水精リウラと睡魔のリリィ   作:ぽぽす

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第二章 怪盗リウラ 後編

 ゴーレムの視界は、そのほとんどが霧で閉ざされている。また、霧自体にリウラの魔力が込められているため、ヴィアやリューナの気配も感じ取ることができない――すなわち、今この瞬間、ゴーレムにとって敵と認識できるのはリウラしかいない。

 

 芝居(しばい)がかった大仰(おおぎょう)な振る舞いをするリウラは、ただただ目の前の敵を攻撃するだけの岩人形にとって、これ以上ないほど分かりやすい敵であることもあり、ゴーレムは先程からリウラばかりを狙っていた。

 

 肩を引いて思いきり左拳を振りかぶったゴーレムは、躊躇(ちゅうちょ)なく空中の水精(みずせい)へ向かって拳を振り抜く。しかし……

 

 バッ!

 

 大砲の弾のように迫る鋼鉄の巨拳が貫いたのは、半透明のマントだけだった。

 拳を引いたところには何もいない。

 

 手応(てごた)えがないことに違和感を覚えたのか、ゴーレムがキョロキョロと頭部を動かしてリウラを探す。

 

「こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?」

 

 ――声が聞こえたのは背後

 

 ゴーレムはグルリと振り返る。

 そこにいたのは傷ひとつないタキシード姿の水精。傷つけたはずの水マントすら、きちんと身に着けている。

 

 知性ある生物であるならば、この時点でリウラを警戒することができただろう。だが、鉄の巨人にはそれを判断できる頭が無かった。

 多少のことは精霊が判断できる。あいまい(ファジー)な命令であろうとも理解してくれる。

 だが、命令に無いことは判断も実行もできない。なぜなら、精霊の思考を縛るということは、作成者が想定していない状況を思考・判断させることができないということだからだ。

 

 ゴーレムはまるで幻を相手にするかのように、リウラに拳を、剣を愚直(ぐちょく)に振り続ける。

 

 

 

「……器用なことするわね」

 

 あきれたように、ヴィアは(こぼ)す。

 濃密な霧で(おお)われた視界の中、彼女はその獣さながらの視力でもって、リウラが次から次へと行う一連のパフォーマンスを、かろうじて目で追うことができていた。

 

 リウラが自分の背中に回した右手に水が生み出され、瞬時にもう一枚の水のマントを(つく)り上げる。

 創り上げたマントで自らを隠しながら霧の中に隠れると、リウラが立っていた水の足場が分解されて霧に変わり、ストンとリウラの身体が落ちる。おそらく、ゴーレムから見たら、突如(とつじょ)としてリウラが消えたように見えただろう。

 そして、重力に従って落下する彼女を、再び生み出した水床が支え、ゴーレムの背後へと移動させる。そこで、改めてリウラはポーズをとってゴーレムに話しかける。

 

 これが、先程の不可思議な状況――まるでリウラが幻のように、ゴーレムの前で消えたり現れたりしている()()である。

 

 霧の中に隠れたリウラが、ゴーレムに向かって声をかける。

 すると、前後左右、さらには上からもリウラの声が発せられ、ゴーレムは視覚だけでなく、聴覚でもリウラの位置を把握できずに混乱させられる。

 

 ヴィアは、自分のすぐ(そば)から特に大きくリウラの声がすることに気がつく。

 そこに近寄って手探りしてみると、とりわけ霧の深い部分に、鏡のように平らで大きな水の膜があることに気づいた。

 

 その膜はリウラの声に合わせて振動しているようで、ヴィアが目を細めると、霧に(まぎ)れて、細い細い水の糸が膜から伸びていることが分かる。

 ためしにその糸をつまんでみると、目の前の膜からの声がピタリとやんだ。その糸の、水膜とは逆方向の先は、壁を()うようにカクカクと直線的に曲がりながら上へ上へと伸びており、その先は霧に隠れて見えない。

 

 おそらく、これは水でできた糸電話だ。リウラの声を水の糸が伝達し、他の水膜を振動させているのだろう……そう考えたヴィアの予想は当たっていた。

 リウラが声でゴーレムを攪乱(かくらん)する際、彼女の口元の霧……その小さな水滴のひと粒ひと粒が漏斗状(ろうとじょう)に広がり、それらが先程ヴィアが見つけたものを初めとする、随所(ずいしょ)に設置された大きな水膜へと接続され、声を伝達。その結果、“あちこちからリウラの声が聞こえる”という現象を起こしていたのである。

 

 リウラがゴーレムの目の前で(かろ)やかにゴーレムの拳を(かわ)すたび、ゴーレムの動きが鈍くなっている。

 ゴーレムは気づいていない。ゴーレムが身体を動かすたび、非常に細い――しかしとても丈夫な水の鎖が少しずつ身体に(から)まっていることに。

 

 リウラが霧を出した最も大きな理由がこれだ。

 糸電話を隠すという意味も、自分だけに注意を集中させるという意味も、本命を準備しているだろうリリィを隠す意味もある。――だが、本当の目的は辺りに張り巡らせた、クモの糸のように細い水鎖に気づかせないようにするためだ。

 

 ゴーレムの動きはどんどん鈍くなっていく。

 だが、ゴーレムは気づけない。霧で自分に絡まる水鎖が見えないからだ。

 

 もともと水でできているだけあって、非常に見えにくい上に、鎖に(かよ)う魔力も霧の魔力によって隠されてしまって感じ取ることができない。与えられた命令の範囲外の事を考えられないゴーレムでは、どうしても気づくことができない。

 

 そして何よりも、リウラが気づかせない。目立つ格好をして、大声を上げ、派手なパフォーマンスをすることで、ゴーレムの注意を()らさせない。

 

 リウラに注意が集中するかぎり、ゴーレムは命令に従ってリウラを攻撃し続けてしまう。多少、身体の動きが鈍くなろうとも、ゴーレムはそれを気にしない……いや、気にすることができない。

 戦闘中に身体が半壊しても戦い続けるよう命令されているゴーレムは、明確に動きを封じられている証拠でも突きつけない限り、不調の原因を取り除こうとする行動に移ることができないのだ。

 

 もしリウラが濃霧を出さず、注意を己に引きつけていなければ、すぐにでも水鎖に気づかれ、ゴーレムはそれらを(つか)んで、力まかせに引きちぎっていたことだろう。

 

 

 ギシギシと(きし)むようにぎこちない動きで、ゴーレムは左拳をリウラに突きつけ、魔導砲(まどうほう)の砲門を展開しようとする……が、

 

 ――ギシリ

 

 ゴーレムの拳が、中途半端な位置で止まる。砲門も開かない。

 

 それを見たリウラは、バンザイをするように両手を大きく広げながら、楽しそうに大声を上げた。

 

「イッツ! ショウタ~イム!!」

 

 ゴオッ! と音を立てて周囲の霧が編み込まれ、細い水の鎖へと変化し、次々とゴーレムへ絡みついてゆく。

 その様子は、まるでクモが獲物へ糸を投げかけるかのよう。

 

 霧が晴れた時、そこには、半透明な(まゆ)の中にいるように、何千何万もの水鎖で雁字搦(がんじがら)めになったゴーレムがいた。

 先程の巨大な水鎖で縛った時以上に全身くまなく縛り上げているためか、ゴーレムがギシギシと身体を()するも、即座にその(いまし)めを解くことができない。

 

 だが、元々リウラとゴーレムではパワーに差がありすぎる。頭からつま先まで幾重(いくえ)にも水鎖を巻きつけたこの状態であろうと、そう長くはもたないだろう。

 

 次の瞬間――

 

「はぁっ!」

 

 ギギガガガガギギギィンッ!!

