薄暗い室内を唯一照らす蝋燭の明かりは、ふすまの隙間から吹き込んだ夜風にゆらりと揺れた。
話し合う二人以外に誰も居ない部屋で向かい合うのは鬼殺隊は頭領、産屋敷耀哉と一人の青年であった。
青年は鬼殺隊所属、階級は柱という特殊な地位を除けば最上位の甲。色素の薄い赤茶の髪を後頭部で束ねる金の輪が蝋燭の光を淡く反射する。
「では、そういうことで良いかな」
「御意。委細承知、その件の全てこの俺が承りました。ですので、先程の件はくれぐれもよろしくお願い致します」
「勿論分かっているよ。でも、無理はしてはいけないからね」
「はい、お心遣い痛み入ります」
上司である産屋敷の気遣いに端的な感謝の言葉、それに続いて淡々と挨拶を述べ、すぐに部屋から退出していく。
他の隊士であれば極度に畏まった態度を取るか恐れて震えてしまう者ばかりの鬼殺隊の中でも良い意味でも悪い意味でも他とは違う態度を見せる青年が去ってから十数秒後、産屋敷は苦笑いと共に大きなため息をついた。
「まさか滅多に意見を言わない彼がどうしても叶えてほしい願いがあると言うから話を聞いてみたものの、あんな内容だったとはね……。こればかりは私も予想外だった。だが、提示された条件はそれに見合うどころか破格の内容だ。他の柱の子供たちの反応が今から予想できるけれど、そちらを抑えるのは私の役目だね」
やれやれ、というように再びため息をつき天井を見上げる。
きっと彼は既にこの屋敷を出立し、目的の為に動き出しているだろう。期限は次の柱合会議まで、と本人が言ったからそれをそのまま了承したものの、次回の柱合会議までの期間などたった一月しか無いはずだ。
だが、"彼女"に関することで彼が妥協や無理な賭けに出るとは考えづらい。恐らく何らかの勝算があるはずだ。
「現水柱である義勇、錆兎と同じく鱗滝左近次の弟子にして海の呼吸の使い手……。彼が"彼女"の名を出してやってのけると言ったのだからきっと本当にやり遂げるだろう」
その日のために準備をしておかなくてはいけない。まずは――――
産屋敷は一人きりになった部屋で考えを巡らせる。
全てはより多くの鬼を狩り、諸悪の権化を打ち取る為に。
柱合裁判にて、竈門炭治郎及び妹の禰豆子の処遇を決める話し合いが行われていた。
と言っても正確にはまだ裁判そのものは始まっておらず、参加者である柱達が容疑者である炭治郎を見下ろしてそれぞれ意見を述べているだけだ。
恋柱からお館様が来るまで独断で処刑するのは、という意見が出たものの即刻斬首、鬼もろともに殺してしまえという考えが大多数だった。
そんな最中風柱とひと悶着ありつつもお館様――産屋敷が到着し、一度場の空気が変わる。
彼が述べたのは竈門炭治郎、禰豆子両名の存在を容認していたこと、そして同じく柱にも彼らを認めてほしいという内容だった。
説明の途中で読み上げられた鱗滝左近次からの手紙には、禰豆子が人を襲った場合は鱗滝左近次本人、竈門炭治郎、現水柱の冨岡義勇、鱗滝錆兎の両名及び同門の鱗滝真菰が腹を切って詫びるという内容が書かれていた。
自分達の為にこれだけの人が命を賭けている。
そのことに涙する炭治郎だったが、そんなことは知ったことか、人を襲えば襲われた人間の命は返って来ないと風柱、不死川は怒りを顕にする。
鬼の醜さを証明すると言い放った不死川は禰豆子の入った箱を手に座敷へと上がり、その箱ごと禰豆子を刺し貫こうと緑に染まった刃を振り上げた。
風を切って振り下ろされる刃は箱へと鋭く突き刺さるかと思われたが、刃が突き立てられる直前その切っ先は方向を変え、自身を庇うように振り上げられた。
甲高い金属音を立てて緑の刃と深みの濃い青い刃が打ち付けられる。
風にたなびく濃紺の羽織の背には水辺と稲に似た植物で形作られた紋が施されていた。
とっさに身を守った不死川は驚きに目を見開く。
「確実に首を跳ねるつもりだったんだが、一応は錆兎や義勇と同じ柱か」
「テメェ、どういうつもりだァ……
「どういうつもりも何もお前を殺すつもりで刃を振るっただけだが?なにか問題あったか?」
「おおありに決まってんだろ!そもそもテメェは柱でもねェのになんでここ、に」
つい数秒前までアレだけ苛烈に叫んでいた不死川の声がしりすぼみに落ち着いていく。
その理由は目の前に立つ己を殺そうとして男、領海の肉体が満身創痍だったからだ。全身のあちこちから白い包帯が見え隠れし、頭と首にも包帯が巻かれているが、頭の包帯は彼の左目にものばされている。
更には利き腕ではない左腕はだらりと力なく垂れ下がっていた。
「
「はい、階級甲領海弥潮、只今帰還致しました」
「おかえり。それと、どうして今実弥に斬りかかったのかな」
「禰豆子が傷つけば真菰が泣いてしまうかもしれませんので」
「弥潮は相変わらずだね。でも、他の隊士に刃を向けては駄目だよ」
「御意」
「それで、例の件はどうなったのかな」
「勿論、恙無く」
