Afterglow〜Episode of Another〜 作:ある@誠心誠意執筆中
では、本編どうぞ。
「ふっ......ふっ......」
いち、に。いち、に。そうしてリズミカルに呼吸を繰り返し、体全体へと酸素を送り届ける。寝坊ついでにいつもより遅く家を出たので時刻はすでに10時を過ぎたころだろうか、それでも心地良い朝霧は未だに残ったままだった。
休日の恒例行事である朝のランニングのルートは決まって孤児院から商店街の方面で、商店街らへんに近づいてきたらその周辺を周回するのがお決まりとなっていた。
そうこうしているうちにノルマも達成することができたので、休憩場所であるいつもの公園へと足を運んだ。
「ふっ、ふっ、ふっ、───......はぁ」
公園に到着したところで弾む息を落ち着かせる。その後俺の体に襲ってくるのは、朝方ゆえの疲労感とそんな中運動を怠らなかったがゆえの達成感である。
朝の運動はあまり効果的ではないらしいが、俺にとってはこれが至福のひと時でもあったので、スポーツマンの端くれと言えどもそんな非効率をいつまで経ってもやめることができずにいる。大げさではあるが、言わばドラッグのようなものだ。
木製のベンチにどっかりと座る。膝に肘を置いて俯いた視線からは見えないが、見上げた空が青々としていることは遊具でこんな朝早くから元気一杯に遊ぶ子供たちの声でなんとなく想像がついた。それに負けじと、セミもジリジリと喚いていた。
「あっちぃなあ」
額を伝う汗を乱暴に拭う。朝方といえども、昼間になれば陽炎も伸びるこの季節。その要因であるまだ半ばほどしか昇っていない太陽を恨めしく睨むも、大きな入道雲のてっぺんの陰からせせら笑われるだけだった。
太陽を見ているとなんだか喉が渇いてきた。これも全てあの灼熱のせいだと歯を食いしばりながら、俺は水飲み場へと向かった。
その道中、奇妙な声を耳にした。
「──んちゃん」
「......ん?」
聞き間違えか?今さっき、何か聞こえてきたような気がしたが。俺ははっきりと聞き取れなかったがために、最初は気のせいだと割り切って水飲み場への歩みをまた進め始めた。
その直後、またあの声が聞こえてきた。
「にゃーんちゃん」
「......」
今度ははっきりと聞こえた。言葉の正体は『にゃーんちゃん』で、言葉の通り猫撫で声だった。それでいてその声色には確かな力強さがあった。芯も通っているし、さぞ歌も上手かろう。そんな美声の出所は意外にも近かった。
「ほら、おいで。怖くないから」
「......」
数歩先にある木の裏から聞こえる呼び声が俺に対してのものではないのは確かだが、俺はそれに導かれるように興味本位で慎重に足を進めていった。
徐々に距離が迫る。そこから俺は木陰から顔を覗かせるように、声の主のほうへと視界を向けて───。
「......っ!」
足を滑らせた拍子に落ちた木の枝を踏んでしまい、乾いた音が周囲に鳴り響いた。それに驚いたのか、猫が突然木の陰から公園の端に植えられた低木のほうへと飛び出していった。
それから間もなく、声の主が湊先輩であることを知った俺は決まり悪そうに頭を下げた。
湊先輩は去りゆく猫の背中を、虚しげにただただ目で追うだけだった。
▼
「......湊先輩、ほんとすみませんでした」
「あら?意外と早かったわね」
ベンチに座って足を組む女王様気取りの湊先輩に猫を献上する。
まさかお詫びに猫を連れてこいと言われるとは思ってもいなかった。この子には悪いが、ここはしばし耐えてもらおう。
「にゃーんちゃ......猫に好かれる体質なの?」
「いや、たまたまここいらの猫とは顔見知りだったんで」
「そ、そう......そうなのね」
「......?」
なぜか残念そうな顔をする湊先輩に俺も眉をひそめる。
「どうしたんですか」
「いえ、別に。なんでもないわ」
今度はつんけんとした態度で俺の質問に首を振ってみせた。一体なんなんだこの人は、情緒不安定なのか?猫を撫でる手つきもどこか覚束なかった。
「好きなんですか?ずいぶんと猫撫で声出してましたけど」
「聞こえてたのね......あれは、その、えっと......」
友希那さんがまたおどろおどろしい言動をし始めた。なんだか俺も面倒臭くなったので、しれっと湊先輩の隣に物憂げに座った。
「いや好きなんでしょ?正直に言えばいいのに」
「だからそんなんじゃ───」
「......撫で方」
「え......?」
猫はもふもふでかわいい。しかしそれは人間の視点から見たものであって、触られる側である本人たちからすればストレスになりかねないのだ。それでも大半の愚か者はそんなことお構い無しに、自分のやりたい放題に猫の御身体じゅうを撫でくり回す。
でも、湊先輩は違った。猫はキレイ好きがゆえに毛並みを逆撫でされるのを嫌うのだが、湊先輩はその辺をちゃんと熟知している様子だった。小さなことかもしれないが、こういうことを気にかけているのは猫好きである何よりの証拠にもなる。
「撫で方、ちゃんとしてるんだなって。そういうのってわざわざ調べたりしないとわからないじゃないですか」
「......」
「湊先輩。別に猫が好きだというのは悪いことでもなんでもないんですよ?」
俺に諭されながらも、湊先輩の手は気持ち良さそうに喉を鳴らす猫の喉元を往復していた。
しばらくすると、湊先輩が重い口を開いた。
「......まあ、そういうことにしてあげるわ。けれど、あくまでその範疇であることを忘れないで」
「ふっ......はいはい、わかりました」
