インフィニット・ストラトス リビルドワールド 作:しびれあくせる
綾とセシリアは、ラウラとシャルロットのシェアルームにて正座させられていた。
目の前には部屋の主であるラウラとシャルロットだけでなく、本音も同席しており、全員が全員腕を組んで威圧するかのように見下ろしてきていた。
一応、一夏も同席してはいるが、邪魔にならない様ソファから様子を伺っている。
無言の重圧を受け始めて10分が経過し、正座慣れしていないセシリアが涙目になっていると、ようやくと言っていいタイミングで本音が口を開いた。
「・・・では証人。被告の罪状を述べてください」
「裁判ですの・・・?」
セシリアの突っ込みを無視して頷いたラウラは、一歩前へ出て手にした紙を読み上げる。
「被告は先週、ラウラ・ボーデヴィッヒ・鶴守が入院している間、IS学園休校の合間を縫って鶴守 綾と千葉県にある遊園地へと二人で出掛けていた事が判明しました」
「被告、それは事実ですか?」
「まぁ・・・事実ですが」
隠す事でもない、と言いたげに答える綾。
対してセシリアはどこか恥ずかしそうに眼を閉じてぷるぷると俯いている。
続きを、と促す裁判長たる本音に頷き、証人ラウラは続ける。
「泊まりにまでは至らなかったものの、一日楽しく過ごして帰って来たらしい事をセシリア被告のルームメイトである如月キサラ氏から証言を得ております。こちら、証拠のおみやげに買ってきたと思われるキーホルダーです」
アヒルのキャラクターが刻印されたガラス製のチェーンストラップを自撮りしている写メを提示され、恨めしそうな顔でルームメイトへ想いを馳せるセシリア。
うむ、と厳めしい表情で頷いた本音は、シャルロットへと意見を求めた。
「では検察側の意見を」
「し(りたたき)けいを要求します」
「承認」
「待って待ってお待ちになって!!弁護人の意見を省略してはいけませんわ!!」
あくびをする綾以外の全員からの視線を受け、一夏が「俺!?」と自分を指差す。
「え、えっと、遊園地に行くのの何が悪いのか分かんな・・・」
「弁護人の主張を終了します」
「最後まで言わせろよ!」
途中にしてぶった切られて思わず抗議する一夏を無視し、裁判長は判決を言い渡す。
「というわけで、判決は『ドキドキ!セラちーはぢめてのデート大暴露大会』とします」
「「わーい」」
かくして、悪ノリする本音とラウラ、割と表情が真顔なシャルロットによるセシリアいじりが始まった。
たらたらと汗を流し、しどろもどろになるのはセシリアだ。
「あ、あの、三日後に臨海学校も控えてますし、今日はお開きにしませんこと・・・?ほら、準備とか、ありますし・・・」
「タスク重要度の問題的にこちらのほうが優先的です」
「いえいえ!それにほら、早めに休まないとお肌の調子が・・・」
「夕べ遅くまでトレーニングしていたおまえが何を言う」
「ええと、その、その・・・」
「いいから。というか何で黙ってたの?隠し事するキャラじゃないよね?」
「こ、これには深いわけが・・・」
目の焦点が合わずにおたおたと両手を彷徨わせるセシリアに、退屈そうな綾が諭すように言った。
「別に話してもいいのでは?ただ約束を守ったというだけの話ですよ」
タッグトーナメントにてセシリア&シャルロット組であるチーム【シャル・ウィ・ダンス】が、チーム【シュヴァルツェ・ハーゼ】と対戦する直前。
セシリアは綾に『この戦いが終わったらデート、場所は遊園地』と約束していたのだ。
本人としては自分を追い詰めるための勢いで言っただけの口約束であったのだが。
いたずらに近い軽いノリで本当に誘いに来た男がいたのである。
「だ、だって!本当にデートする事になるなんて思いもしませんでしたのよ!?」
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セシリアは思い返す。
あの日の朝、部屋のノック音に気付いて玄関を開けた彼女が見たのは、いつもよりめかしこんで髪型もキメにキメてやってきた綾の姿であったのだ。
ドレスシャツにカジュアルネクタイ、小洒落たチェーンの付いたベストの胸には白いハンカチが飛び出ており、見るからにブランド物の革靴とスラックス。
さながら若紳士のようないでたちの彼にどきりと胸を高鳴らしたセシリアへ、綾は柔らかな微笑みと共に手にした花束を彼女へと捧げた。
「お迎えに上がりました、プリンセス。お手数ですが出掛ける仕度をして頂けますでしょうか」
「え、え、ど、どうしましたの、リョウ?出掛けるって、どこへ・・・?」
