男はそう口にして本を閉じると、フッと軽く笑みを溢して歩き出す。
やあ、いつもこの物語を読んでくれてどうもありがとう。君達のお陰で、この世界もここまで進むことができた。本当に感謝しているよ。
……ん?私は誰かって?ああ、済まない。自己紹介はまだ出来ないんだ。私はまあ、未来に進むものたちの前に現れる妖精みたいなものと思ってくれたまえ。
さて、ここまでSAOの中での物語が続いてきたわけだが……ここで少し視点を変えてみようか。
では、現実の話をするとしよう────
SAO事件。今やそれは全世界に大きな衝撃をもたらした大事件となった。当然さ、ゲームの世界に1万人が閉じ込められ、しかも本当に死人が出るデスゲームなんて前代未聞も程があるだろう?
これによって仮想世界は衰退の一途は免れないかと思われたが……意外にもそうはならなかった。
理由は、仮想世界が医療面でかなり有用であることが示されているからだ。既に国内では、二名の重病患者が仮想世界にアクセスする医療用デバイス《メディキュボイド》の臨床試験を受けている。1人は白血病の少女、もう1人は不治の病であるAIDS患者の少年。そんな彼らにとって、仮想世界はリハビリとしても有効だったんだ。
また、仮想世界は高齢者にとってもかなり魅力的なものだった。老化によって現実の身体は衰えてきているが、仮想世界ではそうはならない。幾ら高齢といえど、脳がしっかり機能しているわけだしね。
この面で、仮想世界はまだ捨てたもんじゃないと言う意見が出て、あんな大事件があったにも関わらず仮想世界は大きな広がりを見せている。
その一つとして、SAOを基に開発された新たなVRMMO、《アルヴヘイム・オンライン》通称《ALO》が今や世間を賑わせていた。あ、私も楽しませてもらっているよ。
そこは一言で言うなら妖精の世界。プレイヤーは九つの妖精種族に分かれ、ALOの中心にそびえる『世界樹』を目指し、そこにいる妖精王『オベイロン』なるものにあって上位種族『アルフ』に生まれ変わることが大きな目標、とされてるらしいけど……私はぶっちゃけ、この話を信じちゃいないんだよね。何故かって?ALOがサービスを開始してから丸一年、誰もこれをクリアしてないからだよ。おかしいだろ?幾ら難解なゲームといえど、一年もすれば1人くらいはクリア者が出るはずなんだ。私はこれを、『絶対にクリアできないゲームになってる』と見ている。
ま、私自身はアルフとか興味ないからどうでもいいんだけどね。
さて、これまでのALOは各種属が絶妙なバランスを保って平和を維持していた。その大きな理由は、世界最強のプレイヤー《星海坊主》の存在だ。彼にはたった1人で一つの妖精種族を容易く滅ぼせる程の力があった。だからひとたび種族間で闘争が起きようものなら星海坊主が介入して両勢力に大きな打撃を与える…とまあ、彼は一種の抑止力であったわけだ。
ところが……そのバランスは突然崩れた。星海坊主が消えたからだよ。バランスを保っていた抑止力である彼の消失はかなり大きかった。
先ず台頭して来たのはサラマンダー勢力だ。星海坊主の次に最強と称されるサラマンダー将軍のユージーンを筆頭に、彼らは隣のシルフ領に侵攻を開始した。それに対抗してシルフはケットシーと手を組んで応戦したが、サラマンダーの勢いは止まらなかった。噂では、サラマンダー隣接地域ではシルフ族のプレイヤーの虐殺やリンチ、中には女性プレイヤーに対するレイプ紛いの行いまであったそうだよ。全くひどい話だね。私は干渉してないけど。ま、ALOは基本PK推奨のゲームな訳だし?
