ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
まあ。そこまで笑って聴いていただけるのなら、そろそろ悪い気もしませんが、そうですね。また、同じ話になってしまいますが、良しとしましょう。あなた方には結局、どんな話だって、関係のないことでしょうから。
けれど、今から話すのは、本当になんでもなんでもない話なんです。決して、私が話したいから話す、なんてことでは、ないんですよ。ああ、はじめくらい笑わないで聞いてくださいね。本当に、なんでもないんですから。私がこの話をするのは、それが、丁度いいと、ただそれだけなんですから。
人面樹 1
始まりといえば、やはり、あの日だったのかもしれません。
そのころ、世界には雨が続いていて、その日もやはり雨で、半分開いた障子窓の向こうに、かつての日常を浮かべていました。のっぺりとした校舎、触れればたしかに堅い教室の壁、シャープペンシルの転がる机。私は、同級生を懐かしんでいました。一人、変わった子がいたのです。
変わった、とはいえ、とりわけて目立つということも、暗すぎるということもなく、ほんの少しだけ独特な間を持った、黒髪の女の子でした。ただ、その独特な間が、授業が終われば集まってお喋りをする子達にとって、彼女を変と言わしめる原因ではあったのでしょう。試験で点数をとれないとか、忘れ物の多いとか、そんなこともありませんでした。彼女はすこし、会話が苦手だったのかもしれません。たしかに、おはようの一言でさえも、彼女がまともに返したのを、聞いたことがありませんでした。だからといって、無視をする、というわけでもないのです。彼女は、おはようのその一言に対して、日常的な会話の殆どに対して、なにもわからなさそうに笑う、という返答をしました。もちろん、普通の高等学校に通えていたわけですから、なにもわかっていない、なんてことはありえません。ただあまりにも、その笑い方といえば本当に、なにもわからなさそうにするものですから、お喋りな子達の、「もう!」と云う気持ちも、わからないではなかったかもしれません。
けれど、私は彼女が好きでした。そんな、なにもわからなさそうな笑顔がどこかいじらしく感じられて、見るたびに、ちょっとだけ変な気が起きたのをよく覚えています。ほら、例えば、眠る我が子をわけもなく起こしてしまう親と、おんなじ気持ちですよ。中途半端になった指のささくれを、思い切ってとってしまいたくなる、あの気持ちです。
彼女と友人関係にあったかどうかは確信がありません。私は所謂八方美人、風見鶏と云うやつで、教室ではとりわけて、誰とも分け隔てなく接していました。いえ、実際は誰とも、ほんとうには接していなかったかもしれませんね。ですから、彼女にしてみれば、私も数ある同級生の一人だったかと思います。けれど、彼女と私は、帰り道が同じでした。校門を出てまっすぐ、今となっては懐かしい、アスファルトの路面表示を三度折れるまでは、いつも一緒に歩きました。
どうしてでしょうね。雨の日が多かったように思います。というのも、記憶の中で彼女は、いつも傘をさしていました。ビニールに注ぐ雨のボツボツといった野暮ったい音の中に、彼女の曖昧な笑い声が、いつでも鮮明に聴こえていました。だから、その日も私は起き抜けに、障子向こうの雨の匂いに、彼女を思い出しながら、里へのおつかいのため、身支度や何かをしていたと思います。
そのとき、縁側の方から、諏訪子様が私に声をかけました。さなえ、ちょっとおいで、なんて言って、いつものことながら、諏訪子様のその声を聞くたびに、私はいつもドキドキしながら、神棚のある、黴臭い畳の部屋までついていったものです。ドキドキする、というのも、そうじゃありませんか。ちょっとした用事だったのなら、呼びつける必要はありません。その場で話してくれたら、幾分安心できます。それをわざわざ改まって呼びつけて、暗い畳の上で対面の形を取らされるから、或いはこれは、なにか怒られるのではないだろうかと、心当たりがなくても緊張してしまいます。今にして思えば、それは私の、私的ノスタルジーというものだったのでしょう。なにから話したものか、だとか、ううむ、だとか、腕を組み唸ってばかりで一向に始まらない諏訪子様のご様子に、きっと、すこし過保護すぎた両親を重ねていました。だから、お説教までの秒読みに似たその時間に、私は緊張と一緒に、不思議な安心感を覚えていたのです。
けれど、あんまりに始まらないものですから、そのうちに、程よい緊張感と安心で、うつらうつらとしてしまいました。もっとも、諏訪子様のソレはあの人特有の癖というもので、実際にはお説教をされたことがありません。どれほど唸られていても、せいぜいおつかいの品が増えるのみでしたから、余計に、眠たくなってしまうというものです。
