは背から生やした触手の1本で彼女の足を絡めとって、押し倒す。

 再びドギマギしてしまうブリジットをアナはからかい、激怒したブリジットが拳を突き出す。

 そんな微笑ましいやり取りを見ていてオクタヴィアが感じたのは、かつての魔王と明らかに違う、ブリジットへの愛情だった。

 

 かつての魔王はなんだかんだでブリジットの相手はしてくれていたものの、今のようにブリジットに積極的にかかわっていったり、ましてやブリジットの心情を(おもんぱか)り、からかって場の空気を変えようなどとはしなかった。

 

 オクタヴィアはつい先日のことを思い出す。

 

 

 

 

『私の新しい名の由来? ああ、南方の言葉を混ぜているから分かりにくかったか? “アム”とはセテトリ地方語で“始まり”を意味している。それに“意志(ルナ)”を合わせて“初志(アナ)”だ。“新たな魔王軍を創る”という初志を貫徹するという(いまし)めとしてつけた』

 

『……なんか、女みたいな名前だな』

 

『なに、かつて女神の身体を奪った神殺しも女のような名前だったのだ。女魔神の身体を奪った私が女のような名前をしていても問題あるまい』

 

 

 

 

 『新たな魔王軍を創る』とは言っているものの、おそらくそれはかつてのように欲望のままに動く荒くれ者の集団となることはないだろう。きっと“アナの良心に従って動く集団”となるはずだ。

 

 

 ――なぜなら、彼は変わったのだから

 

 ――ブリジットを、そして自身の使い魔であるリリィを通して、“良心”を……そして“愛”を理解したのだから

 

 

 その証拠に、当初は“自分を封印した人間族に復讐すること”を目的としていたはずが、いつの間にか“以前とは全く別物の、忠誠心溢れる精強な魔王軍を創ること”にすげ変わっている。

 そして、そのことにアナ自身が気づくことはないだろう。魔術でも呪いでもなく、ただアナが“したい”と思ったことをしているだけなのだから。

 

 魔王に良心を目覚めさせ、愛を理解させたのが、それらに従って生きる人間族ではなく、欲望に従って生きる魔族――価値観を共有したリリィや、魔王を愛したブリジットであった、というのは何という皮肉だろうか。

 

 どうしてリリィが何も言わずに自分達を送り出してくれたのか……それが良く分かる光景であった。

 

 

***

 

 

「魔王様も自分の国を創るために頑張ってるみたい。『使い魔に負けるような国では魔王の名が(すた)る』だってさ」

 

「シュナイルも、うかうかしていられないね~……でも、大丈夫かな? アナさん、どっかの国を襲って奪ったりしない?」

 

「それは無いと思う。魔王様、心配する私にちゃんと『基本的に人間族に迷惑をかけるつもりはない』って言ってたし、魔王様は約束を自分の誇りにかけて守る(かた)だから」

 

「“()()()()”ってのがミソだね……」

 

 リリィの言葉に、リウラが苦笑いする。

 

 仮に、アナが何らかの問題を起こしたとしても問題はない。

 シュナイルの神話を創る際、セシルが物理的・魔術的に厳重に施錠された箱から一筋の銀髪を取り出して、『もし彼が問題を起こしたとしても“別人である”、“偽物だ”と言い張る準備はできています』と言い放ったシーンは記憶に新しい。

 

 アナの髪であろうそれを『どうやって手に入れたのか?』と問えば、どうやらヴォルクからかなりの高額で買い取ったらしい。おそらくその髪を使ってアナの偽物(クローン)を創り、『こちらが本物である』と言い張るつもりなのだろう。

 あの狼獣人(ヴェアヴォルフ)の手腕もそうだが、抜け目のなさすぎるセシルの手際の良さに、リリィは呆れて開いた口がふさがらなかった。

 

「まあ、政治なんてそんなもんでしょ。あと、ご主人様? 私も母さんを『マスター』って呼びそうになるから気持ちは分かるけど、(はた)で聞いている人が誤解するから“魔王”呼びはやめて」

 

「う……、ごめん」

 

「う~ん……となると、アナさん、どうやって人間族に迷惑かけずに国を創るつもりだろう?」

 

