Afterglow〜Episode of Another〜 作:ある@誠心誠意執筆中
それでは本編、どうぞ。
鮮やかなオレンジ色の縁に彩られた雲の隙間から漏れる夕日の光が、嫌というほどに顔を照りつける。にしてはなんだか肌寒いように感じられるのは、刻一刻と迫る秋の気配のせいなのだろうか。
そうして俺は、今にもビル群に飲み込まれそうな夕日によって黄昏色に染められた廊下を歩きながら図書室から借りてきたとある本をぼんやりと静観した。
「......」
プリントされたでかでかとしたタイトルと、デフォルメの著しいキャラクターが描かれている表紙が目立つこの小説───通称、“ライトノベル”。
最近になってからあこ繋がりで、ようやく親睦の深まってきた白金先輩。ガルパメンバーの中でもあまり関わりの無かった彼女がおずおずとしながらもオススメしてきた、言わばお近づきの印のようなこの本は、先輩から聞いた話や図書室にある『今イチオシの一冊コーナー』に置かれていたのを見たところ、どうやらかなりのシリーズ物で巷でも話題の作品らしい。
しかし俺の性格上、こういったキラキラ(?)したジャンルの本を読むことにはかなり抵抗がある。
読書自体は好きだ。しかしその読むほとんどが、名の知れた文豪の書いたような硬派な作品ばかりなのだ。このようなストーリーがご都合主義めいてそうなものが本屋の店頭に並んでいたとしても、普段の俺ならまず手に取ることすらしない。
故に俺は、こうして目の前にある見出しページすら開いていない本の表紙を見ただけで、もう眉をひそめている。
「うーん......どこで読もうか」
おちゃらけた表紙とのにらめっこにもいい加減うんざりしてきたので、次にこの小説をどこで読むかを顎に手を当ててひとりブツブツ呟きながら考え始めた。
これはあくまでも俺個人の意見なのだが、読書場所の決定は読書をするうえでかなり重要な作業だと思う。例えば家で読めば......俺の場合孤児院になるが、家族の暖かい空気の中での読書が可能となるし、カフェや公園といった場所では人のざわめきや環境音の中で、ある程度の緊張感を持って読書に集中できる。
その時の気分で、その時の自分に合った場所を選び、好きな環境で好きな本を読む。俺はそうして初めて、ストレスフリーに本の世界へとのめり込むことができる。だからこうして場所選びを真剣に、なおかつ慎重におこなっているのだ。
......まあ、今回に限っては好きでもなんでもない、もう少し口悪く言うと嫌い寄りの、近代の若者に媚びへつらったようなあまり気の向かないジャンルの小説なのだが。
しかし、物は試しという言葉通り食わず嫌いしていても仕方がないのかもしれない。何よりこんな態度ばかりとっていては、大の人見知りである白金先輩のあの勇気ある行動も、骨折り損のくたびれ儲けという体で終わってしまう。それは流石に申し訳ないし、そんなことがあろうものなら彼女の一番の親友であるあこが黙っちゃいないだろう。歳こそ俺と1歳しか離れていないが、精神的にはまだ幼ないであろうあの子が怒れば色々と面倒になりかねない。
「......よし、ウチで読むか」
白金先輩の目尻を下げてがっかりする顔とあこの頬を膨らませてガミガミ怒鳴り散らす姿を思い浮かべ、それを楔に意を決した。この憂鬱な心だけは少しでも紛らわしておかないと気がすまないため、俺は孤児院での読書を選択した。
見知った光景、そして見知った人に囲まれながらの環境なら、ラノベにしろ堅っ苦しい教則本にしろ、どんなに苦手な本でも流れで一通り読めることだろう。
そんな希望的観測で自己暗示をかけつつ、置いてきた荷物を取りに行くべく教室へと向かう。放課後とはいえ終礼が終わってからまだそんなに経っていないし、鍵もかかっていないはずだ。
