真説(親切解説)アーマード・コア4 【非公認】   作:あきてくと

27 / 50
断章 ラインアーク防衛 前編 〜イェルネフェルト〜

 BFFとレイレナードはアナトリアの傭兵によって潰された。アクアビットはアスピナの傭兵が、その最重要施設を破壊した。

 

 世界規模の派閥争いは、アナトリアとアスピナの傭兵が関与したことで、GA・ローゼンタール・オーメルサイエンステクノロジーの3社連合が勝利し、リンクス戦争は終わった。

 

 コロニー・アナトリアが傭兵家業を始めてからおよそ1年が経過していた。傭兵業を始めた当初はこのような世界規模の戦争に加担することなど予想もしていなかった。

 

 戦争がひとつの終わりを迎え、傭兵としての仕事はほとんどなくなった。そのかわりGAからは、今後数年間はコロニー・アナトリアの維持に困らないだけの報奨金を得た。

 

 私、フィオナ・イェルネフェルトは数年振りにAMS研究に復帰し、現在はネクストのAMS技術を応用した神経接続義手の開発に着手している。幸いなことに研究資金は潤沢だ。さらに、身近なところに最近職を失ったばかりのいいモルモット、もとい被験体がいる。

 

 だけど今回は久しぶりの傭兵仕事だ。依頼主は東アジアの海上都市ラインアーク。BFF側にもオーメル側にも属さないラインアークは、中立を守る完全独立コロニーである。

 

 ついでに言えば、いまだに民主主義を掲げる唯一のコロニーでもあるラインアークの思想は、社会主義的な世界統一をめざす新生パックスにとって快く思われていない。

 

 リンクス戦争の勝者となったGA・オーメル・ローゼンタールの新生パックス連合は、現体制を脅かす可能性があるBFF・レイレナード・アクアビット連合の残党狩りに躍起になっており、調査と称して各コロニーに立ち入り捜査をおこなっている。

 

 そして、コロニー側がそれを拒否しようものなら、それは反抗勢力とみなされ、武力をもって強制的に属従させられた。

 

 今回ラインアークから依頼された内容は、パックスの強制捜査に武力対抗するため協力要請だった。ラインアークがBFF残党勢力をかくまっている可能性は否定できないものの、独立コロニーとしての自治権を主張するラインアークとしては当然の対応であろう。

 

 そして、その依頼をアナトリアが請け負うことは、つまり、かつての主要クライアントと敵対する位置に立つということである。

 

 私は、パックスとの関係悪化を危惧して依頼の受諾に反対した。アナトリアの傭兵は、リンクス戦争勝利の貢献者であるものの、パックスはその強い力に脅威を抱いている。アナトリアが武力制圧される理由にもなりかねない。

 

 当のレイヴンは、自分が一時的にでもアナトリアを離れればコロニーに危害が及ばないという理由で請けると言った。味方でありながら何度も命を狙ってきた連中に一矢報いたいという思いもあったと思う。

 

 最終的には、コロニーの代表指導者であるエミールがGOサインを出した。リンクス戦争の報奨金があるとはいえ、今後のコロニー維持を考えれば、パックス以外の顧客を獲得しておくのは有益であろう。そもそも、そのために始めた傭兵業なのだから。エミールは常にビジネスライクにものを考える。

 

 眼前のモニターには、太陽光を反射させて白く輝くラインアークの都市群が映っている。離れ小島同士をつなぐ巨大な橋も、それぞれの島にそびえるビル壁も、乱立する風力発電のプロペラも、すべて二酸化チタンが塗られた乳白色だ。紺碧の海と空の間に浮かぶ白亜の都市はそこにあるだけで、とても貴重なもののように思えた。

 

 もし、パックス側からこのラインアークを攻撃するよう依頼が来たらどうしていただろう。元レイヴンの彼なら、依頼と割り切って、この美しい海上都市にむけて躊躇なく引き金を引くだろう。けれども、私にはそのような指示は出せそうにもない。

 

 善人ぶっているわけではない。アナトリアが傭兵家業を始めてから、私もオペレーターとして間接的に多くの人間を殺してきたのだ。私は決して善人などではない。

 

