ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
ときに、集中力がそれほど持続しないのは、人間も妖怪も同じらしい。私は疲れた頭をふらふらさせながら旧都の目抜き通りにやってきた。いつもの店に向かうべく通りを歩いて、例のお高い青果店に差し掛かったときだ。私の視界に、子供の妖怪が映った。それは二人組で、少年と少女というにはまだ幼い、男の子と女の子だ。男の子と女の子は青果店の前に立ち、二人で財布の中身をひっくり返して、小さな掌の上で小銭の枚数を確認し合っていた。ああ青果店に用があるに違いない。私は咄嗟に自身の財布に手をかけたが、瞬間自分の取ろうとしている行動に劇しい偽善の臭気を感じて、すぐに財布にかけた手を引っ込めた。
そうこうしているうちに、男の子と女の子は不安そうな面持ちで青果店へと入っていく。この青果店は春夏秋冬の影響を受けないこの地底で、年がら年中品揃えの変わらない店で有名だった。いつでも多様な果物が旬の姿で売られているらしく、その果物はどれも信じられないほどの高値だという。そんな店が旧都の貧困層のメッカである目抜き通り、そこの中心部に紛れ込んでいるのだから、不審がる者は多かった。地底の木っ端達は、この青果店は外の世界と何かしらの方法で繋がっているのではないかと噂をしている。ちなみに地底の若い奴ら曰く、旧都七不思議の一つらしい。
私はそんな青果店の敷居を勇敢に跨いだあの子達が何だか微笑ましく感じて、しばし成り行きを見守ることにした。半分は、心配だったのもある。こうしているうちに、今にもあの子達が泣きだしてしまいそうな顔で店から出てくるのではないかと、ひやひやしながらことを待った。
程なくして、男の子と女の子は嬉しそうに笑い合いながら堂々と店から出てきた。立派な果物のおまけ付きだった。ああよかった。気付けば、私はその子達に声をかけてしまっていた。
「や。立派なメロンだね。そっちはイチゴかい?うん、どっちも色がいいな。美味しそうだ」
急に声をかけられて驚いたのか、女の子はいかにも気の弱そうに男の子の背後に隠れてしまった。男の子は警戒したのか手に持ったメロンを大事そうに隠すように抱えて口を開いた。
「あげないよ」
その声は男の子の不安そうな表情に反して力強い声をしていた。男の子が私へと向ける懐疑的な眼差しに、慌てて弁明を始めた。
「ああいや、取ろうだなんて……」
……。
しどろもどろになった弁明に、男の子は「ふぅん」と答えるのみだったが、多少警戒は解けた様子だ。しかし、私はここでようやく自身の不審者らしさに気がついた。また自身に抱かれているであろう印象を取り繕うべく言葉を紡いだ。
「えっと。二人は兄弟かな、仲が良さそうだけど」
私の思いつく限りの当たり障りのない質問に、男の子は一瞬ギクリ、という表情をした。すると瞬間、それまで男の子の背に隠れていた女の子がひょっこり顔を出しては、溌剌として口を開いた。
「付き合ってるの!」
嬉しそうに言ってのける女の子を尻目に、男の子は何だかバツの悪そうにはにかんでいる。
「果物買おうって、二人でお小遣い貯めてね、今日は折半なの」
「へぇ、折半なの」
「うん。イチゴとメロンをね、二人でひとりじめにするんだ」
女の子は嬉しそうに語った。男の子は終始照れたようにそっぽを向いていた。私にとってそんな小さな恋人達は、とても微笑ましかった。やっぱり、あの時、自身の財布を取り出さなくてよかったな、と思う。私は二人に当たり障りなく別れを告げて、また歩き始めた。
いつもの店に新たなパンフレットは入荷されていなかった。なんだかんだで三日に一回は訪問するのだが、新しいものが入荷されるのは一ヶ月に一度が関の山だった。それほど落胆することもなく、私は公園に向かった。道中赤いソーダ水を買って、公園に入った。入り口に駐輪されていた自転車は不穏だったけど、私は気にせず、そのまま自分の定位置のベンチへ歩いた。そうして、私は例のアベックの〝A〟を眺めているというわけだ。
しかし、私の心は凪いでいた。地底に流れる風はいつも通り重く澱んでいたけれど、私の心には清々しい風がそよいでいたのである。それというのも、あの子達のお陰だった。あの子達はきっと今頃、綺麗なだけの恋の渦中にて、メロンとイチゴを二人で独り占めにしているに違いない。そんな二人を思うと、向こうのベンチに座り〝A〟を営むアベックも、かつてあの子達のように純粋だったのだろうと思えた。そしてAを続ける二人は、その純粋さと地続きの地平にいるのだろう。それを思えば、以前あのアベックに感じた嫌悪感が、その行為よりもよっぽど汚れたものに思えたのだ。
私はソーダ水に口をつけて、二人のAを穏やかな気持ちで眺めていた。時々、男と目が合うのが気になるけれど、二人の行為はきっと、とても綺麗な感情の上に成り立っているのだ。
おや。少し様子が変わってきたぞ。男が女の体をゆっくりとさすっている。女の方は怪我でもしているのだろうか。
おや。男の手が女の懐へと入っていってしまった。なんだろう。男の手が、女の胸元を、まさぐっている。
ああ!Bだ!