「約束したでしょう。遊園地へエスコート致します。ご注文通り褒めつくし、猫可愛がりして差し上げましょう」
「え、え、え、え、ええええぇ!?」
突然のサプライズに顔を赤くしながら花束を受け取るセシリア。
確かに本日は特に予定も無く、先日の疲れを癒したいと考えていたところではある。
しかしこんな唐突に、年の近い男性からの誘いを――且つ、己の男性嫌いを払拭するきっかけとなった男からの口説きを受けるなど、想定すらしていなかった。
「し、し、し、しばし、お、お待ちに、なって?」
「ええ、ごゆっくりどうぞ」
半ばパニック状態と化したセシリアは、思考を停止させて部屋へ戻り、花瓶へ花束を生け、髪型と服装を整え、よそ行き用のバッグを手にして、何度も鏡で自分の顔とにらめっこを行う。
納得いくまでアイラインを書き直したセシリアがようやく部屋から出ると、好奇の眼差しを受け、ひそひそと他の女子から指差されつつも、気にせず崩した格好で待つ綾へと話しかけた。
「お、お待たせ、しましたわ、リョウ」
「いえ、全然待っていないですよ。ああ、今日はいつもより顔立ちが整っていますね。アイメイク、少し変えましたか?」
「・・・そういうとこ、ちゃんと見ているんですのね」
「勿論」
にこりと微笑む綾に、かちこちに固まった風のセシリア。
「貴女は僕にとって最初のライバルで、素敵なヴァイオリンを奏でる、気高く魅力的な女性です。目を離すような事などありませんとも」
(くっ、このっ、歌うようにすらすらと嬉しい事を・・・!)
恥ずかしいセリフに顔を赤らめつつも、にやけそうになる口元を手で抑えて誤魔化そうとするセシリアはしかし、大きく深呼吸する事でどうにか平静を保ち、下から睨むように綾へ面と向かう。
「い、言っておきますけれど、こ、こんな事でわたくしがアナタになびく事などありえませんのですわのよ!?」
「ははは、舌が回ってませんよ?セラは可愛いですねぇ」
「そ、その甘やかすような態度やめて頂けませんこと!?」
ついには肩で息をし始めたセシリアを慈しむような眼差しで見つめる綾は、腕時計へと目をやるとごく自然な動作で彼女の手を取った。
「~~~~~~~◎☆※@%$#+▽◇!!!???」
「それでは行きましょうかマドモアゼル。今日一日、僕が貴女のナイトを務めましょう」
どんな育ち方をすればそんな科白がすらすら出て来るのかと問い質したいところであったが、初めて異性の手を握ったセシリアのキャパシティは限界を超えており、そんな余裕も無い。
何人かの生徒にはその様子を見られていたようだがまるで意にも介さず、綾はセシリアの細くしなやかな掌を握ったまま校門前まで辿り着くと、待たせてあったタクシーに座るようセシリアへ促した。
自動で開いた後部座席の扉の中へと恐る恐る入り込み、それを確認した綾が扉を閉め、逆側から乗り込む。
「では、お願いします」
「はい、千葉デスティニーワールドですね」
事前に伝えてあったのか、了解して黒塗りのクラウンを発進させる運転手。
もし本日セシリアに用事があって断ったらどうするつもりだったのかと考えるが、狭い室内で隣に座る綾の存在が緊張感を高め、喋るどころではない。
車内はラジオが流れる事も無く静か。
時折、タクシーの無線が鳴る程度である。
ちらり、と綾の方を見れば、すぐに気づいて微笑み返されてまた目を逸らす。
タクシーが高速道路に乗ったところで、運転手が気を利かせたのか背後の年若いカップルへと話しかけてきた。
「学生さん、今日は遊園地デートかな」
「デッ・・・!?」
「ええ、初めてのデートです」
「デェエ!?」
思わず声をひっくり返らせるセシリア。
あっさりと返事をする綾に、バックミラー越しに微笑ましそうな表情を見せる運転手。
「そうかそうか。そのためにカッコいい服着てタクシーまで呼んじゃったわけだ」
「ええ、彼女には忘れられない思い出を作って頂きたいもので、奮発してしまいました」
「なるほどねぇ。お嬢さん、良い彼氏を持ったねぇ」
「カレッ・・・・・・!!」
もはや反芻する事さえ難しい程に、セシリアは体温を向上させオーバーヒート気味となりレスポンス遅延を発生させていた。
下手をすると、車の天井にセシリアの頭から出た湯気で雲が出来かねない。
そこまで小柄というわけではないセシリアが縮こまってふるふると震えていると、綾は胸元のハンカチを取って彼女の額に浮かんできた汗を拭きとった。
「リョっ・・・!?」
「ほら、動かないで。緊張しすぎは良くありませんよ。僕だってデートの経験は少ないんです、お互い固まってしまっては楽しく過ごせません」
「嘘ですわ!?でしたらどうしてこんなこなれてますの!?」
