ハイカラさんが通る【完結】 作:代理投稿者サクマ
旧都を離れ地底の深部へ下ると、道幅は広がり、天井も高くなる。その代わりに地底の何もなさが際立って、閉塞感はことさら増していく。しばらく歩けば寝床がある。
キスメとやつとの憂いの夕食を終えたらもう、寝床に戻って眠るだけ。本当はほかに行きたい場所があったのだが、そこにいけばまた変なやつと会ってしまいそうで、やめた。
広い空洞に響く私の足音は、私に孤独を与え続ける。となれば必然、脳裏に浮かぶのは連中のことだ。
閉じ込められている間も、一輪は聖への帰依を止めなかった。何年も、何年も、聖を解放するとか、そんなことを譫言のように呟き続けていた。ああ、叫んでいたかもしれない。居ない神に祈る囚人ほど哀れな者はない。私は、一輪が喚けば喚くほど、聖の復活が現実から遠のいていくのを感じたっけ。何年続いたかな。覚えてすらいないが、とにかく間欠泉が噴き出した。
地上に出て、一輪に連れられて星のとこに向かった。寺は荒れ果ててたし、星だってくたびれてた。鼠にしたってそうだったな。でも、一輪のやつ、そこでも喚いた。連中にはそれがどうにも効いたらしい。みんな、瞳を輝かせて聖の解放を謳い始めた。鼠は恐らく主人の回復を喜んでいただけだろうが、ともかく。私が地底に戻ると言ったときの、あいつの冷ややかな視線。あれはどうにも、辛辣だったな。実際。
ああ、それにしても。
鵺だ。あの、いけ好かない鵺。夕食を食べに洞穴を出れば態度は一変。胡散臭さの消えた口調はやたらに胡散臭かった。急に、友達みたいな話を振ってきたり、ああも不快なことはそうそうないね。しかも結局、話は遠回しになったばっかりで、それまでとさして変わりもない。やつの話す内容の殆ど詮索、情報収集に終始した。あー、適当に打った相槌のいくつかが不安になってきた。
ああいうやつに、右往左往なんて言葉が似合う。正体不明なんかよりずっと、そっちのほうがそれらしい。あの場にキスメが居なかったら、刃傷沙汰になったんじゃないか。
「おっとっと」
地面に生えた細い蔦に足を取られて、一寸、立ち止まり、耳を澄ました。
おかしい。足を止めたはずなのに、足音が依然響いている。気がついた途端、足音が止まる。奇妙さを感じ振り返れど、そこには何もない空洞が延々と広がっているのみだった。
ああ、もしや。
嫌な予感が胸中に渦を巻くのを感じる。向き直ると、あまり見たくないものがそこにあった。
「ばあ!」
私の眼前でおどけるそれは、一寸の沈黙の後やおら照れ臭そうに後頭部を掻いて、私と数歩距離を取る。
「……おねえちゃんは、あんまり驚いてくれないね」
せっかく、こいつと会わないよう直帰したのに、結局会うんじゃ意味がない。
「おねえちゃん、今日は血の池地獄、行かないの? ……あ、待ってよおねえちゃん! 無視しないでよー」
「ねえ、今日ずっとおねえちゃんをつけてたんだけど」
ああ、始まった。
「おねえちゃん、なんであの男の人と、仲良くするの?」
「みんないいやつだって言ってる」
「あなたはどう思ってるの?」
「うるさい」
「なんでそんなに冷たくするの」
「きらいなんだ」
「友達になりたいだけなのに」
「なりたくない」
「あの、ぬえってひともきらいなの?」
「そうだよ」
「あのひと、おねえちゃんになにかひどいことしたの?」
「……」
「あのひとも、おねえちゃんと友達になりたいんだよ」
「なりたくない」
「キスメちゃんとは友達なのに?」
「関係ないだろ。それにキスメは……」
「……キスメちゃんは、なに?」
ああもう。
「うるさいな、あっちいけよ」
「あっちってどっち? ……あー! 待ってってばー!」
そいつを無視して歩けば崩れた岩壁があり、無造作に転がる岩どもの前に虎柄のロープが張られている。私はそれを潜り、崩れた岩壁の隙間を進む。