 リウラの疑問を聞いて、シズクがなんとはなしに頭に浮かんだ考えを述べる。

 

「……案外、どこかの国王や神が『優秀な者に国を譲る』とか言ってくれて、それにアナ達が……」

 

「現実を直視しなさいよバカ。どこの世界にわざわざ赤の他人に国譲る奴がいるってのよ。ましてや神なんて寿命と無縁じゃない。その水ばっかり詰まってる頭に痛だだだだだだだ痛い痛い痛いごめんやめて私が悪かったわお願い許してぇっ!?」

 

 再び涙目になってフルフルと震えだした水精のあわれな姿を見て義憤(ぎふん)に駆られたリリィは、容赦なくルクティールの小さな頭のこめかみを背後から親指と人差し指で挟み、存分に魔力強化された握力で変則的なアイアンクローを繰り出した。

 

「ティル……アンタはその口の悪さどうにかならないの? 大体、さっき注意されたばかりなのに、同じ過ちを繰り返すアンタも相当な大馬鹿者じゃない」

 

「はいそうです私が愚か者でしただからやめてやめて痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃっ!!?」

 

 質量変化や形態変化で逃げられないよう、ルクティールの身体をリリィの魔力で覆って指の圧力を逃がさないようにする徹底ぶりである。

 笑顔で額に青筋を浮かべて容赦なく折檻(せっかん)する彼女を見て、シズクは“ああ、なるほど。やっぱり、元・魔王の使い魔なんだなぁ”と納得していた。

 

 なお、“ティル”というのはルクティールの愛称である。

 

 テーブルの中央で両のこめかみを手で押さえてうずくまるルクティールを尻目に、会話は進む。

 

「そういえば、この間ユークリッドに行って、あの時アナさんとした会話の事を話してきたんだよね? シルフィーヌさんは元気? 反応はどうだった?」

 

 ユークリッドと政治的な会談をする際は、基本的にリリィが向かっている。

 

 というのも、シルフィーヌに(なつ)く白竜の子と、リリィに懐く黒竜の子が出会うたびに仲良くじゃれる姿が、両国の仲の良さをアピールするのに一役(ひとやく)買っており、何かと都合が良いのだ。

 リリィとシルフィーヌも友人関係にあるため仲が良く、多少の障害はあるものの両国の関係自体はとても良いものとなっている。

 

 そして、お互い国を興したり、迷宮の魔王との(いくさ)の戦後処理をしたりとゴタゴタしたせいで大分遅くなってしまったが、“あの時迷宮でアナと話した時には、既にどちらの契約も解けていたこと”を、リリィは話してきたのだ。

 “これは友人であるシルフィーヌには話しておくべきことだ”という、リリィのわがままを聞いてくれたシュナイルの仲間たちには、本当に頭が上がらない。

 

「……とりあえず、心配していたことは起こらなかったわ。特に裏での取引もなく良好な関係を築けたし、私のことも、まお……アナ様のことも一応は理解してくれた、と思う。少なくとも、すぐにアナ様を指名手配するようなことにはならないはずよ」

 

「……? ご主人様にしては、えらく弱気ね」

 

「……いちおう信用はしてるけど、あのお姫様、お腹の中で何考えてるか分かんないんだもの。ユークリッドに行ってみて初めて知ったんだけど、あの()、“魔王を倒した英雄”って肩書を存分に活かしてやりたい放題やってたわよ? 姉さんも知ってるでしょう? エミリオさん……庭師の男の子と結婚したって話」

 

「うん、知ってる。今、ユークリッドの王都で広まってる逆シンデレラストーリーだよね? 素敵だなぁ……過酷な政治や魔王との戦いで疲れたお姫様の心をお花で癒してくれる、心優しい青年の物語」

 

 ほわぁ……と幸せそうにのほほんとした表情で憧れる姉に、リリィはうんざりとした表情でその夢をぶち壊すであろう裏話を語る。

 

「ああ、うん。間違ってはいないんだけどね? 実際のところ、あれ、お姫様が単に結婚したい相手と結婚して、それを美談にするために意図的に流した噂だから。わざわざその手の絵本作家だの小説家だのに依頼して出版してもらってる政治工作だから。あのお姫様、信念は綺麗なんだけど、使う手段は結構黒いわよ? まさに政治家よ?」