「女性への作法はお爺様に叩き込まれておりますので。ふふ、僕が余裕そうに見えますか?」
ハンカチを戻しながら笑う綾をまじまじと見て、セシリアは彼の首筋に一筋の汗が流れているのに気付く。
「リョウ、アナタ・・・」
「ああ、失敬。お見苦しいところを」
シャツの襟に汗を染み込ませた綾が、心配ないと言いたげに優しく微笑む。
「セラ、貴女は自身の魅力を知るべきだ。僕とて大人の女性が好きと常に言ってはいますが、同年代に魅力を感じないと言っているわけではない。貴女ほどの女性とデートするとなれば、僕だって健全な男子だ、緊張だってしますとも」
ぽかんとした様子で聞いていたセシリアであるが、綾の話を聞いているうちに頭に上った血が下がっていくのを感じる。
「そ、そう。そうですのね。リョウ、わたくしを女性として意識しているのね・・・」
「とはいえ僕だって身持ちの固い方です。簡単に恋に発展する事も無いと自負しています。それでも、貴女といるこの空気とこの緊張感は、どことなく心地良い」
「緊張感が、心地良い?」
「僕やラウラと戦う際、多少なりの緊張はしませんでしたか?あれと同じです。適度な緊張感は集中力を高め、パフォーマンスを上げる」
「ああ、わかる。わかりますわ、リョウ!」
アスリート特有のゾーンへと入る条件とでもいうべきか。
そういったメンタルへの負荷がパワーとなる事があるのを、セシリアは身をもって知っている。
「つまり、デートとはISでの戦いと似ていると、そういうことですのね!?」
「その解釈で良いでしょう。相手を意識し、適切なタイミングで気遣い、そして楽しむ。同じ時間を共有して相手を知り、自分を知ってもらう。ほら、僕の理念とも合致している」
「相手と分かり合うための戦い、ですわね!完全に理解しましたわ!」
セシリアの緊張感をほぐすべく、普段慣れ親しんでいるISに例えて語った綾は、手ごたえを感じたのかにこりと笑みを浮かべた。
「緊張するという事は相手に好意的感情を持っているという事です。僕は貴女が緊張してくれている事を嬉しく思う。セラ、改めて本日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそお願いしますわ!この緊張感を乗り越えて、必ずこのデートに勝利をもたらして魅せましょう!」
少しベクトルがずれたものの、余裕が出てきたセシリアである。
「・・・若いっていいなぁ」
小声で呟く運転手の声はどこに届くでもなく、海の上を走るハイウェイを駆けるタクシーは遊園地へと向かう。
デートの勝利というのがどこにあるのかセシリアは理解していない様子であるが、ともあれ意気は揚々である。
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前払いチケットで入場口を通り過ぎた綾とセシリアは、どこか海の香りの漂う広場へと立った。
天候は晴れ、平日のためか客数はまばら、色とりどりの地面の模様、白いフェンスと様々なアトラクション、見知った覚えのあるキャラクターの売店。
子供の様にはしゃいでステップを踏むセシリアの一歩後ろを歩く綾は、眼鏡の中弦を指で押し上げると楽し気に声をかけた。
「まずはどこへ行きましょう。リクエストはありますか?」
「観覧車に乗りたいですわ!明るいうちにこの園内を一望してみたいの!」
「御心のままに」
事前にアトラクションの場所を調査していた綾は、腕時計とリンクさせている眼鏡型デバイスにルート表示させ、セシリアの手を取って歩き出した。
手から伝わる男の体温に紅潮しつつも、迷いなく歩く綾を頼もしくも思うセシリア。
果たして、幼い頃に自分を遊園地へと連れてきた両親は、こんなにも手際が良かっただろうか。
そんな事を思い出そうとしているうちに、10分ほど歩いた頃に観覧車の元へと辿り着く。
一日パスを提示して、ほとんど並ぶ事無く観覧車へ乗り込む二人。
がこん、と大きく揺れ、ゆっくりと円を描いて上へと登っていく小さな揺り籠の中で、セシリアは窓の外へとかじりつくように縋って瞳を輝かせた。
水平線は流石に見えないものの、太陽が近く、派手なつくりの建物や、人造の山、古風な街並みのセットが見渡せる。
「見て、リョウ!人や乗り物があんな小さく!普段ISで見ている空とは全然違いますのね!」
「ええ、ここは肌を叩く風も無く、せわしない操作感も無い。ただ静かに園内を展望できますね」
「そう、そうなの、そうですの!わたくし、それが言いたかったの!」