 そしてこの1年間、ネクストの作戦オペレーターとして戦争というものを間近で見てきて、父が基礎設計をしたアーマードコア・ネクストが、戦場でどのように扱われ、どのような結果をもたらしたかを身を持って知った。

 

 私は、ときどき怖くなる。世界中の人間に恨まれているように感じて。私は、オペレーターとして間接的に人を殺した人間だ。そして、国家解体戦争の契機をつくったイェルネフェルトの人間として、50億もの人間を間接的に殺したのだから。

 

 そうぼやく私に、レイヴンの彼は言う。

 

「ナイフで人は殺せるが、ナイフをつくった人間を恨みはしないだろう。そのナイフのおかげで、誰かを守ることもできるし、食事をつくることもできる。物事には善し悪しというものはない。それは当事者の意識や環境でいかようにも変わる。そもそも、それはこちらが決められることではない」

 

 つまり、考えるだけムダだと言う。生き死にに関わるプロであるともいえる傭兵(レイヴン)らしいドライな言葉だ。

 

 彼なりの慰めの言葉なのかしら。だとしたら、意外と優しいところもあるものだ。レイヴンのように考えられればどれだけ楽だろう。でも、さんざん考えた末にたどり着く答えはいつも同じだ。

 

「アナトリアもネクスト技術も、父と一緒に滅んでしまえばよかったのに」

 

 そうすれば、国家解体戦争なんて起こらなかったかもしれない。あなただって、そんな不自由な身体にはならなかったかもしれない。私だって、こんなに悩むことなどなかったかもしれない。

 

 もちろん、父のことは大好きだ。尊敬もしている。ただ、父は優しい人ではあったけれど、仕事に関しては狂気的なまでの執着心をもっていた。

 

 父はAMS研究を続けながら何を思っていたのだろう。自分の生み出したもの(ネクスト)が、こんなにも大勢の人間を殺す結果になったと知ったらどう感じただろうか。

 

 いや、父はそんなことは考えない人だ。単純かつ純粋に、できるからつくった。ただそれだけだ。偉大な結果を残す技術研究者とはあれこれ考えず、どれだけ目の前のことに没頭し続けられるかが問われる人種なのだ、と幼い頃の記憶に残った父の姿が語る。

 

 私はどうだろう。父のようになりたいと思って脳神経外科医となり、AMS技術者になった。だけど、いまはこの道を選んだことに疑問を感じずにはいられない。

 

 とはいえ、いまさら何を言ったところでイェルネフェルトの呪縛からは逃れられない___。

 

 あぁ、もう。

 

 はい、はい、はい。自己逃避の時間は終わり。結局のところ、目の前のやるべきことに集中していないから、いろんなことに思いを巡らせてしまうのだわ。注意散漫は私の悪い癖だ。

 

《___か? フィオナ、聞こえているか? 応答を乞う》

 

「あ、ごめんなさい。もう一度言ってもらえる」

 

 そういえば、戦闘中だったのだ。私は気を取り直す思いでヘッドセットをつけなおし、位置をなおした口元のマイクでふたたびレイヴンに問う。

 

《このあたりの敵はすべて撃破した。ラインアーク領海付近に敵空母を確認している。目標指示を乞う》

 

 レイヴンに指摘されて、私は慌てて目の前に並ぶ計器のなかから、広域レーダーに目を走らせる。付近に敵機の反応はない。しかし、ラインアークの保有する海域から少し離れたところに数隻の大型船舶の反応があった。部隊を運んできた母船だろう。

 

 レイヴンが駆るネクストから送られてくる望遠映像には、海上に浮かぶ敵母船らしき霞んだ灰色の点が浮かんでいる。敵であるオーメル・インテリオルの連合部隊は、現在こちらの様子を伺っているようで侵攻の動きはみられない。

 

「周辺に敵反応はなし。敵母船は領海を侵犯しない限り手が出せないわ。侵攻に備えて現状のまま待機を___いえ、10時方向。反応あり」

 

 一瞬、レーダーに影が映り、私は緊張に身を堅くする。しかし、その反応はすぐに消えた。それからしばらくしてもレーダーモニターには一切反応がなかった。輸送機のオペレータールームには、重く響くエンジン音と、空気を切り裂くツインのローター音と、レーダー機器が周期的に発する電子音だけが響く。私はごくりと喉を鳴らした。

 

