ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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緑の瞳に映る恋~青春パンク編 5

 路地から目抜き通りへ、通りを抜けて橋を渡って、暫し歩き。とうとう私は我があばら家の前まで辿り着いてしまった。帰り道、古明地の姉妹について考えた。私は古明地の姉を、やはりそこまで嫌いになれないこと、古明地の妹は、ちょっと嫌いになりそうなこと。楽しい思索の旅ではなかったが、家路への足取りを鈍らせるには十分だった。部屋の中の時計を見ればきっと、いつもならもう晩を食べ終わった時間だろう。時計を見るまでもなく、私の胃袋がその時刻を告げている。

 

 ああ、なぜ自宅に帰るのにここまで怯えなきゃいけないのだろう。私は恐る恐る、我が家の戸をノックした。物音を聞き逃さないように、耳を澄ます。

 

 ……。

 

 何も、聞こえない。

 

 私は心の中でガッツポーズをして、今までの恐れをかき消すように勢いよく戸を開けて、勇み足で上り口への敷居を跨いだ。狭い廊下の先に目をやれど、そこにはどこか安心する、いつもの薄暗い闇が在った。よかった、部屋の電気も付いていない。やはり、古明地こいしの云う〝お家〟とは、彼女の自宅、地霊殿を指していたのだろう。私は地霊殿で私を待ち続けるこいしを想像して、少し胸が痛んだが、それを上回る安心感が胸のうちに湧き上がった。

 

 ほっ、として、靴を脱ぐ。少し屈んで、下方へ視線を落とす。私の履いている靴の右方に、見慣れない靴があった。私の履くそれよりもサイズの小さなその靴は、私に翡翠の色とも浅葱の色ともつかぬ衝撃を与えた。

 

「おかえりなさい」

「うわあ!」

 

 突然背後から聞こえた声に、私は情けない悲鳴をあげる他為すすべがなかった。幻聴を祈って振り向くと、悲しいかな、やはり古明地こいしが立っていた。それはもう、ニコニコしてた。

 

「遅かったね。はやく帰ってきてねって言ったでしょー? もう。帰ってこないんじゃないかって、心配だったんだから」

「ご、ごめん。や、ちがう、ごめんじゃない。えっと、なに? 待ってたって、何処で」

「ここで」

 

 私はもう若干混乱して、状況のわりには当たり障りのないことを問いかけてしまった。その当たり障りのない問いかけに、古明地こいしはさらりと三文字で答えるものだから、私はそのまま、流されるように会話を続けてしまう。

 

「だって、家に居なかったじゃない。電気だって、消えてたし」

「ノックの音が聞こえたから、驚かせようと思ってこっそり外に出たの。えへへ」

「だって、上り口は……」

「裏口があるでしょ。……自分の家だよねー?」

「あ、あぁ……」

「あのね、ご飯を作って待ってたの。まだあったかいと思うから、はやく食べちゃおうよ」

 

 客観的な視点から言えば、私は可哀想なほどに混乱していた。古明地こいしの、私を驚かせようという企みは悔しいけれど大成功だった。古明地こいしはそんな、哀れなほどに狼狽する私の手を引いて、はやくはやく、と急かすように部屋へと導いた。殆ど腰砕けの様相で、かろうじて二本の足でのたのたと這う私に対して、古明地こいしは朗らかに言葉を投げてきた。

 

「あはは。思ったより驚いてくれたみたいで嬉しいな。なんかもう、電気つけただけで驚いちゃいそうな感じ」

「あ、あるか。そんな、小動物みたいなこと。それより」

「じゃあ、電気つけるねー」

 

 古明地こいしは私の言葉を遮って、カチッ、と紐を引っ張った。一寸の間をおいて、チカ、チカ、と光が点滅して、三回目あたりで点滅は途切れた。

 明るい光が部屋を照らして、私は絶句した。

 

「あ! やっぱり驚いてる。ね、ね、どう? カラージャービル? ピーターラビット? ジュウシマツ?」

「私の……私の部屋……」

 

