これからも頑張っていきたいです!
あの騎士さんは、いったいどんな人なのだろう。
クイナはあの後、静かな森をトボトボと歩いていた。
森の中を堂々を歩けば、我先にと争うようにモンスターが襲い掛かってくるはずだが、クイナはその高い隠密スキルのおかげで、そういったことは全くなかった。
それならレベル上げにはならないのだが、最前線より10階層、安全マージンには20レベルの差があるこの階層では、ろくな経験値も入らないだろう。
そんなわけで、クイナは無警戒に歩きながら思考へと没しているのだ。
(さっきの騎士さん、すっごく強かった。最後にも〝待ってる〟っていわれたし、やっぱりあの人……)
その後の言葉は、考えるまでもない。
クイナは<攻略組>という憧れの存在に出会えたことに少し高揚しながら、薄暗い、緑の木漏れ日が差す森の中を歩いていた。
49階層のマップは、その厄介さから現在も埋まっておらず、通常の平地フィールドですら残る三分の一ほどは未知領域(ブラックゾーン)である。
この森もそれにあてはまっており、それどころかまだ五分の一もマッピングされていない有様であった。
なので、クイナも、そしておそらくあの蒼い騎士さんも、自力でマッピングしながら歩いているのだが、何分効率が悪い。
マッピングの困難さは迷宮区などのことで、中級プレイヤーにも有名なのだ。
森の奥にあるというダンジョンも未だに見つからず、クイナは少し疲れ始めていた。
道端にあった、てごろな岩に腰掛けて、空を仰ぐ。
空といっても、真上にあるのは無骨で冷ややかな岩の天井で、爽やかな青空ではない。
層と層の間の隙間から見える、横なりの空ですら、深い森の梢に隠されてしまっていた。
(せっかくだし、なにか食べようかなぁ)
クイナはアイテムストレージ――――ゲーム初心者のクイナには驚愕のシステムであった――――を開き、その中の食料を取り出す。
ガラス片が集まるようにして形成された食料は、最初は本当に食べられるのかと疑ったものだ。
しかし、そんなゲーム初心者らしい認識も、この一年半ですっかり消えうせ、もはや当然の事のごとく認識していた。
手頃な、現実世界のファストフードを思い起こさせるサンドイッチを頬張り、はむはむと咀嚼(そしゃく)する。
口内にもうすっかり慣れ、今ではお気に入りとなった、不思議な味が広がった。
この味を楽しんでいると、不思議と頬が緩んでくる。
人がいれば見とれてしまうほど可愛らしい微笑みを浮かべるクイナ。
そのポニーテールの後ろに広がる闇に、毒々しい鉈をもった男が立っていたことに、クイナは気づかなかった。
突如首に違和感を感じた瞬間、クイナの身体が硬直する。
「っ?」
声すらも発することができずに、クイナはサンドイッチを取り落とし、彼女自身も力なく倒れた。
地面が横になった視界の端。
そこに表示されているクイナのステータスは、麻痺状態を表すグリーンの枠で覆われていた。
目の前に転がったサンドイッチが、その耐久値を急激に減らし、最後には青白いガラス片となって霧散する。
それは、クイナ自身の末路を予言したように見えて、クイナは青ざめた。
そのポリゴンを踏み散らすように、こげ茶色のブーツが現れる。
恐る恐る眼だけを動かして顔を見るが、その顔は面のような物で隠されていて見ることはできない。
隙間から見える不気味な緑色の目だけが、人間らしいとも言える、下卑(げひ)た視線を放っていた。
だがそれらはクイナにとって、副産物に近いものだった。
クイナが絶望に眼を見開く先には、男の頭上に浮かぶアイコン。
それは、この鉄の城では悪の象徴である、鮮明なオレンジだった。
男は手に持った、毒々しい緑色のレイピアを得意げにくるくると回している。
おそらくあれがクイナを麻痺させた武器なのだろう。
「えへへ、暗い道を一人で往(ゆ)くのは危ないよぉー?」
粘着質な、聞いていて悪寒がするような猫撫で声だった。
仮面の男はしゃがみこみ、たずねるかのように首をかしげながらクイナの顔を覗き込む。
「僕みたいな人にあっちゃうからサ?」
声からでも存分に感じる狂気は、クイナの四肢から力を奪い去り、その冷気はこころを撫でる。
男の声は高揚し、まるで自分に酔っているかのようだった。
クイナは知らないが、全身に擬装の草木を付けた、ギリースーツと呼ばれる緑の服を纏う仮面の男は、クイナの身体を舐め回すように見る。
(っ……)
その、全身にナメクジが這い回るような寒気に耐えるように、クイナは目を閉じた。
だが、目を閉じても、目の前の絶望が消えるわけもない。
それを示すように、仮面男の猫なで声が頭に響いた。
「かわいいナァー。――――じゃあ、イこうかァ?」