 そのとき鳴った別の電子音に私はびくりと飛び上がる。通信の呼出音だった。私は数秒で息を落ち着かせてから、通信にコネクトする。

 

《こちらラインアーク守備隊オペレーターのエリザだ。守備隊全機に通達。領海上の敵機影なし。一時帰投後、第二波攻撃に備えて待機を願う》

 

「《了解》」私とレイヴンは声を揃えて指示に応える。しかし、先ほど一瞬探知した反応が気になった。

 

「こちら北側守備担当アナトリアのオペレーター。さっき一瞬だけレーダーに反応がありました。そちらで確認していますか」

 

《いや。おそらく、息継ぎするために浮上した鯨かなにかがレーダーに映ったのだろう。念のため周辺海域のソナー監視を厳にしておく。ネクストパイロットは帰投後、補給を受けつつスクランブルに備えて機上待機。フィオナさんには司令部まで出頭を願う》

 

 出頭? なにか不備でもあったかしら。「了解」とだけ答えて通信を切った。

 

 

   ◇ ◇ ◇

 

オーメル・インテリオル連合艦隊 司令艦

 

「リンクス戦争の英雄が敵に回るとは、なかなか厄介な展開になったな」

 

 艦橋の窓際に立つオーメルの軍事情報管理官のアディ・ネイサンは、戦場から立ち去る機体を双眼鏡のレティクルに捕らえながらぼやく。しかし、その台詞とは裏腹に、口元には余裕の笑みが伺える。

 

 戦闘開始からわずか20分足らずで、投入したノーマルAC・MTの混合の三個小隊はアナトリアの傭兵によって全滅させられた。これまで手駒のように働いてもらっていただけあって、その戦闘能力の高さは我々オーメルが一番よく知っている。ただ、こんな辺境(ラインアーク)で遭遇するとは思ってもみなかった。

 

「まぁ、第一波は様子見だ。第二波はこうはいかん。出られるな、セロ」

 

 アディは、双眼鏡から目を離さないまま、すぐ後ろにいるはずのセロに声をかける。セロは、ネクストの性能を100%発揮できるように我々オーメルが遺伝子操作で生み出したデザインベイビー(最高傑作)だ。アナトリアの傭兵の足を止めることなどわけはないだろう。

 

 高慢な性格にやや問題はあるが、それは絶対的な強さと自信から来る増長だ。パイロットとして悪い傾向ではない。反抗期の生意気なガキだと思えばかわいいもんさ。

 

「おい、返事くらいはしろ。俺はお前の上官だぞ」

 

 振り返って、改めてセロの姿を認める。セロは、本来作戦指揮官であるアディが座るべきキャプテンシートに頬杖をついてうなだれていた。ああ、そういえば船酔いだったな。あれだけネクストに振り回されても平気なくせに、たかだか船の揺れに酔うとは理解に苦しむ。

 

「おい、セロ。大丈夫か」

 

 セロは青白い顔をゆっくりと持ち上げ、細めた双眸で自分の上官を睨みつける。そして、言葉を吐き出すために、小さく息を吸い込んだ。

 

「大丈夫なわけねぇだろ。馬鹿野郎。だいたい、船に乗るなら作戦参加を拒否するといったはずだ。それを無理矢理連れてきたあげくに戦えるかだと。阿呆か。できるわけねぇだろ。上司面するなら、部下の管理がしっかりできるようになってからにしろ。この役立たず」

 

 二十歳にも満たない子供に言いたいように言われ、アディは頭に血が上りそうになる。まて、落ち着け。俺は大人だ。ガキ相手に、俺がガキになってどうする。ここは温厚策でいこう。アディは口元の筋肉を精一杯引き上げて無理やり笑顔をつくる。

 

「相手は、あのアナトリアの傭兵だぞ。戦ってみたいだろう」

 

「知るか」

 

「そうだ。艦にいるより、ネクストに乗ったほうがきっと楽なんじゃないか」

 

「この状態でネクストに乗ったら、起動時の神経負荷で確実に吐く。強制呼吸器に吐しゃ物が詰まって、僕は窒息死するぞ」

 

 相変わらず可愛くないガキだ。ああ、もういい。アディはあきらめてコンソールに備わった受話器をつかんで横のボタンを押す。共同作戦を展開するインテリオル・ユニオンの指令艦にむけて通信を開いた。

