ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
カレー。無い方がマシ味の料理を出すこの店も、これでもう食い納めだ。エビフライを三尾つけた。鼠と飯を食ったあの日以降、隣の席の、アホ面の男によく気がつくようになった。アホ面はまた目を丸くして、私のカレーを覗き込む。羨ましいか。あげないぞ。
不味い飯というのも、食べ続ければなんとはなしに愛着が湧いてくる。はじめの頃はわざわざ高い金を払っていい米なんかを食べたものだが、いまとなってはこの米が、妙にしっくり来るようになった。そして、なによりエビフライ。カレーはやはり――。
「お。髪切った? なに、失恋? そういうことなら、聞いてあげるよあたしがさぁ。じゃあ、向かいに失礼するよ」
――とりわけてご機嫌な連想を不愉快な声が遮った。そいつは対面、大盛りのカレーをわざとらしく音を立て置き、ゆっくりと向かいの席についた。そいつのカレーには三尾、エビフライが乗っかっている。何から何まで腹の立つやつ。顔も見たくない、声だけでわかる。鵺だ。
「失恋? 私が? なんで。どっからそういう、貧困な発想が湧いてくるわけ? 大妖怪の脳ってみんな、そういうふうにできてんのかな」
やつが一笑洩らして、カレーを運ぶ。食う前に手を合わせるとか、そういうこと教えられてこなかったのかな。大妖怪なのに。
「なんでって、だって、髪切ってるからさ。まあいいや。……ねえ。答え合わせをしようよ」
この、なんていうのかな。隣の席の他人とさ、見えない友情が芽生え始めてるわけ。こっちは。お、こいつは今日もエビフライなのか。しかも三尾だ。なんかいいことあったのかな。なんて考えてるわけ、あのアホ面は。対して私も、うわ、こいつ今日も焼き魚定かよ。しかもご飯大盛り。なんだろう、味云々の前にセンスがないよね。もう四日連続じゃん。なんてことをさ、考えてるわけじゃん。それをこの鵺は空気も読まずにぶち壊す気満々で、なんちゅう話を切り出しやがる。隣の席のアホ面に、よく知りもしないこの他人に、嫌われちまったらどうするんだよ。
「答え合わせ? ああ、あれね。キスメだよ、犯人は。私が頼んだんだ、あの男を殺してくれって」
鵺がまた笑う。口元に寄せたスプーンを離して笑った。何がそんなに面白いのか知らないが、笑顔は意外とかわいい。なんとはなしに爽やかな笑みで、非常に不愉快だ。隣のアホ面はやはり目を丸くして、こちらを見ている。見てんじゃねえぞ!
「そんなことじゃないよ。もっと、こうさ。内省的で、よねよねっとした……そう。あんたの話だよ、ムラサ」
うわ、きもちわる。なんで知ってんだ。
「ねえ、普通さぁ。名前隠すにしたって、下の方を隠すもんじゃないの? なんで、ムラサ、じゃなくて、ミナミツ、って名乗ってるのさ。ねえ、なんで? 教えてよ、ムラサ」
せっかく三尾つけたんだ。冷めたらもったいない。少し、カレーを食べることに専念しないといけない。スプーンで、エビフライを米ごと刻む感触は妙に小気味良い。直線に切り分けられた米の断面も、規則的に、角を削るように失われていく嵩もおんなじだ。飯を食うときってのは、無言が一番で、適した話題が二番。それ以外は存在しない。
「知ってるんだろ? 回りくどいのはよせよ。話したいことがあるなら勝手に喋ってろ。あんま、口を大きく開けるなよ。皿はでかいんだ」
問題は、こいつがどこまで知ってるかだ。だけど、それはあくまで問題であって、今となっちゃ重要じゃない。どこまで知ってようが知ってまいが、カレーを食って、店を出る。それだけだ。
「ああ。ごめんね、聞いたんだよ。ムラサ、あんた尼なんだって? いやあ驚いたよ。なんでも聖白蓮とか云うブチギレに帰依したとかなんとか。あのさぁ、純粋に興味があるんだけど、ムラサって読経とかどうしてたの? だって消えちゃうじゃん。あれ、無関係のあたしでさえも耳障りに思うのに、船幽霊が読経なんて。いや、度胸があるよねぇ。あ、ダジャレ言っちった。違うんだよ、悪気はないんだ。ごめんよムラサ」
身振り手振りやなんかで、やつが一瞬右を向いた瞬間に、例の手品を見舞ってやった。気持ちよく話しているところ、不意に対面の皿が空けば多少の狼狽も道理だ。まごまごして、水を飲んではカレーを運び、また水を飲んで見せる。あー、いい気味だ。隣の男がさらに目を丸くしていた。よかったな、タネがわかって。
「あれ、水蜜、カレー、いつの間に……ま、まあいいや。それでさ、ムラサ。あたし、やっとあんたのことがわかったんだよ。いままでずっと、決めあぐねてたんだけどね。その話を聞いてわかったんだ。ムラサあんたは、正体不明を気取りたいだけの、なにもかもが中途半端な悪霊だ。な、そうだろ!」
隣の男が首を傾げつつ何もわからなさそうに二、三頷く。なんだろう。今まで他人だったやつと急に距離が縮まるってのは、なんだかとても面映い。でも、残念だな。私のこと知ってくれたのは嬉しいけど、もうこの店に来ることはない。おまえのアホ面ももう見納めだ。鵺が居なきゃ告白したりしたかもしれない。だけど、鵺が居なきゃ、距離が縮まることもなかった。感謝と侮蔑、どっちを取るつもりもない。
「なあヌエ。その、ブチギレなんだけどもね。近々復活するんだよ。だから私も、近々出てく」
キョトンとしやがる。それはキスメの顔だぞ、お前がしていい顔じゃない。
「え、いつ?」
「なんで教えてもらえると思ってんのさ。どうしても知りたきゃキスメに聞きなよ」
「え、キスメ、知ってんの」
「そりゃそうだろ。キスメはトモダチなんだから。それじゃあね」
しょっぱいものを食べると、甘いものが食べたくなる。人並みの欲の容器だ。しかしそれは、際限なく続くからタチが悪い。一つのもので満足できないから、人間ままならない。妖怪はその点、人間の何倍も欲深い。妖怪だからと、割り切っている。
私は例の甘味処へ行こうと考えたが、定食屋の付近をしばし歩いて、結局ねぐらに戻った。清算なんてのは、明日をまっとうに生きようとする者だけに絡みつく生理だ。ねぐらには面がある。貰い物と、そうじゃないやつで、合計二つ。一度返すと言ったからには、それを守らなきゃいけない気もするが、そんな気はもうさらさらない。人を溺れさせられない船幽霊も、船に乗らない船幽霊も、どちらにしたって、もはやただの悪霊だ。私は連中のところには戻らないと、そう決めた。