そのときに見た夢を、よく覚えています。
彼女の夢です。なにもわからなさそうにはにかむ彼女の夢。はじめは、彼女ではなく、キラキラと、髪の明るい子達の夢でした。授業が終わるや否や後ろの方に集まって、なにやら高い声でお喋りをしています。一番後ろの席の私が、教科書やノートを鞄に整理しながら、それを聞くともなく聞いていて、実際の私は、それを俯瞰して見ています。夢の私に、髪の明るい子達の一人が声をかけたところで、不意に、場面が飛びました。そうすると、今度は森になりました。暗くて、じめじめとして、知らない植物がたくさんあり、どこにも構わず蔦を巻く、陰鬱な森です。なんてことのない細い木には、ロープが巻かれていました。ロープには、きっと、か細い線よりずっと重たい、女の子がぶら下がっています。聴覚に、曖昧に、声が響きました。諏訪子様の声です。おつかいがどうとか、神奈子様に内緒でとか、おそらく、半覚醒の夢です。だから、陰鬱な森には古い映画のようなフィルターがかかって、まるで、雨が降ってるみたく、ざらざらしたり、明滅したり。一瞬、女の子にパッと視点が近づいて、学生服だと分かったり、また離れて、なにもかもよく、わからなくなったり。それこそ夢は本当に、映画のショッキングな場面のように、女の子の縊死体を、目まぐるしく強調して見せました。
諏訪子様の声が一際大きく聞こえて、ハッと、目を覚ましました。紛れもなく、例の彼女の夢です。彼女は、私がこちらへ来る年の夏休みの最中、ご両親に行ってくると言い残して、消えてしまっていたのです。夕立が過ぎた暮れ、所謂行方不明というものでした。その後あれこれと噂が立つのは道理ではありますが、学校での噂といえばひどいもので、彼女は死んだ、自殺した、樹海で首を吊ったんだ。なんて、誰も彼もが彼女の死について口を動かしていました。もちろん私は、実際のところ彼女がどうなったのかなんて、知る由もありません。当然、今だってわからないままでいます。けれど、畳の上で船を漕いだそのあと、増えたおつかいの準備をする最中に、なんとなくではありますが、誰もが語った彼女の噂は、本当なんだと思いました。雨樋から滴り落ちる、塊のような水滴が打ち付ける音の中に、彼女の死を理解しました。そうしてぼんやりと考えたのは、彼女の死には少なからず、私も関わっていたということです。
彼女はよく、からかわれていました。大げさな言い方をするなら、いじめられていたのかもしれません。髪の明るい子たちが彼女にかける声の軽さを、よく覚えています。私がなんとかしてやれたら、また違った形でお別れができたかもしれない。本当に、準備の片手間に漠然とした想像を浮かべていました。そのとき同時に思っていたことは、私がなんとかしてやれたらなんて、そんなふうに考えるのは、私が彼女を好いていたがゆえの、その頃流行していたドラマ式の、ヒロイックさに起因しているのかも、だとか、準備の片手間に落ち着ける私は、すこし冷酷なのかもしれない、だとか、とにかく彼女の死を軽視した、不可思議に冷たい感触ばかりでした。連日のことでしたから、里ではもう誰も雨など気にせずに、どの店も人も、普段通りに賑わっていました。けれど、それがまた、私を妙な気にさせたのです。もはや誰も彼もが諦めて、晴れの日と同じように賑わっているのに、実際には雨が降って、紫陽花が湿る薄紺の中、色調の落ちた町の中に居るわけですから、妙に、それが本当な気がしました。普段の晴れた明るい世界は嘘で、雨が降るのに賑やかな世界が、本当のもののように感じました。普段と変わりなく、八百屋さんの快活な呼び声に誘われるがままに、おつかいの品を買いました。けれど、私はその普段通りが、妙におかしな気がしたのです。こんなにも雨が降っているのに、こんなにも、普段通りに生活をするなんて。そんな、漠然とした感覚を持て余しながら、残りのおつかいを済ますべく、里を歩きました。
正午を待たずして、おつかいは済み、諏訪子様もお出掛けになったので、縁側で、ぼんやりとしていました。いつもなら、境内の掃除でもしていたかと思いますが、あいにくの雨で、それに連日続くものですから、もう、諦めて梅雨明けを待つしかなかったのです。雨溜まりに踊り溶ける砂の粒を眺めて思うのは、やはり、古いことばかりでした。けれど、そうこうしているうちに来客があるのではないか、なんて、緩やかな期待も胸中にはあったのでしょう。そうでなければ、わざわざ飛沫の跳ねる縁側に腰を落ち着けたりしません。実際、その頃はひとり、神社へと頻繁に訪れる方がいました。いえ、どうも、変な感じですね。ひとり、というのも、方、というのも、他人行儀な感じがして、なんだか可笑しいです。しかし、ひとり、というのはやはり誤りかもしれませんね。正確には一匹になるのでしょうか。ああ、決め兼ねてしまいます。その方は妖怪でした。怪は唐傘、性を多々良、名が小傘。そうですね、やっぱり便宜上、ひとり、としておきましょう。彼女はとても妖怪らしく、そして人らしく、ああ、今でもわかりかねます。妖怪というのは得てして、人を惑わすものなのですね。
