ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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ろくろ首の夏、飛蚊症の夏。3

 その後、私は人里に来ていた。正確に云えば、人里の、大衆食堂に居た。影狼と別れてから体は私に主導権を返す事は無かった。体の歩みに身を任せていると、この大衆食堂にたどり着いたというわけである。

 体が慌てた様子で食堂に入ると、怒号が飛んで来た。それはしわがれた声で、声の主は店主と思しき婆さんだ。

 

「困るんだよねえ、無断で何日も休まれたら。人の苦労が考えられないかい。最近の若いのは全く」

 

 ここで、この食堂が私の働き先であることを確信した。しかし、急に婆さんから叱責を浴びせられた私の口からは、いやそのええと、といった言葉が溢れるのみだった。

 

「何をごにょごにょ言ってるんだい。先ずは何か言うことがあるんじゃないのか」

 

 トレイを抱き抱えた少女が、台所の入り口付近に立ち、そんな光景を気まずそうに見つめていた。

 体が慌ててポーズを作った。それは例の〝御免!〟のポーズだった。

 例の如く、場に微妙な沈黙が流れる。ああどうしたものか、謝ると言う事は分かるが、どう謝ったらいいものか。悩んでいる間にも、微妙な沈黙、この場の雰囲気はどんどん妙な重みを帯びていく。

 

「その、すみません、でした」

 

 私の口から出た言葉は、それはシンプルなものだった。

 

「まあ、良しとするかね。……それで、今日は」

 

 婆さんが私に詰め寄るように問いかけた。

 

「今日は」

 体が、私の口元を左手でぽりぽりと掻く。何か喋れということだろう。

「ええと、今日は……」

 

「今日は空が青いですねえ」

 体が、ビシッと敬礼を決める。……うーん、多分間違えたな。互いに。

 場に、またしても微妙な沈黙が流れる。

 台所付近の少女は何やら驚いた様子で、抱き抱えたトレイで顔の下半分を覆っていた。

 婆さんも一瞬目を丸くして驚いていたが、すぐに口を結び、眉間にしわを寄せるのだった。

 

「〝今日は、働けるのかい〟って聞いてるんだよ」

 婆さんは顔をしかめたまま言った。

 

 漸く、婆さんの言う『今日は』の意味を解した私だったが、正直なところ、その問いにどう答えたものかと迷っていた。

 まず、私は妖怪である。妖怪である私が、どうしてこんな婆さんの下で働かなければならないのか。そもそも、妖怪が働くなんてナンセンスではないか。妖怪なんて日中眠って、夜毎ふらふらフラついていれば、それで十分だ。

 

 そして、百歩譲って人間の下で働くことを許容したとしても、それは私の意思でなく体が勝手にやろうとしていることだ。何故、私がそんなことに付き合わなければいけないのか。私には納得できなかった。

 今日は帰ります、というか、もう来ません。口に出そうとしたその時、体がその掌で私の両頬を強く叩いた。二度も!

 

「なんだ、やる気じゃないか。ならいいんだよ。その調子でバシバシ働いていっておくれ」

 体はまた、ビシッと敬礼を決めるのだった。

「それにしても相変わらずだねえ」

 婆さんが出し抜けに言う。

「相変わらず、格好と表情の決まらないやつだ。敬礼なんてするのなら、もう少しシャキッとした顔をしたらどうなんだい」

 

 婆さんの話はそれからしばらく続いた。

 私は婆さんの話を、はあ、それは、はい、等々、それらの言葉をあむあむと述べ、聞き流していた。

「そんなんじゃ人を疑われてしまうよ、全く」

 婆さんは私への小言をそう締めくくって、その矛先を今度はトレイを抱き抱えた少女へと向けるのだった。

「ほら!あんたも突っ立ってないでとっとと働く!皿洗いはいつになったら終わるんだい?ぼーっと見てる事ないだろうに。さ、動く動く」

「は、はい!」

 少女は慌てて返事をし、慌てて台所に向かい、皿洗いを始めた。

 婆さんはそれを一瞥すると、何やらボソボソとぼやきながら、店の奥へと引っ込んでしまった。

 

