階層の狭間から満月が望む<ロードガル>の街。
その西、城壁に面した形で、マスターの貯蔵庫はある。
昔、日本に弾薬庫や保税倉庫として建てられ、現在でも横浜や大阪に残る、赤レンガ倉庫だ。
赤レンガ倉庫はマスターの物以外にも無数にあり、その赤レンガ倉庫の街並みは近世の時代背景を体現しているようだった。
「ほら、ここだ」
マスターが大きな鉄扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。
重い鉄扉が動く、独特の重低音。
扉の隙間からのぞき見た中は相当広い。
入ってみると、倉庫は奥まで酒樽で埋め尽くされ、整然と並ぶそれには蛇口と、年代を表す数字が付けられていた。
「嬢ちゃん、用意はいいか?」
「はい」
「俺も武器取ってくる。役には立たんだろうが、ないよりはマシだろうからな」
マスターは武器を取りに奥の闇へと消えていった。
一人になったクイナは、後腰に手を伸ばして、小太刀の柄を握る。
左手はクナイをいつでも抜けるように構えていた。
静寂。
雨も止み、日も沈んだ今、音を出す者はいない。
この倉庫群にわざわざ訪れる者もいないだろう。
足場を確かめる。
アスファルトに似た、硬く平らな地面。
これなら踏ん張れるし、足を取られることもない。
カタッ
「ッ!」
突如、静寂を破った物音に、クイナは小太刀を引き抜いた。
「お、おいおい。俺だって」
「……あ」
物音が響いた物陰から出てきたのはマスターが、おどけた様子で言う。
その手に持っているのは、人の身長ほどの棒だ。
武器には使えないだろうが、たしかに無いよりはマシだろう。
クイナは息をついて、小太刀を鞘に納めた。
だが、手は柄から離さない。
そのとき、ふとマスターが叫んだ。
「おい、後ろッ!」
「ッ!」
咄嗟に振り向くと、すぐ鼻先を掠めて黒い影が飛び去った。
目で追うと、それは酒樽の一つを軽々と奪い去ると、そのまま梁に飛び乗る。
「ニャ~ニャッニャァ~!!」
影から高笑いが降りてきた。
マスターがすぐさま
三角の耳。細い四肢。三色の毛並み。
裂け目のような目は金色にギラギラと輝いて、頬には三本の髭が誇るように生えている。
尻尾はクイナの手首より太い。梁からぶら下がった三毛の尻尾は、少し汚れた縄のようだった。
――――ようは、化け猫である。
「ニャ? ハッ! このロードガルの大泥棒、ニャン太さまに、畏れで体が動かニャいのかニャァ?」
思わず唖然としているクイナとマスターを、化け猫はそう解釈してあざ笑った。
三色の毛に包まれた腹が、
化け猫の声に我に返ったマスターが、指差して怒鳴った。
「お、お前か! 最近荒らしまわってる泥棒猫ってのはッ!!」
「そのとぉりニャ~ん!! ――――ん、ニャかニャか美味い酒だニャ! 褒めてやるニャん!」
その一人と一匹の会話は、クエストらしいともいえる、つまり演劇めいた雰囲気をかもし出していた。
「……まさか本当に泥棒〝猫〟だったんですか……」
すっかり人間だと思っていたクイナが呟く。
化け猫の耳がぴくっと震えて、化け猫はクイナを指差した。
「そこ! 女みたいなガキは黙ってるニャ!」
「……わたし、女なんですけど」
また呟くと、化け猫は首をかしげた。
「ニャ? たしかに髪は
「……、」
プチッ。
クイナの中で、静かに何かが切れた気がした。
化け猫は気を取り直すように、マスターに声をかける。
「まあそんなことより。この酒、ごちそうだニャ。今度も良い酒を期待してるニャ。では、さらば――――ヌュャッ!!?」
酒樽を飲み干した化け猫が突如身を仰け反らせた。
黒い筋のようなクナイがその体を掠めて、別の梁に突き刺さる。
