Afterglow〜Episode of Another〜 作:ある@誠心誠意執筆中
最近になって一気に冷えてきた気がします。コロナウイルスで世間の話題は持ちきりとなっていますが、寒さにも十分お気をつけください。
それでは本編、どうぞ!
「『俺』より『僕』、なんつって」
「────」
「......って、どうしたのひーちゃん?そんな顔してさ」
「──────」
「悲しいなあ。せっかく“久しぶりに会えた”っていうのに」
「────────」
語りかけられる。甘ったるく、道化のような声色で、静かに、淡々と、あでやかに。
今、私の目の前に立っているのは......
「僕だよ?青藍だよ?覚えてない?」
眼鏡の外されたその容姿、声、仕草、そのことごとくが懐かしい。本当の意味で、懐かしく感じる。
──ああ、確かにそうだ。
私は今、青藍と対峙している。
「せい......ら?」
「ああよかった、覚えててくれたんだ」
忘れるわけない。忘れられない。だって君は、私の、私達の......“本当”の。
「本当に......青藍なの?」
「うん、ちゃんと青藍だよ。あの大人しくて臆病な青藍」
「ふふっ......あとすぐ調子に乗る、もね」
「一言余計だなあ」
決まり悪そうに青藍が頭を掻く。その仕草が数年前と比べてまったく変わりばえがなく、私は筆舌に尽くしがたい思いに駆られた。
でもどうして急に、青藍に逆戻りしたのだろうか。
「──ふふっ」
「......ははは」
まあ良い。そんなのどうだっていい。今はただこの瞬間を味わっていればいいのだ。
ようやく巡り合えた。青藍だ。本物だ。その事実だけで今の私にはもう十分だった。嬉しい。またあの優しい青藍が戻ってきてくれたことが、本当に、本当に......
青藍はいつも、巴と一緒に私のことをいじめっ子などから守ってくれた。つぐと一緒に励ましてくれた。モカと一緒に笑わせてくれた。蘭と一緒に手を引っ張ってくれた。ずっとずっと、側で見守ってくれていた。
思い出がふつふつと蘇る。生温くて、すこしでも油断してしまえばすぐ寝こけてしまいそうな夢見心地に、私はそっと目を瞑った。
ああ、なんて暖かくて心地良い夢のだろう。気がつくと私は、青藍の頬に手を当てていた。
「青藍......青藍......」
何度も何度も、再会を待ちわびるにも待ちわびた幼馴染の名前を反芻する。次第にそれは、私の脳内にも達していって、そして────。
「───なワケないよね、流誠」
私は頬をさすっていた手に思いっきりしなりを入れて、甲高い音を響かせた。
「ッ!?」
青藍......だった流誠が平手打ちをくらった勢いで後ろへと大きく後ずさる。私はすかさずその体をしっかりと抱き留めて、一緒に地面に倒れ込んだ。
「......っ!」
「ぐあッ!?......かはっ」
「はぁ......はぁ......大丈夫、流誠?」
流誠の体に巻き付かせた腕は繋ぎとめたまま、私と胸合わせで地面に背をつける彼の名前を呼びかけた。
しかし返ってきたのは、野良犬のような反抗的な声だった。
「ち、違う!僕は青藍だ!あんな、変わり果てた流誠なんかじゃない、正真正銘の──」
「もうやめてよッ!!」
「......ぁ」
聞き分けの悪い子供を叱りつけるように、私も負けじと怒号を発した。それに流誠が怯んだ隙に、私はすかさず言葉を続けた。
「どうしてそんなことするの!?そうやって青藍のマネをして、私の心を弄ぼうとでもしてるわけ!?」
「ぁ......お、俺、は」
「いい加減にしてよ!流誠は流誠で、青藍は青藍なの!!無理に戻ろうとしないでよ!!どうして急に、そんなことしたの......?」
「────」
「答えてよッ!!!!」
流誠の上にまたがり彼の胸を強く叩く。どうしてあんな真似をしたのかと問うた。
あんな真似......というのも、言わずもがな流誠は、青藍の真似をしていたのだ。
私も最初は困惑した。失った記憶が急に舞い戻ってきたのか知らないが、人格ごと入れ替わったように急に青藍になりすましだした流誠に、私は騙されていたのだ。