話を戻せば、私は縁側で、彼女を待っていたのです。そのころ、彼女は毎日私のところへやってきては、荒唐無稽な悪戯をしました。もちろんそれは、彼女の習性によるもので、偶然、標的に選ばれたのが私だったのでしょう。彼女はいつでも傘をさしていて、それだけで、隠れているつもりになって、傘から顔をひょいと出しては、驚け、なんて言葉を発音するのでした。赤ん坊ならいざ知らず、そんなことで、私が驚くはずもありませんから、だから余計に躍起になって、毎日毎日、私の前に現れたのでしょう。妖怪らしいのは、私がどこにいても現れるという点です。彼女は私が行くお使いのことなど知らなくても、里に行けば里で、林道を歩けば林道で、縁側に座れば縁側で、私を驚かさんと現れるのです。きっと、驚いたふりでもしてあげられたら、彼女がああもしつこくすることもなかったのでしょう。標的を驚かせるまで付いて回る、きっと、それが彼女の習性でした。けれど、いないいないばあで驚ける人間もそうそういませんから、いまでもすこし、不条理に感じます。
私はそんな彼女のことが大嫌いでした。いえ、それは嫌悪というよりも、どうでしょうね。ウザい、なんて懐かしい言葉が、しっくりくるような気がします。彼女は常に、私がして欲しくないことを、一番して欲しくないタイミングでやってのけるのです。今にして思えば、なにか驚かしてくる妖怪、などというのはただの、便宜上の、都合のいい解釈で、本当なら、彼女はそういう妖怪だったのかもしれません。当人が一番にいやがることを無意識的に体現する、恐ろしいだけの、妖怪らしい妖怪だったのかもしれません。もちろん、本当のところはわかりませんが、とにかくとして、他人の気分を解さずに、所構わずはしゃぐ彼女を嫌っていました。都度、きつく諌めたのを覚えています。それはもう、威勢良く飛び出してきた彼女がふにゃふにゃになるまで、諌めてやりました。
もうお分かりかとは思いますが、私はその時間をたのしみにしていたのです。学校に通っていた頃は、気兼ねなくひとを詰る楽しさなんて知らずに過ごしていましたが、彼女のおかけで、なんとなくではありますが、そのたのしさがわかりました。都度しょぼくれる彼女にしたって、次の日になれば、記憶を失くしたような威勢の良さで飛び出してくるものですから、私はそんな彼女との時間に、まるで、お昼時に何度も繰り返される、紋切り型の時代劇のような快さを感じていたのです。
境内の土がおおよそ雨に沈んだ頃、階段の方から、足音が聞こえました。不思議ですよね。雨の降りしきる境内で、それなりに遠い、足音を聞くなんて。それだけ、私は彼女がやってくるのを、楽しみにしていたのかもしれません。もう一寸すれば、彼女のさす傘の頭がみえてくる。そんなふうに思いました。けれど、一寸して現れたのは、彼女本人の、水色い、濡れた髪の毛だったのです。彼女が傘をささないなんて、ほとんど、考えられないことでしたから、思わず私は縁側から、階段の方まで近づいていきました。なにかあったのではないか、確かめなきゃいけない気がしたのです。
見れば、彼女は片手にしっかりと、いつも通りの茄子色を携えていました。ですが、やはり傘は閉じられて、下を向いて、役割を放棄しています。彼女の水色い髪は濡れ、その色を少しばかり重く落としていました。表情にも同様の陰りがさして、その日だって、いつもの調子でくるものと思っていた私は声をかけるにも言葉が浮かばず、そんな彼女をみるのは初めてでしたから、狼狽して、思わず口をついたのは、間の抜けた、挨拶の語句でした。
そうです。
おはようございます、と私は言いました。
彼女は、なにもわからなさそうに、はにかみました。
そのとき、私は悟ったのです。
少女の縊死体は、模糊とした幻などではないということ。
彼女のことなんて、なにひとつ知らなかったのだということ。
そして多々良小傘は、妖怪であるということ。
よく覚えています。忘れようにも忘れられません。
ねえ、早苗さん。わちき、部屋に出た虫を潰しちゃったんだ。かわいそうかなと思ったけど、でもやっぱり、気持ち悪くて、こわくて、潰しちゃった。だから、早苗さんのいうように、わちきはやっぱり残酷で、臆病なんだ、って思ったら、急に、早苗さんに話さなきゃいけないような気がしたの。ねえ、早苗さん。わちきはやっぱり、残酷で、臆病で、わちきな、ダメな妖怪でしょう? だって、両目の色だって、ちがうから。
彼女は照れたように、諛うように、曖昧に、笑いました。