急ぎ足で黄昏の廊下を駆け抜ける。だがその時、俺はまだろくに長い距離を走っていないにも関わらず、すでに胸の内で心臓の鼓動を跳ね上がらせていたのだった。
そしてその理由は、至極単純なものだった。
(......何から話そうかな)
窓の縁を境に点滅する陽光に目を細める。その狭間で揺蕩うすじ状の雲を視線で撫でながら、孤児院で俺の帰りを心待ちにしているであろう家族の姿を思い浮かべた。
......そう。今日は待ちに待った、みんなに俺の自慢の家族を紹介できる日なのだ。
上手く予定が噛み合わずにずっと保留のままとなっていたが、この前の屋上の件で今日みんなと孤児院に泊まりがけで一緒に反省会兼作詞会を開くこととなったので、その過程でようやく念願が果たされるのだ。初めこそ宿主役を無理やり押し付けられる感じがしてそこはかとなく不服に感じていたものの、考えてみればメリットのほうが大きい。とんだ僥倖だ。
みんなにもっと今の俺を知ってもらうためのまたとないチャンス。もちろん作詞なども大切だが、せっかくの機会だし交流を深めてもらいたいところだ。では、そのためには一体何をすればいいだろう。
凌太が色々と多種多芸なので、そのお披露目会みたいな催しでもしたらいいかもしれない。それならみんな楽しめるだろうし、ちょうどいいだろう。本人のやるかやらないかの意思は申し訳ないが英断させてもらおう。......ああ、凌太の鬼の形相が眼に浮かぶな。
それか伽恋の画力を用いて、5人それぞれの似顔絵......いや、肖像画でも描いてもらったりしてみても面白いかも。伽恋は口数こそ少ない引っ込み思案なやつだが、そのプロ顔負けの美術センスから生まれる作品は、口ほどに物を言うという言葉通りその作品を見た者の舌を巻かせるほどのものだ。9歳であのレベルなのだから、今後が楽しみで仕方がない。
あとは適当にお笑い役として、塁に出し物でもさせておこうか。それ以外のやつらにも何かしてもらいたいところだが......ふふ。
そうして色々な期待に胸を膨らませながら足を進めていると、目の前にはいつのまにか教室が見えていた。
「お、ラッキー」
ドアを横に動かして鍵の開閉の確認をする。どうやら“当たり”のようだった。
「んー......あれ?」
急ぐ足取りはそのままに中へ進み、入室一番にご機嫌伺いがてら周囲をぐるりと見わたす。しかしそこに予想していた光景は広がっておらず、教室の隅や教壇、各所に点在しているはずの人の姿は猫の子一匹として見当たらなかった。
「みんな帰るの早いな。まあでも今日はどこの部活も休みだし、明日から土日なんだから当然か」
どうにも見慣れない物寂しい雰囲気の教室に尻込みした気持ちを奮い立たせ、完全下校までには帰らねばと目的である荷物のほうへと足を急がせる。
共学生になったせいか少し小さめの教室の中の随分と間隔の狭い机と机の間を、慣れた身振りで潜り抜けていく。
───そして、その先で俺はまたひとつ、別の『違和感』を見つけた。
「......ん、何だアレ」
まずはじめに、荷物に釘付けになっていた視界の端に何やら文字の書かれた紙切れのようなものがうっすら映り込んだことに気がついた。次に視界の真ん中にそれが来るように机の隙間に縮こめた態勢を今一度整えると、その紙切れの正体が無防備に開かれたノートであることがわかった。
そしてそのノートが置かれている机は、俺の席の隣に位置していた。
その位置関係やノートに書かれた文字の字体から、ノートの持ち主は蘭であることがわかった。
......でもなぜ今、この時間帯にこんな物が?