 

 18連撃。

 わざとリウラが水鎖で縛らなかった、ゴーレムの右手首から先……それを見た瞬間、その意図を()みとったヴィアは、瞬時に右手首へ向かって大きく跳躍。ゴーレムの右の五指(ごし)に闘気を込めた短剣(ダガー)を連続で叩き込み、今にも刀身が霧になろうとしていた大剣を叩き落すことに成功する。

 

 

 

 ――準備は整った

 

 

 

「リリィ! あとは、お願い!」

 

 振り返ったリウラの視線の先……リューナが張った結界のさらに内側、そこには球状に描かれた積層(せきそう)立体型魔法陣の中で短剣を(かま)え、不敵に笑うリリィの姿があった。

 

「まかせて」

 

 その言葉とともにリリィの魔術が起動し、魔法陣の輝きが力強さを増す。

 

 リリィが使おうとしている魔術は、古代の超科学文明……この世界(ディル=リフィーナ)では“先史文明期(せんしぶんめいき)”と呼ばれる時代に活躍した兵器――超電磁砲(レールガン)を参考に創り出された大魔術だ。

 しかし、ただの超電磁砲と(あなど)るなかれ。それは、人工的に神をも創造した超科学が生み出した兵器。その威力は、山々を土塊(つちくれ)のように砕き、竜の鱗を紙きれのように貫く。

 

 本来は、ここに高密度に圧縮した雷属性の大魔力弾を装填(そうてん)するのだが、残念ながらリリィにそこまでの魔力は無い。しかし、それでも目の前のゴーレムを倒すには充分すぎるほどの威力が約束されている。

 

 リューナの結界が解除され、リリィが魔術的に創り上げた超電磁砲の魔力が高まってゆく。

 その魔力が最高潮に達したとき……リリィの握る短剣(たま)は発射された。

 

 

 

 ――秘印術(ひいんじゅつ) 偽・超電磁弾

 

 

 

 轟音とともに、鉄人形の胸から上が砕け散る。いかなる魔術も無力化するはずの鎧は、音速すら軽く凌駕(りょうが)する速度で放たれた魔剣に(やぶ)れた。

 

 半壊したゴーレムの胴体上部――破砕された断面に、地の精霊力を放つ、子供の頭ほどの大きさの石が現れた。宝石のように美しい、その魔石(ませき)の周囲の岩をリウラは水で砕き、宝石を(えぐ)り取ると、そっと抱きしめる。

 

「……もう、大丈夫だよ」

 

 予告通り、怪盗は鉄と岩の牢獄に囚われていた地精(ちせい)の心を救い出したのだった。

 

 

***

 

 

「……くぅ~~っっっ……!!」

 

 

 リリィは脂汗(あぶらあせ)を流し、苦痛に表情を歪めながら、右手を押さえてうずくまっていた。

 表情は半泣きである。

 

「限界まで手袋と右手を魔力強化したのに……甘く見すぎちゃってたな……」

 

 リリィの右手に()めていた手袋は、内側の部分が燃え尽きてなくなり、その周辺は完全に炭化している。そしてリリィの右手は、(てのひら)の皮がベロリと(めく)れ、ズルズルに火傷していた。握っていた短剣が発射された際の、摩擦熱の影響である。

 

 早く回復したいのだが、“偽・超電磁弾”を放つ際の莫大な電力を生み出したせいで、リリィの魔力はすっからかん。掌を再生させるどころか、火の()ひとつ生み出せそうにない。

 おまけにお金が足りなかったので、傷薬すら買えてない。冗談ではなく涙が出そうだ。

 

 スッとリリィに影がかかる。

 リリィがうずくまったまま上を見上げると、そこにはブスッっとした表情の黒猫少女がいた。

 

「ヴィアさん……」

 

「……傷、見せなさい」

 

「え?」

 

「いいから!」

 

「は、はい……?」

 

 リリィが戸惑(とまど)いながらも、右手をヴィアに見せる。

 

 ヴィアはその惨状(さんじょう)に顔をしかめると、ポーチから1本の赤い羽根を取り出し、それをリリィの目の前で握り潰した。

 握りしめたヴィアの拳から赤く輝く風が流れ出し、リリィの右手を覆う。その数秒後、リリィの傷は跡形もなく消えていた。

 

「今のは……」

 

「“治癒(ちゆ)(はね)”よ。値は張るけど、迷宮で行動するうえでは必須になるから、あとで買っておきなさい」

 

「えっと……、“治癒(ちゆ)(みず)”ではダメなんですか……?」

 

 “治癒の羽”は、回復したい相手をイメージしながら握り潰すと、魔術的な風となって、イメージした対象を癒す魔術的な効果を持ったアイテム……魔法具(まほうぐ)の1種だ。1回の使用で複数人を癒すこともできる。だが便利である分、とてもお高い。

 

 栄養ドリンクサイズの回復薬である治癒の水ならば、だいたい3分の1の値段で買える。1人しか服用できないものの、1人当たりの回復力は同等以上だ。

 

「重い。かさばる。割れる。戦闘中に悠長(ゆうちょう)に飲める?」

 

 シンプルかつ分かりやすい理由を、ヴィアは機嫌悪く並べる。

 

 “治癒の水”は“治癒の羽”と比べ、はるかに低コストではあるものの、“飲む”あるいは“傷口にかける”という行為が必要であるため、戦闘中に使用することはまずできない。

 戦闘終了後に利用する分には問題ないが、戦闘中に使用できないのはあまりにも危険。また、頑丈な入れ物に入ってはいるものの、器に入っている以上、戦闘の衝撃で破壊され、中身が漏れてしまうこともある。

 

 “羽”であれば、少々の衝撃で破壊されることはない。その上、念じて握り潰すだけで発動し、仲間も同時に癒すことができるため、戦闘中にも使える場面が多々(たた)ある。

 多少値段は張るが、資金に余裕があるならば“羽”を(そろ)えておいた方がパーティーの生存率はグッと上がるのだ。

 

 その有無を言わさない口調に、リリィは冷や汗を垂らしながら反射的に首を縦に振ってしまう。

 

「わ、わかりました……“羽”にします。……あ、治してくれてありがとうございます。お金は後で払いますから」

 

「……別にいらないわよ」

 

 ヴィアはそういうと、蔵に向かって歩き出す。

 

「……お宝が丸々手に入ったのは、アンタ達のおかげでしょ? その礼よ」

 

 嘘ではないだろう。たしかにゴーレムを倒したことで、蔵の宝物を全部ゆっくりと運び出すことができるようになった。

 だけど、本心を全てさらけ出したわけでもない……そんな気がする。

 今の彼女の仏頂面(ぶっちょうづら)は、怒りや苛立ちではない、もっと別の感情が原因のようにリリィには感じられた。

 

 ヴィアが入っていった蔵の扉に視線を向けながら悶々(もんもん)と考えていると、ふと思いついた。

 

「……罪悪感……?」

 

 あまりに突拍子(とっぴょうし)もない単語だ。ヴィアが罪の意識を感じる理由など、どこにもない。

 だが、なぜかその言葉が彼女の様子にしっくりと当てはまるように、リリィには感じられたのだった。

 

「……それにしても……」

 

 “(らち)()かない”と考えを打ち切ったリリィは、自分が破壊したゴーレムへ顔を向ける。

 そこには、()()()()()()()()()上半身が粉々に砕けた岩人形の残骸があった。

 

「……火属性の魔剣を使ったのは、まずかったかな……まさか、爆発するとは……」

 

 どうやら、ちょうどリリィが射抜いた位置に動力炉か何かがあったらしい。今回は偶々(たまたま)うまくいったが……運が悪ければ、核ごとドカンといっていたかもしれない。

 

 リリィは冷や汗を垂らしながら、この都合の悪い事実を墓まで持っていくことを決めたのだった。

 

 

***

 

 

(クソッ! なんて奴らだ!)

 

 盗賊団の(かしら)は、(とりで)の出口に向かって全力で走っていた。

 

 自分の腹をぶん殴ってくれた睡魔(すいま)の小娘と、その仲間たち……盗賊団のメンバーが1人も帰ってこないことから、全滅させられたと悟った彼は、彼女達を倒し、復讐するために、(あるじ)()()()()()()()()虎の子のゴーレムをけしかけた。

 

 しかし、まさか逃げるどころか、破壊されるとは思いもよらなかった。

 

 こうなった以上、彼にできることは1つしかない。与えられた役割をこなす――つまりは、“()()()()()()()()()()()()()()()()”だ。

 

 できるなら、自らの手であの生意気な睡魔の顔を屈辱でゆがめてやりたかったが……主に(なぶ)られるシーンを見ることで我慢するとしよう。無論、自分も参加を許されれば遠慮はしないが。

 

 復讐に心を煮えたぎらせる彼の脚が、今まさに砦の門を越えようとした瞬間――背の中央に鋭い痛みが走った。

 

「ガッ!?」

 

 直後、ガクンと膝の力が抜け、彼はその場に倒れ込む。

 

 力が抜けたのは、膝だけではなかった。

 頭のてっぺんからつま先に至るまで、まるで力が入らない。それどころか、声も、視線を動かすことすらできなかった。胸が締めつけられるように痛み、呼吸がどんどんできなくなっていく。

 

(毒!? いったい、どこから……!?)

