ゴーレムの視界は、そのほとんどが霧で閉ざされている。また、霧自体にリウラの魔力が込められているため、ヴィアやリューナの気配も感じ取ることができない――すなわち、今この瞬間、ゴーレムにとって敵と認識できるのはリウラしかいない。
肩を引いて思いきり左拳を振りかぶったゴーレムは、
バッ!
大砲の弾のように迫る鋼鉄の巨拳が貫いたのは、半透明のマントだけだった。
拳を引いたところには何もいない。
「こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?」
――声が聞こえたのは背後
ゴーレムはグルリと振り返る。
そこにいたのは傷ひとつないタキシード姿の水精。傷つけたはずの水マントすら、きちんと身に着けている。
知性ある生物であるならば、この時点でリウラを警戒することができただろう。だが、鉄の巨人にはそれを判断できる頭が無かった。
多少のことは精霊が判断できる。
だが、命令に無いことは判断も実行もできない。なぜなら、精霊の思考を縛るということは、作成者が想定していない状況を思考・判断させることができないということだからだ。
ゴーレムはまるで幻を相手にするかのように、リウラに拳を、剣を
「……器用なことするわね」
あきれたように、ヴィアは
濃密な霧で
リウラが自分の背中に回した右手に水が生み出され、瞬時にもう一枚の水のマントを
創り上げたマントで自らを隠しながら霧の中に隠れると、リウラが立っていた水の足場が分解されて霧に変わり、ストンとリウラの身体が落ちる。おそらく、ゴーレムから見たら、
そして、重力に従って落下する彼女を、再び生み出した水床が支え、ゴーレムの背後へと移動させる。そこで、改めてリウラはポーズをとってゴーレムに話しかける。
これが、先程の不可思議な状況――まるでリウラが幻のように、ゴーレムの前で消えたり現れたりしている
霧の中に隠れたリウラが、ゴーレムに向かって声をかける。
すると、前後左右、さらには上からもリウラの声が発せられ、ゴーレムは視覚だけでなく、聴覚でもリウラの位置を把握できずに混乱させられる。
ヴィアは、自分のすぐ
そこに近寄って手探りしてみると、とりわけ霧の深い部分に、鏡のように平らで大きな水の膜があることに気づいた。
その膜はリウラの声に合わせて振動しているようで、ヴィアが目を細めると、霧に
ためしにその糸をつまんでみると、目の前の膜からの声がピタリとやんだ。その糸の、水膜とは逆方向の先は、壁を
おそらく、これは水でできた糸電話だ。リウラの声を水の糸が伝達し、他の水膜を振動させているのだろう……そう考えたヴィアの予想は当たっていた。
リウラが声でゴーレムを
リウラがゴーレムの目の前で
ゴーレムは気づいていない。ゴーレムが身体を動かすたび、非常に細い――しかしとても丈夫な水の鎖が少しずつ身体に
リウラが霧を出した最も大きな理由がこれだ。
糸電話を隠すという意味も、自分だけに注意を集中させるという意味も、本命を準備しているだろうリリィを隠す意味もある。――だが、本当の目的は辺りに張り巡らせた、クモの糸のように細い水鎖に気づかせないようにするためだ。
ゴーレムの動きはどんどん鈍くなっていく。
だが、ゴーレムは気づけない。霧で自分に絡まる水鎖が見えないからだ。
もともと水でできているだけあって、非常に見えにくい上に、鎖に
そして何よりも、リウラが気づかせない。目立つ格好をして、大声を上げ、派手なパフォーマンスをすることで、ゴーレムの注意を
リウラに注意が集中するかぎり、ゴーレムは命令に従ってリウラを攻撃し続けてしまう。多少、身体の動きが鈍くなろうとも、ゴーレムはそれを気にしない……いや、気にすることができない。
戦闘中に身体が半壊しても戦い続けるよう命令されているゴーレムは、明確に動きを封じられている証拠でも突きつけない限り、不調の原因を取り除こうとする行動に移ることができないのだ。
もしリウラが濃霧を出さず、注意を己に引きつけていなければ、すぐにでも水鎖に気づかれ、ゴーレムはそれらを
ギシギシと
――ギシリ
ゴーレムの拳が、中途半端な位置で止まる。砲門も開かない。
それを見たリウラは、バンザイをするように両手を大きく広げながら、楽しそうに大声を上げた。
「イッツ! ショウタ~イム!!」
ゴオッ! と音を立てて周囲の霧が編み込まれ、細い水の鎖へと変化し、次々とゴーレムへ絡みついてゆく。
その様子は、まるでクモが獲物へ糸を投げかけるかのよう。
霧が晴れた時、そこには、半透明な
先程の巨大な水鎖で縛った時以上に全身くまなく縛り上げているためか、ゴーレムがギシギシと身体を
だが、元々リウラとゴーレムではパワーに差がありすぎる。頭からつま先まで
次の瞬間――
「はぁっ!」
ギギガガガガギギギィンッ!!
