ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
目がさめて外に出ると、空はまだ明るかったが、最早薄らと少し欠けた月が浮かんでいるのだから私は驚いた。
私は焦って駆け出したが、不意に体が私を引き止めたような気がしたので、足を止めた。
体はどこか遠慮がちに私の握る主導権に指をかけている。急いでるから、少しだけだぞ。と念を押して、私は体に主導権を明け渡した。
すると、体はおもむろに家の脇の茂みへ近付いて、その茂みをまさぐり始めた。
「あ、あんまり汚さないでくれよ。今日は大事な日なんだから」
体は尚も茂みをガサガサとさせていたが、程なくして何かを掴んだようにその動きを止めた。
体が茂みから勢いよく腕を引くと、茂みからはなんと手押し車があらわれたのだった。
体は茂みから手押し車を完全に引っ張り出したところで、私に主導権を返した。
私は茂みからこんな大きな物が飛び出してきた時点でかなり驚いたのだが、その手押し車は底が深く、何より御誂え向きに背もたれが取り付けられていたのだ。そんな手押し車は私の目に、ちょっとした車椅子のように映った。
まさか茂みからこんな御誂え向きな手押し車が出てくるなんて。
「これ、お前が作ったのか?」
私は思わず体に尋ねた。
体は反応を示さなかったが、なんとなく、これは体の用意したものに思えて仕方なかった。
途端に、昨日までの体への仕打ちが頭によぎった。
「その、ごめんな。昨日まで八つ当たりみたいなことしてさ」
やはり体はなんの反応も示さなかったが、それでも私は、どこか胸が暖かくなるのを感じた。しかしその暖かさは、まるで体が私に応えて生じたものに思えて。私はどこか面映ゆい気持ちを感じながら、薄く浮かぶ月に急かされるように駆け出した。
おおい、わかさぎ姫。おおい。
霧の湖、岸辺に私の声が響く。麓の山道を手押し車を押して走るのはかなりキツかった。私は呼吸を乱して、石を放るのも忘れてわかさぎ姫に呼びかけた。空はまだ辛うじてその明るさを保っていたが、今にも緞帳が下りてしまいそうだ。
そこで私は漸く石を放る合図を思い出して、足元に二つ転がる独特な形の石、その一方を掴み湖に放った。ぽちゃん、という音がして、石は水底へ沈んでいく。
程なくして、水面が揺れた。そして、水面が飛沫を上げる。
「影狼ちゃ……あれ?ばんきちゃんじゃない。もう、ばんきちゃんの石はこっちでしょ」
ふふ。と笑いながら、わかさぎ姫は岸辺に置かれたも一つの石を指した。
「あはは、間違えちゃったか」
わかさぎ姫が笑ったのが嬉しくて、私は少し照れながら答えた。
「でも、来てくれて嬉しい。今日はどうしたの?あ、ばんきちゃん走って来たんでしょう。そんなに息切らして。もう、ばんきちゃん体弱いんだから、そんなに急いで来ることないのに」
わかさぎ姫はやっぱり、ふふ。と笑って。でも、嬉しいな、と付け加えた。
「姫、行きたいところはないか。どこでもいい、私が連れて行くよ」
「うそ!本当に?」
「本当だとも。ほら」
私は後ろに置いた手押し車を指差した。手押し車には並々と水が注がれている。注がれている、とはいえ、私が先ほど湖に沈めて持ち上げただけなので、厳密には注がれたわけではない。ちなみに、かなりキツかった。私の息切れの要因の一つである。
「ああ、その手押し車!」
懐かしい、なんて言いながら、わかさぎ姫は驚いたように口を両手で覆っていた。
「姫、どこに行きたい。ほんとに、どこでも連れていくよ」
わかさぎ姫は暫し逡巡して、じゃあ、と徐に口を開いた。
「私、縁日に行きたい」
里に着く頃、空はもう夕暮れていた。紺色が、今にも橙色を押し潰してしまいそうだった。里では縁日が開かれていた。夏の終わりの縁日だった。ひしめく人々は、薄暗い紺と橙の空の下、屋台の灯に照らされている。私が見た夕景の中で、一番綺麗な夕暮れだった。
ひしめき合う人々が通りを流れていくその様子は、緩徐として強かに流れる川を思わせた。
そんな人の川の中を、私はわかさぎ姫の乗った手押し車を押しながら歩いている。手押し車にはわかさぎ姫の〝水棲〟を隠すために、私の外套がかけてある。外套をかける際、私はなんとなく裏地の青を表面にして水棲を覆った。
何やら向こうの方で演し物をやっているらしく、祭囃子の笛の音や、太鼓の音が響いてくる。人々の喧騒に絆されて、私の顔は何だか火照っていた。
わかさぎ姫は、
「賑やかね。綺麗ね」
なんて言いながら、綿菓子を啄むように食べていた。そんなわかさぎ姫の仕草を、私は少し息が詰まるのを感じながら見つめていた。あんまり見ているとわかさぎ姫に悟られてしまうのではないかとひやひやしたが、でも、バレたらバレたで、それもいいや、と考えていた。
