ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
次の日もその次の日も帰らなかった。
地上に雨が降って地底の川が氾濫しても帰らなかったし、間欠泉地下センターが爆発しても帰らなかった。
私はそんな日々の中、驚くことに、古明地こいしを地霊殿へ返送することを諦め始めていたのだった。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまで」
あれから、食事は私が作っている。どこか間の抜けた印象を保有する彼女の作る食事が意外にも美味しいのが癪だったのもあるけれど、一番の理由は他にあった。今でこそ慣れてしまったけど、冷蔵庫を漁られるのが我慢ならなかったのである。
「胡瓜のお漬物、そろそろしょっぱすぎると思うんですけど」
「お漬物の味が濃ければ他のおかずが少なくて済むでしょ」
「ほんとはしょっぱいのが好きなだけなんじゃないの? なんでも濃いもん、味」
「さあどうでしょうね。あんたに帰って欲しくて、味付けを濃くしてるのかもよ」
「帰りませーん」
「帰ってよ」
……なんて言ったものの、私の適応力は心とは裏腹に、彼女いる生活に適応し始めていた。もちろん、隙あらば帰って欲しいと願っているのも事実だ。
「恋人が恋人の家に居るのがそんなにおかしいことでしょうか」
「まず恋人じゃないけど。恋人だったとしてもおかしいわ。恋人が帰って欲しいと願っていたなら、その気持ちを受け入れるのも恋人として大事なことじゃないかしら」
「それは誰が言ってるの」
「私でしょ」
「ほんとにー?」
「ほんともなにも、私の口から出た言葉は全部私のものよ。当然じゃない」
「えー」
こんなふうに、彼女は相変わらずに妙な問いかけをしてくることが多々あった。しかし私はそれにも慣れて、深く考えずに返答することも出来るようになったから驚いた。始めのうちは、それは誰の言葉なのさ、などと問いかけられようものなら、その度に私は混乱していた。私の口から出た言葉が私の物でないのなら、果たして誰の所有する言葉になるのだろう。なんてちんぷんかんぷんな思索の旅を繰り広げては疲労したものだ。
「そうだおねえちゃん、わたし、そろそろ退屈で死んじゃいそうなんだけど」
「退屈で死ねるくらいなら地底の奴らはこんなに長生きしてないわよ。ほんと、暇なら帰ったらいいじゃない」
古明地こいしは気づけば私を〝おねえちゃん〟と呼び始めていた。しかしこれも紆余曲折があったのだ。無論、彼女の中で。私にはない。
始めは〝あなた〟だった。次に〝パルスィ〟、その次に〝水橋さん〟ここまではまあよかった。しかし彼女の中でなにが起こったのか〝貴殿〟、〝水橋殿〟と迷走を始めた。それから〝パル公〟〝ぱっつぁん〟〝八〟と推移し、ある日唐突に〝おねえちゃん〟に落ち着いたというわけだ。というわけとは、どういうわけなのか。考えたらキリがない、というより霧だらけなので、私はそれから彼女の口から発せられる言葉については深く考えないことにしたのである。
ちなみに彼女自身の呼称も〝こいし〟から〝わたし〟に変わり落ち着いた。中間に〝あたい〟〝あーし〟〝拙者〟等があったが、もう思い返すのはやめにする。――ただ〝拙者〟からは少々似合いの雰囲気を感じたのだが、残念なことに聞けたのは一度きりだった。――。
「だいたいおねえちゃんさ、私が居るのに全然構ってくれないで、いつも通りに公園行ったり、いつも通りにパンフレット見に行ったり、いつも通りに過ごすんだもん。しかも、それにすら連れて行ってくれないじゃん。一緒に寝るときだって、触るなー、なんて言って。しょーじきわたし、ほんとに恋人だって思われてるのか、不安で仕方ないんですけど」
「知らないわ、そんなの」
こいしを連れて行ってやってもよかったのだが、そんなことをすればこいつは〝恋人として〟調子付くに違いない。私は一つの線引きとして、彼女の同行を拒み続けていた。それに、一緒に歩いて居るところを知り合いにでも見られたら、きっと面倒なことが起こるに違いななった。特にあの二人、ヤマメとキスメに見られるのは、なんとなく嫌だった。
一方で、私にとって古明地こいしが手のかかる妹味を帯びてきたのも事実だった。それは彼女が私を〝おねえちゃん〟なんて呼ぶせいもあったのだろうけど、とにかく私は、彼女に対してそんな印象を抱き始めていたのだ。
もっとも、そんな感慨を白々と俯瞰する自分も在った。こんなに面倒見の悪い姉があってはならない。私は自分が彼女に対して〝手のかかる妹〟なんて印象を抱き始めていることを、どこか滑稽に感じずにはいられなかった。血すら繋がっていないのに、一方通行の無意味な師弟関係を主張する、寒気のするキャラ付けじみた幼稚な気色。
すると途端に、彼女となんでもない会話を交わすことすら滑稽に思えて、都度私は辟易として一人出かけに行くのだった。
「私、また出かけてくるから」
「えー、また急に行っちゃうんだ。……ね、今日はついて行って、いい?」
「だめ」
「もー! わたし、グレちゃうんだからねー!」
内容の割には楽しそうに喚く彼女の声を背に、私は家を出る。このように、私は彼女、古明地こいしとの日々をやり過ごしていた。