綾の言葉に大きく頷いて笑顔を向けたセシリアは、今度こそ綾と二人きりという状況に気付き、また頬を染めた。
タクシーの中とは違い、今度は運転手もおらず、誰も見ていない狭い個室の中である。
意識して会話を途切れさせてしまったセシリアは、沈黙に耐え切れずに綾へ言う。
「な、何か話しなさいな、リョウ」
「ふふ、もう外を見るのはいいんですか?」
「ちょ、ちょっと休憩ですわ!」
悟られまいと頬を膨らませるセシリアが爪先で脛をつつく。
「無理して何か話す事もないでしょう。気まずいと思うのではなく、互いに同じ景色を心で共有していると考えればいい」
「なんですのそれ?会話が思いつかないその場しのぎでなくて?」
「ほら、例えばあれを見てください」
窓の下へと向けられた指先を追うと、子供が手放したと思われる風船が上ってくるのが見える。
「・・・風船ですわ?」
「そう、ただ風船が飛んでいる、と見過ごすのもいいでしょう。けど、風船を持っていた人が手放すまでにも、その後にもきっと物語はある」
「親に買ってもらった風船を、手放す物語?」
くりっと首を傾げるセシリアが小動物のようで、つい笑ってしまう綾。
「とある少年はあの風船が欲しくて仕方が無かった。そんな我が子が可愛くて親は風船を買ってあげました。少年は喜んで、見せつけるように手に持って、もう片方の手は親の手を握って歩きます」
Ifの物語を語りだす綾の、芝居めいた話に耳を傾けるセシリア。
「しかし、通りかかった年の幼い少女が、少年の風船を羨ましそうに見つめます。少年は迷いながらも、何も手に持っていない少女が可愛そうに思い、手に持った風船をあげようと手を差し伸べます。ところが」
「そこで風船を、手放してしまった?」
「そう、それは心の奥で親からのプレゼントを渡したくないという思いがあったからかもしれません。もう還らずに登っていく風船を嘆く少女、泣き出しそうな少年。さぁ大変だ、これではバッドエンドまっしぐらだ」
「それは・・・でも、仕方ありませんわ。不注意だったのがいけませんのよ。今後は手渡せるまで気を付けるようにしませんと」
困ったように頬へ手をやるセシリア。そんなセシリアを綾は指を差した。
「ふふ、セラはわりとリアリストなんですね。またひとつ貴女を知れました」
「な、なんですの?情がないとでもいいたいの?」
「違いますとも。けれどここからハッピーエンドに繋げるための発想はある」
理解の外にあった、諦めてがっかりして今後の教訓にするだけでなく、それでも今日を楽しく過ごすにはどうするかという考え方。
それは思考を最後まで止めない、綾という男ならではの発想法。
「新しい風船を買ってくるのもいい。手放した風船の代わりにお互いの手を繋ぐのもいい。取り戻せないものがあったとしても、心を埋めるための行動は、いつだってそこにある」
「・・・リョウは、ハッピーエンドがお好きですの?」
「物語に区別などしませんとも。でも僕なら、最後まで笑って一日を過ごすために想いを巡らせ続けます」
最後まで諦めない。それは、セシリアやシャルロット、モルドスライムと戦闘した時もそう。
最後に笑っていられるように、彼は周囲を巻き込んででも意志を貫いた。
それに倣ってセシリアは、少年と少女が笑ってこの後を過ごすために考える。
きっと少女の親が娘のために風船をたくさん買ってきて、そのうちの一つを少年に手渡すのだろう。
今度こそ、空へ逃げてしまわぬように、手を繋いで。
「・・・ほらね。同じ景色が見えたでしょう?」
「こ、答え合わせもしていないのにそんな事がわかりますの?」
「過程が違ったとしても、結果はきっと同じでしょうとも」
少年と少女が、笑って歩くその姿。
ああ、なるほどとセシリアは納得する。
小賢しい理屈などいらないのだ。それは想像するだけでいい。
どうせ想像するのなら、優しくて明るい想像の方が幸せではないか。
きっと、目の前の男ならそんな美しい結末を考えるのだろう。
例えこの場に言葉が無くとも、語りつくさなくとも、分かり合えることはあるのだ。
「リョウが何を考えているか、何を見ているのか、想像して、慮る事もデートですのね」
「少なくとも、僕はそう解釈しています。セラは本当に優秀ですね」
「ほ、褒めたって何も出ませんわよ!」
「僕が褒めたいだけですよ」
包み込むような温かい笑顔から顔を背けたセシリアは、ふいに窓の外から手を繋いで歩く少年と少女が見えた気がした。
それが気のせいでも見間違いでも、なんだかセシリアは微笑ましい気持ちになるのだった。
その後も昼食を挟んでジェットコースター、メリーゴーラウンド、コーヒーカップ、フリーフォールとアトラクションをこなし、気付けば夕方前の時刻となっていた。
