ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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ろくろ首の夏、飛蚊症の夏。8

 そんな出来事があってからそう遠くない、ある日のことだった。

 

 どんどんどん、どんどんどん。

 と、何者かが戸を叩く音に私は目を覚ました。いつも暗い部屋からでは、現在が何時頃なのか判断がつかない。しかし、目が覚めてなお、睡魔が私を侵している。それは不十分な私の睡眠を指し示すには十分だった。

 判然としないまま戸口へ向かう私の耳に聞き慣れた声が響いた。

「ばんきちゃん?いないのー?」

 それはかの今泉影狼の声だった。溢れ出る能天気さの世話をしない影狼の朗らかな問い掛けに、私は慨嘆せざるを得なかった。影狼の常に一定した一種の間の抜けた感のする声は、起き抜けに聞くには辛いものがあったのだ。

 影狼は尚も戸を叩いては、ばんきちゃん、ばんきちゃん、と眠っているかもしれない私に呼びかけている。

「はいはい、今行きますよ」

 と、半ば諦観をもって戸を開けると、これまた妙な格好をした影狼の姿が私の視界に飛び込んできた。しかし、私が何より驚いたのは空のまだ黒いところだった。

「うわ、まだ真っ暗じゃないか。影狼、お前、今何時だと思ってんだよ」

「何時って、三時ぐらいでしょう?」

 私の言葉に理不尽な疑問符を付けて返答する影狼に、私は慨然と溜息を吐いた。

「お前、いつもこんな時間まで起きてるのか」

「そんなわけないじゃない!今日は早起きしたのよ」

 影狼の早起きの理由、それは影狼の奇妙な格好を見れば一目瞭然だった。影狼の纏う衣服はやはりいつも通りだったが、普段と違うのはその頭に麦わら帽を被っていること、その手に網を持ってること、その肩に何やらカゴをかけていること。そして何より、もう片手には恐らく私の分と思しきそれら一式が、器用に握り込まれていたのだ。ああ、いやだ!行きたくない!

「ばんきちゃん、虫取りに行きましょうよ。最近香霖堂がカブトやクワガタを高く買い取ってくれるらしいわ。はい、これ。ばんきちゃんの分ね」

 そう言って、影狼は私に虫取り網とカゴと麦わら帽を押し付けた。

 空が僅かに藍色めいた頃、私と影狼は妖怪の山の中腹にて、カブトやクワガタの姿を数多の木の幹に探し求めていた。

 夜露の降りた草木は強く新緑の香りを帯びていて、息を吸うとむせ返るほどに私の肺を満たす。

 影狼が熱心に虫を探している間、私はそれをせずに、眠気で薄ら靄がかった意識の中、一人考え事をしていた。

 というのも、私は影狼が私の住居の所在を知っていたことに驚いていたのである。

 夏が始まってから初めて影狼と会った時、影狼は、その時節私が全然捕まらず、久々に会えた、と云っていた。なので、私はてっきり影狼は私の住居の所在を知らないのだとばかり思っていたのだ。しかし影狼は今回、あっさりと遠慮もせずに私の家に訪れた。影狼のいう〝私が全然捕まらなかった〟時期に、影狼がそれをしなかったとは考えられない。

 そうすると、その時期の私――〝前のやつ〟はどこで何をしていたのだろう。

「なあ影狼。お前、私の家に押し掛けたのは今日が初めてか?」

 木の幹を睨みつけながら私の前方を歩く影狼は、訝しげに答えた。

「押し掛けたって、人聞きが悪いわね。夏らしい儲け話を持って来てあげたんでしょー?感謝して欲しいくらいだわ。それに、なによその素っ頓狂な質問は、そんなわけないじゃない」

「はは、それもそうだな」

 言いながら、私はまた或ることを思い出した。

 私と影狼は道中河辺に沿って妖怪の山に向かったのだが、その河辺で、影狼が頻りに石を拾ってはカゴに詰めていたのだ。そのとき私は自身の眠たさと立ち向かっていて、それを気にするどころではなかったのだが、思えば、影狼は何のために石なぞ拾い集めていたのだろう。

