想定される最悪のパターン……それは、“リューナから情報を引き出された上で、リューナが殺されていること”。
では、その次に最悪のパターンとは、なんだろうか?
それは、“リューナから情報を引き出された上で、
別にヴィアは、“リューナが自分の意思で裏切る”などとは欠片も考えていない。彼女とヴィアの間に築かれた絆は、それを確信できるほどに固く、太い。
だが、この世界には魔術的に敵を取り込む方法なんて、洗脳から魅了、はては重要な記憶の抹消まで、掃いて捨てるほどに存在するのだ。
そして、今……リューナに
今やリューナはその睡魔の恋奴隷と化したが故に、睡魔の主であるブリジットにも当然
「……どうしてバレたのかしら? ちゃんと気配は消してたつもりなんだけど」
身バレしているために、不要となった口布を
「あはは、ヴィーは覚えていないですの~? 小さい頃、ヴィーがさらわれてから助けられたあと、いつ同じことがあってもすぐに助けられるように、位置察知の魔術をかけておいたじゃないですの」
言われて、ヴィアは思い出す。
たしかに幼い頃、ちょうどブランが留守にした隙を
そばにいたファミリーのみんなが1人残らず倒されていたことがとても恐ろしかったため、その時のことはしっかり覚えている。
同時に、先ほど頭の中に響いた声についても思い出した。
アレは、かつて自分がさらわれたとき、自分を探してくれていたリューナの元まで導いてくれた声と全く同じものだった。不思議なことに、自分を閉じ込めていた牢の鍵はいつの間にか破壊され、見張り達も姿を消していたために、スムーズにリューナと合流できた記憶がある。
こちらからの呼びかけには
留守から戻ってきたブラン達に保護された後、“すぐにヴィアがさらわれても分かるように”とリューナに魔術をかけてもらったことを思い出し、チッとヴィアは舌を鳴らす。
どうやら自分は『ここに敵がいますよ』と叫びながら潜入していたらしい。とんだ間抜けだ。
そんなやり取りを見て、玉座に
「コイツがヴィアって奴か……ってことは、あと3人だな」
青緑色の髪をやや斜め後ろのサイドテールに結った、勝気そうな少女だ。
こめかみの上あたりから、後方に向けて伸びる小さな角。背にはコウモリの翼。腰から伸びる先のとがった尾と、典型的な魔族の特徴を備えた、リリィと同年代くらいの少女である。
桃色と黒を基調としたチューブトップに、水着のようなボトムス、腰回りのみを
しかし、そんな幼い少女であるにもかかわらず、感じられる魔力は非常に強力だ。少なくとも、高い魔力を持つ種族であるエルフのリューナですら、比較にならないほどに。
そして、少女の
こちらは少女とは正反対に成熟した肉体を持つ女性だ。
赤く波打つ
モデルのように高い身長、スラリと長い手足、肉感的なボディラインを包むのは、お腹を出すハイネックとミニスカート。そして、黒一色のそれらと対象になるように赤く、白いファーで飾られた
落ち着いた大人の雰囲気とも
その
王という王が
ブリジットの発言から、こちらの情報が
「動かないで」
しかし、その動作は途中でピタリと止まった。誰よりもヴィアを理解する
――リューナの右手には順手に握られたナイフ。その切っ先はリューナ自身の
正気を失って曇りきった瞳で、リューナは言う。
「もし、少しでも妙な動きをしたり、闘気を放ったら……刺しますの」
(……まずい……!)
行動を完全に封じられた。これでは逃げる事はおろか、リリィ達に助けを求める事すらできない。
綿密な作戦を練る時間も、充分に情報交換をする時間もなかったヴィアは、“使い魔と主の間の
「え~と、ヴィアちゃんだっけ? おねーさんが今から、い~っぱい気持ちいいことしてあげるね♪」
無邪気に、そして色気たっぷりに迫ってくる名も知らぬ睡魔。
2連続で立て続けに同性に襲われるなんて、どんな厄日だ――ヴィアは心の中でマジ泣きである。
身動きの取れないヴィアの唇に、睡魔は何のためらいもなく吸いついた。
(!? ……わ、私のファーストキスが……!)
