ハイカラさんが通る【完結】   作:代理投稿者サクマ

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日々は槻を濁すよに 3

 朝、目が覚めて、床の上。窓の向こうはいつも通りに他所の家の外壁があるのだろう。部屋の中はいつも通りに果たして意味があるか程度の薄明るさに満たされていた。あってもなくてもいいような、まるで教養のような薄暗さ、と形容したとて差し支えないほどの光量の中、私は脳と胃に僅かな宿酔を感じ、なんとはなしに寝返りをうつ。

 眠る際、一部屋のみの木造住居にはロフトがあったが、私はそれを使わない。ロフトの下の空間は、これまた低いベッドが基本的構造物として備えられていた。動かせない二段ベッドといえば、わかりやすいだろう。しかしそれでも、私は床で寝た。床で眠るようになったのは、私がお勉強なぞを熱心にしてた頃だ。その頃、部屋には小さなテーブルが在って、私はそのテーブルの上でノートをとったり本を読んだりして、そのまま眠ったものだ。テーブルは先月売った、いや、先々月だったか。あまりよく覚えてはいないが、おかげで部屋が広くなった。

 広くなったとはいえ、用途のない不動の二段ベッドの存在の所為で、就寝以外の居住スペースは、狭い。今では、およそ三畳ほどの木板が張られたその床に、布団が一式ぐちゃぐちゃになっている、というのが私の部屋の全てだった。この空間には布団しかない。布団は三式あった。一つは床に、一つはロフトに、一つはその下段に。

 小さい頃、リグルとミスティア、それとあの子が泊まりに来たことがあった。たしか、この家が私のものになってすぐのことだったと記憶している。僅か三畳ほどの空間を暴れまわり、転げまわり。遊び疲れて、二つのベッドに二人づつ眠った。

 たしかリグルとミスティアが上の段だった。本当は、上の段は普段私の就寝スペースだったはずで、私はそこで眠ろうとしたのだけど、リグルがどうしても、上じゃなきゃイヤだ、と抗議して。トランプか何かで勝負して決めたんだっけかな。それで、私は下の段で、あの子と一緒に眠ることになったのだ。布団の中が、涼しくて、気持ちよかったのを、覚えてる。

 私はあれから、あの子には会っていない。あの子、なんて呼び方も、記憶の中のあの子が、私の成長に比例して幼さを増していった結果の一つだ。とはいえ、時折ふいに思い出される彼女は概ね、私やリグルやミスティアの手を引いて、湖や山や里、それから寺子屋なんかにぐんぐんと歩いていく姿だった。ともかく、特別な機会なんて言葉は結局、時が経つにつれて、その抽象さを増していくのみで。きっともう、会うことはないかもしれない。そんな可能性も、私はすでに受け入れている。それほどに、時間が経ってしまったのだ。

「『やればやるほどつまんないよ』、か」

 ふいに、いつかの誰かが放った言葉を思い出す。その言葉が提げた看板にはやはり、勉強、とか、問いA、とか、それらに類する語句が刻まれていた。

 勉強も、随分したけれど。

 結局、無やら数やら空間やら、それらの前提を疑ってしまえば、そこにはなんの意味がないように思えた。視野が広がるにつれて、いろんなものや、いろんなことを疑えるようになっただけで。生きる上で肝要な答えらしきものは何一つとして得られなかった。だからといって、絶望、なんかはしていない。ただ、其処にあるものをあるがままに受け入れるには、その時すでに、私は少し、捻くれ過ぎていただけなのだろう。無論、私が今所謂モラトリアムめいた恒常性の渦中にいることなんて自覚している。けど、私はちっとも不幸じゃないし、むしろ幸せだった。或いは快楽原則なんてものを持ち出したなら、私はきっと、不幸で幸せなのだろう。

 また私は、この世界の全てに意味があって、ときに全てが無意味になることを知っている。けれど、景色のちょっとした美しさの中に幸せがある、とか、思い出は時が経つほどに輝きを増す、とか。そういう言葉の意味だって、理解している。もちろん、どれもこれも、ただの言葉だ。ただより安いものはない、とまでは言わないが、無料で配られるソレは大概、無価値である。

 つまり私は。

 今の私は、つまるところ。

 幸せなほど、不考でいると、いうわけだ。

 だから、考えれば考えるほど、つまらなかった。

 とりあえず、起き上がろうと腕に力を込める。瞬間、敷き布団の下で、床板がキィ、と猿楽うので、起き上がるのはよしてやることにした。何より、寝転がった私の低い視界の中心に、昨夜の飲みかけが目に入った。私はその瓶に手を伸ばして、仰向けになり。瓶の中、琥珀色のそれを、飲んだ。不精により固くなった敷き布団の感触が、妙に柔らかい。さて、この布団は、いつ、どこから持ってきたものだったか。

 

 酒を飲むと、思考の制御が効かなくなる。それはつまり、行動に干渉できなくなるということで。自分の意思とは関係なく、景色がやたら綺麗に見えて、泣きそうになったり。積み上げまで来たガラクタを、売っぱらったり。更なる酔いを、求めたり。あの子が作った瘡蓋を、血が出るまで、弄くり回したり、するのだ。寝たきりの暴れ馬に乗るのは、とても、スリリングだ。

 遠目で見たら綺麗だったものが、近付いてみると、そうでもなかったり。手品なんかの種や仕掛けが、なんとなくわかってしまったり。あの頃のリグルの、不可解なまでの軽薄さとか。知らない方がマシなことはたくさんあって。だから、アルコールで視力が下がるなら、私はいくらでも、それを飲むと、いうわけだ。

 ああ、起きて十分も経たないけれど、もはや、眠たいな。……そういえば、ミスティアは今、なにをしてるんだろう。未だに歌なんて、歌ってんのかな。……リグルはきっと、マッチポンプを続けているに違いない。何年か前に会った時、目を輝かせて、その仕事の素晴らしさを説いてくれたぐらいだし。それから、あの子。きっと、あの子は今でも、同じくらいの背丈をしたのを捕まえて、楽しいことをしてるんだろう。そうだったら、いいな。……そうだ。今度リグルに会ったら、金の無心でもしてみようかな。あいつならそれくらい、笑って済ませてくれそうだ。

 

 そうして私は薄暗く、陽光溶かす部屋の中。重くて鈍い微睡みに、次第に解けてゆくのであった。

 

 

 

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