ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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どうか千の非を絶やすな 3(了)

 冬だから、それなりに寒い。買い出しを終えて長屋に帰るまでの道中、脳の表面を這い回るのは自身に対する疑念だった。それは蛭に似ていた。ときに吹雪いた。長屋の階段はよく滑って、202号の扉を開けるための鉄製のドアノブは手のひらがくっついてしまうのではないかというほど冷たかった。

 

 クッションフロアのキッチンを数歩踏みつけて買ってきた食材やなにやらを黄ばんだ冷蔵庫に仕舞った。それからリビングへの敷居をまたぐと、相変わらずやつは居なかったが、その代わりに黒い猫が居た。猫は階段箪笥の二段目をカリカリと爪で引っ掻いていて、黒猫の求めるのは木箱在中の乾物の類だとすぐにわかった。そいつは馴染みの猫だった。誰の嫌がらせかは知らないが、家を出るまでにきっちりと閉めたはずのリビングの窓は、いつだって開け放たれていた。

 

 

 夕飯をこしらえたタイミングでやつは当然のような顔をして帰ってきた。長ネギとようわからん畜肉を炒めた料理を、私達二人にはどうにも不釣り合いな、ダイニングテーブルで啄んでいた。その間やつといえば終始無言だった。食事を摂る際には無言が一番で、即した話題が二番。それ以外には無いことを自覚しないでもなかったが、私はどうしたって不可解だった。

 

「おいせーじゃ。お前、例の紐を知ってるだろ。しらばっくれてくれるなよ、わかってるんだぞ。私には」

「……紐?」

「そうさ、紐。導火線だよ。もともとはあぜ道にあった。トマト畑のあぜ道にさ。それが今では短くなって、先端は里の入り口にまで差し迫ってる。今日買い出しに行ったときにはもっとだ。目抜き通りにまで差し迫ってた。当然先端には焦げ跡があった。誰かが踏みにじったような焦げ跡だよ。……それからあのあぜ道から紐が消えて、ちょうどそのあたりからお前はトマトを盗ってこなくなっただろう? なあ、お前は知ってるんじゃないか。あの紐、あの導火線はどこに繋がってるんだよ」

 

 リビングを照らす蛍光灯は白い。だから正邪の当惑は際立って視界に映えた。

 

「な、何の話だよ。紐? 紐ってなんだよ。と、トマトを盗らないのは針妙丸、おまえがやめろって言うから、だからわたしは……」

 

 その夜。食事を摂り終えてから、なんだか妙に気を使われてしまった。やつは私の布団を敷いたし、食器の片付けだってこなしてみせた。なにか、なにかがおかしい。やつは私の隣に布団を敷いて、どうにも心配そうな眼差しで私をみつめている。せーじゃ、鬼人正邪が私をこんな目で見つめるなんて、どうしたって異常なことに思える。

 

「おいせーじゃ。なんだよ、その目は。どういう腹積もりだ?」

「どうもこうも……おまえこそ、なんだよ。なんだか変だぜ。どうも妙だよ」

 

 私の布団は小さい。いつだったか自分用に誂えたものだけれど、どうにも今日は足が冷える。正邪の布団のなかは不可解なまでに温かった。

 

「な、なんだよ急に。自分の布団で寝ろよ。わたしは寝相が悪いからって、おまえは布団が取られるのが嫌だって、言ってたじゃないかよ」

 

 寝室、つけっぱなしの電気を消して、また正邪の布団に潜り込んだ。私は何を考えているのか、自分でわからなかった。妙に静かな夜だった。穏やかな夜だった。冬だってのに、鈴虫なんかが鳴いているような気すら起きた。正邪の赤い前髪が目についた。正邪は気まずそうに目をそらした。ほどなくして私の額に当たったのは正邪の薄い胸板だったかもしれない。心音が聞こえた。なんだか、この静かな夜と同じ調子で脈をうっていた。眠たく、眠たくなった。微睡みの中で口から溢れる言葉の真偽を問えるものは居ない。事実それを口にした記憶すら曖昧だ。なにもかも朧げな夜だった。でもたしか、おそらくきっと、私の口からは何かがこぼれた。

 

 

 ――おい、トマトを盗ってこいよ。それで、それからさぁ……。

 

 

 またしばらくが経った。雪が溶けた。しかし春というにはまだ遠い。少し肌寒い窓辺から、遠く桜木の蕾がちらほらと見えた。目抜き通りからほど近い長屋は202号室。ここは二階であるからして、往来を縫うように伸びる一本の長い紐も見えた。やはり先端が焼け焦げていたから、紐は導火線に違いない。

 

 正邪と云えばあの日の夜以降なんだか情緒が乱れたような、むしろ安定したような状態に陥ったようで、なにをトチ狂ったか私を食事に誘った。

 

 ――なあ、最近美味い定食屋を見つけたんだ。よかったら一緒に……。

 

 なんて、誘われるのかと思いきや、後に続いた語句は「ちくしょう!」というわけのわからないもので、それを吐き捨ててはそれからきっかり長屋に戻らなくなった。しかしやつの居ない生活など慣れたものである。むしろそれが平常というものだ。食費も一人分で済めば、食器の片付けも一人分で済む。買い出しの際に重たいビニルによって齎される負担も軽減する。

 

 そう。今日はそんな普段どおりの白昼、私は内職で得た二人分の生活費でもって一人分の食材を買い出すべく目抜き通りを歩いている。往来にしたって普段どおりに往来を縫ってる。抹茶を啜って団子を啄んでるのも居る。私にしたってそんな通りを縫っている。そうして馴染みの八百屋に差し掛かったときだ。私はやつの、鬼人正邪の背中を、遠巻きから見つけた。やつはどうやら白日の下堂々と八百屋にて狼藉、窃盗を働いたらしく、店主とこっぴどく口論をしていた。やつは唐草から今しがた盗んだであろうトマトを四方八方に投げつけては、往来の有象無象に悪辣な言葉を吐き捨てまさしく逃げるように駆け出した。

 

 そのとき私の視界に映っていたのはやつの投げて潰れたトマトの果汁と、逃げゆくやつの後ろ姿と、地面に一直線に伸びた例の紐だった。地面に徐々に広がっていくトマトの果汁は、焼け焦げた導火線の先端を湿らせた。しかしどういうわけか、その果汁によって導火線に火が点いた。パチパチと音を立てて、導火線は短縮されていく。どこに繋がっているかはわからない。しかし、導火線は逃げゆくやつを追いかけるように、パチパチと音を鳴らして短くなっていく。

 

「あー、店主さん。悪いね、あいつの盗ったもんのお代は私が払うよ」

 

 店主は不服そうに私から幾許かの小銭を受け取って、これまた不服そうに鼻で大きく息をした。そんななか、私は横目で、逃げてゆく正邪の背中を追っていた。厳密には、やつに追従する導火線の非に一瞥をくれていた。

 

 

 世界は大きな地雷かもしれない。あの導火線がどこに繋がっているか、私にはわからない。それでも私は、なんだろうね。やつにはどうか……なんだかな。あー。

 

 追いかけて、導火線の火を踏みにじってやろうとも考えた。でも、私はそれをしない。できなかった。だから、とどのつまり……はは。

 

 

 私は、あいつの共犯者だ。

 

 




NEXT→「鵺似、有、塩味。」全13話
主演:村紗水蜜
登場妖物:封獣ぬえ、キスメ、古明地こいし、など。
他、少しだけ命蓮寺組。


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