 

 さらに言えば、政略結婚を求める貴族たちには『英雄という立場になったわたくしが、どの貴族に嫁ごうとも、その貴族の力が膨れ上がって権力のバランスが崩れてしまいます』、『だから……全然権力とは無縁の殿方を選びました!』と強引にエミリオを引っ張り出したのだ。

 

 ただの平民の庭師でしかない彼は、自分とは天と地も位が離れている方々(特におつきのメイド2名)の視線の凄まじい圧力にさらされて白目を()いていたとか。

 灰被り姫(シンデレラ)は平民あがりでも平気な顔で妃の座に居座り続けたのかもしれないが……素朴(そぼく)で心優しい彼の胃に穴が開かないか心配である。

 

 こうして、シルフィーヌは夫となる者に権力を奪われることなく、英雄の立場を利用してユークリッドを完全掌握してしまっている。

 

 ゼイドラムも噂では、今は亡きリュファスの妻である元ユークリッド第二王女が国のかじ取りを行い、エステルは騎士としてその補佐を行っているという。

 エステル自ら補佐に回り、将来はリュファスの子を王にするよう支えるつもりだとか。

 

 シュナイルも、建前的にはティアマトが国を治めていることになっているが、実際に治めているのは元ユークリッドの第一王女であるティアだ。

 偶然だが、3か国をユークリッド王族が治めていることになる。世の中、どうなるか分からないものだ。

 

 ちなみに、ゼイドラムは、魔王の魔力砲によって主要な貴族が大量に亡くなったらしく、今も立て直しに必死であり、本来自国より遥かに小さいはずのユークリッドや、できたばかりのシュナイルの手まで借りている始末である。

 かつての魔王のことは気がかりだろうが、指名手配する余裕などないだろう。

 

 いちおう、シュナイルからも『何かない限り、アナを指名手配しないように』とお願いはしているものの、心配せずともエステルが生きている間は無理である可能性は高い。

 

「……にひひ」

 

「……? どうしたのよ、姉さん」

 

「なんか、向こう(ユークリッド)で良いことあったみたいだね? リリィから嬉しそうな雰囲気を感じるよ?」

 

「……姉さんの能力、ほんっとやりづらいわね」

 

 リリィはわずかに顔をしかめるも、頬が紅く染まっている。

 どうやら照れ隠しのようだ。

 

 実際、良いことはあった。

 

 シルフィーヌがこっそり案内してくれたのは、ユークリッド城のすぐ近くにある迷宮……そこには、彼女の夫であるエミリオと、そこに造られたささやかな花壇があった。

 

 未だ唯の庭師であった頃に、大切な友人であるリリィのためだけに造られたその場で、彼女達3人はささやかなお茶会を開いた。

 

 

 ――その時、エミリオの気持ちを聞いたリリィは、恥ずかしながらほんの少し泣いてしまった

 

 

 うるっときた程度ではあるが、まさか魔族である自分のためにここまでしてもらえるほど想ってくれているとは、考えてもみなかったのだ。

 

 次もユークリッドに来たときはそこでお茶会をする予定になっている。おそらく時間に余裕がある時は、毎回開催することになるだろう。

 

「……そういえば、精霊のお姫様はどうなったの?」

 

 シズクの問いに、リウラが答える。

 

「リュフトさんと一緒にお父さんに謝りに行ったって」

 

「……リュフトさんが行ったってことは、あの双子も一緒か……厄介ごとを起こしていなければいいんだけど」

 

 リリィが頭を押さえて天を(あお)ぐ。

 

 女性に喜んでもらうことが生きがいのリュフトと、面白いことや面白い人が大好きな双子の水精の相性は、まさに奇跡の相性(マリアージュ)と言うべきものであった。

 お互い意気投合し、大体いつも3人組で居るところが目撃されている。

 

 事実、前にリリィが見かけた時は、レインにひたすらあごの肉をタプタプされ、レイクにお腹の肉をぽんよぽんよ叩かれて、ご満悦の表情でリュフトは双子に面白おかしい話を語っていた。

 

 ロジェンの見立てでは、そのうち成り行きでゴールインしてもおかしくないらしい。

 双子が隠れ里に隠れていたことを考えると、“隠された理想の女性を見つけ出す”という信念をリュフトは見事に貫ききったのだろう。

 