18連撃。
わざとリウラが水鎖で縛らなかった、ゴーレムの右手首から先……それを見た瞬間、その意図を
――準備は整った
「リリィ! あとは、お願い!」
振り返ったリウラの視線の先……リューナが張った結界のさらに内側、そこには球状に描かれた
「まかせて」
その言葉とともにリリィの魔術が起動し、魔法陣の輝きが力強さを増す。
リリィが使おうとしている魔術は、古代の超科学文明……
しかし、ただの超電磁砲と
本来は、ここに高密度に圧縮した雷属性の大魔力弾を
リューナの結界が解除され、リリィが魔術的に創り上げた超電磁砲の魔力が高まってゆく。
その魔力が最高潮に達したとき……
――
轟音とともに、鉄人形の胸から上が砕け散る。いかなる魔術も無力化するはずの鎧は、音速すら軽く
半壊したゴーレムの胴体上部――破砕された断面に、地の精霊力を放つ、子供の頭ほどの大きさの石が現れた。宝石のように美しい、その
「……もう、大丈夫だよ」
予告通り、怪盗は鉄と岩の牢獄に囚われていた
***
「……くぅ~~っっっ……!!」
リリィは
表情は半泣きである。
「限界まで手袋と右手を魔力強化したのに……甘く見すぎちゃってたな……」
リリィの右手に
早く回復したいのだが、“偽・超電磁弾”を放つ際の莫大な電力を生み出したせいで、リリィの魔力はすっからかん。掌を再生させるどころか、火の
おまけにお金が足りなかったので、傷薬すら買えてない。冗談ではなく涙が出そうだ。
スッとリリィに影がかかる。
リリィがうずくまったまま上を見上げると、そこにはブスッっとした表情の黒猫少女がいた。
「ヴィアさん……」
「……傷、見せなさい」
「え?」
「いいから!」
「は、はい……?」
リリィが
ヴィアはその
握りしめたヴィアの拳から赤く輝く風が流れ出し、リリィの右手を覆う。その数秒後、リリィの傷は跡形もなく消えていた。
「今のは……」
「“
「えっと……、“
“治癒の羽”は、回復したい相手をイメージしながら握り潰すと、魔術的な風となって、イメージした対象を癒す魔術的な効果を持ったアイテム……
栄養ドリンクサイズの回復薬である治癒の水ならば、だいたい3分の1の値段で買える。1人しか服用できないものの、1人当たりの回復力は同等以上だ。
「重い。かさばる。割れる。戦闘中に
シンプルかつ分かりやすい理由を、ヴィアは機嫌悪く並べる。
“治癒の水”は“治癒の羽”と比べ、はるかに低コストではあるものの、“飲む”あるいは“傷口にかける”という行為が必要であるため、戦闘中に使用することはまずできない。
戦闘終了後に利用する分には問題ないが、戦闘中に使用できないのはあまりにも危険。また、頑丈な入れ物に入ってはいるものの、器に入っている以上、戦闘の衝撃で破壊され、中身が漏れてしまうこともある。
“羽”であれば、少々の衝撃で破壊されることはない。その上、念じて握り潰すだけで発動し、仲間も同時に癒すことができるため、戦闘中にも使える場面が
多少値段は張るが、資金に余裕があるならば“羽”を
その有無を言わさない口調に、リリィは冷や汗を垂らしながら反射的に首を縦に振ってしまう。
「わ、わかりました……“羽”にします。……あ、治してくれてありがとうございます。お金は後で払いますから」
「……別にいらないわよ」
ヴィアはそういうと、蔵に向かって歩き出す。
「……お宝が丸々手に入ったのは、アンタ達のおかげでしょ? その礼よ」
嘘ではないだろう。たしかにゴーレムを倒したことで、蔵の宝物を全部ゆっくりと運び出すことができるようになった。
だけど、本心を全てさらけ出したわけでもない……そんな気がする。
今の彼女の
ヴィアが入っていった蔵の扉に視線を向けながら
「……罪悪感……?」
あまりに
だが、なぜかその言葉が彼女の様子にしっくりと当てはまるように、リリィには感じられたのだった。
「……それにしても……」
“
そこには、
「……火属性の魔剣を使ったのは、まずかったかな……まさか、爆発するとは……」
どうやら、ちょうどリリィが射抜いた位置に動力炉か何かがあったらしい。今回は
リリィは冷や汗を垂らしながら、この都合の悪い事実を墓まで持っていくことを決めたのだった。
***
(クソッ! なんて奴らだ!)
盗賊団の
自分の腹をぶん殴ってくれた
しかし、まさか逃げるどころか、破壊されるとは思いもよらなかった。
こうなった以上、彼にできることは1つしかない。与えられた役割をこなす――つまりは、“
できるなら、自らの手であの生意気な睡魔の顔を屈辱でゆがめてやりたかったが……主に
復讐に心を煮えたぎらせる彼の脚が、今まさに砦の門を越えようとした瞬間――背の中央に鋭い痛みが走った。
「ガッ!?」
直後、ガクンと膝の力が抜け、彼はその場に倒れ込む。
力が抜けたのは、膝だけではなかった。
頭のてっぺんからつま先に至るまで、まるで力が入らない。それどころか、声も、視線を動かすことすらできなかった。胸が締めつけられるように痛み、呼吸がどんどんできなくなっていく。
(毒!? いったい、どこから……!?)
