ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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緑の瞳に映る恋~青春パンク編 8

 それからまたしばらく経って、私は古明地こいしと一緒に外を出歩けるほどには、彼女の居る生活を受け入れ始めていた。旧都を歩いている際にも、彼女は相変わらず手を繋ごうとしてくる。おねえちゃん、おねえちゃん、と呼びかけながら私の手を強引に掴もうとする彼女の姿は、私により〝手のかかる妹〟のような印象を与えた。無論、掴まれた手は振り払ったが。しかしそんな中で、彼女の押しに負けて、一度だけ、彼女と手を繋いだことがあった。言うまでもなく、私は白々しい気分になった。そもそも恋人ですらないし、もし本当に恋人であったとしても、周囲に恋人である事を知らしめるように手を繋いで歩くのは、やはり何か違うような気がした。その後、私はまた考え込んだ。その日特に私を悩ませたのは、古明地こいしは一体どういうつもりなのか、というものだった。彼女は自身を私の恋人と言って聞かないけれど、本当に私に好意を抱いているとは考えられない。もちろん根拠はないけれど、好意を持たれるきっかけのようなものも見当たらなかった。果たして、古明地こいしは何を考えているのだろう。されどそんな疑問は、彼女の居る騒がしい日々に、すぐさま押し流されていってしまった。

 

 古明地こいしが私の家に居着いてから一ヶ月ほど経ったが、例の店に、新たなパンフレットが入荷されることはなかったし、部屋の家具の配置もこいし流に荒らされたままでいる。ついさっき、私はこいしと始めて口論らしい口論をした。それは、家具の配置と、棚の中に、アルファベット順に並べられたパンフレットから始まった口論だった。

 

 例の店から帰ってきた私は、なんとはなしにパンフレットの棚を開いて、アルファベット順に並べられたそれを見やった。やはり色がぐちゃぐちゃで、私は溜息を吐く。何度か色ごとに仕分け直したこともあったのだが、私が少し目を離すと、パンフレットはアルファベット順に並べ替えられているのだ。それ自体は、もう慣れたし、若干の諦めも感じていたから、問題ではなかった。こいしはパンフレットに折り目をつけたことも無かったし、読む時だって、私にちゃんと許可を取ってから読んだ。だから、私は彼女のパンフレットの扱いについては、一種信頼めいた安心感を抱いていた。もちろん、あまり触ってほしくないことに、違いはなかったけれど。

 

 私はそこで、彼女がまたしてもパンフレットの配置を弄ったことを、家具の配置の件も交えて非難した。それはもはや〝いつものこと〟で、私がそれを非難しては彼女がそれを右から左へ聞き流す、それがいつもの流れだった。しかし、彼女は今日、珍しく〝つっかかってきた〟のだ。今にして思えば、それは彼女のいつも通りのおふざけだったのかもしれない。彼女はパンフレットの並びについて、別にいいじゃん、そのくらい、的なことを彼女特有のセンスを用いて私に放った記憶があるが、詳細はあまりよく思い出せない。たしか、私のこだわりが強い、とか、イドとかスーパーエゴだとか、私の解せない言葉で、私の性格についての言及を織り交ぜながら、彼女はそれを語った。

 

 それの何が私の神経を逆撫でたのかは分からないが、とにかく私は腹が立って、彼女をしつこく叱責してしまった。そこまで怒る必要があったのだろうか。私は自身のとった行動に疑問を感じている。ああ、私はどうしてこうも自分がわからないのだろう。とにかく、彼女は、こいしはその時出て行ったきり、帰ってこない。

 

 そのまま、時間は流れて夜になった。昼も夜もない地底だが、部屋に時計くらいはある。私は秒針を眺めながらぼんやりと、私と、それから彼女のことについて考えていたが、思考はまとまらず、結局何一つ思考という思考は出来ていなかったように思える。ただ、そこに在ったのは感傷のみだった。私はそんな感傷に突き動かされるままに、かつての寝室の戸を開けた。疎ましく感じていた彼女を心配して感傷に苛まれ、かつての寝室の戸を開ける私の姿は、なんだか安っぽい映画のワンシーンに思えて。私はやはり、そんな自分を滑稽に感じずにはいられなかった。

 

 かつての寝室は、古明地こいしの掃除の為に、やはり昔のままの姿で、其処に在った。照明から垂れる紐に括られた小さなぬいぐるみ。眠る前に本を読むために設置された花柄のついた小さなライト。そして、匂いまでもが、昔のままだった。