 

 おそらく、背に刺さっているのはナイフだろう。だが、彼の背後にそれらしき気配も殺気も感じられず、ナイフが飛んでくる風切(かざき)(おん)すら聞こえなかった。

 

 必死に息をしようともがく彼の耳に、(かす)かに若い女の声が聞こえる。あまりの苦しみに、その声の主が誰かも考えられず、彼は助けを求めた。

 

「た……たっす……け……」

 

「あ~、申し訳ないッスけど、あなたが生きていると都合が悪いんスよ。というわけで、死んでください」

 

 ――それが、彼の意識がこの世から消える直前に聞いた、最後の言葉となった

 

 

 

 

「全員、殺した?」

 

「うぃッス。見張りや警邏(けいら)も、ヴィアさん達が向こうで倒した奴らも含めて、1人残らず皆殺しッスよ~♪ 痕跡(こんせき)もキレーに消してあるッス!」

 

 声の(ぬし)……ヴィアが(かたわ)らの人物に問うと、その人物は右手でナイフを(もてあそ)びながら陽気な声で肯定する。

 

 黒いズボンに黒い外套に黒手袋に黒帽子……鼻から下を黒いマスクで覆った全身黒ずくめの暑苦しい(よそお)いで、顔どころか種族すら判別できない()()ちだ。

 その声と身体のラインから若い女性であることくらいは何とかわかるが、それだって魔術で変えられていない保証はない。

 

 ヴィアは黒ずくめをギロリと(にら)む。

 

「コイツがあんなゴーレムを持ってたなんて、アンタひとことも言わなかったわね。それとコイツがゴーレムを起動させる前に、さっさと殺しておかなかったのは何故かしら?」

 

「いや、いくら私でも何でもかんでも知ってるわけじゃないッスよ……。おまけにコイツ、気絶してたのか全然気配を感じなかったし、気づいたときにはヴィアさんの前にズドーン! ッス。……それに、私がリリィさん達に顔を見せたら、ヴィアさんが(あや)しまれるッスよ?」

 

 肩をすくめる黒ずくめに、チッとヴィアは苦々しく舌打ちをする。その様子を見てクツクツと笑う黒ずくめは、直後、ニヤリと目を歪ませる。

 

「それよりも……どうッス、リリィさん達は? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………………………そうね」

 

 長い間をおいて、ヴィアは同意する。そんな彼女に構うことなく、黒ずくめは話を続ける。

 

「ヴィアさんにとって、じゅ~よ~な情報を提供したと証明されたんスから、追加で報酬を……と言いたいところですが、まけさせていただくっスよ。これで、コイツを殺し(そこ)ねたことはチャラにして欲しいッス」

 

「わかったわ。わかったから、さっさと消えて」

 

 どうやらさらに機嫌を損ねたらしい。これ以上は話しても火に油を注ぐだけだと判断したのか、黒ずくめは、いったいどうやってか、一瞬にしてその姿を消した。

 

「……」

 

 ヴィアは、わずかな間その場に無言で立ち続けたあと、(きびす)を返して親友の元へと歩き始めた。

 

 

***

 

 

 瓦礫(がれき)(ほこり)を払った床に、リューナがチョークのようなものでサラサラと魔法陣を描いてゆく。

 元の姿――サイドテールと(そで)分離ワンピースに戻ったリウラはゴーレムの核を抱きしめて、それを見ていた。

 

 核に囚われた地の精霊を解放するための準備――ではなく、地の精霊に活動できる身体を与えるための準備である。

 どういうことかというと、“さあ、魔制玉(ませいだま)から解放するぞ!”とリウラとリューナが準備を始めたところで、地の精霊が話しかけてきたのだ。

 

 ――リウラに恩返しがしたい

 

 ……と言われても、物理的に干渉するための身体を構築できない精霊にできることはそう多くはなく、またリウラ自身も見返りを求めてやったことではないので、彼女達はその申し出を丁寧に辞退した。

 

 しかし、それでも地の精霊は(あきら)めなかった。

 

 『何か……何か、自分にできることはないか?』と必死に()いてくる精霊の声に、だんだん無力感と悔しさの色が混ざりはじめたとき、リューナは提案した。

 

『身体、(つく)ってあげましょうか?』

 

 エルフにとって、地の精霊が宿った土人形――土精(つちせい)アースマンを作成することは、決して珍しいことではなく、リューナもその技術を持っている。核から解放する作業と同時に(おこな)っても、ほとんど手間暇は変わらないので、(しぶ)る理由も無い。

 身体があれば、なにか役に立てるかもしれない――地の精霊はこの提案に喜んで同意し、リューナに感謝を伝えた。

 

「……よし、できましたの!」

 

 リューナは出来上がった魔法陣に、ゆっくりと魔力を流し込んでゆく。魔法陣が優しい色合いの青色に発光し、リューナとゴーレムの核を抱いたリウラ、そしてリウラの(そば)にやってきたリリィを青白く照らす。

 

「……リウラさん、核と泥をお願いしますの」

 

 その言葉にリウラは、土精の身体の材料となる、土に自分の水球を混ぜて作った泥を魔法陣の傍に寄せ、核を持った両手をリューナに差し出す。ところが、核を渡そうとするリウラの手が途中で止まり、「ちょっと待って」と(ことわ)りを入れる。

 

 リウラは核をギュッと抱きしめて言った。

 

「……今度は悪い人に捕まらないように……強くて立派な身体を持てますように……」

 

 リウラは核に祝福の念を込めると、リューナに核を渡す。

 リューナが魔法陣の中心に核を()えると、魔法陣から放たれる青い光がどんどん強くなっていく。そして、唐突(とうとつ)に目も(くら)むほどの閃光が辺りに満ちた。

 

 リウラは思わず目を閉じ、腕で目をかばう。

 そして光が収まり、おそるおそる目を開きながら腕を()ろすと……リウラは目を大きく見開いて驚き、次に嬉しそうに笑った。

 

「わぁ……!!」

 

 

 ――魔法陣の上に、褐色(かっしょく)……というよりも土色(つちいろ)の肌の女性が立っていた

 

 

 髪はスポーティーなショートヘアになっており、足首から先は崩れて泥のようになっている――身体が泥と土でできている(あかし)だ。惜しげもなく(さら)されているその裸身は、非常に豊満で大人っぽいが、顔は童顔で可愛らしく、とてもリウラ好みの容姿をしている。

 

 リウラに向かって笑顔を浮かべていた女性は、ゆっくりとリウラに近づくと、そっとリウラを抱きしめる。

 

「……助けてくれて、ありがとうございます……!」

 

 リウラは女性――土精の腕の中で笑顔を浮かべて、ギュッと彼女を抱きしめ返した。

 

「どういたしまして!」

 

 

***

 

 

「……」

 

「……」

 

 リューナとリリィは(ほう)けていた。

 理由は、目の前のアースマンである。

 

「なんですの……? あの、アースマン……」

 

 リューナが呆然(ぼうぜん)(つぶや)く。

 

 “アースマン”といえば、その形態は“土人形”もしくは“泥人形”……それも幼児が土遊びで作ったかのような、不恰好(ぶかっこう)な姿をしているのが普通だ。いちおう、目と口はあるものの、“頭の該当する位置に穴が開いているだけ”と言えば、だいたいどんなものかは想像がつくだろう。

 少なくとも目の前の女性のように、美しい人の形をしたアースマンなど、リューナは見たことも聞いたこともない。

 

 一方、リリィは違う意味で驚いていた。

 

(……え? あれって、ひょっとして……?)

 

 リリィもアースマンの姿形(すがたかたち)は良く知っている。……と、同時に目の前の女性型アースマンについても一応の知識があった。

 リリィの原作知識……“姫狩り~”を初めとする、同世界の作品群の中で、1作品だけこの形態のアースマンが出るものがあったのだ。

 

 該当の作品内でも、この形態になった理由は不明確ではあったが、作品内である程度の推測はされていた。たしか、その内容は……。

 

「リューナさんか、お姉ちゃんが考えてた“土精(つちせい)のイメージ”が女性だったんじゃないですか?」

 

 “土精と契約を結んだ者が、土精に対して(いだ)くイメージが反映されたのでは?”というものだったはずだ……が、

 

「それはありませんの」

 

 即、否定された。

 “あれ?”と思うリリィに、リューナは説明する。

 

「わたくしには、一般的なアースマンのイメージがハッキリとありますの。女性の姿になるなんて、思いつきもしませんの」

 

「それと、“リウラさんが女性をイメージしていた”という線も、たぶんありませんの。……リウラさんがゴーレムと戦ってたとき、ゴーレムに向かって何て話しかけてたか、覚えてますの?」

 

「え~っと、たしか……」

 

 リリィはハッと気づく。

 

 

 ――『こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?』

 

 

「ゴーレムの……()()()()

 

「そう。仮にリリィの言うことが正しいなら、あの土精は()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リューナの言う通りであった。たしかにリリィの理屈は成り立たない。

 

「じゃあ、なんで……?」

 

