終わってしまった世界の中で   作:落着

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透き通った街

 ゆっくり。ゆっくり。落ちていく。

 ゆらゆらと揺れる光が、世界の輪郭を不安定にさせる。

 離れていく小さな球は、光を弾いて煌めいていた。

 投げ出した五体は、私の意志から離れて静かに揺蕩う。

 私以外に影はなく、私以外の誰かもいない。

 ごぽりと音を浮かばせる。停滞した世界に波紋を生み出す。

 冷たい世界が、私の熱を教えてくれる。

 包み込まれる感覚は、不思議と安堵を与えてくれる。

 すぅっと両腕を薙ぐ。生まれた動きが新たな流れを作り出す。

 どこへだって行けそうな気がする。けれども私はここにとどまっている。

 この煌めく水の世界に、私はいる。

 

 

 

 がたがたと連続する音が、廃棄された線路に響き渡る。人の手が入らなくなり、平坦性が失われた悪路に電動二輪(バイク)が不満を漏らしていた。

 君の気持は痛いほどわかる。私の臀部の痛みも相当なものだから。私も君と同じだけ痛いよ、なんて内心で嘯きながらバイクを酷使する。目的地はもうすぐ。走行距離のメーターが、私に教えてくれていた。

 目指している都市が放棄されたのは、もう随分と昔の話。私が生まれるよりもずっとずっと昔の事だ。

 都市間を繋ぐ役目を持つ線路も、流れた時間が好き勝手に侵食していた。補修を行われることのなくなった線路は、少しずつ自然に飲み込まれ始めていた。

 地上からしみ込んでくる水が、ぽつりぽつりと滴っている。天井から氷柱のように成長している鍾乳石は、一センチ程度だろうか。下から伸びていく石筍はまだほとんど見当たらない。

 もう百年くらいは、私みたいに自動二輪で移動できるかもしれない。その先はどうだろうか。いつかは自然の洞窟と変わらない姿になるのかな。私のいなくなった未来に、少しだけ思いをはせる。

 けれども、どれだけ思いを巡らせようと、そこに私はいない。その事実が少しだけ寂しくて、いつか来る死を連想してしまい心が冷えた。

 

「やめよ」

 

 生まれた恐怖を振り切るように、私はバイクの速度を上げた。がたつきはひどくなったし、お尻はもっと悲鳴を上げた。けれども、気分はちょっとだけマシになった。

 そろそろ痛みが限界に近付いてきたころ、ようやく目的としている場所にたどり着いた。下り坂の先が、きらきらと光を弾いている。速度を緩めて手前で停車。光を弾いていた水面は、波一つ立てず、ピンと張りつめていた。

 バイクのライトで先を照らす。進行方向は水没している。下り坂に合わせて、徐々に水没度合いが増している。二十メートルも進めば、天井までも水の中。ここから先は、もうバイクでは進めない。

 けれども準備は万端である。目的地の都市が水没していることは、過去の資料から把握済みだ。水中装備が必要なくらい、子供でも分かる。

 実際のところ、子供は放棄された都市に行こうなんて考えないし、子供じゃなくても普通は考えない。

 

「高かったんだからしっかり働いてよ」

 

 バイクの後部に積んでいた装備一式を下ろす。私の言葉に返答してくれるわけではないが、鈍く光るタンクは頼もしく見えた。拳同士をぶつけるみたいに、コンと叩けば、実に快活な音を返してくれた。やる気は十分みたいだ。

 バイクのライトを頼りに、作業を進める。タンク内の空気の確認、レギュレーターやら何やらの取り付け。タンク側の準備ができれば、私もウェットスーツを身に着けて潜水準備を済ましていく。

 

「寒いな」

 

 吐き出した息は白く染まっていた。気温を測定すると十度と表示される。ついでと水温も測れば似たようなもの。寒いわけだ。

 荷物の中から固形食糧を一つ取り出す。カロリーを摂取し、少しでも体温の足しにしておく。劇的な効果はないが、食べないよりましだろう。

 最低ランクの固形食糧は、食べるのも苦痛なのだが、今からの探索を思えばまるで気にならない。けれども次回以降は、なるべく買い控えたい。今回は装備に割いてしまったから、選択の余地はなかったのだが。

