ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

58 / 96
山の怪事件 3

 日報の提出を終えた椛は食堂でちょっとした食事を摂り、姫海棠はたての家の前まで来ていた。姫海棠はたては寮の離れの小ぢんまりとした家屋に住んでいた。通常、山に所属する天狗は寮での生活を強制されるのが規則だった。しかし、姫海棠はたてはその例から外れ、寮の離れに自室を持っていた。はたてが何故こうも特別な待遇なのか、椛は文やはたてと交流する最中に断片的ながらもその理由を察していた。戸の前に立ち、はたて宅を見上げる椛の脳裏には、先日、去り際に文の放った一言が浮かんだ。しかし、椛はすぐにそれをかき消して、はたて宅の戸を叩いた。

 戸の向こうから、はーい、と気怠そうな返事とともに、ドタドタとした音が響く。程なくして、戸が開いた。

「ああ椛じゃない。どしたの?」

 椛は先程校閲部の前で嘘をついてしまったことを白状し、それを謝罪した。大変申し訳なさそうに謝罪する椛に対して、はたては驚いたような呆れたような感を抱いた。

「別に、気にしないでいいのに。聞かれて困るものでもないしね。ああ、そうだ。椛も〝検閲部〟にだいぶいびられてるみたいじゃない。なんだっけ。そうだ、確か〝なにもするな〟とかなんとか。ま、いいわ。とりあえず上がっていったら?」

 椛は言われるがままに敷居を跨いだ。はたての部屋はこれまた汚かった。世のネタが増えると部屋を汚すのは天狗の記者の習性なのかもしれない。そんな部屋の中、椛が部屋に設置されたこれ見よがしな〝客人用の椅子〟に座らずそわそわしていると、はたては、

「座ったらいいじゃない」

 と、お茶と茶菓子をテーブルの上に用意して、椛をたしなめた。椛は照れたように笑いながらようやっと腰を下ろしたが、用意されたお茶が一人分しか存在しないことに気付き、また少しそわそわし始めた。はたてはそんな椛の様子には頓着せず、原稿に向かうのだった。

 恐らく、校閲に引っかかって書き直しを命じられたのだろう。そう考え、椛ははたてに同情を投げかけた。

「え?ああいやいや、今書いてるのは次の分よ。さっきのはそのまま印刷するわ」

 はたての返答は椛にとって意外なものだった。校閲に引っかかってないのなら、どうしてはたては校閲部の天狗と口論などしていたのだろう。椛ははたてに尋ねた。

「そりゃ、検閲には引っかかったわよ。でも、印刷の連中はそんなこと気にせず印刷してくれるのよ。知ってる?納品が遅れたときの連中の嫌な顔。ま、印刷部も印刷部で、今日の仕事を終えるために必死なのよね。それに、校閲部に持っていくのは〝規則〟だから、従ってやってるってわけ。目的は嫌がらせだけど」

 頻度で言えば稀だが、姫海棠はたての発刊する〝花果子念報〟は、過激と評される〝文々。新聞〟の〝それ〟より過激な記事を掲載することがあった。その都度山の中でちょっとした騒ぎになる。ともすれば、校閲部の前で聞いたあの怒号は、そういうことなのだろうな、と椛は思った。

「いやー今回も相当怒ってたわね、校閲部。この記事が上に読まれたらどうするんだ、なんて言ってさ。どうするもこうするもないわよ、ねえ?ああそうだ、良かったらさっきの原稿、読んでもいいわよ。あはは、椛達の悪口も書いてあるんだから」

 そう言って、はたては問題の原稿をテーブルの上に放り投げた。椛は恐る恐るその原稿を手に取り、見出しに目をやった。

『山の怪事件!哨戒部隊の醜態』

 見出しの通り、原稿の至る所に哨戒部隊の醜態を収めた写真が貼ってあった。木の幹にかじりつく白狼天狗、仲間に飛びかかる白狼天狗、仲間に追われ必死の形相で逃げる白狼天狗等々、椛は記事には目もくれず、そうした写真を見やっては、慌てて写真の出所を尋ねた。

「私が撮ったんじゃないってば。私はどっかの誰かが撮ったものを念写しただけ。それに、そもそも哨戒部隊が弛んでるのがいけないんでしょうが」

 椛はなにも言い返せなかった。椛は写真の白狼天狗達の慌てっぷりを鑑みて、写真は恐らく山で最初に事件が起きた日のものだろうと確信した。山で初めて事件が起きた日は非番だった椛だが、それでも哨戒部隊の弛みの原因は隊長である自分にあるような気がして、やはり何も言えなかった。何よりも、写真の中の白狼天狗達の無様なまでの慌てっぷりが、椛を閉口させたのだった。

「あはは、冗談よ。それに、椛はその日非番だったんでしょう?どの写真にも写ってなかったし。それより、大事なのは写真じゃなくて記事よ、記事」

 椛はやおら震えながら記事に目を落とした。しかし、白狼天狗達の〝オフショット〟の衝撃が抜けきらない椛の頭に、細かい文字がすっと入っていくことはなかった。一旦落ち着こうと、椛が茶の注がれた湯呑みに手を伸ばした、その時だった。

 震える椛の手が湯呑みを掴むことはなく、湯呑みは勢いよく原稿の上に倒れ込んだ。原稿へと、湯呑みから威勢良く茶が注がれていく。はたては卒倒した。はたての意識が薄らいでいくと同時に、原稿の上のインクも解けていった。程なくして、はたては意識を手放し、原稿はふやけた。湯呑みに伸ばした椛の手は、いつまでも震えていた。  

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。