もし他の人が俺と同じ立場にいるとして、そのうえで目の前の光景を目撃したとすると、おそらくこのような純粋な疑問が思い浮かびあがるだろう。そしてそこから皆揃って行き着くのは、ただの忘れ物という結論である。
......ああ、そしてもうひとつ。
今度は少し、黒い疑問。
───何が書かれているのかということ。
「ちょっとくらい見ても......」
何がとは言わないが悩みに悩んだ挙句、俺はもしかするとこの“忘れ物”に手がかりがあるのではないかとふんで、おもむろに蘭の机へと向かった。
......ああ、わかってる。これはれっきとしたプライバシーの侵害である。でも仕方のないことなのだ。これは中身が気になるからなんていう私情ではなく、なぜいつもならたむろしているはずの生徒達が今日は教室にいないのか、その理由が隠されているかもしれないもいう合理的判断である。まあぶっちゃけその可能性は低いような気もするし、教室にいない理由も思い当たりが過ぎる節が一つだけあるが、決して建前なんかではない......うん。大丈夫大丈夫。
そう心に言い聞かせて隠しきれない本心から背徳感を薄めたのち、若干引き気味だったノートとの距離を縮めていく。するとピントの合っていなかった文字が、次第にその形を成していく。意識が自然とその言葉の意味を理解しようと集中していくのを感じる。
机にそっと手を付き、至近距離で文字の羅列を黙読する。その言葉を目で頬張り、脳で咀嚼し、意味を吸収しようとした────。
───そう。しようとしたのだ。
だが。
「──は」
文字をなぞっている目が内容の理解に努力しようと、白黒と瞬きを繰り返す。
だが、結果は同じ。理解ったのは、文字の羅列が経緯線で区切られた白紙に横たわっているという事実だけだった。なので今度は声に出しながら、文字を読み起こしてみた。
「──『この思い 声を枯らして叫ぶ ここが私の居場所(ステージ)』......『冷たい金網に絡まる紅い感情の渦』......」
悪く言えば意味不明、さらに悪く言えば奇々怪界......いや、流石にそれは言い過ぎか。
それでもそう見合った表現を探し当てようとするほどに、俺にはこの蘭の文章がえらく痛々しく見えた。
......まったくもって、意味がわからない。
声に出しても、その言葉の骨の随までしゃぶりつくしても、何度視界をリセットしても。
理解できない。目の前の白地に三々五々並べられている文字の羅列、その深奥に在るはずの意味を掴み取ることができない。
───でも。
「『届くことのない叫び(思い)が黄昏の空に消えていく』......『冷たいコンクリート 打ち付けるパトス』───......」
言っておくが、『痛々しい』というのは中二病だとかそっち系の意味で言ったわけではない。そこはかとなくだが、この詩からはもっと根本的にそこからかけ離れたような、そんな“何か”を感じ始めていた。
だから決して笑うことなどできなかった。
そのうえで、やっと“解読”できた。
烈火の如く、清水の如く、轟地の如く、春風の如く。───力強く、そして繊細に書き連ねられた文字の羅列が。
“2016年”───......ページの左上のほうに乱雑に綴られたそれを見て、青天の霹靂を覚えた。
───その『詩』は、蘭の心そのものだった。
「“これだった”のか......」
静かに天井を仰ぐ。ところどころに見えるシミを見据えながら、たどり着いた結論と乱雑に書かれた日付から、この前おじさんが神妙な面持ちで語ってくれたことを連想させた。
それは、蘭達がまだ中学2年生のころ───......
『俺』がまだ、不明瞭だったころ。
───春のクラス替え。中学生に限らず、小中高どの学生にとってもの一大イベント。
教員の話し合いによるものなのか、はたまたくじ引きで簡易に決められるものなのか。
そんな選定基準も手段もあやふやな中で定められたクラスメンバーの記された一枚の紙切れ。理不尽なその運命の選択から強いられる勝敗には、参加者達の様々な表情が見て取れる。
そこで勝利する......つまり、仲のいい友達や好きな人と同じクラスになれた人は、その後1年間は一時的な安泰が約束され、満面の笑みを浮かべて友達などと肩を組んだりして喜びを分かち合う。
逆にそこで敗北し、その人達と離ればなれになった人にはもれなく絶望感と虚無感の入組特典付きだ。表情は暗く、過剰なものにまでなるとその場で泣き喚く者や植物人間のようになるやつもいる。まあ小学校高学年から中学3年の数年間友達と言える人のいなかった俺からすれば、勝ち敗けのどちらともが共感しようのないことなのだが......