「さて、名残惜しいですがこのあたりで帰りましょうか。学園から門限を決められてますのでね」
「あら、そういえばそうでしたわね・・・もう少し居たかったですわ」
心底残念そうなセシリアの手を軽く握り返し、綾が歩き出そうとした、その時であった。
目の前を歩く一組のカップル。
そのお腹を大きくした女性が、突然、うめき声をあげて前のめりに倒れこんだのだ。
「しょ、翔子!」
連れ合いの名前を呼んで駆けよる男性。
綾は、思わずセシリアの手を離してそこへ走り寄った。
「大丈夫ですか!ケガは!?」
「うぅ・・・っ!痛い・・・!なんで、安定期で、出産予定日だって・・・!」
「お、おい翔子!しっかりしてくれ!」
パニックに陥る両人。
ひたすら痛みを訴える女性と、頭の中を真っ白にしてうろたえる男性。
「落ち着いて!すぐに救急車を呼んで下さい!僕が園内の救護係を呼んできます!」
女性を仰向けにし、脱いだベストを畳んで枕代わりにしながら綾が指示する。
「あ、ああ!」
ようやく我に返った様子でスマホを取り出した男性を確認すると、綾は呆気にとられた様子のセシリアへと向けてすまなそうな顔をする。
「申し訳ありません、セラ。先に学園へ帰って、僕が門限を破る旨をお伝え頂けますか」
「えっ?でも、リョウ・・・」
「17時に先程のタクシーが入口で待っている筈です。では・・・!」
言うが早いか、走り出す綾。
引き留める間もなく、セシリアが伸ばした片手が宙を舞う。
救急車を呼び、うめく女性の手を握って名前を呼び続ける男性と、既に姿も見えなくなった綾の後姿を交互にみつめ、セシリアは一歩、後ずさった。
どうすればいいのか分からない。
自分もこの夫婦らしき二人を支えてあげるべきか。
それとも、綾の言う通り待っているタクシーへと向かうべきなのか。
急に不安が襲い掛かり、沈み始めた夕日がやけに暗く感じる。
ISでの戦いならば迷うことなく引き金を引けるのに、こんな時だけ何も考えられない自分が情けない。
「どう、すればいいの?どうすれば?」
ざわざわと人が集まり始め、セシリアが手を出すまでもなく他の客の何名かが女性を抱え、近くのベンチへと運び、温かな声をかける。
残された綾のベストを震える手で拾い上げ、放心した表情で抱きしめる。
セシリアの返事を待つ事無く、綾は走り去った。
怖かった。
それまで隣にいた、笑い合った、心が通じ合っていたと思っていた彼が、自分から離れていってしまった、その現実が。
気付けば彼女の瞳から、ほろりと一筋の涙が零れた。
何が悲しいのだろう。突然一人になってしまった自分だろうか。
何が辛いのだろう。咄嗟に行動できなかった己の心の弱さか。
助ける事も、逃げる事も出来ずに立ち尽くすセシリアは。
ただただ、遠巻きに介抱されている女性の姿を見つめる事しか出来なかった。
ほどなくして、救護スタッフを伴った綾が戻ってきた。
担架に乗せられ、入り口付近まで駆けつけてきた救急隊員へと引き渡し、男性と共に救急車にて去っていく彼らを見送り、すっかり整えた髪を乱してしまった綾は安心したように溜息を吐いた。
「結婚記念日だったそうです。まだ出産予定日は先だったようですが、それでもこの日を大切にしたかったのでしょう。結果、お腹の赤ちゃんが怒ってしまったみたいですね」
苦笑いしながらセシリアを振り返ると、彼女は、恨めしそうな顔で綾を睨むと、双眸からボロボロと涙を流して、綾の胸板へと駄々をこねるように握った拳を当てた。
「セラ?」
「なんですの。なんですの、なんですの、なんですの!どうして置いて行ってしまったの!どうして帰れなんて言うの!なぜ、わたくしにも手伝わせてくれなかったの!」
頭を押し付けたまま、両手で叩き続けるセシリアに、困惑する綾。
枯れた涙声でセシリアの罵倒は続く。
「わたくし、何も出来ませんでしたわ。あなたの様にあの人を介抱する事も、あの男性を元気づける事も、誰かに声をかけて助けを求める事も、あなたの言う通り帰る事も!」
次第に弱々しくなっていくセシリアの手には、いまだ綾のベストが握られていて。
「あなたを、待っている事しか、出来なかった・・・!」
顔をあげたセシリアは、出発の時に褒められたアイラインをぐずぐずにして、彼の瞳を見つめて涙を隠そうともしなかった。
「寂しかったの。怖かったの。今日、本当に、本当に楽しかった、幸せだったから。それなのに、急にあなたがいなくなったら、それが全部、嘘だったんじゃないかって」
セシリアが感じていたのは、喪失感。