「わかりませんの。……ゴーレムとしての魔術支配を受けて、精霊が変質した影響かも……可能な限り元に戻したつもりでしたけど……」

 

 リリィはその言葉に不安になって、リューナに(たず)ねる。

 

「それって、大丈夫なんですか?」

 

「……たぶん。いちおう、あとで調べてはみますけど……」

 

 リューナも心配そうだ。リリィはその様子を見ながら、ふと先程の姉の様子を思い出した。

 

 

 ――『強くて立派な身体を持てますように』

 

 

 リウラが土精を抱きしめて込めた、“幸せになってほしい”という願い。

 “もしかして、あれが……?”と思いかけて、リリィはかぶりを振る。

 

(いくらお姉ちゃんが色々特殊だからって、そんな訳ないよね。それだったらムキムキの男の人の姿になるだろうし)

 

 リウラが認識していたのは男性のはずなので、屈強(くっきょう)な肉体をイメージしたのなら、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした大男になるはずだ。

 リューナが土精の身体を調べてみないことには、いくら想像をめぐらせても答えは出ないだろう。そう考えた後、リリィは思考を打ち切った。

 

 

***

 

 

「それでは、今回の仕事の成功を祝って……かんぱ~い!!」

 

「「「かんぱ~い!!(ですの!)」」」「か、かんぱい……」

 

 ヴィアが乾杯の音頭(おんど)をとると、チン! とグラスを交わす音が次々と鳴り響く。

 

 あれからリリィ達は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”に戻り、1階の酒場で打ち上げを始めた。

 

 ちなみに土精の彼女の身体には何の異常も見つからず、しばらく様子見することになった。

 少々心配ではあるが、精霊に詳しいエルフのリューナに見つけられないのなら、リリィにだって見つけられない。なにかしらの不具合が出たら、その都度(つど)対応する、という方法しかとれないだろう。

 

 余談だが、オークの討伐依頼もきっちり完遂(かんすい)し、オーク達はこの町の(ブランの息がかかった)衛兵団に、指輪は依頼主に渡してある。依頼主はとても感謝してくれていて、リウラは『やって良かった』と嬉しそうにニコニコしていた。

 

 あの砦をアジトにしていた盗賊団は、いつの間にかヴィアが手配した者が衛兵団に引き渡していたらしい。そのことをヴィアから聞かされたリリィは、“戦闘さえしないのなら、手伝ってくれる人はいたのか”と、あの大人数を運ばなくて済んだことにホッとしていた。

 

「あ、それと、アイちゃんの無事もお祝いして、もう1回かんぱ~い!!」

 

「かんぱ~い!!」

 

「乾杯、ですの」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「……」

 

 ふと気づいたように、リウラも乾杯の音頭を取る。リリィは元気にそれに応え、リューナは静かに答える。

 土精は照れながら礼を言いつつグラスを持ち上げ、ヴィアはぶすっと……それでいて気まずそうにグラスを持ち上げる。1人だけ土精を見捨てようとしたことを気にしているのだろう。

 

 アイというのは、先程助けた土精の名前だ。初めて身体を持ったので、個体としての名前が無いため、リウラが名づけた。

 

 

『アイアンゴーレムだから……“アイちゃん”!!』

 

 

 水蛇(サーペント)の“サッちゃん”と同レベルのネーミングである。

 

 だが、“アイ”という名前は、リリィの前世の母国ではそこそこ普及(ふきゅう)していた名前だったので、“まあいいか”とストップをかけることはしなかった。

 土精――アイも恩人が名前を付けてくれたことに喜んでいたことだし、水を差すのは野暮(やぼ)というものだろう。

 

「ちょっと遅かったみたいですね」

 

 ビクン!!

 

 背後から掛けられた声に、耳と尻尾の毛を逆立ててヴィアが反応する。

 見るからにガチガチになった彼女は、顔を真っ赤にしながらギギギと(きし)むように、ぎこちなく後ろを振り返る。

 

 その様子を見てニヤニヤと笑いながらリューナも後ろを振り返って、新たな(うたげ)の参加者に声をかける。

 

「いらっしゃいですの、リシアン。お店はどうしましたの?」

 

「後輩が気を使ってくれたんだよ。『せっかくのお祝いなんだから、主役の1人が行かなくてどうするの!』ってね」

 

 荷物を()ろしながら答えたのは、10~11歳程のエルフの美少年であった。

 リューナの実の弟、リシアンサスである。愛称(あいしょう)はリシアン。

 

 ショートカットの銀髪と、リューナに良く似た容貌(ようぼう)を持っている。ただ、瞳の色だけは違い、リューナが美しい青なのに対し、リシアンは深い紫色をしていた。

 仕事の成功と同時に非常に快活な様子となったリューナと異なり、リシアンは非常に落ち着いた様子を見せており、とても10歳そこそことは思えない、大人な雰囲気を(ただよ)わせている。

 

「いらっしゃい、リシアン君! まだ乾杯したとこだから、全然セーフだよ!」

 

「もう1度、乾杯しなおしましょうか」

 

 リウラが元気よくリシアンに話しかけると、アイが空いているグラスに酒を()いでリシアンの席に置く。

 

「ほら、ヴィー。もう1回、乾杯の音頭を取って! リシアンのお祝いですの!」

 

「うぇっ!? い、いや……それは、むしろアンタの役割でしょう!?」

 

 慌てるあまり声が裏返るヴィアにリューナはクスクスと笑い、リウラは目を輝かせている。アイは困ったように苦笑いし、リシアンは穏やかに微笑み……そしてリリィはニヤニヤと笑いながら、納得していた。

 “なるほど、どうりでブランが『下手(へた)に動くな』と止めているにもかかわらず、それを無視して必死に助けようとするはずだ”……と。

 

「……うん。ヴィーを(いじ)るのは、これくらいにしときますの!」

 

「……リュー、アンタ後で覚えときなさいよ」

 

 恨みがましげにリューナを(にら)みつけるも、真っ赤っかな顔と涙目で睨みつけられても可愛いだけだったりする。

 彼女のあまりに分かりやすい様子に、事情を察したリリィ達も笑顔が止められないようだ。

 

 リューナは笑いをこらえながら、グラスを(かか)げて言った。

 

「弟の……リシアンサス解放のお祝いと、助けていただいた皆さんへの感謝を込めて……乾杯ですの!!」

 

「「「「「かんぱ~い!!」」」」」

 

 宴が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、蔵にあった宝物はリューナの弟を購入する金額を(おぎな)うに余りある質と量があった。結果、無事にリューナの弟……リシアンサスは即金(そっきん)で姉に買い戻され、姉弟は感動の抱擁(ほうよう)を交わすことになった。

 

 感動のあまり、リウラは泣いた。

 

 カウンターで見ていた、リシアンサスの後輩――新たに、この店の店主になるためにやってきた木精(ユイチリ)の少女の(うらや)ましそうな目が、少し印象的だった。

 

 その後、お互いに自己紹介し、必要なもの――アイの服や迷宮での必需品を購入すると、早めに買い物を切り上げてお祝いをすることになった。

 その際、リシアンサスから『リシアンと呼んでほしい』と言われ、リウラ達も愛称で呼ぶことになった。

 

 そして、リシアンを買い戻した後の残額……つまり、盗賊団の蔵に有った宝物の残りは報酬としてリウラとリリィがもらうことになった。

 

 リウラが『持ち主がわかるなら、返したほうが良いかな?』と言う一場面(いちばめん)もあったが、『アンタが受けたような依頼が出てなければ、誰にも持ち主なんてわからないわよ。ありがたく、もらっときなさい』というヴィアの一言(ひとこと)で、ありがたくリリィを救うための軍資金としていただくことになったのである。

 

 今はリウラの故郷である水精(みずせい)の隠れ里(あと)の蔵に、リリィが魔術で丸ごと転移させている。あそこならば、まず泥棒に見つからないだろうし、仮に見つかっても、番をしているサッちゃんを倒して進むのは難しいだろう。

 ディアドラだけは例外だが、あの神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な彼女ならば、どこの金庫からだろうと簡単に盗めるだろう。わざわざ廃棄された里に出向いてまで、金品を(あさ)りに来るとは考えにくい。

 

 

 そんなこんなでお金に余裕のある一行(いっこう)は、値段を気にせず気前よく酒や料理を注文していく。

 

 

「おねーさん! これとこれとこれとこれ! 2皿ずつお願い! あと、林檎酒(シードル)と赤ワイン、オレンジとリンゴジュースを1本ずつ!」

 

「あ、こっちはリンゴパイとプディングお願いしまーす!」

 

「リ、リウラさん……ちょっと食べすぎじゃないですか……?」

 