実は、この
性魔術を使ってヴィアを使い魔とせざるを得なかった緊急事態でさえ、リリィは、リシアンサスという想い人がいることを考慮して、キスだけは遠慮している。
そういう訳で守られてきた純情な乙女の唇を、この女は何の遠慮もなく奪い取ってくれやがったのである。ヴィアの中で“
直後、唇を通して魅了効果を持たせた睡魔の魔力がヴィアを浸食した。念入りに、ヴィアの肉体の隅々にまで魅了の魔力が染み渡るように、睡魔は唇を通して魔力を送り込んでゆく。
やがて満足がいったのか、睡魔は唾液の架け橋を作りながら、ゆっくりと唇を離す。
きちんと魅了がかかっているか確認するため、ヴィアの瞳を覗き込もうとした瞬間、
――睡魔の背から刃が生えた
「なッ!?」
「!?」
ブリジットとオクタヴィアが驚き
それほどまでにヴィアの精神力が高かったのか、それとも生まれつき魅了に対する抵抗力が高かったのか……
「……あ、れ?」
そしてリューナを魅了していた術者が倒されたことで、リューナが正気に返る。
そのことに気づいたオクタヴィアが、彼女を人質に取ろうと動こうとするが、
――その時には、すでに彼女を背後に
(……速い!)
リューナから聞いていた情報よりも、明らかにヴィアのスピードが速くなっている。完全に魅了にかかっていたリューナが嘘をつく理由は無く、なんらかのタネがあるに違いなかった。
目を細めてヴィアの様子を探ると、ヴィアの全身を光り輝く闘気が
(……魔力……それもこれは彼女のものではない、別の誰かのもの…………!! ……そういうことですか……!)
オクタヴィアはカラクリを理解した。
――数十分前
『ヴィア、“
使い魔の契約を結んでから、やや時間が
『たしか“
時間が無いことに焦りながら、ヴィアがややつっけんどんに返すと、リリィは1つ頷いて言った。
『私がヴィアと結んだ使い魔契約は、限りなくこれに近いものなの』
ヴィアは、大きく眼を見開いた。
『私は魔神じゃないから、
『さっきの
『具体的には、あなたの身体能力を含めた全能力が格段に強化されるはず……たぶんだけど、魅了に対する耐性もつくと思う』
初めて結ぶタイプの契約のため、やや自信なさげにリリィは話す。
『だから、気をつけて。あなたの身体は今まで以上に良く動く。ブリジットの城へ向かう道すがら、“今までとどれぐらい違うのか”を走りながら確認して』
(危なかった! リリィとの契約がなかったら、完全に終わってた!!)
リリィから力を分け与えられていなければ、ヴィアはこの睡魔に魅了されていただろう。そうなれば、睡魔の身体でリューナの視線を
ヴィアは緊張感を保ちつつも、最大のピンチを何とかのりきったことに心の底から
だが、いまだ危険な状況である事に変わりはない。
リリィの力で強化されているといえど、目の前の魔族達と戦える程の力をヴィアは持っていない。
ブリジットは予想外の事態に驚いて固まったままだが、彼女の使い魔は既に立ち直って戦闘態勢。早急に彼女達の目を
だから、ヴィアは心の中で必死に叫ぶ。
(リリィ! リューを助けたわ! すぐに助けに来て!!)
返事は即座にヴィアの頭に響いた。
(わかった! ヴィア、
――ヴィアの思考が一瞬止まった
(……ハァッ!? 『動くな』って、アンタ何言って……!?)
まさかの『動くな止まれ』発言に混乱したヴィアが、疑問を思念で伝え切る前に、その
ゴッ!!