まあともかくだ。
蘭はそこで“敗北”した。
みんなと離れることとなった。
距離こそ近い。だが、蘭にとって4人と離れることは例えクラスといった些細なことでも疎遠したのと同じようなものらしい。俺たちとは『離れる』のベクトルが違うのだ。
しかし、現実はいつだって非情だ。甘くもあれば非情でもある。蘭の絶望になど目もくれず、現実は現実らしく、その非情さを以って蘭に嘆きを与えた。
それだけならまだ良かったものの、そこに畳み掛けるかのように知らされた、自らが座る席の位置。蘭はちょうど中央に見せしめのように座らされるハメとなったのだった。そしてそれらを掛け合わせての落胆ぶりのなんと酷いことか。
みんなから聞いた話によれば、授業を黙って抜け出したり、そのことが父親であるおじさんにバレた際にも体調が悪かったせいで保健室に行っていたなんていう嘘をでっちあげる始末。
でも、そうまでして蘭が隠したかったこととはなんだったのか。虚偽を重ねてまで屋上に居座り続けていた意味とは、一体何だったのだろうか。
父親であるおじさんでさえも教えられず、気づけなかったこと────。
その答えが、今、俺の目の前に開かれているこのノートなのだろう。
きっとこれこそが、中学2年生の気難しい時期にある蘭が唯一思いを吐露することのできた大切な『場所』、その一部なのだ。
走り書きで少々の不安の感じられる筆跡のこの詩が、それの何よりの証拠である。
「アイツ......何もこんな物に頼らなくてもよかったろうに」
なら一体何のための幼馴染なのかと、ノートを読み取っていた目を瞑り、ため息を吐く。教室に虚しく響くそれは、宿題を忘れてしまったクラスメイトを他人事のようにとり囲む友達からの嘲笑のようだった。
......いや。実際、俺はあの時の蘭のことを他人事として捉えている。なにせ今となっては、ああしろこうしろといくら嘆いても無駄な蘭の過去のことに対し、こうして揚げ足をとるかのような疑念すら抱いていて、何よりそれを自覚し、誰よりも悔いているのだから。
他人事なんて言っているが実際にはその逆。その話には俺も十中八九関係している。
───俺がいなくなってから、どれほど寂しい思いをさせてしまっていたのだろうか。
そんな後悔が、あの蘭のはにかんだような控えめな笑顔を時々でも目にするようになった今になっても、俺の心に巨大な腫瘍としてこべりついているのだ。滅多なことが無い限りこれは取り除かれることはないだろう。
いずれにせよ、今回のことも含めて蘭には本当に申し訳ないことをしてばかりだ。俺もかなりの期間“留守”にしていたなりに、誰よりも一番にデリケートな蘭のことを気遣っていたつもりだったが、逆にそれを逆撫でするような結果のほうが多く見られるし───......
「──っ!?」
と、惨めにも物思いにふけっているところで自分以外の人の気配がこの教室内にいることに遅かれ早かれ気がついた。
この空気の流れ、教室に入ったばかりの時とは違う異様な静けさ......素人なりに第六感のようなものを本能的に働かせてみるが、間違いない。
誰か、いる。
「......」
息を殺し、先ほど教室に入ってきた時のようにまんべんなく辺りを見渡す。しかしいくら目を凝らしても、その気配に該当するような者は見受けられなかった。
まあ、当然と言えば当然か。
何せ“そいつ”は、背後にいたのだから。
「......わっ!」
「うおっ!?」
陰鬱な黄昏の教室による気のせいかとその気配の存在を抹消したところで、突如として俺の耳孔に気の抜けるようなねこだましが滑り込んできた。そして、安堵に落とした両肩にはこれでもかと膨大な重力がずしんとのしかかってきた。
そんな不可視からの衝撃だったが、危うく崩しかけた体勢はたまたま机に突いていた片腕によって辛うじて支えきることができた。
未だにのしかかる重みを感じつつ、折り曲げられた背中をゆっくりと起こし、元に戻す。途中「おっとっとー」とわざとらしい慌て声が聞こえてきたのが、どうにもムカついてならない。
なので、その声の出所───。
おそらく背後でほくそ笑んでいるであろうモカめがけて、精一杯の怒りを込めた渾身の微笑をお見舞いしてやった。
「おい?」
「おーこわいこわい」
「またそうやって心にも無いことを......」
「だってわざとらしいんだも〜ん」
「お前が言うかよ」
モカから返ってきたのは恐怖の沈黙ではなく、いつものモカ節だった。思った通りの結果にならず、今度は落胆に肩を落とす。
