ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
緑の瞳に映る恋~青春パンク編 1
「あたしが思うに、やっぱりさ、優しいとか顔が良いとかよりさ、誠実なのが一番だよ」
「ああー、そこね、そこ大事だね」
薄暗い洞穴の中、地面には椅子替わりの桶がいくつか置かれている。壁には数多に組み込まれて太くなった蜘蛛の糸が張り巡らされており、その蜘蛛の糸には所々に棚の役割を果たす桶がぶら下がっていた。三、四つの椅子に囲まれたテーブルは桶ではなかったが、らしく御誂え向きに古びていた。
私はそんな椅子のうちの一つに腰をかけ、友人である土蜘蛛と釣瓶落としの〝いつもの〟話を黙って聞いていた。二人の話題といったらいつもこれで、初めはとりとめのない近状などを交わしていても、気がつけばいつもこうなる。
「パルスィは?恋人に求めるもの」
「……別に。私は特に無いかな」
私はこういった話が苦手なわけでは無いが、だからといって好んでもいなかった。
天気の話の方がまだ楽しめる。それぐらいだ。
「さすが、パルスィは大人だよねー」
「大人というか、冷めてるというか。まあ、人それぞれだからね」
土蜘蛛、黒谷ヤマメは私が先程のような返答をすると、いつも決まって「人それぞれ」と発する。私はその言葉がどこか憐憫を含んでるような気がして、いつも得も言われぬ理不尽さを感じるのだった。人それぞれならば、人それぞれを強調する必要はないのではないか。結局、大人やら冷めてるやら言いながら、ヤマメやキスメのような経験豊富な者から見れば私はただの生娘に映るのかもしれない。
確かに、私はまともに恋というものをしたことがない。しかしだからといって、それを知らないわけでもない。私は知った上で、それを取るに足らないものと考えていた。
「でもさでもさ、誠実さとか、心も大事だけどさ。結局はあれだよね」
「間違いないね。あはは」
二人の話が形状やら面積やら角度やらの、所謂肉体的接触についての話に移行するのもいつものことだった。こうなるともう私は蚊帳の外で、いつ消えても二人は気がつかない。
しかし、二人の知らぬ間に私が消えると、後日二人は私に対してあんまりに申し訳なさそうにするので、しばらくは黙って聞いていた。されど二人の経験談を交えて語られる赤裸々な、一糸纏わぬ汚れなき会話は延々と続き、私はいよいよ辟易として、そっと席を立つのだった。
洞穴を出て、旧都の方角へと歩く。なぜあんな話を大声で話せるのか。私はふと、以前キスメに言われた一言を思い出した。
――もしかしてパルスィ、こういう話好きじゃなかったり、する?
好きではなかった。しかし嫌いというほど、私はそういった話に対して潔癖じゃないし〝綺麗で清潔なもの〟でもない。なので、その場では嫌いではない、とそんな具合に返答をした。なにより、私が私自身を〝綺麗で清潔なもの〟と考えていると、二人にそんなふうに思われるのが嫌だったのだ。
だったら、私も話に混ざればいいのだけれど。
気付けば目の前まで来ていた橋の手すりに肘をついた。
「ああ、妬ましい」
そうして、私の口からは、半ば口癖と化したいつものそれが意味もなく溢れていた。
橋の上から眺める川は、今日も汚濁に淀んでいる。ガラクタやら骨やら肉やらが大量に流れていくその川は、もはや川と形容するには汚れすぎていた。私はそんな川を眺めながら、薄っすら生臭さのある空気を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出した。
頭上に開いた地底で唯一の大きな風穴から覗く遠い空は、淀んだ灰色をしている。私は特に何を考えるわけでもなく、しばらくの間橋の欄干に肘をついて、ぼんやりとしていた。
いつまでそうしていたかは分からないが、気がつくと私は旧都の目抜き通りを歩いていた。通りの入り口付近は情けない妖怪や鬼の為に、また似たような鬼や妖怪たちが八百屋総菜屋等それらに類する店を営み連ねていた。その連なりの中に青果店も在ったが、その青果店はとりわけ高級な部類の店で、あまり客は入らない。老いさらばえた人外達、持ち合わせの無さそうな若いのが安いコロッケや安い野菜に群がる中に、人の寄らぬ青果店がぽつん、とあるわけだ。その青果店は〝古明地の〟を始めとして地霊殿の連中が贔屓にしているらしいが、私はその青果店にも総菜屋にも用はなかった。