 精霊王女フィファは、あの巨大プテテットや古神を管理できなかったことを叱られに行ったらしいが、あの3人が精霊王の怒りに触れるようなことをしでかさないかと考えると、リリィの胃がキリキリと痛む。

 

 余談だが、ティアやシズクといった政治的に重要な役割(ポジション)である者以外の水精は、双子も含め、シュナイルに建設された“水精の里”に住んでいる。

 かなり大規模に造られており、彼女達の守護者として、サッちゃんやフリーシスも共に住んでいる。

 

 面白いことに、里周辺の者の中には、フリーシスのことを“氷竜”ではなく“塩竜”と認識している者が多いらしい。

 “塩の巫”の使いなのだから、あの身体は“氷”ではなく“塩”なのだろうと勘違いしているようだ。いちおう、神話にはきちんと“氷の身体を持つ竜”と書いてはあるのだが……。

 

「――さて、そろそろ行きましょうか」

 

「? 行くってどこへよ?」

 

「あ、そうか。ティルさんは知らなかったっけ。私達、これから旅行に行くの」

 

「……は? 旅行? 国の重鎮のアンタ達が?」

 

 ルクティールは、ぽかんと呆け、眉をひそめる。

 

 リリィとリウラの2人はシュナイル建国における伝説の2大魔神――言ってみれば守護神のようなものであり、同時に政治の中枢でもある。

 そんな2人が一時的とはいえ国を抜けても大丈夫なのか……そんな彼女の心配にリウラは『大丈夫大丈夫』と気楽に応え、リリィも(うれ)いなく微笑んでいる。

 

「最近は優秀な人が入って来てくれてるから、政治も経済も私達が居なくてもちゃんと回ってるんだよ。流石にあんまり重要なのは私達の判断が要るけど、ティアとセシルさんが居れば問題ないくらいの量だし」

 

「国防の方も、セシルが何とかしてくれるらしいしね。……まあ、私がパッと思いつくだけでも、あのコピープテテットどもに黎明機関をぶち込むだけで、大抵の軍は吹き飛ばせそうだしね」

 

 一瞬にしてリリィの眼が死ぬ様子を見て、ルクティールがドン引く。

 おそらく、自分の大嫌いなプテテット達が、自分やリウラの姿を模して他国の軍や魔神相手に大暴れする姿を幻視したのだろう。

 

 事実、リリィが挙げた例だけでも、他国にとっては凄まじい脅威だろう。

 そして、あの腹黒いマッドサイエンティストのことだ。絶対にリリィには思いつかないようなロクでもない手段を多数用意しているに違いない。

 こと国防に関しては、リリィは全く心配していなかった。

 

「……ねえ、その旅行……まさか、私を置いていく気じゃないでしょうね?」

 

 リリィの眼前まで接近し、ジト目で確認するルクティールに、リリィは苦笑しながら姉に許可を得る。

 

「姉さん、良い?」

 

「もちろん! だって、ティルさんはリリィの剣なんでしょ?」

 

「ええ。……おいで、ティル」

 

 リリィが自分の左肩を軽くぽんぽんと叩くと、ルクティールは「ふんっ!」と不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、素直に、そしてまんざらでもなさそうにリリィの肩に腰かける。

 リリィはそれを確認すると、静かに、そしてリウラは意気揚々とシュナイル国外へ続く門へと向けて歩き始めた。

 

「さあ、行くよ! まずは水の(みやこ)、レウィニア神権国(しんけんこく)!」

 

「レウィニア? なんでまた?」

 

「姉さんが、神殺しのファンになっちゃってね……聖地巡礼ってわけ」

 

「なるほど、ご主人様のせいってわけね」

 

「……」

 

 いつぞや寝物語にリウラに聞かせた、戦女神(いくさめがみ)の物語。

 

 世間一般に触れ回っている意図的に歪められたものではなく、この世界を物語として知っているリリィが聞かせた“本当の神殺しセリカの物語”を聞いたリウラは、その“どんな不幸にも屈せず、堂々と()る姿”に感動し、憧れ、一気にファンになってしまった。

 彼女自身、全てを失った経験が有るため、非常に共感してしまったのだろう。

 