「ていうか何だよ、いきなり驚かしたりなんかして」
こいつに立ち向かおうと下手な真似をして無駄に気力を削ぐのもあれなので、今度は比較的生産的な質問を投げかけるだけに留めておいた。
するとモカは呆れたように肩をすくめて、
「えー?また忘れちゃったのー?」
「え?忘れた......?」
まるで俺がこの場にいること自体が俺の責任問題であるかのような口ぶりで答えたモカに、俺はあからさまに眉間に皺を寄せる。
だがいかんせん、思い当たる節が見当たらない。どれだけ眉をひそめようとも、どれだけ頭をひねろうとも、脳裏に浮かぶのはこの蘭の『想い』のみ。コイツが邪魔してならないのだ。
あと強いて言うなら、先ほど借りたチャラチャララノベぐらいだが────。
「───あ」
ふと、本日何度目かの記憶の再起がまた訪れる。最近になって、やたらと多くなってきた感じがするのは気のせいだろうか。
そんなことを思い浮かべたものの、今は本題のほうに集中すべきだと考えてすぐさま水に流した。
「そうか......今日は一緒にウチに泊まりに来るんだったっけか」
頭から抜け落ちていたものを拾い上げ、それをモカに手渡す。するとモカは「そーそー」と小刻みに頭を頷かせた。
そうだ。今日は孤児院にみんなと集まって歌詞作りとかするんだから、そこに住んでいる俺が道案内をするのは当然のことだろう。
そのことを先ほどもみんなと確認したにも関わらず、俺は無意識のうちに自分の記憶の引き出しに閉まってしまっていたようだ。後遺症のせいという可能性もあるにはあるだろうが、よもやここまで悪化するとは......もしやそれとは別に、若年性アルツハイマーなどの障害ができたとか?ははは、シャレにならん。
「あー......また忘れてたわ」
「最近物忘れヒドイね〜。みんな、せいくんが本借りてくるの待っててあげてたって言うのにさ〜?」
「あはは......ごめんて」
暗に俺に反省を促すモカの事実提唱に、俺は力無く頭を掻くほかなかった。
しかしモカは俺に対して諭すだけではなく、あるもう一つの感情も抱いていたようにも見えた。
「────」
───憐れみ。
そんな感情が、静かに俺を見つめるモカの薄浅葱色の瞳の奥深くに宿っているように感じられた。
でも一体、何をそんなに気に病むことがあるのだろうか───。
......静寂が訪れる。
「......なあ、モカ──」
「あー。これ、蘭の“あの”ノートじゃーん」
ものの数秒続いた沈黙にもどかしさを感じ、話を展開させようとした。だがその必要はなかったみたいだ。
次にモカは、いつも通りのおっとりとした調子で蘭の机に近づいていき、おもむろにノートを持ち上げてみせた。そうするや否や、怪しげに口角を釣り上げてそこに書かれている内容を黙読し始めた。
......でも、なぜだろう。
その奇怪なモカの行動が裏腹に、あたかも自分の漏れ出た弱みを隠すための言い逃れのようにも感じられたのは。
「──ああ、それか」
とは言え、そんな確証のないことを聞き出すなんていう野暮なことをする勇気はあいにく持ち合わせていなかったので、仕方なくモカの話に付き合ってやることにした。
そんな俺の行動も、側から見ればただの言い逃れに見えるのだろうか。そんなこと他人にでもならない限り分かり得ないのだろうが。
でも仮にもしそうだとして、そしてそう見えたのだとしたら......
───俺は一体、何から逃げようとしているのだろうか。
......ああ、やめだやめだ。こんなどうしようもないことばかり考えていてはキリがない。
今日は何だか調子がおかしい、というか最近ずっとそうだ。だが今日に限ってはきっとみんながうちに来るっていうんで、心のどこかでうずうずしているのが原因だろう。早くみんなと家族の顔を会わせてみたいという焦燥感と好奇心からだろうか、まったくらしくない。
そうして冷静さを欠く自分を深く戒め、本来の平常を保とうとノートに焦点を当てた。
「荷物取りに行ったらたまたま見かけてさ、何かなって気になって見てたんだよ。そしたら、そこにお前が来た」
「へー、そうだったんだ〜」
饒舌な俺の説明に頷くと、モカはノートを手にしたまま窓際に腰かけた。そんな彼女を目で追ってみると、モカ越しに見えた空には少しばかり暗がりが見え始めていた。
「......なんとも、思わないのか?」