しかしそれも束の間、私はその芝居の中の僅かな抜かりを見逃さなかった。というよりその抜かりというのはもっと内面的なもので、外面的に見たら流石は本人と言ったところか、まったく見分けの付かない完璧なものだった。
ではその内面的な抜かりのうちの一体何が、私を現実へと舞い戻らせてくれたのか。
その答えは至ってシンプル。
青藍はもう、戻ってこないということ────。
「青藍はもういないし代わりもいないの......でもそれは、流誠だって同じこと。流誠はもっと『流誠』を大事にしていいの。青藍も流誠も私たちにとっての大切な幼馴染に変わりないんだから」
「ひー、ちゃん」
泣きぐだる子供をあやすように流誠の背中をさすってあげながら、優しく諭す。それから過去も今も、そしてこれからも私達は流誠と一緒で、彼自身もそうだと伝えた。
「お願い流誠、答えて。......なんで、あんなことしたの?」
傀儡のように魂の抜けきった顔に語りかける。すると流誠の顔が少しだけびくついた。
「───......たかった」
「え?」
「聞いて、みたかっただけなんだ」
私はそれに対して何を、と聞き返すまでもなかった。いや、正確には聞き返す隙がなかったと言うべきか。流誠は淡々と、間髪入れずにその理由を語り始めた。
「モカの様子がおかしかったんだ。最近の蘭のことを見ているうちに、いつの間にか俺はアイツにも気を配るようになってた。それでようやく気がついたんだ......アイツは『置いてかれてる』ってことに───」
「......!」
「そしてそうさせてるのは蘭だけじゃなくて、俺だってそうなんじゃないのかって思ったんだ。変わり果てた俺のギャップで......それでそこから、モカだけじゃなくてみんなもそう感じてるんじゃないのかって考えた。もしかしたら他のみんなも、流誠より青藍のままのほうが良かったんじゃないのかって」
「......」
だからわざとあんなことをした。そんな流誠の言葉に、私は青天の霹靂を覚えた。
確かにモカの様子はおかしかったような気はしていた。どことなくいつもと違う雰囲気をしているなとは思ってはいたが、確信までには至らなかったのだ。しかし流誠はすでに、心の奥底では感付いていたのだ。
でも私は違った。きっと無意識のうちに見て見ぬ振りをしていたのだ。本来なら懊悩する幼馴染を解決に向かわせるために助力してやるべきところをそっとしまいこんで、ずっと隠し続けてしまっていたのかもしれない。
情け無い話だ。挙げ句の果てにはモカだけではなく流誠まで追い詰めてしまっているのだから、誰かに嘲笑われても文句は言えまい。
でもわからないのだ。思い悩む幼馴染達と同じ立場に立てないがために、苦しい気持ちが共有できないのだ。
私には何もわからない。遠ざかる背中を追いかけようと決意するまでの躊躇いも、過去と現在の自分の存在意義のギャップも。全部わかってやりたいけどうまくできない。同じ立場になって考えてやれない......
──でも。
「──ねえ、流誠」
いくら不器用だとしても、隣で寄り添ってあげることぐらいはできると思うんだ。
「私、思うんだ。人の気持ちを理解することはすっごく難しいことだって。でもそれはきっと同時に、人の役に立つための大きなきっかけにもなるとも思う」
「きっかけ......?」
「逆境ってやつだよ!ほら、部活の練習がしんどい時とかにやってやろうって頑張れる気持ちが湧いてくるでしょ?今回のことだってきっと、それと同じなんだよ」
私はそう言ってから流誠の隣に寝っ転がって、大の字になってみた。柔らかい草枕が気持ちいい。そこから見上げた空にも、依然として星々が横たわっていた。
「たとえ同じ立場になって考えることができずに何も言葉が思い浮かばなかったとしても、そばにいてあげることはできると思う。その結果がどうだとしても、自分のできる範囲で相手に真摯に向き合ってあげたら、それで十分なんじゃない?」
「......!」