おそらく、背に刺さっているのはナイフだろう。だが、彼の背後にそれらしき気配も殺気も感じられず、ナイフが飛んでくる
必死に息をしようともがく彼の耳に、
「た……たっす……け……」
「あ~、申し訳ないッスけど、あなたが生きていると都合が悪いんスよ。というわけで、死んでください」
――それが、彼の意識がこの世から消える直前に聞いた、最後の言葉となった
「全員、殺した?」
「うぃッス。見張りや
声の
黒いズボンに黒い外套に黒手袋に黒帽子……鼻から下を黒いマスクで覆った全身黒ずくめの暑苦しい
その声と身体のラインから若い女性であることくらいは何とかわかるが、それだって魔術で変えられていない保証はない。
ヴィアは黒ずくめをギロリと
「コイツがあんなゴーレムを持ってたなんて、アンタひとことも言わなかったわね。それとコイツがゴーレムを起動させる前に、さっさと殺しておかなかったのは何故かしら?」
「いや、いくら私でも何でもかんでも知ってるわけじゃないッスよ……。おまけにコイツ、気絶してたのか全然気配を感じなかったし、気づいたときにはヴィアさんの前にズドーン! ッス。……それに、私がリリィさん達に顔を見せたら、ヴィアさんが
肩をすくめる黒ずくめに、チッとヴィアは苦々しく舌打ちをする。その様子を見てクツクツと笑う黒ずくめは、直後、ニヤリと目を歪ませる。
「それよりも……どうッス、リリィさん達は?
「…………………………そうね」
長い間をおいて、ヴィアは同意する。そんな彼女に構うことなく、黒ずくめは話を続ける。
「ヴィアさんにとって、じゅ~よ~な情報を提供したと証明されたんスから、追加で報酬を……と言いたいところですが、まけさせていただくっスよ。これで、コイツを殺し
「わかったわ。わかったから、さっさと消えて」
どうやらさらに機嫌を損ねたらしい。これ以上は話しても火に油を注ぐだけだと判断したのか、黒ずくめは、いったいどうやってか、一瞬にしてその姿を消した。
「……」
ヴィアは、わずかな間その場に無言で立ち続けたあと、
***
元の姿――サイドテールと
核に囚われた地の精霊を解放するための準備――ではなく、地の精霊に活動できる身体を与えるための準備である。
どういうことかというと、“さあ、
――リウラに恩返しがしたい
……と言われても、物理的に干渉するための身体を構築できない精霊にできることはそう多くはなく、またリウラ自身も見返りを求めてやったことではないので、彼女達はその申し出を丁寧に辞退した。
しかし、それでも地の精霊は
『何か……何か、自分にできることはないか?』と必死に
『身体、
エルフにとって、地の精霊が宿った土人形――
身体があれば、なにか役に立てるかもしれない――地の精霊はこの提案に喜んで同意し、リューナに感謝を伝えた。
「……よし、できましたの!」
リューナは出来上がった魔法陣に、ゆっくりと魔力を流し込んでゆく。魔法陣が優しい色合いの青色に発光し、リューナとゴーレムの核を抱いたリウラ、そしてリウラの
「……リウラさん、核と泥をお願いしますの」
その言葉にリウラは、土精の身体の材料となる、土に自分の水球を混ぜて作った泥を魔法陣の傍に寄せ、核を持った両手をリューナに差し出す。ところが、核を渡そうとするリウラの手が途中で止まり、「ちょっと待って」と
リウラは核をギュッと抱きしめて言った。
「……今度は悪い人に捕まらないように……強くて立派な身体を持てますように……」
リウラは核に祝福の念を込めると、リューナに核を渡す。
リューナが魔法陣の中心に核を
リウラは思わず目を閉じ、腕で目をかばう。
そして光が収まり、おそるおそる目を開きながら腕を
「わぁ……!!」
――魔法陣の上に、
髪はスポーティーなショートヘアになっており、足首から先は崩れて泥のようになっている――身体が泥と土でできている
リウラに向かって笑顔を浮かべていた女性は、ゆっくりとリウラに近づくと、そっとリウラを抱きしめる。
「……助けてくれて、ありがとうございます……!」
リウラは女性――土精の腕の中で笑顔を浮かべて、ギュッと彼女を抱きしめ返した。
「どういたしまして!」
***
「……」
「……」
リューナとリリィは
理由は、目の前のアースマンである。
「なんですの……? あの、アースマン……」
リューナが
“アースマン”といえば、その形態は“土人形”もしくは“泥人形”……それも幼児が土遊びで作ったかのような、
少なくとも目の前の女性のように、美しい人の形をしたアースマンなど、リューナは見たことも聞いたこともない。
一方、リリィは違う意味で驚いていた。
(……え? あれって、ひょっとして……?)