すさまじい勢いで純粋魔力の
「リリィ!」
ヴィアの視界に飛び込む、可愛らしいコウモリの翼が飛び出た小さく
『敵に見つからずに、リューナさんを探せれば良いんですよね? ……だったら、私が地面を操作して地下道を造って、城の真下からリューナさんの気配を探れば良いんじゃ……?』
リリィは驚いた。何に驚いたかというと、
水の精霊であるリウラたち
ところが、実際にはそうではない。“
通常の精霊は、もっとも親和性の高い物質――水精ならば“水”、
そのように創られた肉体には生命力――いわゆる精気が宿り、それを素に精霊は魔術を行使する。外見上、水そのものでできているような水精達でさえ、その体液は“青の液”と呼ばれる生命力に満ちた特殊な体液へと変化するのだ。
それは
ところがアースマンは肉体を創り上げる訳ではなく、
それは肉体を持つ土精と比べれば微々たる量でしかないため、彼らができる事は、せいぜい“拳に地属性の魔力を込めて殴る”くらいである。土や岩を操って攻撃したり、土や魔力そのもので衣服を
(……なんか、精霊の常識について、あれこれ考えるのが馬鹿らしくなってきたなぁ……)
“これでもか!”と言わんばかりに、リウラに精霊の常識を破壊され続けてきたリリィは、だんだん驚く事が面倒くさくなってきていた。
アイの提案は即採用。アイが地面を操作して地下道を造り、地下から城の敷地内に入り込む。
ヴィアと同様、すぐにリューナの気配の居場所を正確に把握したため、その真下まで移動。リウラとアイが地下深くから水球や土を遠隔で操ってニセ水精やニセアースマンを創り、城内で暴れさせながらヴィアからの連絡を待って、心話が入った瞬間にリリィが地下から魔術攻撃をぶっ放した。
アイは城に使われている石や鉱物の硬さが大体わかるらしく、城壁とは違って床はそこまで強固に造られていなかった。そこで、偽・超電磁弾ではなく、
アイの能力を聞いた時点で既にヴィアは城に潜入していたため、リリィから心話をつなげるとヴィアの邪魔になってしまうかもしれないこと、そして急に作戦を変更するとヴィアとの連携に支障が出るかもしれないことから、彼女達の動きは当初立てた作戦とそう大きな差はない。
しかし、アイの能力のおかげで、リリィ達は自分達の姿を
超遠距離から大量の魔力を喰う
アイがやったことは“穴を掘るだけ”という非常に地味なものだが、まちがいなく大手柄であった。
「その穴に飛び込んで!」
ヴィアがリリィの言葉に慌てて穴を覗き込むと、この階から地下まで一直線に大穴が空いており、穴を筒状に覆う水壁が見えた。脱出中に攻撃されたり、脱出路を塞がれたりしないようにリウラが造ったものである。
そのリウラ本人は、その水の筒の中間で水の螺旋階段に足をかけた状態で「早く! こっち!」とヴィア達に
アイは気配からして、穴の最下層に居るようだ。
「させるかよ!」
リリィの魔術攻撃を防御するも、一瞬
それに気づいたリリィは、どこからともなく右手に長剣を、左腕に小型の盾を
――その瞬間、リリィはブリジットを見失った
一瞬の思考の空白。それを後頭部への強烈な一撃が粉砕した。
「ガッ!?」
――ヴィアは、その一部始終を見ていた
ブリジットはリリィが攻撃した瞬間、リリィの死角――左腕に
いくらブリジットが小柄な体躯の持ち主だといっても、子供用の
ヴィアも似たような事はできるが、リリィのスピードと頑丈さには対抗できない。仮にリリィ相手に実行したとしても、途中で背後に回ったヴィアの気配に反応されるか、ヴィアの攻撃をくらいながらもカウンターを返してくるだろう。
対して、ブリジットはあっさりとリリィに
パワー・スピードにおいてはヴィアを、技術においてはリリィを、ブリジットは完全に上回っていた。
「リリィ!?」
リウラの声が響くと同時、ゴッ!! と
「うおっとぉ!?」
ブリジットは予想外の攻撃に、慌てて
ブリジットが穴の下を覗き込んだ時には、ヴィア達の姿はどこにもなかった。
「追うぞ! オクタヴィア!」
オクタヴィアはコクンと頷くと、使い魔へと脳内で指示を飛ばす。わずかに間が空いて、次々に使い魔達から報告が上がってくる。
『こちら1階中央の間! 侵入経路は既に土で封鎖されており、追跡は困難! 現在、1部隊を出して地上から気配を追跡中!』
『こちら正門前! 侵入者の姿、および侵入に使用されたと思われる
『こちら外周警備第3班! 侵入者発見! 現在、北東へ逃走中!』
(北東……
“転移門”とは、魔術的に空間を繋ぐことによって、瞬時にして長距離の移動を可能にする空間移動装置である。
転移門と
この迷宮に多く存在するものは、後者――つまり“門そのもの”の形をしたタイプで、くぐるだけで使用でき、しかも利用者の魔力も不要という、非常に利便性の高い移動手段であった。
この城から北東の転移門は、
(……そうはさせない)
オクタヴィアは冷静に、自身の使い魔達へ次の指示を出した。
***
まばゆく輝く転移門からヴィアが、続いて水の
リウラは既に口布を
彼女達の移動速度はかなりのものだ。リリィの加護を得たヴィアの足は半端ではない。もし仮に彼女の走る姿を傍観する者がいたならば、1つまばたきをした次の瞬間には、彼女の姿は遥か向こうにあるだろう。
その速度に何とか喰らいつく事ができているリウラもまた見事。
彼女は自分の足ではなく、自らが操作する水の絨毯にリリィ達と共に乗って移動しているのだが、あまりの移動速度に、絨毯の操作以外に毛ほどの気も
そのため、リリィもリューナも絨毯から振り落とされないよう、水の帯で絨毯に
ちなみに、アイはあっという間に置いて行かれそうになったので、今はリウラの首を飾る
「……ごめんなさいですの、ヴィー……わたくしの、せいで……」
「まったくよ! 事が済んだら覚えときなさいよ!!」
魅了魔術の効果が抜けきらず、意識を
ヴィアはリウラを先導しながら、次の転移門へと向かう。
ピクリ
ヴィアの猫耳が反応する。
いまだ距離はあるが、自分達に向かって進む多数の気配、そして自分達を先回りするように動く気配を
(対応が早い……!)