かつては自分がそうするべきだったことを今度は流誠にも教えてあげた。すると流誠は今度は目を丸くして、こちらをまじまじと見つめてきた。
「本当に、それだけでいいのか?」
「私も正直、自分勝手な考え方みたいだとは思うよ?でも、何もしないことのほうがもっといけないと思う。当たって砕けろだよ!それにそっちのほうが、私たちっぽくない?」
「は......ははは。まあ、確かに」
きょとんとしたあと、流誠は空に向かって高らかに笑った。それでいて、こぼれたような笑みだった。
「でも、そっか......そんな単純な話だったんだな」
「そ!それに流誠自身のことだって、同じ立場にならなくても心配しなくていいことなんだよ?」
「俺のこと?」
「自分を曲げなくて良いってことー!もうっ、流誠の分からず屋!」
「分からず屋なんて久々に言われたなあ。まあでも、その......ありがとう、色々気づかせてくれて」
はにかむ流誠の笑顔はとても愛おしいものだった。私はそれを一身に受けた恥ずかしさのあまり、向かい合っていた顔をまた空へと向けた。
しかし本当に、ここの星空は筆舌に尽くし難い。たまに夜空を眺めた時に目にする夏の大三角形以外でも、大小様々な星が飽きを感じさせないほどに軒を連ねている。あれが天の河というものなのだろうか、なんと神々しい恍惚さだろう。
空の果てまで続く煌めきの集合体───。
そんな永遠を眺めていると、私はまた無性に流誠に話しかけたくなった。
「流誠」
「......何?」
「モカのこと......みんなのこと、これからもよろしくね」
他人事のようだった。そこに私の存在があることは自明の理のはずだったのに、まるで自分は関係ないとでも言い張るかのような言い方だった。
そんな粗末な願いにも流誠は真摯に耳を傾けて、うんと頷いてくれた。
「当たり前だ。“どんな形であれ“、俺は最初からそうするつもりだったよ」
「流誠じゃなきゃダメなのー!」
「ははは、そうかそうか。......わかった、わかったよ」
流誠はそう言い放つと「よっこらせ」と立ち上がり、背中に付いた土などを払い除けてから大きなあくびをした。
彼の背筋は、えらくしゃんと伸びていた。
「もう帰ろう。だいぶ冷えてきた」
「うん。そうしよ」
ふいに差し伸べられた手を掴んで私も同じように起き上がり、同じように背中のゴミを払い除け、同じようにあくびをした。
大きく口を開けながら紺碧を仰ぐ。その先にあるのはもはや察しのついている景色。
────......あれは。
「ぁ────」
夜空にスッと引かれた一閃が、私の視線を惑わせた。
「ひーちゃん?どうしたの?」
「え?あー、えっと......」
消える瞬間を見る間も無く、流誠がすかさず足を止めた私のほうへと声をかけてきた。私はそれに対して思わず口籠ってしまった。
......今私は何を見たのだろうか。
視界の端での出来事だった。場面から場面へと切り替わる、その瞬間に起こった出来事を把握するなど、運動部のくせして動体視力に自信の無い私が到底できるわけがなかった。
とても眩くか細い閃光だった。ひとたび触れればその先からすぐ瓦解してしまいそうな脆さを兼ね備えた、そんな光だった。
単なるたまたま通りかかった飛行機の光かもしれない。この期に及んで姿を現した未確認飛行物体だったり、はたまたただの幻覚だったのかも。
───いや、実際にはそのどれでもなかった。
私の隣には今、目も眩むほどに輝く『流星』が落ちているではないか。
流星ならとっくの昔から、私達の目の前に姿を現している。消える瞬間を見れなかったのではない、彼はずっと輝きを放ち続けている。
私の願いを込めた、不滅の流星。
......でもごめんね、君にはまだそれに気づいてほしくないの。自分がどれだけ大切な存在なのかを。それを知ったら君は傲り高ぶらずに首を振るだろうから。
モカを助けてあげられるのは君しかいない。今の私じゃ彼女の異変をどうこうすることなんてできない。ましてや気づいてやることすらできなかったのだから、尚更────......