リリィもアースマンの
リリィの原作知識……“姫狩り~”を初めとする、同世界の作品群の中で、1作品だけこの形態のアースマンが出るものがあったのだ。
該当の作品内でも、この形態になった理由は不明確ではあったが、作品内である程度の推測はされていた。たしか、その内容は……。
「リューナさんか、お姉ちゃんが考えてた“
“土精と契約を結んだ者が、土精に対して
「それはありませんの」
即、否定された。
“あれ?”と思うリリィに、リューナは説明する。
「わたくしには、一般的なアースマンのイメージがハッキリとありますの。女性の姿になるなんて、思いつきもしませんの」
「それと、“リウラさんが女性をイメージしていた”という線も、たぶんありませんの。……リウラさんがゴーレムと戦ってたとき、ゴーレムに向かって何て話しかけてたか、覚えてますの?」
「え~っと、たしか……」
リリィはハッと気づく。
――『こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?』
「ゴーレムの……
「そう。仮にリリィの言うことが正しいなら、あの土精は
リューナの言う通りであった。たしかにリリィの理屈は成り立たない。
「じゃあ、なんで……?」
「わかりませんの。……ゴーレムとしての魔術支配を受けて、精霊が変質した影響かも……可能な限り元に戻したつもりでしたけど……」
リリィはその言葉に不安になって、リューナに
「それって、大丈夫なんですか?」
「……たぶん。いちおう、あとで調べてはみますけど……」
リューナも心配そうだ。リリィはその様子を見ながら、ふと先程の姉の様子を思い出した。
――『強くて立派な身体を持てますように』
リウラが土精を抱きしめて込めた、“幸せになってほしい”という願い。
“もしかして、あれが……?”と思いかけて、リリィはかぶりを振る。
(いくらお姉ちゃんが色々特殊だからって、そんな訳ないよね。それだったらムキムキの男の人の姿になるだろうし)
リウラが認識していたのは男性のはずなので、
リューナが土精の身体を調べてみないことには、いくら想像をめぐらせても答えは出ないだろう。そう考えた後、リリィは思考を打ち切った。
***
「それでは、今回の仕事の成功を祝って……かんぱ~い!!」
「「「かんぱ~い!!(ですの!)」」」「か、かんぱい……」
ヴィアが乾杯の
あれからリリィ達は“水の
ちなみに土精の彼女の身体には何の異常も見つからず、しばらく様子見することになった。
少々心配ではあるが、精霊に詳しいエルフのリューナに見つけられないのなら、リリィにだって見つけられない。なにかしらの不具合が出たら、その
余談だが、オークの討伐依頼もきっちり
あの砦をアジトにしていた盗賊団は、いつの間にかヴィアが手配した者が衛兵団に引き渡していたらしい。そのことをヴィアから聞かされたリリィは、“戦闘さえしないのなら、手伝ってくれる人はいたのか”と、あの大人数を運ばなくて済んだことにホッとしていた。
「あ、それと、アイちゃんの無事もお祝いして、もう1回かんぱ~い!!」
「かんぱ~い!!」
「乾杯、ですの」
「あ、ありがとうございます……」
「……」
ふと気づいたように、リウラも乾杯の音頭を取る。リリィは元気にそれに応え、リューナは静かに答える。
土精は照れながら礼を言いつつグラスを持ち上げ、ヴィアはぶすっと……それでいて気まずそうにグラスを持ち上げる。1人だけ土精を見捨てようとしたことを気にしているのだろう。
アイというのは、先程助けた土精の名前だ。初めて身体を持ったので、個体としての名前が無いため、リウラが名づけた。
『アイアンゴーレムだから……“アイちゃん”!!』
だが、“アイ”という名前は、リリィの前世の母国ではそこそこ
土精――アイも恩人が名前を付けてくれたことに喜んでいたことだし、水を差すのは
「ちょっと遅かったみたいですね」
ビクン!!
背後から掛けられた声に、耳と尻尾の毛を逆立ててヴィアが反応する。
見るからにガチガチになった彼女は、顔を真っ赤にしながらギギギと
その様子を見てニヤニヤと笑いながらリューナも後ろを振り返って、新たな
「いらっしゃいですの、リシアン。お店はどうしましたの?」
「後輩が気を使ってくれたんだよ。『せっかくのお祝いなんだから、主役の1人が行かなくてどうするの!』ってね」
荷物を
リューナの実の弟、リシアンサスである。
ショートカットの銀髪と、リューナに良く似た
仕事の成功と同時に非常に快活な様子となったリューナと異なり、リシアンは非常に落ち着いた様子を見せており、とても10歳そこそことは思えない、大人な雰囲気を
「いらっしゃい、リシアン君! まだ乾杯したとこだから、全然セーフだよ!」
「もう1度、乾杯しなおしましょうか」
リウラが元気よくリシアンに話しかけると、アイが空いているグラスに酒を
「ほら、ヴィー。もう1回、乾杯の音頭を取って! リシアンのお祝いですの!」
「うぇっ!? い、いや……それは、むしろアンタの役割でしょう!?」
慌てるあまり声が裏返るヴィアにリューナはクスクスと笑い、リウラは目を輝かせている。アイは困ったように苦笑いし、リシアンは穏やかに微笑み……そしてリリィはニヤニヤと笑いながら、納得していた。
“なるほど、どうりでブランが『
「……うん。ヴィーを
「……リュー、アンタ後で覚えときなさいよ」
恨みがましげにリューナを
彼女のあまりに分かりやすい様子に、事情を察したリリィ達も笑顔が止められないようだ。
リューナは笑いをこらえながら、グラスを
「弟の……リシアンサス解放のお祝いと、助けていただいた皆さんへの感謝を込めて……乾杯ですの!!」
「「「「「かんぱ~い!!」」」」」
宴が始まった。
結論から言うと、蔵にあった宝物はリューナの弟を購入する金額を
感動のあまり、リウラは泣いた。
カウンターで見ていた、リシアンサスの後輩――新たに、この店の店主になるためにやってきた
その後、お互いに自己紹介し、必要なもの――アイの服や迷宮での必需品を購入すると、早めに買い物を切り上げてお祝いをすることになった。
