ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
居酒屋に入ると、端の方の小さなテーブル席に影狼はいた。
影狼は、こっちこっち、と言わんばかりに手をひらひらとさせている。
私は早足になりそうな心を押さえつけながら席に向かった。
「ばんきちゃん、ちょっと遅かったんじゃなーい?」
からかうように影狼が言った。店内の各所に括り付けられた電球が、影狼の少し赤らんだ顔を照らす。
「なんだ影狼、もう呑んでるな?」
「先に入って待ってる、って言ったでしょー」
影狼のその口調は、当たり前じゃない、とでも言いたげなものに感じた。
「あ、ほらばんきちゃん、座って座って」
私は席に着いた。腰を下ろすと、自然と大きく息をついてしまった。
「おつかれさま。忙しかったんだ?」
「まあね。それと少し慣れないことをしてさ、いやぁ疲れたよ。今日は」
もちろん私は影狼とは今日会ったばかりということになるが、今となっては関係ない。どうせ私の友人には違いないのだ。それなら、話したいように話してしまえ。私はそう考えた。
影狼は相槌を打つなりテーブルの上のジョッキに半分ほど残された麦酒を飲み干し、声を上げた。
「すいませーん。麦酒を二つ」
はいよ、という声が響いて、それから間も無く席に麦酒が運ばれてくる。
「あ、麦酒でよかった?」
私は運ばれてきた麦酒を見ると、脳が微かに〝うずく〟のを感じた。
「ああ、多分これでいい」
「多分ってなによ。まあいいや、とりあえず……」
影狼は一瞬の間を作り、瞬間朗らかに口を開いた。
「改めましておつかれさま!それじゃ、カンパーイ!」
私は慣れた手つきで影狼のジョッキに自分のジョッキをかち合わせた。
「乾杯!」
私はたまらず麦酒を喉へと流し込む。瞬間、私の脳の皺一本一本に、冷えた麦酒が染み込んだ。脳の芯がじわあと冷えて、目の裏側が何とも言えない感覚に襲われる。
夏の熱気と仕事の疲れで火照った体と顔が、なんとも気持ちいい。
気づけば私は、ジョッキ一杯飲み干していた。くうー、といった声が、私の口から思わず洩れる。
ああ、これだ。これは〝体〟が覚えている。麦酒、これは悪魔の発明に違いない。
「さっすが、仕事終わりの人は飲みっぷりが違うわ」
ジョッキに半分ほど麦酒を残した影狼が上機嫌に言う。
「いやぁ、ははは」
私は何か面白くなって、そう答える他できなかった。
すいません、麦酒追加で。私の普段より大きな声が、店内の騒めきの一部を担った。
それから私たちは麦酒をぐいぐい飲みながら、他愛もない話に花を咲かせた。話は麦酒の美味いことから始まり、夏の暑さ、じきに里で縁日のあること、幻想郷に海がないことの不満、影狼自身の、最近体重が増えてしまった、なんて悩みについての話と、話は転々と転がっていった。
そんな中、それにしても、と影狼が出し抜けに言った。
「ばんきちゃん、最近なにしてたのよ。全然見つからなくて、心配だったんだから」
どう答えたものか、と一瞬悩んだが、私はあえて正直に答えてみることにした。
「最近?最近は、そうだな。ストレッチをしてたよ、ずっと」
「ストレッチ?……あはは、ばんきちゃんらしいわね。こわいわー、ばんきちゃんこわい」
影狼の返答に、私は固まりかけていた私自身の自画像にどこか不安を感じずにはいられなくなった。らしい、とはなんぞや。
私の内に湧き上がる疑問を他所に、影狼は続けた。
「にしても、ばんきちゃんは時々そうよね。時々何処かに引っ込んじゃって、全然見つからなくなる。思えばよくあるわ」
影狼は目を瞑り腕を組んで、何やら、ううむ、と考え込むような仕草をする。
「たしかこの間は冬の終わった頃だったっけ。そうだ!その前は秋が終わった頃……。思えばいつも、季節の変わり目ね……。季節の変わり目、季節の変わり目……わかった!」
なにか合点のいった様子で、影狼が私の顔を指す。ギクリ。
「ばんきちゃん、ストレッチだなんて言って!隠すことないのに、もう」
「ばんきちゃん、風邪、引いてたんでしょう」
私は自信満々の影狼をみて、どうもその自信満々な口調に〝影狼らしさ〟を感じずにはいられなかった。
「風邪か。まあ、そんなとこかな」
影狼はジョッキを片手に持ち、テーブルにもう片手を置いて口を開く。
「まあ、季節の変わり目に風邪を引いたなんて、妖怪なら隠したがるのも分かるけどねー」
私たちの仲じゃない、隠すことなんてないのに、と、影狼は続けた。私は影狼の放った「妖怪なら」という言葉に、影狼がなにか〝妖怪〟という言葉そのものに尊厳めいた感情を抱いているらしいことを感じた。影狼の放った言葉には、どうも〝人間なら或いは〟などという含意が在った。
「まあ、人間なら或いはね」
影狼の思想を確かめるべく、私は心中に浮かぶ〝影狼の言わんとするところ〟をすっと呟いた。すると、私の心に俄かに仄暗い愉悦に似た感情が浮かぶのを感じた。ああ、ともすれば、妖怪とは本能的に人間を下に見る心があるのかもしれない。私は思った。
