ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
恐らく樹脂とかビニルとか、床の感触はそんな感じ。キッチンの小窓には川が流れて、川の流れはキッチンにせせらぎってやつを運び込む。昨今はコンロ程度ならどんな家にだってあるから、四角いフライパンの中で、卵は四角くなっている。
とはいえ、このキッチンにコンロがあるのは意外だった。こんな川沿いの、打ち捨てられた小屋めいた長屋にも、憎き河童どもの侵略の魔の手が伸びているとは。有難がる奴もいるけど、僕はどうにも、好きになれない。
「なあ、あんた。いい加減にお友達と仲直りしなよ。こう毎日来られると、どうも落ち着かないね、あたいはさ」
畳張りの居間からお姉さんが声を上げる。
「僕が来ないとお姉さん、料理だって掃除だって、ろくにしないくせに。それに、あんなやつ、もう友達でもなんでもないんだって、何度も言ってるじゃないか」
言いながら、僕は卵焼きをお姉さんの前まで運ぶ。お姉さんはなにやらずっと、手紙を書いていた。それは、なにも今日に限った話ではなく、僕が里で、飲み屋の暖簾越しにお姉さんを見つけた日からずっと、お姉さんは手紙を書き続けている様子だった。
僕が初めてお姉さんの部屋に入ったとき、四、五畳の部屋にはお姉さん宛の手紙が溢れていた。そんな部屋の中で黙々と手紙を書き続けるお姉さんを見て、こんな量の文通をする相手がいるのか、と、そのとき僕はそう尋ねた。しかしお姉さんから返ってきたのは、「手紙が届くんだ」という、いまひとつ要領を得ない返答で、結局、お姉さんの書く手紙も、お姉さんに届いた手紙も、どういった内容の手紙なのか、知ることはできなかった。最も、散乱した手紙の内容を読んでしまえばよかったのだが、僕にそこまでの勇気はなく、出来たのは、大量の手紙の、掃除を兼ねた処分、それくらいだった。
僕が卵焼きを低くて四角いテーブルに置こうとすると、お姉さんは、「頼んでもいないのに」とかなんとか言いながら、机の上の手紙をどける。封筒の飽和した机になんとか皿を乗っければ、お姉さんは筆を置いて、手を合わせた後、卵焼きへと親の仇のように醤油をかけた。
「あんたの料理、味が薄いんだよ」
眉をひそめる僕を尻目に、お姉さんが言い訳めいた言葉を吐き出す。それにしたって、この量はかけすぎだと思う。
お姉さんが食べてる間、畳に座って、壁にもたれて、本を読んでいた。すると、箸を動かすお姉さんが不意に口を切る。
「あんた、あれだろ? 浮浪者と少年の奇妙な友情劇、みたいなのを、あたいに期待してるんだろ」
「お姉さんは浮浪者じゃないでしょ」
じゃああんた、あたいの身元がわかるのかい、とかなんとか、お姉さんは自身を浮浪者の立場へと貶めて続ける。たしかに、僕は未だお姉さんの名前すら知らない。
「それで、あんた。あたいによく言うよな、『お姉さん、たまには外に出た方がいいんじゃない』なんてさ。それってあれだろ? 外に出てあたいと歩いてるところを、誰かに見られたいんだ。同級生やなんかにさ」
「なんでそんなこと」
「なんでって、決まってる。噂されたいんだ。『あいつ、あやしい大人と仲よさげに歩いてたぞ』なんて。あんたみたところパッとしないからね、みんなの気を引きたいんだろ? それで、いざ直接指摘されたら、はにかむんだ。『あはは、みられちゃったか』なんてさ。いやあ、あんたは恥ずかしいやつだよ」
お姉さんの言うことは的外れだ。どうして僕がクラスのアホどもの気を引かなくちゃならないのか。そもそも、奇妙なユウジョウゲキを期待しているのはお姉さんの方なのではないか。そうじゃなければ普通、里で会った見ず知らずの少年を部屋に入れたりしない。僕のことを本ばかり読んでいる内気な少年に、人との温もりを求める孤独な少年に当てはめようとしているのは、きっとお姉さんの方だ。
「お姉さんこそ、恥ずかしいひとだよ」
「まあ、あたいが言いたいのはさ。本ばっか読んでないで、子供は子供らしく外で遊べって話だよ。お友達と仲直りして、さっさと子供らしく振る舞えって、そういう話」
お姉さんは箸を食べ終わった皿の上に置いて、勝手に話を締めくくった。大人は、いつもこんな具合に話を逸らす。
お姉さんの卑劣さに内心憤っていると、お姉さんは皿を片付けることもなく、手紙を書くのを再開した。卑怯だ、なんて口に出せばまた馬鹿にされるだろうから、僕は平静を装って、本に目を落としていたけど、正直、文字が頭に入らなかった。
そんな沈黙がしばらく続いて、不意に、筆を手に持ったまま、お姉さんが口を開いた。
「あれ、あんた。苗字はなんていったか」
「門。……僕宛の手紙?」
本からお姉さんに視線を移すと、お姉さんはやはり手紙の上に筆を構えて、手を止めていた。どうやら僕宛の手紙であることは間違いないらしいけど、僕はここにいるんだから、言いたいことがあるなら直接言ってくれればいいのに。
「門、門。……ちょいとあんた。嘘ついちゃいけないな。お姉さん、そういうのはわかるんだよ。あんた、ほんとはなんて姓なんだい」
姓に嘘もなにも無いと思うけれど、偶然、僕には門以外のもう一つの苗字、その心当たりがあった。しかし、お姉さんにそれがわかるのはどうも不可解だ。
「……左。前の苗字が左だったんだ。門は新しいお父さんの名前でさ。……おかしい話だよ! 稗田邸の左っ側にある家はみんな左なんてさ!」
「やっぱりね。こういうときに姓を聞かれたら普通、元々のやつを答えるもんなんだよ。頼むよ、まったく。左、左ね。よし……」
僕の言葉の後半部分をほとんど無視して、お姉さんは手紙に筆を落とす。僕はお姉さんの言うように、僕が間違っていたとは到底思えるはずもなかった。姓は現在のものを名乗るのが普通なのではないか。僕はなんだか居た堪れなくなって、お姉さんに問いかける。
「それ、何処に出す手紙なの」
「ええと、この手紙は……あれ、どこだったかなあ」
「僕に苗字を聞いたってことは、僕の家に出すんじゃないの。でも、僕の家はいま門だから、それじゃあ届かないと思うよ、きっと」
「いや、あんたの家じゃないよ。……あれ、でもほんと。どこに出すんだったかな。あんたの苗字を聞いたなら、普通、あんたの家に出すもんだけど。でも、それは絶対に違うんだよ。とすると一体、この手紙はどこに出す手紙なのか。……あれ、なんで、わかんないんだろ」
お姉さんはそこまで言って、僕の方を向いては照れるように笑った。お姉さんは本当にわからなさそうにはにかむものだから、僕もつい、笑ってしまう。
「お姉さん、抜けてるね」
うるさいやい、なんて言って、お姉さんは腕を伸ばして、諦めたように仰向けに寝転がっては、また、笑った。