目抜き通りを進むと、立ち並ぶ店の面構えがどんどんあやしくなってくる。妙に安い衣類や、用途の分からないガラクタなどが剥き出しになって店先に陳列され始めるのだ。その中にあるタイトルの貼られていないビデオ――VHSというらしい。私はこれを再生する機械を持っている。――を見かけるたびに私は少し興味を惹かれるが、やはりタイトルの分からないものを買う気にはなれなかった。というのも、私はたまに映画を観る。本当にごく稀にだが、殊興味を惹かれたものをこの旧都で探し回って購入する。現在こうしてここを歩いているのも、それに付随する理由が在ったからだ。付随というよりも、本来はそちらが主たる〝趣味〟だった。
私はあやしく立ち並ぶ店の一つに入っていった。店内には楽器を演奏する人間の描かれたポスターやらよくわからん楽譜やらが乱雑にごった返している。しけた木製の棚にはレコードや、これまたよくわからない円盤の入った薄い箱――CD‐ROMというらしいが、私はこれを再生する機械を見たことがない。――が並べられている。
私はそれらには目もくれず、狭い店内の端の方の狭いスペースに向かい、新たに入荷されていた〝それ〟の二冊を手に取り、店主に小銭を数枚投げて店を出た。
それから私は通りの外れにある公園へ向かった。その公園はどの公衆の為にどの機関が設けた広場かはわからないけれど、少なからず地霊殿の管理する所ではないという。
公園はフェンスによって真四角に囲まれていて、入り口の傍のフェンスには『夜間進入禁止』の看板が貼り付けられていたが、昼も夜もないこの地底でこんな看板は意味を成していない。挙句、公園に設置された照明も一日中休むことなく照らされているので、私はその看板を見るたびにちぐはぐな印象を感じずにはいられなかった。公園はそこそこの広さを有している。地面は赤茶の土だったが、生意気にもフェンスの内側を沿うように草木が茂っていた。公園の中心から東西南北の四方にベンチが設置されていて、私はそのうちの一つに腰を下ろした。
公園の入り口に自転車が置かれていたのが気になったが、理由はすぐにわかった。私の座った向かいのベンチに若い男女が仲睦まじく座り、談笑をしていたのだ。この地底で地上でもまだ珍しい自転車を見るなんて、と思っていたけど、若い男女なら納得できる。おおよそ、地上の男女が自転車に二人乗りをする姿に憧れたのだろう。地底に住むやつにしてはなかなか健全で、うん。なかなかよろしい。
私はそんなことを考えながら道中買ったソーダ水に口をつけた。ソーダ水は薄く赤く、そして甘かった。おそらく赤くて甘い何かを割ったものなのだろう。品書きにはソーダ水としか書かれておらず、未だに何が入っているのかわからないままでいた。未だに、というのも私は存外これが気に入っていて、この公園に来るときはいつもこれを買って来るのだった。
私はソーダ水を口から離して、脇に置いた。いよいよという気分で店で買った二冊のそれを眼前に持ってくる。
「おおー」
二冊の〝洋画のパンフレット〟を交互にみやり、私の口からは思わずそんな声が漏れ出ていた。しかし、私はそれほど感動しているわけでもなかった。これは半ば無理やり趣味を探した結果、気づけば習慣と化した趣味であり、同時にこの感嘆も習慣の一部なのだ。パンフレットは薄いビニールで梱包されていて、ビニールが照明の光を反射してテカテカとしている。よく見るとパンフレットには小さく折り目がついてしまっていた。袋にも入れず手で持ってきてしまったせいだろう。私は何度か同じ過ちを繰り返しては、家に帰りパンフレットにアイロンをかけながら、やっぱり袋をもらっておけばよかったかなと、反省するのだった。
パンフレットは白いくたびれたシャツをきた白人の少女が石のブロックに座っているものと、これまた白人の金髪の青年がイヤフォンを付けてなにやら踊っているような場面を切り取った絵が描かれているものの二冊だった。奇遇にも二冊のパンフレットに書かれたタイトルはピンク色で、〝F〟から始まるものだったが、あとはごちゃっとしていて読み取れなかった。実を言えば私は英語が読めないのだ。それでも、パンフレットを開いて映画の内容を想像するのは楽しかったし、表紙の一枚絵を眺めるのも面白かった。早速ビニールの梱包を開いて中を見てしまおう、私がそう考えたときだった。
私の視界の端に、不思議なものが映ったのである。
視界の端の〝不思議なもの〟に視線を移し注視すると、それは奇妙な光景だった。先の向かいのベンチに座る若い男女が〝A〟をしているではないか。私にとって、それはとても奇妙な光景だった。果たして私が向かいのベンチに座っていることに気がついていないのだろうか。しかしよくよく考えてみれば、あの二人は盲目のアベックなのかもしれない。私は自分の浅慮を恥じた。そういうことなら、仕方ない。むしろ悪いのは私の方だ。