 そのため、セシルから『休暇を差しあげますので、旅行にでも行かれては?』と勧められた時、リウラは真っ先に『セリカ・シルフィルの足跡をたどってみたい!』と言い出したのだ。

 

 そのあまりの期待にキラキラと輝く目を見て、リリィはそれを“絶対に面倒事に巻き込まれるから”と却下することができなかった。

 “神殺し本人に関わらなければ、そう面倒なことにはならないだろうし、まあいいか……私が話したのが原因みたいだし。それに、良い恩返しになるでしょ”と無理やり自分を納得させていた。

 

 

 ――だって、リウラは今、ようやく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 本来、リウラが隠れ里を出る目的は、“外の世界で、可愛い服を着たり、美味しいものを食べたり、綺麗なものを見たりしたい”というものだった。

 しかし、リリィが隠れ里に来て、彼女の命の危機を知ったことにより、リウラは何よりも“リリィを護ること”を最優先で行動してきた。

 そして、戦いが終わった後は、国づくりで多忙の毎日だ。合間合間で食事や着替えを楽しむことは有れど、リラックスして純粋に楽しむ時間をまとめてもらえたのはこれが初めてだ。

 

 

 ああ、愛されているんだな――と、リリィは改めて感じていた。

 

 

 楽しそうに「まずはミルフェっていう港町に行って、そこから船に乗るんだって!」と自分で書いたスケジュール表を見ながら言う姉に……姉になってくれた大切な人に、リリィは伝える。

 

 

 

 

「――()()()()()

 

 

 

 

 久しく聞くことのなかった“自分を指す言葉”に、弾かれるようにリウラは顔を上げる。

 感謝と家族への愛情に満ちたリリィの眼が、リウラの眼を見つめている。

 

「聞いて。……あの時、お姉ちゃんに出会えてなかったら、私はきっとこの世界を恨んでいた。自分の不幸を呪っていた。プテテットにすら勝てない弱い私は、ひょっとしたらのたれ死んでいたかもしれない。……この危険が溢れている世界で、先が見えない暗闇の中で、何も聞かず、どんなに拒絶してもただ私を抱き締めて、そばに居てくれたお姉ちゃんは、私にとって希望の光だった」

 

「……だから、ありがとう。こんな私の家族になってくれて。……どうか、これからも貴女の妹でいさせてください」

 

 リウラは真剣な表情で、伝えられたリリィの想いを受け止める。

 そして、ややあって、彼女は口を開いて、こう言った。

 

「……それは、こっちの台詞(せりふ)だよ」

 

 大切な妹にすら伝えていなかった秘めた想い。

 それを伝える覚悟を、リウラは決める。

 

「私はリリィに出会って身の上を聞いたとき、“この娘を護りたい”って思った。……記憶を封じていたからその時は自覚は無かったけど、今思えば、あれは前世で家族を護れなかった無念をリリィで晴らそうとしてたんだと思う」

 

 飛行機事故によって家族を失ったトラウマ――それは水精として生まれ変わってなお、彼女を(むしば)み続けた。

 “あの時、大切な家族である父を、母を護れなかった”、“救けたかった”という想い。その無念を晴らす代償行為としてリウラは護るべき家族(リリィ)を求め、命を懸けて護った。

 

「ごめんなさい。私の心を癒すために、あなたを利用してしまった。私にとって、あなたは、私が過去を受け入れるために現れてくれた希望だった。……でも、今は違う。『そういう想いが全くない』と言ったら嘘になるけど、それでも、私はリリィを大切な“本当の家族”だと思ってる。……だから、どうかこれからも貴女の姉でいさせてください」

 

 リウラの告白を聞き、リリィは言う。

 

「これはベリークさんの受け売りなんだけどね?」

 

「?」

 

「私を心配してくれたこと、命を懸けて護ってくれたこと……私が家族になって喜んでくれたこと、私を家族として愛してくれたこと……その想いや行いに嘘はなかったんでしょう?」

 

「あ、当たり前だよ!」

 

「だったら、間違いなく貴女は私のお姉ちゃんだよ。底抜けに明るくて、毎日楽しそうで、家族想いで、ちょっぴり頑固な……自慢のお姉ちゃん。他の誰が否定しようとも、私は絶対に譲らない……ねえ、()()()()()

