あのパブでの出来事から、時間は数刻過ぎ去った。
窓から見えるのは、第70層主街区<ロードガル>の街並み。
ロンドンをモデルにしたような中世の街並みで、ビックベンのような4本の尖塔が正方形を描くようにそびえているのが特徴だ。
尖塔からは夜を告げる鐘が荘厳に鳴り響いている。
窓から差し込む茜色の斜光が家の壁をオレンジ色に照らし、テーブルや椅子はその陰を長く伸ばしていた。
その光と影のコントラストがとても美しかった。
じきにこの光も弱まって、あたりは暗くなるだろう。
だから、このオレンジは限りあるものなのだ。
その光景をぼんやりと眺めながら、クイナはムラマサの言葉を反芻する。
◇ ◇ ◇
クイナが泣きやんだあと、ムラマサは、遠くを眺めるような目で問いかけた。
「クイナ殿。力とは、なんだと思うでござるか?」
「……えっ?」
すぐに思いついたのは、レベルやステータス、装備といった、この世界ならではの簡潔なパラメータだった。
だが、ムラマサの口ぶりでは、それが強さの証ではないと言っているように感じる。
しかし、この世界はゲームだ。
現実世界の複雑で入り組んだ構造を厳選し簡略化したものだけを抽出した、単純明快な世界。
そんな世界で、厳選簡略化された物の一つであるパラメータ以外に、何の強さがあるというのか。
ふと、運も実力の一つ、という言葉を思い出す。
「……運、ですか?」
ムラマサは若干渋い、残念そうな顔をした。
「……まぁ、それもそうでござるが……。クイナ殿。この世界の強さとは、〝意志〟にあると拙者は考えているでござる」
「意志……ですか……?」
「そうでござる。この世界、この身体は、全てまやかしのもの。本物は、この魂だけでござる」
ムラマサは自分の胸を叩いた。
クイナもそっと自分の胸に手を寄せる。
「……確かに、そうですね。この身体も、この強さも、全て……偽者」
それはやっと感じられるようになってきていた自分自身の価値を否定するようで、クイナは心苦しかった。
「やっぱり、わたしなんか……その程度ですよね……」
その独り言に、ムラマサは何も反応を返さなかった。
もしかしたら、聞こえていなかったのかもしれない。
まあ元々、誰かの答えを期待した言葉でなかったけれど。
「この世界で得た武具など、それが強者となる要因の一つではあっても、まことの強者に成るにはそれだけでは足りえぬでござる。心技体という言葉があるようにな。だから拙者は、心こそが、真の強さを決めるものだと思うているのでござる」
ムラマサの言葉は、偉人の言葉のように洗練されているわけでも、学者のように理屈だっているわけでもない。
だがその説得力は、今のクイナにとって支えとなるほどには存在していた。
「だから、そう気を損ねるでないでござる。クイナ殿であれば、クロス殿と、どこまでも行けるでござるよ」
「……はいっ!」
「では、外へ出るでござる。何気もなく、ゴロツキと決闘したわけではござらんのだろう?」
「あっ!」
そこでクイナは自分の目的を思い出し、椅子から立ち上がった。
勢いに押された椅子が、大きな音を立てて床に倒れる。
それをを気にも留めずに、クイナは外へ向かった。
バンッ、と半ば破る形で扉を開けると、クイナは空を見上げる。
西の空が、ほんのりと蒼から水色、そして茜へと変わりつつあった。
「どうしたでござるかっ!?」
「いいえ。なんでもないです。ただ、日が暮れちゃったな、って」
慌てたように飛び出してきたムラマサに、クイナは呟いた。
◇ ◇ ◇
強さ。
それは、今のクイナが何よりも欲しているものだ。
ムラマサに諭されて、その中身は少なからず変容しているが、本質は変わらない。
クロスさんと、一緒にいたい。
ただ、それだけ。
その理由が、心を燻らせる何かであるということは、確かだろう。
かさばる装備を外して、クイナはベッドにもぐりこんだ。
ふかふかの羽毛が、クイナの全身を優しく包み込む。
エギルから聞いたあのクエストに挑戦するのは、明日になるだろう。
それがどんなクエストなのかは、クイナも知らない。
だがそれがかつてないと言ってよいほど困難であり、またそれを一人でクリアせねばならないことは、確かだ。
誰の助けも助言も頼めない、孤独な戦い。
それはソロだったクロスが、今までずっと乗り越えてきたものなのだろう。
ユニークスキルの秘匿を筆頭とした、彼の秘密の数々を守るために。
今思えば、クロスは多くの秘密を持っている。
きっとまだまだ、クイナに話していない秘密があるだろう。
だが、今はそれで良いと思う。
いつか、それを話してくれる時が来ると思うから。
そしてそのとき。
クイナがその秘密を聞くに値する人物になっていたい。
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