「ん? アイちゃんも遠慮しなくていいんだよ? お金はあるんだから、もっとどんどん食べなって」

 

「い、いえ……もう充分いただきましたから……」

 

 今、リウラの目の前には、長年あこがれていた外界(がいかい)の美味しい食べ物や飲み物がずらりと並んでいる。彼女にとっては夢のようなその光景に、リウラの瞳には先程からハートマークが浮かんでいた。

 

 そして、そんな彼女の食欲は凄まじかった。その様は、まるでこの数年間()めてきた欲求を解放するかのよう。

 

 フードファイターもかくやという勢いで、空になった皿や(びん)が次々とリウラの目の前に積まれ、並べられては、ウェイトレスやウェイターがそれらを下げていく。

 木の実をパンパンに頬袋(ほおぶくろ)に詰め込んだリスのように、頬を(ふく)らませながら食事をするリウラは満面の笑みを浮かべており、見るからに幸せそうなオーラを放っていた。

 

 リリィは、そんな姉の様子を見ながらニコニコとマイペースに食事を続けており、アイはリウラのそのあまりの健啖(けんたん)ぶりに若干(じゃっかん)引いている。

 

「……リシアン……水精って、肉とか野菜を食べる習慣ってありましたの……?」

 

「……氷結王女(レニア・ヌイ)が人や魔物を襲い続けて、上位の精霊に進化したって話を聞いたことがあるから、ひょっとしたら肉が好きな水精もいるのかもしれないね……」

 

 一方、エルフの姉弟はあんぐりと口を開けて、リウラが飲食している様子に驚いている。

 

 リリィも当初驚いていたように、血に飢えているわけでもない精霊が好んで肉などを食べている様子に衝撃を受けているようだ。精霊と近しい種族であるためであろうか、リリィ以上に驚いているように見える。

 

 ちなみに、氷結王女(レニア・ヌイ)とは氷精(こおりせい)と呼ばれる氷の精霊の1種で、リウラ達――水精と同系統かつ上位の精霊にあたる。

 

 余談だが、土精であるアイもしっかりと肉料理を1人前完食しており、彼女の身体の材料となった泥に血肉が混じっていなかったか、不安になったリューナが再度彼女の身体を検査する場面もあった。

 

「精霊のリウラはともかく……リリィ、アンタそんなに食べたら豚になるわよ」

 

 リウラには劣るものの、リリィもかなりの量のデザートを注文している。ヴィアが呆れた様子でリリィに告げた言葉に、リリィはフォークを(くわ)えたままキョトンとしている。

 

「あ、ヴィアさん知らないんですね」

 

「……何が?」

 

睡魔族(すいまぞく)って太らないんですよ?」

 

「……は?」

 

 思わずヴィアは目を見開く。

 

 リリィを創造した魔王ですら原作で勘違いしていたことだが、実は睡魔族は太らない。

 彼女達は性行為だけでなく、食事からも精気を得ることができるのだが、そもそも人間族や獣人族とは身体の構造が違うため、食べたものを吸収するプロセスも全く異なる。

 

 自身の肉体を精気で構成する睡魔族は、口から食物を摂取すると、それらを体内で完全に分解して純粋な精気に変換し、吸収する。そして、いくら精気を多量に取ったところで、彼女達の身体の精気の密度が上がるだけ……よって、“余分な脂肪がつく”ということは有り得ないのだ。

 

 それどころか、なんの手入れもしなくても髪はサラサラ、お肌はツヤツヤ。生まれた時から死ぬまで若々しく美しく、おまけに成長すれば、ほぼ間違いなくボンキュッボンのナイスバディを手に入れられるという、“美”に関してはエルフも真っ青のチート種族――それが睡魔族なのである。

 

 そうならなければ異性を誘惑できない(=精気が手に入らない)という、生死にかかわる問題があるとはいえ、世の女性の大半を敵に回すが(ごと)き、うらやましすぎる体質である。

 生まれながらにして誘惑の女神(ティフティータ)の加護を得ているという、彼女達の“魅”力はダテではない。睡魔族は今も昔も女性の嫉妬(しっと)の対象だ。

 

 もちろん、今しがたリリィからこの話を詳しく聞いたヴィアも例外ではなかった。

 

「ねぇリリィ? 私にケンカ売ってんの?」

 

 笑顔を浮かべているヴィアは、その整った顔立ちからとても魅力的なのだが、額に青筋を立てて嫉妬に燃えている今は、ただただ恐ろしい。

 

「アンタ、私が食事や美容にどれだけ気をつけてると思っ……アイダッ!」

 

「コラ、そんな小さな子に(から)まないの! 情けない」

 

 気がつくと、ヴィアの後ろに20代後半くらいの猫獣人の女性が、アップルパイとジョッキを乗せたトレイを持って立っていた。

 つややかな黒のロングヘアーを腰の後ろでまとめており、明るい笑顔と、キラキラ輝く金の瞳がとても快活な印象を与える美人だ。

 

 ヴィアに気づかせることなく頭をはたくことのできるこの人物に、“いったい何者だろう?”とリリィが(わず)かに警戒するが、その答えはすぐに知れた。

 

「母さん……でも「「(()()()()()()()()()()!?」」」

 

 ヴィアの言葉を(さえぎ)り、リリィとリウラが驚愕(きょうがく)の声を上げる。

 

 ヴィアの母は、その様子を見てクスリと笑って自己紹介する。

 

「はじめまして。ミュラ・アルカーよ」

 

 リリィたち同性から見ても、とても可愛らしい笑顔が魅力的な女性だった。

 

 ヴィアはリリィの様子を見て、さらに不機嫌になる。リリィの驚き方とリウラの驚き方が違うのだ。リウラは純粋に知り合いの母親が現れたことにびっくりしているだけだが、リリィのそれはもっと別の事に驚いているように見える。

 

 そしてそれは、ヴィアにとって珍しい表情ではなかった。

 

「……なによ、リリィ。私の母さんがどうかしたっての?」

 

 リリィは驚いた表情のまま、ミュラへ(たず)ねる。

 

「その……失礼ですが、年齢を()いても?」

 

 ミュラは苦笑いして答えた。

 

「28よ」

 

「……ちなみに、ヴィアさんの年齢は……?」

 

 おそるおそる訊いたリリィに、ヴィアは眉間(みけん)縦皺(たてじわ)を寄せながら答える。

 

「……16」

 

 ……12歳頃にヴィアを産んだ計算になる。

 

「「ああ~~~~……」」

 

 リリィとリウラは、リシアンを見て納得の声を上げる。

 

「なによ、その“なるほど!”って顔は!!」

 

 言わずもがな。ヴィアのショタ趣味は確実に父親ゆずりだ。

 

 だが、この世界では別に珍しいことではない。リシアンを見ていればわかる通り、この世界では能力さえあれば10歳そこそこでも立派な労働力――つまり、1人前の大人とみなされることは決して少なくない。

 

 魔物の襲撃や戦争などで、あっという間に人が死んでしまうことも多く、精神的にも労働力的にも早く1人前になることが求められる。そのため、幼いうちに結婚して家庭を築いても全くおかしくはないのだ。

 

 ロリコン・ショタコンは、この世界では唯の好みの(ひと)つであり、犯罪でも何でもない。

 

 そこで、ふと何かに気づいたようにリウラは言う。

 

「あ、そういえば、ヴィアさんとリシアン君が結婚したら、どんな子供が生まれるの? 猫耳? それとも、とんがった耳?」

 

 素朴(そぼく)な疑問。だが、当然と言えば当然の質問だ。

 猫獣人とエルフ、あまりにも耳の特徴が違い過ぎる種族が結ばれた場合、どのような耳の子が生まれるのか、不思議にならないわけがない。

 

 小さな子供が(いだ)くような可愛らしい質問に対し、ヴィアの母は笑いながら答える。

 

「さぁ? それは分からないわね。どっちも生まれる可能性があるし」

 

「どっちも?」

 

 ヴィアが赤い頬のまま、憮然(ぶぜん)としながら答える。

 

「異種族が結ばれた場合、基本的にどちらかの種族になるわ。私とリシアンの子なら、だいたいそれぞれ3割くらいの確率で、猫獣人(ニール)かエルフどちらかになるわね。だけど2割の確率でそれらの特徴を混ぜた姿になるし、さらに2割の確率で全く違う姿で生まれるわ」

 

 ヴィアの頭を笑顔で()でながら、ミュラがさらりと補足する。

 

「この“2つの特徴を混ぜた姿”ってのは、たとえばエルフの耳に毛が生えてたり、あるいは猫耳がエルフの耳のような形をしていたり、ってかんじね。まったく違う姿になる場合は想像もつかないわ」