 食堂に客はいなかった。その代わりに、各テーブルには大量の食器類が積み重なっていた。

 少女は必死に皿洗いをしている。体は、そんな少女に徐に近づいては、またしても〝御免!〟のポーズを取る。そろそろ慣れて来た私は、言い澱むことなく口を動かした。

 

「あー、ごほん。ごめんごめん、勝手に休んだりして、悪かったね」

 私の口から発せられた言葉に私自身、多少大根の感を覚えたが、まあ、こんなものだろう。

 少女がハッとして皿洗いの手を止めた。

「ああ〝おせきちゃん〟!私なら大丈夫だよ。そりゃ、少しは大変だったけどね」

 えへへ、と笑って、少女は言葉を続けた。

「それより、おせきちゃんは大丈夫なの?また〝気象病〟?今度はどうしたの?〝片頭痛〟?それとも〝風邪〟?あ、〝関節痛〟だ?」

 少女は立て続けに私に疑問符を投げ掛けた。しかし、少女の口から発せられる聞き慣れない言葉の数々に、私の脳内は疑問符に埋め尽くされるのみだった。

 また、体が私の頰を掻く。

「まあ、そんなところ」

 少女は、仕方ないなぁ、と言わんばかりに、一つ息を吐き出した。

 

「おせきちゃんたら、季節の変わり目に絶対体調を崩す、って自分でも分かってるはずなのに、なんでかなあ。どうしても、体調崩しちゃうんだよねえ。抵抗力が弱いのかな?」

 少女はそんなことをボソボソと、誰に言うともなく呟いていた。

 少女はそれからしばらく、ボソボソと続けていた。〝呟き〟が一通り終わると、少女は何か納得したように、コク、コクコク、と小刻みに頷き、こちらに向き直るのだった。

 

「うん。私は大丈夫。気にしてないよ。そうだ、お婆ちゃんはあんな風に言うけど、あんまり気にしちゃダメだよ。お婆ちゃん、あれでもおせきちゃんが来ない間、なんだかんだでずっと心配してたんだから」

 体が、わざとらしく私の後頭部を右手で〝わしわし〟とした。

「いやぁ、そうか。心配かけてしまったようで、申し訳ないやら照れ臭いやら」

 少女はそんな私を見て、何故だか可笑しそうに微笑んだ。

「あはは。おせきちゃん、なんか変!」

 そのとき、店の奥から怒号が響いた。

「あんたら、もしや手を止めてくっちゃべってるわけじゃあないだろうね!」

 少女はギクリとして、私に小さな声で話しかけた。

「じゃあ、体調、もう大丈夫なんだ?」

「ああ、問題ないよ」

「そっか、よかった。じゃあ、私はお皿洗ってるから、おせきちゃんはテーブルの食器持って来ちゃってね」

 

 それから、体はテキパキと働いた。テーブルの食器を全て台所に運び終え、食器の載っていたテーブルを全て綺麗に布巾で拭いた。

 その間、私は暇で暇で仕方なく、テキパキと働く体をよそに、店の窓から見える景色などを眺めたりした。

 窓から見える空はとても青く、雲は白く。ああ、私はどうしてここにいるのだろう。そんなことを、私はぼんやりと考えていた。

 ぼんやりしていると、店の奥から婆さんのしわがれた声が響いた。

『こら、おせき。もし余所見なんてしながら仕事をしようものなら、首斬りにしてしまうよ』

 婆さんが、見てもいないのに私の余所見を看破するものだから、私は婆さんが少々恐ろしくなって、慌てて余所見を止めた。

 そんな私を見て、台所で皿を洗う少女は、くすくす、と笑うのだった。

 

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