 

 私は白々と押入れを開けて、重たくなった布団を取り出し、敷いた。

 掛け布団の上、腕を枕にうつ伏せに横たわる。布団は湿気って、埃っぽくて、少し黴くさいような、埃くさいような。その匂いが妙に懐かしくて、そのとき私の目からは無感動に涙が溢れていた。埃のせいに違いなかったけれど、私はそんな自分を俯瞰すると、ますます自身から視点が離れていくのを感じた。遠くの方から、私を眺めている感覚。私はそんな感覚の中、何も感じないまま、気がつけば眠りに落ちていた。

 

 それは短い眠りだったけど、私はとても長いあいだ、眠っていたように感じる。気付けば私は、きちんと布団に入って眠っていたらしい。湿気った布団は重たく、私の体を優しく押し潰さんとしている。目を開けると、目の前には花柄のついた小さなライトスタンドがあって、私は今更、自分がかつての寝室で眠ったことを思い出した。

 

「ね、布団、入ってもいい」

「ええ、いいわ」

 

 布団の隣には、古明地こいしが座っていた。私は背を向けていたけど、気配がした。彼女は布団に潜り込んで、私の背中にぴっとりくっつく。

 

「えっと、ごめんね。こいし、ちょっとふざけすぎちゃったかも」

「いいわ、もう」

 

 彼女はまた〝こいし〟だった。何故かはわからないけれど、私はそれがなんだか悲しいような、哀れなような気がして、なるべく柔らかい口調で、彼女に返答するように努めた。怒りはもうまったくなかったし、そもそもこいしが出て行ってから、私はずっと後悔していた。

 

「えへへ、よかった。……ねえ、おねえちゃん。その、こっち向いて」

「ん」

 

 私が寝返りを打って向き直ると、こいしは私の胸に寄りすがるように体を寄せて、えへへ、と笑う。

 

 今回のことは、私もこいしに謝らなきゃいけない気もしたけど、それをするのは、やめにした。その代わり、すこしだけやさしくしてやろう。そんな一種傲慢なことを考えると、私がまた、自嘲めいた笑いを零した。

 

「ねえ、こいしのこと、抱きしめて。恥ずかしかったら、こいしが眠ってからでもいいからさ。……そうだ。こいしね、今日はおねえちゃんに悪いなーって思ってさ。人里でパンフレットの映画を探してきたの。おねえちゃんが私と会ったとき、公園で持ってた、あの新しいやつ。ふたつとも見つけてきたから、今度二人で一緒にみようよ」

 

 こいしが言っているのは、あの〝F〟から始まる二つの映画のことだろう。地底じゃ、探しても見つからなかったのに。

 

「イヤ。私、映画は一人で観るって決めてるの。それに私、ほんとに気になった映画しか、探したりしないんだから」

 

 私がそう言うと、こいしは、そっか、つまんないの、と笑って、そのまま眠ってしまったようだった。

 

 私に体を密着させて、こいしはすーすーと寝息を立てている。私はそんなこいしの体を、そっと抱きしめてみる。殆ど初めて触れたこいしの体は暖かく、柔らかかった。そして何より、心許ないほどに、小さかった。背中に腕を回すと、そこから心音が伝わって来るほど、こいしの線はか細くて。でも、その心音が果たしてこいしのものだったかどうかは定かではない。

 

 そうしていると、次第に、どういうわけか。この細い体を、心もとない小さな体を、めちゃくちゃにしてやりたいような気が起きた。思いっきり、折れてしまいそうなほど抱きしめてやりたいような気もしたし、くすぐって、静かな眠りから覚ましてやりたい気もした。その刹那、或いはおもむろに、私の中にまた一つ、感慨が湧いた。

 

 その感慨は言葉としてではなく、ぼんやりとした靄として私の脳内、或いは私を俯瞰する私の視界を占拠した。白む視界の中、私は彼女と抱き合っている。その格好はやはり、ひどく滑稽に見えるのだった。

 瞬間。あのときの、古明地さとりとの会話を思い出す。

 

 

『それじゃあ、私はこれで失礼します。あぁ、橋姫の子のあなたなら、私も安心です。』

 

 

 ああ、私はやっぱり、橋姫の子だった。

 

 

「ん、んん……。あれ……おねえちゃん、まだ起きてるの。……そうだ、言い忘れてた。……おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみ」

 

 そのまま、私は朝が来るまで、かつての寝室の匂いを懐かしんでいた。

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