 

 ちなみに、まったく違う姿になる場合の例として、(つの)のあるタイプの魔族と睡魔族の間から、なぜか人間族そっくりの赤子が生まれた、というパターンがある。角も羽根も尻尾も、両親の特徴であるものを何ひとつ受け継ぐことがなく、まったくの異種族の姿として生まれるなど、想像のできようはずもない。

 

 ミュラの幼子(おさなご)に対するような扱いを嫌がるでもなく受け入れつつ、ヴィアは説明を続ける。

 

「……んで、この確率は種族の組み合わせによって大きく変わるわ。たとえば、人間族とエルフなら“2種族の特徴を混ぜた子”が生まれやすいし……そこの睡魔族(リリィ)がエルフと結ばれたら、十中八九睡魔族が生まれる。だけど、リリィがオークと結ばれれば、さっきの猫獣人とエルフの例と大体同じ確率になるわね」

 

「なんか、最後の例に悪意を感じるんだけど」

 

「気のせいよ」

 

 睡魔族は一部の例外を(のぞ)き、そのほとんどが女性の種族である。このように単一(たんいつ)の性しか存在しない種族は、基本的に己と同じ種族を産む力が極めて高い。

 

 オーク――豚の鼻を持ち、でっぷりと太った姿が一般的な、やや知能指数の低い鬼族(きぞく)もまた男性として誕生する確率が非常に高い種族であり、こちらも自分と同種族を産ませる力が極めて高い。

 

 このように、種族ごとに“自分と同種族を産ませる力”というのは異なるうえ、先の“人間族とエルフ”のように種族ごとの親和性というものもあるため、異種族婚で生まれた子供というのは、その姿形(すがたかたち)を予測することが難しいのである。

 

「と、そうだ水精のお嬢さん。アンタに会わせたい奴がいるのよ」

 

「ふえ? 私?」

 

 リウラは自分を指さして首をかしげる。

 ミュラが親指で自身の背後を指すと、後ろから背の高い狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が現れた。

 

「よう、嬢ちゃん。あの時は済まなかったな」

 

「あの時?」

 

 “まさに狼そのもの”といった頭部を持つ、特徴のありすぎる人物である。知り合っていれば忘れるはずなどないのだが、リウラに心当たりなどまるでなく、ますます首を(ひね)る。

 

 そんな彼女の様子を見て苦笑した狼顔(おおかみがお)の男性は、ズボンのポケットから何かを取り出すとリウラの前に置いた。

 ジャラリという音が鳴り、手を退()けると、そこには袋に入った硬貨があった。袋の口は何故か、鋭いナイフで切られたかのように不自然に歪んでいる。

 

「あ……あああああああぁぁぁぁっ!? 私の財布!!」

 

 リウラが上げた大声に周囲の客が何事(なにごと)かと注目するが、盗まれたと思っていた財布が返ってきた驚きに我を忘れているリウラは、それに気づく様子もない。

 

 ヴィアは、それを見て呆れた様子で訊いた。

 

「ヴォルク……アンタ、何やってんの?」

 

 狼獣人の男性――ヴォルクは苦笑すると、奥のカウンターでグラスを(みが)いているブランを指さしながら言う。

 

「おやっさんに頼まれたんだよ。『世間知らずの嬢ちゃん達がいるから、ちょっと()んでやってくれ』ってな」

 

 それを聞いたリリィが後ろを振り返ってブランをジト目で(にら)むと、それに気づいたブランはニヤリと笑い返す。

 

(……)

 

 リリィは溜息を1つついて首を前に戻した。

 

 どうも最初から仕組まれていたらしい。あまりに頼りない自分達を見て、お節介をしてくれたのだろうが……もうちょっと心臓に悪くないやり方はなかったものか。

 

 だが、感謝はしなくてはなるまい。ほぼ初対面の相手にもかかわらず、わざわざ部下を使ってまで自分達のために警告してくれたのだ。

 目の前では、ヴォルクが可愛らしい女性物の財布をリウラに渡していた。財布を盗んだ()びだという。アフターフォローまでしっかりしているようだ。

 

 リウラは一応遠慮したのだが、『返されても男の俺には使えない』と強引に渡され、結局受け取ることになった。あらためてそれを受け取ったリウラは、まんざらでもなさそうだ。どうやら気に入ったようである。

 

 うばわれた金は戻り、新しい財布と宝物、そして仲間を手に入れた。

 リウラは美味しい食べ物や飲み物を堪能(たんのう)することができ、夢を1つ(かな)えることができた。

 

 今日は色々大変な1日だったが、結果的には大成功だったのだろう――リリィはそう考えていた。

 

 

***

 

 

 ――深夜

 

 (うたげ)が終わり、店員すらも(とこ)()丑三(うしみ)(どき)……辺りが静かな闇で包まれる中、リューナはテーブルに置いた左腕に頬を乗せるようにしてうつ伏せ、右手に酒の入ったグラスを握りながら、ランプの(あか)りを反射するグラスを、ぼうっと生気の無い瞳で見続けていた。

 

「……」

 

 ガタン

 

 椅子に誰かが座る音。

 

 リューナが音に反応して、グラスから視線をそちらに向ける。そこには不機嫌そうな彼女の親友が腕を組み、足を組みながら瞑目(めいもく)していた。

 

 ヴィアは何も言わない。

 おしゃべりで、誰よりもヴィアを信用しているリューナは、悩みごとがあれば、どんな小さなことでも必ずヴィアを頼り、相談する。そのことを良く知っているヴィアは、こうした時、ただ彼女の(そば)に寄り添い、静かにリューナが話し出すのを待つのであった。

 

 リューナは静かに視線をヴィアから、自身が伏せるテーブルへと移し、また無言で(たたず)み続ける。

 

 それから20分は()っただろうか……リューナはぽつりと一言(ひとこと)(こぼ)した。

 

「……ヴィー……わたくしは、とんでもない間違いを犯してしまいましたの……」

 

「……」

 

 ヴィアはゆっくり目を開く。

 ……そして、無言で続きをうながす。

 

 幼い頃は、彼女の悩みを無理に訊き出そうとして痛い目を見たこともある。どちらかといえばアクティブな性格である彼女にとって、沈黙の時間は苦手なものであったが、今はそうではない。彼女が自分を頼り、自分を信頼してくれていると感じられるこの時間は、決して嫌いではなかった。

 

 だが、だからといって、親友が苦しんでいる様子を見て気分がいいわけでもない。

 特に、今回の悩みはヴィアが抱えているものと全く同じであるが故に、非常に胸が重く、苦しい。ヴィアの沈黙は、それを噛み殺す意味合いもあった。

 

「……わたくしは、オークの宝箱の前でリリィが魔王の魔力を放つところを見て、“あの娘が魔王の使い魔だ”と確信しましたの。……ううん、今もそうだと思っていますの……だから、わたくしはあのうさんくさい真っ黒くろすけの言葉を信じてしまいましたの」

 

 リシアンを救う金策は、約3年前から行われていた。手の届く範囲の盗賊団は駆逐して金品を奪い、ブランを初めとする知り合いからも可能な限り金を借り、商売のまねごとをし、募金を(つの)り、果ては比較的裕福な家であるとはいえ、無辜(むこ)(たみ)の金品を少しずつ盗んだりまでした。

 

 しかし、それでも足りなかった。あと1年、リシアンに買い手がつくのが遅ければ、どうにかなったかもしれないが、非情な現実はタイムリミットを2人に突きつけ、途方に()れていたところに奴は現れて、こう言った。

 

 

 ――『リスクを限りなく少なくして魔族の蔵を襲う方法があるんスけど、話を聞いてみないッスか?』

 

 

 上下、靴まで真っ黒で手袋も黒。黒い帽子をかぶった上に、口布(くちぬの)まで黒と、全身黒ずくめの女は自らを 『なんでも屋のクロ』と名乗り、話を切りだした。

 

 魔王軍の配下が1人戦争中に亡くなり、彼が保有する(いく)つかの拠点や砦が(なか)ば放置状態になっているというのだ。

 それらの拠点は娘が引き継いでいるものの、彼女自身の高い戦闘力と悪名高(あくみょうだか)さに胡坐(あぐら)をかいているのか、その守りはぞんざい。

 

 クロはその中に、盗賊まがいのレベルの低い部下達が守っている蔵を見つけたという。集めた情報からして、中にはリシアンを買って、借金を返してもなお余りあるほどの金品が有るはずだと。

 

 しかし、ヴィア達は首を横に振った。

 (くだん)の魔族の少女は、酷くプライドが高いことで有名だ。そのようなことをすれば、草の根わけてでも自分達を探し出して(さら)し首にするだろう。だからこそ、申し訳程度の守りでも、その蔵は襲われないのだ。

 へたすれば関係者であるリシアンやブラン達まで殺されかねない。それでは本末転倒である、と。

 

 しかし、そこでクロは目元だけでもあからさまに分かるほどニヤリと笑い、軽薄そうな声でこう言った。

 

『そんなの簡単に解決できるッスよ………………()()()()()(なす)()()()()()()()()()

 

 

 

 

「わたくしは……『魔王の使い魔が生き残っている』って聞かされて……彼女になら罪を擦りつけても誰も困らないし、心も痛まないって聞いて……それで納得してしまいましたの。……ううん、きっと本当は納得()()()()()んですの……わたくしのお父様とお母様を奪い、わたくしを(さら)い、弟を奴隷に落とした魔王軍の関係者に酷い目にあって欲しいと思っていたから……」

 

 ギリッ……!