その際、リシアンサスから『リシアンと呼んでほしい』と言われ、リウラ達も愛称で呼ぶことになった。
そして、リシアンを買い戻した後の残額……つまり、盗賊団の蔵に有った宝物の残りは報酬としてリウラとリリィがもらうことになった。
リウラが『持ち主がわかるなら、返したほうが良いかな?』と言う
今はリウラの故郷である
ディアドラだけは例外だが、あの
そんなこんなでお金に余裕のある
「おねーさん! これとこれとこれとこれ! 2皿ずつお願い! あと、
「あ、こっちはリンゴパイとプディングお願いしまーす!」
「リ、リウラさん……ちょっと食べすぎじゃないですか……?」
「ん? アイちゃんも遠慮しなくていいんだよ? お金はあるんだから、もっとどんどん食べなって」
「い、いえ……もう充分いただきましたから……」
今、リウラの目の前には、長年あこがれていた
そして、そんな彼女の食欲は凄まじかった。その様は、まるでこの数年間
フードファイターもかくやという勢いで、空になった皿や
木の実をパンパンに
リリィは、そんな姉の様子を見ながらニコニコとマイペースに食事を続けており、アイはリウラのそのあまりの
「……リシアン……水精って、肉とか野菜を食べる習慣ってありましたの……?」
「……
一方、エルフの姉弟はあんぐりと口を開けて、リウラが飲食している様子に驚いている。
リリィも当初驚いていたように、血に飢えているわけでもない精霊が好んで肉などを食べている様子に衝撃を受けているようだ。精霊と近しい種族であるためであろうか、リリィ以上に驚いているように見える。
ちなみに、
余談だが、土精であるアイもしっかりと肉料理を1人前完食しており、彼女の身体の材料となった泥に血肉が混じっていなかったか、不安になったリューナが再度彼女の身体を検査する場面もあった。
「精霊のリウラはともかく……リリィ、アンタそんなに食べたら豚になるわよ」
リウラには劣るものの、リリィもかなりの量のデザートを注文している。ヴィアが呆れた様子でリリィに告げた言葉に、リリィはフォークを
「あ、ヴィアさん知らないんですね」
「……何が?」
「
「……は?」
思わずヴィアは目を見開く。
リリィを創造した魔王ですら原作で勘違いしていたことだが、実は睡魔族は太らない。
彼女達は性行為だけでなく、食事からも精気を得ることができるのだが、そもそも人間族や獣人族とは身体の構造が違うため、食べたものを吸収するプロセスも全く異なる。
自身の肉体を精気で構成する睡魔族は、口から食物を摂取すると、それらを体内で完全に分解して純粋な精気に変換し、吸収する。そして、いくら精気を多量に取ったところで、彼女達の身体の精気の密度が上がるだけ……よって、“余分な脂肪がつく”ということは有り得ないのだ。
それどころか、なんの手入れもしなくても髪はサラサラ、お肌はツヤツヤ。生まれた時から死ぬまで若々しく美しく、おまけに成長すれば、ほぼ間違いなくボンキュッボンのナイスバディを手に入れられるという、“美”に関してはエルフも真っ青のチート種族――それが睡魔族なのである。
そうならなければ異性を誘惑できない(=精気が手に入らない)という、生死にかかわる問題があるとはいえ、世の女性の大半を敵に回すが
生まれながらにして
もちろん、今しがたリリィからこの話を詳しく聞いたヴィアも例外ではなかった。
「ねぇリリィ? 私にケンカ売ってんの?」
笑顔を浮かべているヴィアは、その整った顔立ちからとても魅力的なのだが、額に青筋を立てて嫉妬に燃えている今は、ただただ恐ろしい。
「アンタ、私が食事や美容にどれだけ気をつけてると思っ……アイダッ!」
「コラ、そんな小さな子に
気がつくと、ヴィアの後ろに20代後半くらいの猫獣人の女性が、アップルパイとジョッキを乗せたトレイを持って立っていた。
つややかな黒のロングヘアーを腰の後ろでまとめており、明るい笑顔と、キラキラ輝く金の瞳がとても快活な印象を与える美人だ。
ヴィアに気づかせることなく頭をはたくことのできるこの人物に、“いったい何者だろう?”とリリィが
「母さん……でも「「(
ヴィアの言葉を
ヴィアの母は、その様子を見てクスリと笑って自己紹介する。
「はじめまして。ミュラ・アルカーよ」
リリィたち同性から見ても、とても可愛らしい笑顔が魅力的な女性だった。
ヴィアはリリィの様子を見て、さらに不機嫌になる。リリィの驚き方とリウラの驚き方が違うのだ。リウラは純粋に知り合いの母親が現れたことにびっくりしているだけだが、リリィのそれはもっと別の事に驚いているように見える。
そしてそれは、ヴィアにとって珍しい表情ではなかった。
「……なによ、リリィ。私の母さんがどうかしたっての?」
リリィは驚いた表情のまま、ミュラへ
「その……失礼ですが、年齢を
ミュラは苦笑いして答えた。
「28よ」
「……ちなみに、ヴィアさんの年齢は……?」
おそるおそる訊いたリリィに、ヴィアは
「……16」
……12歳頃にヴィアを産んだ計算になる。
「「ああ~~~~……」」
リリィとリウラは、リシアンを見て納得の声を上げる。
「なによ、その“なるほど!”って顔は!!」
言わずもがな。ヴィアのショタ趣味は確実に父親ゆずりだ。
だが、この世界では別に珍しいことではない。リシアンを見ていればわかる通り、この世界では能力さえあれば10歳そこそこでも立派な労働力――つまり、1人前の大人とみなされることは決して少なくない。
魔物の襲撃や戦争などで、あっという間に人が死んでしまうことも多く、精神的にも労働力的にも早く1人前になることが求められる。そのため、幼いうちに結婚して家庭を築いても全くおかしくはないのだ。
ロリコン・ショタコンは、この世界では唯の好みの
そこで、ふと何かに気づいたようにリウラは言う。
「あ、そういえば、ヴィアさんとリシアン君が結婚したら、どんな子供が生まれるの? 猫耳? それとも、とんがった耳?」
猫獣人とエルフ、あまりにも耳の特徴が違い過ぎる種族が結ばれた場合、どのような耳の子が生まれるのか、不思議にならないわけがない。
小さな子供が