 

「な、なに?」

 

 『お姉ちゃん』ではなく『リウラさん』と呼ばれたことに戸惑(とまど)い、わずかな不安とともにリウラが返事を返すと、リリィはこう言った。

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

(あ……)

 

 

 

 

 

 

 それは、リリィとリウラが初めて家族になった時のやり取り。

 

 覚えている。あの時のやり取りは、みんなみんな覚えている。

 

 リウラは頬を温かな雫が伝うのも気にせず、ハッキリと言った。

 

 

 

 

 

 

 ――「うん! もうとっくに!」

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 ――深い深い森の奥。魔物が跋扈(ばっこ)するその地にて、1人の魔族の男が満身創痍の状態で少女の前にひざまずかされていた。

 

 男と少女の周りには紅い紅い血液が宙をただよい、そのうちのいくつかは鋭い刃となって男を串刺しにして大地に縫い止めている。

 少女はそんな男の惨状を毛ほども気に留めず、男の前に1枚の紙を差し出してにこやかに問う。

 

「いい? 正~直に答えてくれたら、解放してあげる! この絵に映ってる顔に見覚えはない?」

 

 少女が差し出した絵……先史文明期において“写真”と呼ばれたそれには、複数の男女が描かれていた。

 しかし、その中の3人を除いて、その顔には黒く太い線で“×”が描かれて見えなくなっている。

 おそらく、“×”が描かれていない人物を探しているのだろう。男はそこに描かれている人物が全て人間族であることを理解すると、ロクに確認せずに叫んだ。

 

「し、知らねぇ! こんな奴ら見たことねえよっ!?」

 

 嘘ではない。

 人間族を下等生物としてしか見ていない彼は、人間の顔などいちいち覚えていないのだ。

 

「……じゃあ、ルカ・ミナセ、ルイ・ミナセ、アリサ・スオウの名前を聞いたことはない?」

 

「知ら……っ! そ、そうだ! 確か、シュナイルって国に居る魔神! あいつらの姓が“ミナセ”だったはずだ!」

 

「っ!? ……へぇ~、ありがとう! 参考になったよ!」

 

 少女はそう言うや否や、即座に男を解放する。

 ドシャッ! と崩れ落ちた魔族の男は必死に立ち上がると、()()うの(てい)で、少女の姿をした化け物から逃げ出した。

 

 未だ大して情報を引き出していないにもかかわらず、男を解放してしまったが、問題ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 男の姿が見えなくなると、周囲をただよう血液が1ヶ所に集まり、()()()()()()姿()()()()

 少女はその様子を見ることもなく、じっと悪魔の消えた方を見つめたまま、魔族の姿をとった血液に問うた。

 

「シュナイルっていう国にいる魔神のフルネームは?」

 

『リリィ・ミナセとリウラ・ミナセ』

 

「その2人の姿は分かる?」

 

 すると、血液は2つに分かれ、今度は1人の睡魔族と1人の水精の姿をかたどり、

 

 

 

 ――少女はその姿を……水精の方の姿を見て固まった

 

 

 

「は、……ははは……()()()()………………、()()()()()()()()()……()()()()()……」

 

 少女は涙をぬぐうこともせず、リウラの姿をかたどった血液の頬をなでる。

 その表情は、今にも泣きそうなほどの大きな悲しみと……そしてそれ以上の罪悪感に歪められていた。

 

「シュナイル……だったっけ。確か、魔王に滅ぼされたって聞いてたけど……ううん、そんなのはどうでもいいから早く行かないと。ここからだったら、船を使ってレルン地方……ミルフェに行くルートが早いかな」

 

 人差し指の先にできた小さな切り傷へと周囲の血液をしまい、少女は歩き出す。

 

 

 

 

「……待っててね、ルカちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ――少女の瞳は、(くら)い昏い狂気に蝕まれていた

 

 

***

 

 

「うぉのれカーリアン()ぁめ、可愛い孫になんてことを……」

 

 じんじんと痛む頭をさすりながら、メンフィル帝国第一王女 リフィア・イリーナ・マーシルンは自らに折檻を加えた祖母への悪態(あくたい)をついた。

 

