パレードのような華やかさは無い。
重く清浄な教会のミサのように神秘を演出していく荘厳な雰囲気に包まれている行列が進んでいく。
行列の中央に御輿に乗せられたナメア、その周りを12人の巫女が囲んで鈴を鳴らしたり弓の弦を琴のように弾いて鳴らしている。
その前後を50人くらいの神官や巫女がそれぞれの笛や太鼓琴などを持った雅楽隊が列を成して進んでいく。
何の神事なんだ?
空気が重い。
冷たく鑢のように空気が尖り肌に突き刺さってくる。
この感じ、荒ぶる神でも降臨するかのような恐怖が醸し出されていく。
この俺が見事と褒めてやる。
だがこれだけの演出をしておいて観客など誰もいない。
ならばこの神事は本当に神に捧げるために行われているというのか?
この雰囲気を演出する意図と白装束のナメアが気に掛かってしょうがない。本来ならこんな神秘的な美こそ俺が求めるものでずっとこの特等席で見ていたい。
だが、あのナメアに嫌な予感が止まらない。
あの日出会ったあの少女はあんなにも生に満ちて生を賛美していたのに、今は真逆に見える。
「クソがッ」
自分の主義を曲げるのは気持ちがいいものじゃないが、行列が進む先を見れば巨大な神殿が見えた。
その神殿は古代出雲大社みたいに木で組み上げた巨大な坂の上に鎮座している。人工スキー場のザウスみたいな感じの先に神社があると思えばいいだろう。
高さにして20~30メートル、こんな科学の粋を集めた東京の下にあるジオフロントにあんな古式豊かなものがあるとはアンバランスもいいところだぜ。
あそこに向かうのは確実だろう、フェイントは無いだろ。
いや合ったらそれこそビックリで俺を騙すためにここまで壮大な仕掛けをしてくれたというなら、喜んで驚いてやるよ。
だが、実際はそんなことは無いだろう。
狭いジオフロント内にあれ意外の目標物をほいほい設置も出来まい。
目標はアレだ。
そして幸い行列は雅楽を鳴らし遅々として進まない。
まあ早足で進んだらどこか醒めてしまい神秘性が薄れてしまう、神秘性を出すための演出だろうな。
先回りは十分可能だ。
本当はゆっくりと行列の後を付けて堪能し、何をするのか見極めたい。
だがその時では間に合わないと俺の勘が告げている。
何に間に合わないか分からないが、ナメアの顔を見れば急かされる。
美を取るが少女を取るか。
俺は美に生きる碌でなしだが、ここでもしものことがあったら心が穢れもう純粋に美を求められなくなるだろう。
美を求めるためには心に負い目無く生きるのが肝心。
俺は主義を棄て神殿に向かうのであった。