ノートを静観するモカの顔色を伺っているうちに、その変化が乏しいことに気がついた。普通あのような文章を読もうものなら嫌でも凝視する、最低でも呆けたような顔は見せるはずだと思ったのだが。
「んー?コレのことー?」
「ああ。失礼だと思うけど、なんかこう......変じゃないか?」
モカは気だるく笑い、ノートへと向けていた視線を、悠々と空を揺蕩う雲に移した。
「あっはっはー、確かにそだねー。お世辞にも万人受けとは言えませんなー」
そう言ってモカは、風に吹かれるカーテンをそっと掴んだ。そんな子供染みたことをするモカの顔には、あのノートを最初に見た俺の反応とはかけ離れたような表情が浮かんでいた。
......そういえばこいつ、まるで蘭のノートを読んだことでもあるかのような口ぶりを、先ほどしていたような気が。
「一応聞くけどさ。お前はソレ、読んだことあんのか?」
知る必要も無く大したことでもないが、念のため確認しておこうと問いかけてみた。
そんな問いかけに、モカはこう答えた。
「あるよ〜」
案の定だった。
「それ、いつの話なんだ?」
「んー、できたてホヤホヤの時ですなー」
「できたてホヤホヤ?......って」
予想外だった。すこし婉曲な言い振りに頭を捻り、そして導き出した答えから、なんとモカはそのノートの製作現場に居合わせたというのだ。
「そ、そうだったのか......」
「うん。いやいやー、あの時の蘭はだいぶ病んでてビックリしたよ〜」
その後驚く俺に立て続けに思い出したように語られたのは、屋上で『詩』を執筆していた蘭と対峙した時のことだった。
「授業を抜け出してるっていうのは前々から気づいててさ休み時間になってA組覗いてみても戻ってなかったから試しに探してみたんだよね。そしたら、たまたま屋上ででくわして。背中向けてノートに向かってる蘭の姿の
なんと痛ましかったことか〜......ヨヨヨ」
「......」
モカの語り口からその時の光景を思い浮かべてみる。するとモカの言う通り、どことなく哀愁漂う蘭の背中がそこにはあった。
「それからあれよこれよとあったんだー。後ろから迫るモカちゃんに気づけず、なすすべなく押し倒される蘭は流されるがまま。そして地面に横たわって見つめ合う2人はそのまま──」
「へえ」
「......こっそりノート覗いてさ、いつ気づくかなって思って声に出して詩を読んでみたんだー。そしたら流石にバレたのか、蘭が勢いよく振り向いて、めっちゃおもしろかったー」
白々しい態度の俺に観念したのか、モカが本当の意味で飾りっ気無く屋上での出来事を詳細に語ってくれた。
「でもやっぱり、それより驚いたのがこのノートだったんだよね〜。流石のあたしも、うわあ......ってなったよー」
「でも、それだけじゃなかったんだろ?」
モカの迫真の演技に対する俺の指摘に、モカは「ご名答〜」と軽く褒め称えた後、ノートをポンポンと撫でるように叩きながらこう続けた。
「そうなんだよね〜。モカちゃん、気づいちゃったんだよねー。......蘭がどれだけ苦しい思いをしてたのか」
寂寞、無念、懺悔───。
様々な感情が、吐き捨てるようなモカの口からとめどなく溢れ出す。
「───それで?」
泡沫にも似た感情達をこのだだっ広く感じる教室に霧散してしまう前に拾い上げながら、俺はモカに続きを話すよう促した。
モカの指がそっと、自らの薄灰色の髪の輪郭を優しく撫でつける。
「いや──......それだけだったよ。気づいちゃって、んで、そのまま。蘭の苦労を色々労ってあげたりだとか、蘭が安心できるように、いつもの調子で励ましてあげたりはしたよ。だけど──」
でも、それだけ。
自分はいち早く、蘭がいかに苦しい思いをしていたかに気がついた。
しかし、深入りまではしなかった。いや、できなかった。そんな度胸なんて......資格なんて、自分は到底持ち得ていないだろうと考えたから。
だから、蘭の気の済むようにさせてあげた。でもそれは時が癒してくれるのを待つことを祈るのと同じ。故に、ただの責任転嫁だったのかもしれない。
自分のせいで蘭をこれ以上傷つけてしまわないかという恐れからの逃避行だったのかもしれない────。
「────......」
過去の不鮮明な自分を振り返りながら淡々と語るモカに対し、俺は励ましたり、ましてや責めたりなどできなかった。
それらが間違いだったかどうかなんて、その場に居合わせていなかった俺がとやかく言えることじゃないし、それはモカ本人が一番よく理解しているはずだと思ったから。
