ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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 明くる日、幻想郷を夕立が襲った。それは、天蓋に穴が開いてしまったかのような土砂降りだった。
 その日、私は一応、と思い、狂ったような豪雨の中食堂へと出向いた。しかし、食堂に着くなり〝こんな日は休みに決まってるだろう〟と、婆さんに叱られてしまった。婆さんのみならず、少女までもが私を叱った。
 というより、少女の方が婆さんよりよっぽど怒っていた。
「こんな日に傘も差さないで、何考えてるのさ、おせきちゃんたら!ただでさえすぐに体調崩すくせに」
 少女の叱責は私の身を案じての優しいものだった。しかし私はそんな少女の叱責を受け、自分が情けなくならずにはいられなかった。
 そうして、今現在。
 家に辿り着いた私は、布団の中に潜り、私の身に起きた〝切実な問題〟を思い返していたわけである。
 布団の中、体は相変わらず私を抱きしめている。私が眠るとき、体はいつも私の体を抱きしめる。
 いつもなら、なんとなく柔らかくて心地が良い、なんてことを考えなくもないのだが、今の私にとって、私を抱きしめる体の柔らかさは、私を更に情けない気持ちに追い込むだけのものに思えた。
 しかし、体に抱きしめられながら、窓を打つ不規則な雨の音を聞いているうちに、次第に眠気が私を襲った。
 私は自身の情けなさや、食堂での問題に諦めをつけるように瞼を閉じた。
 目を瞑ると、私の意識はやがて、私を包む柔らかさへと解けていくのだった。

 夜中、目を覚ますと、雨は未だ窓を不規則に叩いていた。
 布団の中、私は寝惚けてはいたが、それでも何か妙な感覚を覚えた。それというのも、いつもなら私を抱きしめている筈の体の気配を、布団の中に感じなかったのである。
 私はこれを不思議に思い、布団の中から部屋を見渡し、体の姿を探した。
 部屋には一つ、古びた机が在ったのだが、体はその机に座り、机上でなにかしら作業をしているようだった。
 それを見た私は薄らと、部屋に用途の分からないボロの工具が何点か散らばっていたことを思い出した。
 ああ、ともすれば、この雨にこの廃れた家屋だ。体は何か修繕の作業をしているに違いない。私は寝惚けた頭でそんなことを想像したが、寝惚けていたことや視点が低いこともあり、体が実際なにをしているかを見定めることは叶わなかった。
 しばらく見つめていると、体は視線に気付いたようで、やおら立ち上がり布団に潜り込んでは、私を抱き寄せるのだった。



ろくろ首の夏、飛蚊症の夏。7

 朝、私は湿り気を帯びた夏の息差にやられて目を覚ました。体も同時に目を覚ましたようで、その上体をゆっくりと持ち上げる。

 汗だくの体はやおら私を気怠そうに持ち上げて、その首にすわらせた。そうして私が体の主導権を握ると、私に気怠い体の感覚が繋がった。

 どうやら外では蝉が鳴いているらしかった。恐らく昨日の雨で揺り起こされたに違いない。

 ああ、そういえば、雨の音が聞こえない。今日の天気はどんな塩梅だろう。私は外の様子を確かめてみることにした。

 木の板が乱雑に打ち付けられた窓を一瞥して、私は玄関へと向かった。

 戸を開け、空を見やると、空は昨日の雨が嘘のように晴れ渡っていた。ギラギラとした陽光が、私の瞳を嫌という程に突き刺す。

 土の均された路を見渡すと、路は泥濘んでいたが、そこかしこに出来た水溜りが、晴れやかな空を仰いでいた。

 けたたましい蝉の鳴き声の中、私は無表情に夏を感じたのだった。

 その後、私は例の食堂に居た。食堂へ入ると、私はやはり少女の表情を窺わずにはいられなかった。しかし少女は私に含みのある笑みを一度浮かべてからは、まさにいつも通りの態度を一貫するのみだった。そんな少女のいつも通りな態度に、私はどこか頼もしさを感じて、思わず胸をなでおろした。同時に、やはり情けなさも込み上げたのだが、それは昨夜のそれに比べると〝ちょっとしたもの〟だった。

 それから一度目の〝土砂降り〟のような注文をこなした後、私と少女は相も変わらず暇を持て余していた。一つ変わったことといえば、私と少女の、暇だねぇ、の応酬に、さんざめく蝉の鳴き声が加わったことくらいか。

 そんな折、不意に食堂の戸が揺れた。基本的に、食堂の客は決まった時間に纏めてやって来るもので、それ以外の時間には殆ど客は訪れない。私と少女は少し驚いて、思わず目を見合わせて首を傾げた。

「客かな」

「さあ」

 立て付けの悪い戸は尚もガタガタと揺れている。

「客だったら、面倒だな」

「そうだね」

 婆さんが奥に引っ込んでいるのをいい事に、私と少女はそんなことを言い合せた。暇だ、暇だ、とはいいつつも、客に来られると面倒がるのは、私も少女も同じだった。

 その内に、戸はガラガラと不健康そうな音を立てて開かれた。

「いらっしゃい」

 戸が開くなり少女が言う。私はいつも出遅れてしまうのだ。少女に続けて、私もその句を述べようとした、その時だった。

「開いてるかな?」

 そう言って、戸の前に立つ人物を見て、私は驚愕した。

「見ての通りがらがらです。どうぞ、お好きな席へ」

「すまないね、ありがとう」

 妙に気障ったらしい口調で席へと向かうその人物は、今泉影狼に他ならなかったのである。

「ええと、メニューは」

「品書きでしたら、あちらに」

 影狼はどういうわけか、その身に妙な変装を施していた。

 変装、とはいっても、身に付けた衣服はいつもの影狼然としたもので、なんら違和感はない。頭に被った大きめの鳥打帽――ああ、影狼曰く〝きゃすけっと〟だったか。それもまあ、わかる。

