ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
きっかけは梅雨明け、唐突に、雨の止んだ日のことです。
いつも通りに目が覚め、顔を洗い買い出しの準備をしていると、諏訪子様に声をかけられたのです。さなえ、ちょっとおいでと、いつも通りの声色でしたから、私はまた、幾許かの緊張を抱え、少し黴の増えた畳まで、諏訪子様の背中を追いました。諏訪子様はいつも通りに、ううむ、だとか、何から話せばいいのやら、だとか、腕を組み唸っては、お説教前の秒読みに似た焦燥を私に与えます。けれど、その日は舟を漕ぐこともなく、無事、諏訪子様の口切まで堪えることが出来ました。雨が降っていなかったからかもしれませんね。雨の音は、妙に頭をぼんやりとさせます。人を取り留めもない空想の彼方へと置き去りにします。畳の部屋には襖から、はちきれそうな晴天が降り注いでいました。直方に照らされた畳の鮮やかさを、よく覚えています。
諏訪子様は言いました。
わたし、今日から神奈子のとこに行ってくるよ。だから、買い出しは一人分、少なめでいいからね。いつもより。
それはきっと、夏の始まりでした。諏訪子様もお山へ行かれるとなれば、何か重要な案件があるということですから、神社には当分、私一人ということになります。ええ、まさに夏休みの気分でした。空は澄んで晴れ渡り、縁側から覗く境内に散らばった無数の水溜まりは、どれも、小さな青空でした。諏訪子様がお出かけになって早々、縁側で腕をうんと伸ばし、夏の始まりめいて吹き抜ける風に、胸を躍らせて、たくさんのあらぬ空想を揺蕩わせました。どうしてでしょうね。考えるのは小傘さんのことばかりでした。彼女と一緒に山道を歩こう。滝を見よう。麓まで降って湖に行こう。近くの緑が多い公園で、お弁当を食べよう。空想の中、どんな景色の中でも、彼女は曖昧にはにかみました。ええ。それはきっと、恋だったのかもしれませんね。でも、違うんですよ。私はちゃんと、彼女が妖怪であるということも、仮に人間だとしても、同性であるということも、分かっていたのですから。そのときにだって、彼女のことばかり考える自分に気付いて、同性同士なんて気持ち悪い、とか、すこしはしゃぎすぎかもしれない、とか、自分の行き過ぎた空想に、キツく平手を打ったものです。
不意に、思い出したのは彼女のことです。小傘さんではなく、向こうの、行方不明になってしまった、同級生の女の子。学校からの帰り道、珍しく晴れた日のことを思い出しました。きっと、なにかの行事の日で、普段より早い家路でした。もちろん、私は彼女と隣り合って歩いて、およそ会話の望めない彼女に、いろんなことを話していました。遊びに誘って断られることを恐れて、当たり障りのない話題ばかりを選んでいたと思います。部活のこと、髪やお洋服のこと、同級生の声の高いこと。なにを話しても、彼女はただ、曖昧に笑うのみです。私はそれが妙に嬉しく、とにかく、いろんなことを話し続けました。それから、一つ目の角を曲がったとき、私の声は目の前の、踏切の高い音に遮られてしまったのです。そのときでした。鳴り響く警報音の中、彼女はおもむろに、私の肩からぶら下がった左手を、弱々しく、ゆっくりと、握りました。虫の、這うような速度でした。大きな芋虫の、お腹のような温度でした。思わず胸に引っ込めた手のまま、電車が通り過ぎては、踏切が上がります。私は何事もなかったような声で、話を再開しました。たしか、好きな映画の話です。幽幻道士のデブ署長がどうとか、そんなくだらない話を、軽すぎる声に乗せました。彼女は、照れたように、諛うように、曖昧に、笑ったのです。
そんなことを思い出しているうちに、境内の向こうから、足音が聞こえました。雀の声に混ざって二つ。階段の向こう、次第に見えてきたのは、金色く明るい髪の毛と、いやに水色い髪の毛です。魔理沙さんがすこし大きな声で、客人を連れてきた、そう云いました。所在なさげに遅れて歩く彼女はわからなさそうにはにかみます。不思議なほど、魔理沙さんが憎たらしく思えました。手を振って近付いて、急かすように要件を尋ねると、魔理沙さんは巫山戯て、私にふたつの選択肢を与えました。とっておきの話を聞くか、聞かずに、自分を追い返すか。珍しく朗らかで、冗談めかした口調でした。夏に逸る気をおさえ、とっておきとやらを尋ねると、魔理沙さんは勿体つけて、全く関係のない話を始めるのです。
それにしても、最近のお前らは仲がいいな。ああ、ときに。ときに。小傘よ、お前のその両目は、やっぱり片方ずつ別々な色に見えてるのか。だって、カラアコンタクトってやつだろう。それは。
陽のひかりに焦がされながら、魔理沙さんと冗談まじりの会話を交わす私の目につくのはやはり、小傘さんのわからなさそうな、照れ臭そうな笑顔ばかりで、私はまた、どうも魔理沙さんをいやに憎らしく思いました。不思議な感覚でした。妙に、世界の回転を速く感じて、空の青さ、始まる夏に、みんなも、私も、私の気持ちも、必死に食らいついているのに、それらとは別の、ちっぽけな私だけが、どこかに取り残されているような、そんな気がしていました。魔理沙さんのとっておき、人面樹を退治した、という話が始まったときの小傘さんときたら、いないいないばあに突然飽きた赤ん坊のような表情をするものですから、余計に、夏の眩い白さと、色濃い影に潜む死の暗さが、一緒になって、私たちのあいだにあらわれたような、はたまた、いまにも消えてしまいそうな、そんな気がしたのです。
私はどうにも、彼女を自分だけのものにしたくなって、魔理沙さんの話の途中、遮るように。とうとう、言ってはいけない一言を、口にしてしまいました。死にたくなるほど空の青い、六月の、終わりの日ことでした。