ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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†神意† 6 ユカリノシキのラン

 「それじゃあ、行ってきます」

 八雲藍が夕飯の買い出しへ赴くべく声を上げると、橙が「いってらっしゃい」と声を上げる。八雲藍はそんな〝いつも通り〟にそこはかとない充足を感じ、靴を履き、片手に買い物袋を認め、上り口の戸に手をかける。ここまでが八雲藍にとってのいつも通り、まさに平穏というものだった。

「待って、藍。私も行くわ」

 そんな平穏を打ち壊すように声を上げたのは八雲紫だった。藍は主人の聞き慣れぬ発言に、されど聞き流すことも出来ぬその発言に、紫色の倦怠めいた衝撃を受けた。

「紫さま、なんでまた、急にそんな」

「たまにはいいじゃない。まさかダメなの」

「いえ別に……紫さまが仰るなら、私は特に……」

 藍は多少の狼狽を敢えて前面に押し出しつつ、むにゃむにゃと主人の言葉に従う旨を述べた。むにゃむにゃとした煮え切らない発声は、正直面倒なのでいやです、の意が含まれていたが、八雲紫は含意に気付くこともなく、それじゃちょっと待ってて、と外出の支度を始めるのだった。

 ――ああ、紫さまはどういうつもりなのか。まあ概ね、最近橙の紫さまを見る目が紫さまをちょっとした〝その気〟にさせたのだろうけど、どうだか。橙は存外聡いから、間の読めないよく寝てる人、って印象はあんまり、変わらないのではないか。むしろ、そんな印象を助長させるだけなのではないか。だいいち、行動がいつも突発的すぎてなあ。買い物についてくるにしたって、だったら初めから支度をしておけばよかったものを、私がもう出るって時に支度を始めるんだもの。……いやいや、主人に対し失礼過ぎるな、私。……それにしても、遅いな。支度にどれほど時間をかけるつもりなのか。そういうところが橙の印象を……いやいや、失礼だぞ、私。私も少し、しゃんとしなきゃな。

 待ち兼ねた藍が一度靴を脱ぎ居間に戻った瞬間、八雲紫の〝支度〟は完了した。橙は〝主人の主人〟の間の悪さを横目に観察していたが、言葉を発することはしなかった。

「それじゃ、行ってきます」

「橙。ちゃんとお留守番してるのよ」

 二人の声に橙が「はーい」と答え、ようやっと、上り口の戸が開かれた。

 ――八百屋に行くのにあんなにめかしこんで、あの人はどういうつもりなんだろう。

 橙の〝主人の主人〟に対する印象は、また一つ低層へ下った。

 

 …………。

 里の往来は中繁盛といった具合で、多すぎもしなければ少なすぎもしない、ひどくそれらしい塩梅で人々が行き交っている。その往来の中を、藍と紫も歩いていた。

 藍には隣を歩く主人について、その気合の入った風態以外にもう一つ懸念があった。

 ――この人が居たら、八百屋の店主に〝おまけ〟をして貰えないかもしれない。

 藍は無意識の内に統計を取る癖があった。八百屋の店主が〝おまけ〟をくれる確率についても、やはり無意識下で統計を取っていた。

 八百屋の店主がおまけをくれるのは、基本的に客の少ない場合だった。藍以外の客が多い場合――人目の多い場合は、少ない場合と比べると、おまけをくれる確率は半減する。そしてもう一つ、確率が低減する条件が在った。同行人が居る場合だ。同行人が居る場合、店主がおまけをくれる確率は低減に留まらず、むしろゼロになる。藍が橙と共に八百屋を訪れた際、店主がおまけをくれたことは一度もなかった。藍は八百屋が近付いた今になって、紫の同行によりおまけを貰えなくなる可能性に気がついてしまったのだ。

 八雲家において半ば主婦としての役割を担ってきた藍としては、貰えるおまけを貰えないというのはちょっとした問題だった。そう、ちょっとした問題。主人の同行を拒否するには足らない、ちょっとした問題。――しかし藍個人としては由々しい問題だった。おまけの内容は往々にして、彼女の好物である油揚げだった。油揚げでさえなければ、今現在、藍がこうも悶々とすることもなかっただろう。

「……あの、紫さま」

「なにかしら」

「……いえ、なんでもありません」

 ――おまけ欲しさに主人を帰らせるなんて間違っている!

 藍の良心は喉元までこみ上げた「ちょっと、帰ってもらえます?」の言葉を押し留めた。

 しかし、飲み込むには足りず。

 藍は八百屋に着くまでの間、悶々と、油揚げの誘惑に揺れ続けた。

 

 …………。

 

「ちょっと、帰ってもらえます?」

 八百屋に到着するや否や、藍は誘惑に敗北した。紫は藍の言葉を聞くと、なにかショックを受けた様子で、やおらスキマを開きのこのこと自宅へ帰っていったが、藍にはそんなことはどうでもよかった。

 ――乾坤一擲、おまけを貰える確率をゼロから五分五分へと押し上げたのだ。私は今日どうしても、油揚げが食べたい。

 八百屋にはそこそこの客がうようよしていた。藍の統計から言えば、おまけの確率は五分と五分。藍は持参した買い物袋をぎゅっと握り、どこか威勢良く、八百屋へと飛び込んでいった。

 

「コレと、ソレと、アレをください。あとソレも。ああ! あとアレももらっちゃおうかな!」

 藍には一つ考えがあった。たくさん買い物をすれば、五分と五分の確率を上回れるのではないか。普段必要以上の買い物をしない藍に、その作戦の効果の程は分からなかったが、藍はどうしても、おまけが欲しかった。否、貰わなければならなかった。その為に、自身の主人を帰らせたのだ。貰わないわけにはいかなかった。

「お、今日はたくさん買ってくれるねえ!」

 ――きた!

 藍は続く言葉を瞬時に予想する。

 ――『じゃあ、おまけもいっぱいつけちゃおうかな!』……こうだ。こう続くに、違いない。

 

「あら? 今日はお嬢ちゃんは一緒じゃないのかい」

「あ、ああ、橙には、今日はお留守番をしてもらってます」

「ふうん、そうかい……」

 店主の予想外の発言に、藍は狼狽した。しかし、もう藍に出来ることは何一つ無い。あとはただ、買い物袋に品物を詰めてくれる店主を見つめることしか出来ない。

 品物を詰め終わった店主が藍に買い物袋を渡す。

「はい、毎度! 〝おまけ〟しといたから、帰ったらお嬢ちゃんにあげてやりな。きっと、喜ぶよ」

「あ、ありがとうございます!」

 藍は店を出て、臆面も恥じらいもなく、買い物袋を検めた。

 ――橙にあげると喜ぶもの、そんなものは一つだ。それは、油揚げに違いない。

 藍は買い物袋を漁った。

 その場で五分ほど、漁り続けた。

 

 油揚げは無かった。

 代わりにあったのは、藍にとってはようわからん洋菓子。飴玉とか、チョコだとか、そこらへんのものだった。

 

 藍は飴玉を一つ舌の上に転がした。悲しい味がした。

 悲しくて、悲しくて、藍は家に着くまでに、おまけの洋菓子を残らず食べ尽くしてしまったほどだ。

 結局、家に着いた藍に残ったのは、主人との軋轢と、主人間の軋轢に震える、橙の慄然とした表情のみだった。

 

 その日の夕飯も、やはり。

 とても、悲しい味がした。

 

 

 

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