 

「こちらオーメルのアディ・ネイサンだ。こちら第二波の戦闘要員に欠員が出た。代わりに出せる戦力はあるか。アナトリアの傭兵にぶつけられる奴だ。ああ、そうだ。

 

 ___アルドラのクリティーク? 元レイヴンだと。ふん。よし、それで行こう。第二波は予定通り残りの全戦力を投入する。作戦開始は1400時に変更なし。それまで兵に飯でも喰わせておけ。以上だ」

 

 受話器を戻したアディは満面の笑みでセロを振り返る。

 

「聞いたかセロ。元レイヴン同士の戦いになりそうだ。こいつは見物だぞ」

 

 アディの興奮とは裏腹にセロは無反応だった。聞いているのか、聞いていないうつろな目でセロはアディのいる方向を見つめ続ける。その表情が一瞬歪んだかと思うと、急に口を押さえてうつむいた。

 

「うわぁ。セロ、そこは俺の席だ。吐くな!」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

「フィオナ・イェルネフェルトです。司令部に出頭しました」

 

 インターフォンにそう告げると、ラインアーク守備隊指令部のドアが開かれた。入り口にはグレーのフォーマルスーツを着た背の高い女性が立っている。

 

「ご苦労。実は、フィオナさんとどうしても話したいという方がいるのだが、かまわないだろうか」

 

 女性にしては低い声の持ち主であるラインアーク守備隊長のエリザは、通信時と変わらぬ男言葉で私に問うた。私は叱責を受けるのではない安堵感から「誰が」と聞き返す前に「かまいません」と答えた。

 

「では指令部内へ。その方はラインアーク政府がかくまっている要人で、名前をマリー・オブライエンという。容姿や居場所は明かせないため秘匿回線で通話していただく。また、この件に関しては他言無用でお願いしたい。こちらへ」

 

 司令室内別室の小部屋に通された私は、ヘッドセットを渡され、通信機の前に設置された席に座るよう促される。私が席に着くと、エリザは通信機を操作して回線をつなげた。数十秒間の呼び出し音のあとに、ヘッドセットと外部のスピーカーから「もしもし~」と少し間の抜けた女性の声が聞こえた。

 

《フィオナ・イェルネフェルト様でいらっしゃいますか?》

 

「はい、そうです。マリー・オブライエン様。オブライエンとは、ジョシュア・オブライエンとはなにか、ご関係が?」

 

《お会いできて光栄です。私のことはマリーとお呼びください。お察しのとおり、私はジョシュア・オブライエンの妻です》

 

 私はハッと息を飲み込む。ジョシュアと私は幼少期をアナトリアで過ごした幼なじみだ。だけど父が亡くなって間もなく、ジョシュアのお父さんを含めた数人の助手が、父の技術を持ってアナトリアから出ていった。ジョシュアも一緒に。

 

 当時の私はまだ幼くて、そのときに何があったのかよくわからなかったのけれど、父と親友がほぼ同時にいなくなって、寂しくてよく泣いていたのを覚えている。それからまもなく母も病気で亡くなった。

 

 その後、風の便りでジョシュアはアスピナ一の優秀な技師になったと知った。そして、ホワイト・グリントに乗って傭兵をしているのは誰もが知るところだ。

 

 アマジーグとの戦闘の際に応援を要請したときは、およそ十数年振りの会話だった。お互いよそよそしい態度ではあったけれど、彼は私の頼みを快諾してくれた。

 

 でも、そのとき彼はすでに人格移転型AIになっていたはずだ。そして、先の戦闘で戦死したと聞いた。今の彼はいったいどういう状態にあるのだろう。

 

「あの、この度は、なんと声をかけてよいものか」

 

 私はあまりに複雑な状況を言葉にできずに、当たり障りのない口上を述べる。マリーはそれを聞いてふふふと笑った。

 

《そうでしょう。お悔やみでもないし、再会を喜べる状態でもない。なんとも表現しがたい極めて特殊な状況です。

 

 順当に事が進めば、ジョシュアはラインアークで組立中のホワイト・グリント2号機が完成し次第、バックアップから人格データを再展開されて蘇ることになっていますが___》

 