突然足場を失ったような絶望感。
いつか、両親を喪った時と同じ、目の前の見えない悲しみが、再び彼女を襲ったのだ。
「セラ・・・」
「お願いよ、リョウ。もう、わたくしを一人にしては嫌・・・!」
泣きながら、綾の腰へと手を回し、逃がさないと言わんばかりに力を込める。
綾はその気持ちが痛い程に理解出来た。
彼とて突然に両親を喪った身である。
大切な人が離れていってしまう辛さを、彼女にも味合わせてしまった。
ここまで完璧を演じてきた彼の大失態であり、それは彼の纏うメッキを剥がすに足る後悔でもあった。
「・・・ごめんなさい、セラ」
抱き返し、柔らかで美しい金髪を優しく撫でる。
「僕のミスでした。貴女にふさわしい男を演じるのに必死で、貴女を誰とも知れない架空の女性の様に扱ってしまった。相手がセシリア・オルコットならば、この手を離すべきではなかった」
自分の勝手で迷惑をかけられないから気にせず帰ってくれ、ではない。
セシリア・オルコットならば、きっと自分と共に走ってくれただろう。
割れ物を扱うように、丁寧に接した本日の態度が、完全に裏目に出た形である。
夕日が沈み、月が夜を照らす。
遠くではナイトパレードの豪華な光と、けたたましい音楽が響く。
「泣かないで、セラ。僕の大切なセシリア。どうか、愚かな僕を許してほしい」
「・・・許しませんわ。ずっと、ずっと根に持ってやるんだから」
「困ったな。それじゃ今日という日を笑って終われませんよ」
ぐすりと鼻をすするセシリアの青い瞳を見つめ返す。
申し訳なさそうな、困ったような笑顔の綾から目を離さない。
「そこで諦めるあなたではないでしょう?どうすればわたくしが笑顔で帰れるか、ちゃんと考えて、想像して、慮りなさいな」
「そうですね」
頭を撫でていた片手でセシリアの涙を拭い、頬へと添える。
そうするのが当たり前であるかのように、ゆっくりと瞳を閉じる。
お互いの吐息がかかる程にその距離は少しずつ縮まり。
ふたりの唇が重なる瞬間を、月明りとパレードの光がまるで彩る様に照らした。
色々と察して喫煙所で煙草をふかしていたタクシーの運転手へと謝って、共に帰路へとつく綾とセシリア。
後部座席に座る彼らの間にあるのは、無言。
アクシデントや勢いがあったとはいえ、恋人と定めたわけではない異性と初めてのキスを交わした。
もはや気まずくて会話どころではない。
やってしまったという、誰に向けられているかもわからない罪悪感、理解の追い付かない高揚感、いまだに胸を打ち続ける鼓動、柔らかな感触。
普段平静を保っている綾ですら魂の抜けた表情で窓の外を見ている。
セシリアに至っては、ハンカチを顔に乗せて上を向いたまま。
その薄い布の下では、充血した瞳が熱くて眼球が乾きそうになっていた。
ただ、お互いに繋いだ手だけは放そうとしないのだ。
「・・・若いねぇ」
懐かしむかのように呟く運転手が目的地へと到着した事を乗客へと告げると、綾は待たせてしまったチップも込みで金額を払い、走りゆくその後姿をセシリアと共に見送った。
門限を破る事を連絡し忘れた事により、守衛に呼び出された千冬から叱りつけられるも呆けた二人に張り合いを感じないのかすぐ解放され、綾はおぼつかない足取りながらもセシリアを部屋の前まで送り届けた。
「で、ではセラ。良い・・・夢を」
「・・・・・・・・・・・・うん」
いつものお嬢様口調ではなく、子供の様に頷くというギャップにヤられそうになりつつ、綾はぎくしゃくと背を向けて自室へと向かう。
「リョウ」
呼び声に振り返ると、小さく手を振るセシリアが、
「また、いこうね」
頬を染めて微笑むのを見て、可能な限り格好良い自分を引き出し、
「もちろん。また、ふたりで」
そう言い残し、二本指を振って歩き出した。
お互い、きっと本日の事は忘れられない思い出となるだろう。
ばたりと自室の扉を開け、ルームメイトからおかえりと声をかけられるも、綾もセシリアもずるずると玄関に背をつけたまま崩れ落ち、顔中を真っ赤に染めあげて、
「「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」」
学園中に響き渡らんと、一日の感想を凝縮して叫ぶのであった。
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一部始終を語り終えたセシリアは、あまりの恥ずかしさに土下寝して頭から湯気をくゆらせていた。
一方で何とも無さそうに口笛なんて吹いている綾であるが、一夏は気付いていた。
(こいつ・・・照れ隠しに心を凍らせてやがる・・・!)