 家具の配置が、全て変えられていた。唯一そのままだったのはベッドのみで、テーブルも、アイロン台も、衣装タンスも、身鏡も、全てが未知の座標に鎮座していた。私はハッとして、パンフレットを入れた棚の姿を焦って探した。そのとき私は頭の片隅で、小さい頃に火遊びをして家を燃やしそうになったときのことを思い出していた。頭の片隅から炎は燃え広がった。それは紛れもなく焦燥で、私は灼熱の焦燥感に焼かれながら目をキョロキョロさせて棚を探す。左、ない。右、ない。後方、は廊下だ! 正面、ない! いや、あった! よかった……。

 

 正面に置かれたベッドの脇に、棚はあった。瞬間、燃え広がった焦燥の炎に冷水が注がれて、私は全身の力がへなへなと抜けていくのを感じた。

 部屋に電気がついてから五秒も経っていないはずだったが、体感ではその何十倍の時間が経ったように思えた。脱力する私を尻目に、古明地こいしはあっけらかんと口を開いた。

 

「家具は使いやすいように動かしておきました! それより、ご飯も用意したんだから、冷めないうちに」

「あ、ありがと……」

 

 棚が無事だった安心感のあまり錯覚を起こした私の口からは、あろうことか感謝の言葉が零れていた。そのまま流されるように食卓を挟んで、こいしと向かい合うように座り込んだ。すでにテーブルに並べられていた古明地こいしお手製の料理は彼女のイメージからは想像ができないほどの純和風なラインナップをしていて、それはそれで驚きだった。

 

「いただきます」

「いただきます……」

 

 棚を無事でいさせてくれた上に、ご飯まで用意してくれるなんて。錯覚に支配されたままに、私は箸を動かした。味は感じられなかったけれど、多分、美味しかったのだと思う。

 

 

「ごちそうさま」

「お粗末様でした! ……あ、お皿洗うね」

「いいよ、後で」

「でも」

「いいから座って」

「すぐ洗わないと、落ちにくいんだよ」

「私が洗うから、いいってば。それよりほら、座って」

 

 ご飯を食べている最中に冷静さを取り戻した私は、彼女と色々と話さなくてはならないと考えた。しかし、なにから話せばいいのかは、未だまとまらないままでいる。彼女、古明地こいしに部屋を綺麗に荒らされたこと、古明地こいしが私の恋人をやるということ、人の家の食材を無断で使用したこと、私の頭は滅茶苦茶に荒らされていた。

 

「えっと、まず。そうね」

「なんですかー」

「ええと」

「なんですかー」

 

 どこか間の抜けた口調で問い詰めてくる彼女に少量の苛立ちを覚えつつも、私は必死に言葉を紡いだ。

 

「まず、そうだ。人ん家の食べ物、勝手に使うのはよくないわね」

「美味しかった?」

「味がしなかったわ」

「え、ほんとに? もしかしてこいし、舌がおかしいのかな」

「いや、まぁ」

 

 おかしいのは舌ではなく別の箇所ではないか。そんな気持ちを押さえ込んで、私は言葉を続ける。

 

「とにかく、それはよくないし。これもよくない」

 

 私は言いながら、部屋を見回した。

 

「えー、だって。ベッドの傍にいろいろあった方が便利でしょ? それに、棚のパンフレットは、よく取り出すみたいだし」

 

 私はまたハッとして、立ち上がるが早いかパンフレットの棚に駆け寄って、開けた。

 

「ああ!」

 

 私はまた、古明地こいし驚かされた。棚の中で色ごとに整頓されているはずのパンフレットが、ぐちゃぐちゃな色の順序で積まれていたのだ。

 

「パンフレットはアルファベット順に並べ替えておきました。えへへ」

「あんた、あんたね……」

 

 悪びれもせず笑う彼女を見ると、なんだか怒るに怒れずに、私は正体不明のため息を吐いた。ため息の原因、その心当たりが無数にあって、どれが私にため息をつかせたのだろう。そんなことを考えながら、私はまた彼女と向かい合うようにテーブルの前に座った。