 しかしある一点が、私に妙と言わしめた。

 影狼はその顔上半分を、なにやら〝どでかい〟サングラスで覆っていたのである。

「うーん。なにか、肉が食べたいな」

「お肉でしたら、生姜焼き定食などがございますが」

 どでかい、は私の言い過ぎかもしれなかった。しかし、なにがどうして、そのサングラスはやたらに〝ハードボイルド〟だった。

「じゃあカレーで」

「カレーライスがお一つですね」

 そんな〝ハードボイルドなサングラス〟は、私に〝どでかい〟印象を与えるには十分すぎるほど、妙だった。しかしよく見ると、なかなかどうして、似合っているように見えてくるのが影狼らしさか。

 ああ、そんなことより、影狼は一体この食堂へなにをしに来たというのだろう。

 夏が始まって以来初めての出来事に、私はまた当惑した。

「あ。大盛りで頼むよ」

「はい、カレーライス大盛りですね」

 ……。

「カレーライス、お待ちどうさまです」

「ありがとう。いただきます」

 ……。

 黙々とカレーライスを食べ進める影狼を、私は強張った面持ちで見つめていた。流石の少女もあのサングラスには当惑した様子で、同じようにそれを見つめていた。

 がらがらの食堂は、ハードボイルドなサングラスを中心に、妙な空気を帯び始めている。間の抜けた蝉の鳴き声が、余計に〝妙な空気〟の輪郭を際立たせた。

「うん。中々美味しいよ」

「あ、ありがとうございます」

 サングラスといい妙に気障ったらしい話口調といい、影狼はどういうつもりなのか。婆さんがカレーライスを作ってる最中、私は先日の影狼とのやり取りを思い出し、影狼は概ね私を絆した人間の〝偵察〟に来たのであろうことを察したが、私にはまた一つ疑問とは違う懸念が生まれたのだった。

「テーブルの調味料は好きに使っていいのかい?」

「ど、どうぞ!」

 少女が多少緊張しながら答える。

 私の懸念とは、影狼が妖怪であることを少女と婆さんに露呈してしまうことだった。それでもし、影狼が私の友人であることを口を滑らせたりすれば、私が妖怪であることが、婆さんにまでバレてしまうではないか。もしそうなれば、その時私は首斬りにされてしまうかもしれない。

 いや、それよりも第一に。

「じゃあ、醤油を使わせてもらうよ」

「どうぞ、ご、ご自由に」

 友達だと、思われたくない。

 こんな妙なサングラスをかけて里を歩き回り、カレーライスに醤油をかけるようなやつが私の友人だとバレたら……ああ!

 それから影狼がカレーライスを食べ終わるまで、私は更に表情を強張らせて影狼を見張るかのように見つめていた。

 少女もまた、どこか緊張した様子で、カレーライスをパクつく影狼を見つめていた。

 婆さんも途中までそんな影狼を眺めていたが、暫くすると「なんだいあのサングラスは。スタローンかい」などと奇怪なことを呟きながら店の奥へと引っ込んでいった。

 

 程なくして、

「ごちそうさま、美味しかったよ」

 影狼はそう言って席を立ち、戸へと手をかけた。戸は意外にもすんなりと開き、それが意外だったのか、影狼は少しよろけていた。

 ああよかった、何事もなくて。私が一息つくべくと息を深く吸い込むと、出し抜けに少女が口を開いた。

「あ、あの!」

「ん?」

 少女は影狼に駆け寄り、その手に持ったトレイでうやうやしく顔半分を隠しつつ、影狼に尋ねた。

「あ、あの、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」

 ん、なんだろう、この感じは。

「私の名前か?そうだな、今泉影狼、とでも名乗っておこうか」

 本名じゃないか、と口を開きそうになったが、すんでのところで堪えた。

「ありがとうございます!あの、それで、ま、また来てくれますか……?」

「また、か。いつになるかは分からないけど、きっと来るよ。そうだな。品書きに、君の名前が追加された頃に、きっとまた」

 あまりにもな台詞に、少女は押し黙ってしまった。そんな少女を他所に、影狼は、それじゃあ、と去っていった。

 暫くの沈黙の後、私はハッとして少女に駆け寄った。影狼について何か弁解なきゃいけないような、こき下ろしてやりたいような気持ちになった為である。

 しかし私の口から出たのは、当たり障りのない言葉だった。

「その、なんか変な客だったな」

 少女は尚もトレイを顔下半分に抱き抱えて押し黙っていた。

「な、なあ、大丈夫か?いやそれにしても、変なやつだったなあ」

「……カ…ロウさん」

「え?」

「カゲロウさん。かっこいい……」

「え?」

 そうして、蝉の声だけが、私の聴覚を揺らし続けた。

 

 




 その日の夜、私は影狼に、どういうつもりだ、あのサングラスはなんだ、と問い詰めた。
 影狼は、
「気になっちゃったんだもん」
 と、悪びれもせずに答えるのみだった。
 また、あの気障ったらしい話口調について私は、それを尋ねるのがとても恐ろしいことに感じて、終ぞ追求できぬままでいた。
 その夜にも蝉はやはり、けたたましく鳴いていた。

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