ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
今は何時頃だろうか。影狼が上り口の木戸を叩いているから、朝かもしれないし夜かもしれない。
あれから、私は一切の夏を放棄していた。
時たま戸を叩きにやってくる影狼には申し訳ないが、私はもうそれに応じる気が起きない。私はただ、日差しの差し込むことのない暗い部屋で、ただぼんやりと時をやり過ごしていた。
「ばんきちゃーん?いないの?姫のところにいきましょうよー」
戸を叩きながら、影狼はいつも通りのどこか間の抜けた声をあげる。
行けば、きっと楽しかった。しかし私にとって、その楽しさは、夏の景色の美しさは――わかさぎ姫の美しさは、痛いほど、辛辣なものだった。私はもう、綺麗な夏を見たくない。
「今日は絶対、アヲーンってしないからー。……ばんきちゃん居ないのかな」
行けば、きっと楽しかった。でも、行って、笑って。それが一体何になるのだろう。
どうせ私は、夏が終われば。
……。
戸の揺れがおさまり、影狼が去った頃、私は或ることに気付いた。
ああ、ともすれば〝前のやつ〟もこうしていたに違いない。だから影狼は――。
ああ、ばんきちゃん、仕事でしょ。人里で。もう、最近ばんきちゃん全然捕まらなくて、久々に会えたー、と思ったんだけど。
――あんなことを言っていたのだろう。
私は、私が〝前のやつ〟と同じように時を過ごしていことに気がつき、少し救われたような気になった。しかし、それは一瞬のことだった。私の前のやつ――。
ああ。お前の生きる季節は〝夏〟というらしい。影狼から聞いた話によると、夏は暑いだけで何も良いことがない、という話だ。ははは。まあ精々、楽しみにしておくことだな。
――あの生首は、確かに笑っていた。それを思い返すと、私にはそれが羨ましくて、妬ましくて、たまらなくなった。
それから、私は〝体〟がどれだけ私の握る主導権に指をかけようと、その主導権を明け渡すことはしなかった。
体が夜な夜な私の眠っている間に行うあの〝作業〟が、私にはどうも怪しく思えて、仕方がなかったのだ。根拠はないが、あの〝作業〟をさせなければ、私にとっての〝次のやつ〟が現れることはないのではないかと考えたのだ。しかし、私は眠る。眠っている最中、体が動くことを止める術は私にはない。なので、私の頑なさは、幼稚な八つ当たりと表現することもできるだろう。
暗い部屋の中、私は一つ、自嘲めいた笑いを溢した。
それから、私がまたぼんやりとしていると、不意に、視界の端にあの忌々しいミミズが現れた。私にとってこのミミズは、今まで〝私の首〟が何度もすげ替わってきたことを明示する忌々しい証に他ならなかった。
「……お前さえ」
私はミミズを追いかけた。
ミミズが逃げる。追いかける。
「お前さえいなければ、私は!」
回る視界に、用途不明の工具が映る。
ミミズが逃げる。追いかける。
「私はずっと、影狼と笑っていられた筈なのに!」
回る視界に、古びた机が映る。
「あの子の名前だって、覚えていられた筈なのに!」
ミミズが逃げる。追いかける。
回る視界に、木の板が打ち付けられた窓が映る。
「お前さえいなければ、私はもっと、姫と話せた筈なのに!」
ミミズが逃げる。追いかける。
回る視界に、床に転がる数多の頭蓋骨が映る。
「お前さえ、お前さえいなければ!私は春だって、秋だって、冬だって、好きになれた筈なのに!」
私は尚も、ミミズを追い回し続けた。
そのうちに、視界はぐちゃぐちゃになって、ミミズは見えなくなっていた。
蝉の声はもう、聞こえなかった。私はとても悲しくなって、まだ鳴いてる蝉は居ないかと、外へ飛び出した。
家の外は、とても静かな夜だった。ぼんやりとした青白い光が、辺りを照らしている。
空には大きな月が浮かんでいた。
月は、残酷に、優しく、柔らかく、とても綺麗に、丸まっていた。
それが、私にとっての最後の満月で。
そんな月を見て、私はやっぱり少し泣いた。
泣き疲れた頃、私は一つ、心を決めたのだった。
その後、私は久しぶりに、体に抱かれて眠りについた。