ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
灰色の季節 1
人里近くの桜並木はこのところ大盛況で、今日だって、シートやなんかがたくさん敷かれて、舞い散る桜の中、人々は賑やかさを担っている。真昼の陽射しでなんだか白みがかって、まるで楽しいだけの夢みたいな光景だ。
僕に言わせれば、それは馬鹿騒ぎで、奴らは烏合の衆だった。僕は桜を見てはしゃいだりなんかしない。大人が思うほど、僕は子供じゃないんだ。寺子屋の、なにもわかっちゃいないアホ共とだってもう少しでおさらばできる。僕にとってこの桜並木はただの通り道、帰路だった。
ああ、寺子屋といえば、あの、風見鶏の、パープリンの、忌々しい、左だ。今日だって、あいつは僕に謝らなきゃいけないことがあるはずなのに、それを無視して、馴れ馴れしく声をかけてきやがった。声をかけられて着いていく僕も間抜けだった。でも、人が死ぬところを見に行かないか、なんて言われて、断ったら、後で馬鹿にされるに決まってる!
左、あいつは卑怯だ。いざ、流行り病で死にかけの爺さんを目の当たりにしたら、そそくさビビって一人だけ逃げやがった。なにが、これは見世物じゃないな、だ。言い出したのは自分のくせに、かっこつけやがって。
けれど不思議なのは、今現在視界に映るすべてのものが、なんだか僕のせいに思えることだ。白んだ陽射しも、桜の木々も、舞い散る淡桃の花弁も、楽しそうな人々も、賑やかな喧騒も、屋台の匂いも、捨てられた串に群がる蟻達も、目付きの悪い犬も、なんだかすべてが、僕のせいに思える。
僕はきっと、そんな景観の、どんな箇所も担えていない。そんな気がする。団子でも買ったら、僕も少しは、格好がつくかもしれないが、有象無象に迎合する理由なんかはどこにもないんだ。
そんな、漠然とした感慨に足を取られながら歩いていると、不意に、視界の端、妙な女が目についた。女を妙と言わしめたのは、女の赤い髪の色と、持ち物だった。服もこのあたりじゃ見慣れないものだったかもしれないが、そこらへんに関しては、僕はあまり自身がない。
女は片手に酒瓶を提げて、もう片手には盃を持っていた。盃にちびりと口をつけるその仕草は、桜並木じゃありふれた、見飽きた仕草だけれども、女は一人だったのだ。女の、陰気だけれど、そうと言い切れない表情や雰囲気も、僕にはどうも、気になった。
だからといって声をかけるなんてことはせず、僕は止めていた足を動かして、通り過ぎようとしたのだが、女の方から声をかけてきた。
「なんだ、あんた。あたいが見えるのかい」
なんて、奇怪な言葉を投げかけられた時点で、僕はそそくさ逃げるべきだったのかもしれない。しかし、僕の口は殆ど勝手に動いて、「そりゃ、見える」とかなんとか、吐き出してしまった。
女は僕の言葉にさして反応を示さず、へぇ、と息を吐くのみで、桜やなんかを眺め続けた。そもそも、女は端から僕の方なんか見ちゃいなかった。女はずっと、どこかを見ていた。けれど、舞い散る花弁を見てるのか、往来のど真中に一本だけ生えた大樹を見てるのか、はたまた行き交う人々を見ているのか、あまり、判然としなかった。とにかく、女が二の句を放つ様子もないので、僕は気まずく一礼をして、歩きはじめようと考えたのだが、そこでまた、女が口を開いた。
「今年の桜は、妙な色をしているねえ」
妙なのは自身の放った言葉ではないか、女から、意外とおしゃべりな気配を感じながら、僕も口を開く。いよいよもって女との会話が始まってしまうけれど、一つ言えるのは、僕も意外とおしゃべりなのだ、ということだ。