しかし、サラマンダーの勢いは長く続かなかった。
突如、シルフに侵攻するサラマンダーの反対側からスプリガンが攻めて来たからだ。スプリガンって、あまり戦闘向きの種族じゃないんだけど、彼らは簡単にサラマンダーを鎮圧した。
その要因は、2人の女性プレイヤーの存在があった。1人は、新たにスプリガンの長となった赤い二槍流の戦士。通称『影の国の女王』と呼ばれる者と、もう1人はかつての世界最強の《星海坊主》の実の娘って言う噂がある二刀流の侍、『ブリュンヒルデ』。
いやはや、スプリガンってサラマンダーからはかなり遠いはずなんだけどね?ウンディーネとインプ領を跨ってわざわざやって来るとか、何かシルフに思い入れでもあるのか……
まあともかく、スプリガンの勢いを止められなかったサラマンダーは大打撃を受けることになり、今じゃかなり大人しくなってるよ。
これを機に、いわゆる一騎当千の強力なプレイヤーが各種属に現れる事になった。
シルフには有能な情報収集、索敵、参謀や捜査能力を持つ人呼んで『風来の探偵』。
インプには高度な反応速度を持ち、圧倒的な剣の実力者である『絶剣』。
サラマンダーには何かスーパーケルトビッチなアイドルプレイヤー。何かすごい規模のファンクラブがあるらしいけど。
スプリガンにはあの救国の聖女の名を持つ『竜の魔女』と呼ばれるプレイヤー。
ウンディーネにはあの『影の国の女王』の弟子らしい『不死身の槍兵』。
そしてプーカには『花の魔術師』と呼ばれるこの私……おっと、もうこの時点で大体私の正体に気づいちゃったかな?
こんな風に、強力なプレイヤーが現れた事によって今のALOは種族間で争うのではなく、寧ろ種族に関係なく競いあったり時にチームやギルドを組んで共に戦ったりと、個人での遊びを重視する傾向になった。いや、私にとってはいい傾向だよ。種族でどうこうなんて、私の柄じゃないからね。
さて、ALOの話はこれくらいにしてもう一度現実に話を戻そう。
仮想世界が医療面で重宝されると言ったけど、もう一つ仮想世界には有用な面があった。
それはアイドルのライブだ。ライブって全国あちこちで開かれるもんだから、移動するには時間もお金もかかる。追っかけで行くような人間はそれこそそのアイドルに全てをかけられる者だけだ。
しかしライブをVRでやればどうなるか?全部仮想世界でやっちゃえば、ライブに参加するのに必要な手段はサーバーにログインするだけ。それなら自宅からでも参加できるよね?
このように、仮想世界は音楽の面でも非常に重宝されている。
例えば、今や世間を賑わせている天才科学者、七色・アルシャービンって言う子がいるんだけど、彼女はVRでライブをやって資金を集めてるんだ。中々ちゃっかりしてるね。
しかもこの七色・アルシャービンって子、年齢は僅か12歳。いや全く、そんな歳で世界に名を馳せる研究者とかどうなってるんだと言いたいけど、まあそう言うこともあるんだろうさ。にしてもあの子……将来が有望だね、色んな意味で。
ともかく、仮想世界が広がりつつあるのは彼女の功績もまた大きく貢献しているんだ。中には、『光の七色博士・影の茅場晶彦』なんて言葉があるくらいだし。
さて、ここまで長々と現実の話をして来たわけだけど……
デスゲームはまだ終わってはいない。SAOの終結は、外からの干渉が出来ない以上中に閉じ込められた者達の奮闘にかかっているだろう。私も、その行く末を黙って見守る事にするよ。
さて、現実の話はここで一旦終わるとしよう。何せこれ以上は、まだ少し先の内容だからね。
では諸君、私はこれにて行くとするよ。この物語が、SAOのクリアまで描かれる事、そしてその先で、君たちとまた会える未来が来る事を祈っているよ────
場所は変わって、全てが0と1の数式データで構成された仮想世界《ソードアート・オンライン》。
時間は深夜。既に人々は各々の拠点へ戻り、眠りについている。
七十六層の街の中央、アークソフィアの転移門に青白い閃光が走る。
光が止むと、そこには1人の女性がいた。
スラリとした体型に純白の和風の着物。黒い艶を放つやや長めの髪。月明かりを反射し青白く光る素肌。
カーソルはあるものの、キャラクター名の所には《???》と書かれているのみ。
頭部には被り物をしているためその表情を深くは読み取れないが、露出した口元は優しげな笑みを浮かべている。その姿はとても美しく、それでいてとても神秘的で、儚げに映った。
「───ふふふ。私がここに降り立つだなんて、どんな間違いかしらね」
女性は穏やかな口調でそう呟くと、嫋やかな仕草と共に歩き出す。
それは本来、現れるはずのないモノ。逢瀬する事のない貴人。
しかしそれでも……もし出会うことがあるのなら……
それは誰もが寝静まった雪の日に────