一夏は、相棒の眼鏡の下の瞳がハイライトを失って冷凍イカの様になっている事を見逃さなかった。
話してもいいのでは?なんて余裕こいていたのも、いつかこんな事もあるだろうと無心になる訓練でもしていたに違いない。
言われてみればあの日、帰ってきた綾の様子は確かにおかしかった。
何を言っても生返事、普段はいびきもかかない奴が寝ている最中ずっとうめき声をあげ、朝になると目の下の隈が眠っていない事を如実に物語っていた。
知らないところで秘密特訓でもしていたのだろうと思っていたのに。
さておき、魂の抜けた顔をしているのは本音とシャルロットも同じであった。
自分達の好きな男子が、完全に想定外の、綾に気が無いと思っていたセシリアに、初デートどころか初キスまで奪われていたのだから、さもありなんといった風ではある。
ラウラといえば、ぽちぽちとスマホをいじって元部下であるシュヴァルツェ・ハーゼ副隊長であったクラリッサ・ハルフォークへとメッセージで質問をしていた。
若干、テンション高めとわかる返信内容からすべてを察したラウラは、ベッドの上へと立ち上がって見せびらかすようにスマホを一夏へと向けた。
「見ろ、一夏!キスというのは愛し合う恋人同士がお互いの心を通わせるために唇を重ね合う、愛の証明であるとクラリッサが言っていた!」
「ぎゃーーーーーーーーっっっ!!!!」
キス、という単語に反応して悲鳴と共に顔を覆って転がるセシリアと、池の鯉のように口をパクパクさせる綾。
「これは我々もやるしかないな。唇を差し出すが良い、一夏!」
「な、何でそうなるんだよっ!?」
「おまえがわたしの嫁だからさ!」
唇を尖らせて飛び掛かるラウラを回避して部屋の中を逃げ回る一夏。追うラウラ。
「せ、せせ、セラちーは、りょーちんと、つつ、付き合ってるの?」
ふるふると震えてダンゴムシのように丸まっているセシリアであったが、どうにか我を取り戻した本音からの問いかけに、ゆっくりと振り向いた。
「分かんないんですのよぅ・・・わたくしのこの気持ちが、果たして恋なのか、リョウの事がすっ、好きなのか、自分でもわからないんですのぉ・・・」
ずっとオルコット家の後継ぎとして強く生きてきた。
ISと共に、並み居る強豪を打ち倒してイギリス国家代表候補まで登りつめた。
声をかけてくる男共など、歯牙にもかけず切り捨ててきた。縁談だって全て断った。
心惹く男もいなければ、男性そのものを蔑視し、敬遠していた。
それを打ち砕いた綾を見て認識を改め、音楽を通じて心通わせ、尊敬と信頼を向けた。
そんなセシリアだから、恋慕という感情が理解出来ない。否。
もしかしたら本能では認めているのかもしれないが、これまで鉄の様に生きてきた生き様が、理性が、それを許さないのだろう。
一般的な愛情というものに、慣れてないが故の葛藤であった。
「じゃ、じゃありょーちんは?」
「とぅむぁるぁぬぁいすっぴぃどぉでぇい、うぉむぉいわぁあっふれぇてぃくぅ」
「りょーちん!起きて!真面目なはなしー!!」
遂には現実逃避に歌まで歌い出した綾を揺さぶる本音。
「何度も言ってるでしょう・・・僕は・・・大人の女性が好きなんですよ・・・甘えさせてくれるような・・・そんな人が・・・」
綾が常々言っている事ではある。
だが、彼とてまだ十代の経験が足りない小僧である。
甘えさせてくれる存在か、自分に甘えてくる存在、その二極しか知らなかった。
そんな彼に、傷を舐め合うことなく隣を歩く女性という可能性を見せつけたのは、他でもないセシリアだったのだ。
あのデートの日からあまり考えないようにしていた。自分が作り上げてきた鶴守 綾というキャラが壊れそうだったから。
されども、意識すればするほどセシリアの笑顔を思い出す。涙を思い出す。口にされた言葉を、その唇を―――。
「僕は・・・一体、何を考えている・・・!」
ずどん、と勢いよく床へ頭を打ち付ける綾。
