ドアだ。突如として現れたようにも見えるこのドアは、洞窟の壁にあり、周りから浮いたように見える。それは単に、何度も見てきた物の中で唯一初めて見る物だからだろうか。いや、というより、そのドアだけ違う場所からやってきた、もしくはそこだけ切り取られたような違和感がある。
だるい体を起こしてドアへと向かう。もしかしたら、このドアがループを抜け出す手掛かりになるかもしれない。このチャンスを逃す訳にはいかないのだ。心なしか、体の不調も落ち着いている気がする。
ドアの手前まで行くと、このドアには色がない事に気がついた。まあ、色がない事もない。白、灰色、黒と、彩度がこのドアの部分だけ抜け落ちている感じだ。
ドアノブに手をかける。不気味な程に、何の温度も感じられない。鍵はかかっていないようだ。正直、少し怖い。が、思い切ってドアを開ける。
すっと、軽く扉が動き、中が見える。
―――そこは四角く、広く、ドアと同じように色がない部屋だ。いや、そこまで広くはないかもしれない。ただ、広く見えるだけ。何もないから。部屋のちょうど真ん中にいる、モンスター以外は。
「御機嫌よう。」
今の音は…方向とそのモンスターの口が動いた事から考えて、あのモンスターが私に話しかけたのだろう。
この部屋の異様さには驚くが、それ以上に異質な雰囲気が漂ってくるのは、そのモンスターだ。
姿は人間と似てなくもないが、これ以上ない程の真っ白な顔と、こちらもまたこれ以上ない程に真っ黒な布のような物をまとっている。いや、あの布も体の一部なのだろうか。顔には人間と同じように目のようなものと口があり、亀裂が2つ入っている。
私は動けないでいた。無事でいるモンスターなんて滅多にいない。確かナプスタ以来だろう。すぐにでも声をかけて状況を訊きたいところだ。しかし動けなかった。何故だかよく分からない。怖いのかもしれない。
他のモンスター達と何かが違う。ただ、確実に違うと言えるところが一つある。さっき、このモンスターはご機嫌よう、と言った。確かに言ったと思うのだが、私は一度もそのご機嫌ようという言葉を聞いていないのだ。聞いたのは人間が喋るような、もしくは機械の音ような、どうとも捉えられる音。得体の知れない音のはずが、私は不思議と挨拶と認識したのだ。
そしてまた、モンスターの口が動く。
「挨拶は返す物だろう。」
しゅるしゅると、がさごそと、そんな音が耳に入るが、どういう訳か、言語として私の頭の中には入ってくる。
「――んえっと…」
やっと口から言葉が出る。何故か緊張している。喉が物凄く渇いているのが分かった。だが心臓は妙に落ち着いている。
「ご、ご機嫌よ、う…?」
言葉が喉につっかえながらも挨拶を返す。普段そんな言葉なんて使わないのに、声を出すのに必死だった。
モンスターの方を見れば、にいっと三日月型の口が更に引っ張られている。
「君は少し、辛抱強く成った方が良いだろう。」
またあの音が聞こえたかと思うと、いきなり私にアドバイスしてきたのが分かった。
「え、えと…どういう事ですか?」
私はどういう訳か理解できているが、相手が使っているのは知らない言語だ。私の言葉が相手に伝わるかは分からない。しかし、その心配はいらなかったようだ。
「疑問に思うのは素晴らしい事だ。全ては疑問から始まる。」
少し間を空けると、モンスターは続ける。
「今回の対象は完璧を目指している様でね。通常より、時間が掛かっているらしい。」
何の話だかさっぱり分からない。やはり、言葉が通じていないのだろうか。
私が頭に疑問符を浮かべて黙っていると、またそのモンスターが奇妙な音を発する。
「対象…例の人間の子供の事だ。」
静かにモンスターが言ったのが分かった。人間の子どもと言えば一人しかしいない。
「知っているんですか?」
食い気味に質問してしまうと、またモンスターの口の端が上がった。笑っているのだろう。…多分。
「知っているとも。少なくとも、君以上には。――私は長期間あの人間見てきたのだから。そして何度も繰り返される事の顛末も。」
繰り返される――静かに、しかしはっきりと言った。
「繰り返されるって… じゃあ、あなたは知っているんですか!?時間がループしているのを!」
思わず声を荒げてしまう。一人だった。ずっと。だからもしそれが本当なら、どれだけ救われる事か。どこか得体の知れないこのモンスターでさえ、同じ境遇に居ると思うと安心してしまう。
モンスターはゆっくりと頷いた。
「半分以上は合っている。」
心が軽くなっていくのが、これでもかというくらい感じられる。いつの間にか体調も通常に戻りつつあった。私があからさまに顔を明るくしたのを見てか、モンスターの表情が変わった。どういった顔なのか全く分からないが。
「えっと!それじゃあ、このループから抜け出すにはどうすればいいとか…知っていたりしますか?」
嬉しくて上ずりがちな声を抑え、少しモンスターに歩み寄りながら問う。
「知っている。」
今の私の顔は、好物のお菓子を貰った小さい子供のようだった事だろう。
「その方法を教えてくれませんかっ!?お願いします!!」
彼は私の勢いには動じず、同じ調子で答えた。
「幾つか方法は有るが、一番効果が期待され、且つ効率的である方法は私が先程言った物だ。」
先程言った…?私は彼が言った事を一から思い起こす。