声と同時に、ふわっ、と浮遊感を感じる。
どうやら、「お姫様だっこ」とやらをされているようだ。
もう一年以上も会っていない親友によると、「お姫様抱っこ」は女子の憧れだそうだが、クイナが今感じるのは恐怖と屈辱だけである。
頭上から聞こえる、気持ちの悪い声と、こころを蝕む恐怖に耐えながら、クイナは願った。
(誰か、助けて……)
◇ ◇ ◇
「……はぁ……」
忍び少女と別れて5分ほど。
クロスは蒼色の兜の中で深いため息を吐いた。
目の前には、情報屋に聞いたダンジョンの洞窟がその入り口を開けている。
深い闇に包まれたダンジョンの壁からは淡い青の水晶が生え、いかにもダンジョンといった様相だ。
(先にこっちが見つかるとは……)
どちらかというと、ダンジョンより先にオレンジの駆逐を行いたかったのだが、上手くいかないものである。
(あの娘(こ)に教えてやりたいが、フレンド登録もしてないしな……)
仕方ない。マッピングだけ済ませて、今度会った時に渡そう。
諦めて、クロスはダンジョンに背を向ける。
そんな時、それは聞こえた。
「きゃあああああああっっ!!」
「っ!!」
甲高い、若い女性の悲鳴が、静寂の森に響き渡る。
クロスは即座に振り向くと、その方向に走り出した。
最小限に削られた防具は、ほとんど動きを阻害しない。
時おり現れるモンスターたちを無視しながら森を駆ける。
背後から迫るモンスター群は諦めずにクロスを追いかけている。
それは「トレイン」というマナー違反行為だが、どうせこの森には誰もいないのだ。問題などない。
皮肉にもマッピングだけは進んでいた森の中を、クロスは全力で駆けた。
幻想の腐葉土に足を取られないよう、しっかりと大地を踏みつけ、蹴る。
幸い、それほど離れていなかったようで、未確認地域へ踏み込んですぐのところだった。
突然開けた視界に移るのは、茶色の岩壁と、そこに口を開ける洞窟。
洞窟の周りには、複数の男がたむろしており、その頭上に浮かぶアイコンはみな隔てなくオレンジだ。
「ん?なんかようかい騎士さん?」
「……オレンジか」
「あぁ。てことで、アイテムだけ遺して消えてくれや」
それがまるで当然のことであるかのように言い放った男たちは、それぞれのエモノを抜いて、切りかかってくる。
「俺もお前らに用があってな。通してもらうぞ」
クロスも刀を抜き、それを受けた。
最初の男の海賊刀(カトラス)を受けながら、クロスは兜の中でオレンジたちを見定める。
(12か。だが、悲鳴は洞窟から。中にはおそらく数人)
冷静に戦力を判断。
それは、クロス一人が相手にするには、あまりにも多い戦力。
ランチェスターの法則に従うと、オレンジ側の損害は一人か二人だろう。
しかし。
それは、人間の身体能力の差が少なく、「レベル」という絶対的な格差がない現実世界でならの話だ。
「はぁあっ!!」
クロスはオレンジの一人が振り下ろしたカトラスをいなすようにして弾き、体勢を崩した男の胴を切り裂く。
それだけで男のHPは激減し、赤く変色しながらも残り十分の一ほどのところで止まっただろう。
それを見たのか、男は肩を震わせ、驚愕の表情でクロスを見る。
驚くのも無理はないのかもしれない。
己の生命そのものを現す緑色のゲージ、HP。
それがなくなるということは、真の死であることは明白であり、己の命がたった一人の、たった一撃で危険域まで減らされたのだから。
今の男は、ここが現実世界ならもう助からないほどの瀕死の重傷を負っているのに等しい状態である。
周りの男たちもそれに気づいたのか、皆たじろいだ。
「どうする、まだやるか? それとも……俺に殺されて、死ぬか?」
「殺す」と「死ぬ」は、この世界において、現実世界よりも深く、明確な意味を持つ。
なにせ、己で己の命の残量を確認できる世界なのだから。
「わ、わかった、俺は降伏だ。ほら、これでいいだろ?」
オレンジの一人が、剣を投げ捨て、両手を挙げた。
それを見た他のオレンジも、後を追うように剣を捨て、両手を挙げる。
(あんがいアッサリだな……)
クロスそんなことを思いながら、いつもの刀とは違う、もう一つの剣を抜く。
それは、実際の騎士が用いるような、適度な装飾が施された短剣だった。
クロスはそれを、迷うことなくオレンジたちに突きたてる。
「っ!!?」「なっ!?」
だが、彼らのHPはほとんど減ることはなく、代わりに彼らの身体は糸が切れた人形のごとく倒れた。
無頓着に洞窟に向かおうとするクロスに、男の一人が言う。
「逃げるつもりだったんだがなぁ。麻痺とは、なかなかやるじゃねぇか……」
クロスは振り向かず、悲鳴が聞こえた洞窟の中へ踏み込んでいった。