「そんなことないと思うけど。例年通り、ただの薄い、桃色じゃないか」
「あんた意外と、目が悪いんだね。若いってのに」
「だから眼鏡をかけてるんだけど」
「あ? ああ、ほんとだ」
女はそのとき、初めて僕の顔をみた。ああ、ここらへんで、彼女のことはお姉さん、と呼び替えるべきかもしれない。年功序列はアホらしいけど、礼節ってのは重要なんだ。
「じゃあ、あたいの目がおかしいのかな。いやでも、この酒もさ、なんだか以前と味が違うんだよ。随分薄口になっちまった」
「そのお酒、売れ方がずっと変わらないから、味が変わったなんてこと、ないと思うけど」
お姉さんは眉を顰めて、右上辺りの虚空に揺れ落ちる花弁を睨みながら、「あれぇ」とか、「妙だな」系の言葉を発音した後、僕に向き直った。
「なんだい。じゃあみんな、あたいのせいだって言いたいのかい」
唇を尖らせて真面目くさって言うもんだから、僕は思わず吹き出してしまった。するとお姉さんも冗談めかして笑うから、僕たちは少しの間、笑いあった。
「お姉さんは、里の人じゃないね。だって、里の中でみたことないもの」
「ああ。でも仕事でね、しばらくはここらへんに住むことになったんだ」
「仕事?」
僕が問いかけると、お姉さんは何かハッとして口を切った。
「ああ! 今日はこれから仕事だったんだ! いやあ、天気が良かったもんで花見しに出てきたんだが、すっかり忘れちまってたよ」
「お姉さん、抜けてるね」
うるさいやい、と笑って、お姉さんは歩き始めた。かと思えば立ち止まって、僕に向き直って、口を切る。
「あんた、ええと。流行病に罹って死にかけてる爺さんとか、知らないか?」
「……それなら、稗田邸裏の横町だね。こぢんまりした庭に松が生えてて、一人で暮らしてる。……お姉さん、医者?」
あの爺さんが一番激しく咳き込んでからどうなったか、僕は知らない。恐ろしくて逃げてきた。でも、お姉さんが行くなら、きっと大丈夫だろう。根拠はないが、そう思えた。
「医者。まぁ、そんなところかな。……ありがとね。それじゃ、あたいは行くよ」
あんな、昼間っから酒を飲んでるような赤い髪のひとが、本当に医者なのだろうか。また歩き出したお姉さんの背中を眺めながら、そんなことを考えていると、「ああ、そうだ」とお姉さんが振り向いた。
「あんた。今後町中であたいを見かけても、声をかけないでおくれよ。あんまりね、好きじゃないんだ。そういうの」
声をかけてきたのは自分のくせに、よく言うな。それじゃ、と笑いながら酒瓶を掲げて、お姉さんは歩き出す。不意に、どうしても聞きたいことが浮かんで、僕はお姉さんを引き止めた。
「ねえ。お姉さんの桜はさ、どんな色してるってわけ」
お姉さんは振り向くこともなく、「は、い、い、ろ」と発音して、今度こそ、行ってしまった。
去っていくお姉さんの背中を、随分見つめていたけれど、僕はどうにも、白んだ陽光にしたって、桜の木々にしたって、舞い散る淡桃の花弁にしたって、楽しそうな人々にしたって、賑やかな喧騒にしたって、屋台の匂いにしたって、捨てられた串に群がる蟻達にしたって、目付きの悪い犬にしたって、なんだかすべてが、お姉さんの背中を彩っている気がした。お姉さんのせいな気がした。何故かはわからないが、そんな気が、したのだ。
声をかけるな。お姉さんにはそう言われたけど、僕はきっと、それを守ることはしないだろう。だって、あのお姉さんと親しくなるのは、クラスのアホどもやパープリンの左なんかと仲良くするよりも、ずっと有意義な気がするから。
そうして、僕はとりわけ軽い足取りで、地面の上で行われる馬鹿げた酔宴の幾つもを、見送った。