 そこで、ゴホンとエリザの釘を刺す咳払いが会話を遮った。

 

《あ、ごめんなさい。これは守秘事項でした。いまのは聞かなかったことにしてください》

 

「お気をつけください。私は席を外します。会話が終わったらお呼びくださいませ」

 

《エリザさん、ありがとう。いろいろと迷惑をかけてすみません》

 

 退席するエリザに、マリーが感謝と謝罪を述べる。政府がかくまう要人と部外者が会話をするなど異例の事態に違いない。私が守備隊長の立場なら情報漏洩が心配で気が気でない。

 

「いいえ、手配に関しては(・・・・・・・)お気になさらずに。失礼いたします」

 

 エリザはマイクが音声を拾えるよう大きめの声でそう告げると、一礼して通信室を出た。

 

《さて、まずはここまでご足労いただいたことにお礼を申し上げます》

 

「いえ、作戦の合間ですのでとくには」

 

《いえいえ、『はるばるラインアークまでお越しいただいて』という意味です。今回アナトリアの傭兵様への警護のご依頼は、私がラインアーク政府に進言しました》

 

 いまいち状況がつかめない。私は「はぁ」と相づちを打つ。マリーは話を続けた。

 

 

《もちろん、依頼の目的はオーメルとインテリオル・ユニオンによるコロニー内部の強制捜査を阻止してもらうためです。

 

 レイレナードの残党狩りを目的とした強制捜査が、彼らが侵攻する名目ですが、真の目的はジョシュアのバックアップデータと私の身柄の奪取であることは明白です。

 

 アクアビットの人格移転型AIの研究データは、ジョシュアがすべて抹消しました。そして、アクアビットなき今、オーメルはジョシュアのバックアップデータを喉から手がでるほど欲しがっています。

 

 生前のジョシュアの根回しに従ってラインアークに亡命したものの、どうやら足がついてしまったようです。彼らはジョシュアのバックアップデータを手に入れるためなら、地図上からラインアークを消すことも辞さないでしょう。

 

 リンクス戦争で多大な功績を残したアナトリアの傭兵様ならば、これ以上の適任者はいません。ジョシュアはアナトリアの傭兵様に全幅の信頼を寄せていましたから。新しい友達ができたと喜んでもおりました。

 

 それに私も、ジョシュアがアナトリアについて話すときに必ず出てくるフィオナ様に一度お目にかかりたいと思っていたからです。ご迷惑だったでしょうか》

 

 

「いえ、そんなことは___そもそも、なぜジョシュアはAIになったのでしょうか」

 

《___では、そこからお話ししましょう。彼がAIになったのは、国家解体戦争の終りからほどなくしてです》

 

 少しの間をおいて、マリーは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

 

 

《ジョシュアはとても優しい人です。彼は生前から、故郷であるアナトリアとフィオナ様のことをいつも案じておりました。

 

 ジョシュアの両親は、アナトリアからネクストの技術を流出させた張本人であり、ジョシュアはそのことを自分の責任でもないのに、ずっと気に病んでいたのです。不安定な情勢でなければ、すぐにでもアナトリアの復興のために尽力したいとも申しておりました。けれど、その優しさが彼を暴走させたのです。

 

 長年研究してきた人格移転型AIの技術を完成させた彼は、私や周りの反対を押し切って、自ら人格移転型AIの実験体になったのです。実験は成功したのですけれども、肉体としてのジョシュアはそのときに死に、彼は電子空間上の存在として生まれ変わりました。

 

 AIになってもジョシュアの心は___心と呼べるのかどうかわかりませんが、人間だった頃の彼と何ひとつ変わることはありません。誰よりも優しく、誰より純粋なままでした。

 

 でも、その優しさと純粋さ故に、世の中の理不尽が許せなかったのでしょう。とくに、国家解体戦争の直後だった当時は、戦乱や貧困、飢えが蔓延していた時期でしたから。

 

 ジョシュアは、人格移転型AIの膨大な情報処理能力を使って世界をより良い方向へコントロールしようと考えました。企業による独裁的な体制を変えるべく、不法アクセスでパックスの機密情報を得て、情報を操り、誰もが住みやすい世の中につくり替えようとしたのです。

 