空の酒樽が落下し、砕け散る乾いた衝撃音が倉庫に響いた。
思わず冷や汗を流す化け猫が、その元凶に怒鳴りつける。
「ニャんてことするニャッ! いくら猫だといっても、この高さじゃ無傷じゃすまニャいのニャ!」
「……落ちればよかったのに」
「ニャニャ!?」
その口から発せられた、絶対零度の言葉に、化け猫は少なからず驚いた様子だった。
そんな反応をするとは、この化け猫のAIはそうとう賢いものらしい。
淡白で冷たくなった思考の片隅で、クイナはそう思った。
「では、さらばだニャッ!」
酒に満足した化け猫は逃げるつもりなのか、開け放たれた窓に飛び込んだ。
クイナも酒樽や梁を飛び移って、同じ窓から外に飛び出す。
もうマスターは何もする事が出来ないだろう。
ここから先はクイナひとりだ。
もっとも、彼女にはクエスト達成以外にも、目的が出来てしまっていたが。
屋根に上ると、化け猫は倉庫を二つまたんだ先の屋根に乗っていた。
四本足で駆けるその速度は相当に速い。
あの贅肉や巨体はなんだったんだろうか。
クイナは足を速め、屋根の間の路地を飛び越えた。
化け猫のスピードと進行方向を予測、その未来位置に向けてクナイを投擲する。
「ニャニャ~! そんなもニョ、このニャン太さまに当たるわけニャいニャ~!」
「くっ!」
クイナは再び屋根瓦を蹴った。
少なくとも、このクエストのクリア方法はあの化け猫を捕まえることのはずだ。
そうでなければ、酒樽を飲まれた時点でクエストは失敗している。
つまりここから追い上げて、化け猫に一撃入れるなりすればいいわけだ。
今クイナと化け猫がいるのは、倉庫群からもう少し北に行った住宅地域。
だが、このロードガルはアルゲードとは違って、どこも建物の高さや配置に統一感がある。
教会や尖塔、豪邸といった建物以外は、同じような形、大きさの家屋なのだ。
その分化け猫の進行方向や居場所がわかりやすく、追いかけやすいといえる。
「ニャニャー!」
化け猫がわざわざ振り向いて、小馬鹿にしたように鳴く。
クイナは耳を貸さず、無言で最短距離を駆けた。
◇ ◇ ◇
(あと少し、あと少し……!)
数分後、クイナと化け猫の距離はもう寸前にまで縮んでいた。
目の前で尻尾が揺れている。
尻尾さえつかめば、あとは簡単のはずだ。
暴れるだろうが、クイナのクナイには2本だけ、それぞれ麻痺毒と通常毒を塗ったものがある。それを使えば良い。
クイナがいざその尻尾をつかもうと、手を伸ばした。
尻尾まであと2ミリ。思い切り握ってやれば、この化け猫に一泡吹かせるだろう。
そう思ったとき、化け猫が動きを見せた。
思い切り体を左に捻ったのだ。
贅肉が雑巾のように引き絞られる。
クイナがまばたきした次の瞬間には、化け猫の姿はなく、眼前には壁が広がっていた。
「ぐっッ!!」
押しつぶされるような衝撃に、目が眩む。
何にぶつかった……?
「ニャニャ~! 引っかかったニャ~ん!!」
小馬鹿にした化け猫の猫なで声。
「では、さらばニャ! ニャ、ニャ~ん!」
化け猫の声はどんどん遠ざかっていく。
クイナが激突したのは、この<ロードガル>のシンボルである4本の尖塔の1本だった。
あの化け猫は至近距離まで詰められながらも、クイナをこの尖塔に誘い込み、そして自身は寸前で避けたということになる。
「っ……!」
追いかけねばと顔をあげたクイナの目の前には、
《QUEST FAILED》――――クエスト失敗。
クイナの敗北を残酷なほど淡々と告げる、久々に見るフォントが浮かんでいた。
タイトルがネタバレ。
そして、この小説初めてと言っていいほどの敗北・失敗。
ムラマサはまた空気になる前に出したいです。