ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
どうか千の非を絶やすな 1
正邪と暮らし始めてから、また数年が経っていた。今じゃすっかり落ち着いて、最近では買い出しなんかにも行ってくれる。でも怪訝なのは、私が眠ったあと、こいつがどこかへ消えていることだ。夜中に目を覚ますと、隣の布団は平たくなっていて、けれど、私もいちいち探しに行かない。牛乳やなんかを飲んで眠れば、明け方、布団はまた膨らんでいた。
こいつと一緒に暮らすのは初めてじゃない。今となっては懐かしい口車に乗った日々がはじめで、二回目はそのあと、三、四、五、六回目あたりはいろいろあって、たぶん、今回で七回目になる。でも六回目まではおよそ一、二年間の出来事だったし、それから随分間が開いての七回目だから、厳密には七回目じゃないかもしれない。その上に、今回暮らし始めてからもう数年が経ってるわけだから、私自身、過去のことはもう、いろいろあったとしか形容できなくなっている。本当に。
だから、寝息に合わせて嘘っぽく上下する布団をこうして眺めるのは、そう珍しいことじゃない。眠れない夜などというのは久しいけれど、なんとなく、布団の中で夜更かしをしてしまうような冬にはぴったりだった。
「いらないって言ってんじゃん」
そう言って、こいつはいつも、私に卵の黄身を寄越す。いくら両面焼いてあるからって、生焼けの黄身だけを箸でつまんで私の皿に移すとは、随分器用なものである。私にはできない。
「嫌いなんだって」
どうして食べないのかを聞けばいつだって、なんでもなさそうにこいつは言う。これだけ長く一緒に居ればもうすこし具体的な理由を知るのは簡単なことで、どうやら、やつは熟れたトマトが嫌いらしい。それから、こいつが卵の黄身を嫌う理由を知ったときに、もうひとつ分かったことがある。それは、こいつにそれ以上の具体性を求めるのは難しいってことと、時間は苛々とする些細な興味だって、やさしく押し流していくってこと。
とにかくこいつの嗜好だのなんだのに具体性を求めるのは無駄で、こいつの行動はいつも突発的だった。すぐに思い出せるものでひとつ。あれはいつかの冬の初めで、冬のわりに雪の降らない、普通の冬のことだった。遅れて起きてきたこいつに「なにたべたい」を尋ねれば、こいつはいつもどおりに「なんでもいい」を発音した。けれど冬先のことだったから、私の問いかけに、こいつは白菜とか豆腐とか、そのあたりの食い物で返答したかもしれない。とにかく白菜なんて高いからダメだったし、豆腐なんてのは、こいつじゃすぐに足りなくなるから論外だった。そもそも、あればあるだけなんでも食べるわけだから、正直聞くだけ無駄だった。冷蔵庫や引き出しに鍵をつけることを、いまだって検討している。
その頃にはもう魚釣りなんてやめていたから、食べるのはだいたい安い麺類とか、生姜に味噌を塗ったのとか、極々質素なものだった。それでも私とこいつの腹を満たすには十分だったし、夜になればぐっすりと眠れた。もっともこいつがぐっすりと眠ることは少なかったけれど、それはたまの気まぐれに贅沢をした夜でも同じことで、要望通りに鍋やなんかをつついた夜にさえ、こいつは何度も、寝苦しそうに寝返りをうってみせた。
しかしどうだっただろう。思えば、はじめの頃ならこいつは夜、比較的おとなしく眠っていた気がする。とすると、こいつの寝相が悪くなったのはちょうどその冬のことだったかもしれない。
その冬に初めて、やっとちらちらと雪が待った夜のことだった。何事もなく眠っていた私の布団は不意に剥がれて、理不尽な寒さに憤って飛び起きれば、電気まで点いているのだからすこし驚いた。溜息を吐いて眠い目を擦っている間、正邪はなにやら喚いていて、ともするとそれは涙の混じった声色だった。そんなことは初めてというか、久々というか、まあ、ほとんど初めてのことだったから、怪訝に感じて、私は寒さに眠気を苛められながら、惚けた視界にやつの姿を探した。当然狭い部屋だから、大した苦労もなく、すぐに畳の上を犬みたいにぐるぐるとするあいつを見つけられた。