「さぁ? それは分からないわね。どっちも生まれる可能性があるし」
「どっちも?」
ヴィアが赤い頬のまま、
「異種族が結ばれた場合、基本的にどちらかの種族になるわ。私とリシアンの子なら、だいたいそれぞれ3割くらいの確率で、
ヴィアの頭を笑顔で
「この“2つの特徴を混ぜた姿”ってのは、たとえばエルフの耳に毛が生えてたり、あるいは猫耳がエルフの耳のような形をしていたり、ってかんじね。まったく違う姿になる場合は想像もつかないわ」
ちなみに、まったく違う姿になる場合の例として、
ミュラの
「……んで、この確率は種族の組み合わせによって大きく変わるわ。たとえば、人間族とエルフなら“2種族の特徴を混ぜた子”が生まれやすいし……そこの
「なんか、最後の例に悪意を感じるんだけど」
「気のせいよ」
睡魔族は一部の例外を
オーク――豚の鼻を持ち、でっぷりと太った姿が一般的な、やや知能指数の低い
このように、種族ごとに“自分と同種族を産ませる力”というのは異なるうえ、先の“人間族とエルフ”のように種族ごとの親和性というものもあるため、異種族婚で生まれた子供というのは、その
「と、そうだ水精のお嬢さん。アンタに会わせたい奴がいるのよ」
「ふえ? 私?」
リウラは自分を指さして首をかしげる。
ミュラが親指で自身の背後を指すと、後ろから背の高い
「よう、嬢ちゃん。あの時は済まなかったな」
「あの時?」
“まさに狼そのもの”といった頭部を持つ、特徴のありすぎる人物である。知り合っていれば忘れるはずなどないのだが、リウラに心当たりなどまるでなく、ますます首を
そんな彼女の様子を見て苦笑した
ジャラリという音が鳴り、手を
「あ……あああああああぁぁぁぁっ!? 私の財布!!」
リウラが上げた大声に周囲の客が
ヴィアは、それを見て呆れた様子で訊いた。
「ヴォルク……アンタ、何やってんの?」
狼獣人の男性――ヴォルクは苦笑すると、奥のカウンターでグラスを
「おやっさんに頼まれたんだよ。『世間知らずの嬢ちゃん達がいるから、ちょっと
それを聞いたリリィが後ろを振り返ってブランをジト目で
(……)
リリィは溜息を1つついて首を前に戻した。
どうも最初から仕組まれていたらしい。あまりに頼りない自分達を見て、お節介をしてくれたのだろうが……もうちょっと心臓に悪くないやり方はなかったものか。
だが、感謝はしなくてはなるまい。ほぼ初対面の相手にもかかわらず、わざわざ部下を使ってまで自分達のために警告してくれたのだ。
目の前では、ヴォルクが可愛らしい女性物の財布をリウラに渡していた。財布を盗んだ
リウラは一応遠慮したのだが、『返されても男の俺には使えない』と強引に渡され、結局受け取ることになった。あらためてそれを受け取ったリウラは、まんざらでもなさそうだ。どうやら気に入ったようである。
うばわれた金は戻り、新しい財布と宝物、そして仲間を手に入れた。
リウラは美味しい食べ物や飲み物を
今日は色々大変な1日だったが、結果的には大成功だったのだろう――リリィはそう考えていた。
***
――深夜
「……」
ガタン
椅子に誰かが座る音。
リューナが音に反応して、グラスから視線をそちらに向ける。そこには不機嫌そうな彼女の親友が腕を組み、足を組みながら
ヴィアは何も言わない。
おしゃべりで、誰よりもヴィアを信用しているリューナは、悩みごとがあれば、どんな小さなことでも必ずヴィアを頼り、相談する。そのことを良く知っているヴィアは、こうした時、ただ彼女の
リューナは静かに視線をヴィアから、自身が伏せるテーブルへと移し、また無言で
それから20分は
「……ヴィー……わたくしは、とんでもない間違いを犯してしまいましたの……」
「……」
ヴィアはゆっくり目を開く。
……そして、無言で続きをうながす。
幼い頃は、彼女の悩みを無理に訊き出そうとして痛い目を見たこともある。どちらかといえばアクティブな性格である彼女にとって、沈黙の時間は苦手なものであったが、今はそうではない。彼女が自分を頼り、自分を信頼してくれていると感じられるこの時間は、決して嫌いではなかった。
だが、だからといって、親友が苦しんでいる様子を見て気分がいいわけでもない。
特に、今回の悩みはヴィアが抱えているものと全く同じであるが故に、非常に胸が重く、苦しい。ヴィアの沈黙は、それを噛み殺す意味合いもあった。
「……わたくしは、オークの宝箱の前でリリィが魔王の魔力を放つところを見て、“あの娘が魔王の使い魔だ”と確信しましたの。……ううん、今もそうだと思っていますの……だから、わたくしはあのうさんくさい真っ黒くろすけの言葉を信じてしまいましたの」
リシアンを救う金策は、約3年前から行われていた。手の届く範囲の盗賊団は駆逐して金品を奪い、ブランを初めとする知り合いからも可能な限り金を借り、商売のまねごとをし、募金を
しかし、それでも足りなかった。あと1年、リシアンに買い手がつくのが遅ければ、どうにかなったかもしれないが、非情な現実はタイムリミットを2人に突きつけ、途方に
――『リスクを限りなく少なくして魔族の蔵を襲う方法があるんスけど、話を聞いてみないッスか?』
上下、靴まで真っ黒で手袋も黒。黒い帽子をかぶった上に、
魔王軍の配下が1人戦争中に亡くなり、彼が保有する
それらの拠点は娘が引き継いでいるものの、彼女自身の高い戦闘力と
クロはその中に、盗賊まがいのレベルの低い部下達が守っている蔵を見つけたという。集めた情報からして、中にはリシアンを買って、借金を返してもなお余りあるほどの金品が有るはずだと。
しかし、ヴィア達は首を横に振った。
へたすれば関係者であるリシアンやブラン達まで殺されかねない。それでは本末転倒である、と。
しかし、そこでクロは目元だけでもあからさまに分かるほどニヤリと笑い、軽薄そうな声でこう言った。
『そんなの簡単に解決できるッスよ………………
「わたくしは……『魔王の使い魔が生き残っている』って聞かされて……彼女になら罪を擦りつけても誰も困らないし、心も痛まないって聞いて……それで納得してしまいましたの。……ううん、きっと本当は納得
ギリッ……!