「あっ、おねえちゃんダメだよ。そっちは怖い妖怪がいるって、昔、お姉ちゃんが言ってたの」
「私がその、怖い妖怪だよ」
言いながら隙間を進んで、空間に出る。振り向くと、隙間の向こうにやつはおらず、どうやらやっと、諦めてくれたようだ。
ともかくとして、この空間、私の寝床。広い空洞のすみに、編んだ藁が二、三枚。重ねて、敷かれている。藁を編んだのは、たしか私だ。そう、閉じ込められて間もない頃、子ネズミどもが藁を一本一本運んできたんだった。あー、そのころの一輪といえば酷いものだった。錯乱というか、なんというか。膝を抱えて腕に顔半分を埋め、壁やら床を睨むばかりだった。だから、私が仕方なく、子ネズミどもが一本ずつ運んでくる焦れったい藁を編み、寝床を作った。そういや、子ネズミどもはときたま、それと一緒に果物やなんかを運んできたな。一輪はそれに頓着することもなく岩を睨み続けてたっけ。私も、食事を摂ろうなんて気分にはなれなかった。けど、何もしない一輪の代わりに藁を編む対価として、不味い果実に噛り付いた。あー、子ネズミどもが来なくなったのは、いつ頃だったか。長い間来ていた気もするけど、来なくなってからの時間のほうが、よっぽど長かった気もする。会った時に確認すればよかったな。概ね、それらは星の指示だったんだろうし。まあでも、久々の対面で見たあの、呪いめいた疲弊の表情を鑑みるに、差し入れのストップは道理だな。けれど、それにしたってあの鼠。あいつはどうも、好きになれない。
とにかく、一輪らが去ったおかげで、やつらの寝床は私のものとなった。薄っぺらな藁を何枚重ねたところであまり変わりはないが、まあ、以前より寝心地はいい。虚ろに仏々と唱えるやつもいないし。快眠には程遠いけど、随分マシになったかな。
身を横たえようと藁に寄ると、その上に、なにやら手紙が置いてあった。手に取るまでもなく、その手紙は子ネズミどもが運んできたものだと理解する。
手紙を拾い上げ折り目を開くと、そこにはただ一言、
『近々会いに行く』
とだけ綴られており、胸中、樟脳味の倦怠が湧き上がった。
手紙の主は言うまでもなく鼠で、その用事はおそらく船が直るとか、そこらへんの話だろう。ああ、果たして誰が会いにくるというのか。一輪はいやだ。あいつのことは嫌いじゃないが、あいつの、聖に対する恋慕に似た戯言を聞かされるのには、もう飽き飽きしてる。かといって星。あいつに来られても、困る。あいつは、なんというか、馬鹿みたいに真っ直ぐだ。しかし最悪なのはあの鼠だ。あいつのことは、どうも読めない。聖に対する尊敬も感じられなければ、毘沙門天に対してもそう変わらない。単純に星のことを好いてるのかと考えたこともあったが、あの鼠がそこまで純とも考えられない。
でもきっと、なんとなく。鼠が来るに、違いない。
私はため息を吐いて藁の上に身を横たえて、目を瞑った。
十中八九、船の修理ないしは今後の計画の話になる。その際、私はどうしよう。私は人を殺したくてたまらないんだ。じゃないと、連中と別れて、地底に降ったりしない。しかし、船はきっともうじき直ってしまう。
あー、あの男を殺そう。そうすれば、もういらんことを考える必要もなくなる。妖怪は、人だけ殺してりゃいい。しかしそうなると、怪訝なのは鵺だ。去り際、あいつはやたら左のことを知りたがった。あいつのことだ。きっとなにかしてくるに違いない。邪魔立てするってんなら、殺してやろうかな。
あー、それがいいや。男も、鵺も、見つけ次第殺してしまおう。
でも、もし鵺を殺したとして、それがキスメにバレたらどうなるかな。キスメ、あいつはきっと怒るに違いない。なんで友達を殺したの、なんて。キスメ、あいつは卑怯だ。馬鹿だから、卑怯だ。私は、人殺しを悪いとも思わないあいつが、大嫌いだ。