 

 ヴィアが歯を噛みしめる。

 

 そう、クロは的確にリューナの……そしてヴィアの急所を突いてきた。

 

 魔王軍はあちこちで暴虐の限りを尽くした。

 その被害が地上の人間族の国家だけに(とど)まるわけもなく、迷宮内で一定の地域を支配していたマフィアであるアルカーファミリー(ヴィアの実家)も壊滅的な被害を受けた。

 

 ――そして、その時……ヴィアは実の母を失った

 

 ミュラが、ヴィアの母として若すぎるのは当然だ――実の母が殺された後に嫁入りした()()()()()()()()()

 

 ブランは今でもその時のことを()いている。

 あの時、自分がもう少し身の程を知って、魔王軍との衝突を回避することを最優先にしていれば、妻を失うこともなかったかもしれない……と。

 魔王軍の依頼を告知板に貼ったり、魔王軍の関係者が酒場に出入りするようになったのも、その時のことをブランが悔いているからだ。

 

 しかし、ヴィアはそうは思わない。たしかにマフィアの頭を張るブランが、当時、天狗(てんぐ)になっていたかもしれないとは思うものの、あれがあの時の父にできる最善だったのだと理解しているからだ。

 

 自然、その(うら)みは魔王軍へと向き……自然と、その関係者であるリリィにも、そして蔵の持ち主である魔族の少女にも向いた。

 

 

 ――魔族が憎い。魔王軍の関係者が憎い

 

 

 自分達が蔵を襲うことで両者が争うことになれば……それは、なんと胸がすくことだろうか。

 

 

 リリィ達に罪を擦りつける方法は、簡単だ。

 実際にリリィ達に蔵を襲わせたあと、『リシアンが自由になったお祝いだ』といった適当な理由で、宴会を開き、飲み物に薬を盛って眠らせればいい。

 

 ちょっとやそっとで起きなくなった無抵抗のリリィ達から、ヴィア達の記憶をクロが魔術で消してしまえば、それでおしまい。あとは、適当に(うわさ)を流せば、(くだん)の魔族の少女がリリィ達を見つけてくれるだろう。

 

 なにしろ、リリィ達の記憶そのものを改ざんしているのだ。たとえ、リリィ達が負けて、記憶を(のぞ)かれようと、洗脳されようと、ヴィア達のことが発覚する可能性はゼロ。

 しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。完全にリリィ達に罪を擦りつけることができる。

 

 ヴィア達を目撃していた盗賊達を皆殺しにしていたのも、彼らの口からヴィアとリューナの存在が明るみに出るのを避けるためであった。

 

「わたくしは無意識のうちに“魔王の使い魔のあの娘は、きっと今まで悪いことを考えて、悪いことをいっぱいしてきたに違いない”と思い込んでおりましたの。オーク討伐の依頼を受けた時の態度も、まわりを刺激しないための演技(カモフラージュ)だと……だからこそ、リシアンを助ける犠牲にしようと考えた……でも、そうじゃなかった……」

 

 リリィは“(じょう)で動く奴らだと思われたから、ヴィア達に目をつけられた”と考えていたが、これは間違いだ。

 彼女達の勝利条件は、“実際にリリィ達に蔵を襲わせること”……それだけだ。それさえ満たせるならば、説得するための方法は何でもよかった。

 

 それが泣き落としのような形になったのは、オーク討伐の件で“リリィ達がお人好しを(よそお)っているなら、泣き落としでいける可能性が高い”とヴィア達が考えたことと、事情を9割がた真実で話すことができるので、嘘が発覚しにくかったためである。

 

「お人好しのお姉さんをとても(した)っていて……その人のために命を()けて戦って……そのお姉さんもリリィのことをとても愛していて……それを見て思いましたの……“ああ、彼女達は、わたくしとリシアンの関係と何も変わらないんだな”って」

 

 リューナの声が(わず)かに震え、ひと粒だけこぼれた涙が(すじ)を作る。

 

 奴隷を初めとする不幸な人が(あふ)れたこの世界で、いちいちそうした人たちを救いあげる余裕などリューナにはない。自分の弟を救うだけで精一杯(せいいっぱい)であり、だからこそゴーレムの中で苦しむ土精(アイ)の声が聞こえようと無視していた。

 

 しかし、リウラは『助けたい』とリューナ達に願った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“お人好し”のふりをしているだけならば、黙って聞こえないふりをしていれば良いはずなのに。

 

 そこでようやく、リウラが本当に“お人好し”であることに彼女は気づき、そのリウラのために命を懸けてゴーレムと戦うリリィもまた、リューナが思うような悪党ではないことに気づいたのだ。

 

「わたくしは、リリィに“魔王の使い魔”というレッテルを張って、思い込みであの娘を(おとし)めようとしましたの……そう、」

 

 

 ――わたくし達を(メイル)から追い出した、あの方達と同じように

 

 

 リリィと出会ったとき、リューナは自分達が魔族に襲われた理由を『今でもわからない』と答えた。

 

 それは嘘だ。大嘘だ。彼らがリューナ達を襲った理由は、()()()()()()()()()()

 

 リューナはエルフだ。生まれながらにしてエルフの神――ルリエンの加護を得ている。だが、彼女はもうひとつ、生まれながらにして別の神から信じられないほど大きな加護を得ていた。

 

 青の月女神(つきめがみ) リューシオン

 

 光に属する神――いわゆる善神であるため、決して凶兆(きょうちょう)というわけではない。だが、彼女が生まれた家が問題であった。

 

 彼女はその森に()むエルフの(おさ)血族(けつぞく)傍系(ぼうけい)――人間族で言えば、公爵(こうしゃく)に当たる血筋(ちすじ)に生まれたのである。

 

 基本的にエルフは穏やかな種族であるため争いは好まないが、何事(なにごと)にも例外は存在する。これだけ多大な神の加護を得ている赤子(あかご)が長に連なる血筋に生まれれば、“この赤子こそ次の長にふさわしいのでは?”と考える者がいても全くおかしくない。

 この世界は魔物や魔族が跋扈(ばっこ)する世界なので、長に森を護れる力があることは非常に重要視されるのだ。

 

 今まで通りの流れで長の血筋から次の長を出したほうが、争いは少なくなると主張する者。

 飛び抜けた力を持つ者こそ、森を護るために必要だと主張する者。

 

 どちらも“平和で穏やかな生活”を望むが故に、争いが発生してしまったのだった。

 

 その争いの結論がどうなったのか、リューナは知らない。知っているのは、自分が8歳を(むか)えた直後、リューナとその家族が森を護る結界の外で暮らさざるを得なくなった事実のみ。

 いくら親に訊いても教えてくれなかったが、リューナは幼心(おさなごころ)にただ“自分が他と違うから追い出されたのだ”とうっすら理解していた。

 

 その事から、自らに与えられた月女神の加護を(うと)み、憎むことでだんだんとその加護も失われていってしまったが、後悔はない。その加護はリューナにとって(うと)ましいものでしかなかったのだから。

 

 

 ――そして、悲劇は起こる

 

 

『……オマエが蒼月(そうげつ)巫女(みこ)か……それにしては、大した月女神の加護は感じんが……?』

 

 両親の血を()び、幼い弟を抱きすくめて(おび)えるリューナにかけられたそのひとことで、この頭から2本の角を生やした魔族の男の狙いが自分であることを知り、リューナは絶望した。

 

 そして、思った。

 

 ――森で……あの巨大な結界の中で過ごすことができたなら、父も母も死なずに済んだのに

 

 それは幼いリューナの自己防衛。“自分のせいで両親が死んだ”と認識したら心が壊れてしまうが故に、自分達を森から追い出したエルフたちへと責任を押しつけた。

 