ヴィアは走りながら
このままでは、今から向かおうとしている転移門の前で敵と
ヴィアは向かう転移門を変更し、移動する方向を変える。
次の転移門は結構な距離があるが、逃走ルートを考慮すると、これが最善。へたに適当な転移門をくぐれば、強力な魔物の巣に突っ込んでしまってもおかしくない。
ヴィアが進行方向を変えた事に気づかれたのか、周囲の気配の動きが変化する。だが、今のヴィアの速度には追いつけない。このまま順調にいくかと思われたが……
(あ……)
ヴィアの顔が青ざめる。
(まずい……私達の動きが誘導されてる……)
ヴィア達の周囲にいる気配、それらがまるで1つの生き物のように統一された動きをして、ヴィアの進路を制限していた。その結果、まるで
(どうする!? 多少の無茶を承知で、敵の包囲を突っ切るか!?)
ヴィアが打開策を練ろうと頭を回転させたそのとき、ヴィアの猫耳が異音を
キィキィという甲高い声に、バサバサと空気を叩く音。そして頭にキーンと響く
「ッ……! 牙コウモリ!!」
魔物の巣へと誘いこまれた事に、ヴィアはようやく気がついた。
牙コウモリ――学名ニュクテリス。
名前からお察しの通り、吸血コウモリの一種である。といっても、リリィの前世の世界にいるような“噛みついて血を舐める”程度の脆弱な存在ではない。
身体は小さくとも、彼等は飛吸種と呼ばれる吸血鬼の一種。人間族の子供程度はある力でガッツリ牙を立て、デシリットル単位で容赦なく血液を飲み下す危険な魔物である。
普段は暗闇や岩陰に潜み、獲物が来たら集団で襲いかかる習性があるため、襲われた獲物が混乱から立ち直る前に干からびることも珍しくはない。
ヴィアは問題ない。元々この程度の魔物に遅れをとるような
――問題は後ろの3人
今までリリィほど高い魔力を持った存在と出会ったことがないヴィアには、リリィが気絶した状態でも、その高い頑健さを発揮できるかどうかがわからない。
魅了が解けたばかりのリューナは、牙コウモリなんて素早くて数がいる相手に対処できるような状態ではないし、リウラに至っては、水の絨毯を操作する以外の行動をする余裕がない。
余談だが、人間や獣人のように赤い血潮を持たない
牙コウモリは、厳密には血液ではなく“精気や魔力のこもった体液”を摂取することで生きている。水精の身体を構成する“青の液”は、とある回復薬の原料の1つになるほど精気や魔力をたっぷりと含んでいるので、リウラの青みがかった半透明の体液でも牙コウモリは美味しくいただけるというわけだ。
故に、ヴィアは大量のコウモリから後ろの3人を護りながら、全力疾走を続けなければならない。
いったん足を止めて対処するか? ……それこそ相手の思う
(私の闘気弾で蹴散らした後、そのまま足を止めずに突っ切る!!)
おそらく1人当たり5~6匹は噛まれるだろうが、ある程度離れてからヴィアが切り払えば、死にはすまい。今はとにかくブリジット達から逃げ切ることが先決だ。
ヴィアがそう決断しようとしたそのとき、彼女の背後から指示が飛んだ。
「そのまま突っ切って! コウモリは私が何とかする!」
声が出しにくいため口布をむしり取ったリリィが、後頭部をさすりながら上半身を水の絨毯から起こして叫ぶ。
リリィは前方から飛来するコウモリの群れを、ギンと
「わぁぁぁぁああああああああ!!!」
腹に魔力を込めた
ドサァッ!!