だからお願い。あのマイペースで親友思いのどうしようもない子の、空いた背中を押してあげて。張り付いた笑顔をひっぺがしてやって。
そんな願いを込めながら、流星に向かって首を振った。
「......ううん!なんでもない!」
止めた歩みを皆が待つ孤児院へと再び動かし始める。軽い足取りだった。きっとそれは一片の迷いのない、まるで春の陽だまりの道を夢中になって掻き分けていくような、そんな感じのものだった。
私は今まで見ず知らずのうちに、青藍という存在に囚われ続けていたのかもしれない。というよりもむしろ過去という代物にないものねだりばかりしていたと言ったほうが正しいか。だから今回の同じ境遇にあるであろうモカの異変に対しても、そのモカの姿に自分が照らし合わさって見えるのが怖く感じ、結果いち早く気づいてやることができなかった......という言い訳を設けて、本当は気づいていないフリを続けていたのかもしれない。
愚かしいにもほどがある。懊悩する幼馴染を見捨てて自分の殻に閉じこもっていたのだから。そう思うと、あの時蘭の背中を追いかけると決意した自分のことが嫌になるほど恥ずかしくなる。
それでもようやく目が覚めた。本意ではないにしろ、流誠が自らのポリシーを侵してまで私を悪夢から引きずりだしてくれたのだ。そうでもしなきゃ今の私がいなかっただなんて、とんだ皮肉だ。
流誠には感謝してもしきれない。こうしてAfterglowを続けてこられたのも、彼がかつての蘭を叱咤激励してくれたおかげでもある。世話焼きもいいとこだ。でもそこはリーダーである私の面子が立っていないということでもあるので、少し複雑な気分ではあるが。
それでもそこはグッと堪えて、適材適所という言葉通りこの件は流誠に任せるとしよう。そのほうが効果的だろうし、何より流誠ならうまくやってくれるはずだ。
今の私では力不足だ。真の意味で君のことを捉えることのでき始めたばかりの私では、モカのぽっかり空いた穴を塞ぐことなんてなおさらできないだろう。
だから......
「───お願いね、流誠」
「ん?ひーちゃん何か言った?」
後ろから流誠が駆け寄ってきた。そうして覗き込んできた顔に向かって、私はまた首を振った。
「だからなんでもないってば!」
「えー......そうか?」
「そうだよ。ていうかほら、行こ!モカと巴のこと止めなきゃ!」
「ああ、それもそうだな」
未だに罵り合っているかもしれない2人の姿を脳裏に想起したのか、流誠が笑った。
私にはそれが、夜空に駆ける流星をも霞ませてしまうほど輝いているように見えた。
▼
「はい流誠、コーヒーですよ」
差し出されたマグカップに「ありがとうございます」と手を差し伸べる。それから鼻で匂いを確かめて一口目を口に流した。
果実のようなフルーティな味わい......今回はモカブレンドだった。
「......狙ってます?」
「えっへん」
「100点中2点で」
「意外とヒドい!」
どこが意外なのだろうか。俺は仕向けられた小洒落に妥当な評価をしただけだったので、なおさら肩をすくめてやった。
「どうしてですか......流誠がせっかくモカちゃんのことについて相談してくれたということで、それを励ましてあげようと面白がらせようとしただけなのに......」
「余計なお世話ですよ......ていうかあまり大きな声で話さないでくださいよ、聞かれたらどうするんですか......!」
「別にいいじゃないですか。この際パーっとバラして、パーっと流れで解決したら」
「んな他人事な......!」
この人は本当にデリカシーという言葉を知らないみたいだ。俺のとっ散らかった部屋に好奇心の赴くままにみんなを招き入れたのも先生だというのに、彼女はその反省の色を見せていない様子だった。
他の家族だってそうだ。先生に俺が部屋に帰ってこないように門番係として任命されていた晃だって、みんなから聞いた話によると俺の特殊な性質を赤裸々告白してくれたみたいだし、もう目も当てられない。
わかるさ。確かに自分より目上の存在の弱みを握っていれば誰だって打ち明けたくなる。だが限度ってものもあることも理解してほしい。『動物の名前の後ろにいちいち“ちゃん”付けすること』だぞ?おかしいだろ。あれこれが嫌いだとかそういったレベルの話じゃない、俺の威厳に関わる死活問題だ。
実際みんなからは高笑いされたし、特にモカからはお察死の通りの言動を浴びせられた。あの時だけは鮮明に、俺のただでさえ高くなかったヒエラルキーがガラガラと崩れさっていく音がした。
「やめてくださいよホント、何もかも......!こちとら腹がキリキリしてならないんですよ......!?」
「まあまあそう言わずに。ほら、コーヒーが冷めちゃう」
先生が飄々とした態度で俺の手に持たれたままのマグカップに向かって顎をしゃくった。なんて虫の良い人なのだろうか。
とは言うものの、俺もそれについては少々気にかけていたので正直なところ助け舟だった。
俺が大人しくコーヒーを啜っていると、先生が唐突にこんなことを聞いてきた。