 

「人の家の冷蔵庫、棚。開けちゃダメでしょ」

「なんで? 勇者はみんなやってるよ」

「あんた勇者?」

「ううん。こいしはこいし」

 

 そういやこいつ、以前は自分のことを名前で呼んでいただろうか。思えば普通に〝わたし〟と呼称していたような気がするけど。円滑に進まない会話の中で、私の思考は唐突に、そっぽを向いたのだった。それは多分、彼女との会話を早々に投げ出してしまいたい心の表れだったかもしれない。されど私は気を取り直して、私は彼女に向き直る。

 

「そもそも、人の家に勝手に入ったらダメなの。そういうの、泥棒っていうのよ」

「ここ地底だし、何もとってないし。そもそも恋人なんだもん」

「地底にはルールはないけれど秩序はあるのよ。……恋人じゃないし」

 

 どこかで聞いた台詞が私の口から飛び出して、私は赤面した。こいしは今日、私の後をつけていたという。そんなこいしがもしその台詞が勇儀のものだと気付いていたなら、ああ。私はなんて恥ずかしいやつなんだろう。

 

「それ、誰の言葉なの」

 

 来た! ああ、恥ずかしい。恥ずかしいなあ!

 

「さっきからアレがダメとかこれはダメとか言ってるけど、あなた自身はどう思ってるの? 常識ではダメなことかもしれないけどー、ほんとはそれくらいのこと、あなた自身は許せたりして」

 

 恥ずかしさに悶えていて、あんまり聞いてなかったけどどうやらバレてないらしい。よかった。

 

「よくわかんないけど、私自身あんたが勝手に家に入ったからって、あんたをどうこうしよう、とまでは思わないわよ。知り合いの妹だしね」

「こーいーびーとー」

「恋人じゃない」

「ほんきでいってるなら、こいしは実家に帰ろうと思うんですけど」

「帰ればいいわ。ただし、明日ね。今日はもう遅いし、仕方ないから泊めてあげる」

「ほんと? やった」

 

 そうして私は皿洗いなどの雑事を終わらせて、あとは寝るだけの状態に至った。こいしにはお風呂も貸してやったし、予備の歯ブラシもくれてやった。こいしはその時、お泊まりセット――私はこの〝お泊まりセット〟という言葉が嫌いだ。――持ってきてるから、歯ブラシもタオルもいらないよ、なんて言っていたけれど、面倒だから歯ブラシもタオルもくれてやった。

 

「それじゃあ私は寝るから」

 

 あんたは向こうの部屋で寝なさいよ。と、付け加えて、私はベッドに潜る。向こうの部屋というのも、私の家は小さいながらに二部屋あった。一つは私が暮らすこの部屋、もう一つは私がかつて夜の闇を恐れるほどに幼かった頃、寝室としていた部屋だ。その部屋はそれから何年も使っていなかったし、もう入ろうとも思わなかった。理由はぼんやりと浮かんでいるが、深く考えたことはない。私はそんな部屋を、招かれざる客の寝室に当てがおうというのだ。押入れの布団や床は多少埃をかぶっているかもしれないけれど、そこは我慢してもらわないと困る。確証はないが私はきっと、一人じゃないと眠れないタイプの橋姫なのだから。

 

「えー、やだ。あの部屋埃っぽいんだもん」

 

 ベッドに入って早々に視覚を遮断した私の聴覚に聞くと疲れる声が響く。耳にも瞼があればいいのに。

 

「入ったの?」

「うん。あの部屋ずっと使ってないんでしょー? 埃が絨毯みたいになってたよ」

「……じゃあ布団だけ持ってきて。この部屋で寝ていいから」

 