 12~13歳くらいの小柄で可愛らしい少女で、翡翠色の髪を頭の横でくくっている。

 桃色を基調としたその(よそお)いは、大きな白い(ふさ)が左右に垂れる立派な帽子も含めて相当な金と、一流の素材、そして技術が使われた逸品(いっぴん)であることが(うかが)えた。

 

「う~む、なんとか婆ぁからは逃げきれたものの、壺魔神パイモンは取り上げられてしもうたし、エヴリーヌはあっさりリウイになびいて離れおったし……さて、どうしたものか?」

 

 幼いなりにもかかわらず、妙に偉そうな話し方をする少女は悩む。

 

 彼女は自身の中に宿るもう一つの魂……イリーナの新たなる肉体を見つけ、復活させるために魔神2柱とともに国を飛び出して旅を続けていた。

 ちなみに、その魂はリフィアが(した)う祖父――先代のメンフィル国王リウイ・マーシルンの初めての妃という重要人物である。

 リフィアのミドルネームが彼女にあやかって名づけられたことからも、いかにイリーナ王妃がリウイにとって大切な人であったかが良く分かる。

 

 しかし、追ってくるとは予想していたものの、リウイ達がリフィア達を追う速度が彼女の予想以上に早く、大陸南方で追いつかれてしまった。

 そこで、祖母のカーリアンにボコボコにされかかったところを何とか逃げ出したのだが、魔神2柱はあっさりとリウイへ寝返り、結果、リフィアは1人になってしまった。

 

 

 ――だが、彼女の頭に“国に帰る”という選択肢は無い

 

 

「ふむ、確かユイドラの領主(ウィル)が言うておったな。『新生したシュナイルという国では、生物の肉体を複製する技術を持っている』、と。ならば、イリーナ様の身体を創るヒントになるやもしれん。……よし、次の目的地はシュナイルじゃ! そうと決まれば、さっそく西へ行く船を見つけねば!」

 

 大陸西方にある港町――ミルフェへ向かう船を探すため、少女は元気よく1歩を踏み出す。

 

 彼女の辞書に“諦める”という言葉はなかった。

 

 

***

 

 

「……大丈夫か、シュリ?」

 

「平気です。これくらい大したことは……あっ!?」

 

 10代中頃の少女が、小さな身体に似合わない大きな荷物袋を背負って歩いている。

 隣に立つ女性と見紛(みまご)うほどの美青年は、無表情ながら心配する言葉をかけると、(あん)(じょう)。地面の石に(つまづ)いて少女はよろけ、とっさに青年は手を差し伸べることとなった。

 

 しかし、少女はしっかりと自分の足で踏みとどまって転倒を避けると、どこか誇らしげに言う。

 

「……ご覧いただいた通りです。ちゃんと仕事はできますから」

 

「……」

 

 しかし、なおもじっとこちらを見つめて心配してくれる主人に、シュリは重ねて言う。

 

(あるじ)に荷物を持たせる使用人なんていません。……ご主人様はお身体のご回復と、ミルフェの町で任務を果たされることを第一にお考え下さい」

 

「……」

 

 やがて、根負けしたのか、青年は相変わらずの無表情のまま、少女の言葉に従った。

 

「……お前の仕事を取る訳にはいかないな。お前の手を(わずら)わせないよう、気をつけよう」

 

「――」

 

 少女が小さく何事かをつぶやく。

 しかし、青年の耳にその言葉が届くことはなかった。

 

 

 少女と青年を柔らかな風が包む。

 青年はやや長めの(つや)やかな赤髪を揺らして言った。

 

「風が出てきたな」

 

「はい。心地(ここち)良いですね」

 

 少女もまた主に同意し、そっと風に乗せるように敬愛する(あるじ)の名を口にした。

 

 

 

 

 ――――――()()()()

 

 

 

 

***

 

 

 水精リウラと睡魔のリリィのお話はこれでおしまい。

 

 これからも、彼女達はたくさんの苦難や困難に出会うこととなるでしょう。

 ひょっとしたら、神様たちと戦うことになるかもしれません。

 

 けれど、きっと彼女達はその全てを乗り越えていくことでしょう……固く結ばれた彼女達の絆が、お互いの心の中にある限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Fin

 

 

 

 


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