 私は草木を掻き分けて行く前方の影狼に、なんなはなしに尋ねてみた。

 影狼は、

「ああ、姫にあげようと思って」

 と答えた。

 ああ、そういえば、以前影狼から聞いたような気がする。姫、わかさぎ姫はどうやら綺麗な石が好きで、それを収集しているとかなんとか。

 この後行くのか?と、私が何とは無しに尋ねると、影狼は、

「こんな格好で、行けるわけないじゃない」

 と、それを否定するのだった。

 私はそれからも色々なことをとりとめもなく頭に浮かべた。虫取りが嫌だったというわけではない。もちろん、家を出る頃は嫌で仕方なかったのだが、妖怪の山の麓に着いた頃には、私はそんな気持ちも忘れて、やおら瞳を輝かせていた。

 しかし、そこから山の中腹まで登ると聞いたとき、私の瞳の輝きは僅かに、しかし確実に濁った。中腹に辿り着いても目的の虫が中々見つからない状況は、私を退屈させ、ぼんやりとした思考の世界へ誘うには十分だったのだ。

 それから暫くすると、影狼が出し抜けに、きゃー!と声を上げた。

「ど、どうしたんだよ急に。びっくりしたな」

「みて、みてばんきちゃん!いるわよ、カブト、クワガタ、わんさかいるわ!」

「ほんとか!」

 影狼の指差す大きな樹木には、確かにカブトやクワガタが〝わんさか〟在った。私は、

「穴場ね」

 とはしゃぐ影狼に引っ張られるように、私自身の心がはしゃぎ出すのを感じた。

 しかし一方で、私はそんな流されやすい自分の心を、少し情けなく感じるのだった。

 

 




 正午。山をおりた私達は人里の茶店でぐったりしていた。
「ああダメ。もう一歩も歩けないわ、わたし」
「いやほんと、疲れたな」
 里に入る際、もしかすると影狼が例のサングラスを懐から取り出すのではないかと警戒していた私は、余分な疲れを感じながらも影狼に相槌を打った。
「結局一匹も捕まえられなかったし。はあ、悔し」
「ほんと、一匹も捕まえられなかったな」
 影狼のいうとおり、私達のカゴに虫の存在は無かった。影狼のカゴには少量の石が在ったが、私のは空だ。
「奴ら、意外と素早いのね。もっと簡単だと思ってたんだけど」
「な。難しかったな」
 里には蝉の声が響いていた。以前よりその勢いは衰えたように思えるが、それでも、私には蝉の声が虫達からの嘲りのように感じて、嫌に耳につくのだった。
「はあ、なにがいけなかったのかしら」
「なにがいけなかったんだろうなぁ」
 原因は、私と影狼の両名が虫に触れられないことにあるように感じた。しかし、私はそれについて言及するのも、なんだか馬鹿らしく思えて仕方がなかったので黙っていた。何より、夜分中途半端に叩き起こされた睡魔の虫が、私の頭の中に巣を張っていたのだ。
「はあ、眠たいわ。慣れない早起きしたせいね」
「ああ、私も眠たいよ」
 お前のせいで、という語句が喉元まで差し掛かったのを感じたが、どうやらそれも馬鹿らしさの検閲を前にして、すごすごと引き返していったらしい。
「おじさん、お勘定」
「はいよ」
 影狼はもはやただの甘い汁と化した削り氷を飲み干して、痩けた財布から代金を支払った。
「でも、私、諦めきれないわ」
「おい影狼、そんなところに入っていくなよ」
 店を出るなり、影狼は店の路地へと入っていった。狭い排水路の上にはやはり木蓋が在った。どこか頼りない足取りで路地へと入っていく影狼を見て、私は仕方なく追従することにした。
「意外とこういう所にいたりするのよ、きっと」
「いたとしても、触れないじゃないか、私たち」
 路地の中程に至ると、影狼は立ち止まり、キョロキョロと店の外壁を見渡している。
「はあ、やっぱりいないわよね。あーあ、今日は諦めて、お開きにしましょうか」
「ああ、とっとと帰って眠るとしようじゃないか」
「そうね」
 去り際、私もなんとはなしに、影狼のするように路地を見渡してみた。
 木蓋の上には蝉の死骸やそれを運ぶ蟻の姿が見られたが、外壁にカブトやクワガタらしきものは見当たらなかった。
 そうして、私は帰路を辿った。
 しかしどうしてか、道中、私の眠たい頭には、排水路の木蓋の上を蟻に運ばれていく蝉の姿が反復して映し出された。それはまるで、酒場などで見た切れかけの電球のように、いつまでも焦ったく、点滅を繰り返すのだった。
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