「いらないんだ、こんなもの、いらない、いらねえ」
なにかそんなことを焦った口調でぶつぶつとやっていて、背中には懐かしい風呂敷を背負っていた。それは正邪が窃盗の際に好んで使う唐草で、見ればどうにも、トマトを盗んできたらしかった。唐草模様から赤黒く覗く鮮やかさは、蛍光灯の明るい夜には陰鬱だった。
「盗ってきたんだよ!」
私がしっかり起きたと分かれば、聞くまでもなく正邪は叫んだ。そのまま続く言葉はたしか、「でもな」それか、「だけどな」で、どちらにせよ、寝起きにはどうでもいいような文句だった。
「なぁ、わたしはいらないんだ! こんなもんはさぁ!」
半ば泣き叫びながらどたどたと窓を開けて、そのまま風呂敷ごと、正邪はトマトを外にほうった。一つのトマトだったら、ぐしゃ、とか、そんな軽い音が響いただけで済んだのかもしれないが、風呂敷には結構な量が包まっていた上に、向かいの安い長屋の壁にぶち当たったもんだから、随分な音が夜に響いた。
その後いっしょになって知らんふりを決め込んだのも、牛乳やスパゲッティを腹いっぱいやらせてやったのも、久々の窃盗を犯したあいつに対する処遇としては、ちょっと甘かったかもしれない。
そうしてその日はおとなしく眠ったけれど、そうだ。こいつの寝付きが悪くなったのは、きっとその日からだったに違いない。
私の寝相が悪くなったのもその頃だ。河童の企業努力の賜物によってテレビ・ラジオ類の普及した今となっては怪訝な、ともすれば面妖で危機感を煽るだけ煽るニュースはときたま神妙に放映された。内容といえば事実模糊とした、或いはオカルティックなもので、どうやらこの幻想郷に長い、あまりにも長すぎる紐が発生したらしい。第一発見者などはどうでもいいが、発見された場所は延々と続く田園地帯のあぜ道だから、おそらく暇を持て余した妖精が発見者で違いない。談によれば件の紐の“先端”はあぜ道の道すがらになおざりにされているようで、けれど、その紐の“先端”は時たま“短く”なっているらしい。噂、憶測が飛び交って、どうやら巷ではその紐に“導火線”という銘が打たれた。短くなった先端はいつだって焦げ跡がついて、週になんべん、或いは月になんべんかその長さを失っていった。
されどもその導火線がどこに繋がっているのか、知る者はこの狭い世界に一人としていやしない。導火線はまるで、排水パイプのように、至るところで散見された。人里にも、路地にも、稗田低付近の横丁にも、普段買い出しに行く目抜き通りでだって、いつも私の目についた。しかし、導火線は複数存在するわけではない。アレはあくまで一本の、途轍も長い紐であり、紐は延々と続くあぜ道から誰も知らないどこかへと繋がっている。ここから先はすべて私の憶測にはなるけれど、あの紐は、なにか、そう。世界の滅亡へと繋がっている気がしてならない。薄い、ティッシュのような根拠を述べるのならば、管理者の奴隷のマスメディアがあぜ道の、時たま短くなっていく紐に虎柄のロープを張ったことぐらいだ。とどのつまり、あの紐が導火線だとして、それが短くなるとどうしようもなく困る者がいるから、そういった措置を取るのである。私は間違っているのだろうか。
そう。あぜ道といえば田園だ。田園といえば作物だ。この時期ならばトマト泥棒にとっては絶好の稼ぎ処に違いない。あぜ道、トマト、紐――導火線。そこに、あの天邪鬼との相関を見いだせないことなんて、私に可能なのだろうか? そんなことは自明だ。あいつは夜な夜なトマトを盗んで、ようわからん心持ちで導火線に火をつけて、そしてまた、日和ってそれを踏みにじって帰途を辿る。そうして生まれるのが、隣家の外壁に染み付いて腐敗するトマトの果汁だ。
あー、わかってる。あいつは今でもまだ天邪鬼を捨てきれずに、どうしようもなく迷ってる。まったくもって、どうしようもないとしか形容することができないね。実際。