 食べ終えてから、手についたカスをぱんぱんと払う。バイクの電源を落とし、額に着けたヘッドライトをオンにする。頭を動かして視界を確認してみるが、視線と照らす位置に問題はない。

 タンクを取り付け、マウスピースを咥え、フィンを履き、最後にとっておきを取り出す。

 どうにもわくわくしてしまう。大人になりきれないと自嘲しつつも、大人になりきれなくていいとも思う。私の人生だ。私の好きに生きていきたい。

 一歩目を踏み出す。水が足首までを包み込んだ。

 二歩目を踏み出す。ふくらはぎの半分までが沈み込んだ。

 冷たい。寒い。踏み出すごとに抵抗が増していく。けれどもそれ以上に、楽しい。バシャバシャと水面に波紋を広げながら、私はずんずんと進んでいく。膝が、腰が、胸が、そして頭が水へと沈んでいく。

 世界が変わっていく。ここは、空気のない別世界だ。

 ごぽごぽと音を立て、気泡が私を置いていく。水面へと昇っていく泡は、光に照らされ煌めいていた。ゆらゆらと揺れる泡は、まるで私を誘っているみたい。「君は来ないの?」とささやいてゆるゆると登っていく。腕を伸ばして捕まえるが、指の隙間から逃げて行ってしまった。

 水中の感動を一通り味わい、本来の目的へと戻る。最後に取り出したとっておき、水中スクーターを稼働させる。バイクのハンドル部分を取り外し、計器類の部分をスクリューへ変えたような機械。流石に泳いでいくには少しばかり距離がある。

 ハンドル部分をしっかり握り、スクリューを稼働させる。スクリューが徐々に回転数を上げ、私の身体を引っ張り始める。体勢を整えつつ、速度を加速させていく。

 目的地はもうすぐだ。

 

 

 

 

 水没した線路を標に、水中洞窟と化した道を進む。透明度が高く、ずいぶんと遠くまで視界を確保できていた。百メートルくらいは問題なく見ることができる。

 スクーターの操作に慣れたころに、通路の終わりが見えてきた。はやる心が、スクリューの回転を速める。都市の入り口の門を通り抜け、ようやく水没都市へと到達した。

 先ほどまですぐ近くにあった線路の天井が消え、空間が広がる。

 見上げれば、随分と高い位置に天井が見えた。いつもは見上げるだけの天井が、変わらぬ顔でそこにはあった。でも今は、少しだけ違う。スクーターの進行方向を変える。

 浮かんでいく泡を「お先に失礼」と追い抜く。見上げるしかなかった天井へとたどり着く。落盤防止のための金属板に覆われた天井が目の前にある。

 だが、見上げるしかなかった天井だったからと、気分が高揚して近づいてみたが、別段なんの感慨も浮かばなかった。まぁ、そんなもんだろう。そんな感想しか湧かなかった。

 せっかくだからと軽く叩いてみるが、うん、金属だ。ここはもう十分かなと、興味を都市へと戻し、言葉を失った。

 

『すごい……』

 

 それ以上の感想が続かなかった。立ち並ぶ高層の建物が、天井を支える柱が、見知っている普段の街並みが、私の眼下に広がっていた。

 私は今、街の中を飛んでいる。知っている街並みなのに、知らない場所にいるみたい。道の上から、建物の屋上から見ていた景色とは全然違う。上から見下ろした世界が、こんなにも違って見えるなんて知らなかった。

 現実なのに、現実ではないみたいで、違う世界に迷い込んだみたいなのに、知っている世界で。見知ったはずの物の新しい側面を発見したみたいで、強烈なまでの新鮮さがここにはあった。

 心臓がどくどくする。楽しくてわくわくする。この感動を、無性に誰かと分かち合いたくて仕方がない。冷たい水の中なのに、興奮した体が熱くてたまらない。大声で叫びだしたくなる。

 もっと近くで見たい。もっと別の角度で見たい。たくさんの見たいで心が満ちていく。

 スクーターを稼働させる。背の高い建物の間をすり抜けていく。上へ下へと、縦横無尽に泳ぎ回る。重力に捕らわれず、街の中を自由に動く。透き通った透明な世界を我が物顔で飛び回る。まるで空飛ぶヒーローになった気分だった。

