ラクは、ゴウカザルに"インファイト"を指示、そして煙を見続けた。
──足音は聞こえない。この大量の煙に紛れて、ガバイトは必ず現れる。
まだか、まだなのか。
あらゆる可能性を脳内でコマ送り動画のように予測し、唯々時間が過ぎていく。徐々に少なくなる煙を見て、ラクの頬から汗が垂れる。
───煙は晴れた。そこには何もいない。地面を掘ったような形跡もなく、ガバイトはどこかに消えていた。
「ガバイト、"りゅうせいぐん"!」
声を聞き、ラクが上を向くと、無数の隕石と空中に漂うガバイトの姿があった。
──クオンはあることをしていた。
煙が消えかけるタイミングを見計い、技を使いガバイトを空中に、煙が晴れ地上にいるゴウカザルを、ガバイトが目視した瞬間に"りゅうせいぐん"を指示。
この一連の流れは、少しのミスさえ許されない。失敗した瞬間、ゴウカザルの"インファイト"を受けることになっていただろう。
隕石はガバイトを追い越し、ゴウカザルに襲い掛かる。ゴウカザルは多くの隕石を避けられずに被弾した。
『ゴウカザル、戦闘不能!』
──負けた。
バトルフィールドの周りにいる多くのトレーナーたちは、思わず大歓声を上げていた。
──いつもゴウカザルの力に頼っては、勝ち続けていた。
僕が求めていた強さに負けた、泣きたいくらい悔しいのに。
試合に勝ったクオン、負けたはずのラクにも大きな拍手が送られていて、ラクの悔しさは、まるで煙のように消えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
空は青紫色に染まり、道路脇にある街灯が光りだす。時刻は夕食頃の時間。ヨスガシティの中心部に、とある飲食店があった。ここに訪れた者は、温かなスープを口にし、英気を養い明日に備える。色鮮やかなポフィンなども置いてあって、ポケモントレーナーたちにも、人気の店である。
クオンは、ラクに連れられてこの店にやってくる。中へ入ると、4人くらいで囲めるテーブルが所狭しと置かれている。誰が見ても、店の回転率を上げることしか考えていないと思えてしまう作りだ。
クオンが席に着くと、テーブルの上には、華やかな料理が並び、赤や青、黄色に緑など彩りよく、滑らかで平たい丸の形をした料理が最後に置かれた。テーブルの上は、例えるなら絵画のようである。
「これはポフィンだよ、ポケモンが好んで食べるお菓子なんだ!」
ポフィンとは、辛味、渋味、甘味、苦味、酸味の五種類ある"きのみ"の味を上手く使い、作られるお菓子である。
二人は、ガバイトとゴウカザルをボールから繰り出す。二匹は、目の前にあったポフィンを見つめる。何か見つけたようにゴウカザルは、赤いポフィンを手に取る。美味しそうに頬張るゴウカザルを見て、ガバイトは、徐に青いポフィンを手に取った。
「クオンって、ジムバッジをいくつ持っているの?」
『ジムバッジ』
ポケモントレーナーとして、知らぬものなどいない、この言葉。
各地方には、8人のジムリーダーがいて、挑戦し、勝利すると貰える証である。
8人のジムリーダーを打ち倒し、ジムバッジを8つ集めたトレーナーは、その地方のポケモンリーグの挑戦資格が得られる。更に、ジムバッジを8つ以上持つトレーナーは、治安維持を目的とするトレーナーから、その高い実力と信頼性を買われて、その場で捜査協力を頼まれることがある。多くのトレーナーは、それらに憧れ、挫折する。
2人で試合のことを振り返り、話し合っていた際に、ラクはクオンにそう言った。
一見、他愛もない問いなのだが、クオンの表情は硬くなる。
* * *
ラクはジムバッジを2つも持っているのか、道理で強かったわけか。
───こんなにも美味しい料理がある店に案内されて、熱いバトルの礼だと言う彼に、いつもなら、軽く口走っている"この嘘"は、つけないな。
「1つも持っていないんだ」
クオンは、高みを目指すことを諦めたトレーナーである。
バトルをした後に相手から、ジムバッジの数を聞かれることがあったが、5個、4個と適当な数を言っていた。
こうなることを予測するべきだった。
クオンは、後悔していた。
* * *
あの実力で、バッジを持っていない。僕のゴウカザルは、バッジを7つ持っていたトレーナーのエースポケモンに勝ったこともあるんだ。
当然だが、ラクは動揺する。
いくらゴウカザルが連戦で疲れていた、と考えた場合でもだ。
脳裏に焼き付いた試合は、駆け出しのトレーナーを相手に、ジムリーダーが消化試合をやっているようなもの。己の実力が、そんなものだと思えてしまい、彼の感情が高ぶった。
「そんな実力があるのに、ジム巡りの旅をしていないのは、もったいないよ!」
気付けば、怒り任せに言葉を放っていた。
聞いた彼の表情は、ピクリとも動かない。
この瞬間、興味がないとか、強くなくてもいいとか、そういうものではない何かだと、ラクは感じていた。
「──若いうちに、多く失敗していた方がいいものだ、少年!」
2人がいる席に、藍色のスーツを着た中年男性が立つ。
大の大人が盗み聞きをしていて、子供の輪の中に入るのかという状況に、2人の思考は停止した。
「ズイタウンに強そうな"ブイゼル"を連れている、白いニット帽をかぶったトレーナーがいて、君と似たようなこと言う少年だった。ジム巡りに興味がないとか、とりあえず一度会ってみたらどうだ?」
男性は、そのまま彼らの声に、耳を貸すことなく、店から出て行く。酔った拍子で話す内容ではないからこそ、その言動が不気味に感じていた。
◆ ◇ ◆ ◇
2人が店から出るころには、辺りはすっかり暗くなっていた。柔らかな色合いの街並みから、陽光を奪えば、こんなにも不安な気持ちにさせるのか。
街灯を頼りに2人は、208番道路の入り口にやってくる。
「今日は本当にありがとう! またどこかで会えれば!」
ラクは、今からハクタイシティを目指し、ジムに挑戦するつもりだと、クオンに告げて、歩いていく。クオンには、そんな勇ましい背中と、遠くにあるテンガン山がぼんやりと見えていた。
クオンは、ふと後ろにある案内板を見つめた。
「──とりあえず、か」
ずっと目的のない旅を続けるつもりだった。
『君と似たようなこと言う少年だった』
あの時の言葉、どうしても引っかかる。
──ズイタウンに行くのはこれで何回目だろうか。
ヨスガシティとトバリシティの道中にある小さな町に、自分と似ているか。
そのトレーナーに、期待なんてしていない。自分の気持ちは、きっと変わらないだろう。