私は途端に猛烈な不愉快さを感じて、思わず彼奴等の停めていたママチャリを出来るだけ大きい音が鳴るように蹴飛ばして持ち主達が恐れ慄く様を無視するように公園を後にした。公園を出る際、胸中で二度と来るなと二人に向けて叫んだが、実際に公園を出て行くのは私だったので、なんだかチグハグな気持ちになった。
公園を出て旧都の路地を歩いていると、私はすぐに後悔した。何が何でもやりすぎたのではないか。そもそも、今回はあちらが先客だったわけだし、それを察知していたのにも関わらず、ずかずかと二人の空間に侵入した私に非があるのではないか。そんな心の反面で、私は自分の中にムカムカとした感情も覚えていた。あの二人に対しての得も言われぬ怒りもあったが、なによりも、あの二人の行為に、行為の最中私に向けられた男の視線に絡みついた欲望に、私の心は荒らされていた。
空想の中の恋のイメージは、もはやくすんだ赤や黒に近い緑なんて通り越して、ドブに塗れていた。その色は、橋の上から見下ろす川に酷似していて、川の水は今にも溢れそうなほど嵩を増して、私は胸が詰まるのを感じた。右手に握るソーダ水の入った容器はイヤにぬるかった。私は気の抜けた、ただ甘いだけの赤い何かで割られた水を飲み干して、或る場所へ向かった。
そこには沢山の人がいた。とはいえ、その場に集まるのはどこか訳あり顔のやつばかりで、真に真っ当な者は誰一人いないような気がした。橙や薄紅の提灯が照らす通りに立ち並ぶ店の店先には、美しくもあやしい着物を着た少女らが艶かしく座り込んでいる。店と店に挟まれた通りはごちゃごちゃとしていて、道行く者はみな互いに肩をぶつけながら歩いて行く。しかし、肩がぶつかったところで謝罪する者はいなかった、それどころか、誰もそれを気に留めていないのである。ここに集まる者は一様に、緩い共犯意識めいた線で繋がれて、この通りを歩いていた。
ここは遊郭だった。私はそんな共犯意識を他人で割ったような人混みに紛れて、通りをうろついていた。ここには何もなかった。恋もなければ、凡ゆる諍いもない。口論、盗難、恋、暴力。ここでそれらが行われようと、誰一人それらを気に留めない。誰一人、それらを認知しない。綺麗ではないけど、汚くもない。ここは究極的に、何もない場所だった。響く喧騒はどこか虚しく、空虚だった。
そんな喧騒の中を曖昧に泳いでいると心地がよかった。あってもなくてもいいような場所に、いてもいなくてもいいような人々の流れに紛れ込むのは、とても落ち着いた。
店先の少女達の中には妖怪もいたし、人間もいたし、両方のなりそこないもいた。酔いさらばえた老人や、かろうじて青年を保っている男が、少女達に声をかけては店の中へと消えて行く。店の中で行われるであろう行為はもはや公然に判明していて、それは恋愛の上に行われるそれよりも、ずっと清潔なものに思えた。
しかし、私はそれをするわけでもなく、ただ彷徨い続けた。そんな最中に、ここでは少し珍しいものを見かけた。人混みの中で腕を組んで歩く男女の番いだった。それは恐らく恋だった。ここでは誰も気に留めないそれが、今日の私にはそこはかとなく目について、思わず立ち止まって眺めてしまう。腕を組んだ番いはこちらへ向かって歩いてくる。男の方はどこか公園のBの青年と似ていたけれど、それよりもずっと端正な顔立ちをしていた。男よりも、私の目を引いたのは女の方だった。女というには幼い体つきで、その線の細さは心許なさがあり、女というよりは少女と言った方が正鵠に近いだろう。なにより少女は人間らしかった。少女には妖怪的な身体的特徴は見受けられず、どこを見ても、その体は人間であることを示していた。