 どれだけそうして泳いだだろうか。高ぶっていた興奮が、得られた満足感により少しだけ落ち着く。

 あれだけはしゃいでおいてなんだが、遊んでばかりもいられない。空気の残量を確認しつつ、目的の物を探すために動き始める。

 再び天井を目指して上昇する。建物よりも高い位置で止まり、辺りを見渡す。透明度が高いことが幸いして、探し物はすぐに見つかった。

 

『見つけた』

 

 見つけたものは、ぽっかりと開いた穴。この都市を水没させた、水の出どころだ。

 近づくと穴が意外と大きいことが分かった。私の背丈の三倍くらい、五メートル弱は有りそうだ。穴の淵には、ぶち抜かれた金属板が、歯のようにぎざぎざと並んでいた。大口を開いた何かの生き物のようにも、この穴は見えるかもしれない。

 

『ここが……』

 

 ライトで照らしても、見通せる視界よりもずっと長く続いている穴の奥は、暗闇に呑まれている。

 

『どこまで続いているのかな。もしかしたら外まで……』

 

 続いているのだろうか。わからない。興味はある。道具もある。でも。

 

『勇気が足りない』

 

 自嘲気味な呟きは、周りの水に飲まれて潰れた。さらなる冒険へと、未知なる冒険へと旅立つには、私はどうしようもないほどに臆病であった。放棄された都市へどれだけ行こうと、それらはすべて事前の下調べをしている。

 私の冒険は、未知を既知へと変えるものではない。既知を体感する冒険だ。だから、目の前に広がっている闇へと踏み出せない。

 高さを保っているための立ち泳ぎをやめた。身体についている潜水用の重りが、私の身体を沈めていく。

 ゆっくりと身体が沈んでいく。大きな穴が少しずつ遠のいて小さくなっていく。

 私を追い抜き穴へと消えていく泡は、いつか地上へ出るのだろうか。不規則に揺れ浮かぶ泡は、ヘッドライトの光を受け、どうしようもないほどに煌めいていた。

 

『どこまで行くの?』

 

 私の問いに、煌めく泡たちはむろん答えてくれなかった。私を気にすることなく、一度も止まらず穴へと飲まれていった。消えゆく泡に、私も行くからとは追いかけられなかった。

 目の前にあるきっかけは、果てしなく遠かった。興奮が冷め、周囲の水の冷たさが押し寄せてくる。だが周囲が冷たくとも凍えていない。それがまだ私の中には熱が残っていると教えてくれるようであった。

 穴が遠のいていくさまをじっと見続ける。いつしか身体が水底へとたどり着き、堆積していた土を巻き上げた。

 

『今はいけない。でも……いつかきっと……』

 

 逃げ続けられず水底にぶつかったように、いつの日か心の中で区切りをつけて、一歩を踏み出せたらいいな。くすぶっている熱を燃え上がらせたい。そんなことを私はこの水没した都市の水底で考えていた。

 

『私はここにいる』

 

 ごぽりと気泡が再び浮かんでいく。私の言葉も気泡に乗って、地上まで届かないだろうか。

 

 

 

 

「没歴八百四十二年、十一月十五日。これは私、リュカの残した記録である。ここは今から百二十五年前に水没した都市である。文献によれば、ある箇所の天井から水が漏れはじめ、日に日に流量が増え、最後には大穴が開いたとある。確認したところ、年北西部の天井に確かに──」

 

 空気の残量に多少の余裕をもち、私は入水ポイントまで引き返した。水中での記録は可能だが、私の音声を入れられないため、今回は現地での撮影は断念した。

 しかし、折角だからとタンクを下ろした後、スーツは脱がずに腰まで水の浸かる位置へ移動してから記録を開始した。正直一度温まってからやればよかったと思う。けれどもこの記録装置に取り直しなどと言った気の利く機能はない。最後まで撮り切るしかないわけだ。

 

 

「──以上が、私が探索した範囲での知見と考察だ。これは後世への記録であると同時に証だ。私はここにいた。その証である。それでは最後まで音声を聞いてくれた誰かよ、ありがとう」

 

 録音を終えた装置を眺める。振り返り、装置を放り投げる。

 ちゃぽん。水音が鳴り、波紋が生まれた。水没した線路へと記録装置が沈んでいく。

 水面で反射する光が、沈みゆく記録装置を隠してしまう。

 

「寒い」

 

 電熱器を取り出して、お湯でも飲もう。ここにはきれいな水がたくさんあるのだから。

 

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