 そしていつしか、傭兵としてホワイト・グリントに乗り、世界各地の戦局までをコントロールしはじめました。そして、GAとBFFの対立構造を拡大させないように配慮しつつ、過激な思想を持つレイレナード・アクアビットを潰すことにも成功しました。

 

 頭角をあらわしつつあったアナトリアの傭兵様の行動もつぶさに観察して、ときおり恣意的な情報操作を加えていたようです。まるで正義の味方ごっこをする子供のようでしょう。でも、AIになった彼にはそれが可能で、本気で世直しを実行していたのです》

 

 

 マリーが語った内容に驚きを禁じ得なかった。ジョシュアがアナトリアのことを心配していてくれたことに。そして、これまでの戦いに思っていた以上に深く関与していたことに。

 

 私たちはGA側に荷担する形でこの戦争を終わらせたのだけれど、GAを裏で操るオーメルの、さらにその裏ではジョシュアが糸を引いていたのだ。糸を引いていたというより、GAやBFFの動きを、自らの存在を隠したまま自然な形で誘導していたのだろう。

 

 予想以上に斜め上にふっとんだエピソードに現実味が薄くなる。そして意志を持ったAIの恐ろしさに皮膚が粟立つ。いつだったかレイレナードのベルリオーズが『人格移転型AIは神にも悪魔にもなる』というようなことを言っていたが、どうやらそれは本当らしい。たったひとりの意志で世界をどうとでも変えられる存在。それはまさしく神か悪魔だ。

 

 AMS技術を応用して人格を転移させる試みは、父の研究手帳にもメモがあった。神経接続を最大負荷状態で人格をスキャンし、デジタルデータ化した人格をAIに模倣させることは技術的には可能かもしれない。けれど、AMS技術者の端くれである私からみても、鼻で笑いたくなるほど非現実的だ。

 

 そんなことをすれば被験者は精神崩壊どころではすまない。脊髄はボロボロになり、神経系はすべて焼き切れ、眼球や脳細胞は蒸発する。目も当てられないほど壮絶な死に方をするはずだ。それを目の当たりにしなければならなかった彼女は、どれほど辛かっただろうか。

 

 

《私は、ただジョシュアと娘と3人で静かに暮らしていければそれでよかったのです。けれど彼には、私たちには見えないものが見えていたのでしょう。私たちが静かに暮らすためには、自らを犠牲にしてでも戦わなければならないとジョシュアは悟っていたのだと思います。

 

 AIとなったジョシュアは、誰にも理解されず、私ですら理解してあげることができませんでした。彼は、世界で彼しか知り得ない不確かな未来平和のために戦っていたのです。

 

 ジョシュアはとても優しい人です。でも、その優しさは狂気的ですらありました。彼がAIとして生まれ変わる前からずっと、私と彼はどこかすれ違ったままだったのだと、今では思います》

 

 

 マリーが話すジョシュアと、私の父のイメージが重なる。なにを犠牲にしてでもやりとげなければならないことがあると思っている人間は、独善的にならざるを得ない。当人からすれば、それは周りの人間のためにしているのだから自らの行いを疑いもしない。

 

 結果の一部だけを切り取れば独善的でも、当の本人からしてみれば決して独善的ではない。卵と鶏のどちらが先に生まれたかを問うような関係だ。マリーがいう「どこかすれ違っている」という言葉は、漠然としながらも的を射た言葉だ。

 

 小さい頃に、ジョシュアと父の研究所で遊んで、よく父に叱られたことを思い出す。そして、その父の実験を真剣な眼差しで見つめるジョシュアの横顔も思い出された。ジョシュアは父とどこか似ていたのかもしれない。

 

 

《ですが皮肉なことに、平和を願うジョシュアのバックアップデータを巡って、新たな火種が生まれているのが現状です。ジョシュアのバックアップがオーメルの手に渡れば、オーメルはもはや誰も太刀打ちできない絶対的な権力を手に入れるでしょう。

 

 また、現状表立って動いているのはオーメルだけですが、レイレナード・アクアビットの残党勢力も虎視眈々とデータの奪取を狙っています。もしレイレナード残党側にジョシュアが渡ったなら、世界は再び波乱に見舞われることになります。

 