ヴィアが歯を噛みしめる。
そう、クロは的確にリューナの……そしてヴィアの急所を突いてきた。
魔王軍はあちこちで暴虐の限りを尽くした。
その被害が地上の人間族の国家だけに
――そして、その時……ヴィアは実の母を失った
ミュラが、ヴィアの母として若すぎるのは当然だ――実の母が殺された後に嫁入りした
ブランは今でもその時のことを
あの時、自分がもう少し身の程を知って、魔王軍との衝突を回避することを最優先にしていれば、妻を失うこともなかったかもしれない……と。
魔王軍の依頼を告知板に貼ったり、魔王軍の関係者が酒場に出入りするようになったのも、その時のことをブランが悔いているからだ。
しかし、ヴィアはそうは思わない。たしかにマフィアの頭を張るブランが、当時、
自然、その
――魔族が憎い。魔王軍の関係者が憎い
自分達が蔵を襲うことで両者が争うことになれば……それは、なんと胸がすくことだろうか。
リリィ達に罪を擦りつける方法は、簡単だ。
実際にリリィ達に蔵を襲わせたあと、『リシアンが自由になったお祝いだ』といった適当な理由で、宴会を開き、飲み物に薬を盛って眠らせればいい。
ちょっとやそっとで起きなくなった無抵抗のリリィ達から、ヴィア達の記憶をクロが魔術で消してしまえば、それでおしまい。あとは、適当に
なにしろ、リリィ達の記憶そのものを改ざんしているのだ。たとえ、リリィ達が負けて、記憶を
しかも、
ヴィア達を目撃していた盗賊達を皆殺しにしていたのも、彼らの口からヴィアとリューナの存在が明るみに出るのを避けるためであった。
「わたくしは無意識のうちに“魔王の使い魔のあの娘は、きっと今まで悪いことを考えて、悪いことをいっぱいしてきたに違いない”と思い込んでおりましたの。オーク討伐の依頼を受けた時の態度も、まわりを刺激しないための
リリィは“
彼女達の勝利条件は、“実際にリリィ達に蔵を襲わせること”……それだけだ。それさえ満たせるならば、説得するための方法は何でもよかった。
それが泣き落としのような形になったのは、オーク討伐の件で“リリィ達がお人好しを
「お人好しのお姉さんをとても
リューナの声が
奴隷を初めとする不幸な人が
しかし、リウラは『助けたい』とリューナ達に願った。
そこでようやく、リウラが本当に“お人好し”であることに彼女は気づき、そのリウラのために命を懸けてゴーレムと戦うリリィもまた、リューナが思うような悪党ではないことに気づいたのだ。
「わたくしは、リリィに“魔王の使い魔”というレッテルを張って、思い込みであの娘を
――わたくし達を
リリィと出会ったとき、リューナは自分達が魔族に襲われた理由を『今でもわからない』と答えた。
それは嘘だ。大嘘だ。彼らがリューナ達を襲った理由は、
リューナはエルフだ。生まれながらにしてエルフの神――ルリエンの加護を得ている。だが、彼女はもうひとつ、生まれながらにして別の神から信じられないほど大きな加護を得ていた。
青の
光に属する神――いわゆる善神であるため、決して
彼女はその森に
基本的にエルフは穏やかな種族であるため争いは好まないが、
この世界は魔物や魔族が
今まで通りの流れで長の血筋から次の長を出したほうが、争いは少なくなると主張する者。
飛び抜けた力を持つ者こそ、森を護るために必要だと主張する者。
どちらも“平和で穏やかな生活”を望むが故に、争いが発生してしまったのだった。
その争いの結論がどうなったのか、リューナは知らない。知っているのは、自分が8歳を
いくら親に訊いても教えてくれなかったが、リューナは
その事から、自らに与えられた月女神の加護を
――そして、悲劇は起こる
『……オマエが
両親の血を
そして、思った。
――森で……あの巨大な結界の中で過ごすことができたなら、父も母も死なずに済んだのに
それは幼いリューナの自己防衛。“自分のせいで両親が死んだ”と認識したら心が壊れてしまうが故に、自分達を森から追い出したエルフたちへと責任を押しつけた。
――自分を“月女神の加護”なんてもので
そして、その時の想いはそのまま現在のリューナの心へ毒針のように突き刺さる。
――リリィを“魔王の使い魔”なんて
打ち上げで何の
リューナの血を吐くような告白が終わり、ヴィアはようやく口を開く。
「……なら、どうにかしましょう。ここでただ悔いていても何にもなりゃしないわ。あの女がわざわざ『薬を盛れ』って指示したくらいだから、記憶操作ってのはよっぽどデリケートな魔術なんでしょ。リリィ達に薬は盛ってないし、父さんに頭を
「……うん、そうですわね……ありがとうですの、ヴィー」
「礼を言われるほどの事じゃないわよ」
そっぽを向くヴィアの頭頂部でピクピクと動く猫耳を見れば、リューナの礼に喜んでいることは明白なのだが、リューナは赤くはれた眼を嬉しそうに歪めてその様子を観察しながらも、その事を指摘はしない。
――だって、教えない方が面白くて……可愛いから
そんなことを考えられるほどに自分に余裕が出てきたことを知ると、悩みを吐き出して安心したせいか、急に
「いや、そいつは契約違反ッスよね?」
――その声に、一気に意識が覚醒した。
ダンッ!