「──ねえ、せいくん」
搔き消えそうな声で名前を呼ばれた。陰湿な空気と己の不甲斐なさに嫌気がさし、おもむろに小説の冊子を開いてから間もなくのことだったので、思わずその声の出どころへと勢いよく顔を持ち上げた。
それは、先日の屋上であの背中を見た時のように、このまま放っておけばモカがどこかに行ってしまうような気がしたからでもあった。
「......モカ?」
そうして戦慄したように顔を歪ませる俺を尻目に、モカはシアトリカルなはにかみ顔をこちらに向けながらこう告げた。
「───幼馴染ってむずかしーね」
「────......ぁ」
直後、生徒会の完全下校を知らせる放送が校内全域に流れ始めた。その少々強張った声をよく聞いてみると、どうやらつぐちゃんのものだった。俺の立場からすれば、さしづめ迷子のアナウンスだ。
母親の呼び出しに急かされるがままに、俺とモカは教室を抜け出した。お互い、終始無言だった。
何事も無かったかのように足を進める。足音2つがそれぞれリズムをとりながら、静かに廊下に響き渡る。そしてやはり、その時でさえも俺達が言葉を交わすことはなかった。
......応えてやれなかった。
幼馴染は難しい。そう嘆くように吐き捨てたモカの心を汲み取ることなんて容易いことだった。俺がその傷心に投げかけてやれるような言葉を、脳を埋め尽くす語彙の海から拾い上げることができなかっただけだ。かといって、うんとかすんとか何らかのリアクションぐらいはできたはずなのだが。
───それとも本当に俺は、『何か』から逃げているとでも言うのだろうか。
「せいくーん」
「......あ」
ふと耳孔に舞い込んできた呼びかけに辛うじて返事......とはお世辞にも言えなさそうな、それに似た嗚咽を発する。再び俯かせた顔をあげると、そこには随分と距離の空いた俺とモカの余白が横たわっていた。
「どしたの〜?ぼーっとして」
「──いや、忘れ物無いかと思っただけ」
ぽやんと疑問符を浮かべるモカにお前のせいだなんて到底言えるわけもなく、知らぬが仏と解釈して見栄っ張りな嘘をついた。
「ふーん......そかそか」
まんまと騙されてくれたのか納得した様子のモカに、俺はひとまず安堵した。
しかしその直後、モカがまた先々とその歩みを進め始めた。
「あ......おい、モカ──」
「ほらー。早く帰らないと怒られるよ〜?」
俺の霞む声が聞こえていなかったのか、はたまた聞こえたうえでそれを無視したのか。
いずれにせよモカはその歩みを止めず、黄昏時からすっかり暗くなった廊下の闇を、鼻歌を歌いながらかきわけていった。
──片手に、あのノートを握りしめたまま。
「何なんだよ、あいつ......」
教室での一件で見せた、あの虚しいの一言に尽きる表情。そこから一変したモカの行動に対して、その背中が闇へと消え去っていった今でなお、俺はひどく訝しんでいた。
まあ、でも。
あいつが虚ろな顔をしていたのも、それを虚勢で隠し通そうとしてたのも。
全ては、『幼馴染が難しい』からなのだろう。
「──なんだか、なぁ」
お手上げと言うように天井を仰ぐ。それからそこを越えた先に広がっているであろう暗がりの夕焼けを思い浮かべた。
そして目を瞑ってから、あのモカの言葉をもう一度脳内で反芻してみた。
──幼馴染って難しい。
そう告げたモカにとっての明るい夕焼けみたいだった『幼馴染』も、今ではこんな夜空のように、薄明かりしかない単色な闇で覆われているのだろうか。
......ただ。
ひとつだけ、確かなことがある。
それは、今の俺は少なくともその夜空の上に浮かぶまばゆい『星』ではないことだ。
今のモカにとって、俺は『光が死滅した星』に過ぎないのだろう。
幼馴染の『心』という名の空に覆う闇を振り払うことすらできない、むしろ光すら取り込んでしまうブラックホールのような漆黒の天体。
それが、今の俺なのだと───。
「────」
窓から見える雲の合間から見え隠れする一番星を見据えながら、俺はそう確信付いた。
ふいに廊下に、穏やかな秋風が吹き抜ける。
それはまるで俺を嘲笑うかのように、生々しく肩を撫でていった。
......ああ。本当に今日は、やけに肌寒い。
いかがだったでしょうか。次回は1月29日の20時30分に投稿予定てます。お楽しみに!
それではまた次回お会いしましょう。さいなら!