「……流石弥潮だ。信じていなかった訳ではないけれど、まさか本当に一月でやり遂げるとはね」
何のことか理解できない周囲を置いてけぼりにしたまま話が進みより一層どういうことなのか理解できなくなっていく柱と炭治郎。
しびれを切らした同門にして同期の水柱、錆兎が声を上げる。
「お館様、例の件とは一体どういうことでしょうか。それは今弥潮が大怪我をしていることとなにか関係が?」
大怪我と聞いた産屋敷は眉を顰め、側に付きそう二人の娘に現在の弥潮の状態を聞いて一層顔を顰めた。
「無理は禁物と言ったはずだよ。弥潮」
「無論です。嘘偽りなくお約束の件は恙無く終えられたのですが……こちらに帰還する道中で上弦の参と戦闘になり、負傷致しました」
上限の参と聞いてざわつく周囲を無視して当の本人は風柱が禰豆子を再び傷つけないかじっと不動で見つめている。
「お館様!結局の所領海が成し遂げた例の件とは一体なんなのですか!」
大きな2つの瞳を産屋敷に向ける燃える炎のような髪色の男、炎柱、煉獄杏寿郎が明瞭な声音で皆が注目している件の内容について問う。
それを聞いた産屋敷は一つ頷き語る。
「彼が提示した条件は一月の間に下弦の鬼を4体以上滅するというものだった。具体的な結果は本人から聞こうか」
「承知致しました。討伐数は下弦の鬼4体、道中や情報を掴んだものの十二鬼月ではなかった際に討伐した鬼、総数42体を討伐してまいりました」
それを聞いた柱の反応は様々だ。
素直に称賛する者も本当にそんな成果を上げたのかと疑う者。しかし、次の一言で全員がまたかという表情になる。
「真菰と、それからこの背の紋に掛けて
真菰、真菰と先程からちらほら出てくる名前に柱は呆れ顔、産屋敷は笑顔、炭治郎はなぜここで姉弟子の名前が……?と困惑気味である。
そんな弥潮はふと産屋敷の娘の一人が持っていた手紙に視線を落とす。
その文面の中に真菰という単語と腹を切るという内容を発見すると同時に少女が何か言葉を発する暇もなくその手紙を奪い取った。
しまった。そんな声が水柱二人から聞こえたような気がしたと思った次の瞬間には弥潮は地面に倒れ伏した炭治郎の頭を掴んで持ち上げていた。
当然上に乗っていた蛇柱は後ろに放り出されて背中から転げ落ちる。
「おぉぉおい、竈門炭治郎ぉ……。貴様おい貴様妹が人を食ったら真菰がハラキリたぁどういうことだおい貴様ふざけんななんで真菰が切腹だ馬鹿野郎。お前を指導したらしい熱血錆兎とぼんやり義勇が腹を切るのは分かる。本人がそう望むなら勝手に腹でもなんでも切ってくれ。だが、なぜ真菰の名前がここに書いてある?駄目だろおい、てかなにこれ俺以外のみんなの名前書いてあんじゃん俺だけハブかよおいこらどうなんってんだそこの狐二匹」
先程まで丁寧な口調だったのが嘘だったかのように態度が急変した。
突然の出来事に驚いたのもつかの間、悍ましい怒気とも殺気とも取れる気配と匂いをダブルコンボでその身に至近距離から浴びた炭治郎は歯をカチカチと鳴らし、冷や汗が全身を滝のように流れる。
それを見つめる弥潮の瞳はドス黒く何も写さない深淵のようだった。
そんな瞳をギョロリと向けられた水柱二人はまずいことになった、と言わんばかりの苦い顔色である。
助けを求めるような視線を義勇から向けられた錆兎は、意を決して口を開く。
「あー、それなんだがな、やし」
「黙れクソ
駄目だ、もう手がつけられない。
遠い目で空を仰ぎ見た錆兎は少し離れた所に居た隠しにアイコンタクトを送る。
状況を理解した隠しはブンブンと風を切る音がするほどに頭を縦に振って全速力で駆け抜けていった。
その行き先は彼が先程から連呼している同門の真菰が居るであろう場所である。
もうこうなっては彼女にしか彼は止められない。
彼は甲ではあるが、その実力は柱の上位に余裕で食い込める程のものであることは一定以上の実力を持つ者や彼らの周りの人間、そして彼が破壊した痕跡の後片付けを担当する隠達には周知の事実である。
そんな彼は、主に被害を被っている隠を中心にあるあだ名がつけられていた。
柱並みの実力に異常なまでの真菰への執着。
――――真菰柱
彼が実際に柱に就任し、本来の海柱ではなく自身は真菰柱だと公言することでそれがあだ名ではなく本来の名称なのだと誤った情報が隊内に蔓延するのはあと数カ月先の話。
未来の真菰柱
・真菰がすき。なによりも真菰が好き。
・真菰が居れば三食霞だけで生きていける。
・全ては真菰の為に。
竈家長男
・突然どこかから現れたと思ったら頭をわしづかみにされてブチ切れられていた。完全にとばっちり。
・全身の先から冷え込んでいくような恐怖と今まで感じたことのない冷たい殺意の匂いがする。
・圧倒的恐怖。それを見たら終わり。
熱血な方の水柱
・弥潮隊員とは同門にして同期。もうひとりの水柱や真菰と同じく鱗滝左近次に鬼殺の技術を教わった。
・また真菰狂いが始まった……。
・せっかく喋ろうとしたのに躊躇なく言葉を遮られる。