「......モカちゃんのこと、まだ心配してるんですか?」
「......っ」
俺は一瞬吹き出しかけそうになったのをぐっと堪えて、マグカップをテーブルに置いてから先生を横目に質問を質問で返した。
「......どうしていきなりそんなことを」
「顔に出てますよ。母親ナメないでください」
と、先生がまた己のふくよかな胸を「えへん」と張ってみせた。そんな彼女に対して俺は、先ほどと同じような言動をすることができなかった。
何も、言えなかった。見事なまでに図星だったから。
「────俺、は......っ」
「さっきも言った通りです。貴方は自分が相手の為になると思ったことをその人にしてあげたらいいだけなんです」
「だからそれがわからないんですよ......アイツがどう思うかどうか以前に、自分のことすらもわからないままで......やっと、やっと流誠っていう存在をブレさせないようにすることができたっていうのに!」
モカから感じ取った変化というものへの恐怖を歪な形に捉えたことから発展してしまった、ひーちゃんへのあの自暴自棄な行動。そんな俺をひーちゃんは正しい解釈へと導いてくれた。おかげで流誠という存在に確信を持つことができた。
それでもまだわからない。やはり自信がない。かつての俺と同じく変化に対する嫌悪感を抱くモカに投げかけてやれる優しい言葉が、まったく思い浮かばない。彼女の震える体をそっと包み込んでやるための術が見当たらないのだ。当たって砕けろだなんて言っていたが、それでもやっぱり慎重になってしまう。
自分のことすらままならない......であれば俺はまだ、真の意味で自分を見つけることができていないのかもしれない。
「クソっ......」
情け無く天井を仰ぐ。両腕と椅子にもたれた背中は重力に垂だれた俺の姿は、まさに意気消沈という言葉を体現したものだった。
時間がない。こうしている間にも、進み続ける蘭と止まったままのモカの間にできた縮まらない距離は理不尽にも離されていってる。
「俺が悪いんだ......バカな俺が、全部......」
「流誠......」
ああ、頭が痛い。自分に対する嫌悪感とモカに対する焦燥感で今にもパンクしそうだ。
それでも考えなきゃ。曲がりなりにでもいいから、付け焼き刃でもいいから、何か言葉を。
『大丈夫。きっとなんとかなるさ』
他人事かよ。
『お前ならついていける。頑張れ!』
しらじらしいにもほどがある。
......ああ、そうだ。いっそのことこう言ってやろうかな。
『もう、何もかもやめちまって────
「......っ!?」
突如襲いかかってきた重みに、思わず目を見開いた。しかし目の前にはブラックアウトした闇の世界しか見当たらなかった。
さらに言うと、悉くを包み込むような柔らかな感触が────。
「むぐっ......?!むぐぐ......!」
それには心当たりがある、いやそれしかなかった。これは先生の胸だ。昔よく抱きしめられていたからわかる。苦しい、息ができない、目の前が暗くて怖い......なんて昔は思ってたっけ。
でも今は違う。回数を重ねていくごとに俺はその行為の優しさに触れ、いつしか自然とそれをすんなり受け入れるようになった。
しかしなぜ今なのか。その答えは、俺の過去の経験上から容易に算出することができた。
先生はいつも俺が困っている時、そしてそれに対して的確なアドバイスをくれる時には、決まってこうして抱擁してくれるのだ。
こんな、前置きを添えて。
「───しっかりしなさい」
「......ぁ」
先生の厳かな声に俺は思わず喉を震わせた。
久しぶりの感覚に身震いが止まらない。こう、胸元にできた厄介な腫瘍を一気に浄化してくれるような、そんな感じの陽だまりのような暖かさが......俺の心にへばりついた氷を優しく、ゆっくりと溶かしてくれるのだ。
「答えならすでに出ています。貴方はそれに気がついていないだけなんですよ?」
背中をさすられながら語りかけられた言葉に俺は耳を疑った。
答え──というのは、俺がモカに対して一体何をしてやれるかということ。でもそれはわからないままでいるのが現状のはず......それを先生は否定したが、一体どういうことなのだろうか。
“答え”ならすでに出ている、というのは一体──。
......そんな疑念も、素っ頓狂な先生の声で彼方へと飛んでいった。
「ま、確証は無いんですけどね」
「......へ?」
「いやーごめんなさいね。出会ったばかりのモカちゃんのことが関係してるものだから、どうにも掴みどころが悪くて......」
「んなっ......」
呆気に取られる俺とやれやれと肩をすくめる先生。両者相容れない雰囲気の中、「それに」と言葉を続けたのは先生のほうだった。
「それに、こればっかりは流誠の過去が関係してそうですから」
「は?......は?」
これまた藪から棒な発言に、俺はさらに開いた口を大きく開けた。
俺の過去......つまり、俺がまだ青藍だったころのことが関係していると。でも先生は何を根拠にそんなことを?
