ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
キスメの話していた公園は、本当にフェンスに囲まれていて、どこにも入口が見当たらない。夜間侵入禁止の看板も、切れる気配のない照明もあった。私はキスメの話を嘘だと思っていたが、どうやら本当らしい。しかしまだ、キスメの話を疑う余地はある。入口が無いはずの公園には、何故か、人がいた。一人、妙な女だ。髪の色も、尖った耳も、人間のそれじゃない。女はベンチに座ってなにやらつまらなさそうな冊子を眺めている。女のもっとも妙な箇所は、顔。面をつけていなかった。無表情に雑誌を眺める女の顔、絵画とすれば、我関せず、なんて額縁がはまる。けれども、重要なのは女じゃない。女が、どこから公園に入ったかだ。まさか、よじ登ったということはないだろう。だって、スカートだし? 妖怪と言えども、女の子だし?
しかし、外周を何度か回ってみても、入口らしきところは見当たらなかった。じゃあ、キスメの話がほんとってこと? 入口なんかなくて、ベンチの女は、よじ登ったってこと? スカートで? ひゃー!
どうも、この公園を考えると、調子が狂う。フェンスに囲まれた赤土と生垣は、不自然なほどに、自然に思える。まるでこの地底の喧騒やいやらしさから切り離されて、別の空間のように凪いでいる。女の我関せずといった表情に日が差しているようにもみえる。あり得ないことではあるが、公園には、空があって、昼陽夕景星月が、普通に流れているように思えた。
あー私も、あの女みたく、面なぞつけず、我関せずでいればよかった。好きでもないやつらと無意味に馴れ合わずに、ねぐらでじっとしていればよかったんだ。後悔先に立たずってのは嫌な言葉だ。一番鬱陶しいタイミングに現れやがる。キスメの話は本当だった。公園に入口は無い。どうしたって見つからない。だけど男は生きていた! 遊郭で、女と歩いていやがった! キスメの話は嘘だ。キスメは無作為なんかじゃない。キスメは、人も殺せない臆病さを隠して、他人に無作為なやつと思われるように振る舞う、本当の臆病者だった!
なら、あの骸はなんだ。鵺と見つけたあの骸、廊下に〝すわる〟シュールな骸。誰の骸だ、誰が殺した。綺麗に頭が凹んでいた。決まってる、キスメが殺したんだ! キスメは無作為なんかじゃない、臆病でもない。あいつは人を殺すのが下手で、それを恥ずかしがるような、妖怪らしい妖怪じゃないか! あー、それが私と、なんの関係があるってんだ!
「ねえねえ、おねえちゃん!」
ああ、鬱陶しいなぁ!
「ひどいよ、おねえちゃん。なんでキスメちゃんにあんなこと言ったのさ」
旧地獄百景まで歩けば、血の池はたしかに封鎖されていた。封鎖されていた血の池のみならず、見渡す限りすべての地獄に虎柄のロープが張られている。怪訝なのは新歓楽街建設予定地なんて看板と、ロープの前、面をつけてつんのめった有象無象だ。
「こいし、おねえちゃんのこと、ほんとにわかんない! キスメちゃんと仲良くしたと思ったら傷つけるようなこと言ったり、ぬえって人のこと、嫌いなのかと思ったら普通にお喋りしてたり、私のこと、急に無視し始めたりしてさー!」
有象無象はなにやら思い思いにヤジを飛ばす。それは、掲示板で読んだ通りの泣き言だ。我々の地獄を奪うな、だとか、景観を乱すな、だとか、言葉は違えど、言ってることはおんなじだ。結局のところは弱者の泣き言。ロープの前で堂々と胡座を組む一角の鬼にゃ響かない。まず鬼は面なぞつけちゃいない。キスメの言う通りだ、自信満々を通り越して、有象無象を呆れるような目つきで舐めている。
「あー。お前ら、ネオンって知ってるか」
不意に、鬼が口を開いた。瞬間、有象無象は聴衆に変わる。どいつもこいつも面の内側で、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと、なにやら不服そうに発音する。鬼は聴衆の誰一人にも頓着せずに、口を動かす。