私が盲目の二人に対し申し訳なく思いつつ席を立ったそのとき。
〝A〟をしている男と〝目があった〟。瞬間、私は猛烈に腹が立って、彼奴等の停めていたママチャリを出来るだけ大きい音が鳴るように蹴飛ばし持ち主達が恐れ慄き公園から立ち退く様を妄想、しつつ公園を後にした。実際にそんなことはしない。
公園を出て、私は家路を辿る。目抜き通りへ抜けて、通りを出れば、橋を渡る。そうした帰路の最中、私は所謂恋愛について考えていた。
かつて恋愛は、私の空想の世界において赤いイメージを保っていたが、いつのまにかその色はくすんでいた。時としてそれは、限りなく黒に近い緑色の汚濁に塗れて見えることさえあった。連想の流れの中で、恋愛なんて綺麗なものじゃない、なんて、そのような〝よく聞く言葉〟が私の脳裏を何度も過ぎった。
しかし、趣味でパンフレットを集める最中に私が気付いたのは、恋愛映画の多さだった。私はパンフレットのみを集めるだけで、それ自体はあまり観たことはなかったけれど、恋愛映画の多さの理由は分かった。単純に、それを観る人間が多いからだろう。パンフレットに描かれる男女や、切り抜かれたシーンはどれも綺麗で、なんとはないロマンを感じた。だから、それを観る大勢の人間が期待しているのは〝綺麗な恋〟なのだと思う。それがどうして、実際色恋に絡まった人物は口を揃えて「きれいなもんじゃない」なんて言って、意味ありげな微笑を浮かべるのだろう? 私には、その理由はなんとなく、色恋の色にあるように思えた。
そも恋愛の付属品のように扱われている肉体的接触は、果たして必要があるのだろうか。別に、それ自体を否定するわけでもない。経験はないが、それ自体は汚いものではないのだろう。きっと、恋人同士で抱き合って眠るのは、恐らく幸せなことに違いない。では一体、何が恋愛を綺麗さから遠ざけるのだろう。
ああ、もしかすると、あの目かもしれない。先程公園で目が合った、男のあの視線。あの視線が、私を辟易とさせるのみならず、色恋沙汰の行間に曖昧に突き刺さる、魚の骨なのかもしれない。
こんなことを考えていると、自分の自画像がコウノトリやキャベツ畑で彩られていく気がして、とても馬鹿馬鹿しい気分になった。しかしそれでも、〝綺麗なものではない〟と分かっているのなら、せめてそれを出来る限り綺麗にしようとは思えないのだろうか? これほど多くの人や妖怪がいたのなら、綺麗なだけの恋が一つぐらいあってもいいじゃないか、と、私の思考はそのように、遊泳を続けたのだった。
我があばら家に着く頃に、私が導き出したのは〝私に恋愛は解せない〟という結論だった。も、どーでもいーや。そもそもどーでもいい。そんな投げやりな心で弾みをつけて、私は自宅の戸を開けた。
家について木板を踏みつけ、部屋への敷居をまたぐ。褪せた畳は日頃清掃をしていても、どこか汚れた印象があった。部屋の隅の方に置きっ放しのアイロン台にて、慎重にパンフレットについてしまった折り目を伸ばした。無事折り目の伸びたパンフレットはどこかパリッとした感触を帯びて、私にそれを開くのを躊躇わせた。このまま仕舞ってしまおうか。悩んでいるうちにお腹が空いたことに気がついたので、ご飯を食べてから決めることにした。
なんだかんだで、私はベッドの上にて二冊のパンフレットを開き、それを交互に眺めている。英語は読めないが、何とはない異国の情緒に想いを馳せるのは楽しかった。
「こっちの映画と、こっちの映画は、同じ国が舞台なのかな」
それすらわからなかったけど、どちらのパンフレットの映画も観たことがない私にとって表紙に描かれた青年と少女はどこかお似合いな気がして、でっちあげたキャラクターや関係を二人に当てはめては空想に耽った。そのうちに眠気がやってきたので、私はパンフレットを閉じて、専用の棚に仕舞って眠ることにした。
棚の中には今まで集めたパンフレットが色ごとに分けられていて、赤っぽいの、緑っぽいの、白っぽいの、黒っぽいの等々、それぞれが割合整然と並べられている。灰色などの中間色にはいつも悩まされるのだが、今回買ったパンフレットの二冊はどちらも明確に白か黒で区分できた。くたびれたシャツを着た少女の描かれた白いパンフレットは白っぽいところに重ねて積んで、踊る青年の描かれた黒いパンフレットは同じように黒っぽいところに重ねた。そうしてその日、私はようやくすっきりした気持ちになって、眠りについたのだった。
やもするとこの作品は、どこかで見たことがあるのかもしれませんが。よろしければ、どうぞお付き合い下さい。