「どうして昔の俺が関係しているんですか」
「え?そんなの勘に決まってるじゃないですか」
「────......あ、そっすよね」
ああ、そうだ。そうだった。今思い出した。いや、本当は心のどこかでそんな予感はしていたのかもしれないが。
先生はいつも、俺や家族の相談には本当に親身になって対応してくれる。しかしそれに投げかける解決策のほとんどは自らの勘だというのだ。
実に奇想天外、荒唐無稽、馬鹿げてる。俺も最初の頃はそう思っていた。でも蓋を開けてみればどうだろうか、これがまた奇妙にもその先生の勘がバンバンと当たっていくのだ。
それからというものの、俺達はその勘に助けられていくうちにそれをすんなりと受け入れるようになってしまった。そう、なってしまったのだ。これではまるで依存しているみたいでは......いや、実際しているのか。
故に俺はまた、その勘とやらを自然と納得してしまった。
とはいえ今回は内容が内容だ。忘却の海へと放り出された記憶を無作為に引き揚げようとしたところで、何かしらきっかけが無い限りそれらは全て水泡に帰すだろう。
「つってもやっぱり、そんなの流石にわかんないですよ」
元に戻した眉を再びひそめて先生に異議を申し立てる。するとそれに対して先生は、いやに冷静な態度でこう返してきた。
「大丈夫。今度もまたきっとうまくいきますから」
先生にその自信の根源は何かと問えば、また自分の勘だと答えるのだろう。しかし俺にとってはやはりそれが、やたら説得力の感じられる答えのように思えた。
”きっかけ“を待て。
先生はそう言いたいのだろう。
「果報は寝て待て、ですか......」
「焦らない焦らない。きっとうまくいきます、だから大丈夫ですよ」
「......」
「うまくいく」、「大丈夫」の一点張りに気圧されがくりと肩を落とす。いくら実績のある先生の勘でも、その勘が当たるのが『いつか』なんていう不確かなものでは困るのだ。
それでも今は、その勘にしか頼ることができない。気休め程度ではあるが、ここは......
「はあ......わかりましたよ。そこまで言うのなら大人しく寝て待ちますよ」
藁にもすがる思いとはこのことである。俺は苦虫を噛み潰したような顔で、先生の提案をようやく体全体へと吸収しきることができた。
先生は満足そうに微笑むと、俺を束縛し続けた腕を離し、そっと抱擁を解いた。
「なら良し!そうと決まればモカちゃんに────」
「早速順序間違ってますけど!」
「あらうっかり。てへっ」
先生はあざとく腕を自らの頭にコツンとぶつけると、「あとはおまかせしますよ」とだけ言い残して手のひらをひらひらと振りながら洗面台へと消えていった。
そんな無責任なその背中を見ていると、唖然とした顔にも笑いが込み上げてきた。
「はは......まったく、先生には敵わないな」
論理的な考えなど持たずともフィーリングだけでここまで俺達を導いてくれた先生。不器用ながらも真摯に向き合ってくれたその姿勢には、もはや敬意しか表れない。
......ならもう、彼女の勘を信じるしかない。それが誠実で嬉々とした彼女への一番の恩返しにもなるから。
どの道俺の力だけでは、どうにもならないのだから。
「寝て待つのはいいけど、なるべく早起きしたいな」
最後の抵抗として冗談混じりの愚痴をこぼしてから、残りのモカをぐいっと飲み干す。
口の中に甘酸っぱい香りが広がり、ほろ苦い後味は俺を極上へと誘う。その全てを芯まで味わってはじめて、俺はとあることに気がついた。
「───ぷはー!おいしっ」
冷え切っていたと思われていたモカからは、なんだか温もりのようなものが感じられたような気がしたのだ。
いかがだったでしょうか。次回は2月13日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!
〜謝礼の言葉〜
と、いうことで。なんとお気に入り登録者数が40人を突破いたしました!!!前回は30人でしたが、ここ数日ですんんんごい伸びました。めっちゃ嬉しいです。本当に励みになります。これからも頑張りますので、何卒応援よろしくお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。さいなら!