すると、わかさぎ姫が何かを見つけたように、あ。と声を上げた。
「ねぇ、ばんきちゃん」
わかさぎ姫が、あれ、と指差したのは型抜きの屋台だった。
屋台に入って、私とわかさぎ姫は型抜きをした。わかさぎ姫は器用に槌の型をくり抜いていたが、傍らで、私の瓢箪は物の見事にバラバラになっていた。ばんきちゃんは意外に不器用よね、と、わかさぎ姫は笑っていた。
どれ、という気持ちで体に主導権を渡してやると、体は嬉々として店主に小銭を渡し、型抜きを始めた。しかし数秒しないうちに、体は独楽に亀裂を走らせるのだった。
「全然ダメだなぁ」
なんて私が言うと、体は照れたように私の後頭部を掻いた。
それから、いろんな屋台をまわりながら歩いた。わかさぎ姫の射的の至妙さには驚かされた。わかさぎ姫の放った弾は、悪ふざけに設置された〝香車〟すら見事に撃ち抜いた。私自身射的の腕はそこまで悪くなかったが、やはりわかさぎ姫程ではなかった。しかし、輪投げは二人してダメだった。
それから、並ぶ看板の中に『河童の新製品 手を鳴らすと反応するおもちゃ』という何だかその宣伝文に不器用さを感じるものを見つけた。物は試しと、屋台の前まで行くと、そこには何やら憎らしい顔をした〝カッパのおもちゃ〟があった。屋台の前には子供達が集っていて、各々懸命に手を叩くので、それはまるで称揚の拍手のような具合になっていた。
子供達の拍手に反応し続ける〝カッパのおもちゃ〟は、延々と、『ウッサインジャイ ウッサインジャイ』と繰り返していた。
「なんか、憎たらしいおもちゃだったな」
「えー。可愛かったじゃない」
それから、河童の展示販売の屋台を後にして、私はまた人の川の中を歩いていた。わかさぎ姫の乗った〝ちょっとした車椅子〟押して歩いていると、人混みに揉まれることなく、比較的するすると通りを歩けた。
「まさか見るだけで金取られるとはな」
「ほんと。でも、安くてよかったわね」
わかさぎ姫はその手にりんご飴を握りしめている。屋台にりんご飴を見つけた、ばんきちゃんに似てる、なんて言うものだから、私はまた息の詰まるのを感じてしまった。
「でも、おもちゃ自体は滅茶苦茶に高かったな」
「ふふ。あれじゃあきっと、誰も買ってくれないでしょうね」
そうして、私たちは暫く喧騒の中を曖昧に笑いながら、とりとめもなく話し続けた。私はそんなとりとめもない話が、嬉しくて、楽しくて、たまらなかった。
ふいに、わかさぎ姫が、ああ!と嬉しそうな声を上げた。どうやらその感嘆の矛先は金魚すくいの屋台に向いているようだった。泳ぐ金魚達を、綺麗、なんて言ってはしゃぐわかさぎ姫は、綺麗なのに可愛くて、私は、ずるいな、と思った。
「みて、あの赤い金魚。くるくる回って、可愛い」
「ああ、ほんとだ」
「赤くて尻尾がリボンみたいで、くるくるしてて、ばんきちゃんみたい」
「私が回ってるところ、見たことないくせに」
「あるわよ、何回も」
わかさぎ姫は口に手を添えて微笑んだ。私が財布を取り出して、やってみようか、と尋ねると、わかさぎ姫は、ううん、と答えて、少し憫れむような眼差しを、金魚達に向けるのだった。
そうして、金魚すくいの屋台を通り越し歩いていると、わかさぎ姫が突然、いけない、隠れて!と声を上げた。私は思わず踵を返して人混みに紛れた。
「ね、ばんきちゃん。みて、あれ」
何やら愉しそうに微笑むわかさぎ姫の指差す先には、影狼と食堂の少女が並んで歩いていた。影狼が例のサングラスかけているものだから、私は思わず吹き出しそうになった。それに、影狼のあのおどおどした表情ときたら。
「あれが、ばんきちゃんの言ってた子?」
「そうだよ」
「可愛い子じゃない!影狼ちゃん幸せ者ね」
「何だかおどおどしてるようだけどね」
「ほんと。影狼ちゃん面白い」
あんまり見てたら悪いわね、とわかさぎ姫が言うので、私はそのまま影狼達を背後に歩き始めた。しかし、私もわかさぎ姫もやっぱり影狼達が気になって、いつまでも後方を見やっていた。
「金魚すくい、やるのかしら」
「そうみたいだな」
「ああ!影狼ちゃんたら、女の子にお金払ってもらってる。もう、情けないんだから」
「あいつ、金ないからなぁ」
「まあ、影狼ちゃんたら、下手っぴねぇ」
「ほんと。なんだ、あの情けない顔は」
私とわかさぎ姫の視線の先には、破れた網を残念そうに掲げた影狼がいた。少女はその傍らで、器用に金魚をすくい続けている。影狼はそれを、情けないやら、感心するやらの表情で見つめていた。
そんな光景を見た私の頭の中で、赤くて小さな金魚が、元気よく跳ねた。