「えーっと……ご機嫌よ、じゃなくて…辛抱強く、なる?」
モンスターはゆっくりうなずく。どうやら合っていたようだ。
それはそれとして、辛抱強くなる事がループを抜け出す手掛かりだとは思えない。
「体の調子は如何だろうか。もう何の問題も無いだろう。」
「えっ…いや確かにもう何ともないですけど。」
先程までの不調が嘘であるかのようである。ただ気になるのは、なぜ私の調子なんて物を知っているのか。確かに、さっきはパピルスが心配してくれる程だったから、傍から見ても不調がよく分かったのだろう。しかしそれはこの部屋に入るまでだ。部屋に入るくらいからはかなり落ち着いていた。思っていたより様子に表れていたのだろうか。
「何故回復したのか。どう思う?」
「…このループが関係してたり…?」
モンスターは表情を変えず、黙ったままだ。違うのだろうか。かなり大ざっぱな答えだったと思うが、それでさえ違うらしい。ループは関係ない?ただループの回数を重ねるごとに体調が悪化したのも事実。床に目を落として考え込む。汚れや染み、ほこりひとつない、無機質な真っ白な床だけが見える。
回復してきたのはドアを見つけた辺りだった。そこで何かあっただろうか。不思議に思った。興味がわいた。気力が出てきた。全部自分の主観でこの件には関係ないように思える。でも、「辛抱強く」。この言葉から繋げてみると、
「調子が戻ったのは…いや悪くなっていったのも、私の気持ちの問題…じゃないですか?」
モンスターの真っ黒な目の奥に、一瞬白い光の瞳孔がぼうっと見えたような気がした。
「君は…いや、そう。その通りだよ。」
心なしか声色が明るい気がする。彼の声に声色なんて物があるのかどうかは分からないが、私の不調の原因は精神的な問題だったらしい。心の持ち様でここまで体に影響するとは思わなかった。そんな事なんて一度も経験した事が無かったものだから。
……本当に無かった?
無い。だってそんな記憶が無い。
「では私の助言もここまでだ。」
「えっ、ちょっと待ってよ!」
モンスターはもう言う事がない、という意思表示のつもりか目を閉じている。だがこちらとしては、まだまだ分からない事だらけだ。ここで引き下がりたくはない。そんな私の心持ちを察したのか、再びモンスターは目を開き、音を発する。
「本来の目的を忘れないように」
モンスターに静かにそう言われて思い出す。
急がなければいけない。みんなを助けて、あの子を止めるために。
そう思うと足はもう入ってきたドアに向かっていた。
「私、急がなくちゃいけないので!いろいろと教えてくれてありがとうございました。」
モンスターは黙ったままで、ドアを開けて部屋の外に足を踏み出した私を見ている。
「また会えた時には、ちゃんとお礼します!」
助けてくれたのに、このまま出て行くのがなんだか申し訳無い気がして、笑顔で最後に声をかける。
ドアが閉じて、モンスターと部屋の中が見えなくなるまで、彼の表情は変わらなかった。この部屋のように。とても不思議な場所だったように思える。音も、温度も、色も、空気も、時間も。何もかも変化しなかった気がした。
しかし、ただ一つ、変化した事があった。
最後ドアが閉まる前、彼の周りに誰かがいたのだ。まばたきをする一瞬の間で。彼と同じで色味が無く、ちゃんと居るのに、居ないように感じるモンスター達が、確かに居た。
―――彼らは何だったのだろうか?
それを考えるより先に、本来の目的のために私は走り出した。
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「めずらしいですね。 あなたから カンショウするなんて。 」
■■■■が話しかけてくる。
「たしかに。 ていうか、 はじめてじゃない? ニンゲンとはなすの。 」
■■は相変わらず大きすぎる口を動かして、大きい間延びした声でそんな事を言う。
「確かに極力外部の存在に対する干渉を控えるように君達に伝えていた。それは私自身も例外ではない。しかしあの存在は極めて稀だ。対象への観察も勿論だが、それ以上にあの存在…対象Bと呼称しようか。対象Bの存在は非常に興味深い。」
「わたしも はじめてみましたよ。 こんなゲンショウが おこるだなんて、 これっぽっちも キタイしてなかったですし。 」
「そうっすね。 これをみのがせば にどと ないかもしれないし、 オレは よかったとおもいますよ、 はかせのしたこと。 」
自分と同じ、色味のない彼らが口々に賛成の意を示す。
「でも、 ちょっと しんぱいかなぁ… あの子…えっとBさん? やさしいし、 セイシンテキ? にだいじょうぶなのかなぁって。 」
■■■■■■がそう不安げに言葉を漏らす。
「確かにそうだ。だが、それ以上我々が干渉する事はない。たとえ、今後対象Bが行き詰まろうとも、対象Aが対象Bの命を奪おうとも、それも一つの結果だ。それに、それらの結果に行き着いた時、この世界に変化が起こる事も考えられる。実に興味深いとは思わないだろうか?」
見た目と同じく単調にも思えるその声に、少し、感情が乗ったのを、その場の誰もが感じ取った。
とても遅くなってしまいすみません。かなり忙しいため今後も更新が遅いかと思われますが、できるだけ早められるよう頑張ります…!