目を開けると、カーテンの隙間から差し込むやわらかな光の幕が眼に映りこむ。
小さな身体には大きいベッドから這い出して、これまたクイナには大きすぎる鏡の前に移動した。
鏡に写った自分は、ゆったりしたローブを着ていることもあってか、どうにもだらしなく見える。
(今日はなにがあるのかな……)
昨日のボス戦が、もうはるか昔のように感じるのはなぜだろうか。
寝巻き代わりの、紺色の大きなローブの袖をつまみ上げる。
そして今日は、どんな日になるだろうか。
クイナは右側の壁を見つめる。雰囲気作りのためにある程度汚された
この向こうに彼がいると思うと、クイナの頬は自然にほころんでしまう。
洗面台までずるずると移動すると、澄んだ水が張られた桶に顔を突っ込んだ。
「……ふー……、少しさっぱりしましたぁ……」
おおかた吹き飛んだ眠気に後ろ髪を引かれながら、クイナはいそいそと支度を始める。
「っ♪ ~♪」
クイナはドアのロックを解除して、回廊に出た。
小躍りしているよにも見えるそれは、まさに恋する乙女の姿である。
回廊は細く、奥まで行ってもドアは4つしかない。
だが、この宿屋『アクア・フレグラント』には20の部屋が存在する。
SAOの宿屋は現実世界のホテルと同じではない。
当然何階にも渡ってドアが連なる長大な廊下があるわけでも、家屋の大きさどおりごくわずかな部屋数しかないわけでもない。
電子的な区分け、つまり、ルームと呼ばれるものである。
チェックイン時に貰える専用アイテムである<鍵>によって階段の行き先が異なり、その鍵に対応したルーム、つまり回廊に繋がるわけだ。
当然、見た目が同じだけであって、ルーム1とルーム2のプレイヤーはたとえ同じ内装の部屋でも、同時に階段を上っても、回廊の中で出会うことは無い。
オンラインゲームなどで多数のプレイヤーに同じ世界を提供するサーバー分けのシステムと同じである。サーバーは全て同じ世界だが、異なるサーバーのプレイヤー同士は出会うことはできない。
クイナとクロスは同時にチェックインしたこともあり、同じルームの隣接した部屋だ。
あくびをして、口を窓のように大きく開け放つ。
手で隠そうと腕を上げるが、眠気のせいかその動きは
「――――クイナか」
「ふぁ~い……? いっ!?」
眠気混じりの応答をしながら振り返る。
「く、くろすさん!? お、おはようこはいますっ」
「ああ。おはよう。……どうかしたのか」
驚きのあまりまったく
そんなクイナを怪訝そうに見ていたクロスは、心配げに小さく健気な己の相棒を見下ろした。
「え、ああ……いえ……」
まさか鉢合わせするとは思いも寄らなかった。
しかもあくびしているだらしない姿を見られてしまったのだ。
そう思うと、顔はおろか耳まで熱くなってしまう。きっと真っ赤だろう。出血しているのではないだろうか。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい……!!!
思考がショートしそうなほど回転する言葉の中で、クイナはかろうじて不思議に思われる程度の言語レベルで放すことに成功する。
「今日は用事もない。眠っていてもいいぞ」
「え、いやいや全然眠くないですヨ? ――――そ、それより、どこに行くんですかッ?」
クイナはクロスの恰好に気がついて、そちらに話題をそらした。
いつもの鉄兜に濃紺のコートの出で立ちのクロスは、なんでもないように言う。
「ん? まぁいいが……買い物だ。新しい街だからな、今日はずっと街中を歩くつもりだ」
「へ、へぇ……そうなんですか……」
今日は休息日らしい。
ゆっくりしようかな。
……ん、買い物……?