それから私たちの会話は、その心に沿った内容へと推移していった。無論、影狼も私も本気で人間に対する害意を持つわけもなかった。所詮、それは所謂〝愚痴〟だった。
まず影狼は、幻想郷の岡っ引き的存在である〝博麗の巫女〟をこき下ろした。夏が始まってから薄暗い廃屋同然の住居でストレッチしかしていなかった私は当然、博麗の巫女を知る由もない筈なのだが、どうやらそれも体が覚えていたようだ。
博麗の巫女の溢れ出んばかりの強さは、私や影狼といった木っ端の三下妖怪風情には震えが出るほど恐ろしいものだった。
せめて私たちに異変の起こせる力があれば、私たちはこんなところで博麗の巫女が取り締まる現体制にクダを巻くこともせずに、博麗の巫女に勇敢に勝負を挑んだことだろう。しかし私たちはどうしても、悲しい程に木っ端だった。そうして博麗の巫女についてクダを巻いていると、その自覚は急加速して、私たちの愚痴に熱を加えるのだった。
「だいたいさー、なんで人間よりも何倍強い私たちがさ、金なぞ支払わきゃならんのかなー。人里で働いて日当貰ってまでさー」
「わかるわー。ばんきちゃんなんて、人間たちにおせきちゃん、なんて馴れ馴れしい呼ばれ方されてるのよね。なーにがおせきちゃんですか、喰らうぞこらって感じよねー」
「まあ、ばんきちゃんもおせきちゃんも、呼び方としては大差ないと思うんだけどな。呼び方はともかくとしてさ、馴れ馴れしいんだよ、人間風情がさー。博麗さえいなければなー。そうしたら今頃、酒なぞ飲まなくても人喰って満足できてるだろうに」
「でも、ばんきちゃん。私ね、人間の作る麦酒だいすき。もはやこれがないと生きていけないわ。ある種私はもう既に、人間に支配されちゃってるのよ。こわいわー人間こわいわー」
「たしかに。人間の作る酒はやめられないな、私も。あーあ。妖怪に管理されてるはずの人間たちに管理されちゃってるんだなー、私たちって。あの紅白もなまら強いらしいし、なんか、情けなくなってきたなー自分が。これはもう、やっぱりあれだな」
「うんうん。呑むしかないよ、ばんきちゃん」
そのように、私たちの夜は更けていくのだった。
店を出る頃、私たちはふらふらだった。酒席を彩った妖怪の尊厳なんてどこへやら、千鳥足で満ちた月が照らす路傍の上をダンスした。
程なくして、私は芒の生い茂る獣道を歩いていた。というのも、ふらふらになった影狼をその自宅まで送り届ける為である。
その頃には、店を出て、いいからいいから、送っていくよ、なんて言っていた〝酔っ払い〟はやおら鳴りを潜め始めていて、私は妙に息遣いの荒い影狼に少量の不安を抱き始めていた。
「おい影狼、大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫……」
影狼はしおらしく答える。具合が悪いのか、と問いかけるも、どうやらそうではないという。
様子の妙な影狼を心配しながら、しばし芒の中を歩いていると、私の腕に掴まりながら歩いていた影狼が不意にその歩みを止めた。
真暗な夜を、大きな月が煌々と照らす。光は強く、視界は俄かに青白い。吹き抜ける風が、芒をざわざわと揺らした。
ひんやりとした夏の静寂の中、影狼がおもむろに口を開いた。
「……ばんきちゃんはさ」
影狼のどこか弱々しい口調に、私は辺りが一層静まり返った気がして、口を開くことができなかった。
「……ばんきちゃんは、隠し事って、ある?」
髪で隠れて、影狼の表情が読めない。
「ど、どうしたんだよ、急に」
私の腕を握る影狼の手に、ぎゅっ、と、力が込められるのがわかった。
「……私はね、あるの。隠し事」
不意に、影狼が私の胸に飛び込んできた。
「お、おい」
「ばんきちゃんが、家まで送ってくれる、って言ったとき、不安だったの。大丈夫かな、……我慢できるかな、って。でもそのときは酔ってたから、大丈夫だろう、なんて思っちゃって……」
影狼が、私の服をぎゅう、と掴む。それはまるで、何かに追いすがるような弱々しさだった。
「お、おいったら」
「私、ずっと我慢してたんだけど、もう無理なの。ごめんね、ごめんね」
そう言って、今泉影狼は私にその全体重を預けてきた。別段重たいということはなかったが、私は驚いて、そのまま地面へ倒されてしまった。
気がつけば、影狼は私に馬乗りになり、私の頭の両脇を、逃げ場を塞ぐように掌を地面につけている。
青白い月明かりが、上気した影狼の顔を照らす。私はそんな影狼の顔を見て、息がつまるのを感じた。
「か、影狼、やめろったら」
「ごめんねばんきちゃん、ごめん、ごめん。……私、もう――」
ああ!なにかされてしまう!私がそう思った次の瞬間――。
アヲーーーン。
アヲーーーーーーーン。
満月の芒の原に、どこか聞こし召した様子の遠吠えが響いたのだった。
後日、影狼に今日の事を聞くと「姫にはどうか言わないで」と、影狼はその両手を合わせて、私に必死で懇願するのだった。
私の夏の幕開けは、まあ、そんな感じだった。