ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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 今日は女を犯した。遊郭の、馬鹿そうなやつに声をかけた。部屋の中は夾竹桃が香って、女はなにもわからなさそうに喘ぐから、すぐに、私のとこにも鎌鼬がやってきて、なにもわからなくさせられた。そんな透明な白い判然とした混迷の渦中に女を殺した。殺したかった。
 店を出ると、遊郭の通りにはいてもいなくてもよさそうなやつが群れを成していた。こんなに人がたくさんいるなら、やっぱり一人ぐらい減ったって、バレやしないんじゃないかと、そう思った。
 血の池地獄は封鎖されていた。当てもなく旧都をさまようと、通りの外れの掲示板に、『血の池地獄、埋め立て反対!』なんて弱者の泣き言が綴られていて、思わず笑ってしまった。
 遊郭の近辺では夜になると灯りが踊る。夜は正常に鋭さを増して、狂ったように提灯が回った。妖しい緑橙桃も混ざって、子供の落書きの様な夜だった。私は、そんな厭らしい喧騒の中に、それらしい空席を見つけて、座り込んで、また、笑った。

 聖白蓮。それが、私にかかった、清らかな呪いの名前。




鵺似、有、塩味。7

 

 

 お面の日がやってきた!

 通りには屋台と人が踊って、私の脳では、月の笑う夜空の下、橙に照らされた祭りの喧騒ばかりが点滅する! あれ、船幽霊に脳とかあるのかな。頭かち割って確認してみたい。

 

「キスメ、私、もの食ってるところ見られるの、嫌いなんだよ。ちょっとそっち向いてろよ」

「なにさ、急に。別に水蜜のことなんて見てないじゃん! もう、わかったよ。……こう?」

 

 私は手に持ったクレープを面の下に運ぶ。この日のために練習したんだ。あの手品はもう鼠の専売特許なんかじゃない。

 

「おいキスメ、ちょっと、こっち見てみろよ」

「なにさー、見るなって言ったり見ろって言ったり、今日の水蜜、なんかへ……え! クレープ、どこやっちゃったの!」

 

 わたしもやりたいわたしにも教えて、なんて言って、キスメは自分のクレープを私に渡して――駄洒落!――例の手品の再現を要求する。教えて、と言うだけでなく見て盗もうというキスメの心意気は実に愉快だ。あはは、励めよ。そして体得するんだ。

 

「おいおいキスメ、言っただろ? 私はもの食ってるところ人に見られんの、嫌いなんだよ。あんまり、こっちを見ないでくれ」

「水蜜のいじわる! もういいよ。クレープ返して」

 

 一度人にあげたものを、後になって、「やっぱり返して」なんて、些か我儘が過ぎるのではなかろうか。それは不誠実というものだ。キスメは今回のクレープを文字通り、取り返しがつくもの、と考えて私に譲渡し、そして、やっぱり返して、を発音したのかもしれない。けれど、それは大間違いである。なぜなら、人に何かを託すというのは、本来目に見えないところでのやり取りなのだから。一方が一方を信頼し、託す。一方も一方を信頼し、受け取る。物のやり取りは常に、目には見えない信頼のやり取りなのである。心のやり取りなのである。それをこの釣瓶落としは……はて。船幽霊の心とは一体どこにあるのだろう。なんにせよ、一度頭をかち割ってみる必要がある。

 そんなことを考えているうちに、クレープはこの手から掠め取られていってしまった。キスメには覆水盆に返らずの意味を教えてやらなくちゃいけないらしい。

 

「よしキスメ、次はしょっぱいものが食べたいよ。案内してくれ」

「別に、いいけどさ。たこ焼きとかでいい?」

 

 地底でタコなんか獲れるのか。私のそれでいいに、キスメは面倒そうにお返事したのち、小声でぶつくさとした。曰く、全然人殺さないじゃん、とかなんとか。

 

 お面の日。地底は私の予想より何倍も平和だった。目抜き通りから路地、旧都の外れに至るまで何らかの露店や屋台に埋め尽くされて、店の数だけ人だかりがあった。普段遊郭で働いてそうな若い女衆はいい匂いのする浴衣を着込んで、男は、まあ、普段とあまり変わらない。ただみんな、様々に面を被っている。面を被ったものの中には当然人間も紛れているのだろう。現に、あからさまに人間らしきやつらとはチラホラすれ違っている。ただ、誰もそんなことは気にも留めずに、屋台で団子やなんかを買い込んで、酒を飲んで、歩いている。もしかすると、みな、友人との交遊の最中に不思議なほど鎌首をもたげる性欲を隠すみたいに、すれ違う人間達に内心で舌舐めずりをしているのかもしれないが、少なくとも。私の、黒目の面越しの、薄暗い視界に映る橙の喧騒は、平和に思えた。

 

「まあ待てよ。人を殺すならまず腹ごしらえ、常識じゃないか」

「聞いたことないよ、そんな常識。まるっきり逆じゃん。人を殺すのは、お腹が減るのとおんなじだもん」

 

 この華やかな橙の裏に、死に至らしめる暴力が跋扈しているとは、思えなかった。また、私の脳でイメージが蠢く。イメージはヒル状となって、脳の表面を這いずり回る。洗うにしたって、やはり頭をかち割らなきゃいけない。洗うための水は桶で汲もう。

 

「なあキスメ。いい加減さ、嘘つくのやめろよ。前に、私のことを、人なんか殺せない臆病者だなんて言ってたけど。それはさ、お前の方だろ」

「え? な、なにさ、急に。なんで、急にそんなこと言うのさ! やっぱり変だよ。今日の水蜜、なんか変!」

「誤魔化すなよ。だってさ、お前、ひょろっちいもん。この日に備えて真っ先にお面買いに行くような臆病者が何言ったってさ、信じらんないね。実際」

「そ、それはさぁ! たしかに、そうだけど、妖怪らしくないかもしれないけど! 水蜜とこうやって屋台まわったりできるかも、って思ったら、楽しみだったから……水蜜だって、さっきまで楽しそうにしてたじゃん! アイス食べてさ、クレープ食べてさ! 仲良くやってたじゃん! なのに、なんで急に、そんなこと言うのさー!」

「おいおい、いまそんな話してたか? してないだろ。お前はいっつもそうだよ、キスメ。自分の話したくないことになるとそうやって話をずらすか、『難しい話? じゃあいいや』なんて言って逃げる。私がいま話してるのはさ、お前のそういう、卑怯で浅ましくて臆病なところだよ」

「……ひどいよ。わけわかんない、ひどいよ水蜜! ひどい!」

 

 キスメは走ってどっかに行った。去り際、私に投げつけるために外された面の裏っ側、もしかすると泣いていたかもしれない。私が思うのは、人殺しなんて、もはやそんな大層なものでもないということ。それは、すこし汚れた自分を演出するための、煙草やなんかとさして変わらないもので、それはただの娯楽なんだと、なんとはなしにわかっていた。矜恃とか、誇りとか、そういうのとはちょっと無縁で、だから、キスメは泣いた。けれど、私はそうじゃない。そんなことでは泣けないし、殊勝に生きたら消えてしまう。

 

 もし聖に逢えたなら、問いただすことができるだろうか。生きようとすれば消えてしまう悪霊を、何故生かしておいたのか。ふと、屋台のひとつを軽蔑する。長方形の淀みのなか、誰にも掬われることのない、醜く肥大した、金魚が泳いだ。

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