「しっかり休めよ。じゃあ行ってくる」
そう行って背中を向け、階段の闇に沈んでいこうとしたクロスに、
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「ん?」
「わ、私も……いっしょに行きますっ!」
◇ ◇ ◇
今日は快晴。
水路の水面は
水路の両側に広がる歩道は白い石で埋め尽くされ、ほぼ全ての建造物がそれと同質の石材とオレンジや青の瓦で建てられていた。
「<ロト・シュヴァルベの羽>入荷したぜぇっ!」
「<グリューン・ウーフの眼>仕入れたわよー!」
「<インディゴ・エンテの肉>、安く仕入れてるよっ!」
NPCたちの声がどこからともなく聞こえてきた。
解放してまだまもないからか、<攻略組>のプレイヤーだけでなく、いつもは上層に出てこない中層や低層のプレイヤーも訪れている。
そのせいか街並みはとても賑やかで、すれ違う中には若いカップルの姿もあった。
「人が多い。はぐれるなよ」
「は、はいっ」
いつもの装束とは違う、ゆったりとした濃緑の衣服に身を包んだクイナが、すっかり緊張した声音で答える。
宿屋の回廊で思いがけず口走った一言。
それは本人も意図していなかったデートのお誘いであった。
自分の大胆さに気恥ずかしくなる。
もしクロスの声音に緊張したような、どきりとしたような色が混じっていたとすれば、クイナは押し寄せる
だが、クロスは良いのか悪いのか、脈がないのか鈍感なのか、特に変わった様子はなかった。
だから、クイナはなんとかひとかけらの平常心を保っていられるのだ。
そして同時にクイナは自分自身を賞賛する。
よくぞ言った、と。
「あ、クロスじゃない」
買い物もほどほどに、人ごみから少し外れて手頃な場所に腰掛けていると、若い女の子の声がした。
「ああ。久しぶりだな、アギル」
「久しぶり。クイナも」
「お、お久しぶりですっ」
変わらない赤ポンチョ姿に、
いつも挑戦的な表情を浮かべていたように思う彼女は、今は好奇心に満ちた笑みを浮かべていた。
「情報集めか?」
「失礼な。私も買い物くらいするわよ。女の子だもん」
不服そうに頬を膨らませるアギルは、どこかやわらかくなったように感じる。
「……そうか」
「そうよ」
「そういえば、何かいい情報は入ったか?」
クロスが尋ねると、アギルはふとことから取り出したメモ帳もめくって、
「うーん……特に目ぼしいのはないわね。この階層の情報はまだ信頼性に欠けるし……」
「そうか……」
数秒会話が途切れ、アギルが思い出したようにクイナに口を開く。
「あっ、例の<ネコクエ>をクリアしたって情報……ほんとなの、クイナちゃん?」
「えっ!?」
クイナは突然話題を振られたことに驚いた。
ネコクエと言う単語ははじめて聞くものだが、クイナにとってそれは忌まわしいあのネコを思い出させるには十分なものだった。
「え、ええ……本当デスよ」
「なぁアギル、そのクエストって……」
「ええ。高い敏捷値のプレイヤーしか受けることのできない高難度クエスト! クリアした者はわずかながら、その報酬は超レアアイテムという!」
「へぇ……クイナはそれをクリアしたのか? 凄いじゃないか……!」
「あ、ありがとうございますっ!」
クロスに褒られたクイナはほんのりと頬を熱くして、照れたように会釈した。
「で、どんなアイテムなの!!? 性能は!? 外見は!? お金は言い値……の4割引でいいわよ!」
「ずいぶんとケチですね……」
メモと万年筆を握り締めて肉薄するアギルに呆れながら、クイナは右手を振ってメニューを開いた。
「報酬は三つです。その一つは、<猫のペンダント>」
「ほうほう!?」
「……座れ、アギル。クイナが落ち着いて話せんだろう」
お金の源である有力情報が手に入るのがよほど嬉しいのか、ノリノリのアギルに呆れたクロスが水を差す。
クイナは座ったアギルに猫のペンダントを見せ、そのステータスについて説明し始めた。
「ふむふむ! でも、それだけじゃないよね、それだけじゃないよねぇ!?」
「……ええ。<ロードガル栄誉憲章>と<ブラッドサーペントの蒸留酒>です」
「ほう! で、使い道は!?」
さらに肉薄し、鼻が激突しそうになったのを仰け反ることで回避する。
「それはまだ……わかりません。ただ、装備アイテムではありません」
「イベントアイテムとっ!」
「たぶん……」
「ほうほう!! うん! 情報提供ありがと! じゃあねー!!」
ひと通りメモに書きなぐったアギルは、早々に荷物を纏めると、人ごみの中に――――
――――紛れていこうとして、クロスに首根っこを
「ぐげぇぇっ! か、か弱いレディになにすんの!?」
「……情報料はどうした」
「えっ? もう払ったよ?」
「……、」
「ごめん、ごめんってっ」
「……、」
「いや、ほんと、魔が差したっていうか……」
「……、」
「ゴメンナサイ。クイナがあんまり素直だったんで……」
「ま、まぁ、払ってくれるなら、いいですよ……?」
やっと手を放してくれたクロスをちらちらと気にしながら、アギルはトレードメニューを開き、いくばくかのコルを送金したのだった。
ファイナル・ファンタジーⅩのHD版、もうすぐ発売ですね。
もちろん買います。おもしろいと評判なので。
他に12しかやったことの無いFFですが、とても期待しています。