「ネオンだよ。ネオンライト。あたしはね、こないだ古明地のところで観させてもらったんだけど。いや、ありゃあ発明だね。提灯なんかとは大違いだよ」
鬼が喋る。聴衆が野次を飛ばす。
「わかるかい? あたしが作ったようなもんだから、あたしが言うのもなんだけどね、あんな、時化た遊郭なんざ、もう時代遅れなのさ。この歓楽街はよっぽど賑やかになるよ、煌びやかになるよ。店も、宿も、たくさん出来る。ネオンが光って、常世の国さ。あんたらだって働き口が見つかるし、持ち家ってわけにゃいかないが、宿もある。毎日毎日血の池に落ちてさ、望んだ通りの悪夢を見て、路上で眠るような暮らしとはおさらばできるんだよ。働いて、金をもらって、浴びるように酒を飲んで、宿で眠る。世のため人のためってやつだな。いいじゃないか、いいところへゆけるよ」
鬼が喋る。聴衆が野次を飛ばす。
「もうね。冥福の前借りなんざ時代遅れなのさ。そのお面にしたってそうだ。今日日人死になんて聞きゃしない。え、そうだろう。現に面を外したあたしにとっかかってくるやつも、いやしないじゃないか。時代は変わるんだよ。地底も地底で、前に進もうとしてる。それを、なんだい揃いも揃って……ええ? 血の池だけでもって、そりゃあ無理だよ。ここは一番はじめに埋めるんだ。建設が終わるまでの間、事務所が立つんだから。となりに簡易宿泊所も建つし、ほんと。どうしてそう、後ろ向きなものに対してだけ前向きなんだろうねぇ。死してなおここに居座ろうってわけかい? なんだかなあ、それだけ気概があるなら、普通に前に進みゃいいじゃないか。まあとにかく、文句があるならいくらでも相手してやるよ。そのために、あたしはここに座ってんだから」
鬼は喋る。
聴衆は、調音白けつつ、なんとか喚いた。欲しいものの手に入らないことを知って、なお諦めのつかない子供のような声だった。
「ねえ、血の池地獄がなくなるの、そんなにいやなの?」
何を言っても、面の内側からじゃ嘘になりそうな気がした。だから黙って、最初からそこにいなかった気になって、私は、血の池地獄をあとにした。
「ねえ! なんで無視するの! いい加減、聞いてくれてもいいと思うんですけど!」
今日は珍しく寝床まで付いて来やがった。会った時から一貫して、「謝りたいことがある」とかなんとか。だったら態度を改めるとか、いろいろ、あると思うんだけど、化け物にそこまで要求するのは酷なのかもしれない。それに、謝られる筋合いだってない。もし、普段の態度を謝りたいって話なら、謝らせてなんかやるものか。許す許さない以前に、関わり合いになりたくないんだ。こっちは。
「謝りたいってんなら、無駄なことごちゃごちゃ言ってるうちにさ、謝りゃいいじゃないか。ほんとに悪いと思ってんのか? なんだか知らないけどさ」
聞くや否や目玉の化け物はしゅんとして、纏った布切れ、腹のあたりをきゅっと握る。あーあー、少女らしく振舞っちゃって、こいつもどうも、胡散臭くてしかたない。たまにいるんだ。一瞬で、なんとなくわかっちまうやつが。わかってるくせして、なんも知らないふりで、嫌な質問ばっかりしてくるやつ。わからないんです興味があるんです他意はありません。そういう手合いは一番タチが悪い。手に負えない。
「それは、その。そうだったかも。……でもそれは、おねえちゃんがお面つけてくれてたりして、嬉しくて、無視したりして、寂しくて……」
「面を返してくれって話か? おう返すよ。返すからいますぐ出てけ。寝床までずかずか上がり込んできやがって。色情狂でももうちょっとマシだよ」
ごめんなさい。面も受け取らず、うなだれて、そのまま出て行った。
…
……
あー。
水滴の、音が聞こえる。
連中。
鼠。
キスメ。
鬼。
目玉の怪物。
公園の女。
どの顔も、鮮明に浮かぶ。
解せないのは鵺。
連想に割り込んできやがるわりに、顔が見えない。
あー、なんて。
不愉快な一日だった。
忌々しいから面をつけたまま眠ってやった。
嘘だ。
寝苦しいからすぐ外した。
聖の顔を、忘れたことに気がついた。
ごめんなさい、か。どうだかな。
私は誰に、謝ろう。
…
……
今日は髪を切った。
…
……