コウモリは1匹残らず地に落ちた。
ヴィア達はコウモリの死骸を踏みつけ、あるいはその上を通過して通り抜ける。
「いったい、どうやったのよ!? コウモリが気絶するほど大きな声とは思えなかったけど!?」
「視線を媒介にして、目から直接精気を奪った! 声を上げたのは、私に視線を向けさせたかったから!」
粘膜は魔力を通しやすい性質がある。それは性魔術で使うような唇や舌・局部だけでなく、眼球であっても変わらない。
リリィが行ったのは視線を媒介にして自らの魔力を相手の眼に叩き込み、相手の肉体を浸食し、相手の全精気を
瞬時に大群相手に使える上、知らなければ対処不可能な
一般的な人間族の兵士相手に使えるようになるには、高位の魔神クラスの力が必要になるだろう。
そうこうしている内にも敵は増加し、包囲網は
このまま進めば、敵に
ならば、必然的にもう1つの転移門を選ぶしかないのだが、そちらには罠が張られている可能性が高い。つい先程までなら、罠が張られている可能性があろうとも、そちらの転移門へと突っ込んでいたであろう。
しかし、状況は変わった――今はリリィが目覚めている。
「リリィ! 敵の包囲網の薄い部分を突破するわ! 力を貸して!」
「わかった!」
リリィが返事とともに翼を広げ、ヴィアに並ぶように飛翔する。
今のヴィアとリリィのタッグに
――そして、罠にかかった
***
千を超すであろう大群が、自分達を取り囲んでいる。
皆、武器を持ってこちらに敵意を持った視線を叩きつけており、その中央にはブリジットが腕組みをして立っていた。
リリィ達の背後で
――オクタヴィアの考えた策は、いたってシンプル。ヴィア達の転移先に居を構えている使い魔達に心話で指令を出し、ヴィアを遠距離からじわじわと包囲。次の移動先の転移門をこちらが先回りしやすいものに誘導する……これだけである。
ブリジット達が待ち構えていたこの場所は、ブリジットの居城からわずか数分のところにある転移門から
オクタヴィアは自分の主にこの場所で待ち構えてもらうようお願いし、自分はヴィア達を追跡。
使い魔達を操った足止めが成功した場合、オクタヴィアがヴィア達を襲い、その間に主は後から来ればいい。逆にヴィア達が足止めを突破した場合、待ち構えていたブリジットとオクタヴィアで挟み撃ちにするという策だ。
ブリジットが、大量の使い魔や兵を保有しているからこそできる人海戦術である。
なお、オクタヴィアが
あの時、ヴィアが選ぶべき選択肢は“包囲がなるべく
「……リウラ、
「……でもっ!」
「大丈夫ですの。もう、ふらつきもしませんの」
リューナがリウラにそう言うと、リウラは心配そうにしながらも、ゆっくりと水の絨毯を変形させる。リューナを寝そべった状態から立った状態へと変えて地面に立たせ、水の拘束を解除。同時に水の絨毯を水球へと戻して滞空させ、自らも地面へと降り立った。
すると、リウラの首にかかっている
リューナが転送魔術で、手のひらサイズの袋を手元に
リューナは袋の口を緩め、袋の横をポンと軽く叩く。すると、中に入っていた桃色の粉が粉塵となって袋の口から舞い上がり、リューナはそれを軽く鼻から吸い込んだ。
たちまち、彼女の頬に残っていた赤みがスゥと引き、わずかにぼうっとしていた瞳がいつもの
――
魔術的に魅了された者の精神を立て直す、即効性の粉薬である。
その様子を見ながら、リリィが転送魔術で弓と矢筒を喚び出してリューナへ渡す。
その後、リリィは自分達の前に立っているヴィアの隣に並んだ。
「リリィ、頭は大丈夫?」
「変な
「どうもこうもないわよ……! 前後左右360度、空中まで敵だらけとあっちゃ逃げようがないわ……!」
「……いちかばちかでも、どこかを1点突破したらどう?」
「この数よ? まちがいなく数秒は足止めされる。その間にブリジットが来たら、アンタ勝てるの?」
「……」
勝てない。
原作であっさり魔王とリリィが勝利をおさめていたことから、簡単に勝てると思い込んでいたが、実際に戦ってみてよくわかった。あれは、原作のリリィが未熟ながらも積んだ
原作においてブリジットは魔王の幼馴染であり、そして魔王はブリジットの片思いのお相手である。彼女は、ほぼ同年代であるにもかかわらず、あっという間に魔王へとのし上がった幼馴染の隣に立てるよう、常に訓練も勉強も欠かさなかった。