「りょ、りょーちん!?」
「だから・・・高校で恋愛なんて考えるつもりはなかったというのに・・・」
ここに来て、綾は女性だらけのIS学園に心が折れかけていた。
好みがどうとか、大人が良いとか、そんな個人の感情をものともせず、魅力的な異性というのは人の心を貫いてくる。
こういう学園で過ごすためには、ある種一夏のような鈍感さがなければ生き抜けないのだと、あらためて思い知る。
綾には目的がある。野望がある。守るべき妹がいる。
千冬たちへ話した事が彼の目的の全てではない。
そのために命を賭ける覚悟がある。だから、未練になりそうな存在など要らなかった。
全てを終えて、自分が生きていたその時は山田先生のような女性に甘えたいと、そんな風にしか思っていなかったのに。
自分を頼って、甘えてくる本音が嫌いではない。
自分のために、背伸びして大人になろうとするシャルロットに胸打たれる事もある。
けれど。
同じ目線で高みを目指し、共に成長し、支え合える存在が。
置いていくなとせがんだセシリアの涙を見て、どうしようもなく愛おしく感じた事を否定出来ない自分がいた。
自分の賭けに、命を賭けさせてしまうかもしれないと躊躇してしまう自分も。
それすら、セシリアは乗り越えてきた。
(あなたを倒すのは、わたくしですわ)
あれがどれほど嬉しかった事か。
だからこそ、答えを先延ばしにするのは逃げであるとも、分かっていた。
分かっていても。
「僕もう帰ります・・・」
「えっ!?りょ、りょーちん!?」
「心配せずともケリはつけます・・・僕の手で・・・」
ぼそぼそと言いながら部屋を出ていく綾。
一夏をソファへ押し倒しながらも、兄の背中をぽかんと見送るラウラ。
「ふむ・・・?悩んでいるようだな、綾は」
「どいてくれラウラ・・・俺も帰るから・・・」
馬乗りのラウラをどかして、はたはたと綾を追いかけていく一夏。
まるで置いてけぼりをくらったかのような女性四人である。
そこへ、ようやく我に返ったシャルロットがゆっくりと立ち上がり、本音とセシリアの首根っこを掴んで玄関へと運んでいく。
「あ、あれ?しゃるるん?」
「な、なんですの、急に?」
「・・・今日は、もう帰って・・・」
ぽい、と玄関の外へと追い出すように二人を放るシャルロット。
困惑する本音と、特に――まだ赤くなっているセシリアを複雑な表情で見て、ゆっくりと扉を閉じる。
おろおろとするのは本音だ。
「しゃ、しゃるるん、怒っちゃったのかな?」
「き、嫌われてしまったのかしら・・・」
しゅんとするセシリア。そこへ。
再び玄関が開かれて、ラウラが本音とセシリアに覆いかぶさるように飛び出してきた。
「むぎゅっ!」
「ら、ラウラ!?」
「お、おいシャルロット!?ここはわたしの部屋でもあるんだぞ、おい?!」
閉じられた玄関を叩くラウラであったが、
「ごめん・・・今日はちょっと、ひとりにして・・・」
との声に、それ以上食い下がることが出来なかった。
所在なさげにするラウラはしばし考えた後に手をポンと叩き、
「・・・おお、そうだ。これを口実に綾と一夏の部屋に泊まるとしよう」
「わたくしのベッドで一緒に寝ましょうね、ラウラ?」
「う、うむ・・・」
「あっ、待ってよセラちー、ららちゃん」
座った体勢のままセシリアに引きずられていくラウラと、二人を追う本音。
部屋に一人残ったシャルロットは、玄関口に座り込んだまま自己嫌悪に陥っていた。
「・・・最低だ、ボク・・・」
感動し、尊敬し、自分を信じてくれたパートナーでもあるセシリアへ、シャルロットは嫉妬の炎を燃やしていた。
そして、そんな自分を恥じていた。
違うんだ聞いてくれ。
俺はそこそこライトなデートを描くつもりだったんだ。本当だ。
このタイミングでセシリアルートに入るなんて攻略本には書いてなかった。
きっとこれはフラグ構築のバグだ。そうに違いない。はい論破。解散。