 ジョシュアは、ラインアークが世界で一番安全だと踏んで、ここをバックアップデータの避難所として準備を行っていたのですが、あれから状況がずいぶん変わっています。大きな独立コロニーであるがゆえに、どちらの勢力が内部に潜んでいても不思議ではありません___ああ、ごめんなさい》

 

 

 マリーは、あわてた声を上げる。おそらく、それも守秘項目に該当するのだろう。けれどもう遅い。部屋の外でこの会話を聞いているであろうエリザは、ため息とともに頭を抱えているに違いない。

 

 

《とにかく、もはやここは決して安全ではありません。ジョシュアのバックアップデータを手に入れた陣営が絶対的な力を手にします。ジョシュアはそんな彼らの思い通りに動く人間ではありませんが、私や娘が人質にでもされれば彼は従わざるをえなくなってしまうでしょう。

 

 ホワイト・グリントが失われた時点で、私が責任をもってジョシュアのバックアップデータを破壊するべきでした。いいえ。あのとき、ジョシュアが行う人格移転型AIの実験を、身を挺してでも止めるべきでした。そうすれば、誰も巻き込むことなどなかったのです。

 

 ジョシュアの入念な手配によって、バックアップデータは現在ラインアーク政府の手に渡っているため、もはや破壊することもできません。そして、現在私がいるこの場所は自由な出入りはもちろん、自殺すらできないのです。私には、もうどうすることもできません》

 

 

 私には、彼女に返す言葉が浮かばなかった。「ジョシュアがいなければ、この戦争はまだ続いていたかもしれない」や「マリーさんの身を案じるからこそジョシュアはそうしたのだ」などと安直な慰めの言葉を伝えたところで、彼女には何の救いにもならないだろう。それほど彼女は重いものを背負っている。いや、実際は自ら重いものを背負おうとしている。

 

 彼女に過失がないのは明白だ。研究者が自ら進んで行う探求を、止められる者などいるはずがない。それでも彼女は罪の意識を感じ、自らの命を捧げるとまで言う。すべてを背負う覚悟ができているのだ。

 

 それに比べて私はどうだ。父を呪って、アナトリアを呪って、自分の血を呪って生きている。彼女と同じ立場になったとしたら、果たして私はこうも毅然と話などできるだろうか。

 

 

《お願いです。どうかラインアークと私たちを守ってください。すべては私たちが蒔いた火種です。お願いできる立場にないことは重々承知しております。ですが、どうかお願いします。私たちがこれ以上世界の迷惑にならないように。

 

 そしてもうひとつ___私やジョシュアが何者かの手に墜ちそうになったら。あるいは、あなた方の前に立ちふさがることになったとしたら、そのときは迷うことなく撃ってください。彼もそれを望んでいました。私も同じです。どうか、お願いいたします》

 

 

 喉をひきつらせ、マリーの声がときおり震える。その声がスピーカーの奥でくぐもり遠くなる。彼女は頭を下げているのだ。

 

 彼女が私に求める言葉は「いざとなったら、あなたを必ず殺しますので安心してください」だ。たけど、そんな言葉は言えるはずがない。私はまたもや言葉を失う。

 

 沈黙に満たされた小さな室内では、通信機から周期的に発せられる短い空電だけがやけに大きく聞こえる。

 

 その沈黙を破って、突如けたたましい音量で警報が鳴り響いた。「失礼」と間髪入れずドアを開けて入ってくるエリザと目が合う。オーメルの第二波攻撃が開始されたのだろう。私はエリザが声を発する前にうなずき返して席を立つ。

 

《お願いします》

 

 食い下がるように放つマリーの切迫した声が胸に刺さり、私はいたたまれなくなって、踏み出した足を止める。なにか言葉を掛けてあげたい。私は少ない時間で言葉を探す。

 

「___彼なら、レイヴンの彼なら敵も味方も、善も悪も関係なく、すべてを焼き尽くしてくれます。私もここを守るために尽力します。ですから___どうか泣かないでください」

 

 大音量の警報が鳴り響くなか、私はそう言い残しドアに向かって駆け出す。マリーが何かを言った。震える彼女の声は小さくて聞こえづらかったけれど、その言葉はしっかりと私の背中に届いた。

 

 彼女は「ありがとう、ございます」と言った。少しだけ安堵した様子が伺えたことで、ホッとした私の身体からは余計な緊張が抜けたようだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。