対して、リリィにあるのは、
そして、魔王の戦闘技術については……残念ながら、とうていブリジットに勝てるようなものではなかった。
魔王は生まれながらの強者だ。その肉体的・魔力的なスペックは他を圧倒するものであり、たいていのことは力まかせでどうにかできた。そんな人物が、自分より弱い者達を師に
きちんと
誰からも師事を受けずに、自身の感覚だけでそれらの技術を
その“一流には届かない”という
魔力総量はそう劣ってはいないはずだが、戦闘技術と実戦経験に圧倒的な差がある以上、なんらかの対抗策を考えなければ、サンドバッグになることは必然である。
「……じゃあ、投降する?」
「……」
リリィの言葉に、今度はヴィアが押し黙る。
投降したところで、相手が許してくれるとは思えない。死んだ方がマシだと思える扱いを受けるのは、ほぼ確定だった。
リリィはヴィアの表情から、それを察して言った。
「……だったら、最後まで抵抗する方に賭けよう。ヴィア、この包囲を崩すとしたら、どこを狙えば良い?」
「……右ね。2時の方向に見える道……あそこを突っ切れば、すぐ
リリィがその方向に視線を向けると、たしかに道があった。やや強い風が道の奥から吹いているのか、その道の傍にいる敵の髪や服がバサバサと動いている。
「オーケー、わかった。……みんな、聞いて。今から私が敵全体を魔術で攻撃する。そうしたら全員2時の方向の道の先にある転移門に向かって走って。近寄ってくるやつは、かたっぱしから全力で排除。私とヴィアが道を切り
「もしブリジット……あそこのちっこい魔族が来たら私が、あっちの赤髪の魔族が来たらヴィアが相手をする。そうなったら私達はその対処にかかりきりになるから、今度はアイが前衛、リューナさんが中衛、お姉ちゃんが後衛で転移門までの道を切り拓いて。何か質問は?」
「無いわ」
「無いよ」
「無いですの」
「ありません」
「……行くよ!」
リリィがスッと目を半分閉じて精神を集中させる。すると、リリィ達を囲む敵達の胴を輪切りにするかのように、純粋魔力の結晶である魔法陣が数十、数百と出現する。
直後、その魔法陣めがけて、上空に
――純粋魔術
術者が指定した空間に、魔弾を炸裂させる効果を持つ魔法陣を設置し、その魔法陣に魔弾を落とす、空間指定型の爆破魔術である。
リリィの強力な魔力で放たれたその魔術の威力は凄まじく、魔弾が炸裂した箇所で戦闘能力を維持している者は全体の半数以下。包囲網は完全に
だが、それも未だにブリジットとオクタヴィアの背後にある転移門から次々と現れる敵がその
「走って!!」
その隙間が完全に埋まる前に、可能な限り走り抜けるため、ヴィアは後ろ腰から2本の
魔術の発動を終えたリリィもヴィアに続いて走り出し、左腕の盾を転送魔術で蔵へと戻すと、リリィの身の
リューナは弓を構え、アイも拳を握りながら2人に続いて駆け出そうとして……
――できなかった
「「リウラ(さん)!?」」
***
『敵全体に攻撃魔術を放つ』……その言葉の意味は理解していた。
――だが、“実際にどういうことが起こるか”……その結果を想像できてはいなかった
弾け飛ぶ血肉、飛び散る
それは悪夢だった。
「走って!!」
近くで叫んでいるはずのヴィアの声が、非常に遠くに聞こえる。だが、たしかに聞こえた仲間の声にリウラは我に返り……そして猛烈な吐き気を
あまりに強い吐き気に立っていられず、口を両手で押さえてうずくまる。その眼は限界まで見開かれ、表情は嫌悪感、罪悪感、驚愕に恐怖と、様々な強い負の感情が混ざりあっていた。
耐えきれずに吐いた。食べたものは消化してしまったのか、口から吐き出されるのは唾液だけだったが、それでも吐かずにはいられなかった。
「うあ、ああああぁぁぁ……」
大粒の涙を流しながら、ひたすら吐く。アイとリューナが彼女を護りながら必死に呼びかけるが、心の許容量を一気に突き抜けてしまったリウラには反応する余裕がなかった。
ドンッ!!
リウラの目の前に敵の魔弾が炸裂する。自身の命を
――2本の
――
――弓を構えるリューナが首に、眼に、心臓に次々と矢を立てる
――拳を構えるアイが敵の頭部を
まるで何かの作業のように次々と命が刈り取られ、死体が量産されていく。
リウラには分からなかった。
自分だって、
――なのに、なぜだろう?