この地底において人間の少女というのは珍しく、とりわけこの遊郭で稀に見かける程度なもので、皆一様に高かった。そんな人間の少女が、この場所で男と腕を組んで歩いている。私はやはり、その光景に恋の気配を感じずにはいられなかったのである。気がつくと、番いは私の殆ど眼前に迫って来ていた。私はじっと立ち止まってそれを眺めていたものだから、慌てて視線を逸らして擦れ違おうと身体を動かした。その瞬間、番いの男の方が信じられないものを見てしまったような慌てぶりで、そそくさと踵を返す。組んだ腕は解き放たれ、少女も青い着物を揺らしながら、慌てて男の後を追った。何が起こったのだろう。私が不思議に感じて首を傾げると、不意に背後から声がした。
「困るんだよなぁ、ああいうの」
振り返ると、星熊勇儀がそこに居た。ああ、やっぱり会ってしまった。
「別にいいじゃないあのくらい。見逃してあげたらいいのに」
「地底にルールはないけど秩序はあるんだよ。特にこの場所では、それを守ってもらわないと困る」
この遊郭は星熊勇儀の管轄だった。というより、勇儀本人がこの場所を創ったのだ。
「いや、別に私だって駆け落ちしてどっかに消えちまおうってやつらを止めやしないよ、邪魔だってしない。ただ、あの男はなぁ」
勇儀はそこで言葉を止めたけど、勇儀の言わんとすることは何となく解ったので、私は特に追及はしなかった。そんなことよりも、私はこの星熊勇儀とまたも出会ってしまったことを悔やんでいた。
「そんなことより。お前はまたこんな場所に来て。また〝悩み事〟か?」
私は勇儀に〝悩み事〟を打ち明けたことは一度としてなかった。しかし、私がここに来るたびに、勇儀は私の胸中を見透かしたように声をかけて来た。
「別に」
「別にってな。お前、そんな顔して別にはないだろう。なんで来た? そもそも、お前はこういうところは嫌いなんだろう? こういう、色恋に溢れた場所は」
「そんな沙汰、ここにはないでしょ」
私が言葉を返すと、勇儀は笑って、わざとらしい口調で答えた。
「何を言うか。こんなに恋に溢れている場所はないぞ。偶然同じ空間に居合わせた男女が、偶然恋に落ちて、一夜の果てに恋が散る。そんな奇跡的な光景が当たり前のように溢れているのがこの場所なんだから」
「それは外の世界の言葉遊びでしょ。それも、オヤジくさいやつ」
「ははは。そんなオヤジくさい場所を、お前はまた冷やかしにきてると」
「はあ」
私はなんだか馬鹿らしくなってきて、ここを出ようと考えた。
「まあ、すぐに出て行けとは言わないが。そんな可愛い顔して歩いてたら、色々間違われても文句言えないんだからな。ほどほどにしておくといいぞ」
私は勇儀に返事をしてから、しばらくは通りに居残った。勇儀の言う通りにした、なんて思われるのが、ちょっと癪だったからだ。尤も、そんなことを思うやつは、ここにはいるはずもなかったけれど。
気付けば私はまた公園にいた。いつものベンチに座って、赤茶色の土を踏み締める自分の靴をぼんやりと眺めていた。入り口の自転車は消えていて、同じく、Bのアベックも見当たらなかった。靴をぼんやりと眺めていると、私はなんだか、やっと落ち着いた気がして、大きく息を吐いた。
暫しぼーっとしていると、私の脳裏には何故か遊郭で見た人間の少女が浮かんでいた。綺麗な青い着物のあの少女。線の細い華奢な体つき、心許なさのあるあの幼い顔立ちは、誰かと似ている気がしたのだ。例えばそう、目と鼻の先の、古明地こいしなんかとよく似て……うわあ!
いつのまにか、私の目の前に顔があって。
「あはは。びっくりした? どーも、お久しぶりです。古明地こいしです」
古明地こいしは笑いながら、屈んだ姿勢をやおら伸ばして、そこに立っていた。地底の風に靡いた彼女の髪は、翡翠の色とも、浅葱の色ともとれぬ色をして、揺れた。公園は、なんとなく、夕暮れの色をしているような、そんな気がした。