 少し忍びなくなったので、私は仕方なく妥協することにした。しかし、そんな忍びなさや諦めの感慨は取るに足らないもので、私の心を真に占めた感情は、彼女に対する得も言われぬ怒りだった。というのも、私にとってあの部屋は何年も使っていない、それこそ取るに足らない、あってもなくてもいいような部屋だ。本来なら誰が勝手に入ろうが気にならないはずの部屋。それがどういうわけか、彼女が無断であの部屋の戸を開いた事実が、彼女が今日起こしたどんな行動よりもずっと、私の心をかき乱したのだ。

 

「嫌だよー。部屋は少し掃除したけど、押入れは開けなかったんだもん。布団も埃被ってるに決まってるもん」

「……掃除まで」

 

 腹の中で、怒りがむくむくと嘶くのを感じた。

 

「……わかった。ちょっと見てくるから、大人しく待ってて」

「はーい」

 

 けれど、それを彼女にぶつけるのは、何か違う気がした。何故なら、恐らくこの怒りの原因は、彼女の行動ではなく、私が何年もあの部屋の戸を開けなかった、その理由にあるような気がしてならなかったからだ。

 

 狭い廊下を歩いてすぐに角を折れる。数歩進むと裏口がある。この裏口こそ、彼女が今日私を驚かせるべく利用した扉だ。そんな裏口の手前に、かつての寝室、その戸が待ち構えていた。ああ、ここに入るのは何年振りになるだろう。そんなことをぼんやり考えながら、開き戸に手をかけた。

 

 戸は意外なほどに軽く、さー、と音を立てて、開いた。

 

 そこにはかつての寝室が、かつての姿を保ったままでいた。照明から垂れる紐に括られた小さなぬいぐるみ。眠る前に本を読むために設置された花柄のついた小さなライト。そして、匂いまでもが、昔のままで其処にあった。彼女、古明地こいしは〝少し〟と言っていたが、本当は〝かなり〟掃除してくれたらしい。だって本来はもっと、埃をかぶって、黴が生えて、見る影もなくなってるはずだったのだから。

 

 胸中に湧いた感情を横目に、私は白々と押入れの中を確認して、部屋に戻った。

 

……。

 

「ね、結構綺麗だったでしょ? こいし結構、頑張りました」

「ええそうね。お礼にあんた、今日はベッドを使っていいわよ」

「ほんとに! じゃあ添い寝だね、恋人みたいだね」

 

 はしゃぐこいしを無視して、私は食卓前の座布団を枕にして寝転がった。私はもう、なんだか疲れてしまって、なんでもいいから眠ってしまいたい気分になっていた。

 

「え、床に寝るのー? ……わかった、あなたがどうしても添い寝したくないなら、今日はこいしが床で寝ます」

「そう」

 

 招かれざる客とはいえ、あくまでお客の彼女を床に寝かせるのは如何なものか。私はそんな葛藤すらも、もうどうでもよくて、やおらベッドの布団に潜り込んで目を閉じた。

 

 それからしばらく、私はベッドの横に彼女の気配を感じ続けた。きっと、何か言いたいことがあるに違いないけど。ああ、めんどくさいなあ。

 

「……なに」

 

 目を瞑ったまま問いかけると、一寸間をおいて、こいしが徐に口を開いた。

 

「……今日はこいし、あなたに悪いことしちゃったかも。ごめんなさい」

「もう、いいわ」

 

 たしかに私の疲れている原因は、彼女が作ったものかもしれない。でも、もうよかった。無論、どうでも。

 

「うん。……おやすみなさい」

「ええ、おやすみ」

 

 

「……とみせかけて〜」

 

 えい! とこいしが私の布団に潜り込んできた。けど、今日はもういい。何も言わない。面倒だから。彼女は、

「えへへー」

 なんて笑いながら私の腕にしがみついてくるけど、それもどうでもいい。今日はもう、疲れすぎていた。

 

「……あんた、明日は帰りなさいよ」

「はーい」

 

 そうして私は眠りに落ちた。

 

 その日私は、赤青黄色、黒白緑、翡翠に浅葱と、それらをぐちゃぐちゃに混ぜたような、酷くカラフルな夢を見た。言うまでもなく、悪夢だった。

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