……こんなにも胸が苦しいのは。
……罪の意識に
……ただ自分と同じ“人の形をしている”というだけで、“命を奪う”ということが、言葉では到底表現できないほど、重く
リウラには分からなかった。
なぜ、みんなはこんなにも簡単に命を奪えるのだろうか?
彼女達には、リウラとは違い、“人の形をしたものを殺すこと”を“魚や魔物を殺すこと”と同じように感じているのだろうか?
ヴィアとリューナは、すでにこうした修羅場を経験しているのかもしれない。リウラと同じように感じながらも人を殺し、それを乗り越えたのかもしれない。
アイは、ゴーレムの姿でいた時にそれを経験しているのかもしれない。無理やりゴーレムとして操られているうちに、人を殺すことに慣れてしまったのかもしれない。
――では、リリィは?
リリィとリウラは、こと実戦経験においてはほぼ同じ位置に立っている。
リリィ自身の申告によれば、魔王に創造されてから1ヶ月も
なのにどうして、血や臓物が飛び散る光景を見て、なんの反応もしないでいられるのか? なぜ、人の形をしたものを殺して、眉ひとつ動かさないでいられるのか?
――自分達を、仲間を護るために必死になって妹が戦っているというのに、どうして自分は立つことすらままならずに
(動……けっ! お願い、動い、て……! 私の、から、だ……!!)
リウラは必死に吐き気を抑えて身体を起こそうとするも、へたりこんだ足はピクリとも動かず、身体はガクガクと震え、まるで言うことを聞かない。
――ザッ
血や死体が視界に入ることを無意識に避けて
それに反応してリウラが顔を上げると、そこにはリウラを背にして構えるアイの背中と――
――こちらに向かって歩みながら、剣を鞘から抜き放つ赤髪の魔族の姿があった
***
リリィの目の前を走るヴィアの動きは美しかった。
猫獣人特有のしなやかな身体と身軽さを
――剣を振り下ろして
――
――するりと脇の下を潜って肘の後ろを切り、前転して剣を避けながらアキレス腱を切る
――急所が鎧で覆われていたら、鎧の隙間から
――背後から前のめりに襲いかかる敵に尾で
才能と努力、そして経験。3つが見事に組み合わさった芸術的な動作だと、リリィは感じた。
対して、リリィの戦い方はあまりに
“
しかし、これこそが技術も経験もつたない、今のリリィにできる最善の戦い方でもあった。
初心者が最も扱いやすい近接武器の一つは“槍”である。なぜならリーチがあり、“突く”あるいは“振り回す”といった単純な動作で攻撃できるからだ。
さらに扱う者がリリィのように強大なパワーを持つのならば、同じ長柄武器でも、より重量のある武器で“なぎ払う”方が範囲・威力ともに遥かに脅威だ。遠心力も加わり、多少の技術の差など無視して防御ごと敵を粉砕してしまう。
クルクルと自分を中心にリリィは斧槍を回し、横から、上から、斜めから敵の群れに斬撃を
その光り輝く美しい台風は、リリィのいる“目”の位置以外すべて、リリィの剛腕によって振るわれる斬撃が通過する超危険地帯だ。
――単純にリリィを攻撃しようとした者は、武器を力まかせに弾かれながら切り裂かれる
――軌道を見極めて
――斧が通り過ぎたあとに突撃した者は、狙いも定めず適当に放たれた闇属性の衝撃波に吹き飛ばされる
魔王から途方もない才能を与えられて創造されたリリィの器用さは超一流だ。
師の不在や、実戦経験の少なさから、武器そのものの扱いが二流であろうとも、戦闘のリズムを適切なタイミングで変えたり、武器を振るいながら魔術を扱う程度ならば、
「オオォォォォオオオオッ!!」
それならば……と、3メートルを超えようかというほどの大きな熊獣人が、巨大な斧を振りかぶり突進してきた。
しかし、当然のことながら、それだけ巨大な相手が
右側から攻撃してくる熊獣人に対し、リリィは右足を軽く後ろに引くことで
ガギィンッ!!
リリィの前方で風車のように、熊獣人から見て時計回りに回転した斧槍が、彼が振り下ろした斧を軽々と上へ弾き飛ばす。驚きに硬直した瞬間、弾き飛ばした反動で戻ってきた斧槍の柄を右手で
――直後、リリィに振るわれた斧槍に、一瞬で彼の首が
彼はリリィの
ピクリ
リリィの猫耳が震える。
頭上を
魔術で迎撃や防御をしようにも、今から魔力を集中していては間に合わない――瞬時にそう判断したリリィは、
スカッ!!