まったく、この人も素直じゃない。俺は何かと猫好きを認めない湊先輩の姿に、あの赤メッシュが重なって見えたような気がした。
「ここにはよく来てるんですか?」
「ええまあ。ある日を境に、仕方なくね」
「ある日?」
「この前ここを通りかかった時に、この子が道端で倒れていたのを見かけたのよ。それで助けてあげたら懐いてしまって、私はそれに仕方なく付き合ってあげているだけよ」
湊先輩の言葉を自分なりに解釈すると、どうやら助けた猫が気がかりでこの事件現場である公園に立ち寄っているらしい。彼女の身嗜みからしても、それは間違い無さそうだった。
「キャットフードも持ってきて、そりゃ懐きますよ。餌付けって本当はダメなんですよ?」
「お腹を空かせて野垂れ死ぬなんてことになったら見てられないでしょう?私はそれが嫌だし、あなただってそうでしょ?ほら、お食べ」
手に載せたキャットフードをパクつく猫に、湊先輩の口角がにんまりと上がる。もはや猫好きを隠す気は無いみたいだ。隠しているつもりなのかは別として。
「ていうかどうして猫なんか好きになったんですか?イメージとはあまりにもかけ離れてますけど」
「......飼っていたのよ」
「え......?」
湊先輩のせわしく動いていた手が止まる。見上げたその瞳は、どこか遠くを見据えているようだった。
その言動の意味を俺はようやく理解し、自分が大きい地雷を踏んでしまったことを心底悔やんだ。
「飼っていた、ってことは......」
「ええ。もう死んでしまったわ」
「────あ」
淡々と告げられた事実に胸が締め付けられる。気がつくと俺は頭を下げていた。
「すっ、すみません......気遣いが足りていませんでした」
「いいわよ別に。誰も他人の飼っていた猫が死んでしまったことなんて知ってるわけないのだから」
静まり返った空気に「にゃー」と猫が鳴くと、湊先輩は再び喉元を撫で始めた。その温みを実感するかのように顔を緩ませると、湊先輩はゆったりと語り始めた。
「出会いのきっかけは父が拾ってきたことだった。土砂降りの雨の中、手持ちの傘も差さずに猫を抱えて家に帰ってきたのは幼い頃の私でも驚かされたわ」
猫は電柱の下に置かれた『拾ってあげてください』という用紙の貼られたダンボール箱に入れられていたらしい。父親のくだりも含めてなんて夢物語なんだろうと思ったが、顔を見ただけでもわかるくらい物思いに耽る湊先輩を見る限り、それが嘘偽りではないことに確証を持たざるを得なかった。
「あの時からあの子はすでに6歳を超えていたかしら。私より2個年上だった」
「そしたら4歳のころから約10年間、ですか?」
俺の質問に湊先輩は静かに頷いた。猫の寿命は約16年という意外と短い月日で終わりを告げる。彼女の猫もちょうどそのうちの一匹だったようだ。
「ずっと一緒だった。だからとてもショックだったわ。拾った日からもうあの子は家族になったというのに、突然別れを告げられるのだから」
「......」
その気持ちは幼い頃に家族を亡くした俺も重々承知だった。他の誰よりも長い時間を共にしていた者たちとの別れは、筆舌に尽くし難い邪悪そのものだ。冬場の布団やこたつといった表面上のものではない、もっと体の芯に取り入るように優しく温もりを与える存在。それを失くした反動が如何様なものなのかも、湊先輩から語られるまでもなく俺の脳裏に思い浮かばれた。
「それでも天国に行ってしまったあの子へのぶんの愛情も、今この世界に生きるにゃーんちゃ......猫たちにも配ってあげているのよ」
「仕方なく、ですか?」
「仕方なく、よ」
湊先輩はわかっているじゃないと言わんばかりに満足げに頷いたが、俺はさらさらわかってなどいなかった。厳密に言えばわかってはいるのだが、それを敢えて湊先輩にぶつけるのは癪だと思い、大人しく同調してやっている。
とはいえ湊先輩の以外な一面を垣間見ることができた。前々から噂はちょくちょく聞いてはいたのだが、よもやここまでとは思いもしなかった。蘭に話したらどんな反応をするか......いや、やっぱりやめておこう。アイツは何かとこの人に突っかかる、その際にきっと悪用するに違いないから。
「......ふふっ」
「何よ」
「いや?あの湊先輩がと思いましてね」
とはいえあの蘭のがみつきには俺にも一理ある。確かにガルパでの湊先輩の態度は気に食わなかったし、何より自分たちが頂点、それ以外は論外と言わんばかりの物言いだったからだ。
ここは一泡食わせてやろうじゃないか。
「それじゃ、俺はそろそろ行きますね。ランニングの途中だし、何よりその後にはバンド練習がある。そう、バンド練習がね」
「そういえば長門さんはAfterglowのアシスタントだったわね......って、何か言いたげね」
「正解。そんな呑気にしてて大丈夫なんですかってことですよ」
「......っ!」
ようやく気づいたかお間抜けさんめ。ハッとした様子の湊先輩に怪しい笑みを残して、俺はそそくさとベンチを立ち上がった。
「あっ、ま、待ちなさい!」
「それじゃあまたいつか!せいぜい追い越されないように頑張ってくださいねー」
幸も不幸も猫に求められているがために、湊先輩はひらひらと手を振りながら遠ざかる俺を追いかけられずにいた。俺もそれを尻目に公園を飛び出して、孤児院への帰路に沿って走り始める。
(......たまには遅起きも悪くないかな)
夏特有のじめったい風が凪ぐ。俺はそれを振り切るように、軽い気持ちひとつ、さらに足を速めた。
いかがだったでしょうか。今回のようにAfterglow以外のメンバーとの絡みも書いていきますので、どうぞお楽しみに!
ではまた次回お会いしましょう。さいなら!