 ――自分を“月女神の加護”なんてもので異端視(いたんし)しなければ、こんなことにはならなかったのだ

 

 そして、その時の想いはそのまま現在のリューナの心へ毒針のように突き刺さる。

 

 ――リリィを“魔王の使い魔”なんて肩書(もの)で異端視しなければ、こんなことにはならなかったのだ、と

 

 打ち上げで何の(うれ)いもなく姉と笑い合うリリィの姿……それが弟と笑いあう幼き日のリューナの姿と同じであることに、その幸せな光景をリューナは自らの手で粉々に打ち砕こうとしているということに、全てが終わった後で彼女はようやく気がついたのだ。

 

 リューナの血を吐くような告白が終わり、ヴィアはようやく口を開く。

 

「……なら、どうにかしましょう。ここでただ悔いていても何にもなりゃしないわ。あの女がわざわざ『薬を盛れ』って指示したくらいだから、記憶操作ってのはよっぽどデリケートな魔術なんでしょ。リリィ達に薬は盛ってないし、父さんに頭を()げてお願いすれば、うやむやにするくらいの情報操作はヴォルクがやってくれるはずよ。……それでうまくいくかは分からないし、リリィ達にどう()びれば良いかもわからないけど、それは明日、父さんやリリィ達と一緒に相談しましょう」

 

「……うん、そうですわね……ありがとうですの、ヴィー」

 

「礼を言われるほどの事じゃないわよ」

 

 そっぽを向くヴィアの頭頂部でピクピクと動く猫耳を見れば、リューナの礼に喜んでいることは明白なのだが、リューナは赤くはれた眼を嬉しそうに歪めてその様子を観察しながらも、その事を指摘はしない。

 

 ――だって、教えない方が面白くて……可愛いから

 

 そんなことを考えられるほどに自分に余裕が出てきたことを知ると、悩みを吐き出して安心したせいか、急に眠気(ねむけ)が襲ってくる。もう部屋に戻るのも、めんどくさい。たまにはこのまま寝るのも良いか、と酔いのまわった頭で考えて意識を手放そうとして……

 

 

 

 

「いや、そいつは契約違反ッスよね?」

 

 

 

 

 ――その声に、一気に意識が覚醒した。

 

 ダンッ!

 

 反射的に床を蹴り、座っていた椅子を音を立てて倒しながら、声が聞こえてきた方向にリューナは向き直る。いつの間にかヴィアも彼女の隣で僅かに腰を落とし、肉食獣の如き鋭い瞳で声の主を(にら)みつけていた。

 

「アンタ……いつの間に……!」

 

 ランプの光が届かない薄暗い闇の中、奥のテーブルに腰掛けている姿は、上から下まで黒ずくめの女。

 クロはヴィアの詰問(きつもん)を意に介さず、へらへらと笑っていることがありありと分かる声でしゃべる。

 

「困るんスよねぇー、契約と違うことされると。こっちの計画が大幅に狂っちまうんで」

 

「……なによ、アンタにはちゃんと約束通りの金額を渡したじゃない。別にアンタに罪を擦りつけるわけでもなし、何が不満だってのよ」

 

「それは貴女(あなた)が知る必要のないことッスよ。とりあえず、こっちの要求は1つッス。“当初の契約通り、罪をリリィ達に擦りつけること”。それさえ護ってくれれば、私が言うことは無いッス」

 

「仮に「絶ッッ対にっ! 嫌ですの!!」……リュー?」

 

 『言うことを聞かなければどうなる?』と訊こうとしたヴィアの言葉を(さえぎ)り、リューナが断固とした決意を込めた声で、クロの要求を拒絶する。

 

「わたくしは、もう後悔するようなことはしたくないですの! 仲間を売るなんてもってのほか! おとといきやがれですの!」

 

 ――まずい。ヴィアは(あせ)った

 

 警戒すべき相手が出てきたことである程度酔いが飛んだようだが、それでも長時間かなりの深酒(ふかざけ)をしていたためか、ピンポイントで逆鱗(げきりん)に触れられたリューナは、かなりの興奮状態にある。

 

 この色々な意味で得体(えたい)のしれない相手に真正面からケンカを売るなど、いつものリューナなら絶対にやらないことだ。なんとかしてリューナを落ち着かせて、早急に穏便(おんびん)に事を済ませなければ……

 

「……そうッスか……それは残念ッスねぇ……」

 

 

 ――遅かった

 

 

 ニヤリと笑っているのが、その粘着質な声音(こわね)からありありと分かる。なにか致命的なミスを犯したことだけはわかるのだが、それが何か、そしてどう対応したらいいのかがまるでわからない。

 とにかく、暴力的な手段に出られてもすぐに対応できるよう、全神経を()()ましてさらに腰を落とそうとしたその時――

 

「先に契約を破ったのは、そっちッスからね?」

 

 ドスッ!

 

「がっ……!?」

 

 重々しい肉を打つ音とともに、リューナが大きく目を見開いて前のめりに崩れ落ち、その膝が床につく前に、まるで鋼線(ワイヤー)にでも引っ張られたかのようにクロに引き寄せられた。

 一撃で気絶させられたリューナは、ひょいと俵抱(たわらだ)きに、肩に(かつ)ぎあげられる

 

「リュー!?」

 

(いったい何が……!?)

 

 ヴィアは何かあっても対応できるよう、クロの一挙一動を、その獣以上に敏感な五感を総動員して注意していた。

 しかし、リューナがやられた瞬間、彼女は()()()()()()()()()()()()のだ。単純に考えれば(なん)らかの魔術でやられたと思うのが普通だが、ヴィアは一切(いっさい)魔力を感じていない。むしろ戦闘態勢に入りかけていたリューナの方が、よほど力強い魔力を放っていたほどである。

 

(……いや、相手の攻撃のタネについて考えるのは後回し。まずはコイツの機嫌をとって、なんとかリューナの安全を確保しないと……!)

 

「待って、わかったわ。アンタの言うとおりにするから――」

 

「ああ、もういいッスよ」

 

 そう言ってヴィアがクロを(なだ)めようとしたところで、クロは事もなげに肩をすくめる。まるで、『そんなことはどうでもいい』と言わんばかりに。

 

「あなた達が契約を破るくらい、こっちも想定済みッス。なにせ、あの睡魔も水精もホントに良い子ッスからねぇ……“同情して流されることもあるだろうな”くらいは思ってたッス」

 

「……なんですって?」

 

 今、コイツは何と言った?

 『契約を破ることを想定していた』? 『本当に良い子』? コイツは、リリィ達には何の罪も後ろ(ぐら)いことも無いと分かっていながら、自分達にリリィを売り、リューナが罪悪感に(さいな)まれるのを眺めていたというのか?

 

 カッと頭に血が上り、ぐつぐつと煮えたぎるような怒りがヴィアの腹の底から()き上がる。

 

「んで、本音を言うと……別に貴女達が契約を破ろうと破るまいと、実はどうでも良かったりするんスよ。ぶっちゃけ、あの面倒な手順は、全部あなた達を巻き込まないためなんで、それを無視して良いなら、もっと簡単にことを進められるんス。……ってなわけで、ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス」

 

 怒りで身体がブルブルと震えるのを必死に抑え込みながら、なんとかヴィアは理性的な返答をすることに成功する。

 

「……アンタがリューを返してくれたなら、考えてあげるわ」

 

 しかし、ヴィアの言葉をさらりと聞き流してクロはこう言った。

 

「『あなた達が襲った蔵の、本当の持ち主にリューナさんを突き出してるから、助けるならお早めに』、と」

 

「なっ!?」

 

 ヴィアが目を見開いて絶句しているうちに、クロはさらに言葉を続ける。

 

「ああ、他の人……特にブランさんには内緒にしといた方が良いッスよ? 母親に続いて父親まで亡くしたくはないでしょ? ……んじゃ、そういうことで、おやすみなさいッス。ベッドには運んどいてあげるッスから、安心してください」

 

「待っ……!?」

 

 またも何の予兆も無く鳩尾(みぞおち)に重い衝撃が走り、意識が暗転する。

 

(……リュー……)

 

 薄れゆく意識の中、ヴィアは己の軽挙な行動がこの事態を呼び起こしたことに、深く後悔するのだった。

 

 

 ――リリィとリウラの危機は、いまだ去っていない

 

 

 




 最後のリューナが(さら)われるタイミングで、実はリリィの性魔術によるリウラのパワーアップイベントが発生しています。

 しかし、表現が完全にR-18に踏み込んでしまったので、そちらはR-18に投稿いたしました。読まなくても、本編を読むうえで支障はありませんが、18歳以上の方は、もしよければ見ていただけると嬉しいです。


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