ブーメランのように回転しながら宙を
その瞬間、リリィに手持ちの武器がなくなった事をチャンスとみた周囲の敵が、一気にリリィに襲いかかる。
バチイィィィンッ!!
リリィを中心に、襲いかかった全ての敵が吹き飛ぶ。彼女の右手には、
襲いかかられる直前、リリィは転送魔術でこの剣を
……魔王の魂から経験を引き出し、水精の隠れ里で水の大剣を振るっていたとき、リリィは頭の片隅でこう確信していた。
――“この程度ならば、自分でもできる”、と
魔王が腹心の部下として育てようと
その戦闘センスは、魔王の経験を余すところなくリリィに理解させるどころか、“武器を操って戦う”とはどういうことか、という
“自分ならば、どんな武器であろうとそれなりに使うことができる”……そう確信した彼女は、オーク討伐の際、リウラに頼んで“大”剣ではなく“長”剣を水で作成してもらい、それを振るった。
――そして、その“確信”が正しいものであったことを証明した
リリィよりも、ずっと長く獲物を振るってきたはずの、オーク達の曲刀術……もちろん、盗賊である彼らが
それどころか、魔王と違ってリリィ自身に腕を磨く意思があったためか、ひと振りごとにその動きは洗練されてゆき、一流には遠く及ばないものの、剣を握って1日も
リリィ自身が“戦い方を学ぼう”という意識を持って戦闘するだけで、これほど成長するのならば、魔王が最も得意とする武器……すなわち、大剣にこだわる必要などない。それよりも、リリィ自身に合った武器を探したほうが、よほど良い。リリィと魔王は、体格も性別も何もかもが違うのだから。
彼女の超人的な成長性と器用さをもってすれば、状況に合わせて武器を使い捨てながら戦うことだって可能だろう。
そこで、リリィはラギールの店から、ひと通りの武器・防具・魔法具を買い
しかし、この連接剣という、剣と鞭の合いの子のような武器は熟練者でも非常に扱いが難しく、さしものリリィも刃筋を立てることは
もっとも、自分の身体が吹き飛ばされる勢いで、腹や胸に
そこで、ふとリリィは気づく。
ヴィアとリリィが道を確保しているにもかかわらず、リウラ達が一向にこちらへ来ない。
リリィが不安に
目に
――下半身を砕かれ、倒れ伏すアイ
――肩口を切られて弓を取り落とし、左手をだらりと垂らしながらも、もう片方の手で何とか電撃属性の魔弾を撃たんとしているリューナ
――そして、足を握って妨害しようとするアイの手首を踏み砕き、リューナの魔術を結界で弾きながら、無防備に
“助けなきゃ”――そう思った瞬間には、すでにリリィの身体は動いていた。
リリィの身体を、まばゆい紫の
――体術 超ねこぱんち
最大出力の魔力や闘気を全力で弾くことによって、
進路上にいる敵を一瞬にして跳ね飛ばしながら、リリィはオクタヴィアに向かって突撃する。なんとかオクタヴィアが剣を振り下ろす前に、リリィは彼女に拳を振るうことに成功した。
――スッ
しかし、オクタヴィアはリリィが来ることがわかっていたかのように半歩後ろに下がり、リリィの突撃を
“超ねこぱんち”は、その技の特性上、技の出始めが非常にわかりやすい。
最大出力で発現した魔力は『これから何かしますよ』と言っているようなものであり、それを使ってこちらに突進してくれば、それは
その代わり、当たればその威力は通常の“ねこぱんち”の比ではなく、少々格上の相手であろうと沈めることができる――言わば、テレフォンパンチの究極形である。
オクタヴィアは、かつてブリジットの父に
ガガガガガガ……ッ!!
リリィは岩のように硬いはずの地面を砕き散らしながら、着地して振り返る。
オクタヴィアの攻撃に間に合うよう全力で技を放ってしまったため、勢いがつきすぎ、オクタヴィアからやや離れた所に着地することになってしまった。
そのせいか、オクタヴィアはこの場で1番の脅威であり、さらには大技を放った直後で隙を晒しているリリィを狙わず、もっとも討ち取りやすい位置にいるリウラに向かって、ふたたび剣を振り下ろそうとする。
すでに、“超ねこぱんち”は見せてしまった。不意を打つことも、もうできない。次は“超ねこぱんち”を避けながら、リウラを攻撃されてしまう。
リリィはとっさに再度背に集中した魔力を弾き、
――オクタヴィアの剣が、リウラを