ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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 目が覚めると、こいしは隣にいなかった。こいしを探すわけでもなく、私はふらふらといつもの部屋へと歩く。軋む廊下はらしくぎいぎいと音を立てる。部屋に入って時計を見やれば、針は正午を指していた。いつもなら、私はきっかり六時に起きる。割合寝過ぎてしまったが、まあ、たまにはこんな目覚めも悪くない。

 一風呂浴びて部屋に戻ると、ちょうど、こいしが帰ってきた。

「おはようおねえちゃん! 今日は自転車を買ってきました! ね、今日は二人で里に行こうよ。あ、おねえちゃんお風呂入ってたの? わたしもすぐ入ってくるから、その間に準備しててね」

 彼女は嵐のように捲し立てると、廊下をどたどた言わせて風呂へ飛び込みに行ってしまった。

「自転車」

 私は半ば狐につままれたようや気分になり、ふらふらと家の戸口を出た。戸口の前には、真新しい自転車が一台、我が物顔でそこに在った。

「自転車だ」

 時刻は無論正午だったが、私はそのとき、たしかに朝の気配を感じた。



緑の瞳に映る恋~青春パンク編 9

「あはは! 楽しいね、おねえちゃん。景色がどんどん流れていくよ」

「そりゃ、あんたは楽しいでしょうよ。これ、疲れるったらないわ」

 

 昼下がり。私は久々に地上に出て、彼女を乗せた自転車のペダルを漕いでいる。自転車に乗るのは初めてだったが、地底を出る頃にはもう慣れた。地上の空は馬鹿みたいに広く、阿保みたいに青かった。雲ひとつない空の下、木々は僅かにその葉を朱く染め始めている。

 

「うーん! 空気が澄んでるね、暑くもなければ寒くもない。でもちょっと肌寒い。〝ザ・秋〟だね、おねえちゃん」

「そうかしら、まだ木の葉が緑色よ」

 

 気がつけば夏は終わっていたらしい、地底に住んでると、時間感覚も、季節感も狂う。まあ、私はあまり地上には出ないので、あまり関係ない話だけど。無論、私は根暗じゃなければ、人が苦手ということもない。こともないが、今日は助かった。今日の人里は、人通りが少なくて、妙に静かだった。

 

 されど、通りを行く人々こそ少なかったが、それでも一人一人の怪訝そうな視線は私たちに突き刺さった。しかし、私はそれほど悪い気はしなかった。ああ、ともすれば、あの公園の〝あの〟アベックも、こんな気持ちだったのかもしれない。

 いやいや違うな、まず前提が違う。私はこいつと付き合っているわけでもないし、あのアベックのようにいやらしいことはしていない。久々に地上に出たせいで、私はどうかしてる。

 

「うーん、風がゆっくり吹いてて、気持ちいいなー。ね、おねえちゃん。自転車で里を走ってると〝街〟を感じない?なんか、ハイカラでさ」

 

 こいつは急に何を言うのだろう。

 

「感じないわよ、こんなど田舎。そんなスクーターブームのときの若者みたいなこと言って、ますます田舎くさいわ」

「スクーターブームって、なあに」

 

 以前、ヤマメとキスメと遊んだ時に、洞穴に落ちてた雑誌を読んだことがあった。曰く外の世界には〝スクーターブーム〟なるものがあって、その渦中、若者は皆一様に〝スクーターに乗って都会を走ると〝街〟を感じる〟と主張したそうな。

 

「さあ、私もよく知らないわ」

 里には、穏やかな風が吹いていた。

 

 

 自転車で走っていると、すぐに里を抜けてしまった。帰ろうかとも思ったが、こいしが楽しそうだっから、そのまま少し走り続けた。緩やかにせせらぐ川沿いだったり、柳の立ち並ぶ小道だったり、色んな景観の中ををゆっくりと走り抜けた。

 見知らぬ寺の階段の前、小さいながらに風情のある墓地の前で、なにやらこいしが私を引き止めた。

 

「なによ」

 

 こいしはじっと、墓地の方を見つめていた。墓地の向こうの高いところに寺の屋根が見えていたけれど、彼女があんなものを注視するはずもない。私は墓地に何かがあるのだろうと考え、暮石の一つ一つへ目を遣った。そうして私は、暮石の一つに黄色い蝶がとまっているのを見つけた。おそらく彼女は、あれを見ているのだろう。

 

「なに、蝶がそんなに珍しい?」

「え?」

 

 こいしは蝶を見るのに夢中になっていたようで、なにやらハッとした様子で私に答えた。私は蝶を指差して、

 

「あの蝶がそんなに珍しいかって聞いてるの」

 と言った。

 

「あ、ああ、うん。結構、珍しい蝶なんだよ。外の世界ではそんなに珍しくもないみたいだけど、キチョウっていってね、秋のキチョウは模様が違うの。ほら、前翅表の黒い縁取りが夏のキチョウと比べて少ないし、代わりに裏の黒い斑点が目立ってるでしょ? ……あ、見えるわけないよね、ここからじゃ」

「あんた、意外と物知りよね」

 

 私が言うと、こいしはえへへ……と気まずそうに笑った。

 意外と言えば、彼女は意外と金を持ってる。浴衣にしたって、自転車にしたって、映画のビデオにしたって、どれもそんなに安いものではないはずだ。彼女は一体どこからそんな金を工面しているのだろう。私が一瞬そんな方向へ思考をとばすと、こいしはおもむろに、

 

「せっかくだから、近くに行って見てみようよ」

 と言った。

 

 私は自転車をその場に停めて、こいしと一緒に墓地へと入った。

 しかし、当然と言えば当然だけど、キチョウは私たちが近づくと、ひらひらと宙へ逃げてしまった。私たちはぼんやりと、それを見送ったのち、地底への帰路に着くのだった。

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