反射的に床を蹴り、座っていた椅子を音を立てて倒しながら、声が聞こえてきた方向にリューナは向き直る。いつの間にかヴィアも彼女の隣で僅かに腰を落とし、肉食獣の如き鋭い瞳で声の主を
「アンタ……いつの間に……!」
ランプの光が届かない薄暗い闇の中、奥のテーブルに腰掛けている姿は、上から下まで黒ずくめの女。
クロはヴィアの
「困るんスよねぇー、契約と違うことされると。こっちの計画が大幅に狂っちまうんで」
「……なによ、アンタにはちゃんと約束通りの金額を渡したじゃない。別にアンタに罪を擦りつけるわけでもなし、何が不満だってのよ」
「それは
「仮に「絶ッッ対にっ! 嫌ですの!!」……リュー?」
『言うことを聞かなければどうなる?』と訊こうとしたヴィアの言葉を
「わたくしは、もう後悔するようなことはしたくないですの! 仲間を売るなんてもってのほか! おとといきやがれですの!」
――まずい。ヴィアは
警戒すべき相手が出てきたことである程度酔いが飛んだようだが、それでも長時間かなりの
この色々な意味で
「……そうッスか……それは残念ッスねぇ……」
――遅かった
ニヤリと笑っているのが、その粘着質な
とにかく、暴力的な手段に出られてもすぐに対応できるよう、全神経を
「先に契約を破ったのは、そっちッスからね?」
ドスッ!
「がっ……!?」
重々しい肉を打つ音とともに、リューナが大きく目を見開いて前のめりに崩れ落ち、その膝が床につく前に、まるで
一撃で気絶させられたリューナは、ひょいと
「リュー!?」
(いったい何が……!?)
ヴィアは何かあっても対応できるよう、クロの一挙一動を、その獣以上に敏感な五感を総動員して注意していた。
しかし、リューナがやられた瞬間、彼女は
(……いや、相手の攻撃のタネについて考えるのは後回し。まずはコイツの機嫌をとって、なんとかリューナの安全を確保しないと……!)
「待って、わかったわ。アンタの言うとおりにするから――」
「ああ、もういいッスよ」
そう言ってヴィアがクロを
「あなた達が契約を破るくらい、こっちも想定済みッス。なにせ、あの睡魔も水精もホントに良い子ッスからねぇ……“同情して流されることもあるだろうな”くらいは思ってたッス」
「……なんですって?」
今、コイツは何と言った?
『契約を破ることを想定していた』? 『本当に良い子』? コイツは、リリィ達には何の罪も後ろ
カッと頭に血が上り、ぐつぐつと煮えたぎるような怒りがヴィアの腹の底から
「んで、本音を言うと……別に貴女達が契約を破ろうと破るまいと、実はどうでも良かったりするんスよ。ぶっちゃけ、あの面倒な手順は、全部あなた達を巻き込まないためなんで、それを無視して良いなら、もっと簡単にことを進められるんス。……ってなわけで、ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス」
怒りで身体がブルブルと震えるのを必死に抑え込みながら、なんとかヴィアは理性的な返答をすることに成功する。
「……アンタがリューを返してくれたなら、考えてあげるわ」
しかし、ヴィアの言葉をさらりと聞き流してクロはこう言った。
「『あなた達が襲った蔵の、本当の持ち主にリューナさんを突き出してるから、助けるならお早めに』、と」
「なっ!?」
ヴィアが目を見開いて絶句しているうちに、クロはさらに言葉を続ける。
「ああ、他の人……特にブランさんには内緒にしといた方が良いッスよ? 母親に続いて父親まで亡くしたくはないでしょ? ……んじゃ、そういうことで、おやすみなさいッス。ベッドには運んどいてあげるッスから、安心してください」
「待っ……!?」
またも何の予兆も無く
(……リュー……)
薄れゆく意識の中、ヴィアは己の軽挙な行動がこの事態を呼び起こしたことに、深く後悔するのだった。
――リリィとリウラの危機は、いまだ去っていない
最後のリューナが
しかし、表現が完全にR-18に踏み込んでしまったので、そちらはR-18に投稿いたしました。読まなくても、本編を読むうえで支障はありませんが、18歳以上の方は、もしよければ見ていただけると嬉しいです。